10/09/22 02:43:32 0eg2tl0X0.net
他には、徳川慶喜自身が徳川幕府を嫌っていた、としか言いようがないね。
京都で副総裁の地位を得、会津・桑名の軍を動かし、
家茂の死によって幕府自体を手に入れた後も、京都の自らの陣営に必要な人員を引き抜くだけで
江戸は放置され続けた。
慶喜はどこかの時点で江戸の幕府を潰すつもりだった。
朝廷に近すぎたせいか、自らの権威は幕府に立脚しているということに無頓着だった。
小沢一郎が、自民党内の闇将軍でありながら自民党を潰して自分の新党を作ろうとした、というのと似ているかもしれない。