邪馬台国畿内説 Part979at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part979 - 暇つぶし2ch1008:日本@名無史さん
24/01/13 04:32:55.18 .net
>なぜ箸墓を卑弥呼の墓にしたがる連中ばかりなのかw
九州説信者の間では箸墓が大きなトラウマになってるからな
「直径百歩」は漢文がマトモに読めない奴等の誤解だ。
径は歴代の科挙の試験で作詩の課題で正しい発音、押韻を示した
「韻書」に簡単に意味を解説したものに拠ると
説文解字
URLリンク(dict.variants.moe.edu.tw)
URLリンク(dict.variants.moe.edu.tw)
いずれも「歩道」、一に曰く、直(接)=directlyと書いてる。
孟子には「山徑」という使用例が有る。「直径」「半径」という概念は無い。
現代では「半径」という熟語の有るのに「直径」に限定するのは偏見、色眼鏡と云うしか無い。
間違った解釈してるから絶対に卑弥呼の「冢」は発見出来ないwww

1009:日本@名無史さん
24/01/13 04:55:02.58 .net
径100歩なら九州にあるよURLリンク(i.imgur.com)

1010:日本@名無史さん
24/01/13 05:08:15.91 .net
>>915
華南からの移民の子孫が多い南九州は、弥生中期から鉄器化しており、中国・呉とも交易してたハズ。
三角縁神獣鏡は呉の職人に作らせた、と言うの


1011:が通説。 神武東征3世紀後半で矛盾ない。



1012:日本@名無史さん
24/01/13 05:27:09.71 .net
ヤマト王権は邪馬台国とは無関係の国だろう。もし関係があったのなら記紀に記述しているはずだ。

1013:日本@名無史さん
24/01/13 06:01:38.72 .net
>>983
魏の人々にとって倭国は帯方郡の南にあるという認識
帯方郡から離れれば離れるほど南になる
狗奴国も倭国の南にあり
邪馬台国もそれまで列記されていた国々の南にあるということになる
現在の地理的情報をもとに語っても意味はない
重要なのはそこに至るまでの所要時間

1014:日本@名無史さん
24/01/13 06:02:37.19 .net
漢民族特有の道教方士と見られてる卑弥呼・台与が、畿内自生だとは到底、信じがたい。

1015:日本@名無史さん
24/01/13 06:25:19.83 .net
つまり九州説はウソ

1016:日本@名無史さん
24/01/13 06:34:43.39 .net
畿内説はオレオレ詐欺

1017:日本@名無史さん
24/01/13 06:40:22.00 .net
卑弥呼の冢は絶対見つからないからアキラメロンw

1018:日本@名無史さん
24/01/13 06:42:22.00 .net
>>992
親戚の田んぼの中にある方墳が卑弥呼の墓かもしれん

1019:日本@名無史さん
24/01/13 06:50:43.41 .net
邪馬台国は伊都国の南にあり、狗奴国の北だと魏志倭人伝は書く
伊都国が筑前怡土であったことは畿内説も認める通説だ

狗奴国がどこか、だが、肥後には隈本(後に熊本)、隈部、隈荘、隈府、託麻、球磨など「クマ」のつく地名が多く、また狗奴国の官の狗古智卑狗は熊本県北部の久々知(菊池の旧名)から久々知彦だと考えられ、狗奴国は肥後にあったと推定される
具体的な有力遺跡として山鹿の方保田東原遺跡がある

邪馬台国は筑前の南で肥後の北にあったとすると、邪馬台国は筑後山門(プラス隣接する肥後山門=肥後国菊池郡山門郷)であった可能性が高い
筑前から筑後への当時のルートは御笠川→宝満川→筑後川の水行だったと考えられるが、そうすると山門の手前に妻(上妻・下妻)すなわち投馬国もある

邪馬台国と狗奴国の間の菊池川流域には鉄鏃が大量に出土し、両国の間に激しい戦いがあったことを示唆する

邪馬台国が筑後だとすれば、卑弥呼が女王として治めた倭国は筑紫の地方勢力ということになる

魏志倭人伝に倭国の東には海を渡った倭種の国々があったと書かれていること(本州・四国に比定される)、倭国の西の記述がないこと(北部九州の西は東シナ海)などとも整合する

帯方郡から邪馬台国まで一万二千里、帯方郡から伊都国まで一万五百里すなわち伊都国から邪馬台国まで千五百里(魏志韓伝・倭人伝の一里換算で凡そ100km)と距離感もぴったりだ

北部九州説は、魏志倭人伝の方角、距離を何ら読み替えることなく実際の地理と綺麗に整合する
畿内説含め邪馬台国候補地でこのような地域は他に存在しない

1020:日本@名無史さん
24/01/13 07:02:05.20 .net
以下の魏志倭人伝の記述は、全て北部九州説に強くポジティブで畿内説に強くネガティブだ

・邪馬台国(狭義の女王国)は帯方郡から一万二千里かつ伊都国から千五百里
※魏志韓伝/倭人伝の一里は70~80m程度
・周旋五千里
・伊都国/不弥国から南に邪馬台国
・邪馬台国の南に軍事的に拮抗した狗奴国で、その官に狗古智卑狗(肥後菊地の旧名久々知彦?)
・東に海を千里渡ると倭種の国
・宮室・楼観・城柵
・絹・養蚕
・有棺無槨の墓制
・倭地温暖(裸足、冬でも生野菜)

そして畿内大和に特徴的な前方後円墳や銅鐸の記述は一切ない

実際、纒向をいくら調査しても宮室・楼観・城柵の跡は出て来ず(一部の畿内説学者が宮殿跡と主張する建物跡はあるが、柱があまりに浅く細


1021:く、かつ短期で取り壊されているので客観的・常識的には女王の宮殿などではあり得ない)、大陸と交流した痕跡(銅鏡・鉄器・楽浪土器・硯など)もびっくりするほど何も出て来ない 魏志倭人伝に描かれた倭人のクニの様子とは似ても似つかない纒向が邪馬台国であった可能性は限りなくゼロに近い これで畿内説などという珍説が一体どこから出てくるのか、私には全く理解不能だ



1022:日本@名無史さん
24/01/13 07:27:29.25 .net
>>995
1月の奈良の平均気温は、最高9度、最低-1度
福岡は最高9度、最低2度
福岡でも奈良でも冬に生野菜は食べられない
これは倭国について書かれた竹簡ではない

1023:日本@名無史さん
24/01/13 07:29:41.85 .net
①まず「女王国(九州)東渡海千里、複有国皆倭種(本州:銅鐸王大国主)、又有侏儒国(四国:少彦名)在其南、去女王四千里」から九州が確定。
②次に「其南有狗奴国、不属女王。官 狗古智卑狗、男王 卑弥弓呼(熊本県・菊地平野)」から、【女王国=筑紫平野】であることまでは読み取れます。
さらに「卑弥呼、事【鬼道】能惑衆、以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食伝辞出入。居處宮室、樓觀城柵嚴設、常有人持兵守衞」は吉野ヶ里そのもので、【鬼道】は鬼籍に入った歴代倭王(死者)の霊を呼び出すイタコと解釈すれば、主祭殿3階(屋根裏部屋)の祖霊を祀る祈祷室(最高所)はまさに(天と鬼=歴代倭王のお告げの声を聴く)巫女の卑弥呼にピッタリです!
なお、投馬国からの「南水行十日陸行一月」は呉の背後、つまり「会稽東冶(帯方郡から12,000里)の東(の海上)にあり」とするための方便(嘘)だとすると辻褄が合いますよ。
◆魏志倭人伝の蛇足=投馬国⇔邪馬台国「南水行十日陸行一月」(呉の背後)
末盧国↘伊都国↘奴国→不弥国(九州北岸-福岡平野)
...↑▲▲脊振山地▲▲.....↓
女王国(筑紫-日田-中津)↓〜複有国皆倭種(本州・銅鐸王大国主✖畿内説)
...↓...........【豊後水道】↓〜〜〜↓
狗奴国(菊池+熊本)......↓〜又有「侏儒国」在其南(四国・少彦名)
......................投馬国(宮崎平野)
............................↓※蛇足「南水行十日陸行一月(嘘)」
会稽東冶〜〜〜幻の邪馬台国(帯方郡から12,000里)※架空の女王国

1024:日本@名無史さん
24/01/13 07:34:02.44 .net
>>996
帯方郡使は今のソウルないしピョンヤンから来ている
彼らからは南にあって海に近い北部九州倭国(おそらく伊都国に滞在した)はずいぶん温暖に感じたはずだ
(東の倭種のクニである奈良は盆地で北部九州よりも寒い)
倭人が冬に何らかの野菜を生で食べていたことをわざわざ創作する意味もなく事実を記録したのだろう

1025:日本@名無史さん
24/01/13 07:37:53.03 .net
生菜は生野菜だけでなく、さしみや馬刺しみたいに火を通さずに生で食べるおかず全般のこと

1026:日本@名無史さん
24/01/13 07:58:19.77 .net
温暖な黒潮太平洋沿岸地域では、菜の花が真っ盛り。   @阿波

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