22/11/07 17:50:27.53 .net
>>270
俺は津田ドグマを鵜呑みにはしない(例えば神武の「虚構」には考古学成果との不気味な符合が多過ぎる)立場だが、
この場合は実在/非実在の議論に殆ど意味は無い。
それらの大王が実在しようがしまいが、
記紀の編者が--即ち当時のヤマト王権が--どう認識していたか。
重要なのはそっちの方だ。
不自然な説話を以てしてでも皇統が途切れずに繋がっている「公史」を書かねばならなかったということは、
逆説的に彼等はそれが繋がっていない可能性を強く意識していたことになる。
「万世一系」などと虚妄をほざいて恥じないカルト信者どもよりも、
記紀の編者たちは遥かに謙虚かつ冷徹であったのかもしれない。