15/01/22 20:43:04.02 V0jOejyd0.net
ハル・ノートは苛烈だったが「冒頭に、これは最後通牒にあらず、両国政府交渉の基礎たらしめんとする試案である、と附け加えてあった」
「日本政府はハル・ノートを一種の最後通牒と判断し、
ハル・ノートの訳文に多少手を加え、国民の感情を刺激するようなニュアンスをもったものにして、枢密院に回付した」
吉田茂はグルー駐日大使から「東郷外相に会いたいので斡旋して」と言われ動いたが、東郷は会わなかった
開戦すべきではない、外交官としては最後まで交渉をするのが定跡だ、と考えた吉田は、東郷を批判している
牧野伸顕も戦争すべきでない、と言った
「ハル・ノート」の内容が苛烈だった、最後通牒に等しかったからといっても、それはわが国から開戦すべき理由にはならない
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本当に協調派(開戦否定派)だったんか?