邪馬台国畿内説 Part979at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part979 - 暇つぶし2ch100:日本@名無史さん
24/01/09 19:47:46.45 .net
邪馬台国論争については諸説あり過ぎて何とも言えませんが、大和朝廷の成立時期ならある程度絞り込む事が可能。雄略~平成天皇までの106人の平均在位期間は14.7年。古い時代に遡れば遡るほど天皇の在位期間は短くなる傾向にあり、神武~(神功皇后摂政)~安康天皇までの21人の平均在位期間はせいぜい10年ぐらいで、大和朝廷成立時期は3世紀中盤頃でしょう

101:日本@名無史さん
24/01/09 19:49:03.29 .net
狗奴国の背後に孫呉がいたとすると、卑弥呼と男弟は魏帝に対して「我が国を支援しないと、倭国は呉の領土になってしまいますよ!」と半ば脅して朝貢したのかも

それを聞いた曹叡は急遽金印「親魏倭王」や特注の「銅(魏)鏡百枚(✖千枚w)」を下賜し、邪馬台国を破格の待遇で迎えたのであろう

ちょうどウクライナのゼレンスキー大統領のようにw

102:日本@名無史さん
24/01/09 19:49:29.33 .net
・漢委奴国王(漢のイト国王の時代)
・帥升の時代(これも倭奴ではなく、多分金印から察するに委奴イト)
・超大型内行花文鏡イトジョオウ時代

伊都国には代々王がいるというのは本当だ

103:日本@名無史さん
24/01/09 19:49:44.07 .net
県別鉄鏃の出土数URLリンク(i.imgur.com)

104:日本@名無史さん
24/01/09 19:51:23.14 .net
?倭国大乱…倭王権が九州北岸(奴国→伊都国)から南の筑紫平野・邪馬台国に移る
?狗奴国戦争…筑紫邪馬台国に倭王権が移ったことで南の狗奴国(菊地・熊本)との緊張感が高まり、ついに相攻する交戦状態へ
?卑弥呼の朝貢…狗奴国戦争の後ろ盾を得るため、曹魏に朝貢し、帯方郡が管理する狗邪韓国(伽耶)の鉄を輸入する。
 さらに狗奴国を側面から牽制するため投馬国(宮崎)と同盟を結ぶ。

105:日本@名無史さん
24/01/09 19:51:57.31 .net
>>93
パワーバランス的には九州しか勝たん

106:日本@名無史さん
24/01/09 19:53:41.80 .net
>>92
失礼
帥升は倭国王としか書かれてない
多分、イト国王

107:日本@名無史さん
24/01/09 19:56:00.32 .net
>>95
「阿波」からの貰い物ではなぁww   @阿波

108:日本@名無史さん
24/01/09 19:57:11.63 .net
帥升の子孫が平原王墓の被葬者だろうね

109:日本@名無史さん
24/01/09 19:59:10.87 .net
>>97
阿波は九州に朝貢していたのだろう

110:日本@名無史さん
24/01/09 20:00:33.48 .net
中国の文献史料に載ってない中平銘鉄刀は公孫氏から送られた説が有力。卑弥呼が173年、新羅に使者を送って交流を求めたのが事実なら74年間、実権を握っていた事になる。「日巫女」は役職名ですから、同一人物とは限りませんが。

111:日本@名無史さん
24/01/09 20:06:35.69 .net
>>79
大学や学会ではもうこれで決まりという感じですと
20年来言っていたのがこれなのか

112:ネトウヨ撲滅隊!
24/01/09 20:07:44.57 .net
今の宮内庁の定める天皇の数には菟道稚郎子も飯豊天皇も押熊王も神功皇后もタギシミミも含まれていないから平均在位年数×人数では計算できない

菟道稚郎子は弟の兄の仁徳に位を譲るために即位せずにいて数年がたって自殺したという
実際は即位しててクーデターで追われたから即位取り消しになったんだろう

押熊王は仲哀が死んで神功皇后が九州から戻ってこないので畿内で即位せず政務をとっていたが神功皇后に反抗して殺されたという
これも実際は即位してただろう

タギシミミは父の神武が崩御したあと即位せず数年間政務を取っていたが弟のヌナカワミミを殺そうとしたので逆に討たれてヌナカワミミが二台目の天皇になったという
大津皇子(弘文)と同じでタギシミミは即位してたに決まっている

飯豊皇女はオケヲケの兄弟が見つかるまで数年間執政していたのだという。一部の史書では飯豊天皇の記しているものがある
天皇として即位していたがオケヲケが見つかったから即位を取り消されたんだろう

このように記紀の記す天皇の代数は信用ならない
時の権力者によって廃された天皇は即位の事実をなかった事にされているからだ

113:日本@名無史さん
24/01/09 20:08:41.06 .net
まだわからんのかw
女王国は北九州で卑弥呼はそこにいて、
都の邪馬台国が纏向だってなぜおまえらマニアがこれだけ集まってもそんなことすらいつまでも理解できないとはw

114:日本@名無史さん
24/01/09 20:10:49.41 .net
>>103
王のいない都とかあるのか?

115:日本@名無史さん
24/01/09 20:20:34.99 .net
漢委奴国王は倭奴で減筆だという人々にだまされてはいけない

・人偏が省略されていない印鑑多数→ 漢匈奴伊酒莫当百、漢休著胡佰長、漢仟長印、漢保塞烏桓率衆長、他多数
・文字数と画数がクソ多い印鑑多数→ 漢匈奴惡適姑夕且渠、漢匈奴惡適姑夕且渠、漢匈奴栗借溫禺鞮、漢匈奴歸義親漢長、漢匈奴歸義親漢君、漢匈奴惡適尸逐王、漢匈奴歸義親漢長など
・漢委奴国王←文字数も画数も少ない。減筆する必要なし

116:日本@名無史さん
24/01/09 20:26:33.25 .net
歴代天皇の平均在位年数に記紀の記す天皇の人数を掛け算すると、ヤマト王権の成立は3世紀半ばとなるが、実際は少なく見積もっても四人は天皇としてカウント漏れがあるから、それを考慮するとヤマト王権の成立は纏向遺跡の構築が始まった頃に一致する。

117:日本@名無史さん
24/01/09 20:39:10.39 .net
歴史ヲタクのくせになぜわからんだか。
たしか室町時代あたりになんとか親王とかいうのが九州にいて中国に朝貢して日本国王にしてもらったのと同じだろこれw
女王卑弥呼は九州にいたが、天皇は畿内の纏向にいたってだけの話だろ。
なぜそんなことすら理解できないのかw
勉強は向かないから肉体労働して働いて社会に貢献してろw

118:日本@名無史さん
24/01/09 20:47:28.86 .net
近畿説は邪魔だ!消えろw

119:日本@名無史さん
24/01/09 20:50:08.75 .net
>>106
それ別の国だな

120:日本@名無史さん
24/01/09 20:50:15.63 .net
つまり九州説と畿内説でここまでもめてるのもある意味どちらも正解だからやw
邪馬台国の位置は畿内でも、卑弥呼のいた女王国は九州だったから
そりゃいくら罵り合っても決着つくわけないこと延々とやってるおまえらのアホさ加減ときたらw

121:日本@名無史さん
24/01/09 21:06:05.93 .net
近畿説は邪魔だ!消えろw

122:日本@名無史さん
24/01/09 21:11:58.51 .net
>>110
卑弥呼は邪馬台国にいます

123:日本@名無史さん
24/01/09 21:15:12.19 .net
ああ、近畿説のキチガイかw

124:琪瑛教大祭酒
24/01/09 21:27:31.55 .net
無駄だよ墳墓の推移でも解ることなんだから。

125:日本@名無史さん
24/01/09 21:33:37.61 .net
「建武中元二年倭奴国」
後漢書のこれを倭の奴国と読む意味が分からない
金印あげるなら、倭の奴国じゃなくて「漢倭国王」の金印を上げるべき
57年に金印を与えたのが倭の奴国の王なら、50年後の帥升を「倭国王」と書いてるのはおかしい
やはり、漢委奴国王は「漢の委奴(イト)」
57年光武帝「そなた達はどこからきたのじゃ?」
委奴国の大夫「イト国です」
光武帝「じゃあ、金印あげよう。漢委奴国王」
107年安帝「あいつら、倭人っていうらしい。じゃあ帥升、お前は倭国王な」

126:日本@名無史さん
24/01/09 21:36:45.88 .net
>>78
饒速日の時代と銅鐸最盛期は時代が違うと思うよ
弥生時代って数百年あったんだからそれをキチンと整理しないと始まらないんじゃないかな
そもそも銅鐸最盛期は近江や三遠が中心ぽかったし
饒速日は葛城と河内の大阪型銅矛文化圏じゃないの?

127:日本@名無史さん
24/01/09 21:41:53.97 .net
>>115
日本書紀纂疏だっけ、「吾の国」を倭の国と中国人が聞き取って「倭奴国」って記録したって、書いてあったな。
倭奴国と伊都国は上古中古語でも読みが全然違うんだからいい加減希望的観測やめたら?

128:日本@名無史さん
24/01/09 21:45:45.29 .net
畿内は東鯷国だから倭国では無い

129:琪瑛教大祭酒
24/01/09 21:48:59.73 .net
紀年銘鏡もでてるから無理だよ。

130:日本@名無史さん
24/01/09 21:49:55.29 .net
倭奴国は倭国のことだよ

131:日本@名無史さん
24/01/09 21:50:41.54 .net
>>117
藤貞幹、上田秋成もイト国説

132:日本@名無史さん
24/01/09 21:51:49.76 .net
>>120
倭国は常に倭国であって、倭奴国じゃない

133:日本@名無史さん
24/01/09 21:52:51.04 .net
>>121
誰それ??

134:日本@名無史さん
24/01/09 22:00:23.26 .net
奴国の王が来ていたならば、「漢奴国王」で良い

135:日本@名無史さん
24/01/09 22:01:36.59 .net
卑弥呼は邪馬台国の女王だとはどこにも書かれてないのにおまえらがそう勝手に思い込みが激しいからこんなん延々と無益な罵り合いが続くんだよw
その室町時代に日本国王にしてもらったなんとか親王のいた九州が日本の都だったのか?w

136:日本@名無史さん
24/01/09 22:03:16.88 .net
わたしの国→ワの国→ウェノ国→委奴国

137:日本@名無史さん
24/01/09 22:03:19.16 .net
>>125
お前の文章は以前から幼稚だな

138:日本@名無史さん
24/01/09 22:04:41.84 .net
知能が低いから九州説になるんだよね

139:日本@名無史さん
24/01/09 22:07:07.15 .net
>>125
邪馬台国の女王でいいよ
邪馬台国に別の王の存在が書かれてない
伊都国には王がいるけど

140:日本@名無史さん
24/01/09 22:08:14.83 .net
猪名国でしょ
稲田姫とスサノオの話と関係してたりして
五色の石神さまの玉の一つかもな

141:日本@名無史さん
24/01/09 22:08:33.91 .net
奴国王�


142:ノは金印を与え、50年後の倭国王には何も与えない おかしいよね 倭奴国王は倭国王だから金印を与えられ、帥升はそれを継承したから与える必要がなかったとするほうが合理的だ



143:日本@名無史さん
24/01/09 22:11:28.25 .net
考古学でもう纏向が当時の倭国の都、すなわち邪馬台国でほぼ決まりだってw
こんなん論じる余地はもうないのにイト国東遷だ、阿波だ、いつまでそんな気狂いじみたこと言ってるのかw
卑弥呼のいた女王国が九州。東に海は畿内にはないし万二千里も畿内には届かない。
こんなん状況証拠分析すりゃすぐわかるやん。

144:日本@名無史さん
24/01/09 22:11:33.25 .net
>>128
畿内説は倭人伝の里を計算出来ないバカですが

145:日本@名無史さん
24/01/09 22:12:00.35 .net
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種 → 至狗奴国 = 久努国(くののくに)





久 努 国 ( く の の く に )





久 努 国 ( く の の く に )





馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww

146:日本@名無史さん
24/01/09 22:12:43.99 .net
>>132
九州か畿内かいずれかだ

147:日本@名無史さん
24/01/09 22:13:31.02 .net
>>134
お前はNGに設定済み

148:日本@名無史さん
24/01/09 22:15:33.49 .net
九州説は九州単独で成立するが、畿内説は九州が無いと成立しない。つまり畿内説はだいぶ不利な状況です。

149:日本@名無史さん
24/01/09 22:18:06.57 .net
記紀にも女王卑弥呼なんて神功皇后のとこで紹介文程度でしか出てこないだろw
つまりそんな女知らんしうちらの王族ではない九州の女巫女を女王に担いで一時的に九州統治を任せてただけで、
大和政権が力を持ち始め九州統治を直接行えるレベルにきたから四世紀あたりに用済みになり女王制などなくしただけだろw

150:日本@名無史さん
24/01/09 22:18:50.93 .net
光武帝「そなたらはいずこより参ったか?」
イト国人「イトです」
光武帝「漢委奴国王の金印を与えよう」

范嘩「委奴国って何だよ。この400年前の竹簡は間違ってるね。多分、人偏が消えてる。倭人だから倭奴国だろ。」

建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫

范嘩が間違ってる。
金印を見れば、漢委奴国王であることは確実である。

151:日本@名無史さん
24/01/09 22:19:43.19 .net
>>138
最後らへんは良い推論だ

152:日本@名無史さん
24/01/09 22:19:48.43 .net
>>138
畿内に倭国の歴史はあるのか?

153:日本@名無史さん
24/01/09 22:22:43.19 .net
「卑弥呼?知らんなあ?九州で活躍した神功のことかいな」
これが記紀を書いた人の認識よ

154:琪瑛教大祭酒
24/01/09 22:25:40.06 .net
北枕の墳墓は半島にも列島にもないのだよ、いつまで三韓の書物を信じとるのだ
無駄だよ。昭和天皇は南山に神宮を建てられ天武八角を継承されたのだ。
勘違いも甚だしいよ、吾輩から見て日本を否定しているのは君らのほうだ。

155:日本@名無史さん
24/01/09 22:26:29.30 .net
>>142
卑弥呼は藤原不比等の先祖の可能性はある

156:琪瑛教大祭酒
24/01/09 22:28:24.10 .net
信じているとは吾輩の間違いだ誤解釈しているのほうが良いな。

157:日本@名無史さん
24/01/09 22:29:52.23 .net
全てはお前らが女王国=邪馬台国 とかなんか勝手に思い込んでるから話がおかしくなるだけの話だこんなんw

158:日本@名無史さん
24/01/09 22:31:32.08 .net
>>143
八角墳というのは亀を表しているのでは無いのか?宇佐神宮は亀山の上に立っている

159:琪瑛教大祭酒
24/01/09 22:39:25.92 .net
不比等が卑弥呼の子孫であることは無い。
興福寺を考えればこれもまた半島朴の8部像。
興福寺はまず春日大社を祀る

160:琪瑛教大祭酒
24/01/09 22:42:14.10 .net
八角墳は八角アサガオなんだな。朝鮮アサガオ。花の中心が紫なんだな。

161:日本@名無史さん
24/01/09 22:46:45.16 .net
>>146
陳寿も混乱してるけどな

162:琪瑛教大祭酒
24/01/09 22:47:24.76 .net
八角墳墓はアサガオ型とすでに言われている。
つまりだ、我々が議論しようが上はもう既に解っているということなんだよ。

163:日本@名無史さん
24/01/09 23:01:41.06 .net
伊都国には代々王がいて、卑弥呼時代にも王がいる
この伊都国王は潰せなかったのだろう
いや、潰したくなかったのだろう
倭国乱の時の男王とは、九州説だと伊都国王
畿内説だと唐古・鍵あたりに男王がいたけどダメだった
そもそも、唐古・鍵の人々が圧倒的武力を持つ伊都国に上から目線で何かを言うことは不可能
そこで卑弥呼を擁立した
はい、畿内説を採ろうとも、卑弥呼は伊都国の人です
畿内説ならば、伊都国の卑弥呼が纒向に行きます

164:琪瑛教大祭酒
24/01/09 23:06:13.36 .net
北枕の墓制が半島にも列島にもないのだよ

165:日本@名無史さん
24/01/09 23:06:21.09 .net
>>141
ない。邪馬台国は新興国。
なので神話が少ない。
旧唐書にも邪馬台国の記述はない。
57、107年の記録にもない。

166:琪瑛教大祭酒
24/01/09 23:09:02.60 .net
畿内は北九州や半島から来た者では無い者等なんだよね。

167:日本@名無史さん
24/01/09 23:23:45.97 .net
八角墓のモチーフは亀だよURLリンク(i.imgur.com)

168:日本@名無史さん
24/01/09 23:29:19.12 .net
んなわけあるかいw
考古学的にみて、畿内纏向がまだ初期段階に九州進出試みたが被害でかく倭国大乱とやらになって、しぶしぶ九州の女巫女の卑弥呼を女王として認めることで妥協して一応纏向の連合体制に組み入れたのが実状だろうよw
それをおまえらがなんか女王国=邪馬台国で卑弥呼は邪馬台国の女王だとか勘違いして邪馬台国は九州だの畿内だのとアホみたいな位置論争延々とやってるだけでw

169:琪瑛教大祭酒
24/01/09 23:30:33.96 .net
北九州伊都、甕棺が縮小し北枕が現れた訳だ
そして八角アサガオが開花するこれが大きな流れ。
1000人の女奴婢の上に女王がいる言わば女国邪馬台
こんな国が長続きする筈がない、何処で変化していくのか?313年を1つとするのも普通でしょう魏志では第二の国に挙げられている投馬が飛ばされ宇佐秦王国から河内に成っている。
五王は河内、阿都とも呼ばれ阿蘇阿波と阿地が増えていく、この辺がハッキリしないんだな今わ

170:日本@名無史さん
24/01/09 23:36:01.82 .net
魏志倭人伝の行程記事を読む
帯方郡から倭に至るには海岸沿いに南に東にと七千里進んで倭の北側の沿岸すなわち朝鮮半島南岸にある狗邪韓国に到着する
狗邪韓国は金海市・釜山市あたりにあった倭人のクニと考えられる(倭人のクニでなければ魏志倭人伝で国名を取り上げる理由がない)
ここから南に
→千里で対馬国
→千里で一大国(壱岐国)
→千里で末蘆国(肥前国松浦郡)
と進み、さらに
→東南に陸行五百里で伊都国(筑前国怡土郡)
→東南に百里で奴国(筑前国儺県=なのあがた)
→東に百里で不弥国(筑前国糟屋郡宇美?筑前国穂波郡?)
と進んだ
さらに、
→伊都国ないし不弥国から南に水行二十日で投馬国
→南に邪馬台国に至った(伊都国ないし不弥国ないし投馬国から水行十日陸行一月)
邪馬台国の南に狗奴国があり、女王に属さなかった
すなわち邪馬台国が女王の統治する倭国の南端だ
帯方郡から女王国すなわち邪馬台国に至るには一万二千里掛かった
(「女王国」の語は魏志倭人伝に5か所記載され単体の「邪馬台国」と解釈できるところと連合王国としての「倭国」と解釈できるところがあるが、既に帯方郡から七千里で倭国の北端狗邪韓国に至っているのでここは「倭国」とは解釈できず「邪馬台国」一択)
さらに倭の地を巡り歩くこと五千里とある
これは、倭国に来て北端の狗邪韓国から邪馬台国まで五千里ということだろう
帯方郡から狗邪韓国まで七千里、帯方郡から邪馬台国まで一万二千里という記述とも綺麗に整合する
(一万二千里-七千里=五千里)
(続く)

171:日本@名無史さん
24/01/09 23:37:04.95 .net
(続き


172:) 邪馬台国は伊都国や不弥国などの南にあり、肥後にあったと思われる狗奴国(クマ=隈・熊・球磨の地名、官の狗古智卑狗は菊池の旧名久々知の長で久々知彦)の北にあったので、筑後と推定される 帯方郡から伊都国まで一万五百里なので伊都国から邪馬台国は残り千五百里、魏志韓伝と倭人伝の一里は概ね75m(凡そ300km四方の三韓地域を方四千里と書くなど)なので、伊都国から南におおよそ100kmで邪馬台国に着くということになる この方角と距離感も筑後で符合する 博多湾側から筑後邪馬台国までは御笠川→宝満川→筑後川で水行してから少し陸行したと考えるのが合理的だ 地名から考えれば、邪馬台国は筑後山門郡(プラス肥後菊池郡山門郷)と比定できる 邪馬台国を目指して筑後川を水行してくる途中には筑後上妻郡・下妻郡があり、これが投馬国と考えられる 邪馬台国と狗奴国の国境に近いであろう菊池川流域では鉄鏃が大量に出土しており、両国の間で激しい戦いがあったことを窺わせる なお、倭人は里数を知らず日数で距離を測る(隋書倭国伝より)ことから、投馬国の水行二十日、邪馬台国の水行十日陸行一月は倭人からの伝聞と考えられる 倭人が安全保障上の理由で距離と戸数(五万戸、七万戸)を誇張したことは大いに考えられるので、水行十日陸行一月や戸数七万戸を額面通りに受け止めて大真面目に議論することは賢明ではないだろう 実際、これらを大真面目に議論して合理的結論に至った人を私は未だかつて一人も見たことがない



173:日本@名無史さん
24/01/09 23:39:30.82 .net
以下の魏志倭人伝の記述は、全て北部九州説に強くポジティブで畿内説に強くネガティブだ
・邪馬台国(狭義の女王国)は帯方郡から一万二千里かつ伊都国から千五百里
※魏志韓伝/倭人伝の一里は70~80m程度
・周旋五千里
・伊都国/不弥国から南に邪馬台国
・邪馬台国の南に軍事的に拮抗した狗奴国で、その官に狗古智卑狗(肥後菊地の旧名久々知彦?)
・東に海を千里渡ると倭種の国
・宮室・楼観・城柵
・絹・養蚕
・有棺無槨の墓制
・倭地温暖(裸足、冬でも生野菜)
そして畿内大和に特徴的な前方後円墳や銅鐸の記述は一切ない
実際、纒向をいくら調査しても宮室・楼観・城柵の跡は出て来ず(一部の畿内説学者が宮殿跡と主張する建物跡はあるが、柱があまりに浅く細く、かつ短期で取り壊されているので客観的・常識的には女王の宮殿などではあり得ない)、大陸と交流した痕跡(銅鏡・鉄器・楽浪土器・硯など)もびっくりするほど何も出て来ない
魏志倭人伝に描かれた倭人のクニの様子とは似ても似つかない纒向が邪馬台国であった可能性は限りなくゼロに近い
これで畿内説などという珍説が一体どこから出てくるのか、私には全く理解不能だ

174:日本@名無史さん
24/01/09 23:41:07.77 .net
倭奴国はイト国とは読めない
ネトウヨ残念

175:日本@名無史さん
24/01/09 23:41:24.57 .net
ばかだから

176:日本@名無史さん
24/01/09 23:43:15.75 .net
農耕が広まって定住と集団化が進んだ弥生時代の日本列島では、小規模なムラからクニへの発展が進んだ
このクニは後の律令時代の国郡里制の里か、せいぜい郡のサイズだ
さらに弥生時代末期になると、筑紫、出雲、吉備、丹波(但馬丹後含む)、大和、尾張、高志、毛野など日本列島の各地に国郡里制の国に匹敵するサイズの地域連合体が出来ていった
このうち大陸に最も近い筑紫の地方勢力は、朝鮮半島南部に領地を持つなどして朝鮮半島と活発に交易し、中華帝国にも朝貢した
これが魏志倭人伝に描かれた倭国であり、その構成国が邪馬台国や伊都国だ
一方、大和の地方勢力は婚姻や同盟を駆使して戦略的に少しずつ影響範囲を拡大し、最終的に今の日本国に繋がる発展を遂げた
これがヤマト王権だ
纒向遺跡は魏志倭人伝に描かれた倭国のクニとは似ても似つかないことがはっきりしてきたが、これは当然だ
北部九州倭国と畿内ヤマト王権は全く別の国なのだから
茶臼山古墳は、3世紀前半の北部九州倭国女王の権力よりも3世紀末(以降)の畿内ヤマト王権の権力の方が強大だったことを示していると見て良かろう

177:ネトウヨ撲滅隊!
24/01/09 23:43:40.47 .net
ネトウヨはヤマト王権=邪馬臺國を認めると天皇が中華の属国になったことを認めることになるから否定するのに躍起になっている
残念ながら日本は建国の際に中華の属国となって親魏倭王卑弥呼の権威で倭国の統一を進めていった
ネトウヨ 悔しいのぉ

