【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21at HISTORY
【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
24/04/12 06:14:53.03 .net
青森の砂沢遺跡は前7C頃の水田遺構で中部地方や関東地方よりも
先に稲作が始まっていた
搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から入植した痕跡が
ないため、九州北部との交流を通じて稲作を取り入れて自ら稲作を始めたものと
見られる
けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ
交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから外来人の入植痕跡がない
朝鮮半島の稲作も同じだろう
交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから外来人の入植痕遺構がない
遼東半島の稲作も同じだろう
交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない
稲作渡来民なんて幻想
そんなものは存在しない

3:日本@名無史さん
24/04/12 06:18:47.34 .net
出雲あたりに外来土器たる前池式の刻目突帯文土器が登場する時代と
菜畑に最古稲作遺構が登場する時代とでは少なくとも50~100年くらいの
時代差があるんだが
稲作を半島から取り入れた在来人は山ノ寺式の刻目突帯文土器だから祖先は
渡来人だろうけど既に在来人だよ
渡来人と稲作伝来は全然時代が異なる別々の出来事だぞ

4:日本@名無史さん
24/04/12 06:20:01.21 .net
斉から墓が伝わったなら鼎が伝わらないのはおかしいね
中国の墓にはあの世でも食べていけるようにと奴隷から王まで
必ず鼎が副葬されるんだから
古代中国では墓と鼎はセット
甕棺墓は朝鮮南部の壺棺墓を取り入れて独自発展したものだし、
それ以外の墓も単に半島から取り入れただけで在来人のものだね
外来人の入植痕遺構がないんだから

5:日本@名無史さん
24/04/12 06:21:59.89 .net
玉璧はもともと、中国・前漢の皇帝から、
朝鮮半島にあった漢民族系の王朝「衛氏朝鮮」に下賜されたものだった、
という仮説が紹介されている。璧は衛氏朝鮮の崩壊後に流出し、
北部九州などを経て弥生時代に串間にもたらされ、古墳時代に
造営された当地の有力者の墓に副葬品として納められたのだという。
博物館の学芸普及担当、加藤徹さんは「串間市を含む志布志湾周辺地域は、
瀬戸内系の土器や南西諸島で採れる貝・貝製品の交易ルートが交わる結節点として、
弥生時代に重要な役割を担っていた可能性がある。玉璧の出土と交易ルートとの
関わりを裏づける今後の考古学研究の進展に期待したい」と話している。
URLリンク(www.asahi.com)

南西諸島では弥生時代の九州とイモガイやゴホウラ交易があり[89]、
7世紀以降は日本の朝廷や唐とヤコウガイ交易が行われた[90]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

6:日本@名無史さん
24/04/12 06:23:37.25 .net
プラントオパールは粘土より遥かに小さくて下層に浸透していくので
何千年も古く出てしまうため作物の開始年代測定に使われなくなった
実際はイネは2950年前の菜畑遺跡よりも古いイネは日本にはないし、
サトイモが伝わったのもイネと同じ頃で半島からだし、
ソバが伝わったのは弥生後期頃でもちろん半島からだよ
南方から来てたら三本足の生えた楽しすぎる炊飯器が伝わるだろが
南方の土器は中国土器のコピーなんだから(嘲笑
高床式倉庫は弥生早期に松菊里型住居とともに現れるのが最初だから、
やはり半島から取り入れられている

7:日本@名無史さん
24/04/12 06:24:23.11 .net
16000年前の鏃が青森から出土しているから日本の弓は16000年前に
土器技術とともに樺太経由で入ってるから支那朝鮮なんか関係ないの



旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡とみられる日本の大平山元遺跡から、
15,500-16,500年前のものとみられる旧石器時代の特徴を示す石鏃が出ているが、
これは今のところ世界で最も古い石鏃とみられている[2]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

8:日本@名無史さん
24/04/12 06:25:22.18 .net
昭和の初めまで近畿人も中頭だったんだが
短頭化が進んだ原因は粉ミルクの普及が関係してるんだと
乳児期に粉ミルクの利用が多かった子どもほど短頭だという事

9:日本@名無史さん
24/04/12 06:26:21.92 .net
入植していきなり現地の土器を作る事はないね
最初は自分たちの土器を作って徐々に現地の土器に移行していくというステップを踏む

10:日本@名無史さん
24/04/12 06:28:10.43 .net
最初に伝わる耕作用農具は石スキのはずだろ
日本の最古稲作遺構には石刃の耕作用農具もスキもないぞ

11:日本@名無史さん
24/04/12 06:28:43.28 .net
渡来系弥生人と縄文系弥生人は居住地区が別々だった事が分かっている
言葉の壁や文化の壁や人種の壁があるので一緒には住めなかったようだ
前7C頃から渡来系弥生人骨が増えるのは単に甕棺墓時代に入って人骨が保存されるように
なったからで縄文末から渡来系弥生人の人口は増えている
特に半島から稲作や雑穀作を取り入れてから食料確保ができるようになったために
人口爆発したものと見られる

12:日本@名無史さん
24/04/12 06:30:43.83 .net
10
いいえ、木材です

13:日本@名無史さん
24/04/12 06:32:05.05 .net
石毛直道は考古学専攻学者ではない
だいたい長江から稲作が伝わったなら日本の最古稲作遺構の最古イネに中粒種が
あるはずだろ
同期する長江のイネは中粒種が半分くらい混ざったイネなんだから
ところが最古稲作遺構のイネは短粒種だけ
しかも最古稲作遺構の水田の第一層には農具が一切なかった
稲作渡来民とやらが来たなら最初から農具くらいあるはずだろ
ない
在来人が朝鮮南部から稲作を取り入れて自らの手で始めただけだからだ
第三層あたりからようやく耕作用農具が現れるんだが、その耕作用農具は
同期する中国大陸にはないはずのクワであった
当時の中国大陸の耕作用農具はスキだけでクワはない
しかも中国大陸から伝わったなら石刃であるはずなのに木刃であった
日本にスキという耕作用農具が伝わったのは稲作開始から300年くらい経ってからで、
やはり石刃ではなく木刃であった

14:日本@名無史さん
24/04/12 06:36:39.07 .net
たまたま長頭の個体が出土しただけで九州南部から南西諸島の縄文人骨は基本的に短頭
朝鮮人にも長頭がいるのと同じ事

15:日本@名無史さん
24/04/12 06:38:10.02 .net
西日本の縄文人骨は短頭か中頭なんだが(嘲笑
で、渡来系弥生人骨は中頭なんだが

16:日本@名無史さん
24/04/12 06:38:20.56 .net
もともと弥生人が農耕民だとしたら縄文人は狩猟民ですから
農耕もどこかで覚えたのやろ

17:日本@名無史さん
24/04/12 06:39:15.86 .net
日本列島に最初に入ってきたのは38000年くらい前な
台形石器を使う集団なんだが、中近東や中央アジアには台形石器はあるんだが
南支那以南の東南アジアには台形石器がないんだよ
つまり中近東から北回りで来た事が分かる訳
その2000年後の36000年くらい前には石刃技法を使う集団が日本列島に
入ってくるんだが、中近東や中央アジアには石刃技法学があるんだが南支那以南の
東南アジアには13000年くらい前まで石刃技法はなく、しかも細石刃として
石刃技法が現れるんだよ
やはり中近東から北回りで来たとしか考えられない訳
容貌は田園洞人から見ると黒人と白人の中間みたいな感じかな
肌の色ももう黄色だったかもな

18:日本@名無史さん
24/04/12 06:40:10.36 .net
縄文人らは木の実などの採取は行ってたけどな
古代から出て来るのは採取した木の実などの類いなんだよ

19:日本@名無史さん
24/04/12 06:40:26.33 .net
石包丁が長江から伝わったものなら何で最古稲作遺構菜畑の稲作開始耕作用農具に
長江のメイン耕作用農具であるスキがねえんだ中卒

20:日本@名無史さん
24/04/12 06:41:06.03 .net
日本に弓が伝わるのは縄文草創期の北日本からなんだが
青森から16000年前の鏃が出土している
跨湖橋新石器時代遺跡よりも8000年も前の考古文物だよ

21:日本@名無史さん
24/04/12 06:43:10.52 .net
47000年前にアルタイ経由して東アジアからシベリアに広がり、38000~36000年前に
日本列島に入ってきた東アジア以北の最初のサピエンスは台形石器や石刃技法を
使う集団である
ところが南支那以南の東南アジアには13000年前くらい前まで石刃技法がない
その13000年前の石刃技法も華中以北の古モンゴロイドが南支那以南の東南アジアに
南下侵入して細石刃として伝わったものである
だから東アジアやシベリアに最初に広がった台形石器や石刃技法を使うサピエンスが
南支那以南のスンダランドから北上してきたというのはあり得ない
南支那以南のスンダロイドが北上してモンゴロイドになったという説は
あり得ないのである
遺伝学でのルート探査などは考古学や形質人類学の補助輪を使わなければ
デタラメを頻発してさっぱり使い物にならないレベルのものだという事が分かる
つまり考古学や形質人類学だけ見てた方が控えめに見ても百倍くらいルート探査の
精度が高いという事

22:日本@名無史さん
24/04/12 06:43:51.43 .net
中東のイラン高原から北回りでアルタイ経由で最初に東アジアやシベリアに
入ってきた人類は北京あたりで出土した42000年くらい前の田園洞人を見ると
エチオピア人のようなニグロイドとコーカソイドの中間的な容貌をした
原始コーカソイドである
ところがシベリアから出土した30000年くらい前の人骨はもろにコーカソイドの
人骨であった
中東のイラン高原あたりから北上してきた時差が1万年くらい違うと完全に
別人種になっている
ところが20000年くらい前になるとコーカソイドとは全く正反対の極めて扁平な
容貌にシャベル型切歯を持った北方モンゴロイドが出現して、それまでの
コーカソイドに近い形質は消えていった
ここから考えるとニグロイドやコーカソイドがモンゴロイドに変わるのに要する時間は
1~2万年くらいだと思われる
そして7~8000年くらい前になると北方モンゴロイドの南下が始まり、中国大陸では
6000年くらい前まで古モンゴロイド的形質の人骨だったものが僅か1000年ほどで
北方モンゴロイド形質を帯びた全く別人種の人骨に変わってしまう
時差はあるものの、これと同じ事が沿海州や朝鮮半島や日本列島でも
起こったものと考えられる

23:日本@名無史さん
24/04/12 06:44:30.75 .net
山東省人骨よりさらに渡来系弥生人骨と酷似してるのが沿海州人骨な

24:日本@名無史さん
24/04/12 06:45:01.32 .net
どおかな?
そこまでは分からん

25:日本@名無史さん
24/04/12 06:45:50.26 .net
しかしこいつらしつこいねえ

26:日本@名無史さん
24/04/12 07:01:13.66 .net
遺伝学の推測がしばしば暴走するため
客観性の担保としていくつか前スレから引用させて頂いた
己の自然な直感を元にそれを裏付けるデータを集めるのは
象牙であれ在野であれ基本的な姿勢と思われるが
私のああ思うここ思うに沿うデータを
あれこれと持ってきてペタペタと貼るのは
それとは似て非なると考える
客観的なデータは自分の思い込みや前提を
絶えず裏切ってくるものだ
そしてそこから初めて新たな物事が分かってくるのだ
そういう、データに裏切られた体験や感覚のないまま
あれもあるこれもあると色んな図表や物事を
あれこれ提示していく人の気持ちが分からない

27:日本@名無史さん
24/04/12 07:36:26.07 .net
【概要】
ニホンヤモリは、日本民家の“隣人”で家の守り神(家守)として親しまれていますが、中国東部にも分布しており、実は在来種ではなく外来種ではという疑いがもたれてきました。しかし、渡来期も含めその来歴は不明でした。
東北大学大学院生命科学研究科博士課程学生の千葉稔氏と東北アジア研究センターの千葉聡教授らのグループは、その日本進出の過程を、ゲノムワイドの変異解析と古文書の調査から推定することに成功しました。
ニホンヤモリは、約 3000 年前に中国から九州に渡来し、平安時代末までに近畿へ、一部が東海道を東進して江戸後期~明治初期に関東へ、また戦国時代に近畿から北陸に移った系統が江戸時代には、北前船の寄港地として栄えていた酒田へと移住したと推定されました。
遺伝子から推定された歴史は古文書の記録と整合的であり、日本社会の発展の歴史との間に見られる多くの共通点は、ニホンヤモリが人や物資の移動に伴って分布を広げたことを裏付けます。
本研究成果は、現在の生物の分布や多様性を理解する上で、近代以前の人と生物の関係が無視できない要因であることを示す重要な成果です。
本研究結果は、2022 年 11 月 30 日の米国科学誌 PNAS Nexus(オンライン速報版)に掲載されました。
<研究成果の内容>
本研究では、古文書の網羅的調査、ddRAD-seq というゲノムワイドの変異解析、人間社会の発展と絡めた考察という文理融合的なアプローチにより、ニホンヤモリが辿った歴史を推定しました。
地域集団の系統関係と分岐年代、上記の個体数増減のタイミング(図 2)から、ニホンヤモリの住分散のルートと歴史を推定することができます。
その結果、ニホンヤモリは約 3000 年前に中国から五島列島、さらに九州へ渡来したと推定できました。約2000 年前の弥生時代になると、九州から複数のルートで西進が始まり、遅くとも平安時代末までには近畿に定着していました。
その後、一部が東海道を東に進み、江戸時代後期~明治初期に関東へ達しました。これは 17 世紀にはまだ「関東にはいなかった」という 1697 年の本朝食鑑の記述と整合します。
また、戦国時代には近畿から北陸へと移住し、江戸時代には北陸から北前船の寄港地として栄えていた酒田に移りました。

28:日本@名無史さん
24/04/12 07:42:37.82 .net
250年前から1万年前の更新世はホモ ネアンデルターレンシス
ホモハイデルベルゲンシス ホモフローレシエンス ホモエレクトゥス
パラントロプス ホモハピリス (ホモエルガステル)がいて
1万年前にはすべて絶滅 人類はホモサピエンスしかいなくなりました
そもそも進化論は存在しない 絶滅するか新種が現れるがだけです

29:日本@名無史さん
24/04/12 07:47:12.65 .net
“最初の日本人” その「親戚」がタイの密林にいた
現代の日本人とは姿も生活様式も全く異なるマニ族が、なぜ“最初の日本人”の「親戚」と言えるのか。
この両者を結びつけたのが「古代DNA解析」と呼ばれる、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術です。
長い間、土に埋まっていた骨からは、これまでDNAを読むことが出来ませんでしたが、この技術が確立されたことで、保存状態のいい骨に関しては数千年前の骨であってもDNAを読み取ることが出来るようになりました。
このため、従来では考えることもできなかった様々な事実がこの10年で次々と明らかになってきているのです。
その1つが2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果です。
きっかけになったのは、ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功したことでした。
タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこの「ホアビニアン」の骨でした。
太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べました。
すると、東南アジアの古代人に混ざって、日本人にとって歴史の教科書でおなじみの「縄文人」が、ホアビニアンとのDNAの近縁性、どのくらい似ているかの指標で4位にランクインしたのです。
「縄文人」は今からおよそ1万6000年前から3000年前の「縄文時代」に日本列島に住んでいた人々で、いわば“最初の日本人”です。
です。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)

30:日本@名無史さん
24/04/12 08:18:39.30 .net
石川典行

31:日本@名無史さん
24/04/12 08:21:14.47 .net
縄文人 英語板
URLリンク(en.wikipedia.org)
世界中の集団および現在の個人の主成分分析(PCA)をクリック
Principal component analysis (PCA) of ancient and present-day individuals
from worldwide populationsをクリック
Dvils gateと近接してるのは見えにくいが日本人です

32:日本@名無史さん
24/04/12 09:32:48.31 .net
>>29
ホアビニアン人骨から見ると縄文人骨は近縁性で4位との事だが、
縄文人骨から見るとホアビニアン人骨は近縁性で何位なんだよ?(嘲笑

33:日本@名無史さん
24/04/12 12:11:59.84 .net
>>29
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

34:日本@名無史さん
24/04/12 12:12:44.97 .net
>>29
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

35:日本@名無史さん
24/04/12 12:13:28.46 .net
>>29
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑







URLリンク(j.people.com.cn)






.

36:日本@名無史さん
24/04/12 13:19:22.73 .net
【概要】
ニホンヤモリは、日本民家の“隣人”で家の守り神(家守)として親しまれていますが、中国東部にも分布しており、実は在来種ではなく外来種ではという疑いがもたれてきました。しかし、渡来期も含めその来歴は不明でした。
東北大学大学院生命科学研究科博士課程学生の千葉稔氏と東北アジア研究センターの千葉聡教授らのグループは、その日本進出の過程を、ゲノムワイドの変異解析と古文書の調査から推定することに成功しました。
ニホンヤモリは、約 3000 年前に中国から九州に渡来し、平安時代末までに近畿へ、一部が東海道を東進して江戸後期~明治初期に関東へ、また戦国時代に近畿から北陸に移った系統が江戸時代には、北前船の寄港地として栄えていた酒田へと移住したと推定されました。
遺伝子から推定された歴史は古文書の記録と整合的であり、日本社会の発展の歴史との間に見られる多くの共通点は、ニホンヤモリが人や物資の移動に伴って分布を広げたことを裏付けます。
本研究成果は、現在の生物の分布や多様性を理解する上で、近代以前の人と生物の関係が無視できない要因であることを示す重要な成果です。
本研究結果は、2022 年 11 月 30 日の米国科学誌 PNAS Nexus(オンライン速報版)に掲載されました。
<研究成果の内容>
本研究では、古文書の網羅的調査、ddRAD-seq というゲノムワイドの変異解析、人間社会の発展と絡めた考察という文理融合的なアプローチにより、ニホンヤモリが辿った歴史を推定しました。
地域集団の系統関係と分岐年代、上記の個体数増減のタイミング(図 2)から、ニホンヤモリの住分散のルートと歴史を推定することができます。
その結果、ニホンヤモリは約 3000 年前に中国から五島列島、さらに九州へ渡来したと推定できました。約2000 年前の弥生時代になると、九州から複数のルートで西進が始まり、遅くとも平安時代末までには近畿に定着していました。
その後、一部が東海道を東に進み、江戸時代後期~明治初期に関東へ達しました。これは 17 世紀にはまだ「関東にはいなかった」という 1697 年の本朝食鑑の記述と整合します。
また、戦国時代には近畿から北陸へと移住し、江戸時代には北陸から北前船の寄港地として栄えていた酒田に移りました。

37:日本@名無史さん
24/04/12 13:33:49.76 .net
>>36
それだと何でミナミヤモリが九州南部と南西諸島と台湾と南支那の
共通種なのか説明出来ないね
単に南西諸島からミナミヤモリが九州南部に入ってさらに北上したものが
ニホンヤモリになっただけ

38:日本@名無史さん
24/04/12 13:58:55.53 .net
>>36
ホアビニアン人骨から見ると縄文人骨は近縁性で4位という事は分かった
では縄文人骨から見るとホアビニアン人骨は近縁性で何位なの?何位なの?

39:日本@名無史さん
24/04/12 17:00:46.00 .net
姫氏国
日本はかつて「姫氏国」という倭漢通用の国称をもっていた。日本紀私記の丁本によれば、野馬台詩には日本のことを「東海姫氏國」と称し、また日本神話において皇室の始祖は天照大神とされ、女帝・神功皇后を輩出していることから姫氏の国と呼ぶという。 なお、漢の文化における「姫」は、黄帝と周王の姓、そしてその継承者の姓を意味し、こちらに関連する逸話もある。
URLリンク(note.com)
URLリンク(i.imgur.com)

40:日本@名無史さん
24/04/12 17:02:43.84 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
日本人の95%はシャベル型切歯の南方系

41:日本@名無史さん
24/04/12 17:04:45.65 .net
>>1
URLリンク(x.com)
o1b2も縄文人由来確定だろコレ

42:日本@名無史さん
24/04/12 17:25:05.80 .net
>>39-40
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ遺伝子wwww




黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!

赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。

それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
URLリンク(www3.mahoroba.ne.jp)



.

43:日本@名無史さん
24/04/12 17:36:02.14 .net
URLリンク(www.tapatalk.com)
これ翻訳して読んでみ。ガチでo1b2の故地と拡散が日本で確定っぽい。てかD1a2aより早く来てるかも。

44:日本@名無史さん
24/04/12 17:41:56.61 .net
URLリンク(i.imgur.com)

45:日本@名無史さん
24/04/12 17:43:13.18 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

46:日本@名無史さん
24/04/12 21:06:23.24 .net
>>39-40
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

URLリンク(ak-d.tripcdn.com)












.

47:日本@名無史さん
24/04/12 21:07:00.66 .net
>>39-40
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


URLリンク(stat.ameba.jp)








.

48:日本@名無史さん
24/04/12 21:07:42.70 .net
>>39-40
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑














URLリンク(j.people.com.cn)













.

49:日本@名無史さん
24/04/12 21:09:55.68 .net
遺伝学はルート探査にはほとんど使えない

例えば、九州1000体、西日本1000体、東日本1000体、北海道1000体というように全世界を500kmごとの間隔で1000体分のデータを現代から38000年前まで1000年ずつ過去にスライドしていくデータでもあれば信憑性もあるだろう

だが現代人100体分ほどのデータと数千〜数万年前の数体分のデータだけ、それも全世界のほんの一部だけで、全世界のほとんどの地域が現代人だけのデータだけという程度のものに一体何の信憑性があるというのか?

実際は現代から過去1000年以内のデータで99.9%以上のスッカスカでスッカスカのさっぱりデータに
なってないシロモノで日々逞しく妄想を膨らませているだけの、どこまでも空想の域を出ない単なる虚学のファンタジーなのである

50:日本@名無史さん
24/04/12 22:00:31.53 .net
縄文人もセロイヒト

51:日本@名無史さん
24/04/12 22:15:28.25 .net
3万年以上前の旧石器時代はな
地球全体でまだセロイひと、半セロイひとしか居なかった
ところが、3万年くらい前のシベリアの遺構で出土した人骨は
単なるコーカソイド人骨だったのである
我々モンゴロイドの祖先はイランあたりの中東の有色コーカソイドだったのである

52:日本@名無史さん
24/04/12 22:45:48.61 .net
>>49
科学はそもそも空想妄想ファンタジーだって知らなかったのかw

53:日本@名無史さん
24/04/12 22:48:05.61 .net
そこからなのかw

54:日本@名無史さん
24/04/12 22:48:19.54 .net
科学じゃなくて遺伝学な

55:日本@名無史さん
24/04/12 23:05:19.87 .net
縄文人はセロイひと。マニ族と同じ見た目

56:日本@名無史さん
24/04/12 23:46:20.66 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





A(A00~A3(側系統)) アフリカ。コイサン人種(カポイド)、ナイロテック亜人種(ナイル人)、コイサン諸語、ナイル・サハラ語族と関連。






.

57:日本@名無史さん
24/04/12 23:48:34.42 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





BT
B アフリカ。ネグリロ人種(ピグミー)、ハヅァ族と関連。






.

58:日本@名無史さん
24/04/12 23:52:10.58 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム




CT
DE(YAP遺伝子)
D
D1a1 チベット、チベット系民族に多い。
D1a2a 主に日本で検出され、アイヌと沖縄本島南部(島尻)に特に多い。日本国外では、韓国で平均2%ほどの男性に見られるほか、ミクロネシア、ティモール島、中国(東北部、北京等)でも散発的に検出された例がある。縄文人に由来すると推定される。





.

59:日本@名無史さん
24/04/12 23:54:03.18 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





E アフリカ、中東。E1b1aはサハラ砂漠以南のアフリカ、メラノ・アフリカ人種(コンゴイド)、バントゥー系民族等のニジェール・コンゴ語族、E1b1bは北アフリカ、アラビア半島、エジプト民族(東部ハム人種)等、アフロ・アジア語族と関連。






.

60:日本@名無史さん
24/04/12 23:56:14.27 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





C
C1
C1a1 日本固有。現代日本人の5%~6%ほどの男性に見られる。縄文人に由来すると推定されているが、縄文時代の人骨から検出された例は未だに発表されていない。青谷上寺地遺跡の弥生時代の人骨や高松茶臼山古墳に埋葬された人骨から検出された例はある。






.

61:日本@名無史さん
24/04/12 23:58:49.02 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





C1a2 ヨーロッパ、北アフリカ、アルメニア、ネパール、カビル人(ベルベル人又は北部ハム人種)などでわずかに見られる。クロマニョン人。
C1b2 オセアニア。C1b2aはニューギニア島先住民(パプア人又はパプア亜人種)、C1b2bはオーストラリア先住民(アボリジニ又はオーストラリア人種)と関連。






.

62:日本@名無史さん
24/04/13 00:01:19.14 .net
オホーツク人をロシア語で検索すると全身が猿の猿人の写真が出て来て

その姿がウポポイにあるアイヌと同じ顔 姿です

オホーツクの猿人がアイヌであり

オホーツク人とは別種です

63:日本@名無史さん
24/04/13 00:01:53.44 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





C2 カザフステップ、モンゴル高原、シベリア、極東ロシア、北アメリカで高頻度に見られカザフ人(ツラン人種又はトゥラン人種)、ブリヤート人、エヴェンキ等のアルタイ諸語、コリャーク人、ニヴフ等の古シベリア諸語(古層シベリア人種)、アパッチ族等のナ・デネ語族(北太平洋インディアン又はアリューシャン人種)と関連。中国華北、朝鮮半島では中頻度で見られる。中国華南、日本、ベトナム、タイ族などでも低頻度で見られる。






.

64:日本@名無史さん
24/04/13 00:03:38.79 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





F
F* 南アジアに見られる。F2 中国南西部のラフ族や彝族に見られる。その他ベトナム、タイ等東南アジアにも少し見られる。
G コーカサスで多く、ヨーロッパでも少し見られる。ジョージア人(地中海人種)に見られる。






.

65:日本@名無史さん
24/04/13 00:05:04.18 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





H 南アジア。ドラヴィダ人(ドラヴィダ人種又はメラノ・ヒンドゥ)、ロマに多い。ドラヴィダ語族と関連。
I ヨーロッパで多く見られる。クロマニョン人。I1は北欧、北方人種、I2はバルカン半島、ディナール人種と関連。
J 中東、紅海・地中海沿岸。J1はアラビア半島、南東人種(アラブ人)、J2はアナトリア半島、アナトリア人種(アルメノイド)と関連。






.

66:日本@名無史さん
24/04/13 00:06:13.57 .net
そもそもアイヌは、オホーツクにいた猿人で
縄文人とは違います
人の姿に容姿を変えたいために
色々な国の色々な民族と混血をしてきた
人になりたいために

67:日本@名無史さん
24/04/13 00:06:42.46 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





K
K* ニューギニア島に多く見られるほか、オーストラリア大陸など。東南アジアでも少数だが見られる。
L 南アジア。ブルショー人に見られる。
T 南アジア、中東、東アフリカ、ヨーロッパ。ソマリ人(エチオピア人種)に見られる。
MS 海域東南アジア、オセアニア、特にニューギニア島で多く見られる。アエタ族(ネグリト人種)に多い。






.

68:日本@名無史さん
24/04/13 00:07:59.65 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





NO
N 北ユーラシアに広く分布する、ウラル語族と関連。N1a1は主にウラル山脈以西、フィン人、エストニア人、サーミ人(ラップ人種)などのフィン・ウゴル語派、N1a2はウラル山脈以東、ネネツ人などのサモエード語派と関連。現代の中国、ベトナム、北朝鮮・韓国、日本などでも低頻度に見られるが、古代人骨から得られたデータを考慮すれば新石器時代から青銅器時代にかけて中国東部(山東省)及び北部(遼寧省、内蒙古自治区)に於いて主要なハプログループであった模様。






.

69:日本@名無史さん
24/04/13 00:09:29.84 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O
O1
O1a 中国東南部、台湾島(とりわけ台湾原住民)、海域東南アジア(フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール等)で多く、アドミラルティ諸島やマジュロなどでも10~30%程見られる。オーストロネシア語族と関連。インドシナ半島、中国のその他の地域、韓国、日本、北アジア、中央アジアでも低い頻度に見られる(英語版)。






.

70:日本@名無史さん
24/04/13 00:10:58.66 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O1b O1b1は中国南部、インドシナ半島、インドネシア、インド北東部、ニコバル人、ションペン人、ムンダ族に特に多い。オーストロアジア語族との関連が想定されているが、漢族や日本人に比較的多く見られる下位系統も現存している。






.

71:日本@名無史さん
24/04/13 00:11:49.38 .net
アイヌは黒人のオンゲ族とオーストラリアの原住民の混血が純血種で
17世紀に純血種は絶滅しました
毛深い毛人はいなくなり
人になりました

72:日本@名無史さん
24/04/13 00:12:45.47 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O1b2は日本人、朝鮮民族に多く(約30%)、満州族、ナナイ、ダウール族、蒙古族、漢族等にも少数見られる。ベトナムやミクロネシアで散発的に観察された例もある。下本山岩陰遺跡や青谷上寺地遺跡で発見された弥生時代の人骨から検出されたことがある。O1b1とO1b2の最も近い共通祖先は三万年以上前にも遡ると推定されている。






.

73:日本@名無史さん
24/04/13 00:14:20.38 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O2 中国大陸、朝鮮半島、台湾島、漢民族、朝鮮民族、タイ人、ビルマ族、ヤオ族、シェ族、キン族に多い。日本人にも15%~20%程見られる。シナ・チベット語族、ミャオ・ヤオ語族と関連。石川県金沢市観法寺町にある岩出横穴墓から出土した古墳人一体の遺骨に見られたハプログループO2a2b1a1a1a4a1-CTS5308は東アジア全体で比較的多く見られるO-M117のサブクレードではあるが、O-CTS5308は特にチベット人に多く見られるタイプである。






.

74:日本@名無史さん
24/04/13 00:15:50.31 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





P
Q アメリカ大陸。エスキモー人種を含めたアメリカ先住民(アメリンド人種)に非常に多い。ケット人などシベリアの一部でも見られる。






.

75:日本@名無史さん
24/04/13 00:17:00.47 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





R
R1a 東ヨーロッパ、北インド、中央アジアに多く、西ユーラシア全域で見られる。東ヨーロッパ人種、インド・アフガン人種(インド・アーリア人、イラン系民族)、インド・ヨーロッパ語族サテム語と関連。
R1b 西ヨーロッパに特に多く、ヨーロッパ全域で一般的に見られる。アルプス人種、特にケルト人やバスク人に多い。インド・ヨーロッパ語族ケントゥム語と関連。






.

76:日本@名無史さん
24/04/13 00:18:43.29 .net
アイヌは、黒い原人で毛人で猿人で不潔であったのに
それを誤魔化すために
半島ルーツのそれも衛氏朝鮮 中国王朝が
支配する従属国朝鮮をバカにし
縄文人こそが 日本人であるとし
大陸のルーツに罵詈雑言を浴びせ
多くの人を苦しめました

77:日本@名無史さん
24/04/13 00:22:48.39 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム




拡散ルート
Y染色体ハプログループの世界拡散を表す想定地図
崎谷満は人類のY染色体ハプログループが出アフリカ後にイラン付近を起点にして南ルート、北ルート、西ルートの3ルートで拡散したとしている[2][3]。なお、見かけによって人類を分類する人種と父系先祖からのみ遺伝されるY染色体は根本的に異なる概念であり、混同することは甚だしく不合理である。
非出アフリカ…A、B、E、D2
南ルート…C1a1、C1b2、D1、F*、K*、MS、H、L
北ルート…C2、NO、P
西ルート…C1a2、I、J、G、T





.

78:日本@名無史さん
24/04/13 00:24:19.26 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム



一方で2020年に発表されたハラストらの系統発生学的手法による古代および現代の非アフリカ人Y染色体のサンプルを用いた分析によると、7万年-5万5千年前に起きた基層となるD系統、C系統、F系統の遺伝子を持つ集団の出アフリカに続いて、新しい移民を除く全ての非アフリカ人男性のY染色体の系統は5万5千年-5万年前に東アジア/東南アジアから拡散したことを示しているとし、この基層となった系統は速やかにユーラシア全体にわたって拡散し、後に東南アジアで多様な系統に分岐し、それから約5万5千年-5万年前に西に向かって拡散し、先住民のY染色体系統と置き換わったとしている[4]。





.

79:日本@名無史さん
24/04/13 00:25:57.97 .net
アイヌはまた 弥生時代 飛鳥時代と続く
日本の文化の否定 
猿人から人間にというアイヌのコンプレックスを
関係のない人々に八つ当たりし
怪しい企みがあるのではと
疑われる言動を繰り返していました

80:日本@名無史さん
24/04/13 00:28:37.05 .net
アイヌや縄文人を白人と勘違いしてる人が多すぎる

81:日本@名無史さん
24/04/13 00:30:42.65 .net
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

82:日本@名無史さん
24/04/13 00:32:14.24 .net
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

83:日本@名無史さん
24/04/13 00:33:34.81 .net
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑







URLリンク(j.people.com.cn)






.

84:日本@名無史さん
24/04/13 00:33:35.23 .net
関係のない中国大陸の人々が
アイヌの猿人から人間へのコンプレックスを
持つアイヌに、土人と言われ なぜ私が俺が状態でした
アイヌはアイヌ自身が人に進化しなければ生きていけない
苦渋を抱えていて、八つ当たりしてただけです
アイヌの苦渋は他の人には関係ないです

85:日本@名無史さん
24/04/13 00:37:05.99 .net
ハプログループD1a2a (Y染色体)
ハプログループD-M55 (Y染色体)(ハプログループD-M55 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup D-M55 (Y chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類のうち、ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、Z3660の子孫の系統である。今より四万年ほど前に日本列島で誕生したとされる[4]。現存する下位系統の最も近い共通祖先は今より二万年ほど前にさかのぼるとされ、現在日本人の3割ないし4割[5]が属している。同じZ3660のサブクレードとしては現代のアンダマン諸島に居住するオンゲ族及びジャラワ族にみられるY34637がある。
ISOGGでの名称
2006年   ハプログループD2
2014年5月 ハプログループD1b (D1,D2,D3→D1a,D1b,D1c)
2019年6月 ハプログループD1a2 (D1a,D1c→D1a1a,D1a1b D1b→D1a2)
2020年4月 ハプログループD1a2a (D1a2,D1a3→D1a2a,D1a2b)

86:日本@名無史さん
24/04/13 00:37:14.13 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
アボリジニに似てるな
縄文人はどう見てもセロイひと

87:日本@名無史さん
24/04/13 00:39:40.00 .net
ハプログループD1a2a (Y染色体)
ハプログループD-M55 (Y染色体)(ハプログループD-M55 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup D-M55 (Y chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類のうち、ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、Z3660の子孫の系統である。今より四万年ほど前に日本列島で誕生したとされる[4]。現存する下位系統の最も近い共通祖先は今より二万年ほど前にさかのぼるとされ、現在日本人の3割ないし4割[5]が属している。同じZ3660のサブクレードとしては現代のアンダマン諸島に居住するオンゲ族及びジャラワ族にみられるY34637がある。
ISOGGでの名称
2006年 ハプログループD2
2014年5月 ハプログループD1b (D1,D2,D3→D1a,D1b,D1c)
2019年6月 ハプログループD1a2 (D1a,D1c→D1a1a,D1a1b D1b→D1a2)
2020年4月 ハプログループD1a2a (D1a2,D1a3→D1a2a,D1a2b)

88:日本@名無史さん
24/04/13 00:40:38.51 .net
ハプログループD1a2a(D-M55)は、主に日本列島で観察される。日本人の約32%[6] - 39%[7]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[8]もこれに属する。ハプログループD1a2aは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[9]。
本系統と兄弟グループのD1a2b(Y34637)はアンダマン諸島南部(オンゲ族、ジャラワ族)でサンプル数は少ないものの100%[10][11]を占める。 なお、本系統と他のハプログループDのサブクレードとは概ね5万3千年以上[12]の隔絶があり、他のハプログループと比べてサブクレード間でも近縁とは言えず、親グループ間並の時間的距離がある。

89:日本@名無史さん
24/04/13 00:41:11.37 .net
gm遺伝子見てみろ
沖縄すらまったくセロくないだろうがヴァカ

90:日本@名無史さん
24/04/13 00:42:28.72 .net
歴史
現生人類の誕生後、Y染色体アダムから発生した、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループの中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じたが、その子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[13](一方で、ハプログループDEはアジアで発祥したという異説もある[14][15])。
ハプログループDの子系統D1,D2のうち、D1[16]は、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、現生人類としては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したと推定される。

91:日本@名無史さん
24/04/13 00:42:36.33 .net
URLリンク(i.imgur.com)
田園洞人より中国人から離れてる日本人

92:日本@名無史さん
24/04/13 00:43:32.09 .net
ハプログループD1のうち、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1a1であり、東進して日本列島に至ったのがハプログループD1a2aである。日本列島は海洋資源に恵まれ、温暖であったため、繁栄したと考えられる[17]。
アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2aが誕生した」とする説を唱えた[18]。崎谷満はハプログループD1a2が華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1a2aが誕生したとしている[19]。

93:日本@名無史さん
24/04/13 00:46:09.37 .net
各地における頻度
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や南九州及び沖縄に多い。
青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%(25/45)(Hammer et al. 2006[18])
アイヌ:87.5%(Tajima et al. 2004[20])
また、国外では韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国などで低頻度にみられる。
ミクロネシア: 5.9%(1/17; Hammer et al. 2006[18])
韓国: 4.0% (3/75; Hammer et al. 2006[18])、1.58%(8/506[21])
西ティモール: 0.2%(1/497; Tumonggor et al. 2014[22])
中国: 0.02%[23]、北京漢族1.96%(1/51)[21]

94:日本@名無史さん
24/04/13 00:50:55.52 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





A(A00~A3(側系統)) アフリカ。コイサン人種(カポイド)、ナイロテック亜人種(ナイル人)、コイサン諸語、ナイル・サハラ語族と関連。






.

95:日本@名無史さん
24/04/13 00:51:24.77 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





BT
B アフリカ。ネグリロ人種(ピグミー)、ハヅァ族と関連。






.

96:日本@名無史さん
24/04/13 07:50:28.75 .net
稲作は稲作渡来民がやって来て伝わった
ここからもうすでに間違っている
じゃあ小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?
ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?
モモ作はモモ作渡来民が来たのか?
来ている訳がない
実際、最古稲作遺構の菜畑遺跡には渡来人が入植した痕跡はない

97:日本@名無史さん
24/04/13 07:52:03.09 .net
青森の砂沢遺跡では前7C頃の水田遺構で中部地方や関東地方よりも
先に稲作が始まっていた
搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から入植した痕跡が
ないため、九州北部との交流を通じて稲作を取り入れて自ら稲作を始めたものと
見られる
けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ
交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから外来人の入植痕跡がない
朝鮮半島の稲作も同じだろう
交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから外来人の入植痕遺構がない
遼東半島の稲作も同じだろう
交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話
だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない
稲作渡来民なんて幻想
そんなものは存在しない

98:日本@名無史さん
24/04/13 08:11:53.73 .net
けっきょく、だから、という接続詞の前後に理論的つながりがない駄文。
>搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から入植した痕跡が
ないため、
搬入された遠賀川式土器が数点見つかっていて、
稲作が新規開始されているのだから、
九州北部から入植した痕跡そのものだろう。

>交流していた遼東半島から稲作を
該当時期の稲作根拠なし。
>交流していた山東半島から稲作を
該当時期の稲作根拠なし。
>交流していた朝鮮南部から稲作を
ほぼ同時期に対馬海峡南北端で稲作が始まっており、
北部九州倭人による新規稲作開始と考えられる。

99:日本@名無史さん
24/04/13 08:24:26.47 .net
何となくフンイキで言われても重みがないんすわ

100:日本@名無史さん
24/04/13 08:45:31.47 .net
>>98
何でわざわざ稲作に向かない青森に九州北部から入植するんだよ馬鹿(嘲笑
入植するなら近場にもっと稲作に向いた良い場所がいくらでもあるだろうが
それに入植したなら遠賀川式土器を1世紀くらいは作るだろうが
そういった形跡もない
だから現地人が九州北部から稲作を取り入れて自ら始めただけの遺構だと分かる

101:日本@名無史さん
24/04/13 08:52:41.04 .net
>>98
これがおまえの国な(嘲笑




URLリンク(youtube.com)




.

102:日本@名無史さん
24/04/13 08:52:45.37 .net
>>100
稲作で人口が増えたけど、鉄器が無いから開墾可能地域が限られる。
新たな土地を求めて分家していったんだろ。
>それに入植したなら遠賀川式土器を1世紀くらいは作るだろうが
なんで?
現地人と交わった結果かもしれんだろ。

103:日本@名無史さん
24/04/13 08:54:16.33 .net
>>102
これがおまえの国な(嘲笑




URLリンク(youtube.com)




.

104:日本@名無史さん
24/04/13 09:04:20.01 .net
>>103
議論で負けて、論点ずらしとは見苦しい。

105:日本@名無史さん
24/04/13 09:20:20.32 .net
>>104
じゃあ小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?
ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?
モモ作はモモ作渡来民が来たのか?
来ている訳がない
稲作渡来民なんてただの幻想
稲作取入れ民ならいるがな(嘲笑

106:日本@名無史さん
24/04/13 09:49:24.11 .net
>>105
ほらね論点ずらししかできない。
稲作渡来民なんて来てないよ。
稲作は縄文時代からやっていた。
来たのは浙南石棚墓からのごく少数漂着者だけ。
養蚕と水田を伝えた。

107:日本@名無史さん
24/04/13 10:14:36.07 .net
水稲と陸稲は全く違う

108:日本@名無史さん
24/04/13 10:15:55.10 .net
>>106
そんな中卒ギャグ飛ばしてる考古学専攻学者なんかいない

菜畑遺跡より前の稲作遺構はないから縄文稲作はないし、
支石墓の取り入れと養蚕の開始では年代が600年くらい違う

全て朝鮮南部から取り入れただけな

よろしいか願望創作チンク

109:日本@名無史さん
24/04/13 10:20:46.88 .net
>>108
縄文時代から陸稲はやってたよ。

>菜畑遺跡より前の稲作遺構はないから
だから朝鮮半島から学んだというのも間違い。
浙南石棚墓からのごく少数漂着者が水田を伝えた。

>支石墓の取り入れと養蚕の開始では年代が600年くらい違う
絹は残りにくいから、最古のものが前3世紀しか検出されていないだけ。

>全て朝鮮南部から取り入れただけな
支石墓は日本のが500年ほど早い。
養蚕も日本の方が古い上に四眠蚕と三眠蚕で全然ちがう。

悪いけどあんたは完全に負け筋。
シニガイ文化の功績は認める。

110:日本@名無史さん
24/04/13 10:24:42.83 .net
>>96
ミレット農耕は普通に渡来民が持ち込んだから、キミの演繹推論は前提が間違うと辻褄が合わなくなるってのをまさに体現してる
遺伝学への言及も同じ
アフリカ人とアジア人を同一視してる時点で要素の理解が足りない

111:日本@名無史さん
24/04/13 10:26:01.74 .net
シニガイ文化って現代まで残ってるのはあるの?
信仰していた神とか神話なんかで

112:日本@名無史さん
24/04/13 10:42:18.14 .net
>>109
じゃあ縄文稲作遺構とその縄文イネの現物(稲籾、籾殻、炭化米)を
見せてみろ

浙南石棚墓なんて中卒ギャグ飛ばしてる日本の考古学専攻学者など一切いない

それが事実なら菜畑遺跡から中国系土器と石スキが出土するはずだし、
支石墓周辺から中国系土器が出土するはずだろ

特に炊飯器であり墓の副葬品である陶鼎は出まくりだろ

前7Cから甕棺墓時代なんだから絹があれば甕棺墓から出土があるわな

養蚕は前2C頃に半島から取り入れただけ

支石墓が半島より500年ほど早いのは、こちらの弥生開始年代繰上げ修正に
あちらが追いついてないからで、修正以前は全て日本の方が後だ馬鹿チンク

113:日本@名無史さん
24/04/13 10:44:54.88 .net
おもろい。好きだもっとやれ

114:日本@名無史さん
24/04/13 10:49:40.04 .net
>>110
で、渡来人が来たという証拠は?

で、渡来人がイネや雑穀を持ち込んだという証拠は?

115:日本@名無史さん
24/04/13 11:06:39.28 .net
小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?
ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?
モモ作はモモ作渡来民が来たのか?
何が稲作渡来民だよ
超ウケるwwwwwwwwww

116:日本@名無史さん
24/04/13 11:10:22.91 .net
シニガイ文化って現代まで残ってるのはあるの?
信仰していた神とか神話なんかで

117:日本@名無史さん
24/04/13 11:16:11.33 .net
D1a2aが雑穀農耕をしたので、それで父系として
日本列島を圧倒できたって見方もある
かといってそれは縄文後半に入ってからのことなので
D1a2aが縄文後半の渡来でない限りは
雑穀農耕自体も縄文人が自主的に始めたことになるよ
生活痕からしたらその可能性しかないし
縄文後半に渡来して縄文人を北から南まで
遺伝的に均質にしてくのは時間的に無理

118:日本@名無史さん
24/04/13 11:21:43.57 .net
縄文人と弥生人(弥生人倭人説)
スンダランド(今のインドネシア辺り)にいた人類→縄文土器を作る→南方の島々から約1万5千年前に鹿児島南端に辿り着く→日本列島最初の縄文人
スンダランドにいた人類→東南アジア沿岸から長江河口まで移動し漁業を営む倭人になる→近隣のミャオ族などの少数民族(稲作開発者)の影響で半農半漁民になる →黄河流域の漢民族の勢力拡大に圧迫されて、船で中国沿岸部を北上→朝鮮半島の西岸を船で南下→朝鮮半島南岸から対馬に渡る→青銅器を携えて約3千年前に九州北部に辿り着く→日本列島最初の弥生人
縄文人と弥生人がゆっくり時間をかけて(約500年間)平和的に統合
→国家成立前に日本人の原型が形作られる
稲作による疫病を恐れた縄文人のグループ→弥生人と交わらずに北上→オホーツク沿岸部の文化の影響を受ける→鎌倉時代にアイヌと呼ばれる文化になる
ちなみにゾミア(東南~インド中国の丘陵地帯)にも漢民族の圧迫から避難したミャオ族などの少数民族が混在していたからか、日本人とチベット人は似ているw
結論
縄文人と弥生人は日本に来た時期こそ違いはあるものの、ルーツは同じスンダランド系なのでお互いに文化的遺伝的な親近感があり、大規模な戦争やジェノサイドが起こらなかったのが重要なポイント。

119:日本@名無史さん
24/04/13 11:22:08.54 .net
1.考古学、遺伝学、文字で書かれた史料、現存する文化習俗など全てにおいて、外来勢力が在来勢力に対して大規模戦争したりジェノサイドして日本列島を征服した痕跡がどの時代にも一切ないこと。
2.日本書紀は今のモンゴル辺りで誕生して朝鮮半島経由で入って来た天孫降臨神話(タカミムスヒ)と縄文・弥生期以来の神話(イザナギ・イザナミ~アマテラス・スサノオ~オオクニヌシ)の二元構造になっており、高句麗の王権神話が天孫降臨神話一元構造なのとは対照的である。8世紀になっても依然として強かった縄文文化の濃厚な勢力への配慮が日本書紀の編纂に大きな影響を与えたと考えられること。
3.日本では7世紀まで父系出自集団は存在しないのは古代史の定説になっているので、父系制=血統主義の部族が日本にやって来たとしても、以後は双系性になり血統の連続性は絶たれてしまっていること。
4.古今東西どの部族にも何らかのインセストタブーがあり、他部族と交わらずに近親婚を繰り返しての人口増加や勢力拡大が困難なこと。
5.紀元前の日本にまだ文字がない頃に中国では既に代数の初歩レベルまで到達。そして江戸時代の関孝和の和算は当時世界最先端の数学。
つまり文明度でようやく日本が中国に追いついたのは江戸時代なので、江戸時代までの文化の伝播の方向性はほぼ中国→日本だったこと。
6.朝鮮半島から対馬は肉眼で見えるほど距離が近くて容易に行けて、対馬には日本神道の原型祭祀と思われる神社が多いこと。
7.日本列島は自然に恵まれ食料が豊富な上に、大陸と距離が離れており日本海も海流が速いので、攻め手側が圧倒的に不利な天然の軍事要塞に等しいこと。また渡来人も国家の圧迫から逃れて来た避難民や王朝交代時の政治亡命者や難民であり、予め征服の強い意志を持ち計画的に日本に侵略して来たのは元寇が最初だったと推測されること。

120:日本@名無史さん
24/04/13 11:22:25.88 .net
以上の7点から渡来人は入って来たけど、大規模な戦争で征服したのではなく、主に婚姻を通じてゆっくり時間をかけて対等な立場で平和的に縄文人と統合したと考えられる。
その渡来人は元々長江河口に住んでいた半農半漁民だった倭人。漢民族の勢力拡大の圧迫により、中国海岸と朝鮮半島海岸を船で移動した(強敵のいないこのルートにならざるを得なかった)。当時は平均寿命は短かったので、日本列島に到着する頃には何世代もの世代交代が進んで、中国沿岸部や朝鮮半島沿岸部の文化や遺伝子が混交し、長江河口に住んでいた頃よりかなり雑多な部族になっていた。
その倭人は日本列島で約500年かけて平和的に縄文人と統合するが、統合後でも元倭人の社会が形を変えて朝鮮半島に残っていたので、その人的ネットワークを通じて仏教や律令制度などを比較的スムーズに日本に持って来ることが出来た。

121:日本@名無史さん
24/04/13 11:22:48.95 .net
日本には7世紀までは父系出自集団が存在しないのは日本古代史の定説になっているので、早くても8世紀以降、現実には名実ともに父系制に日本がなったのは平安中期頃だろう。その時代に血統を強く意識した文学作品、源氏物語も生まれた。
それ以前の日本は双系制とみて良い。
というのも仏教伝来以前の日本の宗教は呪術であり、呪術の力こそが王権の正統性になっていたからだ。
ところが3~4世紀頃にモンゴル原産で朝鮮半島経由で入って来たある思想が日本列島に大衝撃を与えた。
天孫降臨神話、父系制、血統主義のセットである。
後に崇神天皇と呼ばれるヤマトの崇神大王はその先進性に衝撃を受けて父系制を導入した。
しかし当時はまだ呪術の力が大変強くて理念倒れとなり、仏教が伝来して呪術の効力が低下し始めてから、徐々に父系制が日本列島に浸透していった。
だから古墳時代の数世紀は王権の正統性が呪術から血統主義に移った不安定な過渡期と考えられる。
まあ日本特殊な事があるとしたら、弥生人でも古墳時代からの渡来人でも、在来勢力と大規模戦争して征服した痕跡が全くない事だね。
おそらく日本に来た連中は、当時国家の圧迫から逃れて来た避難民や中国、朝鮮半島の王朝交代時に発生した政治亡命者や難民などの烏合の衆がメイン。だから征服される事なく、先進技術や文字文化だけを上手いこと摂取する事ができた。
それと縄文人は弥生人よりも1万年以上前に日本列島に来たアドバンテージがあった。それは日本各地の聖地を最初に支配出来たこと。聖地とは世俗的な力が及びにくい場所。地形や自然環境に左右されるので、かなり限りがある。地形や自然環境などは100年200年で変わるものではないので、縄文時代の聖地がそのまま古墳時代の聖地にもなっていただろうし、埋め立てなどで地形が変化した場所以外は現代でも大体一緒。少なくとも仏教伝来までは呪術に王権の正統性があったので、有力な聖地を支配していた縄文人は、先進技術では渡来人に劣るものの、呪術の力で上回っていた事で優位に立てた。
仏教が伝来すると縄文人の聖地に寺を建てるんだよね、本地垂迹とか言ってね。それ以降の日本の宗教は神仏習合という形が歴史的に一番長くなる。でも寺院の立派な本殿よりも隅っこにいる稲荷の様な神様の方が遥かに古くから日本にいる。

122:日本@名無史さん
24/04/13 11:23:05.48 .net
記紀神話自体は大昔には世界各地に似たようなものがいくらでもありふれていた。むしろ記紀神話の特殊性は記紀神話を編纂出来た事に尽きる。
あの当時でも縄文弥生期くらいの古い神話を継承している人たちは、淘汰されるか辺境にしか居なくなったからね。
でも日本では政治の中枢に強い影響力のある地方豪族がそれらの古い神話を継承していた。それで縄文弥生期以来の既に土着化していた神話を大量に取り入れる必要性が生じた。
ところがそれらの人たちの一部は中世後半になってくると、被差別民というネガティブな存在になっちゃう。
だが地域差がかなり激しくて縄文文化が濃厚だった東日本では近畿に比べて極端に少なく、鎌倉時代では皇族が移り住んでた鎌倉の一区画にしか被差別民はいなかった。
東北にはほとんどいなかったし、明治になって日本に組み込まれた北海道沖縄ではゼロ。
それに日本文化のメインストリームに縄文文化ががっちり組み込まれてたおかげで、20世紀に日本が先進国になっても縄文的感性は失われてはいなかった。
あえて飛躍するがアニメやゲームのキャラ、ゆるキャラ、萌えキャラなんかはそれこそ縄文時代の土偶を現代人の美意識に合わせてバージョンアップした様なもの。クリエイター個人の
才能だけでは説明できないほど現代日本で量産されている。
実際に外国人にはなかなかこういうキャラは作れない。欧米人だけでなくアジア人も不思議なほど作れない。
つまり縄文文化は日本の文化の古層を形成しているのである。

123:日本@名無史さん
24/04/13 11:23:28.02 .net
弥生人とされる倭人は筏船を住居にしていたので、建築に関する知識には乏しかった。そして筏船は解体すると丸太しか残らないので、遺跡として残らない。
また船上のスペースは限られているので根っからのミニマリスト。必要最低限のものしか持たない。
彼らにとってどうしても手放せないもの、信仰する神様や祭祀、神話、水田稲作、漁業、青銅器に関するもの以外はアッサリ捨てた。
彼らは水田稲作だけでなく、漁業にも大変優れていた。長江流域で発達した鵜飼の技術で鮎などの傷つきやすい魚を捕獲出来たし、潜水漁法で水中深くにいる魚や海藻、貝類も捕獲出来た。また水田養魚もやっていた。普通の漁業法では採りにくい魚介類も多かったので、食料にして余ったものは現地人と物々交換し、服や食器など生活必需品を比較的容易に入手した。
それに長江河口から直に日本列島に来た訳ではない。漢民族の圧迫を受けてじわじわと中国沿岸を北上し、朝鮮半島西岸を南下。何世代かかけて日本にやって来たので、漢服や鼎などの文化はその途上の何処かで失われた、と思われる。

124:日本@名無史さん
24/04/13 11:23:44.37 .net
倭人は水田稲作と太陽と海(航海と漁業)に深い繋がりがある。
倭人の最初の上陸地である対馬の阿連村の雷鳴神社のオヒデリ様や豆酘村に伝わる赤米儀礼と天童信仰は太陽や水田稲作に深く関連しているし、記紀神話でアマテラス女神の子とされている沖ノ島の宗像三女神も海路交通の守り神。
一口に倭人と言っても中国大陸内陸部に入っていき国家を形成した倭人は海との関連性が薄いが、日本に渡来してきた倭人はガチの海洋民。更に日本に渡来してきた倭人の中でも普通の倭人と特に航海技術に長けていた倭人グループがいて、後者がムナカタ(宗像)、スミヨシ(住吉)、アヅミ(安曇)の3グループ。
倭人アヅミ族の北部九州の初期の拠点が糟屋郡の新宮と志賀島。後の政治的事情から律令制後に国家神皇祖神に格上げされたアマテラス大神も、その頃はまだ倭人の多神教世界観の中の単なるいち太陽神に過ぎず、弥生期にはヒルメもしくはオオヒルメと呼ばれて、太陽の化身と太陽神を祀る巫女の両方の意味を持っていた、とされている。

125:日本@名無史さん
24/04/13 11:24:02.77 .net
ムナカタとスミヨシは日本と大陸や半島間のヒトやモノの運輸に携わる職能集団だが、アヅミは半農半漁の生活集団だった。普通の倭人やムナカタ、スミヨシが海岸沿岸部を居住地にしていたのに対して、アヅミは日本海側と太平洋側の両方の海岸線から、川を遡って日本列島の内陸部までに広がって行った。 
アヅミという名前は海(アマ)に住む→アマスミ→アヅミに変化したと思われ、アヅミの居住地だった場所は安曇、安積、温海、渥美、熱海、弥富、泉、和泉、出水、飯泉、稲積、出海、伊豆見など日本各地に地名として残っていった。アヅミは「稲を高く積み上げた」という意味をもつ「穂積」「穂高見」という神様を信仰していたが、「ワダツミ(綿津見、海神)」という海神も信仰しており、ワダツミ神を祀った神社は内陸部にも沢山見つかる。またワダツミから和田という広く知られた地名苗字が発生。

126:日本@名無史さん
24/04/13 11:24:19.58 .net
水田稲作と太陽神と海洋性文化は日本では古くから極めて深い結びつきがある。水田稲作をやっていた部族、太陽神を信仰していた部族、海洋性の部族がそれぞれ別々に日本に渡来して日本で融合したと考えるよりも、水田稲作と太陽神と海洋性文化のワンセットを長江河口を原郷とした倭人が朝鮮半島を経由して日本に伝えた、と考えるのが妥当だろう。
紀元前1000~500年の500年間は倭人と縄文人がお互いと妥協に妥協を重ねて政治的な統合を成し遂げた平和な時代で、大規模戦争どころか局地戦の痕跡すら発見されていない。日本文化=和を重んじる文化が自然発生的に出現したと考えにくいので、この時代を出発点として歴史的和解から人工的に作られた、と思われる。とは言ってもこの時期の和を重んじる文化圏は範囲が狭くて効力も弱い無意識の文化圏だったが、長い時間をかけてゆっくり日本列島全域に浸透していった。ヤマトという言葉は元々は山の処という一般名称であったが、それが地域名となり、更に大いなる和=大和という平和を愛する理念にも次第になっていった。

127:日本@名無史さん
24/04/13 11:36:43.88 .net
ジャッキーチェンみたいな白セロい顔を見ても
あんなのと同じだと思うわけ?
それとも沿岸州のような寒々しいところではなく
豊かな中国大陸から来たストーリーを好むのか?

128:日本@名無史さん
24/04/13 11:48:28.00 .net
遺伝的は縄文人が混じってるから

129:日本@名無史さん
24/04/13 11:49:55.33 .net
縄文人も北アジアから来たんですケド

130:日本@名無史さん
24/04/13 11:56:27.06 .net
小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?
ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?
ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?
モモ作はモモ作渡来民が来たのか?
何が稲作渡来民だよ
超ウケるwwwwwwwwww

131:日本@名無史さん
24/04/13 11:56:32.55 .net
よく見てね。アイヌもウチナーンチュも全然セロくないの
そしてシニガイ人も、弥生早期には居た
「大陸系の人たち(ただし土器は在来)」もセロくなかったネ
URLリンク(www3.mahoroba.ne.jp)

132:日本@名無史さん
24/04/13 11:59:14.86 .net
顔はセロイだろうが(嘲笑

133:日本@名無史さん
24/04/13 11:59:36.51 .net
>>118-126
で、渡来人が来たという証拠は?
で、渡来人がイネや雑穀を持ち込んだという証拠は?

134:日本@名無史さん
24/04/13 12:04:29.33 .net
【悲報】ウチナーンチュはセロい

135:日本@名無史さん
24/04/13 12:23:38.03 .net
セロイってどういう意味?

136:日本@名無史さん
24/04/13 12:24:53.67 .net
ピリピーノみたいな顔ネお兄さん

137:日本@名無史さん
24/04/13 12:31:57.85 .net
>>118-126
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

138:日本@名無史さん
24/04/13 12:32:34.97 .net
>>118-126
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

139:日本@名無史さん
24/04/13 12:33:12.43 .net
>>118-126
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑







URLリンク(j.people.com.cn)






.

140:日本@名無史さん
24/04/13 12:34:24.41 .net
>>133
ごく少人数の漂着渡来、から逃げ回る敗残者。
稲のb系統は、朝鮮半島には無く、日本列島の主流。
ニホンヤモリは、浙南石棚墓と同時期同じ場所に渡来。(3000年前の福江島

141:日本@名無史さん
24/04/13 12:35:09.51 .net
フィリピン人みたいに混血児だらけってことかな?
日本人も縄文人と渡来人の混血児だから、そんなに外れてはいないと思うけど

142:日本@名無史さん
24/04/13 12:38:07.23 .net
天動説や地球平面説と話している気分だわ
NHK(教皇庁)が誤りを認めてオーソライズしない限り
庶民はいつまでも信じてる

143:日本@名無史さん
24/04/13 12:41:40.30 .net
Qアノンもそうだが末端といくら話しても埒があかない
胴元が撃ち方やめーと言うまで止まらん

144:日本@名無史さん
24/04/13 12:53:23.57 .net
今現在、日本は大韓民国と北朝鮮に侵略行為を受けている
だから「政治家に立候補する時、帰化朝鮮人の家系の人間か否かを公表する」を提出して過半の賛成を取って立法化しよう。
新聞、テレビ局、出版社が帰化朝鮮人の家系の人間に乗っ取られているから大変な騒ぎになるだろう。それでいいじゃないか、それが狙いよ。 
帰化朝鮮人たちに日本人のふりをされてこのまま緩やかなホロコーストに向かうなら、戦った方がまし。奴らがやっているのは緩い民族虐殺。隣国を侵略して
いいという国際法はない、差別を盾に奴らがやっているのは、隣国侵略行為そのものだろ?
帰化人たちが暴動やら起こすと日本は荒廃の一途を辿る、夜道も歩けないぐらいに。。。内戦状態になるだろう
でもそこでようやく海外の人間たちにも伝わるはずだ、日本が朝鮮人に乗っ取られて見る影もなくなっていると、やつらが日本で隣国侵略行為をしているのかと。。
自衛隊の機能も衰退しているはずだから中国だって武力で侵攻してくるかもしれん。
日本は一度灰燼に帰すだろう。
だがこのまま帰化人に日本人に成りすまされて、日本人が日本の国で迫害されて、過半を帰化人に占められるよりよっぽどましだ、
時間はあまりない、やつらが過半数を確保してからでは遅い。合法的に侵略行為が完了してしまう
戦おう 
何度も言う、大韓民国と北朝鮮という隣国に侵略行為を受け、日本人が朝鮮人に支配されるのはどう考えてもおかしい

145:日本@名無史さん
24/04/13 12:54:58.94 .net
>>140
現代の朝鮮イネにはbはないが3000年以上前の朝鮮イネにはbがあったという
トリックがどうかしたのか、南支那のブタの入ったセロイひと(嘲笑
浙南石棚墓が支石墓のルーツだと中卒ギャグを飛ばしてる日本の
考古学専攻学者は一切いないな

で、渡来人が来たという証拠は?

で、渡来人がイネや雑穀を持ち込んだという証拠は?

.

146:日本@名無史さん
24/04/13 12:57:16.67 .net
半島の支石墓は北から来とるよ

147:日本@名無史さん
24/04/13 13:07:26.75 .net
シニガイ文化って現代まで残ってるのはあるの?
信仰していた神とか神話なんかで

148:日本@名無史さん
24/04/13 13:18:11.27 .net
>>144
中国が抜けている
やり直し

149:日本@名無史さん
24/04/13 13:23:53.99 .net
>>145
形質に関わるDNA配列部分ではないので、bだけ選んで除去することは不可能。
少数漂着者がやってきた、という証拠は既に複数挙げた。
で、あんたの繰り返す鼎やらなんやらは、
浙南石棚墓からの少数漂着がなかった、という証拠にはならない。

150:日本@名無史さん
24/04/13 13:59:30.75 .net
>>149
だから現代の朝鮮イネにはbはないが3000年以上前の朝鮮イネにはbがあったという
トリックがどうかしたのか、南支那のブタの入ったセロイひと(嘲笑
衣食住に関する人間生活の痕跡がさっぱりない願望創作なんかは
渡来した証拠にはならないね
やり直し


で、渡来人が来たという証拠は?

で、渡来人がイネや雑穀を持ち込んだという証拠は?

.

151:日本@名無史さん
24/04/13 14:41:00.86 .net
シニガイ文化って現代まで残ってるのはあるの?
信仰していた神とか神話なんかで

152:日本@名無史さん
24/04/13 15:20:46.96 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





A(A00~A3(側系統)) アフリカ。コイサン人種(カポイド)、ナイロテック亜人種(ナイル人)、コイサン諸語、ナイル・サハラ語族と関連。






.

153:日本@名無史さん
24/04/13 15:21:11.55 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





BT
B アフリカ。ネグリロ人種(ピグミー)、ハヅァ族と関連。






.

154:日本@名無史さん
24/04/13 15:23:16.25 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム




CT
DE(YAP遺伝子)
D
D1a1 チベット、チベット系民族に多い。
D1a2a 主に日本で検出され、アイヌと沖縄本島南部(島尻)に特に多い。日本国外では、韓国で平均2%ほどの男性に見られるほか、ミクロネシア、ティモール島、中国(東北部、北京等)でも散発的に検出された例がある。縄文人に由来すると推定される。





.

155:日本@名無史さん
24/04/13 15:23:39.46 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





E アフリカ、中東。E1b1aはサハラ砂漠以南のアフリカ、メラノ・アフリカ人種(コンゴイド)、バントゥー系民族等のニジェール・コンゴ語族、E1b1bは北アフリカ、アラビア半島、エジプト民族(東部ハム人種)等、アフロ・アジア語族と関連。






.

156:日本@名無史さん
24/04/13 15:25:14.67 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





C
C1
C1a1 日本固有。現代日本人の5%~6%ほどの男性に見られる。縄文人に由来すると推定されているが、縄文時代の人骨から検出された例は未だに発表されていない。青谷上寺地遺跡の弥生時代の人骨や高松茶臼山古墳に埋葬された人骨から検出された例はある。






.

157:日本@名無史さん
24/04/13 15:25:44.51 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





C1a2 ヨーロッパ、北アフリカ、アルメニア、ネパール、カビル人(ベルベル人又は北部ハム人種)などでわずかに見られる。クロマニョン人。
C1b2 オセアニア。C1b2aはニューギニア島先住民(パプア人又はパプア亜人種)、C1b2bはオーストラリア先住民(アボリジニ又はオーストラリア人種)と関連。






.
0062日本@名無史さん

158:日本@名無史さん
24/04/13 15:27:13.30 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





C2 カザフステップ、モンゴル高原、シベリア、極東ロシア、北アメリカで高頻度に見られカザフ人(ツラン人種又はトゥラン人種)、ブリヤート人、エヴェンキ等のアルタイ諸語、コリャーク人、ニヴフ等の古シベリア諸語(古層シベリア人種)、アパッチ族等のナ・デネ語族(北太平洋インディアン又はアリューシャン人種)と関連。中国華北、朝鮮半島では中頻度で見られる。中国華南、日本、ベトナム、タイ族などでも低頻度で見られる。






.

159:日本@名無史さん
24/04/13 15:27:43.79 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





F
F* 南アジアに見られる。F2 中国南西部のラフ族や彝族に見られる。その他ベトナム、タイ等東南アジアにも少し見られる。
G コーカサスで多く、ヨーロッパでも少し見られる。ジョージア人(地中海人種)に見られる。






.

160:日本@名無史さん
24/04/13 15:29:18.41 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





H 南アジア。ドラヴィダ人(ドラヴィダ人種又はメラノ・ヒンドゥ)、ロマに多い。ドラヴィダ語族と関連。
I ヨーロッパで多く見られる。クロマニョン人。I1は北欧、北方人種、I2はバルカン半島、ディナール人種と関連。
J 中東、紅海・地中海沿岸。J1はアラビア半島、南東人種(アラブ人)、J2はアナトリア半島、アナトリア人種(アルメノイド)と関連。






.

161:日本@名無史さん
24/04/13 15:29:47.36 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





K
K* ニューギニア島に多く見られるほか、オーストラリア大陸など。東南アジアでも少数だが見られる。
L 南アジア。ブルショー人に見られる。
T 南アジア、中東、東アフリカ、ヨーロッパ。ソマリ人(エチオピア人種)に見られる。
MS 海域東南アジア、オセアニア、特にニューギニア島で多く見られる。アエタ族(ネグリト人種)に多い。






.

162:日本@名無史さん
24/04/13 15:31:10.85 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





NO
N 北ユーラシアに広く分布する、ウラル語族と関連。N1a1は主にウラル山脈以西、フィン人、エストニア人、サーミ人(ラップ人種)などのフィン・ウゴル語派、N1a2はウラル山脈以東、ネネツ人などのサモエード語派と関連。現代の中国、ベトナム、北朝鮮・韓国、日本などでも低頻度に見られるが、古代人骨から得られたデータを考慮すれば新石器時代から青銅器時代にかけて中国東部(山東省)及び北部(遼寧省、内蒙古自治区)に於いて主要なハプログループであった模様。






.

163:日本@名無史さん
24/04/13 15:31:38.17 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O
O1
O1a 中国東南部、台湾島(とりわけ台湾原住民)、海域東南アジア(フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール等)で多く、アドミラルティ諸島やマジュロなどでも10~30%程見られる。オーストロネシア語族と関連。インドシナ半島、中国のその他の地域、韓国、日本、北アジア、中央アジアでも低い頻度に見られる(英語版)。






.

164:日本@名無史さん
24/04/13 15:33:17.75 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O1b
O1b1は中国南部、インドシナ半島、インドネシア、インド北東部、ニコバル人、ションペン人、ムンダ族に特に多い。オーストロアジア語族との関連が想定されているが、漢族や日本人に比較的多く見られる下位系統も現存している。






.

165:日本@名無史さん
24/04/13 15:33:44.67 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O1b2は日本人、朝鮮民族に多く(約30%)、満州族、ナナイ、ダウール族、蒙古族、漢族等にも少数見られる。ベトナムやミクロネシアで散発的に観察された例もある。下本山岩陰遺跡や青谷上寺地遺跡で発見された弥生時代の人骨から検出されたことがある。O1b1とO1b2の最も近い共通祖先は三万年以上前にも遡ると推定されている。






.

166:日本@名無史さん
24/04/13 15:35:11.97 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





O2 中国大陸、朝鮮半島、台湾島、漢民族、朝鮮民族、タイ人、ビルマ族、ヤオ族、シェ族、キン族に多い。日本人にも15%~20%程見られる。シナ・チベット語族、ミャオ・ヤオ語族と関連。石川県金沢市観法寺町にある岩出横穴墓から出土した古墳人一体の遺骨に見られたハプログループO2a2b1a1a1a4a1-CTS5308は東アジア全体で比較的多く見られるO-M117のサブクレードではあるが、O-CTS5308は特にチベット人に多く見られるタイプである。






.

167:日本@名無史さん
24/04/13 15:35:39.79 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





P
Q アメリカ大陸。エスキモー人種を含めたアメリカ先住民(アメリンド人種)に非常に多い。ケット人などシベリアの一部でも見られる。






.

168:日本@名無史さん
24/04/13 15:37:10.06 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム





R
R1a 東ヨーロッパ、北インド、中央アジアに多く、西ユーラシア全域で見られる。東ヨーロッパ人種、インド・アフガン人種(インド・アーリア人、イラン系民族)、インド・ヨーロッパ語族サテム語と関連。
R1b 西ヨーロッパに特に多く、ヨーロッパ全域で一般的に見られる。アルプス人種、特にケルト人やバスク人に多い。インド・ヨーロッパ語族ケントゥム語と関連。






.

169:日本@名無史さん
24/04/13 15:37:38.90 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム




拡散ルート
Y染色体ハプログループの世界拡散を表す想定地図
崎谷満は人類のY染色体ハプログループが出アフリカ後にイラン付近を起点にして南ルート、北ルート、西ルートの3ルートで拡散したとしている[2][3]。なお、見かけによって人類を分類する人種と父系先祖からのみ遺伝されるY染色体は根本的に異なる概念であり、混同することは甚だしく不合理である。
非出アフリカ…A、B、E、D2
南ルート…C1a1、C1b2、D1、F*、K*、MS、H、L
北ルート…C2、NO、P
西ルート…C1a2、I、J、G、T





.

170:日本@名無史さん
24/04/13 15:39:22.12 .net
一塩基多型と人種の関係
Y染色体アダム



一方で2020年に発表されたハラストらの系統発生学的手法による古代および現代の非アフリカ人Y染色体のサンプルを用いた分析によると、7万年-5万5千年前に起きた基層となるD系統、C系統、F系統の遺伝子を持つ集団の出アフリカに続いて、新しい移民を除く全ての非アフリカ人男性のY染色体の系統は5万5千年-5万年前に東アジア/東南アジアから拡散したことを示しているとし、この基層となった系統は速やかにユーラシア全体にわたって拡散し、後に東南アジアで多様な系統に分岐し、それから約5万5千年-5万年前に西に向かって拡散し、先住民のY染色体系統と置き換わったとしている[4]。





.

171:日本@名無史さん
24/04/13 15:39:54.39 .net
ハプログループD1a2a (Y染色体)
ハプログループD-M55 (Y染色体)(ハプログループD-M55 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup D-M55 (Y chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類のうち、ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、Z3660の子孫の系統である。今より四万年ほど前に日本列島で誕生したとされる[4]。現存する下位系統の最も近い共通祖先は今より二万年ほど前にさかのぼるとされ、現在日本人の3割ないし4割[5]が属している。同じZ3660のサブクレードとしては現代のアンダマン諸島に居住するオンゲ族及びジャラワ族にみられるY34637がある。
ISOGGでの名称
2006年 ハプログループD2
2014年5月 ハプログループD1b (D1,D2,D3→D1a,D1b,D1c)
2019年6月 ハプログループD1a2 (D1a,D1c→D1a1a,D1a1b D1b→D1a2)
2020年4月 ハプログループD1a2a (D1a2,D1a3→D1a2a,D1a2b)

172:日本@名無史さん
24/04/13 15:41:12.29 .net
ハプログループD1a2a(D-M55)は、主に日本列島で観察される。日本人の約32%[6] - 39%[7]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[8]もこれに属する。ハプログループD1a2aは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[9]。
本系統と兄弟グループのD1a2b(Y34637)はアンダマン諸島南部(オンゲ族、ジャラワ族)でサンプル数は少ないものの100%[10][11]を占める。 なお、本系統と他のハプログループDのサブクレードとは概ね5万3千年以上[12]の隔絶があり、他のハプログループと比べてサブクレード間でも近縁とは言えず、親グループ間並の時間的距離がある。

173:日本@名無史さん
24/04/13 15:41:27.73 .net
3万年前に分岐したO1b1とO1b2を分けずに、O1bまでで話をする奴は詐欺師
これこの板の常識なw

174:日本@名無史さん
24/04/13 15:41:52.03 .net
歴史
現生人類の誕生後、Y染色体アダムから発生した、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループの中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じたが、その子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[13](一方で、ハプログループDEはアジアで発祥したという異説もある[14][15])。
ハプログループDの子系統D1,D2のうち、D1[16]は、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、現生人類としては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したと推定される。

175:日本@名無史さん
24/04/13 15:43:34.98 .net
>>174
北上してない

176:日本@名無史さん
24/04/13 15:45:09.09 .net
ハプログループD1のうち、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1a1であり、東進して日本列島に至ったのがハプログループD1a2aである。日本列島は海洋資源に恵まれ、温暖であったため、繁栄したと考えられる[17]。
アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2aが誕生した」とする説を唱えた[18]。崎谷満はハプログループD1a2が華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1a2aが誕生したとしている[19]。

177:日本@名無史さん
24/04/13 15:45:10.62 .net
>D1a2b(Y34637)はアンダマン諸島南部(オンゲ族、ジャラワ族)
写真見たらわかる
同じ緯度で海岸線沿いに東進したんだよ
D1a2aはスンダランド経由、南回りだ

178:日本@名無史さん
24/04/13 15:45:35.05 .net
各地における頻度
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や南九州及び沖縄に多い。
青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%(25/45)(Hammer et al. 2006[18])
アイヌ:87.5%(Tajima et al. 2004[20])
また、国外では韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国などで低頻度にみられる。
ミクロネシア: 5.9%(1/17; Hammer et al. 2006[18])
韓国: 4.0% (3/75; Hammer et al. 2006[18])、1.58%(8/506[21])
西ティモール: 0.2%(1/497; Tumonggor et al. 2014[22])
中国: 0.02%[23]、北京漢族1.96%(1/51)[21]

179:日本@名無史さん
24/04/13 15:47:56.66 .net
東日本縄文人やアイヌはD1a2a2
本土日本人はD1a2a1
1万5千年前に分岐してるから、文化集団としては別物だな。
(D1a2a1は西日本縄文人か?)

180:日本@名無史さん
24/04/13 15:51:20.02 .net
以上を要約すると、
3000年前に、長江流域から浙南石棚墓人がごく少人数漂着渡来して、縄文集落に救助された。
イネb系統
水田
ニホンヤモリ
支石墓
甕棺墓
四眠蚕養蚕
などなどをもたらして、
縄文人と結婚して、縄文住居で暮らして、縄文土器で生活して、
養蚕の普及に生涯をかけて尽力して、
最後は生前に準備しておいた支石墓に縄文屈葬で縄文土器と一緒に葬られましたとさ。

181:日本@名無史さん
24/04/13 15:56:05.06 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
URLリンク(fieldnote.info)

原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。
源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。
東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。

182:日本@名無史さん
24/04/13 15:57:01.94 .net
 さらにこの地域の先住民例を見ると,台湾のアミ族やタイヤル族,海南島のリ族が,
140〜150cm台の比較的長い丸木ないし竹製のI類弓を使用している。
フィリピン〜南太平洋島嶼群のI類弓
 さらに南下すると,フィリピンからタヒチまで,
太平洋の島嶼伝いにはるか東へとのびる,I類弓の広大な分布域を認めることができる。
 この地域では,180cm〜190cm台あるいはそれ以上の長さに達するような,
長大なI類弓が主体である。フィリピンのネグリート族は,原始和弓と同じ弓幹に
樋と巻を施した長弓と,三叉族を付した長大な矢で,漁労に使用する(Krieger1926)。

183:日本@名無史さん
24/04/13 15:59:07.55 .net
 インド洋沿岸のI類弓
フィリピンから東へ向かっては,分布の希薄なインドシナ半島を跨ぐようにして,
インド洋東岸へI類弓の分布が広がる。
 インドネシアのメンタワイ族,スリランカのヴェッダ族などの弓が代表的なものである。
南太平洋の島嶼群と同様,180cm〜190cm台あるいはそれ以上の長さに達する
長大なI類弓が主体である。
 なお,アンダマン諸島のグレート・アンダマン族は,彼らの身長をはるかに越える,
180cm以上の長大な木製の弓を用いることで知られる(Brown1906)。

184:日本@名無史さん
24/04/13 16:01:42.03 .net
 後藤守一は、弓幹の長さと形態によって弓を分類した(後藤 1928)。
弓のうち「長さ2m 位のもの」を長弓、「長さ1m 内外のもの」を短弓と称し、
弦をはずした時に弓幹がほぼまっすぐで、弦を張るとほぼ同じ曲率で曲がるものを直弓、
弓幹の中央が弦に向かって逆に反った弓字形になるものを彎弓と称した。
そして、多くの場合に長弓は直弓、彎弓は短弓であるとの見方を示している。
朝鮮半島南部では紀元前1世紀に,跨湖橋遺跡の弓に類似した漆塗り長大弓が出現する。
 朝鮮半島南端部では,日本の弥生時代に相当する原三国時代に,
原始和弓に匹敵する長大なI類弓が確認されている。
紀元前1世紀中頃の慶尚南道昌原市茶戸里1号木棺墓(国立中央博物館2012),
2世紀前半頃の金海良洞里21号木槨墓(図4–25・国立金海博物館2012)出土例である。

185:日本@名無史さん
24/04/13 16:03:26.31 .net
 縄文時代の弓に長弓と短弓があることは、近年の発掘で明らかになってきた。
長弓の例として、莉内遺跡・寿能遺跡などの例があり、短弓の例として、
埼玉県伊奈氏屋敷跡遺跡例などがある。
 さらに小型弓と呼んでいる、発火弓、穿孔弓と考えられる木製品を確認されているが、
これは、仕掛け弓としても用いられたのかもしれない。
弓の全体形は上長下短で、握りの部分は弓幹の下よりにくるものが多い。
 縄文時代の丸木弓は、長弓が多い。
しかし、北海道忍路土場遺跡では、 1m 以下の短弓が大量に残っており、
縄文の弓は時期や地域毎に異なった姿があったらしい。

186:日本@名無史さん
24/04/13 16:07:08.76 .net
>東南アジア周辺にすむ海の遊牧民で水深20mの海中を歩きながら漁をする。
それに脾臓が肥大化し10分近く潜水できると言うから驚く、一般人は2分ほど。
ミャンマーのモーケン族、
フィリピン、マレーシア、インドネシアの島々に暮らす先住民「バジャウ(Bajau)族」
そして沖縄の海人(うみんちゅ) 沖縄の方言で、本来はアマと読みます。
海に潜って貝類や海藻を採集したり追い込み漁を職業人という意味です。

