邪馬台国畿内説 Part1029at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part1029 - 暇つぶし2ch540:日本@名無史さん
24/05/30 23:00:34.71 .net
卑弥呼亡き後、1000人が亡くなるまさしく大乱
3世紀後半纏向遺跡から吉備の土器が見られなくなり河内や山陰の土器が大量に流入
卑弥呼亡き後、枠組みが大きく変わり纏向遺跡の統治する支配層も変わったんじゃないの

弥生時代末期から古墳時代初頭は、大きな動きが起きる時代
静岡東部に日本海側や琵琶湖北部の土器が流入し前方後方墳が作られ日本海側の墓制である舟形木棺が誕生
古墳時代初頭には静岡東部の土器が関東の太平洋側を中心に東国に流入
古墳時代初頭、博多には河内や播磨の土器が急増する

河内、琵琶湖北部、日本海側の動きが活発化する時代だ
松江〜青谷上寺地遺跡〜若狭〜琵琶湖北部は弥生時代後期鳥形の集落があった場所だ


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch