10/09/28 23:09:53 w7/7IhVY0.net
関ヶ原よりもはるかに見た目上の兵力には差がある。
それなのに幕軍には裏切りが出たりして負けたのが不思議なくらいだ。
つまり鳥羽伏見は純戦術論的なものではなく、きわめて政治色の強い戦いとして見るべきでしょう。
だから慶喜は長期戦に持ち込んで薩長軍の補給線を完全に絶てたのに、それをしなかった。
幕軍に足りなかったのは、時勢という波と味方内の結束力に尽きる気がする。
朝敵になりたくなかったのも含めて。
ただ、それだと何故に慶喜が王政復古のクーデター時にすごすごと二条城から大阪に引いたのか、いまいち理解できない。
やはり難しいな幕末は・・・