11/07/30 08:42:20.19 jdvDHoLq0.net
小野田氏はルソンの兵団司令部にてルバング島警備隊の遊撃戦指導の任を与えられ、「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。
必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張れ」と命令を受けた。
ルバングに派遣されるとき、最悪の場合、米軍の本土全面占領がありうると説明されていた。
日本が占領された後も中国大陸で徹底抗戦&反撃をするために、敵の占領地に居残って敵の後方を攪乱・牽制して戦い続ける計画。
戦争が終わっていたとしたら、小野田氏の特殊任務を知っている中野学校の関係者が命令を伝えに来るはず。
また、他の島への単独移転は禁じられていた。命令がこない限り、勝手に武装解除して投降しようとは思わなかったのだろう。