10/10/01 16:36:00 hl1Pu9GW0.net
当時、
A黒船来航→老中阿部による朝廷・諸侯・一般大衆への対処意見伺い→阿部急死・井伊直弼大老就任
→井伊直弼独断で条約を決定、以後意見採取はしないと宣言→井伊暗殺
B将軍継嗣問題→南紀派と一橋派の対立→阿部急死・井伊直弼大老就任
→南紀派勝利、一橋派は条約問題を持ち出し井伊を詰問するも却って粛清される→井伊暗殺
という政局の2つのテーマがあって、井伊直弼が朝廷の意見を聞かなかったことが暗殺に足る悪事とされたので、
以後の幕府は重要な決定の際は必ず朝廷の許可を得、許可があるから正しいと主張するようになった。
要するに天皇の政治利用は、将軍継嗣問題における当時の一橋慶喜を筆頭とした一橋派が起こし、
井伊直弼暗殺以降は、幕府の必要且つ常套の手段として幕末を特徴付けた事象なんだ。
幕府があまりにも「天皇の意向を聞かないと条約は結べません」と触れ回ったため、
天皇を動かせば政局が左右できることになってしまった。その為尊王攘夷運動で天皇に近づく人間が増加していった。
天皇の政治利用は幕府内から始まっているんだよ。