邪馬台国畿内説 Part805at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part805 - 暇つぶし2ch100:日本@名無史さん
22/08/21 10:12:33.86 .net
>>91
考古学的に完全に適合する(卑弥呼死後の北九州の衰退→同時期以後に纏向は最盛期に)
>>92
纏向で庄内式とか出てくるけど、なぜか纏向+河内の一部からしか出ない
つまり畿内人じゃないよそ者が造り始めたもの
これは北九州からの先遣隊が纏向で造り始めたものと考えるべき

101:日本@名無史さん
22/08/21 10:16:39.20 .net
>>85
ナイス、表現
気にいった。
邪馬壹国近畿説

102:日本@名無史さん
22/08/21 10:20:56.09 .net
>>101
邪馬壹国近畿説さん
もナイスです。

103:日本@名無史さん
22/08/21 10:21:25.36 .net
>>98
あんたが勝手に皇国史観と解釈してるだけ。

104:日本@名無史さん
22/08/21 10:27:05.50 .net
>>84
>3世紀に奈良にヤマト政権があった
3世紀の奈良にあったのは日本(ヒノモト)。畿内説の遺跡はこの勢力のもので「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」である。
新唐書「日本は乃ち小国、倭の井す所と為る、故に其の号を冒せり」
日本は饒速日尊が命名。神武天皇の倭(邪馬台=ヤマト)が日本を合併した。そして国号も奪った。
だから、ヤマトは同時に「ヒノモト」でもある。

105:日本@名無史さん
22/08/21 10:30:05.69 .net
>>92
畿内説って、なんで異常に日本語下手なやつがいるの?

106:日本@名無史さん
22/08/21 10:36:52.79 .net
>>104
3世紀に奈良の辺りはヒノモトと呼んでたって事か?

107:日本@名無史さん
22/08/21 10:42:08.10 .net
>>106
空想だろ

108:日本@名無史さん
22/08/21 10:44:58.99 .net
>>100
考古学なんにも知らんという告白として拝聴します

109:日本@名無史さん
22/08/21 10:45:53.86 .net
>>106
饒速日の降臨伝承のある生駒山地には草香山(クサカ)があったとされ
日下(ヒノモト)をクサカと読むのはこのような関連ではないか?
至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空見日本國矣。」

110:日本@名無史さん
22/08/21 10:47:23.52 .net
>>100
>考古学的に完全に適合する(卑弥呼死後の北九州の衰退→同時期以後に纏向は最盛期に)
九州説式偽年代でないと適合しない

111:日本@名無史さん
22/08/21 10:53:33.67 .net
>>103
>あんたが勝手に皇国史観と解釈してるだけ。
「大和は倭を支配下にしたもの
 大和は倭をやっつけてまとめたもの」
 というのが典型的な皇国史観とどう違うか
 ひとことも釈明できないの?
それなら、あなたの九州説は皇国史観ソノモノって事だね

112:日本@名無史さん
22/08/21 10:55:23.11 .net
>>104
>3世紀に奈良に日本(ヒノモト)があった
>それは倭人伝の女王国とは違うもの
>日本は饒速日尊が命名した
>神武天皇が倭(やまと、邪馬台=ヤマトを合併し国号も奪った
それは、少し脚色がありますが、まさに皇国史観です
あなたにとって魏志倭人伝に書かれていることはすべてでたらめなんですか?

113:日本@名無史さん
22/08/21 10:57:49.05 .net
>>111
大和からあるものでそれ以前はないということ

114:日本@名無史さん
22/08/21 11:00:12.65 .net
>>112
>魏志倭人伝に書かれていることはすべてでたらめなんですか?
意味がわかりません。
畿内説の遺跡は「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」だと言ってます。

115:日本@名無史さん
22/08/21 11:05:51.98 .net
>>109
クサカ→ヒノモト→日下→日本って事かな?
なんかややこしいな
クサカがヒノモトに変わるかね?

116:日本@名無史さん
22/08/21 11:07:25.58 .net
>>114
魏志倭人伝の倭国は九州に存在して、当時奈良に日本(ひのもと)がり、後に神武天皇がそれを合併したということですか
それは神話と神武に始まる皇国史観そのものです

117:日本@名無史さん
22/08/21 11:12:36.44 .net
神武は饒速日のもとに居候しただけ。
畿内日本の実権は饒速日とその末裔の物部氏にあった。
畿内日本が筑紫倭国を併合するのは、白村江で負けた筑紫倭国が崩壊してから。

118:日本@名無史さん
22/08/21 11:14:22.62 .net
>>115
クサカはぜんぜん別系統で発生した名前が日下の文字に組み合わされたのでしょう。
饒速日が日本と命名したとき、読みとしてはヒノモトだったでしょう。

119:日本@名無史さん
22/08/21 11:15:37.87 .net
>>116
神武から始まったわけではなく、神武が統一したわけでもなく、神武は天皇ではなかったというのどから、皇国史観からほど遠いですね。

120:日本@名無史さん
22/08/21 11:16:17.74 .net
>>118
ヒノモトって言葉が三世紀にないと成立しないでしょ

121:日本@名無史さん
22/08/21 11:19:51.89 .net
皇国史観は神武が大和に即位した以来、日本国の正当な支配者は天皇家のみというもの。
九州説は、そもそも中国の史書にある倭とは筑紫に都する国であり、畿内の日本は地方政権に過ぎないというもの。
むろん、倭国女王卑弥呼も九州にいた。
日中の多くの史書が、これなら矛盾なく説明できる。

122:日本@名無史さん
22/08/21 11:21:25.02 .net
>>120
ヒノモトは和語だから3世紀なら余裕であったでしょう。
神武の戦った古戦場の地名として日下の名が残っています。

123:日本@名無史さん
22/08/21 11:21:29.47 .net
>>115
>クサカがヒノモトに変わるかね?
変わらないと思われるのに現に日下をクサカと読むじゃないですか?
古くクサカと呼ばれてた場所を饒速日が「国、日出づる所に近し。」と思いヒノモトと改めて名付けたからでしょう。

124:日本@名無史さん
22/08/21 11:24:47.46 .net
>>123
だから奈良にはヒノモト王権かなんかそんな感じの物があったってことか
でも俺はそれ以前に伊勢遺跡があるから違うんじゃないかと

125:日本@名無史さん
22/08/21 11:27:07.32 .net
江戸時代の九州説と現代の九州説の違いは、江戸時代には天皇中心の史観により、九州にいた卑弥呼が大和王権を仮冒したとするが、
現代では、そもそも倭国王権とは筑紫に宗家があったとするもの。
関西地方にあったのは饒速日から始まる分家。

126:日本@名無史さん
22/08/21 11:30:06.11 .net
日下はもともと生駒山麓の草香のことなんだけど、神武東遷のときに難波から見て朝日が登ったから「日下の草香(ひのもとのくさか)」と呼ぶようになり、そこから日下と書くようになったんだよ。だから日下は饒速日じゃなくて神武絡み。
パターン的には「飛ぶ鳥の明日香」と同じやな。

127:日本@名無史さん
22/08/21 11:31:51.07 .net
>>124
伊勢遺跡は明らかに出雲と共通点があります。
出雲の拠点の一つ、またはかつて出雲と呼ばれた国そのものかもしれません。
日本海沿岸は、本州でもっとも古くに発展した土地です。
近畿というより、近畿にも影響力があった日本海側政権です。
しかも筑紫本家とは少し違う独自性もある。
おそらく秋の新嘗祭には各地の首長層が集っていた。
神奈月の出雲ですよ。

128:日本@名無史さん
22/08/21 11:32:59.61 .net
それにしても元々ヒノモト王権だったものをヤマト王権に変えて
またヒノモト朝廷(王権)にしたって事だよな

129:日本@名無史さん
22/08/21 11:33:05.76 .net
あなたは前スレで倭国を「ヤマト王権を仮冒する勢力」と呼びました
>それは奈良の倭国ではなく、筑紫倭国と呼ぶべき存在
>筑紫倭国は63年まで存続していた
神武が奪った倭の後継者たちが筑紫倭国を併合したのは白村江の戦いのあとということですね
あなたにとって筑紫倭国はどういう存在なんですか?
やはり、「ヤマト王権を仮冒する勢力」ですか?

130:日本@名無史さん
22/08/21 11:34:19.13 .net
>>126
神武は、饒速日の王国がうまくいっていると聞きつけて東征しました。
つまり、饒速日が日本と命名したのが先になります。
しかし皇国史観的にはそれでは都合が悪いから、神武が呼んだ方が後世においてクローズアップされたのでしょう。

131:日本@名無史さん
22/08/21 11:34:50.24 .net
>>129
>>117へのレスでした

132:日本@名無史さん
22/08/21 11:39:35.31 .net
>>119
後の天皇は神武の後裔ではなかったということですか

133:日本@名無史さん
22/08/21 11:40:06.64 .net
>>127
伊勢遺跡以前はまだわからんしそれでもいいんじゃないか

134:日本@名無史さん
22/08/21 11:42:38.56 .net
>>129
>63年は663年の間違いでした

135:日本@名無史さん
22/08/21 11:46:50.67 .net
>>132
後裔ですが、政権の座にいなかった。
列島の盟主ではなく、一地方豪族だった。

136:日本@名無史さん
22/08/21 11:48:15.62 .net
>>133
伊勢遺跡の位置、考古学的な出雲との共通点から、伊勢遺跡は出雲の影響下、または記紀で出雲と呼ばれた国そのものてある可能性があると思います。

137:日本@名無史さん
22/08/21 11:50:21.94 .net
元々奈良の一部地域を指してたヒノモトをヤマトを併合してヤマトに変えて
またヒノモトに戻したのはどういう事だ?

138:日本@名無史さん
22/08/21 11:52:21.56 .net
ヤマト王権というカタカナ用語は後世の造語です。
7世紀以前の中国の史書にはそのような国が朝貢してきた記録はなく、倭が朝貢してきたとあります。
また、畿内の日本の歴史を記した記紀には、朝貢したという記録はありません。
倭と日本が別の国なら、どちらも間違いではない。

139:日本@名無史さん
22/08/21 11:52:51.40 .net
>>125
つまり昔の九州説は皇国史観で
今の九州説は変形皇国史観ということか

140:日本@名無史さん
22/08/21 11:53:30.76 .net
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。
以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。

141:日本@名無史さん
22/08/21 11:55:37.64 .net
>>138
だったらヤマトって何?

142:日本@名無史さん
22/08/21 11:55:45.16 .net
>>139
昔から畿内が列島を代表する政権だったという畿内説こそ皇国史観そのものですよ。
中国側の史書を無視しています。
しかし邪馬台国については、中国側の史書に記録されている国ですから、中国から見た倭がどこであったかが重要なはず。

143:日本@名無史さん
22/08/21 11:56:17.65 .net
>>141
皇国史観そのもの

144:日本@名無史さん
22/08/21 11:59:57.68 .net
>>135
神武の後裔が列島の盟主になったのはいつですか

145:日本@名無史さん
22/08/21 12:03:10.12 .net
【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
太宰府には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が崩御、翌年にはその王子である大友皇子を倒した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、7世紀以前の古代の記録の多くが失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。
URLリンク(i.imgur.com)
筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。
701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内大和政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。

146:日本@名無史さん
22/08/21 12:04:29.91 .net
>>143
古代日本にヤマトなんてほぼ存在しなかった
それでもヤマトという言葉は現代にも残ってる
そうであれば元々奈良辺りを指してたと解釈するしかない

147:日本@名無史さん
22/08/21 12:06:08.32 .net
筑紫にも山門の地名があるのです。
他の多くの地名と同様に、ヤマトの地名も移動されたのでしょう。

148:日本@名無史さん
22/08/21 12:07:29.14 .net
>>147
存在してないのに何故移動するんだよ?

149:日本@名無史さん
22/08/21 12:08:17.78 .net
奈良大阪あたりの本来の地名は、日本または日下でした。
それが白村江の後で、全国政権に昇格したのです。
その経過において、壬申の乱が発生しています。

150:日本@名無史さん
22/08/21 12:10:17.94 .net
>>147
>他の多くの地名と同様に、ヤマトの地名も移動されたのでしょう。
あなた空想しか言ってませんが

151:日本@名無史さん
22/08/21 12:10:34.57 .net
>>148
古事記からわかるように、ヤマトとは倭の訓読みです。
本来は筑紫にあった倭国のことだったのでしょう。
ヤマトが神武から始まる畿内王朝のものだという考えそのものが、皇国史観なのです。

152:日本@名無史さん
22/08/21 12:11:12.33 .net
>>149
それも全部みな空想ですよね?

153:日本@名無史さん
22/08/21 12:12:11.25 .net
>>150
後漢書において、倭とは狗邪韓国から倭奴国までです。

154:日本@名無史さん
22/08/21 12:13:08.25 .net
>>152
奈良大阪あたりを日下または日本と呼んでいたことは、神武や饒速日の伝承に記録されています。

155:日本@名無史さん
22/08/21 12:13:21.46 .net
>>151
つまり畿内説は皇国史観と無関係で
九州説が皇国史観の変種という事ですな

156:日本@名無史さん
22/08/21 12:13:52.88 .net
ヤマトは現代では日本を指してるんだよ
それは当時王朝があった奈良の地名が残ったと考えるしかない
それ以外は言葉が残る理由がない

157:日本@名無史さん
22/08/21 12:14:06.34 .net
>>153
それも空想ですよね

158:日本@名無史さん
22/08/21 12:15:40.56 .net
>>151
漢字を混ぜるんじゃない
あったとしてもヤマトだ

159:日本@名無史さん
22/08/21 12:16:04.88 .net
>>145
旧唐書は945年に完成したもの
日本書紀等の成立してから200年以上たっています
中国の史書の編纂者も他国の文書を参考にし、それとの整合性を確保しようとする
幸い日本書紀の影響を受けた部分は現代人にはわかる
意図的な引用は歴史を学ぶものを混乱させるだけです

160:日本@名無史さん
22/08/21 12:18:24.76 .net
ちょっと待て
古代日本にヤマトなんて王朝は存在しなかった事を前提にしてるんだぞ
因みに俺はあったと考えてるけど

161:日本@名無史さん
22/08/21 12:19:06.78 .net
>>155
奈良時代より前から畿内が列島の盟主であり、倭王卑弥呼も畿内にいたはずだというのは、皇国史観そのものです。

162:日本@名無史さん
22/08/21 12:19:46.65 .net
>>156
古くから奈良に王朝があったはずというのが、皇国史観。

163:日本@名無史さん
22/08/21 12:20:13.86 .net
>>161
皇国史観だと呼ぶ理由は?

164:日本@名無史さん
22/08/21 12:20:37.80 .net
>>157
畿内説の人は、後漢書や魏志倭人伝を読み直した方がいいと思いますよ。

165:日本@名無史さん
22/08/21 12:20:56.27 .net
>>162
それを皇国史観だと呼ぶ理由は?

166:日本@名無史さん
22/08/21 12:21:48.05 .net
>>164
九州説は
なにも立証できないのですか?

167:日本@名無史さん
22/08/21 12:21:53.80 .net
>>158
古事記では、倭と書いてヤマトと読ませています。
これは明確に読み仮名を指定しています。
ちゃんと古事記と書いてあるのに、他人のレスをよく読まずに脊髄反射するのは良くないですね。

168:日本@名無史さん
22/08/21 12:24:27.93 .net
>>162
聖武天皇とか存在しないの?

169:日本@名無史さん
22/08/21 12:25:29.79 .net
>>167
>>138を前提にしてるんだぞ

170:日本@名無史さん
22/08/21 12:26:10.18 .net
>>154
>奈良大阪あたりを日下または日本と呼んでいたことは、神武や饒速日の伝承に記録されています。
それはヤマトという音に後世になって漢字をあてただけだし
日下はもっと狭い地域だから関係ないでしょう?

171:日本@名無史さん
22/08/21 12:27:17.58 .net
>>145
神武の後裔が政権に就いたのは天武天皇からということなんですか?

172:日本@名無史さん
22/08/21 12:28:05.59 .net
>>169
珍説が前提ってw

173:日本@名無史さん
22/08/21 12:30:30.94 .net
俺は邪馬台はヤマトだと思ってるけど
もし古代日本にヤマトという言葉が存在しないとしたら奈良の地名が残ったと考えるしかない

174:日本@名無史さん
22/08/21 12:31:09.43 .net
元々、奈良にあったんだな。

URLリンク(search.yahoo.co.jp)
邪馬壹国近畿説

175:日本@名無史さん
22/08/21 12:31:39.61 .net
>>145
>太宰府には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
九州説って、こういとこからもう創作ラノベ戦記ものなんだよな

176:日本@名無史さん
22/08/21 12:42:00.02 .net
>>160
あったと考える根拠は?

177:日本@名無史さん
22/08/21 12:43:51.18 .net
>>168
聖武天皇は天武天皇より後だから、存在していましたよ。

178:日本@名無史さん
22/08/21 12:44:34.43 .net
>>176
>>138に対しての反論だから
その反論が>>173

179:日本@名無史さん
22/08/21 12:44:57.28 .net
>>177
>>178

180:日本@名無史さん
22/08/21 12:45:57.20 .net
>>170
ヤマトという読みを当てたのが後世なんじゃないですかねえ。

181:日本@名無史さん
22/08/21 12:47:59.96 .net
>>173
は根拠がないですね。

182:日本@名無史さん
22/08/21 12:49:10.87 .net
>>175
ではなぜ敗戦国を占領するのに、それが畿内ではなく筑紫だったのは何故ですか?

183:日本@名無史さん
22/08/21 12:53:39.67 .net
>>181
古代日本にヤマトという言葉がないんでしょ
でも現代には言葉が残っててそれは日本を意味してる
そうであれば王朝が確実に存在した奈良を指してるとしか考えられん
他に日本を指す理由がないでしょ

184:日本@名無史さん
22/08/21 12:54:28.81 .net
>>177
神武天皇が奈良で地方豪族になったのはいつなんですか

185:日本@名無史さん
22/08/21 12:54:49.96 .net
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原
鳴門
小戸とは、音

186:日本@名無史さん
22/08/21 12:56:28.05 .net
天津祝詞は、除霊をするわけだから、渦潮

187:日本@名無史さん
22/08/21 12:56:39.65 .net
根拠はないが
日巫女基国
邪馬壹国近畿説

188:日本@名無史さん
22/08/21 12:56:52.92 .net
>>183
その考え方が成立したのが奈良時代なんですよ。

189:日本@名無史さん
22/08/21 12:58:01.76 .net
>>183
王朝が確実に存在したとあう根拠は?

190:日本@名無史さん
22/08/21 12:58:26.61 .net
>>188
ヤマトという言葉自体が存在してなかったらそれ以外ないでしょ

191:日本@名無史さん
22/08/21 12:59:09.56 .net
>>189
だから聖武天皇は居なかったの?

192:日本@名無史さん
22/08/21 13:00:03.51 .net
>>190
存在はしていたでしょう。
そして筑紫を意味していたでしょう。

193:日本@名無史さん
22/08/21 13:00:35.22 .net
>>191
いたでしょう。
大仏を作ったんですよね。

194:日本@名無史さん
22/08/21 13:02:31.66 .net
>>192
>>138への反論だと何度言えば
俺は邪馬台はヤマトだと思ってるし存在しないなんて思ってないから

195:日本@名無史さん
22/08/21 13:03:33.87 .net
>>193
>>194

196:日本@名無史さん
22/08/21 13:05:01.08 .net
倭国とは畿内ではなく筑紫にあった王権であるというのが、日本書紀以来の千数百年にわたり隠されてきた秘密。

197:日本@名無史さん
22/08/21 13:05:48.66 .net
>>194
あなたが刷り込まれて根拠なく信じているだけですよ。

198:日本@名無史さん
22/08/21 13:05:56.50 .net
業の弭化

199:日本@名無史さん
22/08/21 13:06:00.70 .net
逆に邪馬台がヤマトじゃなかったら古代日本にヤマトという言葉があった根拠がないでしょ

200:日本@名無史さん
22/08/21 13:07:54.90 .net
>>196
せめてこれだけは答えてください
>神武が奈良で地方豪族になったのはいつなんですか

