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長州って、汚い毛利家に反抗した英雄の山中鹿之助を酷い方法で殺しているね。
衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い続け、その有り様が後人の琴線に触れ、講談などによる潤色の素地となった。
特に江戸時代には忠義の武将としての側面が描かれ、悲運の英雄としての「山中鹿之助」が創られていく。
これが世に広く知られ、武士道を精神的な支柱とした明治以降の国民教育の題材として、月に七難八苦を祈った話が教科書に採用された。
長男とされる山中幸元(鴻池新六)は父の死後、武士を廃して摂津国川辺郡鴻池村で酒造業を始めて財をなし、
のちに大坂に移住して江戸時代以降の豪商鴻池財閥の始祖となった。
その為か、鴻池家では毛利家への財政支援を行わなかったという。