【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21at HISTORY
【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21 - 暇つぶし2ch500:紀州人
24/04/15 18:49:35.44 .net
>>498
歴史を学ぶ事とは、
何故繁栄したのか?
何故失敗したのか?
何故衰退して滅んだのか?
その時代の汎ゆる状況を調べて、客観的に分析して、要因を掴むこと。
そして、良い所は参考にして、悪い所は同じ轍を踏まない様考慮する事で未来に活かす事に意義があると聞いた記憶があるよな。
それは「歴史学」だけじゃなくて、汎ゆる分野の研究も当てはまるし、まして人の人生そのものにも応用出来るやろね。
年寄の冷水でゴメンね。

501:日本@名無史さん
24/04/15 18:53:54.85 .net
>>500
素人考えでは、張作霖を不法な手段で排除した
あの時点で転落が決まったかなという印象です
その遠因となった軍部の台頭もです
戦前は暗い印象であまり好きではないのですが
それで全部を否定するのもいけませんな

502:日本@名無史さん
24/04/15 19:02:22.67 .net
日本は朝鮮から多くの先進文化や先進技術を取り入れてきたのは事実だが、
その朝鮮だって遼東や満州や沿海州からそのほとんど全ての先進文化や先進技術を
取り入れてきた訳で
文化や技術は天下の回りもの
お互い様

503:日本@名無史さん
24/04/15 19:05:27.78 .net
縄文人は世界最古の土器作って
どの程度か分からないけど雑穀農耕もやってる
素質が充分過ぎた

504:日本@名無史さん
24/04/15 19:14:13.88 .net
アイヌは縄文文化と関係がないオホーツク文化ね
熊を狩って食べるのはその時代から進化してないのがアイヌ

他は騎馬民族に成ったり、宦官になったりしてるっていうのに

505:日本@名無史さん
24/04/15 19:20:27.24 .net
>>503
ただ土器の開発は青森ではなくアムールあたりだと思うぞ
完成形で出土していて開発過程がないから
その世界最古の土器とともに鏃が出土してるから、この土器をもたらした集団は
やはりバイカル地方を経由している
ゆえにバイカル地方を出発して青森に至るまでのどこかで土器は
開発されたんだろうな

506:日本@名無史さん
24/04/15 19:32:48.94 .net
>>505
そういうことなのか
その頃のバイカル湖からアムール地方は
古代人が入り乱れて進んでたんだろうか

507:日本@名無史さん
24/04/15 19:32:52.72 .net
縄文前期から北日本はヒエ栽培をやってるけど、農具がないから農耕には
ならんのだろうな
原始農耕と言うべきか??
このヒエ栽培は沿海州から取り入れた可能性もあるな

508:日本@名無史さん
24/04/15 19:34:50.83 .net
なるほどねえ。けど自発的に種を植えて
計画的に食糧確保しようってなかなかすごいな

509:日本@名無史さん
24/04/15 19:35:00.83 .net
>>505
おかしくね?
開発過程が無いから青森で開発されたのではない、というのは暴論だろ。
開発過程が他で見つかったのなら、そりゃ他で開発されたと言えるだろうが、
開発過程がどこでも見つかっていないのなら、
やはり最古の土器が見つかった青森で開発されたと考えるべき。
青森のが最古の土器で、そこから周囲に土器が広がっていくのだからな。

510:日本@名無史さん
24/04/15 19:35:11.17 .net
日本人の中で「誰が本当の日本人か」みたいな事を言い出すと絶対意見なんか纏まらないよなぁ
むしろ対立煽りが目的まで有るよホント

511:日本@名無史さん
24/04/15 19:46:25.20 .net
>>509
アムールの世界最古級土器も青森のものとほとんど年代が変わらないからなんだよ
さすがに一緒に出土した鏃は青森で開発されたものではないだろ
その外来文物の鏃と一緒に出土してるからやはりアムールあたりに
軍配が上がるという訳

512:日本@名無史さん
24/04/15 20:07:49.14 .net
青森の砂沢遺跡では前7C頃の水田遺構で中部地方や関東地方よりも
先に稲作が始まっていた

搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から入植した痕跡が
ないため、九州北部との交流を通じて稲作を取り入れて自ら稲作を始めたものと
見られる

けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ

交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕跡がない

朝鮮半島の稲作も同じだろう

交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕遺構がない

遼東半島の稲作も同じだろう

交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない

稲作渡来民なんてファンタジー

そんなものは存在しない

513:日本@名無史さん
24/04/15 20:19:53.65 .net
稲作渡来民が存在したのは既に定説になっているので、ここでいくらそれを否定しても意味がない。
問題はその稲作渡来民が何処から来たのか?だ。
その辺はまだ定説がない。

514:日本@名無史さん
24/04/15 20:23:37.28 .net
>>511
ん?おかしくね?
土器なんて世界各地で独自開発されてるんだから、
アムール川はアムール川で、
青森は青森で、開発されたんだろ。
鏃が共通ということは、焚火をする時に粘土で土台を作るとか、
土器を作り始めやすい共通習慣があっただけでは?

515:日本@名無史さん
24/04/15 20:25:13.88 .net
>>513
縄文社会から、稲作を開始したら一気に人口が増えるだろ。
そんな痕跡を残してるのはO1b2しかいない。

516:日本@名無史さん
24/04/15 20:33:36.48 .net
>>513
じゃあ小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
ファンタジー

517:日本@名無史さん
24/04/15 20:39:28.84 .net
>>514
土器が世界各地で独自開発されたという根拠は?

518:日本@名無史さん
24/04/15 20:40:41.64 .net
発明力と民族としての強さってまったく関係がないんだな

519:日本@名無史さん
24/04/15 20:42:49.68 .net
日本列島は海の幸、山の幸が豊かで縄文人にとっては食糧に関しては天国みたいだった。
だから稲作渡来民が来るまでは、伝染病のリスクの高い稲作を自発的に開始する動機が全くなかった。
その点では日本列島は極めて特殊なんだよ。
日本列島以外の多くの地域では一部の例外を除けば、新石器人にとって食糧事情は常にカツカツだったから、伝染病のリスクをとって農業をやるメリットがあった。

520:日本@名無史さん
24/04/15 20:44:43.68 .net
>>519
だから小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
中卒ファンタジー

521:日本@名無史さん
24/04/15 20:45:29.39 .net
そして稲作渡来民が来て縄文人と混血し、徐々に伝染病の耐性をつけながら、時間をかけて日本列島に広まっていった。

522:日本@名無史さん
24/04/15 20:48:59.68 .net
>>521
だから小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層目が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
中卒ファンタジー

523:日本@名無史さん
24/04/15 20:50:10.26 .net
日本列島は海の幸、山の幸が豊かで縄文人にとっては食糧に関しては天国みたいだった。
だから稲作渡来民が来るまでは、伝染病のリスクの高い稲作を自発的に開始する動機が全くなかった。
その点では日本列島は極めて特殊なんだよ。
日本列島以外の多くの地域では一部の例外を除けば、新石器人にとって食糧事情は常にカツカツだったから、伝染病のリスクをとって農業をやるメリットがあった。
そして稲作渡来民が来て縄文人と混血し、徐々に伝染病の耐性をつけながら、時間をかけて日本列島に広まっていった。

