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熊本県球磨郡免田地方の地名にちなんだ弥生時代中期末~古墳時代前期の土器。1918年ころ免田町(現,あさぎり町)本目の源が屋敷(げんがやしき)(本目遺跡という)一帯の畑を水田にするため地下げしたところ,数十~100個余りの完形土器が発見されたという。なかでも多くの長頸壺の胴部に重弧文(じゆうこもん)の文様が描かれていたところから,重弧文土器と呼ばれていた。37年に源が屋敷から発見された鋸歯文の長頸壺と瓢形(ひさごがた)土器の2個は重要文化財になっている。免田式土器の古い形式は胴部が〈く〉の字状に折れ重弧文を,新しい形式は丸みをもった胴部に鋸歯文を描き,底部はともに丸底である。壺のほか甕,鉢,高坏などの土器や蛤刃状の石斧,石庖丁などを伴い,免田町馬立原(またてばる)の市房隠(いちふさかくれ)遺跡では,小型の支石墓に免田式土器が伴った。免田式土器は免田地方など球磨川流域を中心に,熊本県南部に広く分布し,北は佐賀平野から南は沖縄本島まで及ぶ。