邪馬台国畿内説 Part807at HISTORY邪馬台国畿内説 Part807 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト720:日本@名無史さん 23/02/22 07:31:36.54 .net 倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。 一時期は出雲が覇権を掌握したが、国譲り以降は筑紫が復権したというのが記紀の内容。 中国との交易は一貫して筑紫が独占していたことが、三雲南小路遺跡や平原遺跡などの豪華な出土品から考古学的に明白である。 博多湾沿岸に稲作が上陸し、初期の倭国王権が成立した。 イザナギが矛(武力)で獲得したはじめの領土は能古島(おのころ島)であり、イザナミと別れてから禊をしたのが、筑紫の日向の小戸(現在の小戸公園)とされている。 721:日本@名無史さん 23/02/22 07:33:55.24 .net 古代倭国において大和はなかなか話題にも上らない辺境の地。 後に筑紫勢力に征服されて倭国に組みまれた。 そんなところに倭国女王がいるわけがない。 卑弥呼は中国が交渉した相手は列島のどこにいたのかという視点で考えなくてはいけない。 それは九州北部しかない。 722:日本@名無史さん 23/02/22 07:37:05.87 .net 伊奘諾は伊奘冉がいた黄泉の国から筑紫の日向に逃げて来て小戸つまり伊都の海岸で禊をした。 逃げる時に黄泉比良坂を越えてきたが、船は使っていない。 つまり伊奘冉の黄泉の国もまた九州北部のどこかであった。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch