邪馬台国畿内説 Part807at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part807 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
22/08/28 09:33:32.44 .net
>>1
貴方は、またしても、完全に破綻してしまった邪馬壹國畿内説のスレッドを作成したな。

3:日本@名無史さん
22/08/29 08:58:06.89 .net
邪馬台国畿内説は否定証明済み
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿、吉備、出雲などの諸勢力が割拠していて
緩やかに連合している状態であり、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全な定説で、否定するものなど誰も居ない。
ところが邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり近畿に邪馬台国があったと主張することは、
近畿は自分の周辺国すら軍事的に統括出来ずに居たのに
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、最早学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないファンタジー。
はい、完全論破w
 
 

4:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
テンプレ
帯方郡→水行二十日で投馬国(対馬)→水行十日で日本上陸(伊都国=出雲)→伊勢遺跡
投馬国=ツマ国=ツシマ国=対馬
ここは朝鮮半島を周って来て最後日本に向けての出発港
伊都国=イツ国=イズモ国=出雲
これはちょっと無理があるかな
最後は陸行一月で伊勢遺跡

5:板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
[ここ壊れてます] .net
この重複スレどうするのさ?

6:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
@阿波へ
範囲なんか知らんがな
女王国加盟国

7:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
あんなテンプレいらないから、ここを再利用だな。

8:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>4
そもそも伊勢遺跡は年代が違うとあれほど言われているのに。
それに一万二千里はどうした?

9:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
江戸時代じゃねーんだから畿内説とか言ってる奴は頭がおかしいとしか。

10:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>8
伊勢遺跡が廃棄されたのは二世紀後半だから卑弥呼は居ただろうがよ
それと一万二千里は倭人在帶方東南大海之中までの距離

11:板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
[ここ壊れてます] .net
>>1

立てるだけ立ててその後なんのケアも無く放置は、随分といい加減な1ですな、

何やってるのかな?

12:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
こっちか

これ好き
URLリンク(www.nagaitoshiya.com)

13:日本@名無史さん
22/08/30 21:18:18.39 .net
  □□□□□ ご 注 意 □□□□□
ここは操作ミスで立っちゃって重複スレらしいよ
こっちのスレはdat落ちさせるってさ

書き込まないでね

14:日本@名無史さん
22/08/31 06:46:17.96 .net
テンプレに何も期待していないし、邪魔なだけなんだが。

15:日本@名無史さん
22/08/31 08:17:40.17 .net
>>5
どうもしない
近畿パーが>>3にまるでお手上げ反論不能
九州説の完全勝利



 

16:日本@名無史さん
22/08/31 08:19:23.47 .net
>>3
こんなもん一発で反論不能、大破轟沈だからな畿内説はwww



 

17:日本@名無史さん
22/08/31 14:12:16.38 .net
  □□□□□ ご 注 意 □□□□□
ここは操作ミスで立っちゃって重複スレらしいよ
こっちのスレはdat落ちさせるってさ

書き込まないでね

18:日本@名無史さん
22/08/31 15:56:59.33 .net
勝手に仕切るな。
テンプレ邪魔

19:日本@名無史さん
22/09/01 00:47:39.28 .net
邪馬台国畿内説は否定証明済み  
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿、吉備、出雲などの諸勢力が割拠していて
緩やかに連合している状態であり、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全な定説で、否定するものなど誰も居ない。
ところが邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり近畿に邪馬台国があったと主張することは、
近畿は自分の周辺国すら軍事的に統括出来ずに居たのに
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、最早学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないファンタジー。
はい、完全論破w
 
 

20:日本@名無史さん
22/09/01 00:47:57.72 .net
>>19

こんなもん一発で反論不能、大破轟沈だからな畿内説はwww



 

21:日本@名無史さん
22/09/18 13:43:44.54 .net
>>19
伊都を統括していたのは女王国でしょ
女王国は国家連合であり、女王国の首都がある国が邪馬台国

22:日本@名無史さん
22/09/18 13:58:34.24 .net
纏向遺跡にたくさんの人が住んでた遺跡はない
つまり、都市として機能していたか疑わしいということだ
仮に邪馬台国の首都があったとして
長期間首都として維持されていたのか、厳しいと言わざるをえない。

23:日本@名無史さん
22/09/18 14:29:55.88 .net
これが、ありもしない邪馬台国を想像したものだそうな。
URLリンク(i.imgur.com)

24:日本@名無史さん
22/09/18 15:05:40.96 .net
>>22
150年程だから
それより纏向は誰のものだって事だな
近所の唐古鍵遺跡の10倍の規模があるし纏向の前後もずっと存続している

25:日本@名無史さん
22/09/18 16:59:55.05 .net
伊勢遺跡と同じく、宗教施設のみの役割しか担っていなかったという
意見があるね
邪馬台国が奈良なら、卑弥呼はおかざりの王で、畿内はたんなる宗教施設と墓地の地だったという可能性があるね
都市機能のある遺跡がないのだから
実権は誰が握っていたのか
案外寄り合い所帯だったのかもね

26:日本@名無史さん
22/09/18 17:28:58.29 .net
>>25
宗教施設って言い方どうなのよ?
占いであろうが王が号令かければ政治だから

27:日本@名無史さん
22/09/18 18:06:33.22 .net
卑弥呼は号令かけたの?

28:日本@名無史さん
22/09/20 11:21:33.19 .net
  □□□□□ ご 注 意 □□□□□
ここは操作ミスで立っちゃって重複スレらしいよ
こっちのスレはdat落ちさせるってさ

書き込まないでね

29:日本@名無史さん
22/10/14 20:55:52.53 .net
次スレさっさと立ててくださいな。

30:日本@名無史さん
22/10/14 20:56:50.57 .net
このスレをリサイクルしようぜ

31:日本@名無史さん
22/10/14 21:48:14.97 .net
スレ立て人、流石に諦めたんかな?
半泣きでテンプレ修正してるのかw
テンプレ不要だし、現実の書き込みに則して
「邪馬台国総合スレ」でいいんじゃない?

32:日本@名無史さん
22/10/14 22:00:34.51 .net
清水眞一 前・奈良県桜井市教委文化財課長
私は二十年間、大和の中央部・桜井市で「邪馬台国は何処」とのテーマを持って、
発掘調査に従事してきた。その結果として、邪馬台国が成立して女王卑弥呼を擁立する
までの弥生時代中・後期に、大和には他地域を圧倒するような「ムラ」や「墓」が
見られないことに気付いた。
代表的なムラである唐子・鍵遺跡も、畿内の同時期の池上・曽根遺跡や田能遺跡などと
比較して、飛び抜けて大きいムラとは思えなかった。逆に、墓に関しては、
西日本各地と比べて遅れた地域との思いも抱いたことだった。
であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に百メートル以上もの巨大古墳が、
なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと
考えざるを得ない状況とみた。
では、誰が何処からきたのか?考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。
となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。

33:日本@名無史さん
22/10/14 22:01:04.55 .net
小沢毅氏
「纏向遺跡を都市とみるには多くの問題がある。都市的要素にしても都市の存在は推定にとどまっており、
何よりも、集住を示す住居や居住区の確認例があまりにも少なすぎる、という現実につきあたる。
こうした点は、都市の定義の根幹をなす集住自体が、はたして寺沢が想定するような規模でなされていたかどうかを疑わせる。(中略)
纏向遺跡の段階に、王宮を核として多数の人々を恒久的に集住させるような必然性があったとは
到底思われない。(中略)また、かりに王権による強制的集住があったとしても、それが都市とするにふさわしい恒久性を有していたかは検討を要する。(中略)以上、纏向遺跡については、居住者
の質の問題はともかく、集住の規模と期間に疑問があり、都市としての要件を満たしているとはいいがたい。」

34:日本@名無史さん
22/10/14 22:33:11.24 .net
歴博が結果ありきの箸墓の推定年代を意地汚いやり方でマスコミリークしなければ畿内説などとっくの昔に消えていた。
歴博の罪は邪馬台国論争を大きく後退させただけではない。ヤマト王権の歴史の解明にも大きくダメージを与えた。古代史の極悪罪人「歴博」を許すな!

35:日本@名無史さん
22/10/14 22:45:44.16 .net
箸墓年代の歴博正式論文批判
URLリンク(arai-hist.jp)
歴博「古墳出現期の炭素 14 年代測定」は誤り
URLリンク(washiyamataikoku.my.coocan.jp)
またもや捏造歴博
URLリンク(inoues.net)

36:日本@名無史さん
22/10/14 22:52:24.16 .net
国立の博物館が、韓国の捏造史観をそのまま展示している惨状 #国立歴史民俗博物館 (千葉県佐倉市)
URLリンク(www.otonarashino.com)

37:日本@名無史さん
22/10/14 23:01:48.07 .net
歴博が行ってきた事。
【旧石器捏造事件の本質】
旧石器捏造事件とは、藤村が考古学者をだました事件ではなく、考古学者が藤村を利用して国民をだました事件である。
捏造石器からナウマン象の脂肪酸を検出したという研究結果が、帯広畜産大学から報告され、捏造石器の信憑性の補強に使われた。【国立歴史民俗博物館館長の佐原眞】は、この情報によって、反対意見を発表した小田静夫氏を名指しで批判し、旧石器発掘に対する反対意見を封じ込めた。捏造石器にナウマン象の脂肪酸が付くわけがない。捏造を補強する共犯者といわれても仕方がない学者たちがいたことになる。 
国の機関が、反対意見を名指しで批判し、力ずくで発言を封じてしまうのは学問の世界では異例のことであった。

38:日本@名無史さん
22/10/15 06:13:22.39 .net
大和弥生社会の展開とその特質
寺澤薫
(纒向学研究 第4号より抜粋・引用)
もともと第一の道論(注釈:奈良盆地の独自の発展によるヤマト王権の誕生)は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先進性をことさらに高く見積もり、
前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道は多様である。
私は北部九州や2世紀以降とくに強大な勢力として新興してきた吉備を中心とした瀬戸内海勢力を維新主要勢力とした政治的談合による倭国の再編成(私の言う「新生倭国」の誕生)と考えている。
畿内や大和ではその直前まで首長墓を含む一般的墓制は方形墓なのであって、しかも王権を構成した主要地域に比べると、
墓に反映されるほどの階級的に隔絶した首長権力が存在した形跡は微塵もないのである。
URLリンク(www.makimukugaku.jp)

39:日本@名無史さん
22/10/15 07:44:36.84 .net
818スレ立ってるけど、こっち先に使おうよ。

40:日本@名無史さん
22/10/15 08:20:28.37 .net
戦後において記紀を否定するあまり、記紀が含んでいた真実の一部まで歴史学者は素直に認めることができない縛りが発生している。
それは倭王権が筑紫に成立したということ。
九州北部に上陸した弥生稲作文化が全国に広まった。
ところが稲作とは暦と灌漑が必要であり、多くの王朝において、それらは王の専権事項である。
弥生時代とは、筑紫に成立した倭王権が全国に稲作による支配を広めた時代に他ならない。
記紀がついた最大の嘘は、大和における神武の年代を弥生時代のはじめまで前倒しすることで、あたかも初めから列島の覇者が筑紫の倭王権ではなく大和王権であったかのように偽装したことだ。
邪馬台国畿内説は、記紀編纂者が用意したトラップにまんまと引っかかっているのである。
卑弥呼の治世である3世紀まで、大和に独立した王権が存在したという考古学的証拠はない。
弥生時代において、考古学的に確実に王権が存在したのは、金印や三種の神器が出土する筑紫だけである。
畿内説は考古学的証拠を無視した妄言にすぎない。

41:日本@名無史さん
22/10/15 08:42:52.14 .net
テンプレ無いのは偽スレ扱い

42:日本@名無史さん
22/10/15 08:45:19.58 .net
  □□□□□ ご 注 意 □□□□□
ここは操作ミスで立っちゃって重複スレらしいよ
こっちのスレはdat落ちさせるってさ

書き込まないでね

43:板野に居たの
22/10/15 13:12:22.49 .net
今更ダット落ちは無いじゃ?

44:日本@名無史さん
22/10/15 14:01:42.56 .net
テンプレうざいし畿内説スレなんて名ばかりで他説の方が優勢だから
テンプレのない邪馬台国論総合スレを作るのはどうか?

45:日本@名無史さん
22/10/15 14:18:04.35 .net
架空説の存在しない設問を論破して勝った気でいる意味不テンプレは畿内説側から見ても不要ではないか?

46:日本@名無史さん
22/10/15 14:21:24.33 .net
>>23
長髄彦たち飛鳥の豪族の存在が目に浮かぶようだ。

47:板野に居たの
22/10/15 14:33:33.40 .net
>>44
他説の方が優勢?何処でそんな電波を受信しましたか?

48:日本@名無史さん
22/10/15 14:35:36.18 .net
>>47
ここだよ。ここw

49:日本@名無史さん
22/10/15 14:40:52.60 .net
電波を飛ばしてるのは君たち徳島人だろ。恥ずかしくないのか?

50:日本@名無史さん
22/10/15 14:54:33.68 .net
畿内説の人間でも、あのテンプレは赤面ものだろ。
カルト集団の教義じゃあるまいし、言い訳だらけで誠実さのカケラもない。

51:日本@名無史さん
22/10/15 15:04:30.30 .net
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は、北部九州の様式の土器が畿内に拡大した庄内併行期に相当する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出て、那珂比恵地域では人口が急拡大した。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは福岡以外にありえない。

52:日本@名無史さん
22/10/15 15:06:33.31 .net

テンプレが間違いだらけだったから添削してやったぞ。
よろこべ。

53:日本@名無史さん
22/10/15 15:06:50.00 .net
邪馬台国=卑弥呼の女王国=古の倭奴国(旧唐書による)=福岡県=弥生文化の中心地=倭国の都=豊葦原中国=筑紫の日向(記紀による)=天皇家の祖である天孫邇邇芸や山幸彦(彦火火出見=伊都高祖宮の祭神、邇邇芸の子、神武の祖父)の国
投馬国=宮崎県都万=隼人の祖である海幸彦の国
狗奴国(官の名が菊池彦)=熊本県=熊襲の国
日本国=畿内=倭の別種=ヤマト王権=物部氏の祖である天孫饒速日の国(日本は日下において饒速日が命名した)
福岡県糸島市(伊都)の細石神社と、宮崎県西都市(妻)の都万神社は、どちらも天孫邇邇芸の妻であり山幸彦と海幸彦の母親である木花咲耶姫を祭っている。
宮崎県は日向国と呼ばれるが、糸島市を含む福岡県北西部も筑紫の日向と呼ばれ、奇妙な対比を呈している。
魏志倭人伝では、邪馬台国と投馬国はそれぞれ帯方郡から水行十日陸行一月(1日の誤りか?)と水行二十日と対比されて記載されている。

54:板野に居たの
22/10/15 15:09:35.43 .net
>>49
あんなんが身内にいたら恥ずかしいので全力で止めますよ。
まあ、電波過ぎてついて行けないのは幸い。

55:日本@名無史さん
22/10/15 15:19:23.95 .net
>>54
あなたは何説よ?まさか畿内説?

56:板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
[ここ壊れてます] .net
いわゆるヤマタイコク(女王国)の話し?
それともヤマトコク?

どっちかね?

57:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
普通テンプレなんか読まんだろ

58:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>56
邪馬台国をヤマタイとするかヤマトとするかも自説の内だよ?
言いたくない理由でもあるのですか?

59:日本@名無史さん
22/10/15 16:45:55.19 .net
>>57
じゃあ、あんなものいらないな。

60:日本@名無史さん
22/10/15 16:55:06.81 .net
>>56
他説が優勢という書込みを電波と言ったのだからあなたは畿内説ですよね。
どうしてそれが言えないのかコテハンなのに不思議な人ですね。

61:日本@名無史さん
22/10/15 17:04:12.95 .net
>>59
要らんと言ってもどうにもならんしなあ
とにかく俺は全く読んだ事がないし何が書いてあるか知らん

62:日本@名無史さん
22/10/15 17:16:06.43 .net
>>61
他説から質疑を装った架空の質疑とそれに対する意味のない回答。

63:日本@名無史さん
22/10/15 19:34:50.81 .net
>>60
こいつに関わっても得るものはない。せいぜい徳島県の情報ぐらいだ。
おおよそ邪馬台国論争には不要な情報。
自分は語らず他人の揚げ足取りで優越感に浸り周りを不快にするだけの人間。

64:板野に居たの
22/10/15 19:38:54.70 .net
邪馬台国論争?
今更それ必要なんですか?
冷静な意見お待ちしております。

65:板野に居たの
22/10/15 19:40:08.54 .net
ブラタモリで魏志倭人伝に触れてますね。

66:日本@名無史さん
22/10/15 19:46:29.34 .net
742日本@名無史さん2022/10/15(土) 10:46:29.73
>>741
頼りない神?
ミーハーのお前にとってはな。  わははははは   @阿波
〜〜〜〜〜
ミーハーとは阿波人。古事記の公開で一躍阿波の国魂となった大宜津比売を祀りあげ記紀に登場しないからと阿波忌部の母神たる八倉比売の祭祀を怠るというアホバカ共。挙げ句正体が不明になった八倉比売を大日霊女だと嘯く糞野郎の集団。

67:日本@名無史さん
22/10/15 19:51:37.62 .net
個人攻撃ばっかやなw さみしい人生やね。

68:日本@名無史さん
22/10/15 20:03:23.03 .net
徳島県人は個人なのかw

69:板野に居たの
22/10/15 20:07:17.44 .net
阿波説論者なんか数人規模^_^
某1さんは過剰反応でしょうね。
ブラタモリ見てるのでレス少ないですが、ご容赦ください。

70:日本@名無史さん
22/10/15 20:07:31.91 .net
その「やね」って言うの板野だろwww

71:日本@名無史さん
22/10/15 20:09:08.90 .net
コテ外して自演とか泣けるw

72:日本@名無史さん
22/10/15 20:09:19.48 .net
>>68
@阿波ピンポイントで個人攻撃しとるんでないの?
好きにすれば良いと思うけど、建設的では無いね。

73:日本@名無史さん
22/10/15 20:11:17.24 .net
「大阪の街は、寂しい色やね」・・・て知らん

74:日本@名無史さん
22/10/15 20:11:36.42 .net


75:日本@名無史さん
22/10/15 20:15:59.44 .net
ブラタモリでは何と言っていたの?
タモリだから福岡派?

76:日本@名無史さん
22/10/15 20:16:42.77 .net
歴博同様に偽古代史を金に変えようとする奴は糞ってだけだ。

77:板野に居たの
22/10/15 20:19:53.79 .net
いやー金田城の石垣が思いの外壮大で驚きました。
小船越の下りも勉強になりました。

78:日本@名無史さん
22/10/15 20:57:33.79 .net
>>77
あなた>>63の言う通りで相手を見下すだけで自説は何も言いませんね。
どうしてですか?傍目から見てもちょっとイラっとしますよ。

79:日本@名無史さん
22/10/15 21:07:23.28 .net
関わっても不快感以外に得るものはない。もう止めときって。
こいつの説は女王国(連合)は瀬戸内海沿岸諸国で、邪馬台国は不明だとさw

80:板野に居たの
22/10/15 21:28:06.64 .net
ヤマタイコクなんていう呼名の、国はそもそもなくて、
ヤマトコクがあったというのが私の説です。
ヤマトコクが何処に有ったかなんて、
今更詮索するだけ野暮でしょう。
女王国とヤマトコクは完全一致はしないかも知れませんが。

81:日本@名無史さん
22/10/15 21:36:02.31 .net
>ヤマトコクが何処に有ったかなんて、
>今更詮索するだけ野暮でしょう。
江戸時代の情弱者と同じ思考www

82:日本@名無史さん
22/10/15 21:38:40.43 .net
??

83:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
いや、江戸時代にも劣るね。
宣長は基本的に邪馬台(ヤマト)国は大和国、卑弥呼は神功皇后のことであると考えました。
皇紀を疑わない彼にとって3世紀のヤマトなら大和国以外に考えれなかったからです。
その上で、魏と通好を持ったのは神功皇后をかたる偽物であると主張しました。
【『魏志倭人伝』の記述から、魏の使者が来たところは九州としか考えられないからです。 】
また宣長はこの偽物を熊襲の類とは言っていますが、女酋長とは言っていません。 王は男だっただろうと推測しています。

『日本の皇室が中国に朝貢するなどありえない』という立場から」などというのは、 何の根拠もない憶測です。宣長の学問の特徴は、憶断を持たず、古い文献によって物事を 明らかにすることです。文献によらず、自分の好みの結論に理屈を付けて強弁するような事は、 彼が最も嫌ったことです。

84:日本@名無史さん
22/10/15 21:59:26.07 .net
逆説的に言えば
皇紀を疑えば3世紀のヤマトなら大和国ではないと言うことです。
ヤマト王権自身が筑紫から東遷して来たと証言し、それとは違う間違った
海外の記録にまで訂正を求めているのですから。

85:日本@名無史さん
22/10/15 22:41:34.09 .net
歴博が結果ありきの箸墓の推定年代を意地汚いやり方でマスコミリークしなければ【畿内説などとっくの昔に消えていた。 】
歴博の罪は邪馬台国論争を大きく後退させただけではない。ヤマト王権の歴史の解明や日本書紀の正当性に泥を塗りまくった。
古代史の極悪罪人・朝敵「歴博」を許すな!

86:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>47
歴博の電波にやられてるのはあなたの方ではありませんか。

87:日本@名無史さん
22/10/15 23:16:28.51 .net
>邪馬台国論争?
>今更それ必要なんですか?
確かに必要ないな。畿内説も四国説も消えたしな。

88:日本@名無史さん
22/10/16 09:16:44.28 .net
>>86
得るものはないと言ったよ。「ヤマトだから」こんだけよwww

89:日本@名無史さん
22/10/16 10:57:12.13 .net
邪馬台国はヤマトと読むのだろうけど、3世紀の時点でそれは倭のことで福岡県だと思っています。
大和と書いて奈良県のことであるというのは7世紀以降の文献しかないわけですから。
卑弥呼の即位直前の後漢代の倭が対馬海峡国家として描写されていることを無視はできません。

90:日本@名無史さん
22/10/16 11:02:18.02 .net
>>89
大和は関係ないし倭も関係ないでしょう
ヤマトという名前は古来からあった

91:日本@名無史さん
22/10/16 12:14:11.80 .net
根拠なし

92:日本@名無史さん
22/10/16 12:37:46.19 .net
7世紀より前に奈良県のことを大和と呼称する文献は確認できない。

93:日本@名無史さん
22/10/16 12:38:38.19 .net
直後に倭を統一したのがヤマト王権なのだから女王国連合はヤマト王権に発展するか、ヤマト王権に吸収されたか、滅ぼされたか、無関係に自然に消えたか?
しかし、最後のはありえんだろ。

94:日本@名無史さん
22/10/16 12:47:05.24 .net
【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神夏磯姫は、外部勢力である忍代別大足彦(景行天皇)とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清した。
大足彦の孫の足仲彦(仲哀天皇)が息長帯姫(神功皇后)とともに筑紫香椎宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、足仲彦は筑紫香椎宮で急死してしまう。
大足彦は神夏磯姫と共闘していたが、足仲彦の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神夏磯姫の末裔とされる田油津姫を倒し、朝鮮半島に出兵した。
大足彦に倒された耳垂や息長帯姫に倒された田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、筑紫は勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫は八咫の鏡を保有していた神夏磯姫の末裔と伝えられており、筑後~筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国の内紛に他ならない。
その中でも、肥前・筑後・筑豊に拠点を持つ邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神夏磯姫、田油津姫までで終わりとなる。
足仲彦の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は足仲彦に続いて、その后(大中津姫、足仲彦と同じく大足彦の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人を倒し、足仲彦の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である誉田別(応神)を天皇にした。
足仲彦の死から応神の誕生まで十月十日以上かかる理由について、日本書紀は言い訳に腐心している。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め(宇佐神託事件など)、八幡神社は全国で最多の神社となった。

95:日本@名無史さん
22/10/16 12:49:03.87 .net
結局、畿内説ってのは江戸時代ならともかくの時代錯誤のトンデモだよな。箸墓の年代こじつけしか要素がないんだよな。

96:日本@名無史さん
22/10/16 12:49:29.23 .net
>>91
じゃあヤマトって何よ?
なぜそんな名前が出てきたんだ?

97:日本@名無史さん
22/10/16 13:16:41.23 .net
敵対国の狗奴国の比定地から丹が出ると大喜びの徳島人の思考が理解出来ない。推定朝貢ルート上でもある。

98:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
推定朝貢ルート?なんですかそれ???

99:日本@名無史さん
22/10/16 20:28:43.86 .net
>>96
筑紫の地名の多くが畿内に移転されている。
その中でも最も重要な地名はヤマトであったのだろう。
後漢書において倭すなわちヤマトとは対馬海峡の国とされている。

100:日本@名無史さん
22/10/16 20:30:42.60 .net
女王の都から魏へ行き来するルートだよ。
阿波説では狗奴国を通る。丹が出る若杉山辰砂採掘遺跡も阿波説での狗奴国。
破綻してると思うんだけど。

101:日本@名無史さん
22/10/16 20:53:58.13 .net
>>99
もう無茶苦茶だな
大和は本当に奈良を指してるの?

102:日本@名無史さん
22/10/16 21:16:25.46 .net
ヤマトとは、ミナトと対になる語で、山への入り口、山の麓という一般名称。
一方で大倭とは、中国語の用法では倭が周辺諸国を従えて大きな国になったときに大○というような表現を用いる。
ただし大倭については後漢書に次のような記述がある。
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
対馬海峡が三千里、韓国が四千里四方とされており、大倭王がいた邪馬台国は福岡県内となる。
畿内説を唱えるものは、都合が悪いこの記事から目を背けたままだ。
後漢末の倭国乱を治めるために卑弥呼が共立されたのだから、倭王卑弥子のいる邪馬台国も、楽浪帯方から一万二千里の福岡県内。

103:日本@名無史さん
22/10/16 21:31:12.76 .net
>>102
対馬海峡が三千里なんて書いてないし通ったとも書いてない
即ち直線

104:日本@名無史さん
22/10/16 22:38:46.81 .net
後漢書は魏志倭人伝とソースは同じ。
ちなみに後漢書の方が三国志よりやや後に書かれている。
なので里のスケールは同じ。
楽浪帯方から狗邪韓国まで直線で七千里だと、短里よりさらに短くなるよ。
韓国が四千里四方とあるのを踏まえての七千里だから、楽浪帯方から沿岸を四千里南下して、半島の西南角で東に向かって三千里のところに狗邪韓国があるというのが中国人の理解だよ。
そこから南に渡海するので、九州は東南海中になる。

105:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>104
其大倭王居邪馬臺國楽浪郡徼去其國萬二千里去其西北界狗邪韓國七千餘里
なんか勘違いしてないか? 

106:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
大倭王は邪馬臺國に居る
楽浪郡から萬二千里にあり(邪馬臺國から見て)西北界の狗邪韓國からだと七千餘里
つまり邪馬臺國は狗邪韓國の東南の方向にあるのよ

107:琪瑛教祭酒
22/10/17 06:54:33.48 .net
その通り。でその地、地勢東高西下、奈良盆地となっていくのよ。

108:日本@名無史さん
22/10/17 07:08:12.60 .net
そうはならないだろ。

109:琪瑛教祭酒
22/10/17 07:32:13.64 .net
もう、九州はむりよ
半島から九州までなんて大して遠くないんだから。で、決定的なのは箸墓は道教の墓。ホトを刺すと残るんだから。
本居に影響されないほうがいいよ、上田は解ってる。

110:日本@名無史さん
22/10/17 07:37:50.11 .net
狗邪韓国から対馬海峡を南下して九州に上陸してから東に向かうから、伊都や博多から見たら狗邪韓国は北西にある。
そもそも山島に依りてという表現からは、内陸は想定できないしな。
方角的にもせいぜい出雲なら許容範囲だが、奈良は無理だろ。

111:日本@名無史さん
22/10/17 07:52:31.78 .net
>>110
倭国や邪馬台国が小ちゃっな出雲に!?
一時的な逗留地ならまだわかるが

112:日本@名無史さん
22/10/17 08:10:21.43 .net
ホトをついて死んだのが百襲姫命だけだったら、いろんな憶測が出来るのだが、高天原の機織り女の話があるので推理が進まない。
機織り女の死に関して、それほど深い意味を見いだせられないからだ。
深読みをすれば、機織りという産業をスサノウが滅ぼしたとも取れるのだが、そんな事はなかったからである。
しかし実際に古事記に書かれているので無視することは出来ない。
そこが重要なのだ。
ホトをつくという異様な描写が故に百襲姫命の件は様々な説が生まれている。
しかし本当はただ死亡したという描写に過ぎなかったのではないかという結論しか出てこないのだ。

113:日本@名無史さん
22/10/17 08:20:49.69 .net
奈良盆地は誰がどう見ても青山四周。
あれを地勢東高西下などと言える奴はネジが飛んでる。
畿内説は最初から無理よ。せいぜい江戸時代くらいまでだね。

114:日本@名無史さん
22/10/17 08:22:44.56 .net
>>109
いかにも邪馬台国とは関係なさそうだなw

115:日本@名無史さん
22/10/17 08:27:48.83 .net
そもそも本州について、津軽海峡を知らないと島だと認識できないだろ。
しかしそこは蝦夷地。
本州は無理筋。
箸墓に至っては、こじつけにしか聞こえない。
卑弥呼は推定で少なくとも80代で亡くなっただろうが、百襲姫はについてそんな記事はない。

116:日本@名無史さん
22/10/17 08:29:36.58 .net
>>111
狗邪韓国から東南という内容でどこまで行けるかという話をしているだけ。
少なくともそれで奈良盆地を持ち出すのは頭おかしい。

117:日本@名無史さん
22/10/17 08:30:55.75 .net
高天原の機織り女の死は事故だという以外にも何も出てこないからである。この一点に関連性が見いだせなければ、謎めいた憶測は無理である。逆に3つの事件に共通しているのは女性と死の事実である。そして女陰が持つ生命力を本当に断つには女陰を傷つけることだという思想性である。
>>109
【思考の迷路の罠】
古代史で遊んでいると、いろいろ深読みするのが楽しい。しかし深読みしすぎると迷路に入ったり、独自の説を振りかざしてしまう結果になってしまう。今回の女陰事件もだいぶ考えたが、女性急所説までしかたどり着けなかった。

118:日本@名無史さん
22/10/17 11:02:01.93 .net
また変な解釈してるしホトとか出鱈目な話は要らない
倭在韓東南大海中依山?為居凡百餘國其大倭王居邪馬臺國 
楽浪郡徼去其國萬二千里去其西北界狗邪韓國七千餘里
倭は東南の大海の中にあって山や島に住んでて百余国ある
大倭王は邪馬台国に居て楽浪郡からだと萬二千里で西北界の狗邪韓國からだと七千餘里
結論から言うと伊勢遺跡
後漢時代も魏の時代も邪馬台国は同じ場所にあった
ただし中国側が勘違いしてて邪馬台国は集落ではなく国家でヤマト
 

119:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>118
3世紀の倭の筆頭国である邪馬台国(伊勢遺跡)は4、5、6世紀とどうなっていったの?
消滅したの?

120:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>119
廃棄されたんだか別の場所に移転してる
王宮の移転なんて近畿ではありがちありがち

121:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>120
興味深いね。どこへ行ったんだ?

122:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
伊勢遺跡は邪馬台国有るけど無い
伊勢遺跡は王宮で邪馬台国は国家
皇居は日本にあると言ってるようなもの

123:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>121
纏向でしょう

124:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
すまん、日本語でお願いしたい。
女王の都する所=邪馬台国ではないのか?

125:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
纏向は明らかにヤマト王権の遺跡だ。
ヤマト王権の前身と言うのか?

126:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>124
後漢時代もだし女王だけじゃないんだけどな

127:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
すまん、ますます理解出来ん。
女王の都する所=邪馬台国を皆で探して論じてるのではないのか?

128:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>125
そう考えるしかないな
ただ王統皇統がつながってるかはわからんよ

129:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>127
そうなんだけど後漢時代はその場所におそらく男王が居た
俺は卑弥呼より日本発祥の場所の方が興味あるけどな

130:日本@名無史さん
22/10/17 12:43:12.02 .net
>>128
ヤマト王権の前身であるが王統にはつながらない?
ヤマト王権に降ったのか?もちろんヤマト王権が併合した
諸国を全て記載してはいないかもしれないが「親魏倭王」の国だ。
強国を降した誉を記載しない理由は何か?

131:日本@名無史さん
22/10/17 12:46:16.89 .net
>>129
日本書紀によれば
饒速日尊が生駒山から奈良を眺めて眩しさに目を細めて「日本」と名付けたとある。

132:日本@名無史さん
22/10/17 12:48:23.18 .net
>>130
だって仁徳天皇と今の天皇の血がつながってるかなんてわかんないでしょ

133:日本@名無史さん
22/10/17 12:50:04.36 .net
>>131
日本という名前は後の時代だろうけど国家の始まりだよ

134:日本@名無史さん
22/10/17 12:54:53.97 .net
俺は国家の始まりがヤマトだと思ってるんだけどね

135:日本@名無史さん
22/10/17 12:57:22.15 .net
卑弥呼と今の天皇だって血がつながってるとは言えないけどつながってないとも言い切れない

136:日本@名無史さん
22/10/17 13:08:54.38 .net
>>132
そうじゃないんだよ。根本的に理解してないね。
血縁関係は不明でも「王統」は確実に継がれているんですよ。
過去の倭地にあった国で王統が途絶えた国は数知れない。
だが、ヤマト王権は初代神武天皇からの王統を主張しているんだ。

137:日本@名無史さん
22/10/17 13:12:00.16 .net
>>136
俺もそういう事を言っててつながってようが途切れてようが国家として継続している

138:日本@名無史さん
22/10/17 13:14:18.28 .net
血統が代わってようがなかろうが
我が国はずっと「日本(やまと)」なのですって事。

139:日本@名無史さん
22/10/17 13:18:17.82 .net
>>137
そこまで理解できているならもうわかるはず。
結論を言うと残念ながら「伊勢遺跡」はヤマト王権にとってどうでもよかった場所。
それだけ。

140:日本@名無史さん
22/10/17 13:22:13.41 .net
>>139
おまえが決めるな
後漢時代も魏の時代も同じ場所に王が居たと推測できる
倭王として金印を貰った王が

141:日本@名無史さん
22/10/17 13:34:37.06 .net
>>133
日本という名前をつけたのが饒速日なら、神武東征より前だ。
一方で伊勢遺跡は大和よりむしろ出雲と関連づけるべき遺跡だ。
王統が違うだろう。

142:日本@名無史さん
22/10/17 13:35:18.03 .net
>>140
残念ながら決めたのは私ではありません。記紀の編者なので悪しからず。
妄想説の人は最後はキレて根拠のない主張をするのは変わりませんね。
>後漢時代も魏の時代も同じ場所に王が居たと推測できる

143:日本@名無史さん
22/10/17 13:36:23.49 .net
>>136
記紀でさえ、実は王統は一つではない。
天皇家の中にいくつもの王統が存在する。
まして天皇家と別の王統があったことを否定する根拠はない。

144:日本@名無史さん
22/10/17 13:37:38.97 .net
>>137
根拠のない妄想だね。
結局、畿内説とは神武から始まるヤマト王権を無条件に妄信して、そのために事実を歪めているんだよ。

145:日本@名無史さん
22/10/17 13:38:31.47 .net
>>140
後漢の時に倭王として金印をもらったのは、博多の倭奴国王だよ。
耄碌した?

146:日本@名無史さん
22/10/17 13:39:45.85 .net
ヤマト王権そのものが夢想なのではないか?

147:日本@名無史さん
22/10/17 13:48:03.57 .net
>>143
よく読んで。早漏君。
実際はどうであれ「日本書紀の主張は一つの王統」だよって言ってるに。
>>144
ヤマト王権の主張はそうだよって言ってる。
従属側の国津神の故地も記録されている。
伊勢遺跡など知ったこっちゃないってな。
一千万光年ゆずってそこが後漢時代の王都だとしてヤマト王権との関連性は不明だよね。

148:日本@名無史さん
22/10/17 13:49:59.66 .net
>>142
同じ邪馬台国に居たのに妄想なのか?

149:日本@名無史さん
22/10/17 13:51:09.44 .net
>>146
間違い説の行き着くところはそこwww

150:日本@名無史さん
22/10/17 13:52:34.94 .net
たくさん出てきやがったな
後漢時代も魏の時代も王は邪馬台国に居ると言ってるのになんで妄想なんだよ

151:日本@名無史さん
22/10/17 14:07:58.03 .net
>>141
仰る通りですね。
伊勢遺跡は国津神側の遺跡で出雲や伊勢に比べれば記載する必要のない取るに足らない場所って事。

152:日本@名無史さん
22/10/17 14:46:32.60 .net
>>144
おまえ何言ってんの?
ジンムなんて居ない

153:日本@名無史さん
22/10/17 14:50:01.51 .net
>>151
伊勢遺跡の時代出雲大社や伊勢神宮なんて存在しない

154:日本@名無史さん
22/10/17 16:05:36.82 .net
>>153
誰が「神社」の話をしたの?障害持ちかな?152は間違いないだろうが。
猿田彦は伊勢だろ?
衢神對曰「聞天照大神之子今當降行、故奉迎相待。吾名是猨田彥大神。」時天鈿女復問曰「汝將先我行乎、抑我先汝行乎。」對曰「吾先啓行。」天鈿女復問曰「汝何處到耶。皇孫何處到耶。」對曰「天神之子、則當到筑紫日向高千穗槵觸之峯。吾則應到【伊勢】之狹長田五十鈴川上。」
大国主は出雲だろ?
二神、於是、降到【出雲】國五十田狹之小汀、則拔十握劒、倒植於地、踞其鋒端而問大己貴神曰「高皇産靈尊、欲降皇孫、君臨此地。故、先遣我二神驅除平定。汝意何如、當須避不。」時大己貴神對曰「當問我子、然後將報。」

155:日本@名無史さん
22/10/17 16:15:43.05 .net
天孫に降った強大な国津神の事なんだが。
王統にも関わらない。降ってもいない。=ヤマト王権とは関係性の低い遺跡。
邪馬台国をヤマト王権の前身と言うお前の論は破綻しているって事だ。

156:日本@名無史さん
22/10/17 16:19:55.10 .net
結局>>146のような主張をしておしまいw
アホバカもほどほどにな。

157:日本@名無史さん
22/10/17 16:37:19.24 .net
>>154
存在してないんだからしようがねえじゃん
海でも眺めてたのか?

158:日本@名無史さん
22/10/17 16:49:43.79 .net
箸がなく手掴みで飯食ってたのに何故箸でホト突くんだ?
何考えてんだ?

159:日本@名無史さん
22/10/17 17:14:34.14 .net
祭祀用の折箸じゃないのかね

160:日本@名無史さん
22/10/17 17:44:36.46 .net
>>151
纒向に一揃いしかない高殿が十数棟もあるのだから、取るに足りないということはないのだけれど、記紀編纂者から見たら無視すべき存在だったのだと思います。
国津神なので。
つまり伊勢遺跡はヤマト王権に属さない、出雲の国津神系の王朝なんですよ。

161:日本@名無史さん
22/10/17 17:45:40.39 .net
>>152
そのいないはずの神武が大和に即位したという日本書紀にしがみついてヤマト王権を夢想しているのが畿内説なのですよ。

162:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>153
伊勢神宮はともかく、出雲大社についてはすでにあったことになっています。

163:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>156
大和からそう遠くもない伊勢遺跡が大和に属さない出雲の国津神の遺跡なら、ヤマト王権ってなんだっていう話だよ。
だいたい、カタカナ造語はマユツバだろ。
実態がない後世の思いつき、こじつけ。
大和と書くと神武の国そのもので、神話となってしまうしね。

164:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>157
出雲大社がその時代になかったという証拠は?

165:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>158

> 箸がなく手掴みで飯食ってたのに何故箸でホト突くんだ?
> 何考えてんだ?

鋭いw

166:琪瑛教祭酒
[ここ壊れてます] .net
曹叡の称賛と魏の卑弥呼に対する好意と親魏倭王。
魏尺の墓と伊勢、出雲の祖形といえる建物。
3世紀から現れる勾玉の形。太一を祀る斎宮。
そして今の政治は道教を認めないとする淡海三船と鑑真の時に方士も送ろうとしたが日本から拒絶されたとする状況、その状況から生まれた箸墓伝説。万物を生み出すとされる入り口を塞いで死んでる。
これら状況証拠から比定できる人物はひとりしかいないよ。前方後円墳は大仙までは続く。仙人思想が間違いなく列島にあり、その始祖が箸墓なんだよ。

167:日本@名無史さん
22/10/17 18:42:32.60 .net
息を吐くように嘘をつくのはやめようよ。
畿内説の品位が疑われるだけ。

168:日本@名無史さん
22/10/17 18:44:10.94 .net
>>163
筑紫から東遷して来たとの主張だ。読めばわかる。
畿内一帯は出雲系勢力の傘下だったのは神武天皇に伊勢を譲ったとされる
伊勢津彦が出雲神の子、出雲建子と呼ばれていた事からも明らか。
>伊勢遺跡が大和に属さない出雲の国津神の遺跡なら、ヤマト王権ってなんだっていう話
疑問に思うのが疑問で仕方ないんだが???

169:日本@名無史さん
22/10/17 18:47:51.41 .net
箸墓古墳という名前は、古代の有力氏族である土師氏に由来する。
箸で陰部を突いたというお話も伝わりますが、これはあくまでも箸墓という地名に付会した説話にすぎないのではないかと思われます。

170:日本@名無史さん
22/10/17 18:54:27.91 .net
神話の挿入説話を区別できない人が読むのは難しいね。
だから、完全に拒絶するか珍説のオンパレードになるんだろうな。

171:日本@名無史さん
22/10/17 18:59:00.28 .net
記紀だのみの畿内説
情けないことだが、それが実態

172:日本@名無史さん
22/10/17 19:03:03.98 .net
>>163
万葉集にも歌われ古代皇族から愛された三輪山を神体とする神は誰かね?天津神か?
ヤマトって何だよって言われても筑紫から東遷して来たって堂々と書いてるじゃないか。

173:日本@名無史さん
22/10/17 19:07:06.31 .net
>>170
正にそれ。「イザナミのホトから日本列島が出て来たのか?」とか言うヤツ。
完全に頭がおかしい。

174:日本@名無史さん
22/10/17 19:11:40.81 .net
>>172
それって、邪馬台国と関係なくないか?
結局は神武の伝説に頼らないと畿内説には何もない。

175:日本@名無史さん
22/10/17 19:13:25.04 .net
三輪山の神が物部つまり饒速日なら、天津神だけどね。
しかし邪馬台国とは関係ないよな。

176:日本@名無史さん
22/10/17 19:16:00.78 .net
神武が筑紫から来たなら、それ以前の筑紫の日向は豊葦原中国の王都であるわけだが、神武らが筑紫を出たら王都ではなくなるのか?
筑紫が王都であり続けたら、そこにいたのが倭王卑弥呼ではないか?

177:日本@名無史さん
22/10/17 19:20:44.69 .net
大物主は三輪大歳彦明神。スサノオの子、オオトシ。
父、スサノオが三室の磐座に鎮座した事に因み一番美しい山を御諸と名付け鎮座した。
饒速日とは姻戚関係だろうがどう考えても同一ではないね。原田氏の影響だろうが。
スレチなんでここらへんで。

178:日本@名無史さん
22/10/17 19:26:20.75 .net
>>176
>神武らが筑紫を出たら王都ではなくなるのか?
ヤマト王権は何度も遷都しているが何か不思議ですかね?
奈良から京都に行きましたよね?
>筑紫が王都であり続けたら、そこにいたのが倭王卑弥呼ではないか?
筑紫が王都であった時代にそこにいた天皇の祖先の女王が倭王卑弥呼でしょうね。

179:日本@名無史さん
22/10/17 19:27:30.33 .net
大和って、出雲や筑紫から来た神の吹き溜まりだな。
沿岸部が初期から開拓されたのに対して、内陸はフロンティアとして残っていたからかな。
いずれにしても、邪馬台国とは接点が見出せない。

180:日本@名無史さん
22/10/17 19:29:11.20 .net
>>178
卑弥呼は3世紀、記紀だともう天皇家の祖先どころか崇神とかだよ。
だからこそ纏向遺跡が崇神天皇の宮で矛盾しないのだけど、卑弥呼がヤマト王権の歴史に入り込む余地はないんだよ。

181:日本@名無史さん
22/10/17 19:34:15.03 .net
邪馬台がヤマトであると言う前提においててです。>>178
邪馬台がヤマトでないなら畿内説では邪馬台は、どこに消えちゃったの?って事です。
九州説なら奈良から遠く離れた地で闘争の間に消滅ってのも無くはない。
何をどう解釈しても畿内説なんてあり得ない。

182:日本@名無史さん
22/10/17 19:36:34.38 .net
纏向遺跡は本当は4世紀。
歴博の犯罪じみた行為が邪馬台国論とヤマト王権の史書に泥を塗っただけ。

183:日本@名無史さん
22/10/17 19:38:24.35 .net
やはり、3世紀の大和の記録を含んでいることがほぼ確実な記紀において、天皇家の系譜が連綿と続いていて、卑弥呼が全く登場する余地がないのが決定的だろうね。
卑弥呼は畿内政権が知らない、または無視している筑紫倭国の女王なのだろう。

184:日本@名無史さん
22/10/17 19:41:23.50 .net
>>183
私とは違う意見ですがそう言う解釈も可能ですね。
いずれにせよ江戸時代ならともかく「畿内説」などトンデモでしかないって事です。

185:日本@名無史さん
22/10/17 19:44:56.30 .net
まあ、記紀の年代は少しずつ前倒しされているというのもあるかもしれないので、纏向遺跡の正確な年代はわからないですけど。

186:日本@名無史さん
22/10/17 19:46:16.47 .net
崇神天皇の実在性を証明しうる纏向遺跡を無理矢理邪馬台国にこじつけようとしているのなら、それは確かに歴史に対する冒涜ですな。

187:日本@名無史さん
22/10/17 19:50:56.17 .net
>>186
>崇神天皇の実在性を証明しうる纏向遺跡
それです!それ!!!許せるものではないです!
歴博は前科があるんでいい加減にしろって感じです。

188:日本@名無史さん
22/10/17 19:59:41.21 .net
邪馬台国畿内説だと、日本史は闇の中になってしまう。

189:日本@名無史さん
22/10/17 20:06:33.91 .net
九州の邪馬台国とヤマト王権に連続性はあるのか?を論じる段階なのに
犯罪まがいの者どもが妨害している状態と言える。
意地なのか信仰なのか畿内説など害悪以外の何でもない。

190:日本@名無史さん
22/10/17 20:38:45.32 .net
>>164
出雲大社は八世紀伊勢神宮が五世紀後半、神話と無関係

191:日本@名無史さん
22/10/17 20:43:04.45 .net
>>170
神話の根拠がない
つまり根拠が神話しかない

192:日本@名無史さん
22/10/17 20:51:33.00 .net
>>191
史書に散りばめた神話の挿入説話を区別できない人が読むのは難しいね。

193:日本@名無史さん
22/10/17 20:53:08.36 .net
日本が成立したのはいつなのか知りたい
神様が海かき混ぜて日本を作りましたで納得できるかバカ

194:日本@名無史さん
22/10/17 20:55:36.30 .net
>>192
根拠となる遺跡を出してから言って
それが無いと荒唐無稽な話しなんか信用できるか!

195:日本@名無史さん
22/10/17 20:58:29.93 .net
>>193
>>173で予言されてるあなたwww

196:日本@名無史さん
22/10/17 21:01:44.08 .net
>>194
畿内説の遺跡もないよ。箸墓は歴博の犯罪だし。
かつて存在した弥生時代の集落の何%が見つかってるの?まず七万戸の遺跡を出せよ。
遺跡なんて残ってるから遺跡であって残るとは限らないんだけど。

197:日本@名無史さん
22/10/17 21:01:48.78 .net
>>195
それ読んで書いたけどその神話ってじゃあ何よ?
日本がある事で証明してるとでも言いたいの?

198:日本@名無史さん
22/10/17 21:03:47.43 .net
>>196
俺は伊勢遺跡説だから
何度も書いてるが七万戸はヤマトの戸数

199:日本@名無史さん
22/10/17 21:04:53.84 .net
>荒唐無稽な話し
ヤマト王権の公式見解。
荒唐無稽は卑弥呼中国人だろうwww

200:日本@名無史さん
22/10/17 21:06:15.39 .net
>>199
ヤマト王権の公式見解。
これが正しいとする根拠がない

201:日本@名無史さん
22/10/17 21:07:31.72 .net
>>155
伊勢遺跡は明確に出雲の関連。
荒神谷遺跡もそうだが、弥生時代から出雲に何らかの勢力がいたことは間違いない。
それはやはり出雲と呼ぶしかない。

202:日本@名無史さん
22/10/17 21:10:32.53 .net
王が居るのは伊勢遺跡や纏向遺跡であってその場所だけがヤマトではない
王が治める地域がヤマト

203:日本@名無史さん
22/10/17 21:11:02.42 .net
>>198
だからそのヤマトとやらの所在地が問題なんだろ。
大和なら奈良盆地だが、伊勢遺跡は別系統だし。
そもそもヤマトが倭のことなら、後漢書では狗邪韓国から倭奴国までの間の対馬海峡だけが倭だ。

204:日本@名無史さん
22/10/17 21:12:39.18 .net
>>202
伊勢遺跡は女王がいたというよりは大国主の祭祀場。
纏向遺跡は単発の王宮。
どちらも邪馬台国とは、似ても似つかない。

205:日本@名無史さん
22/10/17 21:13:22.41 .net
>>203
大和朝廷は奈良県だけ治めてるんじゃないでしょ

206:日本@名無史さん
22/10/17 21:15:04.06 .net
>>203
倭は東南の大海の中にあるんだよ

207:日本@名無史さん
22/10/17 21:17:09.32 .net


208:日本@名無史さん
22/10/17 21:17:25.37 .net
>>204
また神話かよ
あほらしい
何が大国主なんだか

209:日本@名無史さん
22/10/17 21:18:50.54 .net
>>194
邪馬台国の遺跡が残っている根拠を述べて下さい。
全ての遺跡の推定戸数と当時の人口が同じくらいなら言い分を認めますけど。

210:日本@名無史さん
22/10/17 21:19:53.03 .net
>>205
根拠なし
畿内説では河内彦がいる大阪さえも敵国狗奴国なんだろw

211:日本@名無史さん
22/10/17 21:21:49.75 .net
>>208
出雲の権力者に仮に名を与えるなら、それしかないだろ。

212:日本@名無史さん
22/10/17 21:24:49.18 .net
>>206
狗邪韓国から南下して末盧国、そこから東南または東で倭奴国。
東南海中に王都があるな。

213:日本@名無史さん
22/10/17 21:25:33.67 .net
>>209
中国の史書から邪馬台国は2~3世紀の話しだよな
まさに伊勢遺跡がそうだし吉野ケ里もそうだな
戸数はどれ程正確かわからない
ただし七万戸は狭い地域ではない

214:日本@名無史さん
22/10/17 21:28:51.73 .net
>>210
統一国家大和朝廷は奈良県を治める朝廷なのか?

215:日本@名無史さん
22/10/17 21:33:30.47 .net
>>214
だからそれが記紀に踊らされた妄想なんだろうね。

216:日本@名無史さん
22/10/17 21:34:00.08 .net
>>213
仮に邪馬台国の端っこの民衆層が住む遺跡が見つかってもそれが
邪馬台国だと推定するには根拠が希薄すぎる。根拠となる文献と合致してナンボのもの。
見つかった遺跡から逆算で邪馬台国だなどとするから纏向は歴博の犯罪に巻き込まれた。
纏向は発見時点で崇神天皇にゆかりの物として研究すべきだった。
遺跡を出せなどと横暴にも程がある。

217:日本@名無史さん
22/10/17 21:36:54.13 .net
>>216
纏向の調査はまだこれからだから気長に待てよ
伊勢遺跡もそうだけど

218:日本@名無史さん
22/10/17 21:38:19.46 .net
>>215
何言ってるのかわからない
大和朝廷は無かった?

219:日本@名無史さん
22/10/17 21:38:26.89 .net
邪馬台国七万戸の中に奴国二万戸が含まれるんだよな。
邪馬台国と同じ倭人伝に記載されて、単一の国邑としては東夷最大となる奴国が含まれないわけはない。
ならば邪馬台国の範囲の中でも最大の国邑が奴国であったはず。
その奴国すら支配下においたのは、大率を擁する伊都だけ。

220:日本@名無史さん
22/10/17 21:40:41.92 .net
>>218
そうだね。
記紀に踊らされた実態のないものだよ。
大和朝廷と呼ぶとどうしても始祖である神武の話になってしまうから、最近はその表記を使わずにヤマト王権と呼ぶらしいが、その範囲も年代も全くもって定義されていない。

221:日本@名無史さん
22/10/17 21:42:26.02 .net
>>217
奈良盆地の何割を纏向遺跡に含める気だよ。
それこそ詐欺だろ。
玉垣に囲まれた3棟と井戸、それだけが纏向遺跡の現実だよ。

222:日本@名無史さん
22/10/17 21:44:40.52 .net
>>220
纏向があり馬鹿でかい墓もあるんだが
ジンムなんか居ない

223:日本@名無史さん
22/10/17 21:48:04.68 .net
伊勢遺跡は出雲の系統であり、畿内とは関係ない。
弥生時代末期において、西日本はおろか、近畿すら統一はされていなかった。
まして伊都のように近隣に強い支配力を持った地域に比べて、大和はあまりにも出土品が貧弱であり、郡使が滞在したという伊都には何の影響も与えてはいない。
大和は魏志倭人伝にある邪馬台国とは何の関係もない片田舎にすぎない。

224:日本@名無史さん
22/10/17 21:49:10.96 .net
>>221
それを決めつけるのはまだ早い
何があったかまだはっきりしないけどあれはでかい
墓もでかい
かなりの権力者が居たんでしょう

225:日本@名無史さん
22/10/17 21:49:39.30 .net
>>222
普通、古墳は古墳で扱い、別のところにある建物と混ぜこぜにはしない。
そのような姿勢こそ、考古学に対する冒涜だよ。

226:日本@名無史さん
22/10/17 21:50:40.61 .net
>>222
はぁ?10代崇神天皇の存在を示唆するそれらがあって
初代はいない?何の根拠で?

227:日本@名無史さん
22/10/17 21:50:41.68 .net
でかい古墳だけなら全国にある。
しかも年代がおかしい。
卑弥呼より後のものなら、いくら並べても何の意味もない。

228:日本@名無史さん
22/10/17 21:52:28.54 .net
>>226
ヒント
崇神天皇の諡号は
はつくにしらすすめらみこと

229:日本@名無史さん
22/10/17 21:53:35.70 .net
>>225
時代が合致する可能性があるものが直ぐ近くにあるんだから無関係と考える方がおかしい
逆に無関係とする根拠が必要なくらい

230:日本@名無史さん
22/10/17 21:54:06.11 .net
邪馬台がヤマトなら意味はあるだろう。
何か狂気を感じる。この天皇の名前をカタカナで書く人。

231:日本@名無史さん
22/10/17 21:56:15.21 .net
>>228
まだ、欠史八代を言う人が居るとは。

232:日本@名無史さん
22/10/17 21:57:01.72 .net
>>230
初代は居てもジンムなんか居ないでしょう
それに初代がなにをやった人か見当も付かん

233:日本@名無史さん
22/10/17 21:57:23.75 .net
崇神天皇が磯城に宮を構えたのは、ヤマト王権の真の権力者であった物部氏の母を持つため。
妻問婚の時代、子供は母親の実家の権威を継承した。
桜井市は物部氏の本拠地である石上神宮の地、物部の里に他ならない。
物部氏は軍事と祭祀、つまり祭りごとの全てを司っていた。
前方後円墳は物部氏の墓制と言われる。
そして畿内を日本と命名したのも、物部氏の祖である饒速日。

234:琪瑛教祭酒
22/10/17 21:57:30.48 .net
伊勢遺跡は地勢東高西下ではない、また、墳墓も古い。
冷静に魏尺の箸墓をなんとするのだ?纏向もふくめ寸法がなんで中華なのだ?
倭人に卑弥呼以前に倭独自の道なるものがあるなら何でみな大夫だなんて言っとるのだ?。
倭人卑弥呼の鬼道は何処で誰に教わり、台与に何処で教えたのだ?
何で斎宮伊勢は太乙を祀るのだ?
無理があるね、他の考え方でわ。

235:日本@名無史さん
22/10/17 22:00:41.63 .net
>>230
はて?
ひらがなで書いたつもりだが?
漢字は古事記と日本書紀で違うから、後世の当て字に過ぎない。
日本人ならきちんと訓読みで和風諡号を使い、読みを記載するなら仮名で書いて何が悪い?
御肇國天皇と書いたら何割の人が読める?

236:日本@名無史さん
22/10/17 22:01:36.50 .net
>>234
俺は卑弥呼より日本の成り立ちの方が関心があるのよ
伊勢遺跡の時代大型墳墓はまだないし卑弥呼にそれ程の権力があったとも思わない

237:日本@名無史さん
22/10/17 22:05:07.92 .net
>>236
あなたの言う「日本」って何でしょう?
何度も出てきてますがその名は饒速日尊の命名ですけど。

238:日本@名無史さん
22/10/17 22:06:00.93 .net
>>234
前方後円墳の大きさはバラバラで、規格などなかったことは明白。
たまたま近い大きさと思われる箸墓にこじつけただけ。
そのために年代は無理に前倒ししている。

239:日本@名無史さん
22/10/17 22:07:31.65 .net
>>234
だいたい、鬼道だって九州説は三種の神器などを用いた古代神道だと解くわけで、道だの道教だの持ち出すのは畿内説のマッチポンプに過ぎない。

240:日本@名無史さん
22/10/17 22:08:08.84 .net
狂気を感じるのは異常に長生きの古代天皇の実在を信じてる方でしょう
遺跡があるから何かは居たけど

241:日本@名無史さん
22/10/17 22:08:37.07 .net
>>237
国家

242:日本@名無史さん
22/10/17 22:09:05.54 .net
そして日本は卑弥呼が女王を務めた倭の別種。
後に逆に倭を併合したと。

243:日本@名無史さん
22/10/17 22:09:38.76 .net
>伊勢遺跡は地勢東高西下ではない。
奈良も違うだろ。
>冷静に魏尺の箸墓をなんとするのだ?纏向もふくめ寸法がなんで中華なのだ?
根拠が希薄だし仮にそうだとしてもそのような文化が伝わったのだろう。
>倭人卑弥呼の鬼道は何処で誰に教わり、台与に何処で教えたのだ?
縄文時代から倭にある要は古神道だろう。
>何で斎宮伊勢は太乙を祀るのだ?
え?

244:琪瑛教祭酒
22/10/17 22:10:17.29 .net
前方後円墳は大仙までは続く、倭五王の墓はおそらくこれ等であろうと思っている、ゆえに狗奴国は弟、河内であろうと考える、1字大王も自然な流れだ。

245:日本@名無史さん
22/10/17 22:11:29.45 .net
>>241
その時代の近畿が国家という体を成していたかどうか。
大和から見て、伊勢遺跡は出雲の系譜の別の国、河内は河内彦がいる敵国狗奴国なら、大和って奈良盆地の外に出ていけてないよね。
それが九州?それが洛陽?馬鹿馬鹿しいにも程がある。

246:日本@名無史さん
22/10/17 22:13:02.29 .net
>>238
纏向は四世紀にはあってその頃巨大古墳もあったとされてるけどいったい何を疑ってるの?

247:日本@名無史さん
22/10/17 22:15:06.88 .net
>>242
卑弥呼は倭の女王国(連合)の邪馬台に都す。日本は饒速日尊の国。
完全に無関係だろ。どっちが主かは、ともかく倭と日本は合併した。

248:日本@名無史さん
22/10/17 22:15:52.41 .net
>>245
おまえの言ってる事には全く根拠が無くてわかんねえ

249:日本@名無史さん
22/10/17 22:19:28.33 .net
>>246
卑弥呼は2世紀末に即位して3世紀中頃に亡くなった。
4世紀は関係ないよね。
畿内説は後世の資料ばかり持ち出して、なんの証明もできていない。

250:日本@名無史さん
22/10/17 22:20:44.89 .net
>>248
根拠がないことを信じてぶつぶつ呟いているのは君の方。
早く目を覚ませ。

251:日本@名無史さん
22/10/17 22:21:46.28 .net
>>247
倭と日本は文字だから当然卑弥呼に時代にはない
もし読みがヤマトであるなら同じって事になる
おまえの言ってるのは日本人がワまたはヤマトとヒノモトまたはニッポンと言ってたら成り立つ

252:日本@名無史さん
22/10/17 22:23:31.61 .net
>>249
俺卑弥呼の事なんてどうでもいいから
日本の成り立ちに関心がある

253:日本@名無史さん
22/10/17 22:26:09.62 .net
>>252
だったら邪馬台国を持ち出すな。
纏向遺跡は崇神天皇の宮。
邪馬台国を絡めるとかえって議論がおかしくなる。

254:日本@名無史さん
22/10/17 22:27:47.77 .net
>>252
弥生人流入で縄文人が列島中央から押し出されるところから?

255:日本@名無史さん
22/10/17 22:27:58.09 .net
>>251
旧唐書では倭と日本は別の国とされている。
日本が生駒山で饒速日が名付けた畿内のことなら
倭はどこのことだ?
後漢書では、倭とは狗邪韓国から倭奴国までの対馬海峡のことだ。

256:日本@名無史さん
22/10/17 22:29:12.19 .net
>>253
ヤマトは重要な意味があるのに何故?
纏向遺跡だって否定してないし何か権力者が居たんでしょう

257:日本@名無史さん
22/10/17 22:30:40.85 .net
>>254
国家の成り立ちで何処からなんてわかんない

258:日本@名無史さん
22/10/17 22:32:12.91 .net
>>254
弥生人が流入したのは九州北部から。
稲作文化は約200年かけて九州から東日本にまで広まった。
水稲稲作には暦法と灌漑か必要だが、どちらも王の専権事項だ。
筑紫で生まれたスサノオとその息子のイソラタケが農業を広めただの、筑紫で生まれた大山祇の子である三島溝杭耳が農業を広めただのと伝えられている。
全国の生産様式、生活様式が筑紫の様式で塗りつぶされていくんだよ。

259:日本@名無史さん
22/10/17 22:33:15.86 .net
倭王の冊封の証である金印は志賀島から出土した。

260:日本@名無史さん
22/10/17 22:34:28.77 .net
>>251
こういう面倒な人困る。漢字は後から当てたに決まってるでしょ?
「ワ」と「ニギハヤヒの名付けたヒノモト」が合併したんですよ。
おそらくワの筆頭国はヤマトでヤマトとヒノモトの両国が合併したから【後の世】で
日本と書いても倭と書いてもヤマトと読ませるんです。あー面倒だわ。こういう人。

261:日本@名無史さん
22/10/17 22:35:26.14 .net
>>256
重要だからこそ、その名前の扱いには気をつけなければいけない。
畿内は日本だが、そこにヤマトという読みを当てたのはいつだ?
本来は日本にヤマトなどという読みはない。

262:日本@名無史さん
22/10/17 22:36:55.79 .net
卑弥呼の時代の中華が呼称する「倭(ワ)」と
ヤマト王権時代の「倭(ヤマト)」が区別できない人がかなりの頻度で定期的現れるけど
もう来ないで欲しい。

263:日本@名無史さん
22/10/17 22:37:46.72 .net
>>260
どんな言葉に文字をあてたかは重要だろ
倭はワと言ってたのか?
日本はヒノモトと言ってたのか?

264:日本@名無史さん
22/10/17 22:38:31.69 .net
>>260
倭が周りの国を合併したから大倭という表記になり、そこから大和に転じたのだろう。
しかしそれは本来の倭がどこを在していたのかとは別の問題。
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
これだとあくまでも九州北部が倭。

265:日本@名無史さん
22/10/17 22:39:03.97 .net
>>261
あるだろ
日本武尊と倭建命

266:日本@名無史さん
22/10/17 22:40:01.93 .net
>>263
ヒノモトだろうね。
そして日下も同じだろう。
饒速日は生駒山に登り命名したと。
畿内は本来の倭ではない。

267:日本@名無史さん
22/10/17 22:42:21.97 .net
>>266
弥生時代にヒノモトなんて言ってたと思うのか?

268:日本@名無史さん
22/10/17 22:42:41.61 .net
>>265
それそれ。
それこそ日本書紀がついた大嘘なんだよ。直前に書かれた古事記は日本の表記を用いていない。
日本と書いてヤマトと読ませるのは、7世紀末にはじまったことだということ。

269:日本@名無史さん
22/10/17 22:43:37.71 .net
>>267
じゃあ弥生時代にヤマトと呼んだいたと思うのか?

270:日本@名無史さん
22/10/17 22:44:09.72 .net
>>268
それ以前からヤマトという言葉はあったのは間違いないのよ

271:日本@名無史さん
22/10/17 22:44:13.05 .net
九州北部が倭。その通り。
倭(九州北部)を邪馬台(ヤマト)が併合した後に東遷して
さらにニギハヤヒの「ヒノモト」も併合。だから三国時代の倭(ワ)は九州北部だが
東遷後の倭(ヤマト)は大和(奈良)。
大倭は本来、「おおやまと」と呼称してました。

272:日本@名無史さん
22/10/17 22:44:57.36 .net
>>269
思うね
だから邪馬台なのよ

273:日本@名無史さん
22/10/17 22:45:50.26 .net
>>270
ヒノモトはなかったのにヤマトはあった?
ダブルスタンダードだよ。

274:日本@名無史さん
22/10/17 22:46:09.81 .net
>>273
>>272

275:日本@名無史さん
22/10/17 22:49:52.17 .net
>>268
具体的に読ませるというのは7世紀からかもしれないが
ヤマトは同時にヒノモトである事を意識はしていたよ。
「日出処の天子」ってのはそう言う事だろう。

276:琪瑛教祭酒
22/10/17 22:59:53.79 .net
後漢書だから倭奴国がその時最南界でも構わないんだよ。伊都の話は片付いたんだよ。

277:日本@名無史さん
22/10/17 23:05:26.71 .net
>>275
いやいや、日出処は日没処に宛てた手紙だろ?
単に中国より東の国を意味しているだけ。
日出処の天子の名は多利思比孤、その地には阿蘇山があり火を吹くとあるんだよ。
畿内ではなく九州だろ。

278:日本@名無史さん
22/10/17 23:06:46.99 .net
>>276
卑弥呼が即位したのはその後漢代末期だよ。
卑弥呼の王宮はどこにあった?

279:日本@名無史さん
22/10/17 23:09:59.62 .net
>>278
邪馬台国にあった
卑弥呼以前も邪馬台国にあった

280:琪瑛教祭酒
22/10/17 23:10:58.94 .net
でも多利思だからねぇ、
上多利、下多利、を思彦ってのが引っ掛かるわね。

281:琪瑛教祭酒
22/10/17 23:13:27.40 .net
即位したのが後漢末期~220年だとする根拠わ、

282:日本@名無史さん
22/10/17 23:21:58.61 .net
うわー九州王朝説かよ。畿内説よりアホだわ。
どこに首都に阿蘇山が有るって書いてたんだ?
あんな珍しいもん見たか聞いたかしたら記録するだろ。
多利思比孤もあれだ
中華「王の姓と名は?」
倭「あ、オオキミに姓はないっす。母権社会っすから。最強の豪族が皇后を輩出して生まれた子が次の・・・」
中華「王に姓がないだと!俺をバカにしとるのか?あー!!」
倭「うわーどうしよう。答えられるわけないっしょ・・・天の足彦です。」
こんな感じ。景行天皇とかタラシヒコだったろ。

283:日本@名無史さん
22/10/17 23:24:15.56 .net
5世紀の雄略天皇の名を記した剣が九州と埼玉で出ている事を考えると、
日本がまだ二つに分かれていたとは考えられんだろ。

284:日本@名無史さん
22/10/17 23:24:47.23 .net
dfd

285:日本@名無史さん
22/10/17 23:30:22.43 .net
単に中国より東の国を意味しているだけ?
だったら東の国の天子で良くない?

286:日本@名無史さん
22/10/17 23:30:41.84 .net
>>283
交易の痕跡があるし想像よりまとまってる
歴史が西側ばかり目が向くようになってるのはどうも気になるんだよな
毛人扱いだし

287:日本@名無史さん
22/10/17 23:40:20.95 .net
ヒスイだって貴重品なんだぞ
あれを加工するのは凄い技術だ

288:日本@名無史さん
22/10/17 23:52:22.44 .net
>>285
うん。
それを美化して日出処天子と書いただけだよ。

289:日本@名無史さん
22/10/17 23:56:29.02 .net
>>282
母系社会なら母親の姓を継ぐだけのこと。
天津神だからアマ、天の何某で姓としたたけのこと。
タラシヒコも天皇の和風諡号ではしばしば出てくる。
それも仲哀天皇みたいに、九州に絡む天皇が多い。

290:日本@名無史さん
22/10/17 23:58:08.33 .net
>>281
卑弥呼が倭国の王として即位したのは倭国大乱の後
倭国大乱は梁書によれば、178~184年ころ
卑弥呼が即位して大乱は収まった

291:琪瑛教祭酒
22/10/18 00:11:48.07 .net
卑弥呼は幾つだよ、
女王になってから見るもの少なし、50年以上も見てないのかよ?弟は幾つよ?そんな国に魏は親魏を与え張政は必死になるのか?まるで❌

292:琪瑛教祭酒
22/10/18 00:17:11.95 .net
記紀もそうだけど視線が内から過ぎるだろ。初めて現れた相手に中華皇帝は親魏を与えたんだぞ。魏と親しくするに相応しい相手と判断したんだよ、倭人じゃ無理だよ。

293:日本@名無史さん
22/10/18 00:33:52.55 .net
>>292
まあそうだわな
スパイを送って情報を仕入れてたでしょう
日本側だってそうで近いうちに後漢やべえぞくらいの情報はあったでしょう

294:琪瑛教祭酒
22/10/18 00:42:03.45 .net
列島にすぱい組織かい、
裸足で鯨面ならバレないな。

295:日本@名無史さん
22/10/18 07:02:06.92 .net
もともと支配層つまり弥生渡来人は中国人なんだろう。
だからある程度は海外事情も知っていた。

296:琪瑛教祭酒
22/10/18 07:09:28.35 .net
まあ、親魏を与えられる理由が呉を牽制するためとか、トンデモ話では話にならないんだよ。
魏はまだ半島攻略中の戦闘状態のさなか、突然、敵かどうかもわからん、お粗末な朝貢品の連中を
案内まで付けて皇帝に会わせたんだからね、ちゃんとした理由がいるのよ。
日本に置き換えてみろ、朝鮮攻略中に天皇に会わせる相手はどんな相手か?
まあ、じっくり話を聞きたいね、嫌われ者は仕事にでるからまた後で。

297:日本@名無史さん
22/10/18 07:17:20.91 .net
後漢時代も金印をもらっていたから、魏の役人だって倭を知らないわけではない。

298:琪瑛教祭酒
22/10/18 07:34:56.88 .net
帥升は相手にされとらん。劉備は漢と自称していた、昔は昔だよ。

299:日本@名無史さん
22/10/18 09:38:55.44 .net
帥升など存在しなかったからな。誤写から生まれた倭王だ。
聖書で最大級の魔王ルシファーが誤訳から生まれたのと似たような存在だ。
URLリンク(shiroi.shakunage.net)

300:日本@名無史さん
22/10/18 09:58:45.57 .net
半島攻略中に半島の向こう側の国がしっぽ振ってやって来たら普通に利用を考えるだろ。
ちょっと褒美をやれば大喜びで後方支援がないと分かればそれだけでも安い物だろ。

301:日本@名無史さん
22/10/18 10:35:35.31 .net
卑弥呼時代は2世紀後半が全盛期
3世紀前半は狗奴国に戦争をしかけられるほど衰退していた
まさに北部九州だよな

302:日本@名無史さん
22/10/18 12:00:54.92 .net
台与が王になって狗奴国をやっつけたのか?
バカバカしい

303:日本@名無史さん
22/10/18 13:00:59.58 .net
キナイコシは衰退という言葉が好きでやたらと使いたがるが、的外れなことばかりで説得力がない。
なお狗奴国王卑弥弓呼がもともと卑弥呼と同族であれば、壹與の時代には単に旧に復して邪馬台国と統一されたのだろう。
つまり筑紫と肥国の統一女王が壹與であり、肥前河上の與止日女である。
卑弥呼と壹與の間の男王は川上タケルかもしれない。

304:日本@名無史さん
22/10/18 13:09:52.23 .net
【壹與と與止日女】
肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、豊比咩(トヨヒメ)、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比咩命といい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である豊比咩は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

305:日本@名無史さん
22/10/18 13:10:26.47 .net
この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

306:日本@名無史さん
22/10/18 16:02:39.64 .net
台与の時代に寺なんかないし神社だってどうせ鎌倉時代創建とかだろ

307:日本@名無史さん
22/10/18 16:30:24.05 .net
まあ、ト骨の出土が有明海沿い

308:日本@名無史さん
22/10/18 16:33:56.17 .net
肥後や筑後て卑弥呼等の時代
地名、地域 なんて呼ばれていたのだろうか?

309:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>306
今日では神社とか廃寺とか呼んでいるだけ。
與止日女は風土記にはもう昔話として登場している。
川上タケルも古事記に登場している。

310:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>308
狗奴国とかだろ。
吉野ヶ里は華奴蘇奴国。

311:日本@名無史さん
22/10/18 19:09:09.84 .net
>>309
與止日女さんも川上タケルさんも実在が疑わしいでしょ
居たことを前提にしてるけど

312:日本@名無史さん
22/10/18 19:17:54.57 .net
與止日女神社の創建は欽明朝。
日本書紀が「卑弥呼=神功皇后」としたのに対して宗女トヨを振当てされた神功皇后の妹。淀姫。
『肥前国風土記』の成立は8世紀だから十分に昔話だよ。
與止日女命(ヨドヒメ)
世田姫(ヨダヒメ)
淀姫(ヨドヒメ)
豊比咩(トヨヒメ)←この名前だけ異質なのはそう言う事です。
はたして、卑弥呼ですら無いと言われている中で宗女トヨを祀った神社など存在するのだろうか?

313:日本@名無史さん
22/10/18 19:18:09.71 .net
>>310
華奴蘇奴国滋賀だろうな。
『日本書紀』では神前郡、『和名抄』では神埼郡

314:日本@名無史さん
22/10/18 19:26:05.46 .net
当時の神社なんて岩や木に縄巻き付けてたとかしんなんでしょう

315:日本@名無史さん
22/10/18 19:31:55.64 .net
寺が立派で信者取られるから神社も立派なのを建てたと思うな
信仰の対象も仏様に対して山とか岩じゃねえ

316:日本@名無史さん
22/10/18 19:53:56.57 .net
山とか岩じゃまずいからアマテラスとか適当に作って祀り上げて

317:日本@名無史さん
22/10/18 20:21:09.18 .net
>>316
極論すぎ。記紀神話の神々は祖先。

318:日本@名無史さん
22/10/18 20:22:30.12 .net
>>311
疑わしいと言うのは簡単だなぁ
思考停止するだけだもんな

319:日本@名無史さん
22/10/18 20:24:17.49 .net
>>312
神功皇后の妹を豊玉姫に当てるのは10世紀からだと聞いた。
それまでは別人。

320:日本@名無史さん
22/10/18 20:24:56.14 .net
>>313
肥前からの地名の移転じゃん。
アホらしい

321:日本@名無史さん
22/10/18 20:29:00.99 .net
畿内だと、祖先にあたる神様がそもそもそこにはいなかったから、神道が抽象的なものになってしまう。
岩だの山だの言い出すのはそういうこと。
しかし九州の特に福岡だと、天皇家の祖先がいたり、たまに天皇家のゆかりの神社もある。
ていうか、そう言うのばかりだろ。
その流れで肥前河上には與止日女がいた。風土記では割と悪者扱いだけどね。それは風土記がヤマト王権側から書いているからだろうな。

322:日本@名無史さん
22/10/18 20:32:07.65 .net
摂津国一宮 住吉神社 筑紫で生まれた住吉の神を祭る
河内国一宮 枚岡神社 筑紫に降臨した天児屋根命を祭る
和泉国一宮 大鳥神社 天児屋根命の子孫を祭る
山城国一宮 上賀茂下鴨神社 筑紫からの神武の東征を助けた三島溝杭耳を祭る
紀伊国一宮 日前宮、国懸宮 筑紫に降臨した天道根命が持っていた鏡を祭る
ここまで筑紫と東征関連。
例外はこれ。
大和国一宮 大神神社 大物主を祭るとされる。
畿内だって、山やら岩やらを祭るのは大神神社が三輪山を御神体にしているくらいだろ。
それだって、山そのものを祭るというよりは、山に神様がいるから祭るのであって、三輪山の神はしばしば山から降りてきて人と関わっている。

323:日本@名無史さん
22/10/18 20:53:09.69 .net
あーまた何でも筑紫マンか。
上賀茂 賀茂別雷神社 雷神と三島溝杭の娘との子。籠神社の極秘伝で火明命。
下鴨 賀茂御祖神社 三島溝杭耳(賀茂建角身)とその娘(大物主妃、神武天皇の皇后の母)
賀茂氏は忌部氏族。

324:琪瑛教祭酒
22/10/18 21:22:55.08 .net
>>299.帥升が居なかったとは思えない。
倭人伝、その国元は男王住むこと7.80年、倭国乱れ‥、また、もとは100国、今通じるとこ30ヵ国。
帥升なる者の情報は陳寿は持っていたし、後漢倭奴国の所在地とは違う場所の国という情報も持っていたとも言える。
しかし、倭人伝には筑紫国なぞ無い。隋書に出てくる国だよ、それにね、多々良は任那の村だよ。


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