10/11/05 21:54:24 /oh5gVXM0.net
本間精一郎は越後寺泊の豪商の家系の士で金には然程困らなかったが酒と女に溺れやすく
商売柄か特に女は金と浅知恵次第でどうにでもできるという自信過剰な性分であり
武士ではないため芯が弱く頼るものは自分が得た知識だけだった
そんな本間を士として支えるものは知識人との交流から得た情報のみである
本間は安積艮斎に師事し幕臣川路聖謨に仕えて京都に随行し
攘夷派の頼三樹三郎や松本奎堂らと交流する
だが安政の大獄で入獄すると商人出の故に伏見獄舎の獄内で悪党と交流し悪知恵を身につける
出獄すると伏見稲荷の悪党の伝で大獄でまだ永蟄居の姦淫坊主中川宮に出入りする
その後大坂で塾を開く松本奎堂と松林飯山に会い交友を深めるが
これが本間の拠点を京と大坂に置く口実となった(又松岡学舎・文久元年12月~文久2年5月)
岩崎弥太郎は松林飯山が教鞭をとる五教館で学んでいたことがあるが
岩崎は文久2年(1862年)4月8日の吉田東洋暗殺事件を松林に相談しそれが縁で本間を知