178:ネトウヨ撲滅隊!
24/01/09 23:48:01.53 .net
今の宮内庁の定める天皇の数には菟道稚郎子も飯豊天皇も押熊王も神功皇后もタギシミミも含まれていないから平均在位年数×人数では計算できない
菟道稚郎子は弟の兄の仁徳に位を譲るために即位せずにいて数年がたって自殺したという
実際は即位しててクーデターで追われたから即位取り消しになったんだろう
押熊王は仲哀が死んで神功皇后が九州から戻ってこないので畿内で即位せず政務をとっていたが神功皇后に反抗して殺されたという
これも実際は即位してただろう
タギシミミは父の神武が崩御したあと即位せず数年間政務を取っていたが弟のヌナカワミミを殺そうとしたので逆に討たれてヌナカワミミが二台目の天皇になったという
大津皇子(弘文)と同じでタギシミミは即位してたに決まっている
飯豊皇女はオケヲケの兄弟が見つかるまで数年間執政していたのだという。一部の史書では飯豊天皇の記しているものがある
天皇として即位していたがオケヲケが見つかったから即位を取り消されたんだろう
このように記紀の記す天皇の代数は信用ならない
時の権力者によって廃された天皇は即位の事実をなかった事にされているからだ
歴代天皇の平均在位年数に記紀の記す天皇の人数を掛け算すると、ヤマト王権の成立は3世紀半ばとなるが、実際は少なく見積もっても四人は天皇としてカウント漏れがあるから、それを考慮するとヤマト王権の成立は纏向遺跡の構築が始まった頃に一致する。

179:日本@名無史さん
24/01/09 23:49:42.80 .net
纒向を調査した結果、この遺跡は弥生時代末期にそれまでの奈良盆地在地勢力との連続性なく突発的に現れたことがはっきりしてきたので、最近の畿内説は卑弥呼より前の倭国の中心は伊都国だったと主張し始めている
柳田康雄、寺澤薫、北條芳隆などだ
奈良盆地の在地勢力が邪馬台国を経てヤマト王権に発展したとする近畿中心主義の先入観に囚われた旧来型畿内説に比べれば一歩前進だ
この調子で、2024年の考古学界が「邪馬台国を含む北部九州倭国と畿内ヤマト王権はそもそも別の国だった」という真理にさらに近づくことを期待する

180:日本@名無史さん
24/01/09 23:57:13.90 .net
これ見たら北部九州と畿内は人種的に違うのだから東遷説も消えるよなあ。

URLリンク(i.imgur.com)

181:日本@名無史さん
24/01/09 23:58:53.32 .net
まだそんなアホなこと言ってたのかw
邪馬台国へのその水行陸行の文は前の文と繋がってるとそれもおまえらの勝手な激しい思い込みからくる勘違いw
つかそれ以外にも繋がってない部分がいくつもあり陳寿がテキトーに手元にある資料箇条書きみたいにしただけなのが実状だろうに、それをおまえらがいつまでも勘違いしたまま解釈しようとあと何年やるんだよこれ?wいい加減気づけやw

182:日本@名無史さん
24/01/10 00:16:36.69 .net
>>162
倭奴国はイト国とは読まない
委奴国でイト国と読む

倭奴国とは范嘩が考えた国名
魏志倭人伝にはそんな国出てこない

183:日本@名無史さん
24/01/10 00:34:33.02 .net
畿内に倭国の歴史は無い

184:日本@名無史さん
24/01/10 00:37:36.25 .net
倭国は昔の日本であって、奴国は県、郡、郷に相当する。
中国の県は市より小さい行政単位。

185:日本@名無史さん
24/01/10 00:50:03.90 .net
>>170
後漢の時代に奴を「ト」とは読めません。
残念でした。

186:日本@名無史さん
24/01/10 00:56:36.57 .net
わたしの国→ワイの国

187:日本@名無史さん
24/01/10 01:07:26.27 .net
>>171
旧唐書には邪馬台国の記述はない。

188:日本@名無史さん
24/01/10 01:10:21.24 .net
成る程、邪馬台国は九州以外だな

189:日本@名無史さん
24/01/10 01:39:44.03 .net
>>175
旧唐書は10世紀の書、邪馬台国が滅んで500年以上を経ている

190:日本@名無史さん
24/01/10 02:22:15.61 .net
邪馬台国九州説を邪馬台国滅亡説って言い方変えたら九州説の支持者減りそう。

191:日本@名無史さん
24/01/10 02:34:09.48 .net
>>165
お前は朝鮮学校の出身者だろ

192:日本@名無史さん
24/01/10 03:11:23.81 .net
>>158
宇佐の石棺は北枕では無いなURLリンク(i.imgur.com)

193:日本@名無史さん
24/01/10 03:28:58.22 .net
>170
そういう説は「ネトウヨ」という言葉が出来る遥


194:か前、江戸時代から有る。



195:日本@名無史さん
24/01/10 03:47:30.73 .net
金印を貰ったのは大綿津見の子孫だよ

196:日本@名無史さん
24/01/10 04:38:32.42 .net
日本書紀の孝霊天皇在位期間を西暦に直せば、BC290~BC215年。
考古学的にBC3世紀は、越系中国人難民が西日本に大量流入した時期と重なる。そういう訳で播磨に軍を派遣して吉備を征伐したと言う事績を挿入した。あながち偽書とも言えない。何かしら史実がそこに含まれてる。

197:琪瑛教大祭酒
24/01/10 05:01:01.16 .net
180.当然そうであろう。秦王国だからな。
三韓人は北枕墓制はないと言っとるだろう。
三韓人にあるのは度重なる中華への怨みだけだわ。

198:琪瑛教大祭酒
24/01/10 05:15:16.18 .net
倭五王でさえ百済を抑えることを許されず中華の将軍扱いでしかない。
卑弥呼は違うのだな。卑弥呼は別扱いなのだよ。
どんなに作り話をしたところで甕棺(朴のタマゴ、瓢)
は消え北枕の中華式墳墓に代わるのはどうにもならないのだな、崇神とやら等に北枕はおかしな話なのだよ。イリビコに出来ることは婿に入り乗っ取ることだわね。

199:日本@名無史さん
24/01/10 05:43:01.02 .net
畿内説「古代は政祭一致が原則。(豪族/首長級)墓制の変化は権力者の入れ替わりを意味してる」
九州説「古墳は防災水利システム。貯水池作りの為に掘ったシルトや粘土を中央に積み上げ、土壌ろ過装置と土石流対策も兼ねて大きな墓にした」

200:琪瑛教大祭酒
24/01/10 05:49:26.96 .net
防災、治水の知恵はいつどうやって手に入れたのか?が抜けてるよ。ダメだね

201:日本@名無史さん
24/01/10 05:52:03.10 .net
>>173
古代九州人が「イト」と発音したとは思わない
古代九州人が「イト」かそれに近い発音をした時に、古代中国人がきちんと漢字表記できたとは思わない
阿児奈波(おきなわ)は、どう考えても「おきなわ」「うちなー」とは読めない

202:琪瑛教大祭酒
24/01/10 05:56:19.44 .net
明らかに違いのある墓制ね。
甕棺で九州はもう死んでいるのだな。

203:琪瑛教大祭酒
24/01/10 06:01:38.40 .net
阿児奈波?いかにも半島系阿族の使いそうな文字だな。
日本は古の辰国だよ。

204:日本@名無史さん
24/01/10 06:03:12.41 .net
>>184
つまり畿内が前方後円墳によって九州を支配下に置いたと言うのは嘘という事だな

205:日本@名無史さん
24/01/10 06:09:42.84 .net
という九州説が嘘

206:日本@名無史さん
24/01/10 06:14:54.42 .net
>>190
阿 ɑ オ
児 ŋie ンギ
正確には違うけど↑みたいな感じの発音だからオギナワくらいのイメージか

207:日本@名無史さん
24/01/10 06:16:47.50 .net
>>190
記紀は「あ」か「い」で始まる名称が非常に多い。
当時(8世紀)の倭人にとって、「あ」とか「い」に、そこはかとない尊崇の響きがあったんだろう。
だから、好んで名詞に「あ」とか「い」を付けたと思われる。
その心は、「天照大神」・「粟」の「あ」、や「伊予之二名島」の「い」に由来しているため。   @阿波

208:日本@名無史さん
24/01/10 06:28:10.96 .net
>>194
阿児奈波は鑑真が当てた漢字である
沖縄人が自ら「ウチナー」と言っているのに、日本人は「オキナワ」と聞こえた
多分、鑑真と一緒に船に乗った日本人か、鹿児島についた時に「あの島何?」と聞いたら、「オキナワ」と答えた
で、阿児奈波

209:日本@名無史さん
24/01/10 06:29:47.01 .net
?まず「女王国(九州)東渡海千里、複有国皆倭種(本州:銅鐸王ニギハヤヒ)、又有侏儒国(四国:少彦名)在其南、去女王四千里」から九州が確定。
?次に「其南有狗奴国、不属女王。男王卑弥弓呼、副官狗古智卑狗(熊本県・菊地平野)」から、【女王国=筑紫平野】であることまでは読み取れます。
?さらに「卑弥呼、事【鬼道】能惑衆、以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食伝辞出入。居處宮室、樓觀城柵嚴設、常有人持兵守衞」は吉野ヶ里そのもので、鬼道を、鬼籍に入った歴代倭王(死者)の霊を呼び出すイタコと解釈すれば、主祭殿3階(屋根裏部屋)の祖霊を祀る祈祷室(最高所)はまさに(天と鬼=歴代倭王のお告げの声を聴く)巫女の卑弥呼にピッタリです!
?なお、投馬国からの「南水行十日陸行一月」は呉の背後、つまり「会稽東冶(帯方郡から12,000里)の東(の海上)にあり」とするための方便(嘘)だとすると辻褄が合いますよ。
魏志倭人伝の蛇足(嘘)=投馬国→邪馬台国「南水行十日陸行一月」(呉の背後)
末盧国↘伊都国↘奴国→不弥国(九州北岸-福岡平野)
...↑▲▲脊振山地▲▲.....↓
女王国(筑紫-日田-中津)↓〜複有国皆倭種(本州・銅鐸王ニギハヤヒ✖畿内説)
...↓...........【豊後水道】↓〜〜〜↓
狗奴国(菊池+熊本)......↓〜又有「侏儒国」在其南(四国・少彦名)
......................投馬国(宮崎平野)
............................↓※蛇足「南水行十日陸行一月(嘘)」
会稽東冶〜〜〜幻の邪馬台国(帯方郡から12,000里)※架空の女王国

210:日本@名無史さん
24/01/10 06:35:42.91 .net
つまり、邪馬台国は九州以外

211:日本@名無史さん
24/01/10 06:36:03.57 .net
倭の五王の時代になると、中国人も日本人の異様に長い名前が面倒になったと思われ、もうまともに聞く気がない
讃・珍・済・興・武

212:日本@名無史さん
24/01/10 06:43:14.23 .net
>>195
>阿児奈波は鑑真が当てた漢字である
鑑真の言葉を当てたのは、当時(8世紀)の倭人。   @阿波

213:日本@名無史さん
24/01/10 06:48:28.80 .net
なんで琉球ではないの?

214:日本@名無史さん
24/01/10 06:49:59.79 .net
XX那覇の空耳?

215:日本@名無史さん
24/01/10 06:53:56.93 .net
>>199
いずれにしても日本人、中国人、ともに耳が悪い
ウチナーを阿児奈波はない
後の『使琉球録』の倭急拿(ウォージナー)と表記した陳侃は耳が良い

216:日本@名無史さん
24/01/10 06:54:48.24 .net
?倭国大乱…倭王権が九州北岸(漢委「奴国」王→伊都国王・帥升)から南の筑紫平野・邪馬台国に移る
?狗奴国戦争…筑紫邪馬台国に倭王権が移ったことで南の狗奴国(菊地・熊本)との緊張感が高まり、ついに相攻する交戦状態へ
?卑弥呼の朝貢…(呉の孫権を後ろ盾にした)狗奴国との戦争の後ろ盾を得るため、曹魏に朝貢し「親魏倭王」に封じてもらい、帯方郡が管理する狗邪韓国(伽耶)の鉄を輸入する。
 さらに狗奴国を側面から牽制するため投馬国(宮崎)と同盟を結ぶ。

217:日本@名無史さん
24/01/10 06:57:54.98 .net
光武帝「そなたらはいずこより参ったか?」
イト国人「ゐど」
光武帝「ウィドか」

漢委奴国王

218:日本@名無史さん
24/01/10 07:03:15.43 .net
倭国乱れて、卑弥呼が共立女王となったのに、まだ伊都国には王がいる
畿内説をとったしても、この伊都国王の権威の凄さが分かる
むしろ、畿内説の方が凄いというべき

219:日本@名無史さん
24/01/10 07:05:57.45 .net
>>205
>まだ伊都国には王がいる
筑紫忌部だ。   @阿波

220:日本@名無史さん
24/01/10 07:09:20.53 .net
>>205
>まだ伊都国には王がいる
いわゆる筑紫忌部だ。  言わば、出入国在留管理庁 長官だな。   @阿波

221:日本@名無史さん
24/01/10 07:10:23.65 .net
漢委「奴国(博多)」王→志賀島で出土
決して委奴(伊都)国王ではないw

222:日本@名無史さん
24/01/10 07:12:04.46 .net
>>208
三段読みはルール違反
そんな印鑑1個もない

223:日本@名無史さん
24/01/10 07:13:53.13 .net
倭の奴国とかいう国に金印はあげません
委奴国の王に金印をあげたのである

224:日本@名無史さん
24/01/10 07:14:39.45 .net
志賀島は伊都国領域じゃないもんねw

225:日本@名無史さん
24/01/10 07:17:32.05 .net
倭女王卑弥呼が伊都国王を廃さなかったのは、卑弥呼が伊都国人だからです

226:日本@名無史さん
24/01/10 07:20:32.10 .net
>>212
倭女王卑弥呼が伊都国王を廃さなかったのは、言わば出入国在留管理庁の長官だったからだ。   @阿波

227:日本@名無史さん
24/01/10 07:21:58.22 .net
ちなみに、奴国には王はいません

228:日本@名無史さん
24/01/10 07:22:01.23 .net
››210
もしそうなら倭人伝も伊都国じゃなくて委奴国と書くよw

229:日本@名無史さん
24/01/10 07:23:33.04 .net
>>215
沖縄の漢字のパターンも10以上ある
梯儁、張政が来た時には「伊都国」の方が良いと判断したのであろう

230:日本@名無史さん
24/01/10 07:24:47.74 .net
金印 漢委奴国王印
陳寿 次有奴國 此女王境界所盡
范嘩 倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也

231:日本@名無史さん
24/01/10 07:25:20.99 .net
なら金印も例外的に三文字としたんだよw

232:日本@名無史さん
24/01/10 07:26:53.49 .net
>>218
三段読みの印鑑は1例もない
倭の奴国はあり得ない
まず減筆があり得ないのは前の書き込みの通り
漢委奴国王と書いてあるのに、勝手に人偏を足してはいけない

233:日本@名無史さん
24/01/10 07:31:04.68 .net
親魏倭王の金印
倭王に金印を与えています
倭の1国でしかない、倭の奴国とかいう国に金印はあげません

234:日本@名無史さん
24/01/10 07:32:53.22 .net
かんのわのなのこくおう だw

235:日本@名無史さん
24/01/10 07:36:01.06 .net
志賀島は伊都国ではない、奴国だw

236:日本@名無史さん
24/01/10 07:38:09.71 .net
漢委奴国王の金印の「委」の字は「倭」の字の略字である。
金印や玉=翡翠に彫る判子などは屡々略字を用いる。

237:日本@名無史さん
24/01/10 07:39:42.13 .net
漢の倭の奴国王

238:日本@名無史さん
24/01/10 07:42:57.53 .net
途中で送信してしまった
漢(の)倭(の)奴国王と同様の構造の印綬として、漢(の)匈奴(の)悪適尸逐王という印綬が存在する

239:日本@名無史さん
24/01/10 07:43:12.60 .net
光武帝57年の時に、委奴を倭国の一部と認識していたら「漢倭国王」の金印になっただろう
ところが、倭人について知らなかった光武帝
倭人も「倭国です」と言ったはずはなく、「イト」と聞いて、
イトっていう国があるんだ、そこの王なんだと思って→漢委奴国王
よって、かんのわのなこくはあり得ない

240:日本@名無史さん
24/01/10 07:44:13.63 .net
>>223
略しません
漢匈奴伊酒莫当百、漢休著胡佰長、漢仟長印、漢保塞烏桓率衆長など他にも人偏そのまんまの印鑑が出てる

241:日本@名無史さん
24/01/10 07:44:43.87 .net
>>225
それは国名ではない

242:日本@名無史さん
24/01/10 07:46:01.28 .net
伊と委の発音は日本語で同じだが
中国語の発音は全然違う
朝鮮語は知ってるが中国語を知らない九州説バカwwwww

243:日本@名無史さん
24/01/10 07:47:06.94 .net
>>229
九州説じゃない

244:日本@名無史さん
24/01/10 07:47:53.34 .net
>>229
記紀は「あ」か「い」で始まる名称が非常に多い。
当時(8世紀)の倭人にとって、「あ」とか「い」に、そこはかとない尊崇の響きがあったんだろう。
だから、好んで名詞に「あ」とか「い」を付けたと思われる。
その心は、「天照大神」・「粟」の「あ」、や「伊予之二名島」の「い」に由来しているため。   @阿波

245:日本@名無史さん
24/01/10 07:52:46.18 .net
炭素14年代測定の精度16%。
弥生後期は西日本各地に独自の文化が花開いた時代、どうしても九州説有利になってしまう。

246:日本@名無史さん
24/01/10 07:54:10.05 .net
漢の匈奴の○王
漢の委奴の国王
合ってるな

247:日本@名無史さん
24/01/10 07:58:40.19 .net
>>228
漢+部族名+王名という構造は同じだ
漢匈奴王でないのだ

248:日本@名無史さん
24/01/10 08:09:29.90 .net
>>232
>炭素14年代測定の精度16%。
九州説がまたニセ情報を流してる

249:日本@名無史さん
24/01/10 08:09:31.20 .net
>>234
王号が惡適尸逐であって、惡適尸逐とかいう国はない

250:日本@名無史さん
24/01/10 08:11:50.00 .net
委奴と書かれているのを勝手に「倭」に変えて、しかも倭の奴の国王というルール違反
ルール違反の連続

251:日本@名無史さん
24/01/10 08:14:21.27 .net
>>236
漢のイト国にしたくて必死なのはわかるが説得力はないな
漢+部族名+王ばかりではなく漢+部族+王名の印綬は存在する
後者の場合、おそらく部族全体を統一した王ではないのだろう
漢の倭の奴国王しかり

252:日本@名無史さん
24/01/10 08:16:26.55 .net
つまり今年も畿内説はガセでしたと

253:日本@名無史さん
24/01/10 08:16:31.11 .net
そもそも後漢書東夷伝に倭奴国の使者に印綬を授けたとある
これと考え合わせれば金印の銘は倭の奴国王であろう

254:日本@名無史さん
24/01/10 08:24:15.62 .net
>>238
委奴と書かれているのを、勝手に倭奴と変えてはいけません

255:日本@名無史さん
24/01/10 08:25:56.61 .net
>>241
後漢書にそう書いてある
文献と考古学を総合的に考えなければ畿内説のように結論を間違えることになる

256:日本@名無史さん
24/01/10 08:29:12.70 .net
>>242
金印には倭奴なんて書かれてない

257:日本@名無史さん
24/01/10 08:29:52.63 .net
倭伊都国、倭末盧国、倭投馬国、倭邪馬台国
こんな表記はありません

258:日本@名無史さん
24/01/10 08:30:04.75 .net
>>243
後漢書に倭奴と書いてある

259:日本@名無史さん
24/01/10 08:48:18.06 .net
漢書にも用いられた道行文のルールに依って行程を解読すれば以下の如し・・・
・主線行程最初の末盧国は唐津・中原港→東南伊都国は佐賀大和町川上→其東南至奴国は傍線100里の説明。
・元の伊都国に戻って→東行100里の不彌国が吉野ヶ里終点。
・終点から四至(東西南北)の説明となり、南至投馬国(宮崎)と、南至邪馬台国(熊本)の2国並列記述となる。

これで、倭人伝の方角・距離は、完璧に記述通りそのままで宜しい。
夷人は、これを知らずして読むから千年の迷路に入る。漢人は知って読むから、すぐ読み解く。

260:日本@名無史さん
24/01/10 08:49:40.16 .net
>>245
范嘩が勝手に変えただけ

261:日本@名無史さん
24/01/10 08:54:39.08 .net
畿内説、最近のお得意セリフ

倭人伝はあてにならない、
日本書紀もあてにならない、
旧九州説も、旧畿内説も当てにならない
信じれるのは、モモソ媛と箸墓だけダー、、、

262:日本@名無史さん
24/01/10 08:56:56.03 .net
纒向の外来土器の半分弱が東海産。東海=狗奴国説はガセ。

263:日本@名無史さん
24/01/10 08:57:50.84 .net
九州説はこのように捏造が好き

264:日本@名無史さん
24/01/10 08:58:33.01 .net
漢の倭の奴国王 これ定説w

265:日本@名無史さん
24/01/10 09:00:26.40 .net
①倭国大乱…倭王権が九州北岸(漢委「奴国(博多)」王→伊都国王・帥升)から南の筑紫平野・邪馬台国に移る
②狗奴国戦争…筑紫邪馬台国に倭王権が移ったことで南の狗奴国(菊地・熊本)との緊張感が高まり、ついに相攻する交戦状態へ
③卑弥呼の朝貢…(呉の孫権を後ろ盾にした)狗奴国との戦争の後ろ盾を得るため、曹魏に朝貢し「親魏倭王」に封じてもらい、帯方郡が管理する狗邪韓国(伽耶)の鉄を輸入する。
 さらに狗奴国を側面から牽制するため投馬国(宮崎)と同盟を結ぶ。

266:日本@名無史さん
24/01/10 09:00:48.70 .net
>>249
全部すべて「東阿波型土器」だ。   @阿波

267:日本@名無史さん
24/01/10 09:07:45.46 .net
>>251
通説な

268:日本@名無史さん
24/01/10 09:14:17.22 .net
>>247
1世紀の頃、倭はイと発音されていた。
だから、人偏を取って委としても同じ意味だ。
ただ、大海の中の東夷ごときに人偏を付けるのは、もったいないから委にしたわけだ。
倭も委も東夷のイと同じ意味、棲む場所が違う夷の種。

269:日本@名無史さん
24/01/10 09:21:32.93 .net
>>255
漢匈奴惡適尸逐王には銅印
金印あげてるのに、人偏を付けるのはもったいないというのはケチくさい

270:日本@名無史さん
24/01/10 09:22:16.00 .net
漢委「奴国(那珂=博多)」王59→帥升109までは、倭王権は奴国(博多)にあったことが判る。
そして、ニュージーランド北島タウポ山の大噴火による大飢饉が起こり、中国では黄巾の乱、倭国では【倭国大乱】となり、南の筑紫平野の邪馬台国に倭王権が移った(女王卑弥呼を共立)という図式が見えてくるな

271:日本@名無史さん
24/01/10 09:23:05.76 .net
>>257
奴国には王はいない

272:日本@名無史さん
24/01/10 09:24:20.89 .net
>>258
筑紫邪馬台国に倭王権が移ったのだから、旧王家・奴国王はその官となったのだよw

273:日本@名無史さん
24/01/10 09:24:46.98 .net
どうして?

274:日本@名無史さん
24/01/10 09:25:28.85 .net
倭奴国は分裂してたくさんの奴国になったのだ

275:日本@名無史さん
24/01/10 09:25:38.78 .net
かんのわのなのこくおう は奴国王である!伊都国王ではないw

276:日本@名無史さん
24/01/10 09:25:48.92 .net
理由がないのが九州説

277:日本@名無史さん
24/01/10 09:27:35.52 .net
志賀島で出土しちゃった以上、委奴(伊都)国説はアウト!w

278:日本@名無史さん
24/01/10 09:41:57.02 .net
>>261
そんな国ない

279:日本@名無史さん
24/01/10 09:42:40.76 .net
委奴(伊都)説は、まさしく(終わった話をいつまでもほじくり返してるボケ老人のヒマ潰し)机上の空論ってやつやねw
いろんなスレで広めようとしても、誰も気にも留めず「かんのわのなのこくおう」w

280:日本@名無史さん
24/01/10 09:43:02.38 .net
存在理由がないのが畿内説

281:日本@名無史さん
24/01/10 09:45:41.89 .net
でも通説

282:日本@名無史さん
24/01/10 09:48:02.17 .net
>>266
倭の1国でしかない奴国に金印あげる理由がない

283:日本@名無史さん
24/01/10 09:48:49.51 .net
伊都国千戸が奴国二万戸と戦争したら、一たまりもなく潰される罠w
それが答えだ!w

284:日本@名無史さん
24/01/10 09:52:03.04 .net
>>270
1万戸な
奴国は一大率に怯えている

285:日本@名無史さん
24/01/10 09:52:59.09 .net
中1地理歴史の期末試験問題:
以下の情報から、倭女王「卑弥呼」(?~西暦247年)が君臨した邪馬台国はどこにあったか、選択肢A~Cから選んで答えなさい。
伊都国(一大率=女王国以北の国邑を監視)=福岡県糸島市
 ↑【脊振山地】
女王国(邪馬台国)→複有国皆倭種(本州)
 ↓.......................又有侏儒国在其南(四国)去女王四千里
狗奴国・副官狗古智卑狗(熊本県菊池郡)
A.奈良県桜井市 B.福岡県(筑紫平野) C.徳島県(阿波国)

286:日本@名無史さん
24/01/10 09:53:20.23 .net
つまり邪馬台国は九州以外

287:日本@名無史さん
24/01/10 09:55:01.47 .net
>>257
>ニュージーランド北島タウポ山の大噴火による大飢饉が起こり、中国では黄巾の乱、倭国では【倭国大乱】となり、
それもあった、が、
その影響で半島の楽浪郡と傘下の馬韓族が大挙南下渡来して、倭の奴国王権を攻略した。
そして旧100余国の内70国を鎮め、佐賀平野に奴国2万戸、日向に投馬国、肥後阿蘇に邪馬台国7万戸を建てた。
つまり「伊都国+馬と名のつく国連合」だ。

288:日本@名無史さん
24/01/10 09:55:32.15 .net
NGワード イト w

289:日本@名無史さん
24/01/10 10:09:33.10 .net
奴国2万戸
投馬国5万戸
邪馬台国7万戸
奴国は大国ではない
投馬国や邪馬台国を九州に求めることはできない

290:日本@名無史さん
24/01/10 10:11:22.43 .net
>>276
奈良も無理だな

291:日本@名無史さん
24/01/10 10:13:42.16 .net
漢委【奴国】王(57)の末裔、倭王帥升(107)も当然ながら奴国(博多)王だよ
つまり福岡奴国2万戸から筑紫邪馬台国7万戸に倭王権が移ったのが倭国大乱(後漢桓帝&霊帝146~189)で、
「其国本亦以男子(帥升)為王 住七八十年 倭国乱 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑弥呼」と189-107=82でピタリと合うw

292:日本@名無史さん
24/01/10 10:22:05.45 .net
まったく理由の言えない九州説

293:日本@名無史さん
24/01/10 10:23:35.50 .net
倭王、すなわち奴国(2万戸)王・帥升死後の王位継承戦争が倭国大乱だったのだろう
倭王権は南の新興勢力・筑紫邪馬台国7万戸・卑弥呼に取って代わられ、卑弥呼が(かつての帥升同様)高齢となったため、それをチャンスと見た南の肥後狗奴国との倭王位争奪戦争が始まり、老女王・卑弥呼は後ろ盾を得るため曹魏帝に朝貢したということだろう。

294:日本@名無史さん
24/01/10 10:24:51.94 .net
>>270
>伊都国千戸が奴国二万戸と戦争したら、一たまりもなく潰される罠w
あのな、郡使往来して常に駐する所とあるだろ、太平御覧所引倭人条では常止駐となっている。
つまり、始め公孫氏、のちには魏の司馬懿の軍隊を伴う楽浪郡、帯方郡に次いで開かれた第三の郡衙が、
末盧国東南500里の佐賀伊都国だったのだ。

295:日本@名無史さん
24/01/10 10:25:07.90 .net
魏志倭人伝より
「女王国の東には海があり、渡海千余里行くとまた国々があり、それらも皆倭種である」

296:日本@名無史さん
24/01/10 10:30:42.77 .net
>>282
「女王国の東には海があり、渡海して千里行くとまた国々があり、それらも皆倭種である」
「その(国々の)南にはまた侏儒国があり、女王国からは四千里である」
「女王国の南には狗奴国があり、官を狗古智卑狗、男王卑弥弓呼といい、女王国には属していない」
まとめると、
女王国(邪馬台国)→複有国皆倭種(本州)
 ↓.......................又有侏儒国在其南(四国)去女王四千里
狗奴国・副官狗古智卑狗(熊本県菊池郡)

297:日本@名無史さん
24/01/10 10:32:13.79 .net
>>255
>1世紀の頃、倭はイと発音されていた。
「あ」がつく名称は、「天照大神」・「粟」の「あ」に由来している。   
「い」がつく名称は、「伊予之二名島」の「い」に由来している。   
記紀は「あ」か「い」で始まる名称が非常に多い。 
これは、記紀が倭国(阿波)での出来事を記載している証左である。   @阿波

298:日本@名無史さん
24/01/10 10:33:15.84 .net
>>277
だから、「阿波」一択 だと、何度言えばww   @阿波

299:日本@名無史さん
24/01/10 10:35:05.93 .net
>>281
>末盧国東南500里の佐賀伊都国だったのだ。
伊都国に見合う遺跡が一切無し! 却下!   @阿波

300:日本@名無史さん
24/01/10 10:35:41.00 .net
>>285
四国は「侏儒(小人)国」だと何度言えばw

301:日本@名無史さん
24/01/10 10:36:30.06 .net
侏儒(小人)国」に「其山有丹」はない! 却下!   @阿波

302:日本@名無史さん
24/01/10 10:36:49.86 .net
奴国2万戸・・・旧小国2000戸・10国がまとめられた新大国
投馬国5万戸・・・旧小国2000戸・2がまとめられた新大国
邪馬台国7万戸・・・旧小国2000戸・35がまとめられた新大国  
旧100余国とは、以上の消滅70国に、今の女王30国をくわえた数字

303:日本@名無史さん
24/01/10 10:38:36.03 .net
@阿波は特殊学級のかわいそうな子

304:日本@名無史さん
24/01/10 10:39:57.59 .net
>>283
弥生時代の北部九州と本州側とでは明らかに文化の違いが見られ、特に近畿東海地域は銅鐸文化圏などと言われていた
どう考えても女王国は九州だよな

305:日本@名無史さん
24/01/10 10:40:22.11 .net
「投馬國」や「邪馬臺国」「狗奴国」の超大国が、四国黒潮太平洋側沿岸地域に在るのは、自然の摂理。   @阿波

306:日本@名無史さん
24/01/10 10:40:33.22 .net
まず「女王国(九州)東渡海千里、複有国皆倭種(本州:銅鐸王大国主)、又有侏儒国(四国:少彦名)在其南、去女王四千里」から九州が確定。
次に「其南有狗奴国、不属女王。男王卑弥弓呼、副官狗古智卑狗(熊本県・菊地平野)」から、【女王国=筑紫平野】であることまでは読み取れます。
さらに「卑弥呼、事【鬼道】能惑衆、以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食伝辞出入。居處宮室、樓觀城柵嚴設、常有人持兵守衞」は吉野ヶ里そのもので、鬼道を、鬼籍に入った歴代倭王(死者)の霊を呼び出すイタコと解釈すれば、主祭殿3階(屋根裏部屋)の祖霊を祀る祈祷室(最高所)はまさに(天と鬼=歴代倭王のお告げの声を聴く)巫女の卑弥呼にピッタリです!
なお、投馬国からの「南水行十日陸行一月」は呉の背後、つまり「会稽東冶(帯方郡から12,000里)の東(の海上)にあり」とするための方便(嘘)だとすると辻褄が合いますよ。
魏志倭人伝の蛇足(嘘)=投馬国→邪馬台国「南水行十日陸行一月」(呉の背後)
末盧国↘伊都国↘奴国→不弥国(九州北岸-福岡平野)
...↑▲▲脊振山地▲▲.....↓
女王国(筑紫-日田-中津)↓〜複有国皆倭種(本州・銅鐸王大国主✖畿内説)
...↓...........【豊後水道】↓〜〜〜↓
狗奴国(菊池+熊本)......↓〜又有「侏儒国」在其南(四国・少彦名)
......................投馬国(宮崎平野)
............................↓※蛇足「南水行十日陸行一月(嘘)」
会稽東冶〜〜〜幻の邪馬台国(帯方郡から12,000里)※架空の女王国

307:日本@名無史さん
24/01/10 10:41:14.05 .net
「投馬國」や「邪馬臺国」「狗奴国」の超大国が、四国黒潮太平洋側沿岸地域に在るのは、自然の摂理。   @阿波

308:日本@名無史さん
24/01/10 10:41:58.77 .net
阿波説は日本国内で日本では無い国の教育を受けた人たちの集団であると推察できる

309:日本@名無史さん
24/01/10 10:43:45.01 .net
>>295
と、トンデモ説信者は、行き詰った挙句にそう言い出さざるを得なくなる。  わははははは   @阿波

310:日本@名無史さん
24/01/10 10:44:26.63 .net
日本の歴史で阿波が主役になった事は一度も無い

311:日本@名無史さん
24/01/10 10:45:19.49 .net
>>297
これからは、「阿波」が日本の古代史を正常に戻す!   @阿波

312:日本@名無史さん
24/01/10 10:45:30.67 .net
漢委奴国王も奴国
帥升も奴国
でも魏志では奴国は投馬国よりも邪馬台国よりも格下
つまり、九州説の破綻です

313:日本@名無史さん
24/01/10 10:45:36.52 .net
>>296
お前は朝鮮高校の卒業生だもんな

314:日本@名無史さん
24/01/10 10:46:06.04 .net
>>298
キチガイがいます

315:日本@名無史さん
24/01/10 10:47:19.35 .net
>>300
と、レイシストは、行き詰った挙句にそう言い出さざるを得なくなる。  わははははは   @阿波

316:日本@名無史さん
24/01/10 10:47:30.48 .net
>>297
まさに縁の下の力持ち、(瀬戸内)海の向こうからやって来て、大国主の手のひらの上に載って国造りを手伝った少彦名(道後温泉出身)ジャマイカ!w

317:日本@名無史さん
24/01/10 10:48:07.98 .net
伊都国はバチカン市国、邪馬台国はバチカン市国の荘園

318:日本@名無史さん
24/01/10 10:49:26.21 .net
>>303
主役を張れるのは「阿波」だけ。   @阿波

319:日本@名無史さん
24/01/10 10:49:51.53 .net
>>302
日本の歴史を改竄しようとするものは日本人では無い

320:日本@名無史さん
24/01/10 10:52:25.64 .net
イトデマ撒き散らし男=バカチン市国 w

321:日本@名無史さん
24/01/10 10:55:32.96 .net
>>299
倭国大乱(146~189)で、博多奴国から筑紫邪馬台国に倭王権が移ったんだよ
魏志倭人伝の描写とピタリと合う

322:日本@名無史さん
24/01/10 11:03:01.53 .net
伊都国、奴国、邪馬台国は倭国の御三家

323:日本@名無史さん
24/01/10 11:07:14.92 .net
奴国には王がいない
ところが伊都国には王がいる
しかも奴国は、投馬国、邪馬台国の半分もない勢力
九州説の破綻

324:日本@名無史さん
24/01/10 11:12:13.92 .net
そして、帥升死後の倭国大乱(王位継承戦争)により、博多奴国2万戸(福岡平野)が敗れ、勝利した邪馬台国7万戸(筑紫平野)に倭王権が移ったことにより、狗奴国と直接国境を接するようになり、巫女の卑弥呼が高齢となったため再び王位継承戦争の勃発が確実で、倭王位を奪う千載一遇の好機到来と見た狗奴国・卑弥弓呼が新たに王位争奪戦争を仕掛け、恐れをなした老女王・卑弥呼は魏帝に朝貢し、「親魏倭王」として帯方郡直轄の鉄を輸入して対抗した。

325:日本@名無史さん
24/01/10 11:14:43.75 .net
>>310
その奴国2万戸に対してたった千戸しかない伊都国だよ、バカチン四国くんw

326:日本@名無史さん
24/01/10 11:17:10.35 .net
はっきりいって投馬国も邪馬台国も盛ってるよね
そのまんま当てはめようとしたら福岡も奈良も無理

327:日本@名無史さん
24/01/10 11:19:31.95 .net
漢書にも用いられた「道行文のルール」に拠りて行程を解読すれば以下の如し・・・
・主線行程最初の末盧国は唐津・中原の津→東南500里伊都国は佐賀大和町川上→其東南至奴国佐賀城は傍線100里の説明。
・元の伊都国に戻って→東行100里の不彌国が吉野ヶ里で主線終点。
・終点から四至(東西南北)の説明