524:日本@名無史さん
24/04/15 20:54:26.24 .net
>>523
だから小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層目が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
中卒ファンタジー

525:日本@名無史さん
24/04/15 20:54:50.48 .net
それに水田稲作と太陽神はセットだから、縄文人が自発的に水田稲作を開始する事はあり得ない。

526:日本@名無史さん
24/04/15 20:57:21.74 .net
>>525
だから小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層目が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
中卒ファンタジー

527:日本@名無史さん
24/04/15 20:57:26.51 .net
稲作渡来民の神様→太陽神
縄文人の神様→オオモノヌシ 
明らかに相性が悪い

528:日本@名無史さん
24/04/15 20:59:50.70 .net
>>527
だから小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層目が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
中卒ファンタジー

529:日本@名無史さん
24/04/15 21:01:25.22 .net
戦争に勝った側が一番最初にする事は、在来の神を破壊して、そこに征服者が信仰している神を配置する。
これが古代の支配のやり方。
分かりやすい例だとスペイン人がインカ帝国の神殿を破壊して、そこに教会を建てる。
誰が征服者なのか、が誰でも分かる象徴的なやり方。
日本にはそれがない。
縄文、弥生以来の神様が沢山いる。
割とスッキリしている伊勢神宮でも内宮と外宮があるし。
縄文人と稲作渡来民、神様の相性は悪くても何とかお互いに妥協し合って上手く政治統合を果たした。

530:日本@名無史さん
24/04/15 21:02:05.98 .net
>>529
だから小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのかよバカ
ソバ作はソバ作渡来民が来たのかよバカ
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのかよバカ
モモ作はモモ作渡来民が来たのかよバカ
稲作渡来民が本当に来たなら最古稲作遺構菜畑の水田第一層目が
あんなショボい訳ないだろがカス
稲作渡来民なんて全くの幻想
中卒ファンタジー

531:日本@名無史さん
24/04/15 21:24:34.90 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
>嘘をつくな!

↑中卒ダマシの頻度詐欺を働く中共 五毛党 日本侵略部隊(嘲笑 
南支那から入植した考古痕跡も北上した考古痕跡も一切ない
例えばYのハプロDは起源地のアフリカではほぼ0%
一方、その地球の裏側の日本列島では3割強 
頻度は常に変化しているので、 頻度が高いからといって、そこが起源地だとは限らず、
存在しないからといって、そこが起源地ではないとは限らない
同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が分かるのみで、
頻度が高いところから低いところに移動したとは限らないし、その遺伝子が
存在しなくても同じ祖先を共有していないとは限らない
遺伝子の頻度が起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左
親株、子株もそうだ
起源地で親株が消滅して子株だけになり、遠方では親株しかなかった場合、
遠方の方が起源地に見えてしまう
親株、子株も起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左
遺伝学で分かる事は、同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が
分かるという事のみで、それ以上の事はほとんど何も分からないのである

532:日本@名無史さん
24/04/15 21:45:55.47 .net
>>531
結局、ふりかえってみると、匿名掲示板に、わたしは馬鹿です、と刻み込んだ人生だたね

533:日本@名無史さん
24/04/15 21:50:18.51 .net
>>532
まさか句読点か

534:日本@名無史さん
24/04/15 22:15:28.35 .net
>>532
遺伝学でのルート探査は解釈が複雑すぎて単独での解釈なんて無理なんだよ
でも解釈する先生方は「俺は医者でトップエリートなんだから間違える訳がない!」
という自負の下、自分なりに必死に解釈して中卒ギャグを飛ばしてしまい、
考古学者にバッサリと論破されるって訳
底辺層ほど科学だから絶対だと無条件に信じ込んでしまう傾向にあるけど、
ルート探査は考古学よりも当たるものはこの世界には存在しません
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(嘲笑

535:日本@名無史さん
24/04/15 22:23:58.34 .net
>>534
結局、ふりかえってみると、匿名掲示板に、わたしは馬鹿です、と深く刻み込んだ人生だたね

536:日本@名無史さん
24/04/15 22:35:53.41 .net
ハプログループD(CT3946)は、
ハプログループDEより約7.3万年前にアフリカにて発生、
下位系統のハプログループD1(M174)・D2(D-A5580.2)が出アフリカを果たし、
その後インド方面と内陸ルートを通って東アジアへ向かったことになる。
このようにハプログループD2が
アフリカ、西アジア(サウジアラビア、シリア)から見つかったことから、
ハプログループD(CT3946)はアフリカで既に誕生していたと推定されている。

537:日本@名無史さん
24/04/15 22:36:30.23 .net
起源
最近の研究 (Haber et al. 2019)で、従来DEの子型でD系統にもE系統にも属さない
パラグループDE*(どちらの系統に近いか未詳)とされていたナイジェリア人の3サンプル
が、ハプログループEよりもハプログループDに近縁であることが判明した。
このサンプルは、ハプログループEの持たないSNPを、
ハプログループDと7つ共有しており、「D2」としてハプログループDに組み入れられた。

538:日本@名無史さん
24/04/15 23:28:06.35 .net
534
てめえがそれだろ

539:日本@名無史さん
24/04/16 00:09:02.65 .net
>三足土器がなけりゃ移住・移民した証拠にならんと言うのなら、
紀元前2000年ごろ~紀元前500年ころ。
中国の古典書籍によると、紀元前十六世紀の「夏王朝」時代、人口約1.355万人。
夏王朝時代の人口は約1.355万人
殷王朝時代の人口は約1.300万人
周王朝時代の人口として1.300万人、
春秋戦国時代の総人口は2.000万人程度
戦国時代の人口は2.000万人説
100年一世代として15世代。 1300万人台が10世代、2000万人台が5世代、
プラスすると1億3000万人+1億人=2億3000万人
紀元前2000年ごろ~紀元前500年ころまでの歴史的世代交代人口は約2億3000万人。

540:日本@名無史さん
24/04/16 00:16:42.69 .net
● 仮定で一世帯10人家族、三足土器を100年で3個消費するとして
 2億3000万人、2300万世帯=7000万個の土器が必要になる、
 壊れた物も入れると仮の計算上1億 個は有った事になる。実態は1000個もない。
中国国内では古代数千年の間に、何 億 人と家族・集団の移住・移民が有ったはずで、
それなら、三足土器も何 億 個と拡散してたはずだが、
そんなに数多くの土器が遺跡から出土したかへ? 数百個くらいなら有るかもだが?
1 億 個あったと仮定して1 %の人達が持ってたなら 100 万個は出土するはずだが?
実態は1000個もない。 仮に、100 万個の三足土器が出土したとしても、
結果、99 %の人達は、三足土器などとは無縁で見た事もない生活をしてたって事になる。

