11/12/07 19:18:30.68 KfsUV95I0.net
制度復活以前も様々な形で干渉はあったがそれに制度的な一種の正当性を与えたということだろう。
宇垣流産の時はそれが決定的だっただけにやはり悔やまれる。
しかし宇垣はずいぶん粘ったし湯浅が当時もう少し深刻な認識を持っていたらあるいは違ったかもしれない。
当時の首脳たちがテロや混乱を心配して抵抗出来なかったというのも自分の身だけでなく皇室含めいろんなところに塁を及ぼすということで
それなりにもっともなのだが、どこかでそれでも泥をかぶる人が出てきて欲しかったところだ。
そういう覚悟がありそうだった一人が宇垣なのだが、いろいろな要因から
組閣は失敗、外相としての日中交渉も近衛の支えなく残念な結果に終わった
スレタイの二人はその宇垣の挫折に直接間接に寄与したわけ