14/01/28 17:17:47.94 qBzQQoyn0.net
それは、5歳の時の父との会話だった。
父は、廃墟のようなビルから25m離れたとこ
ろに立ち、エアーポンプ式ライフルを構えて
いた。非常階段の2階からタコ糸でぶら下げら
れた拳(こぶし)大(だい)の石が、私の目の前、
手を伸ばせば触れられるところで振り子のよ
うに揺れていた。かすかな発射音の後、その
石は原型のまま地面に落ちた。父は射撃姿勢
を崩し、命中させることによって切ってし
まったタコ糸に再び石を括り付けるように身
振りで指示した。
これは、物心ついてから毎週日曜の午後に繰
り返されていた光景である。父は、昭和2年
1月東京で生まれ、陸軍予科士官学校から陸
軍中野学校へ行った。終戦から24年を経てい
たこの時、私の役目は、切れたタコ糸の先端
に、再び石を括りつけ、それを揺らすこと
だった。
その頃は、「よく当たるもんだな~」位にし
か思っていなかったが、私自身が、日本を始
め各国の軍隊、警察に射撃を教える立場にな
り、いかにそれが常人離れした技術であるの
かを実感している。私には、25m先の揺れて
いる糸を「立ち射ち」で命中させることなん
か絶対にできない。父は、1日に2発しか撃た
なかった。何百回も撃っているのを見ている
が、ただの1発も外していない。できる、でき
ないの話ではなく、“ありえない話”である。