541:日本@名無史さん
24/04/16 00:35:45.27 .net
そもそも陸続きで自由に行ける朝鮮半島でさへ
三足土器はBC1世紀の楽浪郡時代まで無いだろ

542:日本@名無史さん
24/04/16 00:39:33.28 .net
行ってないからだろw
シンプル過ぎて分かんないのか

543:日本@名無史さん
24/04/16 00:46:24.87 .net
>>539-540
おまえ数字でコケ脅してるけど、まさか土器を使った事がない古代中国人が
いたとでも思ってるの?(嘲笑
鼎は8200年に生まれて3Cの漢代まで、6000年以上に亘って中国大陸の
炊飯器の主役であり、墓の副葬品でもあり、王権のシンボルでもあった
中国大陸の地層にはその6000年間分の土器の残骸が何十億点も眠っている事には
変わりないのだよ
そのうち数億脚の鼎なんか大した事がない
無数の古代中国の遺構を見てきたが鼎が出土しない遺構は半分もない
その鼎のない遺構でさえ鬲と竈はあるとか、鼎の脚だったと見られる残骸や
鼎脚が脱落した痕跡を鼎底に有する鼎の残骸がわんさか出土している

544:日本@名無史さん
24/04/16 01:04:36.15 .net
今なら中国人口は14億人なんだから、わずか数十年で200億個以上の中国陶磁器が
地中に埋められている計算になるね(嘲笑

545:日本@名無史さん
24/04/16 01:52:55.43 .net
>>529
というより現地民を征服、場合によっては殺害したりして、それらを現地の神々と組み合わせて自身の神々とする事が多かったと思われる
統治の際に怨恨を排したい思惑が強かったんだろう
慰霊や地鎮として手厚く弔う風習は日本の神話や怪談にありがちだからな
そこら辺はアメリカなどにソックリ(あちらは征服した部族の名前を兵器に冠する習慣がある)

546:日本@名無史さん
24/04/16 04:02:15.75 .net
>>543
古代中国史書にて、山東省から複数回大量の人々が朝鮮半島へ移動したとある。
それを裏付ける鼎はどの遺跡から出土しているのだ?

547:紀州人
24/04/16 07:10:19.65 .net
>>501
そうやね。
暗いから、嫌いだから、興味が無いからといって目を背けていては、何も改善されない。
同じ過ちを繰り返さない為にも、キッチリ学んで行くことが必要やと思う。
オレは5.15事件かな?
あれで政党政治が衰退して、軍部政権が台頭していく切っ掛けになったと考えとる。

548:日本@名無史さん
24/04/16 08:34:43.63 .net
>>545
でも征服して現地の神を取り入れる意志はあったけど、余りうまくいかなかった。
渡来人の神は太陽神で、一方縄文人の神は例えば三輪山のオオモノヌシのような森の奥深くの水源地に棲む大蛇神。湿気の多い神とカラッと乾いた神で相性は良くない。三輪山で神話や祭祀を色々いじってみても上手くいかなかったから、最終的に伊勢に新しい神社を造ったw
まあその伊勢神宮でも外宮と内宮があってごちゃごちゃ感は残るけどね。
それに仏教が普及するとそれ以降は神仏習合という形で、神社仏閣で縄文期弥生期以来の神様も信仰してきた長い歴史が日本にはある。
アメリカ白人はキリスト教とネイティブ・アメリカンの神様を同時に信仰していた訳ではないのでその点が違う。

549:日本@名無史さん
24/04/16 09:46:48.74 .net
>>396
We found that the present-day Han Chinese and Japanese have the most recent common ancestor that can be dated back about 3.0~ 3.6 KYA (corresponding to the Shang Dynasty in Chinese history). Korean and northern Han Chinese had frequent communications in ancient time, and the divergence time between the two populations was estimated as ~ 1.2 KYA (corresponding to the later period of Three Kingdoms of Korea, or the Tang Dynasty in China). And Japanese and Korean separated ~ 1.4 KYA, a little earlier than that of Han Chinese and Korean (corresponding to Asuka period in Japan, or in the middle of Three Kingdoms period of Korea).
現在の漢民族と日本人の共通祖先は最も新しいもので、約3.0~3.6KYA(中国史の殷王朝に相当)にさかのぼることができた。朝鮮半島と北方漢民族は古代に頻繁に交流があり、2つの集団の分岐点は1.2KYA(朝鮮半島の三国時代後期、中国では唐の時代に相当)と推定されている。また、日本人と韓国人の乖離は1.4KYAと、漢民族と韓国人の乖離よりやや早かった(日本では飛鳥時代、韓国では三国時代の中期に相当)。

日本のO2は3割も居ないし漢民族じゃない

550:日本@名無史さん
24/04/16 12:01:55.33 .net
>>546
で、その文献名と記載箇所は?

551:紀州人
24/04/16 12:20:49.09 .net
中共国人でも日本人とよく似てると言われてる、イ族、ハニ族、羌族なんかは少数部族で国の端っこの方にひっそりと住んでいる感じ。
それらの部族と日本人との祖先が共通って言うと五毛党扱いされるんかな?

552:紀州人
24/04/16 12:21:04.90 .net
中共国人でも日本人とよく似てると言われてる、イ族、ハニ族、羌族なんかは少数部族で国の端っこの方にひっそりと住んでいる感じ。
それらの部族と日本人との祖先が共通って言うと五毛党扱いされるんかな?

553:日本@名無史さん
24/04/16 12:23:44.75 .net
>>539-540
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

554:日本@名無史さん
24/04/16 12:25:27.33 .net
>>539-540
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

555:日本@名無史さん
24/04/16 12:27:12.53 .net
>>539-540
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑







URLリンク(j.people.com.cn)






.

556:日本@名無史さん
24/04/16 12:37:35.39 .net
>>553-555
それで実際問題として
鼎でなく現地の土器を使って困る事あるの?
ないだろ、何にもw
鼎なしでもいっさい問題がない。

557:日本@名無史さん
24/04/16 13:03:22.50 .net
>>556
不便だから困るだろ
甕での炊飯はいちいち器底を埋めて石で囲って安定させなきゃいけないし、
真下から火を焚く事もできないしな
鼎ならそれらの不便さを一気に解消
超便利
そんな超便利なものを作らない訳がないの

558:日本@名無史さん
24/04/16 14:48:08.13 .net
春秋時代の黄河河口に居たのは
現代西ヨーロッパ人に近縁であった
中国人って何なんだろうなってレベルだね
URLリンク(i.imgur.com)

559:日本@名無史さん
24/04/16 15:23:00.01 .net
都市伝説かファンタジーだろ(嘲笑

560:日本@名無史さん
24/04/16 15:25:11.72 .net
小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?

ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?

ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?

モモ作はモモ作渡来民が来たのか?

何が稲作渡来民だよ

超ウケるwwwwwwwwww

561:日本@名無史さん
24/04/16 15:43:07.16 .net
>>557
そんなもんたいした不便じゃねーよ。

562:日本@名無史さん
24/04/16 16:17:11.80 .net
三皇~周は中国人じゃないからね

563:日本@名無史さん
24/04/16 16:49:58.44 .net
>>548
なるほど、似ているようで違うな

564:日本@名無史さん
24/04/16 17:56:04.00 .net
ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

565:日本@名無史さん
24/04/16 20:29:13.87 .net
“最初の日本人” その「親戚」がタイの密林にいた
現代の日本人とは姿も生活様式も全く異なるマニ族が、なぜ“最初の日本人”の「親戚」と言えるのか。
この両者を結びつけたのが「古代DNA解析」と呼ばれる、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術です。
長い間、土に埋まっていた骨からは、これまでDNAを読むことが出来ませんでしたが、この技術が確立されたことで、保存状態のいい骨に関しては数千年前の骨であってもDNAを読み取ることが出来るようになりました。
このため、従来では考えることもできなかった様々な事実がこの10年で次々と明らかになってきているのです。
その1つが2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果です。
きっかけになったのは、ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功したことでした。
タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこの「ホアビニアン」の骨でした。
太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べました。
すると、東南アジアの古代人に混ざって、日本人にとって歴史の教科書でおなじみの「縄文人」が、ホアビニアンとのDNAの近縁性、どのくらい似ているかの指標で4位にランクインしたのです。
「縄文人」は今からおよそ1万6000年前から3000年前の「縄文時代」に日本列島に住んでいた人々で、いわば“最初の日本人”です。
です。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)

566:日本@名無史さん
24/04/16 20:29:41.90 .net
ハプログループD(CT3946)は、
ハプログループDEより約7.3万年前にアフリカにて発生、
下位系統のハプログループD1(M174)・D2(D-A5580.2)が出アフリカを果たし、
その後インド方面と内陸ルートを通って東アジアへ向かったことになる。
このようにハプログループD2が
アフリカ、西アジア(サウジアラビア、シリア)から見つかったことから、
ハプログループD(CT3946)はアフリカで既に誕生していたと推定されている。

567:日本@名無史さん
24/04/16 20:30:30.93 .net
起源
最近の研究 (Haber et al. 2019)で、従来DEの子型でD系統にもE系統にも属さない
パラグループDE*(どちらの系統に近いか未詳)とされていたナイジェリア人の3サンプル
が、ハプログループEよりもハプログループDに近縁であることが判明した。
このサンプルは、ハプログループEの持たないSNPを、
ハプログループDと7つ共有しており、「D2」としてハプログループDに組み入れられた。

568:日本@名無史さん
24/04/16 20:34:31.78 .net
>三足土器がなけりゃ論は無意味って事だな。
 100 万個も三足土器が拡散なんてあり得ない妄想ファンタジーだからよ。


>三足土器がなけりゃ移住・移民した証拠にならんと言うのなら、

紀元前2000年ごろ~紀元前500年ころ。
中国の古典書籍によると、紀元前十六世紀の「夏王朝」時代、人口約1.355万人。

夏王朝時代の人口は約1.355万人
殷王朝時代の人口は約1.300万人
周王朝時代の人口として1.300万人、
春秋戦国時代の総人口は2.000万人程度
戦国時代の人口は2.000万人説

100年一世代として15世代。 1300万人台が10世代、2000万人台が5世代、
プラスすると1億3000万人+1億人=2億3000万人
紀元前2000年ごろ~紀元前500年ころまでの歴史的世代交代人口は約2億3000万人。

569:日本@名無史さん
24/04/16 20:37:46.48 .net
>99%って事は殆んどの人達は知らないし、後世の考古学者だけが知ってる遺物だから。

● 仮定で一世帯10人家族、三足土器を100年で3個消費するとして
 2億3000万人、2300万世帯=7000万個の土器が必要になる、
 壊れた物も入れると仮の計算上1億 個は有った事になる。実態は1000個もない。

中国国内では古代数千年の間に、何 億 人と家族・集団の移住・移民が有ったはずで、
それなら、三足土器も何 億 個と拡散してたはずだが、
そんなに数多くの土器が遺跡から出土したかへ? 数百個くらいなら有るかもだが?

1 億 個あったと仮定して1 %の人達が持ってたなら 100 万個は出土するはずだが?
実態は1000個もない。 仮に、100 万個の三足土器が出土したとしても、
結果、99 %の人達は、三足土器などとは無縁で見た事もない生活をしてたって事になる。

570:日本@名無史さん
24/04/16 20:40:47.22 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
URLリンク(fieldnote.info)

原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。


源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。

丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。

東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。

571:日本@名無史さん
24/04/16 20:41:32.17 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
URLリンク(fieldnote.info)

原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。


源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。

丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。

東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。

572:日本@名無史さん
24/04/16 20:42:47.10 .net
.



大分県日出地区の薬師遺跡では縄文時代後・晩期、黒色磨研の三万田式土器とともに、

印文陶(中国南東沿岸地域における新石器時代~漢代)破片が出土している。



.

573:日本@名無史さん
24/04/16 20:55:55.99 .net
黒色磨研の三万田式土器

三万田式土器と云えば縄文土器の文様を磨消し技法で、
無文に寄せていった土器で後の弥生土器の前段階、

それと黒色磨研とは中原の黒陶を意識した技法て事は、
中原の流行り情報を入手してたんだな、結構細かく行き来してたんだろ。
縄文時代のけつ状耳飾りや管玉作りからか。

574:日本@名無史さん
24/04/16 21:05:32.36 .net
ハプログループD1a2a (Y染色体) 各地における頻度
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や南九州及び沖縄に多い。

青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%(25/45)(Hammer et al. 2006[18])
アイヌ:87.5%(Tajima et al. 2004[20])

また、国外では韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国などで低頻度にみられる。
ミクロネシア: 5.9%(1/17; Hammer et al. 2006[18])
韓国: 4.0% (3/75; Hammer et al. 2006[18])、1.58%(8/506[21])
西ティモール: 0.2%(1/497; Tumonggor et al. 2014[22])
中国: 0.02%[23]、北京漢族1.96%(1/51)[21]

575:日本@名無史さん
24/04/16 21:11:47.49 .net
 さらにこの地域の先住民例を見ると,台湾のアミ族やタイヤル族,海南島のリ族が,
140〜150cm台の比較的長い丸木ないし竹製のI類弓を使用している。
フィリピン〜南太平洋島嶼群のI類弓
 さらに南下すると,フィリピンからタヒチまで,
太平洋の島嶼伝いにはるか東へとのびる,I類弓の広大な分布域を認めることができる。
 この地域では,180cm〜190cm台あるいはそれ以上の長さに達するような,
長大なI類弓が主体である。フィリピンのネグリート族は,原始和弓と同じ弓幹に
樋と巻を施した長弓と,三叉族を付した長大な矢で,漁労に使用する(Krieger1926)。