201:日本@名無史さん
22/08/21 13:08:32.36 .net
>>197
>>199
お前の言ってることは反論になってないから

202:日本@名無史さん
22/08/21 13:13:11.47 .net
ヤマトという言葉が3世紀に筑紫を指していたとか、いったい妄想以外のなんなんだ

203:日本@名無史さん
22/08/21 13:15:31.13 .net
魏や秦は中国の一国邑の名前だったが、それらが政権を取ると広域の国号としても用いられた。
ヤマトの表記である倭は国号とされた一方で、山門の表記は筑紫の一部の地域の名前に留まった。
ヒノモトの表記である日本が国号とされた一方で、日下の表記は大阪湾沿岸の一部地域の名前に留まった。
畿内日本が筑紫倭国を併合し、倭は日本のこと、倭も日本も訓はヤマトとされた。
そしていつしか、ヤマトは昔から列島の盟主であり、倭も日本のことであるとされた。
畿内勢力の名は日本、読みはヒノモト。

204:日本@名無史さん
22/08/21 13:16:58.76 .net
>>202
筑紫を指していた場合のみヤマトという言葉は存在するって感じだもんな
すげえわ

205:日本@名無史さん
22/08/21 13:17:15.36 .net
>>202
倭は古事記においてヤマトと読めとあります。
そして後漢書では倭とは狗邪韓国から倭奴国までの間です。
その盟主として倭奴国が金印をもらっています。

206:日本@名無史さん
22/08/21 13:18:39.72 .net
>>189
>王朝が確実に存在したとあう根拠は?
少なくとも欽明あたり以降、奈良県に最高権力者の家計が続いて居るだろう
皆が納得しているよ
重篤なトンデモ説の人以外は

207:日本@名無史さん
22/08/21 13:20:42.15 .net
>>205
>そして後漢書では倭とは狗邪韓国から倭奴国までの間です。
それ、根拠ないよね

208:日本@名無史さん
22/08/21 13:20:59.93 .net
>>203
あなたは「列島の盟主」の変遷をどうとらえているのですか
筑紫倭国が列島の盟主として君臨していた時代があるということですか

209:日本@名無史さん
22/08/21 13:21:17.71 .net
>>200
諸説ありますね。
少なくとも記紀にある2600年あまり前というのは考古学的根拠がありません。
饒速日が畿内に稲作を伝えたとされており、神武はその数世代後ですね。
しかし詳細は不明です。

210:日本@名無史さん
22/08/21 13:23:06.32 .net
>>206
最高権力者だったという根拠は?
根拠なく信じているなら、皇国史観という名の妄想に過ぎませんよ。

211:日本@名無史さん
22/08/21 13:23:31.45 .net
>>203
>畿内勢力の名は日本、読みはヒノモト。
九州説さん、それも空想だよね?

212:日本@名無史さん
22/08/21 13:24:11.09 .net
>>209
饒速日が畿内に稲作を伝えたのはいつですか

213:日本@名無史さん
22/08/21 13:24:26.42 .net
>>207
後漢書という根拠を示しています。
少なくとも、倭という呼称を用いた中国人は、狗邪韓国から倭奴国までの間の国を示す言葉としていました。

214:日本@名無史さん
22/08/21 13:25:31.86 .net
こんな事言ってるようじゃ邪馬台国九州説のスレを立ててま人が寄り付かないし
ここに来るしかないわな

215:日本@名無史さん
22/08/21 13:25:34.91 .net
>>210
>最高権力者だったという根拠は?
>根拠なく信じているなら、皇国史観という名の妄想に過ぎませんよ。
そう皆も信用している文献記録に書かれているから、だが?

216:日本@名無史さん
22/08/21 13:26:03.41 .net
>>208
『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至るおよそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。

217:日本@名無史さん
22/08/21 13:27:46.83 .net
>>213
>後漢書という根拠を示しています。
>少なくとも、倭という呼称を用いた中国人は、狗邪韓国から倭奴国までの間の国を示す言葉としていました。
後漢書と関係なく貴方の意見を言ってる限り
後漢書という根拠を示してることにならないんでは?

218:日本@名無史さん
22/08/21 13:27:54.37 .net
>>208
出雲の国譲りにおいて大国主が降伏した後、豊葦原中国の王となるために邇邇芸が筑紫の日向に降臨して即位しました。

219:日本@名無史さん
22/08/21 13:29:11.26 .net
饒速日の実在は考古学的に根拠づけられるのですか?近畿諸豪族の出自を天孫と結びつけるための神話的装置に過ぎないのでは?

220:日本@名無史さん
22/08/21 13:30:57.69 .net
>>216
それ、筑紫倭国とやらと何も関係ないですよね?
それって神武が東征の前に高千穂宮にいたという日本書紀のダイジェストですよね?

221:日本@名無史さん
22/08/21 13:32:18.77 .net
Wiki 饒速日より引用
天照大神から大和建国の神勅を拝し『十種の瑞宝』を授かった饒速日尊が船団を組み、自らも『布都御魂劔』と日の御子の証である『天羽々矢』を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航した。
天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね『生駒山』)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」と賛じた。
これが日本の国号の始まりとなった。
当時の河内と大和の一帯は鳥見の里と呼ばれ、穏やかな自然と海や山の幸に恵まれた豊な土地であった。
鳥見の里を治めるようになった饒速日尊は、水が豊かで稲作に適したこの土地に水田を拓き、大きな実りをもらすようになった。
これが近畿地方の稲作文化の初めとなった。

222:日本@名無史さん
22/08/21 13:32:45.04 .net
記紀原理主義
文字もない時代 
どうやって正確に伝わるのか?
不思議だな。

223:日本@名無史さん
22/08/21 13:33:03.43 .net
>>218
そういう神話盲信の九州説って、皇国史観そのものでは?

224:日本@名無史さん
22/08/21 13:33:11.20 .net
>>215
史料批判もなく記紀を盲信した皇国史観そのものですね。

225:日本@名無史さん
22/08/21 13:35:27.94 .net
>>217
後漢書にそう書いてありますけど?

226:日本@名無史さん
22/08/21 13:36:38.05 .net
>>219
それこそあなたの憶測です。
その根拠はありますか?
饒速日の実在性について、どのような考古学的証拠を求めますか?

227:日本@名無史さん
22/08/21 13:36:45.33 .net
>>225
原文 コピペは?

228:日本@名無史さん
22/08/21 13:37:23.19 .net
>>216
新唐書は1060年に成立したもの
日本側の歴史資料を読む過程で混乱した記述になっている

229:日本@名無史さん
22/08/21 13:41:05.13 .net
>>220
>>220
32世だと日本書紀より多いようですから、別資料でしょう。
現代では元資料が残っていないため、新唐書そのものが資料です。
筑紫城にいたとありますが、これも日本書紀にはない表記です。
しかしかつてはそのように書いた資料があり、中国に伝わっていたことがわかります。

230:日本@名無史さん
22/08/21 13:41:28.08 .net
>>100
庄内甕・精製器種B群といった土器群は中河内地域の中田遺跡群でその成立をみるとともに、
その後の展開については中河内地域と、纒向遺跡を中心とする大和東南部、
摂津・北山城・南山城地域に存在する拠点集落同士の交流をもとに各地域へ展開してい く
中田遺跡刑部土坑では、大量の吉備系土器及び、吉備系土器との折衷品、初期庄内甕が共存する
中田遺跡群と船橋遺跡、纒向遺跡を中心とする大和東南部・中部においては初期庄内甕が見られる
北部九州IB期 - 大和庄内2式期に博多で筑前型庄内甕が成立する

231:日本@名無史さん
22/08/21 13:42:35.62 .net
>>218
邇邇芸は列島の盟主だったが
神武は地方豪族というあなたの感覚がまったく理解できません

232:日本@名無史さん
22/08/21 13:42:44.63 .net
>>223
すべて大和の神武を中心に考えるのが皇国史観です。
卑弥呼の時代も当然大和が王権を持っていたはずだからとする畿内説はその延長です。

233:日本@名無史さん
22/08/21 13:43:45.53 .net
>>227
倭在韓東南大海中依山㠀爲居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國
國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案令邪摩惟音之訛也)
樂浪郡徼去其國萬二千里去其西北界拘邪韓國七千餘里
其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

234:日本@名無史さん
22/08/21 13:44:55.71 .net
>>232
卑弥呼と今の皇室がつながってるかなんて知らねえよ
ただ卑弥呼は近畿に居たってだけで

235:日本@名無史さん
22/08/21 13:44:56.70 .net
>>228
中国側のあらゆる史書を否定しないと成り立たない畿内説
しかし邪馬台国は中国側の史書に登場する国なのですよ

