22/11/09 21:35:21.41 .net
>>584
金属器の伝播は中央アジアから内モンゴルに入ってから中国、モンゴル、満州、遼寧と
広がっているので、モンゴル、満州、遼寧のウラルアルタイ語の集団は古代中国語が
入ってくる前までに鉄を指す独自の言葉を持っていたと思いますよ
日本列島でも4C後半に滅んだ楽浪帯方漢人の後裔の東漢氏が帰化するまで「かね」
とか「くろがね」と呼んでいたと思いますよ
朝鮮半島には在来人の韓人のほか、沿海州から入植してきた濊人、ハク人や
満州から入植してきた高句麗、遼東郡から入植した楽浪漢人と帯方漢人などが
侵入して常に戦時体制でした
遼東郡は元々はウラルアルタイ語族の遼東人の土地でしたが春秋戦国時代の終わり頃に
燕に併合されて以降、遼東人は異民族漢人になりました
しかし中央から支配する太守が送られてくるだけで中国大陸自体からの入植は
ありませんからリアルタイムな中国大陸の文化がほとんどないのです
そういう希薄な中国文化しか持たない異民族漢人たる遼東郡漢人が武帝の命で
朝鮮半島に侵攻して楽浪郡や帯方郡を建てたものですから楽浪郡遺跡からは中国大陸の
当時の炊飯器だった鬲や原始青磁の一つさえないのです
そんな楽浪郡、帯方郡も高句麗に滅ぼされるときがやって来ます
彼らは高句麗や百済に吸収されますが、一部は倭に帰化しました
倭に帰化した元楽浪帯方郡漢人の東漢氏や西文氏の正体は中国大陸人ではありません
異民族漢人の遼東人なのです
日本人は遼東人の血もわずかながら受けている事になる訳です