576:日本@名無史さん
24/04/16 21:12:11.79 .net
>>552
中国人と日本人の分岐は殷代だそうだ
(BC1000年を下限とする以前)
もっともその頃の中国大陸はO系統のものではなかったから
はるか北や北西部で南進した組と
東進した組とで分かれたんだろう
渡来時期とその集団の性格だけは分からんね
沿海州から弥生人とともに一緒に来たが
後に核ゲノムレベルで繁栄したのはこの系統なのか
漢代の中国人すら今の東アジア人とは異なるようだが
先立つ秦代の兵馬俑の容貌は東アジア人にしか見えないがな

577:日本@名無史さん
24/04/16 21:12:24.46 .net
 インド洋沿岸のI類弓
フィリピンから東へ向かっては,分布の希薄なインドシナ半島を跨ぐようにして,
インド洋東岸へI類弓の分布が広がる。
 インドネシアのメンタワイ族,スリランカのヴェッダ族などの弓が代表的なものである。
南太平洋の島嶼群と同様,180cm〜190cm台あるいはそれ以上の長さに達する
長大なI類弓が主体である。
 なお,アンダマン諸島のグレート・アンダマン族は,彼らの身長をはるかに越える,
180cm以上の長大な木製の弓を用いることで知られる(Brown1906)。

578:日本@名無史さん
24/04/16 21:14:08.75 .net
 後藤守一は、弓幹の長さと形態によって弓を分類した(後藤 1928)。
弓のうち「長さ2m 位のもの」を長弓、「長さ1m 内外のもの」を短弓と称し、
弦をはずした時に弓幹がほぼまっすぐで、弦を張るとほぼ同じ曲率で曲がるものを直弓、
弓幹の中央が弦に向かって逆に反った弓字形になるものを彎弓と称した。
そして、多くの場合に長弓は直弓、彎弓は短弓であるとの見方を示している。
朝鮮半島南部では紀元前1世紀に,跨湖橋遺跡の弓に類似した漆塗り長大弓が出現する。
 朝鮮半島南端部では,日本の弥生時代に相当する原三国時代に,
原始和弓に匹敵する長大なI類弓が確認されている。
紀元前1世紀中頃の慶尚南道昌原市茶戸里1号木棺墓(国立中央博物館2012),
2世紀前半頃の金海良洞里21号木槨墓(図4–25・国立金海博物館2012)出土例である。

579:日本@名無史さん
24/04/16 21:14:33.60 .net
 縄文時代の弓に長弓と短弓があることは、近年の発掘で明らかになってきた。
長弓の例として、莉内遺跡・寿能遺跡などの例があり、短弓の例として、
埼玉県伊奈氏屋敷跡遺跡例などがある。
 さらに小型弓と呼んでいる、発火弓、穿孔弓と考えられる木製品を確認されているが、
これは、仕掛け弓としても用いられたのかもしれない。
弓の全体形は上長下短で、握りの部分は弓幹の下よりにくるものが多い。
 縄文時代の丸木弓は、長弓が多い。
しかし、北海道忍路土場遺跡では、 1m 以下の短弓が大量に残っており、
縄文の弓は時期や地域毎に異なった姿があったらしい。

580:日本@名無史さん
24/04/16 21:16:40.87 .net
>東南アジア周辺にすむ海の遊牧民で水深20mの海中を歩きながら漁をする。
それに脾臓が肥大化し10分近く潜水できると言うから驚く、一般人は2分ほど。
ミャンマーのモーケン族、
フィリピン、マレーシア、インドネシアの島々に暮らす先住民「バジャウ(Bajau)族」
そして沖縄の海人(うみんちゅ) 沖縄の方言で、本来はアマと読みます。
海に潜って貝類や海藻を採集したり追い込み漁を職業人という意味です。

581:日本@名無史さん
24/04/16 21:17:32.74 .net
>このサイトの写真に有る弓の握りが倭人伝にある「上長下短の木弓」の位置で、
銅鐸の弓絵と同じ弥生人の握り。 現在も和弓では、この握り位置で射る。
4万年前からの縄文人祖先たちと同じ漁をするため海洋民の文化なんだろう。
ジャラワ人(ジャラワ族)とアンダマン人〜
Y染色体ハプログループD1a2bとオンガン語族〜
URLリンク(oreranitsuite.com)
第二次大戦時に英軍を追い出し日本軍に占領されたのも、何かの因縁だろな。

582:日本@名無史さん
24/04/16 21:20:03.69 .net
>これらは東南アジア・スンダランドから主食の魚貝類が取れる波打ち際を北上し
東シナ海平原から九州島に上陸した。波打ち際は今では海中で遺跡が残らないので残念。
途中途中に丸木舟の刳り抜きよう丸ノミ形石斧の、原形を工夫し完成形へと磨かれた。
東南アジア諸島には丸木舟を作る丸ノミ形に似た円筒型石斧が使われてる。
そして沖縄方面に丸ノミ形石斧を持参し鹿児島から逆南下して行き、
台湾周辺からの北上グループと合流したんだろう3万年前ころに、
縄文人の航海能力には驚かされる。

583:日本@名無史さん
24/04/16 21:20:29.26 .net
刃部磨製石斧・局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)とは、
石器全面ではなく刃部(刃先部分)のみに磨き(研磨)をかけた磨製石斧の1種である。
日本列島では約4~3万年前の後期旧石器時代初頭に登場した。
>この石斧が日本全国から出土して世界最古と云われてる物がオーストラリアからも、
 ベトナムハノイ周辺では1.2万年前ころから出現するが全体的に新しく不思議。
中国、朝鮮では新石器時代(1万年前)からしか全面磨製石器が出て来ない。

584:日本@名無史さん
24/04/16 21:22:11.55 .net
旧石器時代から局部磨製石斧とか
東アジアでは日本と時代は少し下るがベトナム周辺から発見さるから
ベトナムから香港がある珠江の上流、柳江がベトナム国境付近で
この一帯は百越人の活動範囲で縄文土器に似た紋様の土器などがある
前々からこの地域と縄文人、倭人たちと関係があるんではと思ってた地域で納得。
地元にある柳江人や越人像が今の日本人そっくりでビックリする
越人像
URLリンク(ja.wikipedia.org)
柳江人
URLリンク(k.sina.cn)

それに比べて日本の教科書にある弥生人モデルの朝鮮顔なのにはガッカリするけどな。

585:日本@名無史さん
24/04/16 21:22:38.85 .net
越人ってこう言う風貌してたんだろな。まんま正座した日本人だけど。
越人像
URLリンク(ja.wikipedia.org)
柳江人
URLリンク(k.sina.cn)

586:日本@名無史さん
24/04/16 21:25:13.19 .net
>この母系 ハプログループM7a (mtDNA) は
(約2万-1万年前)には沖縄(23%)で発見されており北海道アイヌ(16%)の
主体であるD系縄文人祖先と共に移動した家族と思われ、日本固有のDNAと云われてる。
起源
約4万年以上前に誕生したアジア最大の母系グループである「インドM」型から
分岐したM7よりのグループで、約2万5000年前に「スンダランド」で誕生し沿岸部を、
北上して東シナ海平原より日本列島(九州・沖縄2方面)に到達した系統にあたるとする。
なお母系 M7aの姉妹グループは何れも東南アジア方面で
「M7b」は中国南部内陸へ移動し分布を広げ、
「M7c」はフィリピン、インドネシアなど島嶼部に分布を広げた。

587:日本@名無史さん
24/04/16 21:25:44.15 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

588:日本@名無史さん
24/04/16 21:25:46.93 .net
「ホアビン文化」
東南アジアの中石器または新石器時代初期の文化。
1920年代にフランスの考古学者 M.コラニが
ベトナム北部のホアビン地方の洞窟遺跡で発見した石器類によって命名。
インドシナ,タイ,マレー,スマトラなどに分布する。礫器,握斧,スクレーパー,
短石斧などがあり,片面加工のものが多い。のちになると(局部磨製)の石斧が増し,
バクソンとの関係が考えられる土器はない。
「バクソン文化」
ベトナム北部,ハノイ北東約100kmに位置するバクソンBac Son山地の,
多数の石灰岩洞窟遺跡から発見された遺物を指標とする文化。
1920年代にH.マンシュイやM.コラニらによって調査され,中石器時代または
新石器時代初期の文化とされる。打製の礫器などはホアビン文化と類似するが,
(局部磨製石斧)や両面加工のものが,ホアビンに比して多いのが特徴である。
ほかに骨角器や,それを砥いだと思われる溝石などがある。

589:日本@名無史さん
24/04/16 21:27:33.56 .net
>どうも東南アジアの中石器時代遺跡には、
局部磨製石斧・刃部磨製石器石器の刃部を研ぐ溝石、不定形の剥片石器など、
日本と共通する丸ノミ形石斧と類似の円筒石斧が特に海岸沿いの遺跡から発見される。
恐らく丸木舟つくりの刳り抜き道具なんだろう。 丸木舟は波打ち際でしか作れない。

栫ノ原型丸ノミ形石斧は、
後の時代のものではあるが、フィリピンやグアムなど東南アジアから、
太平洋の島々に分布する円筒石斧と呼ばれる丸木舟製作の石製工具にも酷似する。

590:日本@名無史さん
24/04/16 21:28:00.88 .net
 東南アジアから太平洋の島々に分布する島嶼には円筒石斧というのが見つかる。
「ボルネオ島の磨製石斧-円筒石斧から方角石斧への一考察-」
ブルネイの周辺、ニア洞窟同6000年から4000年円筒形石斧が見つかった
そしてパプア系は円筒石斧、後来のオーストロネシア系は方角石斧や
つまり、円筒石斧とパプア諸語、有肩石斧とオーストロアジア語族、
方角石斧とオーストロネシア語族という具合である。

591:日本@名無史さん
24/04/16 21:29:17.44 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

592:日本@名無史さん
24/04/16 21:29:40.83 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

593:日本@名無史さん
24/04/16 21:29:49.55 .net
>倭人伝に魏の使節が見た!!
倭人の風貌は直感的に海南島に住む民族と似てると感じた。
兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同
「兵は、矛、盾、木弓を用ひる。木弓は下を短かく、上を長くす。
竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃なり。有無する所は儋耳珠崖と同じくす。」
「儋耳珠崖」とは黎族・リー族が住む海南島、チベット語系、チワン・トン語派
前漢が南越国を滅ぼし紀元前110年(元封元年)、海南島に珠厓郡と儋耳郡が置かれた。

>中国漢代の史書論衡にあり、周の成王の時代(紀元前1000年頃)に
「越裳(ベトナムあたり)からは白いキジを献じ、倭人は鬯草(ちょうそう)を献じた」
 と記されています。鬯草とは神事に使う香草です。

594:日本@名無史さん
24/04/16 21:30:04.25 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

595:日本@名無史さん
24/04/16 21:30:18.44 .net
「 彼らはラピタ土器文化を持っていたから入植があれば日本にもラピタ土器が伝わってる
 ラピタ土器は台湾あたりの南支那の印文陶と酷似し、彼らのルーツを物語る 」

>ラピタ土器ではないが、中国南部、百越の土器や縄文土器、押形文土器に似た、
>エクアドルのバルディビア土器そっくりな、土器が宮崎県から発見されてる。
太平洋岸に面した宮崎市で、南米エクアドルのバルディビア土器とそっくりの
文様を持つ縄文土器群が発見されていた。
URLリンク(www.gondo.com)
宮崎市跡江貝塚遺跡は、公式には1万2000年前から7000年前の物とされているが、
発見者の日高氏によるとアカホヤ層(喜界島噴火による火山灰層)の直下まで、
土器が埋まっている事から、約6300年前の喜界島大噴火まで続いた土器文明であると言う。
この遺跡からは、なんと24種類もの文様の土器が発見されており、
文様の豊富さでは、九州随一だと言う。

596:日本@名無史さん
24/04/16 21:30:35.20 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

597:日本@名無史さん
24/04/16 21:30:58.41 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

598:日本@名無史さん
24/04/16 21:31:44.47 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

599:日本@名無史さん
24/04/16 21:32:05.25 .net
アイヌの弓矢文化が、短弓(1mほど)で毒矢をもつのに対し、
倭人の弓矢が、長弓(1.8mほど)で毒矢を用いないことなど、
弓矢、については、文化の系統が異なるようにみえる。
毒矢文化を、アイヌ祖先集団に伝えたのは挹婁(ゆうろう)族であろう。」
(『毒矢の文化』紀伊國屋書店、1962。『毒薬』毎日新聞社、1965年刊)
『後漢書』や『三国志』の挹婁伝(ゆうろうでん)には、つぎのように記されている。
「弓の長さ四尺(約96センチ)。」(『後漢書』『三国志』同文)
「矢には毒をほどこし、人にあたればみな死ぬ。」(この文は、『三国志』による。
『後漢書』は、「鏃(やじり)には、みな毒をほどこし、人にあたれば、即死する。」
挹婁(ゆうろう)は、「いにしえの粛慎(しゅくしん)」とされている民族で、
ツングース族の一種である。中国東北地方(旧満州)東部に住んでいた。

600:日本@名無史さん
24/04/16 21:32:25.20 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

601:日本@名無史さん
24/04/16 21:32:47.69 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

602:日本@名無史さん
24/04/16 21:33:12.60 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

603:日本@名無史さん
24/04/16 21:33:50.40 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑
それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ
平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する
本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑

>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器
九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

604:日本@名無史さん
24/04/16 21:34:07.20 .net
URLリンク(i.imgur.com)

605:日本@名無史さん
24/04/16 21:35:19.68 .net
>三足土器がなけりゃ論は無意味って事だな。
 100 万個も三足土器が拡散なんてあり得ない妄想ファンタジーだからよ。

>三足土器がなけりゃ移住・移民した証拠にならんと言うのなら、
紀元前2000年ごろ~紀元前500年ころ。
中国の古典書籍によると、紀元前十六世紀の「夏王朝」時代、人口約1.355万人。
夏王朝時代の人口は約1.355万人
殷王朝時代の人口は約1.300万人
周王朝時代の人口として1.300万人、
春秋戦国時代の総人口は2.000万人程度
戦国時代の人口は2.000万人説
100年一世代として15世代。 1300万人台が10世代、2000万人台が5世代、
プラスすると1億3000万人+1億人=2億3000万人
紀元前2000年ごろ~紀元前500年ころまでの歴史的世代交代人口は約2億3000万人。

606:日本@名無史さん
24/04/16 21:35:41.39 .net
>99%って事は殆んどの人達は知らないし、後世の考古学者だけが知ってる遺物だから。
● 仮定で一世帯10人家族、三足土器を100年で3個消費するとして
 2億3000万人、2300万世帯=7000万個の土器が必要になる、
 壊れた物も入れると仮の計算上1億 個は有った事になる。実態は1000個もない。
中国国内では古代数千年の間に、何 億 人と家族・集団の移住・移民が有ったはずで、
それなら、三足土器も何 億 個と拡散してたはずだが、
そんなに数多くの土器が遺跡から出土したかへ? 数百個くらいなら有るかもだが?
1 億 個あったと仮定して1 %の人達が持ってたなら 100 万個は出土するはずだが?
実態は1000個もない。 仮に、100 万個の三足土器が出土したとしても、
結果、99 %の人達は、三足土器などとは無縁で見た事もない生活をしてたって事になる。

607:日本@名無史さん
24/04/16 21:37:20.24 .net
.

大分県日出地区の薬師遺跡では縄文時代後・晩期、黒色磨研の三万田式土器とともに、
印文陶(中国南東沿岸地域における新石器時代~漢代)破片が出土している。

.

608:日本@名無史さん
24/04/16 21:37:42.84 .net
黒色磨研の三万田式土器
三万田式土器と云えば縄文土器の文様を磨消し技法で、
無文に寄せていった土器で後の弥生土器の前段階、
それと黒色磨研とは中原の黒陶を意識した技法て事は、
中原の流行り情報を入手してたんだな、結構細かく行き来してたんだろ。
縄文時代のけつ状耳飾りや管玉作りからか。

609:日本@名無史さん
24/04/16 21:38:47.13 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
URLリンク(fieldnote.info)
原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。

源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。
丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。
東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。

610:日本@名無史さん
24/04/16 21:46:13.03 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑
漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ
鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

611:日本@名無史さん
24/04/16 21:49:23.33 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑
漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ
鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

612:日本@名無史さん
24/04/16 21:49:44.37 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑
漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ
鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

613:日本@名無史さん
24/04/16 21:50:30.26 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑
漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ
鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

614:日本@名無史さん
24/04/16 21:51:56.48 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑
漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ
鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

615:日本@名無史さん
24/04/16 22:01:52.82 .net
遺伝学はルート探査にはほとんど使えない
例えば、九州1000体、西日本1000体、東日本1000体、北海道1000体というように全世界を500kmごとの間隔で1000体分のデータを現代から38000年前まで1000年ずつ過去にスライドしていくデータでもあれば信憑性もあるだろう
だが現代人100体分ほどのデータと数千〜数万年前の数体分のデータだけ、それも全世界のほんの一部だけで、全世界のほとんどの地域が現代人だけのデータだけという程度のものに一体何の信憑性があるというのか?
実際は現代から過去1000年以内のデータで99.9%以上のスッカスカでスッカスカのさっぱりデータに
なってないシロモノで日々逞しく妄想を膨らませているだけの、どこまでも空想の域を出ない単なる虚学のファンタジーなのである

616:日本@名無史さん
24/04/17 06:31:27.75 .net
遺伝学の登場で自説が吹き飛んだんだろうなぁw

617:紀州人
24/04/17 06:36:05.23 .net
日本列島にやって来た人類が、叡智を授かった。
そして、日本列島から他所に移住したりした集団が文明を起こした。
そんなファンタジーモドキを信じる人は居るんかな?

618:日本@名無史さん
24/04/17 12:15:47.34 .net
>>605-609
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

619:日本@名無史さん
24/04/17 12:16:46.88 .net
>>605-609
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

620:日本@名無史さん
24/04/17 12:17:39.60 .net
>>605-609
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑







URLリンク(j.people.com.cn)






.

621:日本@名無史さん
24/04/17 12:24:27.92 .net
>>617
縄文文明がシュメール文明だとDNAで明らかになってなかったか?

622:日本@名無史さん
24/04/17 12:33:36.84 .net
ムウ・ラ・フラガ

623:日本@名無史さん
24/04/17 12:36:37.69 .net
天動説

624:日本@名無史さん
24/04/17 12:39:42.89 .net
濊と貊 は
虎と熊が濊族と貊族によって崇拝されていたトーテムであった可能性があることを示唆しています
貊は高句麗のことで、高句麗人はダウール人です
韓国人は将軍漂という石や木のトーテムポールを持ちますがこれは朝鮮人がつくったものです

デマが大量に拡散されてます 内モンゴルの中華人民共和国のエベンキ族は
ロシアのマトリョーシカにも似てるアジア系であり、馬やラクダに乗る民族です
奇妙なトーテムポールはモンゴル草原にはありません
心あたりのブロガーは削除してください

625:日本@名無史さん
24/04/17 13:04:40.95 .net
ツングースがトーテムポールを知らないという事実自体は
それで一つの重要な事柄です

626:紀州人
24/04/17 13:12:56.26 .net
>>621
そんなんもあったよね。
竹内文書とか、富士宮文書の様に日本列島から文明が発祥した話もまんざらファンタジーやないかも知れんね。
太陽信仰や北極星信仰は縄文人由来かも知れんし。

627:日本@名無史さん
24/04/17 13:18:53.77 .net


628:日本@名無史さん
24/04/17 14:37:44.24 .net
>>621
紀州人氏は優しい人だから可能性を少しでも考えて否定的な断言をしないが、俺から言わせると
・日本列島から伏羲が出たとする内容
・縄文文明がシュメール人によってもたらされたとする内容
どちらも都市伝説として楽しむものだよ
前者は文献中での共通点を洪水型神話主体で括り付けて解説される部分がエンタメとして確立されたのであり、
後者はそもそも整合性をどこで取ってるの?っていう疑問
もしかしてハプロDEみたいな理由だから?

629:日本@名無史さん
24/04/17 15:09:22.62 .net
>>628
全然考え方が違うよ
日本からメソポタミア地方に行ってるんだよ
そもそも昔は国という概念は無いから鬼界カルデラ地震の影響で大陸に渡って行ってる

630:日本@名無史さん
24/04/17 15:28:01.36 .net
小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?
ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?
モモ作はモモ作渡来民が来たのか?
何が稲作渡来民だよ
超ウケるwwwwwwwwww

631:日本@名無史さん
24/04/17 15:41:10.52 .net
>>629
それは論拠はあるのか?
学術的なソースは?研究が未開だからってのは根拠が無い理由にならないぞ
ここは化学的アプローチから強力に関連性を示唆する考古遺伝学を主題に語るスレだし、
それに準じる位の正確さがある情報強度で語ってくれ

632:日本@名無史さん
24/04/17 16:04:24.61 .net
>>631
>>621
はい

633:日本@名無史さん
24/04/17 16:11:45.60 .net
>>632
だからソース出せよ、日本語わかる?

634:日本@名無史さん
24/04/17 16:13:06.49 .net
最古稲作遺構の菜畑遺跡には渡来人が入植した痕跡がない
青森の砂沢遺跡では前7C頃の水田遺構で中部地方や関東地方よりも
先に稲作が始まっていた
搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から
入植した生活痕遺構がないため、九州北部との交流を通じて稲作を
取り入れて自ら稲作を始めたものと見られる
けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ
交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから外来人の入植痕跡がない
朝鮮半島の稲作も同じだろう
交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから外来人の入植痕遺構がない
遼東半島の稲作も同じだろう
交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない
稲作渡来民なんて幻想
そんなものは存在しない

635:日本@名無史さん
24/04/17 16:13:25.90 .net
>>633
自分で探せば?

636:日本@名無史さん
24/04/17 16:27:43.77 .net
>>635
やっぱ存在しなかったか、デマなんだね解ってたよ
論拠はハプロDEのY染色体アル多型、Y染色体上に現れる単なるトランスポゾンの特徴のみで、
そこを具体的に否定される形で言及されるのは、キミ達のような思想家・思想団体にはあまりにも痛いんだろう
古代イスラエル人はコーカソイドです
ユダヤ人が日本から特定の集団をイスラエルに誘致しているなら本物なんだがな
とりあえず主成分で語ってくれ
まったく遺伝的共通性はありませんね、はいありがとうございました

637:日本@名無史さん
24/04/17 17:12:13.32 .net
>>636
あなたの言う古代イスラエル人?その人達はどこから来たんだよ?
たかだか約2500年前の人達だよな?
そこ言わないと話にならないんだが??

638:日本@名無史さん
24/04/17 17:41:28.42 .net
>2023/09/05(火) 17:06:20.76
>同じ中華由来のモンゴロイドでほとんどゲノムに差がないのに違う人種とか
>笑わせるねネトウヨくん
>中央蒙古人種笑
>そんな言葉はないw
>おまえが朝鮮人より頭悪いってことだけはわかる


アー タノシーデスネー ホオボネコツコツピピンパロイドwwww




URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)




.

639:日本@名無史さん
24/04/17 18:05:27.67 .net
>>637
それ本来キミ達がツッコまれる内容だよね
鬼界カルデラでメソポタミアに移住したとするなら、なぜその周辺でDが見つかっていないのか説明してくれ
中東周辺には数万年前からコーカソイドしかいないのは明白
そして考古~現代遺伝学が示唆するものは、メソポタミア文明は明らかにモンゴロイドのものではないという事
心配しなくても縄文人には縄文人しかない主体性があるんだから、わざわざ変なコンプレックスに偏る意味はない
それに彼らに失礼だ
必要ならあちらの遺伝的論拠を提示しても良いが、見付かるものに縄文人の気配は存在しないと思うぜ

640:日本@名無史さん
24/04/17 18:06:05.05 .net
訂正 偏る→拘る

641:紀州人
24/04/17 18:33:11.21 .net
オレが優しい?
照れるで(⁠〃゚⁠3゚⁠〃⁠)
ただ、どうやって渡ったのかはハッキリしないけど、メキシコから縄文土器が出土したとか、イースター島のモアイに神代文字が彫られていた話が有るよな。
インカやアンデス等の南米文明にも縄文人が関わっていたなんて噂もある。
シュメール王国やエラム王国から天孫族がやって来たって都市伝説もある訳やし、全部繋げたら旧石器時代に日本列島にやって来たサピエンスがそのまま定住せずに更に東へ移動したのかも知れないって思っとる。
人類最古の磨製石器を造った岩宿人は、日本に留まったのかね?

642:日本@名無史さん
24/04/17 18:35:21.39 .net
シュメール文明と縄文文明の類似点(縄文文明のほうが古い)
言語
菊花紋章
神話

643:日本@名無史さん
24/04/17 18:47:56.04 .net
日ユ同祖論は間違いじゃないと思うけどね
その辺はこれから明らかになるんだろうな

644:日本@名無史さん
24/04/17 19:02:47.44 .net
世界の文明の発祥の条件は全て同じ、山の東側斜面、朝日を受けるところからはじまる
1番最初に出てくる太陽は日本からで時差は大陸に向かいだんだん遅れていく
ヨーロッパだと7時間8時間遅れているアメリカだと約12時間
まず初めに事を起こす文明を起こすのはどこですか?
日本と考えるのが自然ですよね

645:日本@名無史さん
24/04/17 19:13:33.77 .net
>>636
古代イスラエル人はコーカソイド?
12氏族のDNAのソース出してよ

646:日本@名無史さん
24/04/17 20:03:10.80 .net
もうみんなシベリアのことは考えなくていい
今シベリアに生まれている人は、岩から石に花や植物に
生まれ虫や昆虫になり動物になる、人間になる前の。魂の段階の者たちだと
インスピレーションが降りて来ました 
日本に生まれてる人はもっと神に近い人たちです

647:日本@名無史さん
24/04/17 20:10:13.52 .net
アムーンダラ
シベリアが人種のるつぼたったことは明らかになってる
オーストラロイド以外の人類が例外なく
北回りを取ったのには理由があるはずだ

648:日本@名無史さん
24/04/17 21:00:42.13 .net
55000年くらい前にレヴァントあたりで被服と台形様石器と石刃技法が開発されて
北方の大型獣を食料にする事が可能になったから

649:日本@名無史さん
24/04/17 21:03:44.58 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
>嘘をつくな!

↑中卒ダマシの頻度詐欺を働く中共 五毛党 日本侵略部隊(嘲笑 
南支那から入植した考古痕跡も北上した考古痕跡も一切ない
例えばYのハプロDは起源地のアフリカではほぼ0%
一方、その地球の裏側の日本列島では3割強 
頻度は常に変化しているので、 頻度が高いからといって、そこが起源地だとは限らず、
存在しないからといって、そこが起源地ではないとは限らない
同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が分かるのみで、
頻度が高いところから低いところに移動したとは限らないし、その遺伝子が
存在しなくても同じ祖先を共有していないとは限らない
遺伝子の頻度が起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左
親株、子株もそうだ
起源地で親株が消滅して子株だけになり、遠方では親株しかなかった場合、
遠方の方が起源地に見えてしまう
親株、子株も起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左
遺伝学で分かる事は、同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が
分かるという事のみで、それ以上の事はほとんど何も分からないのである

650:日本@名無史さん
24/04/17 21:08:51.43 .net
遺伝学に人生否定された哀れなおっさん

651:日本@名無史さん
24/04/17 21:14:34.75 .net
>>650
逆だろ
考古学に人生否定された哀れなおっさんのおまえ(ウルトラ嘲笑


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