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個人の会津藩士による略奪も多発した模様である。
初期においては新潟町で強盗を働いた会津藩士数人が
町民によって捕らえられて処刑されたなどした。
(新潟市史通紙編3)
武器を持ち民衆を恫喝する会津藩士や
衝鋒隊の兵士達に民衆は次第に手も足も出せなくなる。
「会津勢、妙法寺山中に篭もり居り、度々村里へ出、
百姓共へ無心申し掛け、或いは乱暴等いたし候」
(新潟県の百年と民衆 戊辰戦争と民衆 溝口敏麿)
金銭や食糧の徴発以外にも
小千谷等の戦場が近い村々では
農兵の取立てが行われた。
半ば強制的に行われた徴募では貴重な労働力を
強引に奪われただけでは済まず
農兵の食料までもが村々から取り立てられ
村々は二重の負担に苦しむ事になる。
何より新政府軍の農兵が小銃を供与されたのに対して
正規軍にすら小銃が揃わない会津藩に徴募された農兵は
「先端に鉄の分銅が付いた鉄棒」や『竹槍』で
小銃を装備した新政府軍に挑まされ事になる。
しかしこのような農兵の士気が上がる筈がなく
戦いが始まれば一目