西南戦争・薩摩軍勝利の可能性について 2at HISTORY2西南戦争・薩摩軍勝利の可能性について 2 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト350:名無しさん@お腹いっぱい。 15/01/04 11:30:06.09 sqwh2anR0.net ■西郷隆盛に関する典型的な勘違い例■ バカ 「西南戦争で、西郷隆盛の助命嘆願は部下が勝手にやったことで、西郷本人は知らなかった」 ↓ 西南戦争が最終局面に入った明治10年9月19日、西郷軍から政府軍に使者が赴き、 西郷隆盛の助命嘆願をしています。 通説(wikipediaなど)では、助命嘆願について西郷本人は知らなかったとされています。 事実はどうだったのでしょうか? 西郷軍の軍議で最初に西郷助命が議題に上がった際、 西郷は助命について是とも非とも言わず「開戦以来何人が死んだのか」と言ったと伝わる。 桐野利秋は猛然と反対し、助命論はいったん潰れた。 しかし再び、助命論が起こり、9月18日、河野主一郎が村田新八、池上四郎、ほかの諸隊長らの同意を得た。 この時の西郷軍内での様子を記した史料が二つある。 「薩南血涙史」では、このことは桐野には黙っていたとある。 「西南記伝」では、桐野は合議の席上で「投降は後世に対する侮辱だ」とあくまで反対したとある。 西郷本人はただ莞爾(にっこり)して「よしよし」と言っただけだったので、河野らが嘆願に赴いたとある。 つまり、西郷は助命嘆願を知らなかったなどという記録は史料のどこにも無いのです。 史料から分かるのは、西郷は助命嘆願を知っており、これを許可したと 思われる様子さえ記されているということです。 西郷は助命嘆願を知らなかったという説は、 西郷自身は命を惜しんだわけではない、ということにしておきたい人々 (西郷軍の生き残り、反政府主義者、鹿児島県人など)の願望が作りだした俗説です。 それがいつのまにか通説化してしまったものと思われます。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch