邪馬台国畿内説 Part807at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part807 - 暇つぶし2ch102:日本@名無史さん
22/10/16 21:16:25.46 .net
ヤマトとは、ミナトと対になる語で、山への入り口、山の麓という一般名称。
一方で大倭とは、中国語の用法では倭が周辺諸国を従えて大きな国になったときに大○というような表現を用いる。
ただし大倭については後漢書に次のような記述がある。
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
対馬海峡が三千里、韓国が四千里四方とされており、大倭王がいた邪馬台国は福岡県内となる。
畿内説を唱えるものは、都合が悪いこの記事から目を背けたままだ。
後漢末の倭国乱を治めるために卑弥呼が共立されたのだから、倭王卑弥子のいる邪馬台国も、楽浪帯方から一万二千里の福岡県内。


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