21/10/23 00:17:56.55 WL27CLXQ0.net
龍馬パシリ説について (2)
では、龍馬は、「薩摩藩の海軍拠点に向けた、具体的には士官・船員として期待されての鹿児島行であった」(町田明広
「薩長同盟論」113頁)にもかかわらず、なぜ小松や元塾生らと一緒に長崎に行かず、長州へ向かったのか。それは、約2
年間勝の身近にいたことで、勝が西郷に語った諸侯合議政体論をより詳しく勝から聴かされ、薩長融和の必要性を教え込ま
れていたからということに尽きると思う。龍馬としては、第2次長州征伐が実行される前に薩長和解をまとめておく必要性
があると考えており、幕臣という立場、しかも失脚した勝に代わって自分が薩長和解の仲介役を果たそうと考えたのだと思
う。
しかしながら、他方、自分が薩摩藩海軍のための働きを期待されて呼ばれたことも分かっており、自分の一存で好き勝手
に長州へ行くことはできない。行くには小松の承諾だけでは足りず、国父島津久光の了承も必要だったはずである。そもそ
も、小松が龍馬らを薩摩海軍の手先に使うこと自体、久光の了解を得てのことだったはずであり、小松の一存でできること
ではない。薩摩藩においては、久光の裁可若しくは事後承諾なくして物事を決めることはあり得ないからだ(西郷はそれを
怠ったから2度目の島流しになった)。
そこで、龍馬は小松ひいては久光を納得させるため、自分が長州探索の工作員になるので、長州へ行かして欲しい旨説得
したと思われる。龍馬がどのように説得したかは分からないが、最終的には、小松が「龍馬に長州の情勢視察を命じたいの
で認めて欲しい。」と言って久光の了解を得たのであろう。その意味では、つまり龍馬が工作員を買って出たという意味で
は、龍馬工作員説も間違いではないと言えるだろう。しかし、土佐藩重役寺村左膳がその日記(文久3年2月)に「(龍馬
は)薩長の間を奔走し、浪士の間で非常に名望ありと聞く。」と記しているように、この頃の龍馬は、既に単純な工作員に
収まるような人物ではなかったのである。
727:名無しさん@お腹いっぱい。
21/10/23 18:28:01.92 hGejWE+G0.net
坂本龍馬が活躍できたのは土佐勤王党だから
そこの大物格の一人であった
何の背景もない浪人ではなく後ろには土佐派が付いている
久坂玄瑞に会って脱藩してるし、長州や木戸がやたら信用したのもそのためだろう
中岡慎太郎もそうだけど土佐派の大物だから大事にされたのだろう
728:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/02 12:59:53.45 zGB651Nt0.net
当時の史料、各藩重要人物の手紙に坂本の名前は頻繁に出てくるし、十分大物志士だったのは確か。
町田明広の著書(新説 坂本龍馬)を読むと、司馬が創作した小説以上の魅力が分かる。
皆、漫画や小説に惑わされ過ぎ。(そういう議論も古すぎて飽きたがw)
729:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/13 00:35:03.32 5ZYTvY5f0.net
坂本龍馬
URLリンク(i.imgur.com)
730:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/16 00:56:21.93 MiXD3mKf0.net
↑の西郷と思しき人の晩年?な写真が実は残っていたんだよね
それが何故か明治期以降に流行ったと思われるブロマイド的な写真の1つにあったのだが(維新獅子としての)
他の写真は裏にきちんと手書きで誰それと明記されていたのにその人物のウラには何も書いていなかった
731:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/16 05:01:31.63 dYCPIe8A0.net
実行犯は東
助けられなかったのは仁先生
黒幕は勝海舟だろ
732:名無しさん@お腹いっぱい。
2021/12/
733:22(水) 13:48:48.85 ID:2H8oRBRU0.net
734:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/24 23:31:38.88 olfGjvG60.net
今日、書店で立ち読みをしていたら、一坂太郎の新刊が出ていた。相変わらず次から次へとよく本を書いている。
もとより買う気はなかったが、拾い読みをしたら、案の定、龍馬を腐していた。こいつが史料を無視して龍馬を腐すことは
今に始まったことではないが、今回も驚いた。
龍馬は武力討幕派と大政奉還派の間を揺れ動き、慶応3年10月上旬に上京すると、1か月前に木戸宛に武力討幕へ邁進
する旨の手紙を書いたのに、幕臣永井尚志を訪れて大政奉還を勧めたと記述していた(この場面は「竜馬がゆく」にも出てく
る)。しかし、龍馬が永井を訪ねたのは大政奉還後であって、10月上旬に永井を訪ねたとする話は土佐系の人々の創作であ
ることは、プロの歴史家ならもちろん、私のようなド素人でも幕末史が好きな者なら踏まえている事実である。龍馬が大政
奉還実現に向けて行動したことを示す資料は1点もない。
一坂は、以前にも「龍馬が上京する以前に既に薩長同盟は成立していた」とする与太話をぶち上げ、意図的に史料を曲解
したとして松浦玲氏に批判された(「検証・坂本龍馬伝説」94頁「一坂氏は、考え抜いて真相を掴むという考証の喜びとは
異質のものに犯されいるのではないか。」)。どうも凝りていないようである。
735:名無しさん@お腹いっぱい。
22/04/05 18:30:12.44 Mu04svPM0.net
坂本龍馬の伝説はウソだらけ
スレリンク(history板)
736:名無しさん@お腹いっぱい。
22/04/05 19:11:14.03 VAr0nz3T0.net
>>711
「司馬遼太郎が描かなかった」読んだけど
一坂太郎の本は二度と読む気にならんな
史料の曲解、我田引水がひどすぎた
737:名無しさん@お腹いっぱい。
22/04/07 13:10:41.95 DYAUB53X0.net
1891年(明治24年)4月8日
戸田忠太夫、会沢正志斎(恒蔵)、安島帯刀、小林良典、頼三樹三郎、梁川星巌(新十郎)、田中河内介、梅田雲浜(源二郎)、橋本左内、日下部伊三治、宮部鼎蔵、平野国臣(次郎)、益田親施(右衛門介)、福原元僴(越後)、国司親相(信濃)、村田清風(四郎左衛門)、周布政之助、前田孫右衛門、宍戸真澂(左馬介)、来島又兵衛、久坂玄瑞(義助)、寺島忠三郎、入江九一、高杉晋作、真木保臣(和泉守)、武市瑞山(半平太)、吉村虎太郎(寅太郎)、坂本龍馬、中岡慎太郎
738:名無しさん@お腹いっぱい。
22/12/19 19:31:08.62 /0JLUFuT0.net
体制をひっくり返したから英雄視されてるが現実はグラバーの使用人 絵描いたのは全てグラバー
739:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/23 20:44:18.72 fJI+PjjS0.net
金曜日入れないの?
740:名無しさん@お腹いっぱい。
23/10/18 06:19:52.86 GFktw1ea0.net
史実の坂本龍馬
色黒の禿で言われてるほどの長身ではない
空荷なのに架空の積荷の請求をする悪質な当たり屋
婚約者がいるのに他の女に求婚さらに芸者遊びして梅毒をもらう
役人2人射殺(人殺し)して嬉しそうに面白おかしく手紙に書く猟奇殺人犯
天の逆鉾を引き抜いてただの剣と言い放つ罰当たり
テロリストに武器を斡旋して内戦勃発の幇助
そのくせ飼い主のグラバーや薩摩を裏切って内戦回避に動き顰蹙を買う
嫁は皆から悪女と言われる女
勝塾の金を横領して勝から縁を切られる
海援隊はチンピラ集団で長崎では忌み嫌われる
時計泥棒に罪を償わせず逃亡幇助
土佐勤王党の旗色が悪くなると逃亡して脱藩
武市や以蔵の仇後藤と勝手に和解
密航未遂の近藤長次郎をここぞとばかりに切腹させる
新撰組にビビッておりょうを置き去りにして逃亡
薩摩でニセ金造り、後藤にも唆してやらせようとする
善悪の区別がつかずルールを守れないアスペルガー症候群
741:名無しさん@お腹いっぱい。
23/11/27 16:10:21.93 +p4tGupQ0.net
龍馬が西郷と初めて会ったのは何時か?
龍馬と勝麟太郎と、どちらが先に西郷に会ったのか?
742:名無しさん@お腹いっぱい。
23/12/07 01:33:52.76 tTgCxcct0.net
とりあえず龍馬は悪とか善悪で歴史を語ってる奴は馬鹿だろ
そもそも現代的な価値観や民主主義的な価値観から言えば
幕府の存在自体が悪なんだから目線を変えればそれを倒すためにがきれい事ばかりだけでは無理だったと言うだけ
もっと手段を選ばない人物もたくさんいた時代でだから暗殺や殺しが横行した
逆にあのような封建的な時代に歴史に名を残した人物で今のきれい事だけでような人間が名を残せるわけがない
743:過去ログ ★
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