15/01/29 03:50:26.50 Ev7nQru70.net
>>394
鮎川・森・野口らの新興財界人を満州に誘った、いわゆる「陸軍大陸派」の
中心人物の安江大佐は秋田出身で、石原莞爾(山形出身)と陸士同期の盟友。
また安江大佐は日本におけるユダヤ人問題の専門家として知られ、
板垣征四郎(岩手出身)と「河豚作戦」を立案した事でも有名
鮎川は安江の誘いで満州に莫大な投資をし、日本産業と満州重工業という2つの
国策会社を設立したが、関東軍の暴走と独善と干渉に付いて行けなくなり、
1941年に日本産業の経営から手を引き、1942年には満州重工業からも
手を引き、満州から全面撤退した。
鮎川義介撤退後の満州は、関東軍の笠原参謀長(宮城出身)、
満鉄の小日山総裁(福島県出身)、満映の甘粕(宮城出身)など、
満州は強欲で陰険な東北人の天下となり、その結果満州国自体を滅亡させた。