10/09/26 18:26:47 ujCDyfaMO.net
>>100
慶喜自身は一旦政権の座から退く事で薩長の武力蜂起は回避できると思っていたのでは?
薩長が大政奉還までした自分を武力討伐にまで走れば薩長と微妙な距離を置く土佐、伊予をはじめとする非薩長や譜代、親藩は自分につく。
そんな慶喜の予定を覆したのが「錦の御旗」。
ペリー来航以来、外交交渉で手詰まりになった幕府が時間稼ぎと責任転嫁で利用していた天皇。
10数年間の間にその天皇の政治的影響力と統治者としての正統性を幕府自体が認め、諸藩もそれに倣った。
鳥羽伏見に錦の御旗が登場し薩長が勝利した事で、慶喜の京都での足場はなくなった。