邪馬台国畿内説 Part806at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part806 - 暇つぶし2ch514:u不弥国から南水行二十日で投馬国に至る。さらに南水行十日陸行一月で邪馬台国に至る」は、「その道里を計るに、まさに会計東冶(帯方郡から12,000里)之東(沖縄と台湾の中間)にあるべし」と結論付けるために、陳寿が(帯方郡→建業→会稽東冶)までの「中国大陸沿岸の行程(12,000里)」を倭国(不弥国→投馬国→邪馬台国)にダブらせて転用した忖度(方便)とすると、投馬国五万戸(宮崎都万)も九州内に収まりますよ。 おそらく洛陽(後漢~曹魏~西晋の帝都)から見た倭国は、宿敵・孫呉の背後の海上にあって、(自ら渡海してまで朝貢して来て)魏のために呉を牽制しようとしてくれている「可愛い国♡」という認識だったんでしょう。 だからこそ特別に優遇して金印「親魏倭王」(鉄の発注書の封泥用)を与え、帯方郡の鉄の輸出を許可し、狗奴国の卑弥弓呼・狗古智卑狗を平定せよと銅鏡百枚(✕五百枚w)を与えたんでしょうね。




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