邪馬台国畿内説 Part807at HISTORY邪馬台国畿内説 Part807 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト300:日本@名無史さん 22/10/18 09:58:45.57 .net 半島攻略中に半島の向こう側の国がしっぽ振ってやって来たら普通に利用を考えるだろ。 ちょっと褒美をやれば大喜びで後方支援がないと分かればそれだけでも安い物だろ。 301:日本@名無史さん 22/10/18 10:35:35.31 .net 卑弥呼時代は2世紀後半が全盛期 3世紀前半は狗奴国に戦争をしかけられるほど衰退していた まさに北部九州だよな 302:日本@名無史さん 22/10/18 12:00:54.92 .net 台与が王になって狗奴国をやっつけたのか? バカバカしい 303:日本@名無史さん 22/10/18 13:00:59.58 .net キナイコシは衰退という言葉が好きでやたらと使いたがるが、的外れなことばかりで説得力がない。 なお狗奴国王卑弥弓呼がもともと卑弥呼と同族であれば、壹與の時代には単に旧に復して邪馬台国と統一されたのだろう。 つまり筑紫と肥国の統一女王が壹與であり、肥前河上の與止日女である。 卑弥呼と壹與の間の男王は川上タケルかもしれない。 304:日本@名無史さん 22/10/18 13:09:52.23 .net 【壹與と與止日女】 肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。 その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、豊比咩(トヨヒメ)、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)とも呼ばれる。 與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。 魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。 與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。 後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。 かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比咩命といい、同一人物の可能性がある。 この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である豊比咩は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。 熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch