10/11/25 21:54:25 zjjF9z530.net
陸奥宗光は紀州藩の攘夷派志士で南紀派の中枢で異端になり脱藩する
陸奥にとって水戸思想の岡田星之助を斬殺した坂本龍馬は敵と映ったに違いない
岡田星之助の軽率な行動は剣術の師である千葉重太郎を侮辱し裏切るもので士道に反するものである
佐那は岡田に犯されず貞操を守っているので龍馬の婚約者の佐那を襲った件では不問にできるが
剣術の師を欺き侮辱しその妹を陵辱しようとしたことは慙死に値し本来岡田は切腹すべきである
よって鳥取藩に於いては桶町道場師範代の重太郎が岡田の遺族による龍馬に対する仇討ちを制御した
文久3年(1863年)6月上旬剣術を不得手とする陸奥は水戸浪士の兜惣助及び大和の乾十郎と謀り
乾十郎を生贄にして龍馬を誘き寄せ決闘で龍馬の殺害を目論む
千葉周作は水戸藩士であるため兜は玄武館の水戸藩士らと交友があったのだろう
もし龍馬が兜を斬れば清河八郎の浪士組から離脱した壬生浪士組を敵に回しかねない
また兜と行動を共にしていたのが神道無念流免許皆伝で浪士組局長の新見錦とも云われ
近藤勇と芹沢鴨も大坂に急行していたがこれを察知した沢村惣之丞は
大坂