邪馬台国畿内説 Part807at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part807 - 暇つぶし2ch100:日本@名無史さん
22/10/16 20:30:42.60 .net
女王の都から魏へ行き来するルートだよ。
阿波説では狗奴国を通る。丹が出る若杉山辰砂採掘遺跡も阿波説での狗奴国。
破綻してると思うんだけど。

101:日本@名無史さん
22/10/16 20:53:58.13 .net
>>99
もう無茶苦茶だな
大和は本当に奈良を指してるの?

102:日本@名無史さん
22/10/16 21:16:25.46 .net
ヤマトとは、ミナトと対になる語で、山への入り口、山の麓という一般名称。
一方で大倭とは、中国語の用法では倭が周辺諸国を従えて大きな国になったときに大○というような表現を用いる。
ただし大倭については後漢書に次のような記述がある。
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
対馬海峡が三千里、韓国が四千里四方とされており、大倭王がいた邪馬台国は福岡県内となる。
畿内説を唱えるものは、都合が悪いこの記事から目を背けたままだ。
後漢末の倭国乱を治めるために卑弥呼が共立されたのだから、倭王卑弥子のいる邪馬台国も、楽浪帯方から一万二千里の福岡県内。

103:日本@名無史さん
22/10/16 21:31:12.76 .net
>>102
対馬海峡が三千里なんて書いてないし通ったとも書いてない
即ち直線

104:日本@名無史さん
22/10/16 22:38:46.81 .net
後漢書は魏志倭人伝とソースは同じ。
ちなみに後漢書の方が三国志よりやや後に書かれている。
なので里のスケールは同じ。
楽浪帯方から狗邪韓国まで直線で七千里だと、短里よりさらに短くなるよ。
韓国が四千里四方とあるのを踏まえての七千里だから、楽浪帯方から沿岸を四千里南下して、半島の西南角で東に向かって三千里のところに狗邪韓国があるというのが中国人の理解だよ。
そこから南に渡海するので、九州は東南海中になる。

105:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>104
其大倭王居邪馬臺國楽浪郡徼去其國萬二千里去其西北界狗邪韓國七千餘里
なんか勘違いしてないか? 

106:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
大倭王は邪馬臺國に居る
楽浪郡から萬二千里にあり(邪馬臺國から見て)西北界の狗邪韓國からだと七千餘里
つまり邪馬臺國は狗邪韓國の東南の方向にあるのよ

107:琪瑛教祭酒
22/10/17 06:54:33.48 .net
その通り。でその地、地勢東高西下、奈良盆地となっていくのよ。

108:日本@名無史さん
22/10/17 07:08:12.60 .net
そうはならないだろ。

109:琪瑛教祭酒
22/10/17 07:32:13.64 .net
もう、九州はむりよ
半島から九州までなんて大して遠くないんだから。で、決定的なのは箸墓は道教の墓。ホトを刺すと残るんだから。
本居に影響されないほうがいいよ、上田は解ってる。

110:日本@名無史さん
22/10/17 07:37:50.11 .net
狗邪韓国から対馬海峡を南下して九州に上陸してから東に向かうから、伊都や博多から見たら狗邪韓国は北西にある。
そもそも山島に依りてという表現からは、内陸は想定できないしな。
方角的にもせいぜい出雲なら許容範囲だが、奈良は無理だろ。

111:日本@名無史さん
22/10/17 07:52:31.78 .net
>>110
倭国や邪馬台国が小ちゃっな出雲に!?
一時的な逗留地ならまだわかるが

112:日本@名無史さん
22/10/17 08:10:21.43 .net
ホトをついて死んだのが百襲姫命だけだったら、いろんな憶測が出来るのだが、高天原の機織り女の話があるので推理が進まない。
機織り女の死に関して、それほど深い意味を見いだせられないからだ。
深読みをすれば、機織りという産業をスサノウが滅ぼしたとも取れるのだが、そんな事はなかったからである。
しかし実際に古事記に書かれているので無視することは出来ない。
そこが重要なのだ。
ホトをつくという異様な描写が故に百襲姫命の件は様々な説が生まれている。
しかし本当はただ死亡したという描写に過ぎなかったのではないかという結論しか出てこないのだ。

113:日本@名無史さん
22/10/17 08:20:49.69 .net
奈良盆地は誰がどう見ても青山四周。
あれを地勢東高西下などと言える奴はネジが飛んでる。
畿内説は最初から無理よ。せいぜい江戸時代くらいまでだね。

114:日本@名無史さん
22/10/17 08:22:44.56 .net
>>109
いかにも邪馬台国とは関係なさそうだなw

115:日本@名無史さん
22/10/17 08:27:48.83 .net
そもそも本州について、津軽海峡を知らないと島だと認識できないだろ。
しかしそこは蝦夷地。
本州は無理筋。
箸墓に至っては、こじつけにしか聞こえない。
卑弥呼は推定で少なくとも80代で亡くなっただろうが、百襲姫はについてそんな記事はない。

116:日本@名無史さん
22/10/17 08:29:36.58 .net
>>111
狗邪韓国から東南という内容でどこまで行けるかという話をしているだけ。
少なくともそれで奈良盆地を持ち出すのは頭おかしい。

117:日本@名無史さん
22/10/17 08:30:55.75 .net
高天原の機織り女の死は事故だという以外にも何も出てこないからである。この一点に関連性が見いだせなければ、謎めいた憶測は無理である。逆に3つの事件に共通しているのは女性と死の事実である。そして女陰が持つ生命力を本当に断つには女陰を傷つけることだという思想性である。
>>109
【思考の迷路の罠】
古代史で遊んでいると、いろいろ深読みするのが楽しい。しかし深読みしすぎると迷路に入ったり、独自の説を振りかざしてしまう結果になってしまう。今回の女陰事件もだいぶ考えたが、女性急所説までしかたどり着けなかった。

118:日本@名無史さん
22/10/17 11:02:01.93 .net
また変な解釈してるしホトとか出鱈目な話は要らない
倭在韓東南大海中依山?為居凡百餘國其大倭王居邪馬臺國 
楽浪郡徼去其國萬二千里去其西北界狗邪韓國七千餘里
倭は東南の大海の中にあって山や島に住んでて百余国ある
大倭王は邪馬台国に居て楽浪郡からだと萬二千里で西北界の狗邪韓國からだと七千餘里
結論から言うと伊勢遺跡
後漢時代も魏の時代も邪馬台国は同じ場所にあった
ただし中国側が勘違いしてて邪馬台国は集落ではなく国家でヤマト
 

119:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>118
3世紀の倭の筆頭国である邪馬台国(伊勢遺跡)は4、5、6世紀とどうなっていったの?
消滅したの?

120:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>119
廃棄されたんだか別の場所に移転してる
王宮の移転なんて近畿ではありがちありがち

121:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>120
興味深いね。どこへ行ったんだ?

122:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
伊勢遺跡は邪馬台国有るけど無い
伊勢遺跡は王宮で邪馬台国は国家
皇居は日本にあると言ってるようなもの

123:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>121
纏向でしょう

124:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
すまん、日本語でお願いしたい。
女王の都する所=邪馬台国ではないのか?

125:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
纏向は明らかにヤマト王権の遺跡だ。
ヤマト王権の前身と言うのか?

126:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>124
後漢時代もだし女王だけじゃないんだけどな

127:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
すまん、ますます理解出来ん。
女王の都する所=邪馬台国を皆で探して論じてるのではないのか?

128:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>125
そう考えるしかないな
ただ王統皇統がつながってるかはわからんよ

129:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>127
そうなんだけど後漢時代はその場所におそらく男王が居た
俺は卑弥呼より日本発祥の場所の方が興味あるけどな

130:日本@名無史さん
22/10/17 12:43:12.02 .net
>>128
ヤマト王権の前身であるが王統にはつながらない?
ヤマト王権に降ったのか?もちろんヤマト王権が併合した
諸国を全て記載してはいないかもしれないが「親魏倭王」の国だ。
強国を降した誉を記載しない理由は何か?

131:日本@名無史さん
22/10/17 12:46:16.89 .net
>>129
日本書紀によれば
饒速日尊が生駒山から奈良を眺めて眩しさに目を細めて「日本」と名付けたとある。

132:日本@名無史さん
22/10/17 12:48:23.18 .net
>>130
だって仁徳天皇と今の天皇の血がつながってるかなんてわかんないでしょ

133:日本@名無史さん
22/10/17 12:50:04.36 .net
>>131
日本という名前は後の時代だろうけど国家の始まりだよ

134:日本@名無史さん
22/10/17 12:54:53.97 .net
俺は国家の始まりがヤマトだと思ってるんだけどね

135:日本@名無史さん
22/10/17 12:57:22.15 .net
卑弥呼と今の天皇だって血がつながってるとは言えないけどつながってないとも言い切れない

136:日本@名無史さん
22/10/17 13:08:54.38 .net
>>132
そうじゃないんだよ。根本的に理解してないね。
血縁関係は不明でも「王統」は確実に継がれているんですよ。
過去の倭地にあった国で王統が途絶えた国は数知れない。
だが、ヤマト王権は初代神武天皇からの王統を主張しているんだ。

137:日本@名無史さん
22/10/17 13:12:00.16 .net
>>136
俺もそういう事を言っててつながってようが途切れてようが国家として継続している

138:日本@名無史さん
22/10/17 13:14:18.28 .net
血統が代わってようがなかろうが
我が国はずっと「日本(やまと)」なのですって事。

139:日本@名無史さん
22/10/17 13:18:17.82 .net
>>137
そこまで理解できているならもうわかるはず。
結論を言うと残念ながら「伊勢遺跡」はヤマト王権にとってどうでもよかった場所。
それだけ。

140:日本@名無史さん
22/10/17 13:22:13.41 .net
>>139
おまえが決めるな
後漢時代も魏の時代も同じ場所に王が居たと推測できる
倭王として金印を貰った王が

141:日本@名無史さん
22/10/17 13:34:37.06 .net
>>133
日本という名前をつけたのが饒速日なら、神武東征より前だ。
一方で伊勢遺跡は大和よりむしろ出雲と関連づけるべき遺跡だ。
王統が違うだろう。

142:日本@名無史さん
22/10/17 13:35:18.03 .net
>>140
残念ながら決めたのは私ではありません。記紀の編者なので悪しからず。
妄想説の人は最後はキレて根拠のない主張をするのは変わりませんね。
>後漢時代も魏の時代も同じ場所に王が居たと推測できる

143:日本@名無史さん
22/10/17 13:36:23.49 .net
>>136
記紀でさえ、実は王統は一つではない。
天皇家の中にいくつもの王統が存在する。
まして天皇家と別の王統があったことを否定する根拠はない。

144:日本@名無史さん
22/10/17 13:37:38.97 .net
>>137
根拠のない妄想だね。
結局、畿内説とは神武から始まるヤマト王権を無条件に妄信して、そのために事実を歪めているんだよ。

145:日本@名無史さん
22/10/17 13:38:31.47 .net
>>140
後漢の時に倭王として金印をもらったのは、博多の倭奴国王だよ。
耄碌した?

146:日本@名無史さん
22/10/17 13:39:45.85 .net
ヤマト王権そのものが夢想なのではないか?

147:日本@名無史さん
22/10/17 13:48:03.57 .net
>>143
よく読んで。早漏君。
実際はどうであれ「日本書紀の主張は一つの王統」だよって言ってるに。
>>144
ヤマト王権の主張はそうだよって言ってる。
従属側の国津神の故地も記録されている。
伊勢遺跡など知ったこっちゃないってな。
一千万光年ゆずってそこが後漢時代の王都だとしてヤマト王権との関連性は不明だよね。

148:日本@名無史さん
22/10/17 13:49:59.66 .net
>>142
同じ邪馬台国に居たのに妄想なのか?

149:日本@名無史さん
22/10/17 13:51:09.44 .net
>>146
間違い説の行き着くところはそこwww

150:日本@名無史さん
22/10/17 13:52:34.94 .net
たくさん出てきやがったな
後漢時代も魏の時代も王は邪馬台国に居ると言ってるのになんで妄想なんだよ

151:日本@名無史さん
22/10/17 14:07:58.03 .net
>>141
仰る通りですね。
伊勢遺跡は国津神側の遺跡で出雲や伊勢に比べれば記載する必要のない取るに足らない場所って事。

152:日本@名無史さん
22/10/17 14:46:32.60 .net
>>144
おまえ何言ってんの?
ジンムなんて居ない

153:日本@名無史さん
22/10/17 14:50:01.51 .net
>>151
伊勢遺跡の時代出雲大社や伊勢神宮なんて存在しない

154:日本@名無史さん
22/10/17 16:05:36.82 .net
>>153
誰が「神社」の話をしたの?障害持ちかな?152は間違いないだろうが。
猿田彦は伊勢だろ?
衢神對曰「聞天照大神之子今當降行、故奉迎相待。吾名是猨田彥大神。」時天鈿女復問曰「汝將先我行乎、抑我先汝行乎。」對曰「吾先啓行。」天鈿女復問曰「汝何處到耶。皇孫何處到耶。」對曰「天神之子、則當到筑紫日向高千穗槵觸之峯。吾則應到【伊勢】之狹長田五十鈴川上。」
大国主は出雲だろ?
二神、於是、降到【出雲】國五十田狹之小汀、則拔十握劒、倒植於地、踞其鋒端而問大己貴神曰「高皇産靈尊、欲降皇孫、君臨此地。故、先遣我二神驅除平定。汝意何如、當須避不。」時大己貴神對曰「當問我子、然後將報。」

155:日本@名無史さん
22/10/17 16:15:43.05 .net
天孫に降った強大な国津神の事なんだが。
王統にも関わらない。降ってもいない。=ヤマト王権とは関係性の低い遺跡。
邪馬台国をヤマト王権の前身と言うお前の論は破綻しているって事だ。

156:日本@名無史さん
22/10/17 16:19:55.10 .net
結局>>146のような主張をしておしまいw
アホバカもほどほどにな。

157:日本@名無史さん
22/10/17 16:37:19.24 .net
>>154
存在してないんだからしようがねえじゃん
海でも眺めてたのか?

158:日本@名無史さん
22/10/17 16:49:43.79 .net
箸がなく手掴みで飯食ってたのに何故箸でホト突くんだ?
何考えてんだ?

159:日本@名無史さん
22/10/17 17:14:34.14 .net
祭祀用の折箸じゃないのかね

160:日本@名無史さん
22/10/17 17:44:36.46 .net
>>151
纒向に一揃いしかない高殿が十数棟もあるのだから、取るに足りないということはないのだけれど、記紀編纂者から見たら無視すべき存在だったのだと思います。
国津神なので。
つまり伊勢遺跡はヤマト王権に属さない、出雲の国津神系の王朝なんですよ。

161:日本@名無史さん
22/10/17 17:45:40.39 .net
>>152
そのいないはずの神武が大和に即位したという日本書紀にしがみついてヤマト王権を夢想しているのが畿内説なのですよ。

162:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>153
伊勢神宮はともかく、出雲大社についてはすでにあったことになっています。

163:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>156
大和からそう遠くもない伊勢遺跡が大和に属さない出雲の国津神の遺跡なら、ヤマト王権ってなんだっていう話だよ。
だいたい、カタカナ造語はマユツバだろ。
実態がない後世の思いつき、こじつけ。
大和と書くと神武の国そのもので、神話となってしまうしね。

164:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>157
出雲大社がその時代になかったという証拠は?

165:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>158

> 箸がなく手掴みで飯食ってたのに何故箸でホト突くんだ?
> 何考えてんだ?

鋭いw

166:琪瑛教祭酒
[ここ壊れてます] .net
曹叡の称賛と魏の卑弥呼に対する好意と親魏倭王。
魏尺の墓と伊勢、出雲の祖形といえる建物。
3世紀から現れる勾玉の形。太一を祀る斎宮。
そして今の政治は道教を認めないとする淡海三船と鑑真の時に方士も送ろうとしたが日本から拒絶されたとする状況、その状況から生まれた箸墓伝説。万物を生み出すとされる入り口を塞いで死んでる。
これら状況証拠から比定できる人物はひとりしかいないよ。前方後円墳は大仙までは続く。仙人思想が間違いなく列島にあり、その始祖が箸墓なんだよ。

167:日本@名無史さん
22/10/17 18:42:32.60 .net
息を吐くように嘘をつくのはやめようよ。
畿内説の品位が疑われるだけ。

168:日本@名無史さん
22/10/17 18:44:10.94 .net
>>163
筑紫から東遷して来たとの主張だ。読めばわかる。
畿内一帯は出雲系勢力の傘下だったのは神武天皇に伊勢を譲ったとされる
伊勢津彦が出雲神の子、出雲建子と呼ばれていた事からも明らか。
>伊勢遺跡が大和に属さない出雲の国津神の遺跡なら、ヤマト王権ってなんだっていう話
疑問に思うのが疑問で仕方ないんだが???

169:日本@名無史さん
22/10/17 18:47:51.41 .net
箸墓古墳という名前は、古代の有力氏族である土師氏に由来する。
箸で陰部を突いたというお話も伝わりますが、これはあくまでも箸墓という地名に付会した説話にすぎないのではないかと思われます。

170:日本@名無史さん
22/10/17 18:54:27.91 .net
神話の挿入説話を区別できない人が読むのは難しいね。
だから、完全に拒絶するか珍説のオンパレードになるんだろうな。

171:日本@名無史さん
22/10/17 18:59:00.28 .net
記紀だのみの畿内説
情けないことだが、それが実態

172:日本@名無史さん
22/10/17 19:03:03.98 .net
>>163
万葉集にも歌われ古代皇族から愛された三輪山を神体とする神は誰かね?天津神か?
ヤマトって何だよって言われても筑紫から東遷して来たって堂々と書いてるじゃないか。

173:日本@名無史さん
22/10/17 19:07:06.31 .net
>>170
正にそれ。「イザナミのホトから日本列島が出て来たのか?」とか言うヤツ。
完全に頭がおかしい。

174:日本@名無史さん
22/10/17 19:11:40.81 .net
>>172
それって、邪馬台国と関係なくないか?
結局は神武の伝説に頼らないと畿内説には何もない。

175:日本@名無史さん
22/10/17 19:13:25.04 .net
三輪山の神が物部つまり饒速日なら、天津神だけどね。
しかし邪馬台国とは関係ないよな。

176:日本@名無史さん
22/10/17 19:16:00.78 .net
神武が筑紫から来たなら、それ以前の筑紫の日向は豊葦原中国の王都であるわけだが、神武らが筑紫を出たら王都ではなくなるのか?
筑紫が王都であり続けたら、そこにいたのが倭王卑弥呼ではないか?

177:日本@名無史さん
22/10/17 19:20:44.69 .net
大物主は三輪大歳彦明神。スサノオの子、オオトシ。
父、スサノオが三室の磐座に鎮座した事に因み一番美しい山を御諸と名付け鎮座した。
饒速日とは姻戚関係だろうがどう考えても同一ではないね。原田氏の影響だろうが。
スレチなんでここらへんで。

178:日本@名無史さん
22/10/17 19:26:20.75 .net
>>176
>神武らが筑紫を出たら王都ではなくなるのか?
ヤマト王権は何度も遷都しているが何か不思議ですかね?
奈良から京都に行きましたよね?
>筑紫が王都であり続けたら、そこにいたのが倭王卑弥呼ではないか?
筑紫が王都であった時代にそこにいた天皇の祖先の女王が倭王卑弥呼でしょうね。

179:日本@名無史さん
22/10/17 19:27:30.33 .net
大和って、出雲や筑紫から来た神の吹き溜まりだな。
沿岸部が初期から開拓されたのに対して、内陸はフロンティアとして残っていたからかな。
いずれにしても、邪馬台国とは接点が見出せない。

180:日本@名無史さん
22/10/17 19:29:11.20 .net
>>178
卑弥呼は3世紀、記紀だともう天皇家の祖先どころか崇神とかだよ。
だからこそ纏向遺跡が崇神天皇の宮で矛盾しないのだけど、卑弥呼がヤマト王権の歴史に入り込む余地はないんだよ。

181:日本@名無史さん
22/10/17 19:34:15.03 .net
邪馬台がヤマトであると言う前提においててです。>>178
邪馬台がヤマトでないなら畿内説では邪馬台は、どこに消えちゃったの?って事です。
九州説なら奈良から遠く離れた地で闘争の間に消滅ってのも無くはない。
何をどう解釈しても畿内説なんてあり得ない。

182:日本@名無史さん
22/10/17 19:36:34.38 .net
纏向遺跡は本当は4世紀。
歴博の犯罪じみた行為が邪馬台国論とヤマト王権の史書に泥を塗っただけ。

183:日本@名無史さん
22/10/17 19:38:24.35 .net
やはり、3世紀の大和の記録を含んでいることがほぼ確実な記紀において、天皇家の系譜が連綿と続いていて、卑弥呼が全く登場する余地がないのが決定的だろうね。
卑弥呼は畿内政権が知らない、または無視している筑紫倭国の女王なのだろう。

184:日本@名無史さん
22/10/17 19:41:23.50 .net
>>183
私とは違う意見ですがそう言う解釈も可能ですね。
いずれにせよ江戸時代ならともかく「畿内説」などトンデモでしかないって事です。

185:日本@名無史さん
22/10/17 19:44:56.30 .net
まあ、記紀の年代は少しずつ前倒しされているというのもあるかもしれないので、纏向遺跡の正確な年代はわからないですけど。

186:日本@名無史さん
22/10/17 19:46:16.47 .net
崇神天皇の実在性を証明しうる纏向遺跡を無理矢理邪馬台国にこじつけようとしているのなら、それは確かに歴史に対する冒涜ですな。

187:日本@名無史さん
22/10/17 19:50:56.17 .net
>>186
>崇神天皇の実在性を証明しうる纏向遺跡
それです!それ!!!許せるものではないです!
歴博は前科があるんでいい加減にしろって感じです。

188:日本@名無史さん
22/10/17 19:59:41.21 .net
邪馬台国畿内説だと、日本史は闇の中になってしまう。

189:日本@名無史さん
22/10/17 20:06:33.91 .net
九州の邪馬台国とヤマト王権に連続性はあるのか?を論じる段階なのに
犯罪まがいの者どもが妨害している状態と言える。
意地なのか信仰なのか畿内説など害悪以外の何でもない。

190:日本@名無史さん
22/10/17 20:38:45.32 .net
>>164
出雲大社は八世紀伊勢神宮が五世紀後半、神話と無関係

191:日本@名無史さん
22/10/17 20:43:04.45 .net
>>170
神話の根拠がない
つまり根拠が神話しかない

192:日本@名無史さん
22/10/17 20:51:33.00 .net
>>191
史書に散りばめた神話の挿入説話を区別できない人が読むのは難しいね。

193:日本@名無史さん
22/10/17 20:53:08.36 .net
日本が成立したのはいつなのか知りたい
神様が海かき混ぜて日本を作りましたで納得できるかバカ

194:日本@名無史さん
22/10/17 20:55:36.30 .net
>>192
根拠となる遺跡を出してから言って
それが無いと荒唐無稽な話しなんか信用できるか!

195:日本@名無史さん
22/10/17 20:58:29.93 .net
>>193
>>173で予言されてるあなたwww

196:日本@名無史さん
22/10/17 21:01:44.08 .net
>>194
畿内説の遺跡もないよ。箸墓は歴博の犯罪だし。
かつて存在した弥生時代の集落の何%が見つかってるの?まず七万戸の遺跡を出せよ。
遺跡なんて残ってるから遺跡であって残るとは限らないんだけど。

197:日本@名無史さん
22/10/17 21:01:48.78 .net
>>195
それ読んで書いたけどその神話ってじゃあ何よ?
日本がある事で証明してるとでも言いたいの?

198:日本@名無史さん
22/10/17 21:03:47.43 .net
>>196
俺は伊勢遺跡説だから
何度も書いてるが七万戸はヤマトの戸数

199:日本@名無史さん
22/10/17 21:04:53.84 .net
>荒唐無稽な話し
ヤマト王権の公式見解。
荒唐無稽は卑弥呼中国人だろうwww

200:日本@名無史さん
22/10/17 21:06:15.39 .net
>>199
ヤマト王権の公式見解。
これが正しいとする根拠がない

201:日本@名無史さん
22/10/17 21:07:31.72 .net
>>155
伊勢遺跡は明確に出雲の関連。
荒神谷遺跡もそうだが、弥生時代から出雲に何らかの勢力がいたことは間違いない。
それはやはり出雲と呼ぶしかない。

202:日本@名無史さん
22/10/17 21:10:32.53 .net
王が居るのは伊勢遺跡や纏向遺跡であってその場所だけがヤマトではない
王が治める地域がヤマト

203:日本@名無史さん
22/10/17 21:11:02.42 .net
>>198
だからそのヤマトとやらの所在地が問題なんだろ。
大和なら奈良盆地だが、伊勢遺跡は別系統だし。
そもそもヤマトが倭のことなら、後漢書では狗邪韓国から倭奴国までの間の対馬海峡だけが倭だ。

204:日本@名無史さん
22/10/17 21:12:39.18 .net
>>202
伊勢遺跡は女王がいたというよりは大国主の祭祀場。
纏向遺跡は単発の王宮。
どちらも邪馬台国とは、似ても似つかない。

205:日本@名無史さん
22/10/17 21:13:22.41 .net
>>203
大和朝廷は奈良県だけ治めてるんじゃないでしょ

206:日本@名無史さん
22/10/17 21:15:04.06 .net
>>203
倭は東南の大海の中にあるんだよ

207:日本@名無史さん
22/10/17 21:17:09.32 .net


208:日本@名無史さん
22/10/17 21:17:25.37 .net
>>204
また神話かよ
あほらしい
何が大国主なんだか

209:日本@名無史さん
22/10/17 21:18:50.54 .net
>>194
邪馬台国の遺跡が残っている根拠を述べて下さい。
全ての遺跡の推定戸数と当時の人口が同じくらいなら言い分を認めますけど。

210:日本@名無史さん
22/10/17 21:19:53.03 .net
>>205
根拠なし
畿内説では河内彦がいる大阪さえも敵国狗奴国なんだろw

211:日本@名無史さん
22/10/17 21:21:49.75 .net
>>208
出雲の権力者に仮に名を与えるなら、それしかないだろ。

212:日本@名無史さん
22/10/17 21:24:49.18 .net
>>206
狗邪韓国から南下して末盧国、そこから東南または東で倭奴国。
東南海中に王都があるな。

213:日本@名無史さん
22/10/17 21:25:33.67 .net
>>209
中国の史書から邪馬台国は2~3世紀の話しだよな
まさに伊勢遺跡がそうだし吉野ケ里もそうだな
戸数はどれ程正確かわからない
ただし七万戸は狭い地域ではない

214:日本@名無史さん
22/10/17 21:28:51.73 .net
>>210
統一国家大和朝廷は奈良県を治める朝廷なのか?

215:日本@名無史さん
22/10/17 21:33:30.47 .net
>>214
だからそれが記紀に踊らされた妄想なんだろうね。

216:日本@名無史さん
22/10/17 21:34:00.08 .net
>>213
仮に邪馬台国の端っこの民衆層が住む遺跡が見つかってもそれが
邪馬台国だと推定するには根拠が希薄すぎる。根拠となる文献と合致してナンボのもの。
見つかった遺跡から逆算で邪馬台国だなどとするから纏向は歴博の犯罪に巻き込まれた。
纏向は発見時点で崇神天皇にゆかりの物として研究すべきだった。
遺跡を出せなどと横暴にも程がある。

217:日本@名無史さん
22/10/17 21:36:54.13 .net
>>216
纏向の調査はまだこれからだから気長に待てよ
伊勢遺跡もそうだけど

218:日本@名無史さん
22/10/17 21:38:19.46 .net
>>215
何言ってるのかわからない
大和朝廷は無かった?

219:日本@名無史さん
22/10/17 21:38:26.89 .net
邪馬台国七万戸の中に奴国二万戸が含まれるんだよな。
邪馬台国と同じ倭人伝に記載されて、単一の国邑としては東夷最大となる奴国が含まれないわけはない。
ならば邪馬台国の範囲の中でも最大の国邑が奴国であったはず。
その奴国すら支配下においたのは、大率を擁する伊都だけ。

220:日本@名無史さん
22/10/17 21:40:41.92 .net
>>218
そうだね。
記紀に踊らされた実態のないものだよ。
大和朝廷と呼ぶとどうしても始祖である神武の話になってしまうから、最近はその表記を使わずにヤマト王権と呼ぶらしいが、その範囲も年代も全くもって定義されていない。

221:日本@名無史さん
22/10/17 21:42:26.02 .net
>>217
奈良盆地の何割を纏向遺跡に含める気だよ。
それこそ詐欺だろ。
玉垣に囲まれた3棟と井戸、それだけが纏向遺跡の現実だよ。

222:日本@名無史さん
22/10/17 21:44:40.52 .net
>>220
纏向があり馬鹿でかい墓もあるんだが
ジンムなんか居ない

223:日本@名無史さん
22/10/17 21:48:04.68 .net
伊勢遺跡は出雲の系統であり、畿内とは関係ない。
弥生時代末期において、西日本はおろか、近畿すら統一はされていなかった。
まして伊都のように近隣に強い支配力を持った地域に比べて、大和はあまりにも出土品が貧弱であり、郡使が滞在したという伊都には何の影響も与えてはいない。
大和は魏志倭人伝にある邪馬台国とは何の関係もない片田舎にすぎない。

224:日本@名無史さん
22/10/17 21:49:10.96 .net
>>221
それを決めつけるのはまだ早い
何があったかまだはっきりしないけどあれはでかい
墓もでかい
かなりの権力者が居たんでしょう

225:日本@名無史さん
22/10/17 21:49:39.30 .net
>>222
普通、古墳は古墳で扱い、別のところにある建物と混ぜこぜにはしない。
そのような姿勢こそ、考古学に対する冒涜だよ。

226:日本@名無史さん
22/10/17 21:50:40.61 .net
>>222
はぁ?10代崇神天皇の存在を示唆するそれらがあって
初代はいない?何の根拠で?

227:日本@名無史さん
22/10/17 21:50:41.68 .net
でかい古墳だけなら全国にある。
しかも年代がおかしい。
卑弥呼より後のものなら、いくら並べても何の意味もない。

228:日本@名無史さん
22/10/17 21:52:28.54 .net
>>226
ヒント
崇神天皇の諡号は
はつくにしらすすめらみこと

229:日本@名無史さん
22/10/17 21:53:35.70 .net
>>225
時代が合致する可能性があるものが直ぐ近くにあるんだから無関係と考える方がおかしい
逆に無関係とする根拠が必要なくらい

230:日本@名無史さん
22/10/17 21:54:06.11 .net
邪馬台がヤマトなら意味はあるだろう。
何か狂気を感じる。この天皇の名前をカタカナで書く人。

231:日本@名無史さん
22/10/17 21:56:15.21 .net
>>228
まだ、欠史八代を言う人が居るとは。

232:日本@名無史さん
22/10/17 21:57:01.72 .net
>>230
初代は居てもジンムなんか居ないでしょう
それに初代がなにをやった人か見当も付かん

233:日本@名無史さん
22/10/17 21:57:23.75 .net
崇神天皇が磯城に宮を構えたのは、ヤマト王権の真の権力者であった物部氏の母を持つため。
妻問婚の時代、子供は母親の実家の権威を継承した。
桜井市は物部氏の本拠地である石上神宮の地、物部の里に他ならない。
物部氏は軍事と祭祀、つまり祭りごとの全てを司っていた。
前方後円墳は物部氏の墓制と言われる。
そして畿内を日本と命名したのも、物部氏の祖である饒速日。

234:琪瑛教祭酒
22/10/17 21:57:30.48 .net
伊勢遺跡は地勢東高西下ではない、また、墳墓も古い。
冷静に魏尺の箸墓をなんとするのだ?纏向もふくめ寸法がなんで中華なのだ?
倭人に卑弥呼以前に倭独自の道なるものがあるなら何でみな大夫だなんて言っとるのだ?。
倭人卑弥呼の鬼道は何処で誰に教わり、台与に何処で教えたのだ?
何で斎宮伊勢は太乙を祀るのだ?
無理があるね、他の考え方でわ。

235:日本@名無史さん
22/10/17 22:00:41.63 .net
>>230
はて?
ひらがなで書いたつもりだが?
漢字は古事記と日本書紀で違うから、後世の当て字に過ぎない。
日本人ならきちんと訓読みで和風諡号を使い、読みを記載するなら仮名で書いて何が悪い?
御肇國天皇と書いたら何割の人が読める?

236:日本@名無史さん
22/10/17 22:01:36.50 .net
>>234
俺は卑弥呼より日本の成り立ちの方が関心があるのよ
伊勢遺跡の時代大型墳墓はまだないし卑弥呼にそれ程の権力があったとも思わない

237:日本@名無史さん
22/10/17 22:05:07.92 .net
>>236
あなたの言う「日本」って何でしょう?
何度も出てきてますがその名は饒速日尊の命名ですけど。

238:日本@名無史さん
22/10/17 22:06:00.93 .net
>>234
前方後円墳の大きさはバラバラで、規格などなかったことは明白。
たまたま近い大きさと思われる箸墓にこじつけただけ。
そのために年代は無理に前倒ししている。

239:日本@名無史さん
22/10/17 22:07:31.65 .net
>>234
だいたい、鬼道だって九州説は三種の神器などを用いた古代神道だと解くわけで、道だの道教だの持ち出すのは畿内説のマッチポンプに過ぎない。

240:日本@名無史さん
22/10/17 22:08:08.84 .net
狂気を感じるのは異常に長生きの古代天皇の実在を信じてる方でしょう
遺跡があるから何かは居たけど

241:日本@名無史さん
22/10/17 22:08:37.07 .net
>>237
国家

242:日本@名無史さん
22/10/17 22:09:05.54 .net
そして日本は卑弥呼が女王を務めた倭の別種。
後に逆に倭を併合したと。

243:日本@名無史さん
22/10/17 22:09:38.76 .net
>伊勢遺跡は地勢東高西下ではない。
奈良も違うだろ。
>冷静に魏尺の箸墓をなんとするのだ?纏向もふくめ寸法がなんで中華なのだ?
根拠が希薄だし仮にそうだとしてもそのような文化が伝わったのだろう。
>倭人卑弥呼の鬼道は何処で誰に教わり、台与に何処で教えたのだ?
縄文時代から倭にある要は古神道だろう。
>何で斎宮伊勢は太乙を祀るのだ?
え?

244:琪瑛教祭酒
22/10/17 22:10:17.29 .net
前方後円墳は大仙までは続く、倭五王の墓はおそらくこれ等であろうと思っている、ゆえに狗奴国は弟、河内であろうと考える、1字大王も自然な流れだ。

245:日本@名無史さん
22/10/17 22:11:29.45 .net
>>241
その時代の近畿が国家という体を成していたかどうか。
大和から見て、伊勢遺跡は出雲の系譜の別の国、河内は河内彦がいる敵国狗奴国なら、大和って奈良盆地の外に出ていけてないよね。
それが九州?それが洛陽?馬鹿馬鹿しいにも程がある。

246:日本@名無史さん
22/10/17 22:13:02.29 .net
>>238
纏向は四世紀にはあってその頃巨大古墳もあったとされてるけどいったい何を疑ってるの?

247:日本@名無史さん
22/10/17 22:15:06.88 .net
>>242
卑弥呼は倭の女王国(連合)の邪馬台に都す。日本は饒速日尊の国。
完全に無関係だろ。どっちが主かは、ともかく倭と日本は合併した。

248:日本@名無史さん
22/10/17 22:15:52.41 .net
>>245
おまえの言ってる事には全く根拠が無くてわかんねえ

249:日本@名無史さん
22/10/17 22:19:28.33 .net
>>246
卑弥呼は2世紀末に即位して3世紀中頃に亡くなった。
4世紀は関係ないよね。
畿内説は後世の資料ばかり持ち出して、なんの証明もできていない。

250:日本@名無史さん
22/10/17 22:20:44.89 .net
>>248
根拠がないことを信じてぶつぶつ呟いているのは君の方。
早く目を覚ませ。

251:日本@名無史さん
22/10/17 22:21:46.28 .net
>>247
倭と日本は文字だから当然卑弥呼に時代にはない
もし読みがヤマトであるなら同じって事になる
おまえの言ってるのは日本人がワまたはヤマトとヒノモトまたはニッポンと言ってたら成り立つ

252:日本@名無史さん
22/10/17 22:23:31.61 .net
>>249
俺卑弥呼の事なんてどうでもいいから
日本の成り立ちに関心がある

253:日本@名無史さん
22/10/17 22:26:09.62 .net
>>252
だったら邪馬台国を持ち出すな。
纏向遺跡は崇神天皇の宮。
邪馬台国を絡めるとかえって議論がおかしくなる。

254:日本@名無史さん
22/10/17 22:27:47.77 .net
>>252
弥生人流入で縄文人が列島中央から押し出されるところから?

255:日本@名無史さん
22/10/17 22:27:58.09 .net
>>251
旧唐書では倭と日本は別の国とされている。
日本が生駒山で饒速日が名付けた畿内のことなら
倭はどこのことだ?
後漢書では、倭とは狗邪韓国から倭奴国までの対馬海峡のことだ。

256:日本@名無史さん
22/10/17 22:29:12.19 .net
>>253
ヤマトは重要な意味があるのに何故?
纏向遺跡だって否定してないし何か権力者が居たんでしょう

257:日本@名無史さん
22/10/17 22:30:40.85 .net
>>254
国家の成り立ちで何処からなんてわかんない

258:日本@名無史さん
22/10/17 22:32:12.91 .net
>>254
弥生人が流入したのは九州北部から。
稲作文化は約200年かけて九州から東日本にまで広まった。
水稲稲作には暦法と灌漑か必要だが、どちらも王の専権事項だ。
筑紫で生まれたスサノオとその息子のイソラタケが農業を広めただの、筑紫で生まれた大山祇の子である三島溝杭耳が農業を広めただのと伝えられている。
全国の生産様式、生活様式が筑紫の様式で塗りつぶされていくんだよ。

259:日本@名無史さん
22/10/17 22:33:15.86 .net
倭王の冊封の証である金印は志賀島から出土した。

260:日本@名無史さん
22/10/17 22:34:28.77 .net
>>251
こういう面倒な人困る。漢字は後から当てたに決まってるでしょ?
「ワ」と「ニギハヤヒの名付けたヒノモト」が合併したんですよ。
おそらくワの筆頭国はヤマトでヤマトとヒノモトの両国が合併したから【後の世】で
日本と書いても倭と書いてもヤマトと読ませるんです。あー面倒だわ。こういう人。

261:日本@名無史さん
22/10/17 22:35:26.14 .net
>>256
重要だからこそ、その名前の扱いには気をつけなければいけない。
畿内は日本だが、そこにヤマトという読みを当てたのはいつだ?
本来は日本にヤマトなどという読みはない。

262:日本@名無史さん
22/10/17 22:36:55.79 .net
卑弥呼の時代の中華が呼称する「倭(ワ)」と
ヤマト王権時代の「倭(ヤマト)」が区別できない人がかなりの頻度で定期的現れるけど
もう来ないで欲しい。

263:日本@名無史さん
22/10/17 22:37:46.72 .net
>>260
どんな言葉に文字をあてたかは重要だろ
倭はワと言ってたのか?
日本はヒノモトと言ってたのか?

264:日本@名無史さん
22/10/17 22:38:31.69 .net
>>260
倭が周りの国を合併したから大倭という表記になり、そこから大和に転じたのだろう。
しかしそれは本来の倭がどこを在していたのかとは別の問題。
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
これだとあくまでも九州北部が倭。

265:日本@名無史さん
22/10/17 22:39:03.97 .net
>>261
あるだろ
日本武尊と倭建命

266:日本@名無史さん
22/10/17 22:40:01.93 .net
>>263
ヒノモトだろうね。
そして日下も同じだろう。
饒速日は生駒山に登り命名したと。
畿内は本来の倭ではない。

267:日本@名無史さん
22/10/17 22:42:21.97 .net
>>266
弥生時代にヒノモトなんて言ってたと思うのか?