328:となり、南至の投馬国(宮崎)と南至の邪馬台国(熊本)の2国並列記述となる。 これで、倭人伝の方角・距離は、完璧に記述通りそのままで宜しい。 夷人倭種は、これを知らずして読むから千年の迷路に入る。漢人は知って読むから、すぐ読み解く。



329:日本@名無史さん
24/01/10 11:24:46.14 .net
伊都国の南から熊本までが邪馬台国だよ

330:日本@名無史さん
24/01/10 11:25:04.99 .net
漢委奴国王=奴国説
帥升=奴国説
を採用した場合、代々奴国にいた王は魏志の時点で排除されたことになる

331:日本@名無史さん
24/01/10 11:26:19.62 .net
伊都とは聖なる都つまり聖地という意味

332:日本@名無史さん
24/01/10 11:26:28.99 .net
イト説男=バカチン四国w

333:日本@名無史さん
24/01/10 11:27:30.73 .net
伊都には巫女の養成所があったそうだ

334:日本@名無史さん
24/01/10 11:31:58.21 .net
一切理由を言わないのが
九州説の特徴

335:日本@名無史さん
24/01/10 11:36:52.54 .net
>>316
その通り排除された。
それが倭国大乱で勝者は伊都国と投馬国と邪馬台国。
だから奴国や不彌国には、卑奴母離=卑奴守り=奴(下僕)の監視役、がいる。

336:日本@名無史さん
24/01/10 11:42:36.73 .net
バカチン四国=伊都国説など誰も読んでないし気にもしないw

337:日本@名無史さん
24/01/10 11:45:50.61 .net
伊都に巫女の養成所があったと言うのは伊都国歴史博物館職員の話。YouTubeにあるよ

338:日本@名無史さん
24/01/10 11:51:38.32 .net
桜井茶臼山が出てくるまで、国内最多の銅鏡40面(うち超大型内行花文鏡5面)メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900、耳璫 3破片、素環頭大刀 1
を誇る圧倒的大王イトジョオウがいた平原王墓
弥生最強の王イトジョオウ
奴国なんかとは比較になりません

339:日本@名無史さん
24/01/10 11:53:06.76 .net
バカチン四国の妄想は聞き飽きたw

340:日本@名無史さん
24/01/10 11:56:01.78 .net
>>321
倭国乱れるとしか書いてない

341:日本@名無史さん
24/01/10 12:01:15.51 .net
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種 → 至狗奴国 = 久努国(くののくに)


久 努 国 ( く の の く に )


久 努 国 ( く の の く に )


馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww

342:日本@名無史さん
24/01/10 12:02:32.97 .net
①倭国大乱…帥升死後、倭王権が奴国2万戸(漢委奴国王→帥升)から南の筑紫平野・邪馬台国7万戸に移る
②狗奴国戦争…筑紫邪馬台国に倭王権が移ったことで南の狗奴国(菊地・熊本)との緊張感が高まり、卑弥呼が老齢になるとついに相攻する交戦状態へ
③卑弥呼の朝貢…(呉の孫権を後ろ盾にした)狗奴国との戦争の後ろ盾を得るため、曹魏に朝貢し「親魏倭王」に封じてもらい、帯方郡が管理する狗邪韓国(伽耶)の鉄を輸入する。
 さらに狗奴国を側面から牽制するため投馬国(宮崎)と同盟を結ぶ。

343:日本@名無史さん
24/01/10 12:08:17.10 .net
卑弥呼も台与も伊都の巫女養成所の出身者だよ

344:日本@名無史さん
24/01/10 12:08:51.96 .net
>>329
バカチン四国の妄想乙w

345:日本@名無史さん
24/01/10 12:15:46.27 .net
>>328
宮崎からはほとんど何も出土しない

346:日本@名無史さん
24/01/10 12:17:31.23 .net
>>316
いや、首狩り甕棺墓はその前にど没落している

347:日本@名無史さん
24/01/10 12:22:49.03 .net
邪馬台国の「水行十日陸行一月」「七万戸」「婢千人」などはいずれも倭人からの伝聞であろう
倭人からの伝聞でなければ、魏志倭人伝が距離を日数表記する理由がない(倭人が里数を知らず日数で距離を測ったことは後の隋書倭国伝に記載あり)
帯方郡使に倭人がこれらの情報を伝えた時に安全保障上の理由で何れも過大に盛ったことは想像に難くない
水行十日陸行一月や七万戸の数字を額面通りに議論するのは無意味だ

348:日本@名無史さん
24/01/10 12:25:27.09 .net
>>333
>水行十日陸行一月や七万戸の数字を額面通りに議論するのは無意味だ
と、トンデモ説信者は、行き詰った挙句にそう言い出さざるを得なくなる。  わははははは   @阿波

349:ウエストランド丼口
24/01/10 12:29:21.63 .net
距離を盛るのはいいんだよ。目的地はその途中(手前)にあって必ず着くんだからw
でも(南→東)と方角を「箸墓=卑弥呼の冢」ありきで勝手に解釈を変えたりしちゃダメ(この時点でアウト!)でしょ(絶対着かないんだから、100%間違った場所に着くんだから)w
しかも、247年、卑弥呼の要請で実際に「女王之所都」に来て、卑弥呼の冢を見ている張政や郡使も読んで、「女王国東渡海千里複国有皆倭種」も東、「其南有狗奴国不属女王」も東、でダブってるじゃないか!アレ?おかしいぞっ!?てすぐ解るような文章書くかよ、岡上じゃあるまいしw

350:日本@名無史さん
24/01/10 12:32:47.43 .net
年がら年中同じこと繰り返し言ってておまえら病気やんw
卑弥呼は九州女王国にいて邪馬台国へ纏向だともうそれでほぼ決着なのに、
ほんとヲタクは自分のマニアックな考えに拘泥していつまでもああだこうだうるさいから嫌われるんだよw

351:日本@名無史さん
24/01/10 12:35:37.99 .net
>>336
卑弥呼は九州女王国にいて邪馬台国は纏向だと、
年がら年中同じこと繰り返し言ってておまえら病気やんw

352:日本@名無史さん
24/01/10 12:36:16.25 .net
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、(蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様)呉の牽制として東の「親魏倭王」として、帯方郡が管理していた「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権(郡宛て鉄の発注書用の封泥金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援要請だったわけで、(其南有)狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は【狗奴国の位置】であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説の狗奴国を検討すると、以下のようになる。
-女王国 東渡「海A」千余里 「複有国B」皆倭種
〇九州説…「東渡海A」関門海峡「複有国B」本州、✕畿内説…「東渡海A」鈴鹿山脈「複有国B」北海道
-其南有狗奴国 不属女王
〇九州説…熊本もしくは薩摩、✕畿内説…仲良し東海+河内(大阪)彦←支離滅裂
畿内説はいずれも当てはまらない上、「女王国東渡海複有国皆倭種(→東)」と「其(女王国)南有狗奴国 不属女王(南↓)」が共に「→東」で重複する。
また、鉄製武器(軍事力)も文字も駅伝制(通信手段)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能(倭地に牛馬なし)。
消去法により、九州説が正しい。
では、狗奴国が熊本か鹿児島かだが、邪馬台国七万戸を統治する倭女王をして、魏帝に援軍要請させるほど窮地に陥れる国の軍事力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)を想定。
面積から見て、川内平野でゎ「平野面積≒戸数」となる3世紀の開墾能力では無理があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智卑狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、北岸の吉野ヶ里遺跡を始め、弥生拠点集落の宝庫「筑後(川)の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所・甘木朝倉を、
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、かつ同時期(甕棺墓)の殉葬者が少なくとも66体以上(うち2体は刺し違え)確認されている「有棺無槨」祇園山古墳を比定。

353:日本@名無史さん
24/01/10 12:44:59.36 .net
おまえらのために調べてやったがこれや南北朝時代の南朝側の九州にいた懐良親王が中国に朝貢して日本国王にしてもらい九州支配してる。これと卑弥呼の邪馬台国同じやw
その日本国王懐良親王の日本の都は九州ではなく天皇家のいる京都だろw
卑弥呼が九州女王国にいて、都としてるのは畿内邪馬台国纏向。それで全て解決なのになんとまあ理解力ないやつらばかりで呆れ返るw

354:日本@名無史さん
24/01/10 12:45:54.45 .net
近畿説は邪魔だ!消えろw

355:日本@名無史さん
24/01/10 12:48:33.83 .net
宮崎って免田式土器だろ?
狗奴国だよ

356:日本@名無史さん
24/01/10 12:49:34.39 .net
>>338みたいにウソばっかりついてるから
九州説はゴミ扱いされる

357:日本@名無史さん
24/01/10 12:49:57.40 .net
熊本県球磨郡免田地方の地名にちなんだ弥生時代中期末~古墳時代前期の土器。1918年ころ免田町(現,あさぎり町)本目の源が屋敷(げんがやしき)(本目遺跡という)一帯の畑を水田にするため地下げしたところ,数十~100個余りの完形土器が発見されたという。なかでも多くの長頸壺の胴部に重弧文(じゆうこもん)の文様が描かれていたところから,重弧文土器と呼ばれていた。37年に源が屋敷から発見された鋸歯文の長頸壺と瓢形(ひさごがた)土器の2個は重要文化財になっている。免田式土器の古い形式は胴部が〈く〉の字状に折れ重弧文を,新しい形式は丸みをもった胴部に鋸歯文を描き,底部はともに丸底である。壺のほか甕,鉢,高坏などの土器や蛤刃状の石斧,石庖丁などを伴い,免田町馬立原(またてばる)の市房隠(いちふさかくれ)遺跡では,小型の支石墓に免田式土器が伴った。免田式土器は免田地方など球磨川流域を中心に,熊本県南部に広く分布し,北は佐賀平野から南は沖縄本島まで及ぶ。

358:日本@名無史さん
24/01/10 12:51:41.33 .net
>>341
寒村宮崎に超大国「狗奴国」がある筈なかろうがよ。   @阿波

359:日本@名無史さん
24/01/10 12:54:13.80 .net
あと箸墓に惑わされてあれが卑弥呼の墓だから卑弥呼は纏向にいて邪馬台国は畿内ってのもおまえらの勝手な思い込みで、箸墓とか明らかに四世紀前半あたりの古墳で卑弥呼とは無関係だろw
卑弥呼なんて記紀にも登場しない小物だしそんなたいそうな墓ではなく九州のどっかにある小さな円墳だろw

360:日本@名無史さん
24/01/10 12:55:10.08 .net
宮崎で庄内式、布留式は出る?

361:日本@名無史さん
24/01/10 12:56:34.50 .net
懐良親王は既に天皇・朝廷という日本列島の統一的な権威・体制が確立してからの地方長官だが、卑弥呼の時代はそもそも日本列島に統一政権がなく北部九州の地方勢力としての倭国(女王が卑弥呼、都が邪馬台国)と畿内大和の地方勢力としてのヤマト王権が「全く別の国として」(←ここが重要)並立していた

362:日本@名無史さん
24/01/10 12:59:54.17 .net
>>344
宮崎からは国宝が出ているが徳島には国宝が一つも無い

363:日本@名無史さん
24/01/10 13:03:14.47 .net
邪馬台国七万戸が北九州って当時の日本の人口とんでもなくいた計算になるから九州ではない。そんなことすらまだわからず延々と邪馬台国の位置論争やってるとかどんだけ暇なんだよw

364:日本@名無史さん
24/01/10 13:03:37.33 .net
ごく一部の事実だけで邪馬台国の場所を判断しようとする人間がいるが、それは誤りだ(例えば前方後方墳と土器編年だけで邪馬台国の場所を判断しようとする日本の考古学界などはその類だ)
邪馬台国の真実は、魏志倭人伝と記紀と諸々の考古学的事実が全て整合するところにあるはずだ
まず魏志倭人伝
この記述によれば距離(帯方郡から一万二千里かつ伊都国から千五百里)、方角(伊都国・不弥国から南)とも邪馬台国は北部九州になる
南に菊池・熊本あたりの狗奴国があり、東に海を渡ると倭種の国々(本州・四国)があり、西については何ら記載がない(東シナ海なので何もない)という周囲の位置関係もぴったりだ
鉄鏃・絹・有棺無槨の墓制(箱式石棺墓)など北部九州に特徴的なことばかりが記述され、巨大前方後円墳・銅鐸など畿内大和に特徴的なことは一切記述されていない
魏志倭人伝を丹念に読んで地図や考古学と照らし合わせれば、邪馬台国および倭国が北部九州にあったことは容易にわかる
次に記紀
これを読めば、纒向に都した崇神・垂仁の時代には北部九州にはまだ影響力を持っていなかったことがわかる
崇神天皇が四道将軍を派遣した先は吉備・東海・丹波・北陸の四地域で北部九州には接触していない
纒向の外来土器は多い順に吉備25%、東海20%、河内20%、山陰北陸17%となっており、近接する河内を除けばぴったり四道将軍派遣範囲だ
そして纒向から北部九州の土器は殆ど出ない
記紀に書かれたこと(纒向ヤマト王権の勢力範囲に北部九州は含まれないこと)は考古学的にも裏付けられる
魏志倭人伝に描かれた倭国は北部九州の勢力すなわち筑紫の地方勢力であり、記紀に描かれた初期ヤマト王権(崇神天皇あたり)は大和の地方勢力だ
前者には王を合議で決める風習や巫女女王の伝統があるが、後者は成立当初から血統による男系男子(特に男系は絶対)に強く拘り、権力継承も全く異質だ
明らかにこの二つは地理的にも政治的にも別の権力であり別の国だ
纒向遺跡を調査すればするほど魏志倭人伝の倭人のクニの様子と似ても似つかないことがはっきりしてきたが、そもそも別の国なので当然の話だ
「北部九州倭国と畿内ヤマト王権は別の国」
何故こんな簡単なこともわからず邪馬台国畿内説などという極めて合理性の乏しい珍説を主張する人間がいるのか理解に苦しむ

365:日本@名無史さん
24/01/10 13:16:13.43 .net
なんと頭の悪いw
陸行一月でも七万戸でもどちらでも明らかに邪馬台国は九州ではないことは明らかなのに記紀なんて信じちゃって勝手に邪馬台国と大和政権は別の国だとヲタクはほんと思い込みが激しいやつらばかりだなw
倭国大乱とかいう魏志倭人伝に書いてあるのが纏向初期段階に北九州ブロックに進出したが戦乱長引きらちが開かないから話し合いで、北九州の女巫女の卑弥呼を女王として認めて九州統治を任せて一応形上は纏向政権と連合して繋がってはいるわ。
女王の都は畿内纏向邪馬台国だと書いてあるしw
邪馬台国への里程も伊都国への里程とは別の資料で帯方郡から邪馬台国へ直接いく距離を書いてるだけで。
なので里程の記載方法が異なってるわけでそれですべて説明可能。
これだけ言ってもまだ理解できない馬鹿は才能ないから邪馬台国からはよ卒業して真面目に働けw

366:日本@名無史さん
24/01/10 13:16:16.01 .net
>>350
箱式石棺が有棺無槨だというのは初歩的な誤り

367:日本@名無史さん
24/01/10 13:24:16.03 .net
3世紀の紀年銘鏡が九州・奈良で出土しない。何故なら邪馬台国東遷する際、各地の有力豪族に粗品として配ったから。

368:日本@名無史さん
24/01/10 13:25:38.74 .net
九州も畿内も邪馬台国なんだが。どこに九州と畿内の大戦争跡があるのかね?

369:日本@名無史さん
24/01/10 13:28:56.28 .net
粘土は水分の濾過に適さない。
粘土は水田の周囲の畔土として水漏れを防ぐ
大豆は肥料分の少ない畔土で空気中の窒素を葉っぱから吸収し
根から放出して野菜や雑草の葉っぱや茎の成長に必要な肥料の成分となる。
北九州や阿蘇山の周辺には米や豆類、なすび、スイカ、キュウリなど果実の生育に必要なリン酸肥料の吸収を阻害するアルミニュウムが多く存在する。
だから人糞、牛糞、鶏糞などを肥(こや)しとして投入する必要がある。

370:日本@名無史さん
24/01/10 13:31:22.01 .net
>>353
桜井茶臼山で出てる
正始元年鏡

371:日本@名無史さん
24/01/10 13:33:47.40 .net
また東遷とかヲタク臭いファンタジー言い出すしw
邪馬台国が九州にあって東遷して大和に移ったってw
大和政権側ははいそうですかと自分らの国をあっさり九州の邪馬台国に譲ったとか思ってるのか頭わりー連中やw

372:日本@名無史さん
24/01/10 13:34:40.56 .net
免田式しか出ない
庄内、布留出ない
南九州に投馬国と邪馬台国を求めることは事実上不可能

373:日本@名無史さん
24/01/10 13:37:59.01 .net
>>357
畿内説の権威・寺澤先生もそう言ってる

374:日本@名無史さん
24/01/10 13:39:20.87 .net
>>357
鉄も銅鏡もなかった畿内に自生的にヤマト王権ができたという畿内自生説は岡上さんも否定している

375:日本@名無史さん
24/01/10 13:41:48.97 .net
345
九州バカは漢文をマトモに解釈できないから
「大作冢徑百歩」を直径百歩の大きな円墳又は前方後円墳と誤解して
纏向箸墓と決め付けてるが
      それは大間違いwwwwww

376:日本@名無史さん
24/01/10 13:47:00.48 .net
畿内ヤマトの神話には畿内が九州を平定した物語が書かれてる
倭王武も先祖が東西にたくさんの国を平定したと主張した
旧唐書にも日本が倭国を併合したと倭人が主張してた記録が残されてる
これを素直に受け入れるだけでいいのに

377:日本@名無史さん
24/01/10 13:47:20.02 .net
>>354
継体天皇も、戦争ではなく招聘されたではないか?

378:日本@名無史さん
24/01/10 13:51:14.76 .net
①倭国大乱…帥升死後、倭王権が奴国2万戸(漢委奴国王→帥升)から南の筑紫平野・邪馬台国7万戸に移る
②狗奴国戦争…筑紫邪馬台国に倭王権が移ったことで南の狗奴国(菊地・熊本)との緊張感が高まり、婿無で世継ぎのいない卑弥呼が老齢になると、ついに相攻する交戦状態とへ突入!
③卑弥呼の朝貢…(呉の孫権を後ろ盾にした)狗奴国との戦争の後ろ盾を得るため、曹魏に朝貢し「親魏倭王」に封じてもらい、帯方郡が管理する狗邪韓国(伽耶)の鉄を輸入する。
 さらに狗奴国を側面から牽制するため投馬国(宮崎)と同盟を結ぶ。

379:日本@名無史さん
24/01/10 13:59:53.69 .net
>>339
懐良親王は南朝の征西大将軍
明の洪武2年(1369年)、東シナ海沿岸で略奪行為を行う倭寇の鎮圧を「日本国王」に命じる、
明の太祖からの国書が使者楊載らにより懐良親王のもとにもたらされた。
国書の内容は高圧的であり、海賊を放置するなら明軍を遣わして海賊を滅ぼし「国王」を捕えるという書面であった。
これに対して懐良は、国書を届けた使節団17名のうち5名を殺害し、楊載ら2名を3か月勾留する挙におよんだ。
倭人伝とは状況が全く違う

380:日本@名無史さん
24/01/10 14:00:03.71 .net
東遷とかファンタジー的なこと言って本出したほうがおまえらヲタクが食いつきやすいから商売で言ってるだけだろw
纏向から北九州系の土器など殆ど出てこないし吉備と東海系が多いのになぜ東遷説なんかまにうけてるのかw

381:日本@名無史さん
24/01/10 14:04:13.52 .net
そりゃ邪馬台国は大和で、
卑弥呼は九州のただの無名の女巫女で、
記紀にもなぜ登場しないかはとるに足らないもんだったから単純に知らなかっただけで、
大和政権が力を持ち始め九州統治可能になり始めた頃女王国体制など自然消滅したとか
ほんとの歴史語ってもヲタクからしたらなんら面白味もない結論だからなw

382:日本@名無史さん
24/01/10 14:09:01.32 .net
つまり畿内説は作り話
後漢書の通り、代々王を継ぐ邪馬台連合30国は2世紀に既に存在しており、畿内にはそんな痕跡はない
しかし争いが絶えず衰退してきたので卑弥呼を女王として共立した
吉野ヶ里の巫女の墓はそうした高貴な巫女が居た事を示している
史書には卑弥呼時代に邪馬台国が建国され最盛期を迎えたなんて話は記されていない
むしろ狗奴国に戦争を仕掛けられるほどに衰退していたと考えられる
その流れでいけば畿内はむしろ狗奴国に該当するのではないか?

383:日本@名無史さん
24/01/10 14:14:27.78 .net
七万戸と陸行一月の時点で九州説はない。てかそれすらわからんヲタクが次々と現れるし挙句阿波とか言い出す輩も増えてるし邪馬台国とかなんでこんなキチガイばかり集まるのかw

384:ネトウヨボクメツタイ!
24/01/10 14:27:27.00 .net
ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む
・魏志の漢字を何故か現代音で分析してしまう

385:ネトウヨ撲滅隊!
24/01/10 14:31:03.21 .net
ネトウヨは古史古伝を信奉するような日本会議の連中や壺が多い
彼らが九州説なら畿内説が正しいということだ
ネトウヨの逆が真である


386:



387:日本@名無史さん
24/01/10 14:57:11.21 .net
関東から西日本の諸国の王が集まって、会議、談合して
卑弥呼を共立したのはおかしくないか
2世紀の末、邪馬台国の首都が纏向で、議事堂とか物流の拠点
だったのも疑問だ
ずっと以前から証拠があるから後は証明すると言っているが
できない

388:日本@名無史さん
24/01/10 15:00:13.18 .net
郡から目的地まで万二千里。
糸島市まで10500里。
あと1500里。
唐津から糸島市まで500里。
これをコンパスで3倍に取る。
コンパスの針を糸島に置いて線を引く。
線内側で港を持たない内陸の平野が卑弥呼なる女酋長のいた地点。

389:日本@名無史さん
24/01/10 15:01:28.26 .net
九州邪馬台国は火山地帯で土地が痩せていて
しかも北西季節風が吹き荒れる日本海型気候で
弥生時代に7万戸≒20万~30万人の胃袋を満たすほどの農業は出来なかったwww

390:日本@名無史さん
24/01/10 15:03:40.09 .net
>>371
朝鮮学校卒業生の逆が真である

391:日本@名無史さん
24/01/10 15:07:09.13 .net
ここが邪馬台国ですURLリンク(i.imgur.com)

392:日本@名無史さん
24/01/10 15:10:07.87 .net
倭国大乱は北九州限定の局地戦だろ。
全国規模で大乱の考古学的物証など出ないし。
纏向初期政権を構成する西日本の吉備や出雲あたりの豪族が北九州の要所抑えようと兵を差し向けたがなかなかうまくいかないので、
渋々話し合いで卑弥呼とかいう九州の女巫女を女王として認めて九州はそれでうまく治めてくれ。一応我々纏向側とも同盟関係で仲良く行こうね。
と妥協したのだろう。それで魏志倭人伝の記述ともほぼ一致する。
なぜこんなこともわからず未だに邪馬台国の位置論争延々とやってるのか理解に苦しむねw

393:日本@名無史さん
24/01/10 15:14:23.99 .net
>>373
日田市ですね。

394:日本@名無史さん
24/01/10 15:17:32.92 .net
最後に「陸行一月」とあるので
内陸の港を持たない地域
それが女王の都とする所であります。

395:日本@名無史さん
24/01/10 15:21:12.99 .net
>>366
古事記だと、神武は広島・岡山に15年間滞在。広大な草原地帯で砂鉄を採掘。葦原中国とも呼ばれてる。

396:日本@名無史さん
24/01/10 15:26:


397:40.58 .net



398:日本@名無史さん
24/01/10 15:28:19.91 .net
東遷ではなく、東征
しかも、袂をわかった分家
だから関連性も薄い
546 ウィズコロナの名無しさん 2023/12/02(土) 12:49:51.46 ID:LKUQkczU0
字義から考察すれば、ここまで見えてくる新解釈!
24 ウィズコロナの名無しさん 2023/07/16(日) 19:49:35.97 ID:hvNoR2Q00
畿内の邪馬台国は、北部九州の分家
邪馬台国の官トップは
伊支馬 = 伊(伊都国)から枝分かれした馬
あてた字を見れば一目瞭然な分家

北部九州から移ったのではなく
本家から分かれた分家であり
本家の北部九州は、倭の五王ひいては、それが筑紫君へと繋がる

399:日本@名無史さん
24/01/10 15:30:13.84 .net
>>379
山国川か駅館川もしくは遠賀川を水行陸行して日田でしょうね

400:日本@名無史さん
24/01/10 15:33:09.01 .net
その女王が都とする所もおまえらが激しい思い込みからの勘違いで邪馬台国=女王国で卑弥呼がいた場所だと勝手に解釈してるから話がこじれてるだけやこんなん。
女王国と邪馬台国は別だとそれだけでも気づくオツムがあればこんなんなんも悩むような問題でもないのにw

401:日本@名無史さん
24/01/10 15:34:42.48 .net
 
 
 
九州説 今日もひたすら嘘をつく

 

402:日本@名無史さん
24/01/10 15:34:43.62 .net
 
 
 
九州説 今日もひたすら嘘をつく

 

403:日本@名無史さん
24/01/10 15:35:57.07 .net
>>384
邪馬台国は無いんだよ

404:日本@名無史さん
24/01/10 15:36:49.11 .net
全ては陳寿が悪いと思います!

405:日本@名無史さん
24/01/10 15:38:05.91 .net
つまり存在理由を示せない畿内説は韓国式霊感商法詐欺でしたと

406:日本@名無史さん
24/01/10 16:18:45.16 .net
邪馬台国論争は畿内説の方がハンデは大きい、九州頼みでしか畿内説は成立出来ないが、九州説は九州だけで成立するからな。畿内説と言うのはこのように誠にずうずうしい説なんだわ

407:日本@名無史さん
24/01/10 16:43:10.89 .net
唐古・鍵をそのまま使えば良かったのに使わなかった
鉄を大量に持ってる九州人におののいたことだろう
とはいえ、共立王なんで、唐古・鍵の族長に配慮して何にもなかった纒向を王都とした
共立王卑弥呼が立つと、全く銅鏡が出なかった2世紀末、急に畿内の銅鏡が九州に匹敵するようになる

408:日本@名無史さん
24/01/10 16:52:25.51 .net
邪馬台国じゃなく邪馬壱国ね。

409:日本@名無史さん
24/01/10 16:52:37.66 .net
>>391
纏向を作ったのが九州にいる卑弥呼の一族だと考えれば納得できる、鏡は卑弥呼のネットワークを通じて送られたのでは無いのか?

410:日本@名無史さん
24/01/10 16:59:47.06 .net
邪馬台国の台のタが無声音になってイだけが残り、
・イと発音する人や種族が出てきた。それで邪馬壱国とも書かれるようになった。ただの訛りだね。

411:日本@名無史さん
24/01/10 17:07:21.29 .net
纏向から北九州の土器が殆ど出ないのにやはりおまえらヲタクは好きだねえその東遷説とかいうファンタジーw
魏志倭人伝の世界観は明らかにこれは九州だろ。狗奴国も熊襲あたりで。
ただ女王が都としてる邪馬台国は水行十日陸行一月で畿内纏向にあるとただそれだけの話であとの話は全て九州内での出来事だろw
おそらく卑弥呼は東遷などしておらず九州にいてそこが女王国。だから九州説も完全に間違いではない。
畿内纏向が邪馬台国だから畿内説も間違いではない。
両方とも間違いではないからここまで揉めるハメになってることなんで気づかないだか不思議でしょうがないわw

412:日本@名無史さん
24/01/10 17:07:26.59 .net
日本の支配階級が血統重視に代わったのは8世紀。それまでは不安定な王権だった。

413:日本@名無史さん
24/01/10 17:07:53.23 .net
.



投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」
都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり
当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない
玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている
投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ
今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである
郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである
URLリンク(stat.ameba.jp)



.

414:日本@名無史さん
24/01/10 17:22:52.85 .net
地球儀で魏の京都(みやこと読む)洛陽にデバイダの針を置いて
他方の針先を遼東半島の奥地の遼陽市(公孫淵の牙城襄平)迄伸ばす。
これが四千里である。

次にデバイダの針先を帯方郡に置いて福岡や吉野ヶ里の方向へ伸ばすと
あーら不思議
もう一方の針先は九州鹿児島を飛び越し
台湾も飛び越し、3倍した万2千里ならインドネシアまで到達する

415:日本@名無史さん
24/01/10 17:38:23.68 .net
唐の征伐を恐怖に感じた不比等らは、倭人伝の東南陸行は佐賀伊都国→吉野ヶ里不彌国→南至熊本邪馬台国の行程と知り、
故に卑弥呼の朝貢使は、此の道を逆にたどって末盧国の港に抜け、郡に上ったと見抜いた。
そこで三世紀の糸島・博多湾岸に仲哀・神功を華々しく登場させ、
「湾岸は前660年来の皇統の御領地だから卑弥呼使が通過するわけがない」との論陣を築いた。
そして更に念を入れて、伊覩縣、儺縣、宇瀰郷の地名も登場させ、
伊都国、奴国、不彌国を通過したという卑弥呼使は、三世紀の偽潜者なりと主張したのである。

416:日本@名無史さん
24/01/10 17:51:09.05 .net
>>396
倭の五王の時代にはもう血統重視してそう

417:日本@名無史さん
24/01/10 18:02:33.97 .net
3世紀、4世紀から世襲制化。それまでは非漢人の高句麗や鮮卑のようにクリルタイしてた。

418:日本@名無史さん
24/01/10 18:07:45.45 .net
寿命が長過ぎる天皇を無視すると、文献史学的に2世紀は大津に王宮所在地を移転している。
考古学的には近江系土器が韓国南部にまで広まった時期に該当。近畿・東海勢力が日本海側から大陸産の文物を入手していた。
つまり出雲・吉備・讃岐連合は北九州と口裏合わせして、関門海峡や明石海峡・鳴門海峡をブロックしていた。
したがって、邪馬台国畿内説は完全に破綻します。

419:日本@名無史さん
24/01/10 18:53:25.54 .net
爾支は平原女王(天照大神)から三種の神器を貰った邇邇芸でいいかもね

420:日本@名無史さん
24/01/10 19:07:27.05 .net
歴博が酷い
寺澤が107年倭国王帥升をイト国の王とみなしているのに対し、歴博は帥升をヤマト国王の王と想定しなければならないなどと書いている

421:日本@名無史さん
24/01/10 19:09:16.21 .net
卑弥呼は爾支の兄弟で爾支の子供が台与ではあるまいか。さらに爾支の孫が神武かもしれない。

422:日本@名無史さん
24/01/10 19:10:13.01 .net
卑弥呼は帥升の孫かなんかでオッケーか?おまえらのなかではw

423:日本@名無史さん
24/01/10 19:14:29.46 .net
その卑弥呼の次の壱与の子供あたりが神武天皇でおまえらが大好きな東遷とやらをして大和朝廷作ったわけか?w

424:日本@名無史さん
24/01/10 19:21:02.85 .net
邇邇芸のひ孫が神武

425:日本@名無史さん
24/01/10 19:22:06.37 .net
じゃあワイは対抗して西遷説でも言っておくかw
尾張氏あたりが西遷したのが邪馬台国だろw

426:日本@名無史さん
24/01/10 19:29:35.11 .net
尾張氏のルーツは九州

427:日本@名無史さん
24/01/10 19:37:49.85 .net
卑弥呼はたしか尾張氏系図にもそれらしき人物がいただろw

428:日本@名無史さん
24/01/10 19:42:33.04 .net
寺沢薫ってたしか同志社大学出身だから畿内説推してるだけだろw
つかその程度の私学の知能で何がわかるねん?w

429:日本@名無史さん
24/01/10 19:48:38.69 .net
>>323
歴博信用するとか畿内説かよ

430:日本@名無史さん
24/01/10 19:52:07.73 .net
畿内から海渡ること千里になんか国があるらしいが、奈良の東に海など古代にあったんか?w

431:日本@名無史さん
24/01/10 19:52:58.67 .net
唐の報復征伐を恐怖に感じた不比等は、倭人伝の東南陸行は
佐賀の伊都国→吉野ヶ里の不彌国→南至の熊本邪馬台国女王之所都の行程と知り、
故に卑弥呼の朝貢使は、此の道を逆にたどって末盧国の港に抜け、渡海して郡に上ったと見抜いた。
そこで日本書紀・三世紀の糸島・博多湾岸に仲哀・神功を華々しく登場させ、
「博多湾岸は、前660年以来の皇統の領地であるから、南の女酋の使い如きが通過する道理なし」との論陣を築いた。
そして念には念を入れ、伊覩縣、儺縣、宇瀰郷の地名も登場させて、
伊都国、奴国、不彌国を通過したという倭人伝の倭女王使は、三世紀の大偽僭なりと主張したのである。

432:日本@名無史さん
24/01/10 19:55:01.44 .net
まとめるとこうなる
①倭国に来た使者たちが一里=435mで旅程記事を作成
②それを見た帯方郡の高官が大月氏(洛陽から16370里)を上回る17000里に女王國を設定し司馬氏に忖度。洛陽から郡まで5000里なので、郡から女王國を12000里とし里数を水増し。その結果、一里=70~80mとなる
③それを受けた中央の役人、一里=435mで海路は1日350里、陸路は1日50里進むものとして計算して日程記事を作成。郡から狗邪韓国(=投馬国の一部)まで7000里とあるので350里で割って20日間。狗邪韓国から末盧国まで3000里、伊都国まで500里(末盧から伊都国までは陸行とあるが記述を見るとアクシデント的な感じがあるので本来は船で伊都国の津に入ったとする)。よって狗邪韓国、伊都国間は3500里となり、1日350里進むとして10日間。伊都国から目的地まであと1500里。当時の使者は1日50里進むことになっているので1500里割る50里で30日。
要するに日程記事は旅程記事を日数に換算した注釈的なものなので連続して読んではいけない。両者とも起点は帯方郡で終点は九州中部の内陸部。

433:日本@名無史さん
24/01/10 20:07:17.58 .net
歴博の岸本さん
・畿内の鉄器化は紀元前1世紀
・確かに、鉄器出土量は少ないが、奈良盆地では発掘調査の端緒となる開発事業が少ないので明らかになってないだけだ
・畿内での鍛治炉の発見は、枚方市の星ヶ丘遺跡1例だが、見つかっていないだけでもっと鍛治炉はあったはずだ
・比較的小さな鍛治炉を持つ吉野ヶ里で鉄器加工が行われていた事実はむしろ大切だ。吉野ヶ里でこれだから、畿内ではより大規模な鉄器加工があったはずだ

434:日本@名無史さん
24/01/10 20:11:22.53 .net
全部推論

435:日本@名無史さん
24/01/10 20:16:23.70 .net
>>414
その倭種って侏儒国とか黒歯国とか裸国だろ
そんなもん架空の国に決まってるだろうが。

436:日本@名無史さん
24/01/10 20:17:18.60 .net
>>417
>奈良盆地では発掘調査の端緒となる開発事業が少ないので明らかになってないだけだ
徳島はもっと少ないが、鉄器がザクザク。 「鍛冶炉遺構」もわんさか。   @阿波

437:日本@名無史さん
24/01/10 20:18:06.29 .net
>>413
歴博とは国立歴史民俗博物館の略です。
よく知りもせずに適当に人の批判をするのはやめましょうね。恥かくだけですよ。

438:日本@名無史さん
24/01/10 20:19:39.24 .net
>>412
>寺沢薫ってたしか同志社大学出身だから畿内説推してるだけだろw
寺澤は同志社で森浩一の教え子

439:日本@名無史さん
24/01/10 20:32:24.25 .net
女王国の北に一大率がいる伊都国があるとちゃんと書いてあるんだし、
帯方郡から女王国まで12000余里とも念押しで書いてあるんだし、
女王国はどう考えても北九州w
畿内とか言う奴は頭おかしいんちゃう?
そこまで曲解するならそもそも邪馬台国など存在しない全て嘘っぱちとでもなんでもありになるわw

440:日本@名無史さん
24/01/10 20:41:27.61 .net
箸墓が卑弥呼の墓とかそれ箸墓幻想だよw
なんかの小説のタイトルであったがw

441:日本@名無史さん
24/01/10 21:03:46.17 .net
>>423
>帯方郡から女王国まで12000余里とも念押しで書いてあるんだし、
念押しは、つまり行程記事とは別ということ。
帯方郡から女王国まで直線で12000余里。   @阿波 

442:日本@名無史さん
24/01/10 21:06:30.17 .net
「卑弥呼」などの高貴な人は、沼地・平地になんぞ葬らない。 そんなの常識。   @阿波

443:日本@名無史さん
24/01/10 21:16:43.07 .net
>>419
畿内説だと狗奴国やぞ

444:日本@名無史さん
24/01/10 21:20:28.48 .net
女王國東渡海千餘里復有國
の話をしてるんだけど?


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