14/01/28 17:25:40.19 qBzQQoyn0.net
父が18歳の時に戦争は終わった。却下命令が
なかったため、暗殺命令の対象者が病死する
までの30年間、父は訓練を続けた。暗殺対象
者の死をもってようやく戦いから解放される
はずであったが、驚くべきことに、父が解放
されることはなかった。“どうしても譲れない
ものがあるから”始めた戦争は、“元に戻すま
では止めない”。つまり、日本が元に戻ってい
ない以上、止めるわけにはいかないのだ。
「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして
の亡国は、魂までも喪失する永久の亡国な
り。たとえ一旦、亡国となろうとも、最後の
一兵まで戦い抜けば、我らの子孫はこの精神
を受け継いで、必ずや再起する」。当時14歳
だった父は、開戦の経緯は、よく判らなかっ
たが、開戦直後にラジオから流れたこの永野
修身軍令部総長の言葉で「“生き方”と“死に
方”を決めた」と言っていた。父の 「どうして
も譲れないもの」とは、亡国をも覚悟して戦
う魂であり、「元に戻そうとしているもの」
は、最後の一兵まで戦い抜く精神である。そ
れを日本に戻すまで、父は解放されることは
ない。