10/10/20 23:24:29 XLUq1Zh50.net
徳川慶喜は大政奉還後も、旧幕府、そして二条城で開催されるはずだった諸侯会議の主という形で政権を維持しようとしました。
徳川慶喜側の大政奉還の理由として「政権を幕府が手放せば、朝廷は手に余り投げ出す」説を挙げる不合理さは、
ご理解いただけたのではないかと思います。
大政奉還後も徳川慶喜は政権を維持していたのですから、この間の政治課題は相変わらず徳川慶喜が処理するしかありません。
責任は相変わらず徳川慶喜が背負っていました。責任逃れには使えません。