邪馬台国畿内説 Part806at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part806 - 暇つぶし2ch221:日本@名無史さん
22/08/24 00:27:47.52 .net
>大倭王・女王の都・都市名は「邪摩堆ヤマト」
>領土・統治範囲・国名を表す場合は「邪馬臺国、邪馬台国」
>ただ魏志だけ混用してて、どれもヤマトだけど漢字表記が違う。
>だから南、邪馬台国てのは統治範囲を表す、九州北部のなかに
>八女市、山門郡辺りにヤマト軍の防人(さきもり)、駐屯所、行宮などがあったんだろう。
みやま町の七支刀持った人形がある「こうやの宮(磯上神宮)」辺りが怪しいな。
「後漢書倭伝」
世世、統を伝ふ。その大倭王は邪馬臺国に居す(今名を案ずるに邪摩堆音の訛なり)。
楽浪郡境はその国(邪馬臺国)を去ること万二千里
「魏志倭人伝」
「南、邪馬臺国に至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり。


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