268:日本@名無史さん
22/10/17 22:42:41.61 .net
>>265
それそれ。
それこそ日本書紀がついた大嘘なんだよ。直前に書かれた古事記は日本の表記を用いていない。
日本と書いてヤマトと読ませるのは、7世紀末にはじまったことだということ。

269:日本@名無史さん
22/10/17 22:43:37.71 .net
>>267
じゃあ弥生時代にヤマトと呼んだいたと思うのか?

270:日本@名無史さん
22/10/17 22:44:09.72 .net
>>268
それ以前からヤマトという言葉はあったのは間違いないのよ

271:日本@名無史さん
22/10/17 22:44:13.05 .net
九州北部が倭。その通り。
倭(九州北部)を邪馬台(ヤマト)が併合した後に東遷して
さらにニギハヤヒの「ヒノモト」も併合。だから三国時代の倭(ワ)は九州北部だが
東遷後の倭(ヤマト)は大和(奈良)。
大倭は本来、「おおやまと」と呼称してました。

272:日本@名無史さん
22/10/17 22:44:57.36 .net
>>269
思うね
だから邪馬台なのよ

273:日本@名無史さん
22/10/17 22:45:50.26 .net
>>270
ヒノモトはなかったのにヤマトはあった?
ダブルスタンダードだよ。

274:日本@名無史さん
22/10/17 22:46:09.81 .net
>>273
>>272

275:日本@名無史さん
22/10/17 22:49:52.17 .net
>>268
具体的に読ませるというのは7世紀からかもしれないが
ヤマトは同時にヒノモトである事を意識はしていたよ。
「日出処の天子」ってのはそう言う事だろう。

276:琪瑛教祭酒
22/10/17 22:59:53.79 .net
後漢書だから倭奴国がその時最南界でも構わないんだよ。伊都の話は片付いたんだよ。

277:日本@名無史さん
22/10/17 23:05:26.71 .net
>>275
いやいや、日出処は日没処に宛てた手紙だろ?
単に中国より東の国を意味しているだけ。
日出処の天子の名は多利思比孤、その地には阿蘇山があり火を吹くとあるんだよ。
畿内ではなく九州だろ。

278:日本@名無史さん
22/10/17 23:06:46.99 .net
>>276
卑弥呼が即位したのはその後漢代末期だよ。
卑弥呼の王宮はどこにあった?

279:日本@名無史さん
22/10/17 23:09:59.62 .net
>>278
邪馬台国にあった
卑弥呼以前も邪馬台国にあった

280:琪瑛教祭酒
22/10/17 23:10:58.94 .net
でも多利思だからねぇ、
上多利、下多利、を思彦ってのが引っ掛かるわね。

281:琪瑛教祭酒
22/10/17 23:13:27.40 .net
即位したのが後漢末期~220年だとする根拠わ、

282:日本@名無史さん
22/10/17 23:21:58.61 .net
うわー九州王朝説かよ。畿内説よりアホだわ。
どこに首都に阿蘇山が有るって書いてたんだ?
あんな珍しいもん見たか聞いたかしたら記録するだろ。
多利思比孤もあれだ
中華「王の姓と名は?」
倭「あ、オオキミに姓はないっす。母権社会っすから。最強の豪族が皇后を輩出して生まれた子が次の・・・」
中華「王に姓がないだと!俺をバカにしとるのか?あー!!」
倭「うわーどうしよう。答えられるわけないっしょ・・・天の足彦です。」
こんな感じ。景行天皇とかタラシヒコだったろ。

283:日本@名無史さん
22/10/17 23:24:15.56 .net
5世紀の雄略天皇の名を記した剣が九州と埼玉で出ている事を考えると、
日本がまだ二つに分かれていたとは考えられんだろ。

284:日本@名無史さん
22/10/17 23:24:47.23 .net
dfd

285:日本@名無史さん
22/10/17 23:30:22.43 .net
単に中国より東の国を意味しているだけ?
だったら東の国の天子で良くない?

286:日本@名無史さん
22/10/17 23:30:41.84 .net
>>283
交易の痕跡があるし想像よりまとまってる
歴史が西側ばかり目が向くようになってるのはどうも気になるんだよな
毛人扱いだし

287:日本@名無史さん
22/10/17 23:40:20.95 .net
ヒスイだって貴重品なんだぞ
あれを加工するのは凄い技術だ

288:日本@名無史さん
22/10/17 23:52:22.44 .net
>>285
うん。
それを美化して日出処天子と書いただけだよ。

289:日本@名無史さん
22/10/17 23:56:29.02 .net
>>282
母系社会なら母親の姓を継ぐだけのこと。
天津神だからアマ、天の何某で姓としたたけのこと。
タラシヒコも天皇の和風諡号ではしばしば出てくる。
それも仲哀天皇みたいに、九州に絡む天皇が多い。

290:日本@名無史さん
22/10/17 23:58:08.33 .net
>>281
卑弥呼が倭国の王として即位したのは倭国大乱の後
倭国大乱は梁書によれば、178~184年ころ
卑弥呼が即位して大乱は収まった

291:琪瑛教祭酒
22/10/18 00:11:48.07 .net
卑弥呼は幾つだよ、
女王になってから見るもの少なし、50年以上も見てないのかよ?弟は幾つよ?そんな国に魏は親魏を与え張政は必死になるのか?まるで❌

292:琪瑛教祭酒
22/10/18 00:17:11.95 .net
記紀もそうだけど視線が内から過ぎるだろ。初めて現れた相手に中華皇帝は親魏を与えたんだぞ。魏と親しくするに相応しい相手と判断したんだよ、倭人じゃ無理だよ。

293:日本@名無史さん
22/10/18 00:33:52.55 .net
>>292
まあそうだわな
スパイを送って情報を仕入れてたでしょう
日本側だってそうで近いうちに後漢やべえぞくらいの情報はあったでしょう

294:琪瑛教祭酒
22/10/18 00:42:03.45 .net
列島にすぱい組織かい、
裸足で鯨面ならバレないな。

295:日本@名無史さん
22/10/18 07:02:06.92 .net
もともと支配層つまり弥生渡来人は中国人なんだろう。
だからある程度は海外事情も知っていた。

296:琪瑛教祭酒
22/10/18 07:09:28.35 .net
まあ、親魏を与えられる理由が呉を牽制するためとか、トンデモ話では話にならないんだよ。
魏はまだ半島攻略中の戦闘状態のさなか、突然、敵かどうかもわからん、お粗末な朝貢品の連中を
案内まで付けて皇帝に会わせたんだからね、ちゃんとした理由がいるのよ。
日本に置き換えてみろ、朝鮮攻略中に天皇に会わせる相手はどんな相手か?
まあ、じっくり話を聞きたいね、嫌われ者は仕事にでるからまた後で。

297:日本@名無史さん
22/10/18 07:17:20.91 .net
後漢時代も金印をもらっていたから、魏の役人だって倭を知らないわけではない。

298:琪瑛教祭酒
22/10/18 07:34:56.88 .net
帥升は相手にされとらん。劉備は漢と自称していた、昔は昔だよ。

299:日本@名無史さん
22/10/18 09:38:55.44 .net
帥升など存在しなかったからな。誤写から生まれた倭王だ。
聖書で最大級の魔王ルシファーが誤訳から生まれたのと似たような存在だ。
URLリンク(shiroi.shakunage.net)

300:日本@名無史さん
22/10/18 09:58:45.57 .net
半島攻略中に半島の向こう側の国がしっぽ振ってやって来たら普通に利用を考えるだろ。
ちょっと褒美をやれば大喜びで後方支援がないと分かればそれだけでも安い物だろ。

301:日本@名無史さん
22/10/18 10:35:35.31 .net
卑弥呼時代は2世紀後半が全盛期
3世紀前半は狗奴国に戦争をしかけられるほど衰退していた
まさに北部九州だよな

302:日本@名無史さん
22/10/18 12:00:54.92 .net
台与が王になって狗奴国をやっつけたのか?
バカバカしい

303:日本@名無史さん
22/10/18 13:00:59.58 .net
キナイコシは衰退という言葉が好きでやたらと使いたがるが、的外れなことばかりで説得力がない。
なお狗奴国王卑弥弓呼がもともと卑弥呼と同族であれば、壹與の時代には単に旧に復して邪馬台国と統一されたのだろう。
つまり筑紫と肥国の統一女王が壹與であり、肥前河上の與止日女である。
卑弥呼と壹與の間の男王は川上タケルかもしれない。

304:日本@名無史さん
22/10/18 13:09:52.23 .net
【壹與と與止日女】
肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、豊比咩(トヨヒメ)、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比咩命といい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である豊比咩は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

305:日本@名無史さん
22/10/18 13:10:26.47 .net
この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

306:日本@名無史さん
22/10/18 16:02:39.64 .net
台与の時代に寺なんかないし神社だってどうせ鎌倉時代創建とかだろ

307:日本@名無史さん
22/10/18 16:30:24.05 .net
まあ、ト骨の出土が有明海沿い

308:日本@名無史さん
22/10/18 16:33:56.17 .net
肥後や筑後て卑弥呼等の時代
地名、地域 なんて呼ばれていたのだろうか?

309:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>306
今日では神社とか廃寺とか呼んでいるだけ。
與止日女は風土記にはもう昔話として登場している。
川上タケルも古事記に登場している。

310:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>308
狗奴国とかだろ。
吉野ヶ里は華奴蘇奴国。

311:日本@名無史さん
22/10/18 19:09:09.84 .net
>>309
與止日女さんも川上タケルさんも実在が疑わしいでしょ
居たことを前提にしてるけど

312:日本@名無史さん
22/10/18 19:17:54.57 .net
與止日女神社の創建は欽明朝。
日本書紀が「卑弥呼=神功皇后」としたのに対して宗女トヨを振当てされた神功皇后の妹。淀姫。
『肥前国風土記』の成立は8世紀だから十分に昔話だよ。
與止日女命(ヨドヒメ)
世田姫(ヨダヒメ)
淀姫(ヨドヒメ)
豊比咩(トヨヒメ)←この名前だけ異質なのはそう言う事です。
はたして、卑弥呼ですら無いと言われている中で宗女トヨを祀った神社など存在するのだろうか?

313:日本@名無史さん
22/10/18 19:18:09.71 .net
>>310
華奴蘇奴国滋賀だろうな。
『日本書紀』では神前郡、『和名抄』では神埼郡

314:日本@名無史さん
22/10/18 19:26:05.46 .net
当時の神社なんて岩や木に縄巻き付けてたとかしんなんでしょう

315:日本@名無史さん
22/10/18 19:31:55.64 .net
寺が立派で信者取られるから神社も立派なのを建てたと思うな
信仰の対象も仏様に対して山とか岩じゃねえ

316:日本@名無史さん
22/10/18 19:53:56.57 .net
山とか岩じゃまずいからアマテラスとか適当に作って祀り上げて

317:日本@名無史さん
22/10/18 20:21:09.18 .net
>>316
極論すぎ。記紀神話の神々は祖先。

318:日本@名無史さん
22/10/18 20:22:30.12 .net
>>311
疑わしいと言うのは簡単だなぁ
思考停止するだけだもんな

319:日本@名無史さん
22/10/18 20:24:17.49 .net
>>312
神功皇后の妹を豊玉姫に当てるのは10世紀からだと聞いた。
それまでは別人。

320:日本@名無史さん
22/10/18 20:24:56.14 .net
>>313
肥前からの地名の移転じゃん。
アホらしい

321:日本@名無史さん
22/10/18 20:29:00.99 .net
畿内だと、祖先にあたる神様がそもそもそこにはいなかったから、神道が抽象的なものになってしまう。
岩だの山だの言い出すのはそういうこと。
しかし九州の特に福岡だと、天皇家の祖先がいたり、たまに天皇家のゆかりの神社もある。
ていうか、そう言うのばかりだろ。
その流れで肥前河上には與止日女がいた。風土記では割と悪者扱いだけどね。それは風土記がヤマト王権側から書いているからだろうな。

322:日本@名無史さん
22/10/18 20:32:07.65 .net
摂津国一宮 住吉神社 筑紫で生まれた住吉の神を祭る
河内国一宮 枚岡神社 筑紫に降臨した天児屋根命を祭る
和泉国一宮 大鳥神社 天児屋根命の子孫を祭る
山城国一宮 上賀茂下鴨神社 筑紫からの神武の東征を助けた三島溝杭耳を祭る
紀伊国一宮 日前宮、国懸宮 筑紫に降臨した天道根命が持っていた鏡を祭る
ここまで筑紫と東征関連。
例外はこれ。
大和国一宮 大神神社 大物主を祭るとされる。
畿内だって、山やら岩やらを祭るのは大神神社が三輪山を御神体にしているくらいだろ。
それだって、山そのものを祭るというよりは、山に神様がいるから祭るのであって、三輪山の神はしばしば山から降りてきて人と関わっている。

323:日本@名無史さん
22/10/18 20:53:09.69 .net
あーまた何でも筑紫マンか。
上賀茂 賀茂別雷神社 雷神と三島溝杭の娘との子。籠神社の極秘伝で火明命。
下鴨 賀茂御祖神社 三島溝杭耳(賀茂建角身)とその娘(大物主妃、神武天皇の皇后の母)
賀茂氏は忌部氏族。

324:琪瑛教祭酒
22/10/18 21:22:55.08 .net
>>299.帥升が居なかったとは思えない。
倭人伝、その国元は男王住むこと7.80年、倭国乱れ‥、また、もとは100国、今通じるとこ30ヵ国。
帥升なる者の情報は陳寿は持っていたし、後漢倭奴国の所在地とは違う場所の国という情報も持っていたとも言える。
しかし、倭人伝には筑紫国なぞ無い。隋書に出てくる国だよ、それにね、多々良は任那の村だよ。

325:日本@名無史さん
22/10/18 21:42:23.64 .net
倭面上國やら倭面土國やら国名も揺れまくって
一番間抜けなのは倭面土をワミャト(ヤマト)とか言うヤツ。
生口160人に対して印綬の記録がないのに王の名が記録されるとか不自然極まる。

326:琪瑛教祭酒
22/10/18 21:57:37.67 .net
ただ100ヵ国と通じていたともあるから、帥升等から話を聞いていた、情報は仕入れただろう、願請見が叶わなかっただけで、印を与える程の国の纏りもなく、ただなんか貰いに来ただけと判断されたんだな。

327:日本@名無史さん
22/10/18 22:26:11.90 .net
存在しないだろうが仮にいたとしても倭の面上國なんだろ?
ヤマト王権の王統とは無関係。
卑弥呼と違い日本書紀が無視した事からしてそう言える。

328:日本@名無史さん
22/10/18 22:26:45.92 .net
>>318
当たり前だろ
根拠が伝承じゃ話にならん

329:日本@名無史さん
22/10/18 22:27:56.61 .net
>>321
だからその神社はいつできたのよ?

330:日本@名無史さん
22/10/18 22:35:10.57 .net
>>327
大倭王は邪馬台国に居るから

331:日本@名無史さん
22/10/19 00:13:23.21 .net
>倭人伝には筑紫国なぞ無い。隋書に出てくる国だよ
以前は「倭」と呼ばれた地域が「倭」の拡大(東遷合併)によって新たに「筑紫」や筑紫島と名付けられた。

332:日本@名無史さん
22/10/19 00:35:20.20 .net
>岩だの山だの言い出すのはそういうこと。
より古くから列島に存在した自然崇拝との融合だよ。神の依り代とした。
現存する最古の祭祀形態は山を神体とする「神奈備」形式
そもそも、神社の原形は神体山の遥拝場と言われている。
その神体山が望めない場所に勧請した時に社を建てて分霊を鎮座させた。
大物主・三輪山(御諸山)
賀茂別雷神・神山
宇摩志麻遅命・八百山
瀬織津姫・六甲山

333:日本@名無史さん
22/10/19 00:42:03.07 .net
つまりは、神社しかねーよって所はこれらと比べたら比較的に新しい物だと言える。
與止日女神社の創建は欽明朝。 上記の四座は神武天皇の時代。

334:琪瑛教祭酒
22/10/19 06:22:49.83 .net
藤氏家伝には三國志を引用して入鹿を批判している。先祖を敬うどころか否定している書物を史料とするには慎重さが必要だと考えるがね。

335:琪瑛教祭酒
22/10/19 06:27:40.02 .net
卑弥呼の時代に筑紫は無い。伊都と奴国、倭奴国が何故記せない?
先祖の行為を何故記せない?
何故否定出来るのだ?

336:日本@名無史さん
22/10/19 07:34:10.92 .net
>>327
倭は畿内の王統と無関係という部分は同意

337:日本@名無史さん
22/10/19 07:38:17.46 .net
>>329
例えば香椎宮は仲哀天皇がいた宮だから、4世紀にはすでにあったということだな。
岡田宮は同時代に崗県主がいるのでその宮(好字令で2字に)。

338:日本@名無史さん
22/10/19 07:43:44.11 .net
>>332
何をもって最古としているのか意味不明。
現在の神道と共通する様式が見出されるとすると、平原遺跡の鳥居や三種の神器だろう。
三種の神器を榊に架ける様子は、筑紫の神夏磯姫くらいから見られるから、4世紀には山や岩によらない形式があったということだ。
4世紀というと沖ノ島の岩上祭祀を思い浮かべるが、あれも例えば天照大神の磐座を想定したものなら、岩そのものを祭るというよりはやはり祖先崇拝に属することになる。
明確な自然崇拝の様式を教えてくれるか?

339:日本@名無史さん
22/10/19 07:43:55.35 .net
蘇我は藤原の政敵で藤原が悪どい方法で滅ぼしたのに
蘇我を悪く言うのは当たり前。蘇我を褒めたら藤原の悪行を認めるような物。
何言ってんだこいつ?

340:日本@名無史さん
22/10/19 07:46:56.45 .net
>>333
神武の年代を教えてくれるかな?
それとその3社はいずれも固有の人物を祀っているように見えるのは気のせいかな?
それらの末裔の氏族が祖先を祀っただけだはないか?

341:日本@名無史さん
22/10/19 07:49:42.41 .net
>>335
伊都と奴国は日本の歴史にも出てくるよね。
あと、不弥国は位置的に香椎宮だと思う。
伊都は日本書紀では怡土の県主というのが出てくるから、その宮があるところだろうけど、実は高千穂宮と同じではないかと。

342:日本@名無史さん
22/10/19 09:35:25.74 .net
>>336
倭は東南の大海の中にあるんだよ
何故無関係なんだ?

343:日本@名無史さん
22/10/19 09:51:26.49 .net
>>337
仲哀天皇なんてのが本当に居たのか?
墓は大阪にあるみたいだが
九州説が言ってる事には根拠がまるでないな
もし実在しなかったら伝承も史跡もなんの意味もない

344:日本@名無史さん
22/10/19 10:05:23.45 .net
>>343
畿内説は百襲は持ち出すのに仲哀は否定するの?
都合がいいダブルスタンダードだね。
ちなみに陵墓比定はいい加減だから。

345:日本@名無史さん
22/10/19 10:07:50.92 .net
仲哀の王宮は山口県下関市の穴門豊浦宮、現在の忌宮神社。
もう一つは筑紫橿日宮、現在の香椎神宮。
これだけ具体的に残っていて、何を根拠に否定するのか。
そもそも九州にしかいなかった天皇なんて畿内政権には不都合極まりないのにわざわざ載せたのは、当時の人たちにとってその存在は疑うべくもなく、応神の父として記載するしかなかったからだろ。

346:日本@名無史さん
22/10/19 10:08:30.50 .net
>>344
墓は信じないのね
神社は信じるの?

347:日本@名無史さん
22/10/19 10:11:01.36 .net
まだ墓の方が一応年代測定やってるだけましだよ
神社なんかいつからあるかわからん

348:日本@名無史さん
22/10/19 10:17:55.30 .net
なんでもかんでも否定していいなら、聖武天皇も桓武天皇も明治天皇も否定すればいいのに。
俺は昭和天皇だって会ったことはないからね。
今上もないけと。

349:日本@名無史さん
22/10/19 10:24:34.74 .net
>>348
だからなんで墓を信じないんだよ?

350:日本@名無史さん
22/10/19 12:15:37.33 .net
陵墓比定がいい加減なのは有名だろ。
仲哀天皇は特に畿内となんの関わりもない。

351:日本@名無史さん
22/10/19 13:19:46.34 .net
>>350
どのくらい間違ってるの?
半分くらいは正しいの?

352:日本@名無史さん
22/10/19 13:24:44.39 .net
>>350
古墳だって一応伝承とかを元に決めたんだろうしおまえに否定できるものではないと思うがな

353:日本@名無史さん
22/10/19 13:28:41.11 .net
しかも古墳はその時代にあった事が一応証明されている

354:日本@名無史さん
22/10/19 13:57:22.19 .net
宮内庁の陵墓比定が正しいと思っているおめでたい奴はお前くらいだw

355:日本@名無史さん
22/10/19 14:11:04.65 .net
>>354
じゃあどのくらい間違ってるの?
一応伝承はあるんだしそれを信じてるんじゃないのか?

356:日本@名無史さん
22/10/19 14:16:06.62 .net
陵墓比定がいい加減だと聞き付けた
だから全否定するって感じだもんな
おまえの言ってる事と矛盾するし全く客観視出来てない

357:琪瑛教祭酒
22/10/19 22:50:24.09 .net
畿内説が百襲姫を持ち出す理由は各々であろうが、鬼道=道教の我が説では箸墓が卑弥呼の墓としているので、他書の者と重なっているだけであり、また、その内容を吟味すると同じ道教の指導者とも言えるね。としているだけ。
今、本スレでは、陳寿は邪馬臺の場所を間違えたとかやっているが、我が説では全て自然に解釈される。陳寿は万2000里会稽の東、共に正しい。でも、場所を特定出来ないように書いたのだよ。
元は男王住むこと~帥升等の位置を中華は解ってることからも知らない筈はない。

358:日本@名無史さん
22/10/19 22:59:44.14 .net
>>357
陳寿は意図して書いてるんじゃないし中国側が本当に知らないんだよ
王宮の場所は知っててもそこは邪馬台国という邑ではない

359:琪瑛教祭酒
22/10/19 23:05:42.15 .net
邪馬臺は女王の都とするところ、いわば泰山の道観。祭祀を行い、修行をする場。伊勢や大社の祖形となる建物が並ぶ場所、また、千人の奴婢が指示もなく動き回る、活気に満ちた場所。

360:日本@名無史さん
22/10/19 23:14:02.32 .net
中国なら王宮があるのは長安とか洛陽だけど
そういう地名を指すのが邪馬台国だと中国側は思ってた
邪馬台国が国家を指すとは思ってなかった
だっておまえの国は倭だろって感じ

361:琪瑛教祭酒
22/10/19 23:15:21.96 .net
で男子1人が卑弥呼の言葉をつげる。
やがて卑弥呼死に径100歩以下、確認している。当然魏は邪馬臺に行っている。

362:琪瑛教祭酒
22/10/19 23:39:32.37 .net
全体は倭国だろう。が女王国以北に大卒を置くとなっているし、市の管理は大倭が行っているとあるので、全て女王の管理下にあるので女王国とも言える。首都は畿内、邪馬台国と呼んでもいいと思うよ。吹上仙洞臺と吹上仙洞国(東京)ってとこかな。

363:琪瑛教祭酒
22/10/20 00:04:06.07 .net
では勾玉のかたちにかえましょう。
3世紀から形が変わります。ホト、万物を生み出す物の形です。道教の象徴的な形ですが、神器ではありません。曹叡は特別にソナタの好物を与えます。剣と鏡。そして最高の親魏倭王の印璽です。この3つが道教の神器とされる物です。

364:日本@名無史さん
22/10/20 09:39:44.53 .net
根本的な事を指摘しますが、
卑弥呼は祈祷によって病気を治し、謝礼として米を納めさせたのですか?
倭人伝の言う鬼道とは中華にとってよくわからない宗教的な意味ですよね。
古代史の妄想は楽しいですが物には限度がありますよ。

365:日本@名無史さん
22/10/20 09:43:22.44 .net
>>364
収穫した作物に感謝の祈りとかそんなんじゃないの?

366:日本@名無史さん
22/10/20 09:57:20.47 .net
>>365
そのようなものかも知れませんね。
いずれにせよ五斗米道ではありませんよね。卑弥呼が中国人とかもうね。

367:日本@名無史さん
22/10/20 10:01:00.62 .net
>>362
女王国以北を治める大率と、大率が置かれた伊都との位置関係がおかしいよ。
伊都は本州の日本海沿岸も全て統治していたのか?

368:日本@名無史さん
22/10/20 10:04:05.38 .net
>>363
九州の弥生王墓を見ると、玉は勾玉に限らなくても良い。
また、勾玉は縄文時代からその形はあり、サメつまり記紀に言うところの鰐の牙だよ。
海神族は海中で最強の生物の牙を象徴的に用いていた。
後年、それを玉石で代用するようになった。ホトは関係ない。

369:日本@名無史さん
22/10/20 10:06:08.51 .net
>>365
卑弥呼の鬼道が古代神道なら、卑弥呼は神奈月に稲の収穫の祭、すなわち新嘗祭を執り行っていたのだろう。
逆にそのような祭祀を中国人が表現しようとすると、鬼道となるだろう。

370:日本@名無史さん
22/10/20 10:14:05.29 .net
鬼道=道教 →卑弥呼は張琪瑛
なにこれwww 浅慮。

371:日本@名無史さん
22/10/20 10:16:31.80 .net
書紀でモモソヒメとか神功皇后イタコ芸(神憑り)やってるでしょ
まああれが鬼道そのものでしょ

372:日本@名無史さん
22/10/20 11:20:18.72 .net
イタコ【芸】ってのは本質をよくあらわしてると思う。
王族は芸である事は承知していたのだろうな。

373:日本@名無史さん
22/10/20 12:13:37.95 .net
>>372
今の感覚がだとバカバカしいと思うけど当時は真剣だったと思うよ

374:日本@名無史さん
22/10/20 14:31:59.80 .net
>>373
民衆を神憑りだと騙せるように真剣に芝居したんだろ?

375:琪瑛教祭酒
22/10/20 19:12:04.27 .net
さて、まず>>364だな。鬼道は別に中華にとって解りにくい物ではないですね、老荘思想が解りにくい中華の支配層はおそらくいません。
五斗米は初期道術を身に付けたい者から五斗の米を取っていたのが始まりで信者で無い者から取っていたかは知りません。
まず、五斗米の張魯は、漢中に20年一国を築きあげた鬼道の指導者であるということ。後漢朝廷、曹操からも太守に封され、劉備も欲しがった鬼道の指導者であるのです。病気治癒だけでそれはなせないでしょ。
また、曹叡は不治の時に祈祷師を呼びましたが効果なく、巫女を処刑しています。皇帝でさえ当時は巫女を呼ぶ時代なんですね。
魏は鬼道を受け入れてる国です。
倭、独自の大衆に人気ある鬼道であるならもっと詳しく説明してあります。曹叡は誰であるのか解って対応していると判断しています。
最後に列島は流れて来たものも多いでしょ、別に淮南子を読んだ巫女が来て布教しておかしいですか?宇佐神宮なんて香春思想でしょう。
詐欺師徐福まで称えておる国だよ。

376:日本@名無史さん
22/10/20 20:46:52.96 .net
徐福が日本に渡来したのではないかという中国の伝説は日本にも伝わり、多くの伝承が創作された。
「昔話の主人公」と「異国人がってきて王族を差し置いて国家を預かる」を何で同列に扱うの?
世界大百科事典
中国において,鬼とは本来死者の霊魂,幽冥の世界における霊的存在を意味し,天界,人界を貫く原理法則をそれぞれ〈天道〉〈人道〉というのに対して,鬼神の世界を貫く原理法則を〈鬼道〉という。
また,帝王の主宰する万神の祭壇の八方に設けられる鬼神の通路を文字どおり鬼道と称する。
一方,巫覡(ぶげき)などの行う呪術および【国家非公認の呪術的宗教などもまた鬼道】といわれる。後漢末から三国魏の時代にかけて,四川,陝西両省にまたがる一大宗教王国を築いた五斗米道教団の第3代教主である張魯は,主として符(おふだ)や呪水といった呪術的方法を用いて病人の治療を行い,その勢力を拡大していったが,当時の史書は【張魯の教法を鬼道】と決めつけている。
非公認呪術宗教の中に五斗米が含まれ、異国人(倭人)のシャーマニズムなども当然、鬼道である。
お前の論理はリンゴは赤い。赤いのはイチゴ。だからリンゴ=イチゴと言ってるようなもの。ただのアホ。

377:琪瑛教祭酒
22/10/20 20:48:18.61 .net
>>368.邪馬臺は海人族ではありません。海人族が山奥に行きません。
3世紀に勾玉のかたちを変えた者等が現れたということです。
邪馬台はヤマトでは無いとする者もいるでしょうが僕はヤマトでもいいと思います。
邪馬臺は山の人のいるところ、即ち山人、それは仙です。仙の臺が邪馬臺とも言えます。

378:日本@名無史さん
22/10/20 20:51:58.46 .net
>>377
箸墓の年代は、歴博の犯罪的行為が無ければ推定4世紀なのですがそこはどうすんのよ?
箸墓ありきのあんたの説は根本からしておかしいんだけど。

379:琪瑛教祭酒
22/10/20 20:52:54.27 .net
>>376、これは想像力も感性もないな。答える必要性も感じない。勘弁な。

380:琪瑛教祭酒
22/10/20 20:56:06.52 .net
歴博の犯罪的な行為が間違っているなら、成り立たないわな。
あなたが犯罪的な行為と思うのと同じ位、箸墓は道教の巫女の墓と確信してるよ。

381:琪瑛教祭酒
22/10/20 21:05:50.46 .net
前方後円墳は大仙までは続く。倭五王の墓であろう、とは誰もが否定しないであろう。だか倭五王の名は中華名の1字王だからね。

382:日本@名無史さん
22/10/20 21:21:24.85 .net
>>379
間違いの核心部分だから答えられんわな。

383:琪瑛教祭酒
22/10/20 21:29:43.78 .net
核心?ハハハハ。ますます、答えても無駄な相手だね。
ただ最後の二行はいいね。張魯の集団は中華では鬼道と決めつけている。
鬼道=道教じゃないか。
あなたの辞書には書かれてないね。

384:日本@名無史さん
22/10/20 21:30:18.72 .net
>倭五王の名は中華名の1字王だからね。
避諱だろ。大王の本当の名を伝える訳がないw

385:琪瑛教祭酒
22/10/20 21:36:02.35 .net
タリシヒコわ?
倭国以外の国わ?
色々いうが、自分の説でこちらをやり返しなさい。まず、邪馬台はどこで根拠を説明しなさい。

386:日本@名無史さん
22/10/20 21:41:54.71 .net
道教の中で異端の五斗米が鬼道と呼ばれる。
鬼道 ≠ 道教
中華にとって神道も異端であり鬼道と言われた。
お前の論理はリンゴは赤い。赤いのはイチゴ。だからリンゴ=イチゴと言ってるアホバカ。

387:日本@名無史さん
22/10/20 21:46:15.26 .net
>>384
何故?
根拠が無さすぎ

388:琪瑛教祭酒
22/10/20 21:52:49.90 .net
情報操作に直ぐに騙されるタイプだな。
あなたの説は知ってる。
あの神社、卑弥呼神社だろ?

389:琪瑛教祭酒
22/10/20 21:54:14.46 .net
失礼>>386.な。

390:日本@名無史さん
22/10/20 22:56:21.64 .net
>>361
b

391:琪瑛教祭酒
22/10/21 00:18:06.98 .net
古韓尺、気持ちはわかる。
張魯の教団は異端じゃあない。今日の道教の中心的存在の一つだよ。
曹操は才能を大事にする人物(陳平を広告に使う)。男女の隔たりもない。魏で天后とされる琪瑛、水神であり治水の神、理系だな。張魯は216年に没する、その翌年に男で自殺なぞするような女を曹操は認めない。
217年、卑弥呼は列島に向かったのだよ。

392:琪瑛教祭酒
22/10/21 06:32:00.00 .net
ちょっと、高所から眺めれば一目瞭然、北、東、南からの水は生駒と金剛の間から流れでる。
東高西下は奈良盆地。
中華の使者ならすぐそう思うだろ。

393:日本@名無史さん
22/10/21 11:56:13.41 .net
奈良盆地を見てい一番に思う事かよ。
まともな奴なら四方が山だな。だろう。

394:日本@名無史さん
22/10/21 12:04:13.87 .net
>>385
アメタラシヒコを時の王の実名と思っているヤツがいるとかw

395:日本@名無史さん
22/10/21 12:15:18.64 .net
「タラシヒコ」という称号は12代景行、13代成務、14代仲哀の3天皇が持ち、ずっと下がって7世紀前半に在位したことの確実な34代舒明、35代皇極の両天皇も同じ称号をもつ

396:日本@名無史さん
22/10/21 15:46:18.33 .net
そんな常識をドヤ顔で書かれても困るけど例えるなら
浦嶋太郎、金太郎、桃太郎、キャベツ太郎とかたくさんいる中で忌避で
「太郎です」って答えただけだよ。

397:日本@名無史さん
22/10/21 16:08:24.52 .net
いや「タラシヒコ」軍団でしょ
先祖代々の称号ですよ

398:日本@名無史さん
22/10/21 16:10:39.04 .net
イリ王朝とタラシ王朝の謎

399:日本@名無史さん
22/10/21 16:12:19.37 .net
称号でもいいよ。名前じゃないんだから。
俺が言いたいのはいくら中華様の使者とはいえ
「大王の本当の名を伝える訳がない。」なんだ。
卑弥呼だって名前と思ってる奴はいないだろうに。
トヨは例外かも知れん。
また卑弥呼と答える訳にもいかなかっただろうし名前の一部かも。

400:日本@名無史さん
22/10/21 16:28:52.11 .net
玄宗代における唐から日本への国書より、その時の唐は日本国君主の名を「主明楽美御徳」と誤解していたことが分かります。「主明楽美御徳」は「スメラミコト」で、日本国君主の称号の訓読みです。
これらもそういう事だろ。みだりに口にしない。常識。

401:日本@名無史さん
22/10/21 16:35:02.23 .net
>倭五王の名は中華名の1字王
だからこんなの笑っちゃう訳ですよ。だから何だと。

402:日本@名無史さん
22/10/21 16:43:43.35 .net
義経=ジンギスカン説ほどによくできてもない。
正直、現実味もまるでなければ面白みすらない。

403:日本@名無史さん
22/10/21 17:14:35.08 .net
景行天皇のタリシヒコは、現代では諡号として扱っているが、本来は生前の称号であったと考えられているはず。

404:日本@名無史さん
22/10/21 18:20:38.19 .net
どうかなぁ?孝昭天皇の皇子にもアメタラシヒコいたような。

405:日本@名無史さん
22/10/21 18:35:56.97 .net
しっかしひどいな。中華卑弥呼の野郎、三国志はやたら詳しいが日本古代史はからっきしだな。あんなアホバカ妄想が出来るのもうなずける。

406:日本@名無史さん
22/10/21 18:44:02.95 .net
>>404
古き名を再び使うのは一種の美意識でしょ。
では初代は誰かというと、タリシヒコなら景行になるわけで。
イギリスにチャールズ、フランスにシャルルが歴代何人もいるのと同じ。
それなのに日本の歴史になると実在性がとか諡号がとか、変な話になる。
少なくとも、昔の天皇家は景行あたりも実在性を疑問視などしていなかったわけです。
だから偉大な祖先の名前であるタリシヒコが何度も使われる。
成務の若タリシヒコは、単にタリシヒコの息子という意味ですけどね。

407:日本@名無史さん
22/10/21 19:04:06.09 .net
>>406
ほぼ同意するがアメタラシヒコは天を満たす(=太陽)男王のような意味だろう。
天垂彦なら天孫的な意味か。何度も使われても不思議はないがタラシ王朝とか眉唾。

408:日本@名無史さん
22/10/21 19:43:53.46 .net
世間ではタラシ王朝とは河内の王国の名前らしいね。
しかし景行は九州に攻め込むし、仲哀はずっと九州と山口にしかいなかった。
あえてタラシ王朝と呼ぶのなら、それこそ筑紫倭国の歴史を継木しただけ。

409:日本@名無史さん
22/10/21 20:06:58.20 .net
河内はワケ王朝

410:日本@名無史さん
22/10/21 20:39:45.46 .net
ワケって分家の意味だよ。
日本は倭の別種

411:琪瑛教祭酒
22/10/21 21:14:39.51 .net
鬼の首でもとったつもりか?
「倭王姓阿毎字多利思北狐號‥」つまり、隋には嘘をいい、倭国ではこの名は王として通用していないというのかな?倭王瓉~武も倭国で瓉王というと笑われたのかね?
卑弥呼を邪馬臺で卑弥呼女王と言ったところで誰も知らず笑われたのかね?
中華も皇帝であり、えいせいとは呼ばないよ

412:琪瑛教祭酒
22/10/21 21:31:02.88 .net
一度君らの聞いてもしょうがないような自説を聞きたいね。

413:日本@名無史さん
22/10/21 23:52:56.15 .net
お前が戦国時代の小説を書いたら
秀吉に「信長様〜」とか平気で言わせるんだろうなwww

414:琪瑛教祭酒
22/10/22 00:12:31.53 .net
日本の戦国時代なぞ興味ないよ。

415:琪瑛教祭酒
22/10/22 00:24:55.63 .net
返答になっとらんぞ。
「倭王姓阿毎字多利思北狐‥」。

416:琪瑛教祭酒
22/10/22 07:03:37.24 .net
倭が姫は一代限りなのでその後どうなろうが構わんのだが、
>>413.日本は倭の別種には同意しますね。
倭武王の上奏文と比べれば余りに質の違いで違う人達が解るね。中華の賢い連中も直ぐに疑いますね。

417:琪瑛教祭酒
22/10/22 07:04:35.36 .net
間違えた410.でした。

418:日本@名無史さん
22/10/22 09:53:13.29 .net
>>416
>倭が姫は一代限り
え?宗女トヨは?

419:日本@名無史さん
22/10/22 09:58:52.29 .net
新唐書の百済のところでも「百済は扶余の別種なり」と書かれている。
この百済王の名前を見ると「扶余璋」であったりと扶余の文字が見える。
もし、百済と扶余が日本人が意味する【別種】ならば、これは変だ。
同じ種か一種であるから、百済王の名に扶余が入るのだ。
「日本は倭の別種」とは「日本は別の国だけど同じ種」
あるいは、「日本は倭の別名」と翻訳するのが妥当。

420:日本@名無史さん
22/10/22 10:03:33.89 .net
>>411
>隋には嘘をいい、倭国ではこの名は王として通用していないというのかな?
ある程度の身分の物なら皇族の名前だとわかるだろうね。
>倭王瓉~武も倭国で瓉王というと笑われたのかね?
笑うかどうかは知らんが、その報告に関わった人間以外には意味がわからない。
>卑弥呼を邪馬臺で卑弥呼女王と言ったところで誰も知らず笑われたのかね?
笑うかどうかは知らんが、「あ~日巫女様の事かな?」あるいは「皇女(みめみこ)様の事かな?」と思うだろう。
>中華も皇帝であり、えいせいとは呼ばないよ
よくわかってるじゃないか。何が言いたいんだよwww

421:日本@名無史さん
22/10/22 13:31:44.23 .net
>>419
それはお前さんの別種という言葉の定義が間違っているだけ。
中国語の文献において中国人が使っている用法が正しい。
別種でも同じ姓でいいということ。
アマという姓を九州でも本州でも使っていて構わない。
むしろ姓が同じだからこそ、元は同じ別種と認識できる。

422:日本@名無史さん
22/10/22 13:33:58.80 .net
>>421
■史書における「別種」の使用例
<高麗伝>
高麗は出自、扶余の別種なり。
<百済伝>
百済国の本も亦た、扶余の別種。

423:日本@名無史さん
22/10/22 13:37:50.57 .net
>>419
倭というのは地域
現代で例えると、東洋とかオセアニアとかいう呼び名
その倭の地域に倭国があり、秦王国や日本国もあったという意味

424:日本@名無史さん
22/10/22 14:19:40.81 .net
その中で博多湾沿岸の支配者を倭王に冊封した。

425:日本@名無史さん
22/10/22 14:26:01.19 .net
結論が先にあるから?になる
先ず根拠がない


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