187:日本@名無史さん
24/04/13 16:09:45.63 .net
>このサイトの写真に有る弓の握りが倭人伝にある「上長下短の木弓」の位置で、
銅鐸の弓絵と同じ弥生人の握り。 現在も和弓では、この握り位置で射る。
4万年前からの縄文人祖先たちと同じ漁をするため海洋民の文化なんだろう。
ジャラワ人(ジャラワ族)とアンダマン人〜
Y染色体ハプログループD1a2bとオンガン語族〜
URLリンク(oreranitsuite.com)
第二次大戦時に英軍を追い出し日本軍に占領されたのも、何かの因縁だろな。

188:日本@名無史さん
24/04/13 16:11:12.63 .net
>これらは東南アジア・スンダランドから主食の魚貝類が取れる波打ち際を北上し
東シナ海平原から九州島に上陸した。波打ち際は今では海中で遺跡が残らないので残念。
途中途中に丸木舟の刳り抜きよう丸ノミ形石斧の、原形を工夫し完成形へと磨かれた。
東南アジア諸島には丸木舟を作る丸ノミ形に似た円筒型石斧が使われてる。
そして沖縄方面に丸ノミ形石斧を持参し鹿児島から逆南下して行き、
台湾周辺からの北上グループと合流したんだろう3万年前ころに、
縄文人の航海能力には驚かされる。

189:日本@名無史さん
24/04/13 16:13:58.10 .net
刃部磨製石斧・局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)とは、
石器全面ではなく刃部(刃先部分)のみに磨き(研磨)をかけた磨製石斧の1種である。
日本列島では約4~3万年前の後期旧石器時代初頭に登場した。
>この石斧が日本全国から出土して世界最古と云われてる物がオーストラリアからも、
 ベトナムハノイ周辺では1.2万年前ころから出現するが全体的に新しく不思議。
中国、朝鮮では新石器時代(1万年前)からしか全面磨製石器が出て来ない。

190:日本@名無史さん
24/04/13 16:16:16.52 .net
旧石器時代から局部磨製石斧とか
東アジアでは日本と時代は少し下るがベトナム周辺から発見さるから
ベトナムから香港がある珠江の上流、柳江がベトナム国境付近で
この一帯は百越人の活動範囲で縄文土器に似た紋様の土器などがある
前々からこの地域と縄文人、倭人たちと関係があるんではと思ってた地域で納得。
地元にある柳江人や越人像が今の日本人そっくりでビックリする
越人像
URLリンク(ja.wikipedia.org)
柳江人
URLリンク(k.sina.cn)

それに比べて日本の教科書にある弥生人モデルの朝鮮顔なのにはガッカリするけどな。

191:日本@名無史さん
24/04/13 16:17:22.69 .net
越人ってこう言う風貌してたんだろな。まんま正座した日本人だけど。
越人像
URLリンク(ja.wikipedia.org)
柳江人
URLリンク(k.sina.cn)

192:日本@名無史さん
24/04/13 16:22:18.93 .net
>この母系 ハプログループM7a (mtDNA) は
(約2万-1万年前)には沖縄(23%)で発見されており北海道アイヌ(16%)の
主体であるD系縄文人祖先と共に移動した家族と思われ、日本固有のDNAと云われてる。
起源
約4万年以上前に誕生したアジア最大の母系グループである「インドM」型から
分岐したM7よりのグループで、約2万5000年前に「スンダランド」で誕生し沿岸部を、
北上して東シナ海平原より日本列島(九州・沖縄2方面)に到達した系統にあたるとする。
なお母系 M7aの姉妹グループは何れも東南アジア方面で
「M7b」は中国南部内陸へ移動し分布を広げ、
「M7c」はフィリピン、インドネシアなど島嶼部に分布を広げた。

193:日本@名無史さん
24/04/13 16:24:42.03 .net
「ホアビン文化」
東南アジアの中石器または新石器時代初期の文化。
1920年代にフランスの考古学者 M.コラニが
ベトナム北部のホアビン地方の洞窟遺跡で発見した石器類によって命名。
インドシナ,タイ,マレー,スマトラなどに分布する。礫器,握斧,スクレーパー,
短石斧などがあり,片面加工のものが多い。のちになると(局部磨製)の石斧が増し,
バクソンとの関係が考えられる土器はない。
「バクソン文化」
ベトナム北部,ハノイ北東約100kmに位置するバクソンBac Son山地の,
多数の石灰岩洞窟遺跡から発見された遺物を指標とする文化。
1920年代にH.マンシュイやM.コラニらによって調査され,中石器時代または
新石器時代初期の文化とされる。打製の礫器などはホアビン文化と類似するが,
(局部磨製石斧)や両面加工のものが,ホアビンに比して多いのが特徴である。
ほかに骨角器や,それを砥いだと思われる溝石などがある。

194:日本@名無史さん
24/04/13 16:29:19.18 .net
>どうも東南アジアの中石器時代遺跡には、
局部磨製石斧・刃部磨製石器石器の刃部を研ぐ溝石、不定形の剥片石器など、
日本と共通する丸ノミ形石斧と類似の円筒石斧が特に海岸沿いの遺跡から発見される。
恐らく丸木舟つくりの刳り抜き道具なんだろう。 丸木舟は波打ち際でしか作れない。

栫ノ原型丸ノミ形石斧は、
後の時代のものではあるが、フィリピンやグアムなど東南アジアから、
太平洋の島々に分布する円筒石斧と呼ばれる丸木舟製作の石製工具にも酷似する。

195:日本@名無史さん
24/04/13 16:31:12.56 .net
 東南アジアから太平洋の島々に分布する島嶼には円筒石斧というのが見つかる。
「ボルネオ島の磨製石斧-円筒石斧から方角石斧への一考察-」
ブルネイの周辺、ニア洞窟同6000年から4000年円筒形石斧が見つかった
そしてパプア系は円筒石斧、後来のオーストロネシア系は方角石斧や
つまり、円筒石斧とパプア諸語、有肩石斧とオーストロアジア語族、
方角石斧とオーストロネシア語族という具合である。

196:日本@名無史さん
24/04/13 16:34:24.69 .net
栫ノ原型丸ノミ石斧、玦状耳飾、栓型耳飾、赤漆髪飾くし、管玉、など
沖縄、奄美、種子島、鹿児島、の縄文遺跡から出土してるので
丸木舟での行き来交易は比較的簡単だったんだろ。

「丸ノミ型石斧」
12000年前(縄文時代草創期)の世界最古の「丸ノミ形石斧」で、
南さつま市加世田栫ノ原(かこいのはら)遺跡から発掘された。
そのほか沖縄本島北部、奄美大島、種子島、鹿児島、他九州島内、でも発掘されている。

197:日本@名無史さん
24/04/13 16:39:47.27 .net
>倭人伝に魏の使節が見た!!
倭人の風貌は直感的に海南島に住む民族と似てると感じた。
兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同
「兵は、矛、盾、木弓を用ひる。木弓は下を短かく、上を長くす。
竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃なり。有無する所は儋耳珠崖と同じくす。」
「儋耳珠崖」とは黎族・リー族が住む海南島、チベット語系、チワン・トン語派
前漢が南越国を滅ぼし紀元前110年(元封元年)、海南島に珠厓郡と儋耳郡が置かれた。

>中国漢代の史書論衡にあり、周の成王の時代(紀元前1000年頃)に
「越裳(ベトナムあたり)からは白いキジを献じ、倭人は鬯草(ちょうそう)を献じた」
 と記されています。鬯草とは神事に使う香草です。

198:日本@名無史さん
24/04/13 16:41:41.94 .net
>>180
南支那からイネと水田を伝えたなら自動的に中粒種のイネと石スキと陶鼎が伝わるし、
養蚕を伝えたなら自動的に袴(ズボン)のある漢服や布靴が伝わるだろが
中卒南支那ブタセロウ(嘲笑

199:日本@名無史さん
24/04/13 16:50:06.65 .net
木鍬ですけど
みんな木材製🪵

200:日本@名無史さん
24/04/13 16:50:43.48 .net
木刃

201:日本@名無史さん
24/04/13 16:56:07.43 .net
「 彼らはラピタ土器文化を持っていたから入植があれば日本にもラピタ土器が伝わってる
 ラピタ土器は台湾あたりの南支那の印文陶と酷似し、彼らのルーツを物語る 」

>ラピタ土器ではないが、中国南部、百越の土器や縄文土器、押形文土器に似た、
>エクアドルのバルディビア土器そっくりな、土器が宮崎県から発見されてる。
太平洋岸に面した宮崎市で、南米エクアドルのバルディビア土器とそっくりの
文様を持つ縄文土器群が発見されていた。
URLリンク(www.gondo.com)
宮崎市跡江貝塚遺跡は、公式には1万2000年前から7000年前の物とされているが、
発見者の日高氏によるとアカホヤ層(喜界島噴火による火山灰層)の直下まで、
土器が埋まっている事から、約6300年前の喜界島大噴火まで続いた土器文明であると言う。
この遺跡からは、なんと24種類もの文様の土器が発見されており、
文様の豊富さでは、九州随一だと言う。

202:日本@名無史さん
24/04/13 16:57:50.76 .net
>>114
プラントオパール
URLリンク(rekihaku.repo.nii.ac.jp)
あと人の遺伝的な共通項からも可能性が濃厚であるとして裏付けられる

203:日本@名無史さん
24/04/13 17:09:08.54 .net
>一般的に弥生時代になってからと云われる壺形土器が
 縄文時代早期の時代に南九州で、既に弥生土器のような趣がある不思議な土器。

 上野原台地の南東側に位置する区域の最も高い場所からは,
対で発見された壺形土器をはじめ11基の土器埋納遺構が見つかっています。
この場所で,マツリが行われたと考えられています。
URLリンク(www.jomon-no-mori.jp)

 一般的に弥生時代になってから使われるようになる壺形土器が,
5,000年以上もさかのぼる約7,500年前にすでにつくられていたことも明らかになりました。

 現在,上野原遺跡の成果から,同じ時期の壺形土器の出土例が増えつつあります。
約7,400年前の遺跡である城ケ尾遺跡(霧島市)からは,
埋納された壺形土器が,ほぼ完全な形で3個体出土していますが,
上野原遺跡のような「双子壺」(2つの壺形土器が並んで出土)の出土例を示す遺跡は,
まだありません。

204:日本@名無史さん
24/04/13 17:18:43.12 .net
>>180
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

URLリンク(ak-d.tripcdn.com)












.

205:日本@名無史さん
24/04/13 17:19:26.30 .net
>>180
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


URLリンク(stat.ameba.jp)








.

206:日本@名無史さん
24/04/13 17:20:08.90 .net
>>180
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑














URLリンク(j.people.com.cn)













.

207:日本@名無史さん
24/04/13 17:21:35.54 .net
>>180
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ顔面wwww






アー ハノイデスネー ミナミシナジンwwww






URLリンク(jump.5ch.net)




URLリンク(i.imgur.com)




URLリンク(i.imgur.com)





.

208:日本@名無史さん
24/04/13 17:58:44.52 .net
アイヌはプーチンに日本を攻撃しアイヌを助けてください
と手紙を送りそのせいで、2022年ロシア艦隊が津軽海峡に現れ
砲撃し、海に砲弾が落ちて、この時点でアイヌは外患誘致罪なわけで
アイヌ民族は死刑です 日本国民にこの事実を教えないで
人類歴史学をやってる場合じゃないんですよ
今日は尖閣諸島に中国海軍2502隻の艦艇隊が尖閣諸島に現れて
沖縄 九州はピンチです
ションベンで中国人をヘイトしてる場合じゃないしね


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch