【初心者】スレッド立てる前に質問をPart46【歓迎】at HISTORY
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart46【歓迎】 - 暇つぶし2ch284:日本@名無史さん
22/11/10 16:22:51.01 .net
>>282
万世一系の思想が出来たのは、欽明天皇以降でしょうね。
それまでは実力、武力で奪ってたぽい

285:日本@名無史さん
22/11/10 16:32:44.81 .net
>>284
俺は天武朝に原型が出来て、
最終的に整形されたのは南北朝期だとみている。
逆説的だが、万世一系思想は皇統の相対化、対象化が為されて初めて成立し得るものだろう。
 

286:日本@名無史さん
22/11/10 18:17:46.77 .net
>>283
家康は子だくさん、秀忠は恐妻家、家光の小梨の理由付け
>>284
禅譲は、支那・朝鮮だけの因襲でしょう
日本は皇位を奪ったりしなかったし、何より上皇の方が天皇より上の地位でした

287:日本@名無史さん
22/11/10 18:42:54.91 .net
>>286
> 日本は皇位を奪ったりしなかった
 
綏靖、応神(神功)、天武と暴力を以て大王位を奪った者は存在するし、雄略や継体にもそれが窺える。
成就こそしなかったが南朝の諸皇は暴力による北朝打倒の意志こそがアイデンティティだった。
列島の権力史だけを特別視する理由は何も無い。
 

288:日本@名無史さん
22/11/10 19:00:32.29 .net
どれも先帝崩御後に天皇位を争っただけであり、禅譲はなかったよ
南朝が正統なので北朝打倒は全くの無関係ですね

289:日本@名無史さん
22/11/10 19:10:31.03 .net
南朝正統説は単なる宗教にすぎなくて史実ではないですけどね

290:日本@名無史さん
22/11/10 19:25:19.58 .net
>>288
津田ドグマも困ったもんだが、
いまどき記紀史観や水戸史観を真に受ける御仁がいようとは…(呆)。

291:日本@名無史さん
22/11/10 20:50:33.39 .net
>>290
神武とか欠史八代、成務、仲哀、神功あたりは、明らかに怪しいやろ。
つか記紀の成立過程を知ってたら、創作モリモリって知ってるはず。
で、こういうのに限って、武烈の記事とか、郡評論争は見てみぬふりする。

292:日本@名無史さん
22/11/10 21:04:38.49 .net
>>291
何度云っても理解できねえかなあ…。
>>272参照。
物事はメタ視点…と云ったら云い過ぎだが、構造的、鳥瞰的に考えるべし。
 

293:日本@名無史さん
22/11/10 21:40:35.44 .net
>>292
非実在も支持しとるやんけ

294:日本@名無史さん
22/11/10 23:40:22.60 .net
>>293
だーかーらー(溜息)。
実在も非実在も同じなんだよこの場合は。
正史である『日本書紀』の編者たちが「我が王権は暴力による頂点争奪の歴史を有する」という 認 識 を 持 っ て い た こ と (←ここ、太字で下線付き)、
それを公の認識として確定したことだけに意味があるんだよ。
少なくとも彼等は>>286みたいに「皇位を奪ったりしなかった」なんて御花畑なアタマは持ち合わせていなかった。
そうじゃなきゃ神武肇國を無理矢理辛酉の年に置いたりするわけねえだろ?
彼等はもっと冷徹な権力観、歴史観を持っていたし、それが現実の権力運営の基礎になっていたことは間違いない。
そのことだけが本質なんだよ。
 

295:日本@名無史さん
22/11/11 00:39:45.21 .net
どう読んだらそう解釈できるんだよ。それこそ津田ドグマやん
継体天皇を皇祖にしなかったのは、継体天皇が神武天皇の血を引いていたからだろう
少なくとも簒奪行為は行われなかったという認識を公に持っていたこと。そうじゃなきゃ神武天皇を無理矢理初代に置いたりするわけねえだろ?

296:日本@名無史さん
22/11/11 07:40:33.34 .net
>>295
万世一系を作ったのは、皇位簒奪争いを防ぐ為だよ。
継体天皇を招く羽目になったのは、雄略、武烈がめちゃくちゃやったせい。
履中の時も戦争になってるし、安康も暗殺されてる。
このままだと、戦争が絶えないから、神武天皇を創作して、血を引いてる奴しかなれないって、条件を作ったのが継体が即位したあたりと見られている。
記紀の元になった旧辞、帝紀が成立したと見られるのも、継体朝だから、やはりこのあたりで神武天皇が創作されたと見て間違い無かろう。
一応、継体以降は明らかに怪しい出生のやつが大王になってないから、効果はあったんだろう。

297:日本@名無史さん
22/11/11 08:01:18.71 .net
皇位継承争いと皇位簒奪を混同していますね
先帝の血筋を根拠に簒奪を図ったのは大陸でも王氏、曹氏に対する光武帝、昭烈帝

298:日本@名無史さん
22/11/11 08:04:42.33 .net
>>295
ドグマ、ドグマって歴史学を学んでるのか?
本当に津田左右吉の説が、歴史学者がなんの考証もせずに支持してると思ってる?
津田がやったのは、記紀批判であって、皇室批判ではない。むしろ、津田は皇室に敬意を払っていた。ただ記紀を考証すると、明らかに信憑性の低い箇所があって、信用出来ない。って論じただけ。
そして、それは現在の主流になってるだけ。

299:日本@名無史さん
22/11/11 08:08:57.19 .net
>>297
皇位継承が血縁継承に限るって、条件がつけられたのが、継体以降と見られているから、間違ってない。
仁徳朝だけ見たら、血縁ぽいけど、応神、仲哀、成務以前は、実在が怪しいから、もともとは血縁継承では無かったのだろ。
仲哀あたりは明らかに創作の箇所

300:日本@名無史さん
22/11/11 08:22:26.84 .net
徳川に例えたら和歌山の吉宗を江戸の将軍に据えたようなものだろ

301:日本@名無史さん
22/11/12 10:01:02.46 .net
>>15
別に国民に国教会押し付けてないよ
税も法も参政権も待遇に差をつけてないし

302:日本@名無史さん
22/11/12 10:18:37.54 .net
>>34
朝廷側がカルト染まりそうでに反対したら皇子様に殺されて取り上げられた京屋敷がカルトの本拠地として与えられてしまう
というような事件もありましたよ。
蜷川新右衛門が物部守屋の子孫と知ったときは何とも言えない気分になった。
子孫も寺に困らされているとか気の毒。

303:日本@名無史さん
22/11/12 23:45:12.69 .net
チコちゃんに叱られるで
目上の人に様を使うようになったのは室町時代以降になってから
それ以前は目上の人には鎌倉殿のように殿をつけていた
と解説していましたが、今の大河ドラマでは後鳥羽上皇を関東の人達は上皇様と呼んでいます。
これは単に時代考証ミスなのでしょうか?
あと例えば和田義盛に対して直接義盛と呼び捨てにするのも失礼だったのではないですか?
和田殿か通名の小太郎で呼んでいたのではないでしょうか?
幕末になっても西郷隆盛などは普段は吉之助で通していた為に自分の本名が隆盛であったのを忘れていたと聞きますが。

304:日本@名無史さん
22/11/13 00:08:59.51 .net
通称に関しては似たようなものも多いし、知名度が低いこともあるだろう
大河等では主人公やそれに準ずる人以外は諱で呼ぶ感じ
便宜上意図的にそうしている様子

305:日本@名無史さん
22/11/13 00:53:58.26 .net
そもそも、言い出したら、奈良時代とか飛鳥時代とか、今の日本語の発音と全然違うから、何言ってるか?分からないらしいな。
表音文字が仮に同じ発音でも、全然違う音で読んでたとか。

306:日本@名無史さん
22/11/13 01:43:18.96 .net
>>305
ぴむがちぬ ぬにかぎろぴぬ たとぅみえて かへりみすぅれば とぅくかたぷきぬ
東の 野に陽炎の 立つ見えて 返り見すれば 月傾きぬ
(万葉集 柿本人麻呂)
 
学術研究の明らかにした所によるとこんな感じだったらしい。
確かに発音は現代日本語と大きな隔たりがある、とは云える。
しかし同じく七、八世紀辺りと現代の同一言語に於ける発音の違いという観点で他言語(例えば漢語や朝鮮語)と比べると、
その違いは遥かに小さいような印象も受ける。
文法や基本語彙がドラスティックに変わったわけでもないし、
子音、母音の交代原則さえ頭に入れておけば割と楽に読解できると云って良いのではないか。
 

307:日本@名無史さん
22/11/13 09:56:56.00 .net
古代日本で今の日本にはない発音は
wi
we
wo
の3つだけ?

308:日本@名無史さん
22/11/13 11:21:18.86 .net
そういえば
ゐ ゑ を 
少し昔はすべて違う発音だったらしいね。
全然分からんけど

309:日本@名無史さん
22/11/13 11:51:13.16 .net
>>308
残っていたとしても中世以前までかねえ…。
江戸の戯作本等では、
ゐ ゑ を ↔ い(ひ) え(へ) お(ほ)
という書換(混同)が珍しくもないからその頃の口語発音では既に区別が無かったんだろう。
 

310:日本@名無史さん
22/11/13 12:47:24.06 .net
>>282
だけど、事実上の暴力装置をほぼ持たない皇室がここまで続いている現実

311:日本@名無史さん
22/11/13 13:37:59.86 .net
>>303
大河ドラマは現代人に分かりやすいように脚色した部分の方が多い、あくまでもドラマなので。
さすがに腕時計をはずし忘れたりはしないものの、人物の心情とかはかなり現代人的だしねえ
言葉も、できるだけ当時の人ふうにしてるとはいえ、現代人に分かりにくい言葉は避けてるような気がする

312:日本@名無史さん
22/11/13 13:39:40.00 .net
>>307
奈良時代以前は8母音で現代(というか平安時代以後?)のような5母音とは発音が違っていた模様

313:日本@名無史さん
22/11/13 17:12:22.71 .net
>>310
平安、鎌倉以降はそうやけど、神話伝承の時代を含めての古代天皇は、軍事モリモリのイケイケやぞ。
神武の東征とか、もろにそうやんけ。
仁徳とかも雄略も、兵率いて戦っておる。
継体以降くらいから、自分で兵を率いて戦うって記事が無くなる気がする。
神話から歴史に変わる瞬間やろか?

314:日本@名無史さん
22/11/13 17:47:03.15 .net
>>313
平安、鎌倉以降でも相当な年月を経ている
これだけの年月を自前の暴力装置なしで続いているだけで稀有なことだと思うけどね
権力や財力、軍事力に勝る勢力は他にいたわけだし尚更

315:日本@名無史さん
22/11/13 18:14:22.89 .net
>>314
自分は、大きい神社の宮司みたいな感じやと思う。
市長さん、知事とかの権力者は別におって、祈祷とかしますよ。
みたいな感じで生き残って来たんだろ。

316:日本@名無史さん
22/11/13 18:16:01.76 .net
>>313
壬申の乱のときだって、実際に出陣こそしてないにしても、天皇が前線に赴くべきとの意見上奏はあったように、完全に軍事から切れたとはいえないのでは
斉明天皇の頃だって、出陣する軍兵の見送りで九州まで出向いたりしてなかったか?

317:日本@名無史さん
22/11/13 19:04:31.34 .net
饅頭は臨済宗のお坊さんが中国から日本に持ち込んで伝えたとされてるみたいですが、その中国で饅頭を発明してのは諸葛亮孔明というのは本当ですか?

318:日本@名無史さん
22/11/13 19:42:40.66 .net
>>315
そういう側面も確かにあるけれど、それだけじゃ語れない
もっとたくさんの側面を内包した本当に特殊な存在

319:日本@名無史さん
22/11/13 22:15:45.72 .net
公暁
URLリンク(kotobank.jp)
コトバンクに掲載されている複数の辞書ではいずれも読みが
くぎょう
となっていますが当時の人は
こうぎょう
と呼んだのでしょうか?
お坊さんだけに音読みで こうぎょう なのかな?とも考えましたが公と書いて呉音ではクと読むそうですし

320:日本@名無史さん
22/11/13 22:21:43.16 .net
>>318
また津田左右吉か?って言われそうやけど、津田は天皇の起源は祭祀から始まったって指摘してる。
津田史観が大きい勢力の今日においては、知っておいて損は無い。
それに実在した可能性の高い崇神天皇も祈ってばっかやったし

321:日本@名無史さん
22/11/13 23:18:36.05 .net
質問
韓国併合の時の朝鮮半島の呼称は日本でいいの?
それとも国名は取り払わずに傀儡政権だった?

322:日本@名無史さん
22/11/14 00:10:55.27 .net
>>318
諸国の王や皇帝とは異なる本当に特異な存在だな。
だから>>239の如き政治装置としても機能し得る。
御蔭様で「日本」はカンボジアにもルワンダにもボスニア=ヘルツェゴビナにもならずに済んだ。
「天皇」はかなり早期に自前の暴力装置を棄てた(棄てさせられた)ことで俗世権力から超然とした存在に変質した。
これが上記の性質を有するようになった一つの原因だろう。
実に皮肉な話だが、
大日本帝國憲法下に於ける「統治權ヲ總攬」する「元首」よりも
″押し付けられた″日本国憲法に於ける「国民統合の象徴」の方が歴史的にはよっぽど正鵠を射ている。
この辺をマルクスもコミンテルンも初期の日共も読み違えた。
「天皇」をツァーリやカイゼルと同列視して「ブルジョア階級支配の頂点である天皇を打倒すべし!」とやっちまったのが今日も続く日本人の社会主義アレルギーの主因を成している。
 

323:日本@名無史さん
22/11/14 00:14:27.53 .net
>>313 >>316
「天皇」なる政治装置は、天武朝に於いて「日本」なるイデオロギーと共に発明された共同幻想だ。
それ以前の「大王-オホキミ」との間には思想的断絶があると考えた方が良い。
 

324:日本@名無史さん
22/11/14 00:29:24.58 .net
>>320
津田イデオロギーの説く如く崇神が最初の大王だったとしても、
何の前段階も無く地から湧いたわけでもないし木の股から生まれたわけでもない。
大王たる者が祭祀の主宰者をやっていれば済むような地位を確立する過程が必ずあったわけだ。
 
大王氏がその地位を如何に築いたか、物理的史実は殆ど解らない。
しかし那珂通世が喝破した如く、
少なくとも公史『日本書紀』の編者たちは「既存の統治権力を暴力を以て打倒した者」、即ち闘争者・革命者として認識していたことは間違いない。

325:日本@名無史さん
22/11/14 01:50:57.62 .net
>>319
その辺はよく知らんけど、
律令の規定で漢字音(音読み)を唐音(漢音の原型)に統一するように定められたあとも仏教界だけ例外で呉音を使い続けたとされているので、呉音で読む語句の大半は仏教関係だそうだ

326:日本@名無史さん
22/11/14 11:52:05.90 .net
日本史なのか日本文化なのか判断できないのでスレチでしたら申し訳ございません。
大正生まれ(何年かはわかりませんが今年の4月で100歳)の祖母が妾さんの子で私生児だったのですが、その頃で考えると特に珍しいことでもなかったのでしょうか?

327:日本@名無史さん
22/11/14 15:48:03.58 .net
>>326
たぶん珍しくないと思う。
古い墓とか見てたら、故人の名前の下に正妻?だったか、そんな文字が刻んであったのを見た事あるよ。
だから、わざわざ墓に書き込むくらい、妾か?正妻か?とかあったんだろうなあ。

328:日本@名無史さん
22/11/14 17:10:52.42 .net
>>327
レスありがとうございます。
日本史は中学レベルで止まっているのでその頃のことが良くわかりませんでした。
ちなみに現代の価値観で考えると私生児ってあまり良いイメージはないと思うのですが、当時はそういった偏見などもなかったのでしょうか?

329:日本@名無史さん
22/11/14 20:06:11.95 .net
たぶん、当時は妾という立場にも法的規定があったような
私生児ではないはず
なお、妾とその子供にも養育費生活費を出せるような裕福な人じゃないと妾を持つことはできない

330:日本@名無史さん
22/11/14 22:15:39.81 .net
父親が認知されればね、「庶子」になる
なお、算数が出来ないのか元号の計算が出来ないのか、何年生まれかわかりませんって知障だわ

331:日本@名無史さん
22/11/14 22:19:36.21 .net
>>330
それはお前

332:日本@名無史さん
22/11/14 22:40:26.62 .net
私は嫡出子ですよ^

333:日本@名無史さん
22/11/14 22:43:20.68 .net
妾の子と全く父親が不明なのとはちと違うだろう
正妻の子よりは低く見られたけど
最近ようやく相続割合が正妻の子と同等になった

334:日本@名無史さん
22/11/15 14:14:14.69 .net
明治天皇は側室の子

335:日本@名無史さん
22/11/15 18:19:36.17 .net
同じ女なのに正室と側室で差別するなんて非道いな。女々格差万歳! 正妻願望の権化
同一労働同一賃金の平等主義を教えて遣りたい

336:日本@名無史さん
22/11/15 18:40:40.46 .net
むかしの家制度は、庶民家庭の風習ではなく、統治権者の風習で、正室というのは共同経営者かオーナー
側室は社員なので、立場が全然違う
出資してるかどうかの違いが大きい

337:日本@名無史さん
22/11/15 18:44:22.39 .net
>>335
正室と側室は同一労働じゃないから、同一労働同一賃金には反してないぞ

338:日本@名無史さん
22/11/15 18:53:19.85 .net
側室は夜伽に加え、出産・育児が加わるから同一労働ではないね

339:日本@名無史さん
22/11/15 19:43:02.06 .net
大名の子どもが多いと仲間割れ、お家騒動の元だからと余った子どもを仏門に入れたり、酷いと座敷牢に閉じ込めたりとか、可哀想すぎて涙出そう
これだったら、庶民の子沢山の末子の方が良さそう

340:日本@名無史さん
22/11/16 17:38:17.58 .net
>>307
ye
表記上区別していなかったけど、「え」は殆どがye、
eは、「得」と、え~ず(行為者の事由での不可能)のみ。

341:日本@名無史さん
22/11/16 17:40:27.85 .net
>>310
征夷大将軍とか任免権は宣下の形で出されるけど?

342:日本@名無史さん
22/11/16 18:50:35.41 .net
>>341
つても、江戸時代初期の将軍達や、江戸時代の老中達の多くは天皇が将軍の配下で権威付けとかのために養われてるだけだと思ってたようだけどな

343:日本@名無史さん
22/11/16 21:25:13.73 .net
>>342
そそ、記紀について調べてた事あったけど、学術的に批判した歴史学者は津田だったけど、少なくとも江戸時代から、
日とか月を産んだのが、日本の神様っていうが、外国ではこんな話は受け入れられないだろう。
と批判的に、作り話って言ってる学者とか居たらしい。
その学者の名前は失念したけど、聞きたかったら、調べて書くわ。
記紀研究については、江戸時代の方が進んでいた部分もあったんだろうね。

344:日本@名無史さん
22/11/16 21:26:21.36 .net
つまり、江戸時代は天皇って全然権威は無かったんだろう。

345:日本@名無史さん
22/11/16 22:09:42.19 .net
>>343
たぶん江戸時代に限らないだろう。
記紀編纂当時から現代までの時間の中で、
「記紀に書いてあることは全て史実だ!批判的研究など言語道断!」
などとカルティックな譫言を云ったのは大日本帝国政府の八十年弱 だ け だったのかもしれない。
皇国史観の源流ともされる『神皇正統記』でさえ「それはそれ、これはこれ」という冷徹が見え隠れする。
 

346:日本@名無史さん
22/11/16 22:20:20.75 .net
逆に言えば、戦中戦前って、ガチで日本列島、太陽とかを産んだのは、日本の神様って教育してたんだろうか?
記紀に基づいて教育したら、そうなるわな。
今から考えたら、北朝鮮も真っ青のカルト国家だわ。
北朝鮮だって、太陽、朝鮮半島を産んだのは将軍様の御先祖。なんて教育してないだろうし。
科学的にも、めちゃくちゃだし、戦争に負けるのは当然やないか。

347:日本@名無史さん
22/11/17 01:14:04.81 .net
>>313
天皇になってないけど、聖徳太子は、物部守屋を攻めてるで。
孝徳天皇は皇太子時分に、皇位を争って山背大兄王を襲ってるで。
天智天皇も皇太子時分に、天皇の面前で蘇我入鹿を刺殺。
その面前で大臣が刺殺された女帝は、新羅との戦争に備えて、筑紫に行幸
天智天皇が崩御すると、皇太子と皇弟が皇位を争って戦争。
ずーっと時代が下がって陽成天皇、宮中で侍従を撲殺して、関白に退位を迫られる。

348:日本@名無史さん
22/11/17 22:21:12.70 .net
>>344
そうはいっても、皇位を消されるわけでもなく、むしろ子孫を残して皇統を繋げることを求められるのだから、やはりなんだかんだで権威はあったのだろう

349:日本@名無史さん
22/11/17 22:46:24.65 .net
>>346
その辺の話は昭和五年生れの老母からよく聞いている。
正に記紀に基づく歴史教育が小學校から行われていたらしい。
老母曰く「泥に矛ォ突っ込んでトロトロ~って辺りで馬ッ鹿馬鹿しくなって聞くの止めちまったヨ」だそうだ。
じゃあ殆ど最初っから聞かなかったんじゃねえかとツッコんだら当ったり前だろと冷笑していた。
この不良児童は当然「神武、綏靖、…、」やら教育勅語やらの暗記も放棄した。
教える教師も本気で信じちゃいなかったろうし、教わる餓鬼どもも真面目に聞いちゃいなかった、ってのが真実だろう。
もっとも、
老母は累代の江戸っ子で地域も旧御府内だから筋金入りの臍曲がり旋毛曲がり天邪鬼の血筋や土地柄だから特殊だったとも考えられる。
田舎の事情は知らない。
 

350:日本@名無史さん
22/11/17 22:49:56.96 .net
>>344
神田明神の氏子連が明治天皇に頭を下げさせた話なんぞから見ても、
少なくとも江戸っ子は天子様をちっとも有り難がってはいなかったんだろうな。
 

351:日本@名無史さん
22/11/18 20:20:43.47 .net
明治天皇すり替え説というとんでも説があり、その根拠として少年期と青年期で性格が全然違うとか、体格が全然違うというものがあります
また、明治天皇のわがままに対して、西郷隆盛が「昔の身分に戻すぞ」と言い放ったという真偽不明な話もあります
このすり替え説を否定する論としては、明治天皇の性格や体格の変化や西郷の発言に対して、どのように答えているのでしょうか?

352:日本@名無史さん
22/11/18 20:36:06.44 .net
孝明天皇暗殺説もあるよね
すり替えより、こっちの方が遙かに可能性が高いと思う

353:日本@名無史さん
22/11/18 23:44:21.45 .net
現在は太平洋戦争敗戦からが現代史という位置付けですが、この先大きな国体や政体の変化や遷都、戦争などがなければ、ずっと敗戦〜現在までが現代史ということになるのでしょうか?
例えば、上記のような大きな変化がないまま150年くらい経てば、「現代史230年」みたいな感じになるのでしょうか?

354:日本@名無史さん
22/11/19 00:52:02.76 .net
平安時代も大きな国体や政体の変化や遷都、戦争などなかったのに、398年で切られただろう
そのうえ、つい最近7年ほど削られた

355:日本@名無史さん
22/11/19 01:53:44.39 .net
>>353
もしも統一協会問題が正しき着地点に達し得たならば、
「敗戦後史」は本年を以て終焉する。
来年以後は新たな歴史区分となるだろう。
その時代を何と呼称するか、それは未だ明らかではないけれど。
 

356:日本@名無史さん
22/11/19 07:00:09.15 .net
宗教関係は難しいと思うぞ
統一よりも、実は草加が厄介
知り合いに医者の三世信者居たけど、めちゃくちゃ莫大な献金してる
統一の比ではない
草加が猛反対するから、ウヤムヤになる。

357:日本@名無史さん
22/11/19 07:59:24.42 .net
>>354
摂関政治→院政
福原遷都
武士の出現
平安時代もいろいろあったように見えるけどね

358:日本@名無史さん
22/11/19 08:41:56.25 .net
>>355
今やってる統一教会系の法案ってそこまで重大重要なもん?
そこまでのもんだとは思えないんだけど
重要ではないとは言わないけどね

359:日本@名無史さん
22/11/19 11:43:57.13 .net
このサイトなんですけど
URLリンク(intojapanwaraku.com)
紀元前3000年には朝鮮半島で稲作してたとか、日本列島の稲作は朝鮮半島から伝わったとかとんでもないことを言ってる
てっきり個人サイトかと思ったら、なんと小学館のサイトだったんです
ありえないんじゃないですか?
どう思いますか?

360:日本@名無史さん
22/11/19 11:45:25.42 .net
>>357
それは期間中の出来事でしょう。時代の区切りではない
>>358
創価学会が骨抜きにしたからね。
「正しき着地点に達し得た」ならば、以後は「神世紀」か「無神時代」になる

361:日本@名無史さん
22/11/19 13:27:57.24 .net
その日その日が人生最期の日かもしれないから万事整えて登城するみたいな話を聴いたことあるんですが元ネタは何か分かる方いませんか?

362:日本@名無史さん
22/11/19 13:57:09.83 .net
>>359
一応、通説としては朝鮮半島ルートも完全に否定はされてないから、セーフ

363:日本@名無史さん
22/11/19 14:12:07.41 .net
>>362
でも、山東半島から海路で、陸路ではなく半島へ伝わってそうなのだから、半島と北九州は伝来のハードルの高さが同程度だよね
そして、半島側の、最初に伝来しそうな南端部には縄文人らしき集団すんでいたわけで。

364:日本@名無史さん
22/11/19 14:12:45.81 .net
>>360
神世紀えうぁんげりおん?

365:日本@名無史さん
22/11/19 14:25:48.56 .net
>>363
まあそうなんだけど、日本書紀にも明記されているように、漢字とか仏教、建築技術とかの文明、文化、技術は、朝鮮半島経由って考えている学者が多いからでは?
一番安全確実なのは陸路で朝鮮半島経由だろう。
当時は潮の流れなんて分からないから、中国から日本への渡航って運次第だし。

366:日本@名無史さん
22/11/19 16:18:51.13 .net
>>351もどうかお願いします

367:日本@名無史さん
22/11/19 18:25:00.03 .net
>>359
来月に出版される新刊の宣伝じゃないなら、ほっとけばいいと思うよ。
東南アジアの水田近辺で生える植物が日本の水田遺跡からは発見されてるが半島にはなかったはずだから単一ルートと限定するのは明らかに間違いだし、
確か朝鮮半島中部で日本に先じて稲作が行われたと称する根拠は、遺跡ではなくて米粒が発見されたからという薄弱な願望じゃなかったかな?
何れにせよ、専門家ですら自説に固執してトンデモ本がフツーにでているジャンルなのだから、複数の可能性を思慮していないカス本なんか放置して枯れ死が吉。
やっちゃいけないのは、そんなゴミ本の話題を発売まで何時までも引っ張り続けることだと俺は思う。

368:日本@名無史さん
22/11/19 20:00:59.13 .net
>>360
平安時代から鎌倉時代に区切られたのは、武士による初の本格的な政権樹立という画期だからだろう
あとは京都を遠く離れた関東の地だったというのもあると思う

369:日本@名無史さん
22/11/19 20:27:30.14 .net
>>365
残念ながら、半島北部から中国東北部のエリアが水田稲作やってないので、そのルートでの伝来は無理と思う

370:日本@名無史さん
22/11/19 21:38:40.86 .net
>>368
平将門や藤原清衡、平清盛が先駆です

371:日本@名無史さん
22/11/19 22:30:00.14 .net
>>370
先駆者ではあるけど、本格的な、という点で鎌倉幕府なんだろう

372:日本@名無史さん
22/11/19 23:30:12.44 .net
将門はただのクーデター、清盛には政権内にて牛耳られた
それに懲りた平安政権は頼朝に征夷大将軍と言う体の良い位を与え遠方にて武士の指揮をさせた
そしてやはり目障りと分かると排除を試みるが失敗した
承久の乱が明確な時代の分かれ目だろう

373:日本@名無史さん
22/11/20 00:32:42.41 .net
半島と日本人がはじめて交流を持ったのが2000年前
一方、稲作はその800年前にはむ日本に伝わっていた
よって半島経由での稲作伝播はないよ。可能性ゼロ

374:日本@名無史さん
22/11/20 00:33:06.16 .net
稲作はその800年前にはもう日本に伝わっていた

375:日本@名無史さん
22/11/20 01:50:09.73 .net
稲は熱帯性の湿地植物。
考古学や歴史学(プラス政治学?)の立場からは色々あるんだろうが、
生物学即ち自然科学の見地からすれば答えは確定済。
 
いつも思うことだが、
歴史学は近視眼的視点に陥りがちではないか。
「稲作」という事象一つ取ってもそれは単独で在り得るものではない。
それを成立させ得た列島の自然科学的条件/要件やヒトの生活文化まで含めた「構造」として考察するならば、
稲作伝来が半島経由であった蓋然性は限りなく低いと判断される。
 

376:日本@名無史さん
22/11/20 10:17:49.04 .net
あのさ浅井長政とか朝倉義景とか、信長と戦ったからこんなに知名度あるの?
これくらいの勢力の戦国大名とかなら他にもゴロゴロいる?

377:日本@名無史さん
22/11/20 10:54:49.39 .net
北部九州に渡来人が来て、稲作を始め、クニを作った。その後人口の増加とともに東へ移動し古墳時代には西日本一帯に広がった。現代でも弥生から古墳時代の人口動態の影響がある。すなわち西日本は渡来系(弥生系)人種、北海道(アイヌ)、沖縄は縄文系人種、東日本はその両者が混雑した中間種である。

378:日本@名無史さん
22/11/20 11:01:07.94 .net
>>376
滋賀出身だけど、近江の国は、古代から日本の真ん中にあって、重要な要所。
淡水湖の琵琶湖があって、農業とか有利。生産も高い。
歴史的に、何度も戦乱の場になってるよ。
太平洋と日本海を繋ぐルートもある。
戦乱の世は嫌でも、注目される。
平和な世は、重要なルートとして注目される

379:日本@名無史さん
22/11/20 11:19:38.98 .net
>>378
ありがとうございます
例えば同時期の九州の大名とかと比べると明らかに勢力がデカく強いとかそういう事でしょうか?

380:日本@名無史さん
22/11/20 11:34:26.03 .net
>>379
「信長の野望」でもやればすぐ分かるよ
知名度は大河ドラマによる。井伊直弼や伊達政宗が好例。前田慶次は漫画か

381:日本@名無史さん
22/11/20 12:02:32.27 .net
>>380
ゲームとかって、どうなんすかね?
あれって信玄のとこの一武将とかより、朝倉義景が弱かったりするんでしょ?
聞きたいのはそういうことじゃないんですけど

382:日本@名無史さん
22/11/20 12:17:27.85 .net
強さを比較している点でゲーム脳だろうよ
聞きたい答えありきを書いてもらうスレではない

383:日本@名無史さん
22/11/20 12:30:44.70 .net
>>351の件、どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?
性格や体格の変化に対し、「それほど変化していない」とか「〜こういう理由で変化した」とか「自然な変化の範疇だ」とか、そういう具体的な反論をした学者や歴史家、著名人はいないのですか?

384:日本@名無史さん
22/11/20 12:44:33.26 .net
>>382
単純に同時代の大名と比べてどうかって話を聞きたかったんですけどねぇ
ゲームとかわからないんですけど、ちょっと検索した範囲でも、浅井長政と朝倉義景を比べてもだいぶ差がある様子でした。
そんなの参考に出来ます?

385:日本@名無史さん
22/11/20 14:20:27.70 .net
>>383
トンデモ説は、まともな学者は取り上げない。
よって察するべし。
本当にすり替えられたとしても、政府や学会、皇室関係者が認めるわけもなし

386:日本@名無史さん
22/11/20 14:20:41.63 .net
当時の大名が全国的な知名度や強さを気にしたりすると思うの?
ゲームや検索等々でなければ、現代的な感覚でなくなるとでも

387:日本@名無史さん
22/11/20 14:23:20.89 .net
>>383
ちなみに、ほとんどの歴史学者は、記紀による万世一系なんて信じてない。
神武天皇も作り話だし
居ても、どっかで入れ代わってる。
と考えている。
最終的には、個人の自由だし信じたいのを信じたら良いと思うよ

388:日本@名無史さん
22/11/20 14:27:06.70 .net
>>379
近江国のイメージとして、そんなに強くないと思うよ。
ただ、全土を統一するとなったら、必ず押さえないと駄目。
滋賀県に住んでたけど、琵琶湖と山ばっかで人口自体は多くない。
ただ拠点としては重要な地域。

389:日本@名無史さん
22/11/20 14:40:44.60 .net
明治天皇すり替え説というのは、溶けてなくなってしまった南朝を惜しんでなんとかお助けしたいという願望が産み出したもの
明治以降の天皇家は実は南朝の後裔にすり替わってしまっていて今も健在と思うオナニー

390:日本@名無史さん
22/11/20 16:22:18.20 .net
>>373
生データみると三千年ちょい前ぐらい、つまり半島と大差ない時期に見える
むしろ九州経由で半島に行っててもおかしくない時期だと思う

391:日本@名無史さん
22/11/20 16:27:01.32 .net
>>376
全国で十指に入るほど強大な戦国大名の一つ

には絶対に含まれないことは保証できる
つまり、勢力の規模的には、普通程度でしかない

しかし、全国の戦国大名一覧のなかでかぞえれば、一応は上位陣の末席に連なる程度の大勢力ではある

392:日本@名無史さん
22/11/20 16:33:52.30 .net
>>379
土地の規模的には、たとえば越前全域とか近江全域とかを完全に支配できてれば、豊前プラス豊後よりは大きく、肥前プラス肥後よりは小さい程度の規模になる
越前と近江を併せて支配できてたら、九州全土の六割ちょいぐらいの大国相当だ
そうかんがえれば、朝倉が越前全土を、あるいは浅井が近江全土を完全に統治できてたとしたら同時期の島津や大友の勢力に匹敵したかもしれない
のだが、国内の敵を一掃できてなかったからねえ

393:日本@名無史さん
22/11/20 16:45:23.60 .net
浅井朝倉が統治システムに於いてどこまで「室町型」を超克できていたか。
換言するならばどこまで「戦国大名」たり得ていたか。
その見地からは、領土規模や潜在的生産力に係わらず彼等は早晩淘汰される存在であったと考えられる。
 

394:日本@名無史さん
22/11/20 17:09:24.72 .net
>>385
性格や体格が大きく変わったというのが事実なのか、捏造なのかということ自体を問題にしないということですか?
入れ替わったかどうかは別にして、本当に大きく変わったのなら、なぜ変わったのかを問うたり、調べてみるのは悪いことじゃないと思う

395:日本@名無史さん
22/11/20 17:15:10.19 .net
>>389
興味深いです
溶けて無くなった南朝を惜しんでなんとか助けたいという願望の部分をもう少し詳しく教えてください
南朝の末裔が死に絶えてしまったのか、社会的にいなくやってしまったのか、どういう状況だったのでしょうか?

396:日本@名無史さん
22/11/20 17:17:17.95 .net
>>394
変わったとする話自体が疑わしいと考えられてるのでは
後世の創作話だと。

397:日本@名無史さん
22/11/20 17:20:05.24 .net
>>389
戦前の宮内大臣や岸信介が入れ替えに言及したらしいですが、彼らも南朝を惜しんでそういう言及をしたのですか?
それとも、言及したということ自体が南朝を惜しむ人らによる捏造なのか

398:日本@名無史さん
22/11/20 17:27:47.41 .net
>>397
まあ、入れ替ってたと仮定してみて
どうやって証明するの?
また、ここの全員が入れ替ってるやんけ!!
って総意を得たとして、こんな壁の落書き程度しか影響を持ってないところで賛同を得てどうするの?

399:日本@名無史さん
22/11/20 17:49:52.44 .net
>>397
言及したという話自体が創作で、実際にはそんなことをいっていない
と考えられている

400:日本@名無史さん
22/11/22 07:52:31.15 .net
なぜ宮内大臣や岸信介が利用されたのでしょうか?

401:日本@名無史さん
22/11/22 09:59:33.61 .net
そんなもん判らんだろ。
なんで、まともな歴史学者も取り上げないような、話題を出して答えがえられると思ったのか?
こんなところ、便所の落書きか?良くて酒場のオッサンの雑談程度のレベルしかない。
逆に、なんでここで聞くのか?不思議

402:日本@名無史さん
22/11/22 10:22:22.68 .net
『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(1970 三浦芳聖著)に明治天皇すり替え説が書かれてあるそうだが、著者自身が南朝正統の皇胤である芳聖天皇だというのだから本当の事と言わざるを得ないな

403:日本@名無史さん
22/11/22 10:37:22.16 .net
三浦が昭和の初めに、ボクんちの家系図は南朝皇胤となってるんだけど宮内省関係者に見せたところ、今は引退している元宮内大臣田中光顕に連絡がゆき、田中は持った杯もハッたと落とし、明治帝を南朝末裔にすり替えて南朝革命(世にいう明治維新)を起こしたけれど、せっかくすり替えた大室寅之助がこれまた全然別の庶民にすり替わっていた
大失敗をしたのだが、ここに正当な南朝後裔である三浦様にお会いできてボクうれしー、実はこれこれこういうすり替えをやったんですよー、と衝撃の打ち明け話をしたのだった
こんな事があったというんだから信じざるを得ないな


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