236:日本@名無史さん
22/08/21 13:45:48.22 .net
>>226
基本的に実在しないことを示す根拠を提示することは不可能だと思いますので、実在を示す根拠を可能な限り教えて欲しいと思います。
例えば彼の出自は天孫族ということになるのでしょうが、それは大陸から稲作を持ち込んだ人々ということになるのでしょうか。宮殿、墓所などにあたりそうな遺跡はあるのでしょうか。

237:日本@名無史さん
22/08/21 13:49:12.02 .net
>>233
拘邪韓國は含まないだろ。

238:日本@名無史さん
22/08/21 13:50:32.16 .net
>>231
神武は王都を捨てて都落ちしました
移動先には天照から勅命を受けた饒速日が王国を経営していました
神武が列島の盟主だというのは無理があります
そして神武の跡、欠史八代という何の事績もない天皇が続きます
その後の崇神天皇は実在性が高いとされますが、母方が饒速日の末裔であり、王宮も饒速日の地盤であった磯城纒向にありました

239:日本@名無史さん
22/08/21 13:51:23.86 .net
纏向の次がわからんのよね
飛鳥の宮ってのがあるにはあるがこれショボいんだよな

240:日本@名無史さん
22/08/21 13:54:08.69 .net
>>235
>中国側のあらゆる史書を否定しないと成り立たない畿内説
そんな抽象的なこと言ったって、ただの悪口でしか無いんだが
九州説さんって、そういう自戒もできないの?

241:日本@名無史さん
22/08/21 13:56:17.64 .net
筑紫大和説の人はいわゆる九州王朝説の信奉者のようですね
しかし筑紫倭国につながる卑弥呼の時代をヤマト王権を仮冒する勢力というのはどうでしょうか
極めて特異な説を信奉して、かつまたその説に登場する人物に何の愛情もない
きわめて奇怪です

242:日本@名無史さん
22/08/21 13:58:42.70 .net
>>238
>神武は王都を捨てて都落ちしました
だから九州説さん、どんな神話の我流解釈聞かされたって誰も説得力感じないって
皇国主義を天皇家ディスる方向に恣意的にねじり書き換えただけの変種皇国史観だよね、九州説って

243:日本@名無史さん
22/08/21 14:01:33.61 .net
>>236
天孫族より前にスサノオ一族も日本各地に農業を広めたとありますから、天孫族が直接大陸から持ち込んだわけではないでしょう。
大国主の神奈月の祭りは、明らかに秋の稲の収穫を祝う新嘗祭の原型です。
ただ、畿内に関しては日本海沿岸より稲作の開始が遅れます。
筑紫に始まった弥生稲作文化が日本列島全体に広まるには、約200年かかっています。
前方後円墳は饒速日から始まる物部氏の墓制だとする意見がありますね。
特に饒速日が降臨した河内は大仙陵古墳など、巨大前方後円墳が集中します。
前方後円墳の起源は吉備など瀬戸内方面だとされますが、それも饒速日の足跡と一致します。

244:日本@名無史さん
22/08/21 14:02:40.59 .net
>>232
>すべて大和の神武を中心に考えるのが皇国史観です。
つまり神武なんてヒトコトも言ってない畿内説は
皇国史観とまったく関係ないよね

245:日本@名無史さん
22/08/21 14:03:11.26 .net
>>241
客観的に判断しているだけなので、愛情なんてありません。
でも中国の史書に基づくなら、他に考えようがない。

246:日本@名無史さん
22/08/21 14:05:12.82 .net
>>244
神武という単語を出さないだけで、畿内説が言っている中身は皇国史観そのものです。
ずっと昔から畿内ヤマト王権が列島を代表したいたとあうことですよね。
根拠ないですけど。

247:日本@名無史さん
22/08/21 14:05:53.64 .net
>>243
そんな九州説って、現実の歴史を無視した神話アテハメ遊びだな

248:日本@名無史さん
22/08/21 14:07:29.36 .net
>>246
じゃあ「すべて大和の神武を中心に考えるのが皇国史観です」
と言ってたのは嘘だったのか
嘘が多すぎるよ

249:日本@名無史さん
22/08/21 14:07:35.83 .net
范曄の解釈と思われる箇所
國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國
魏志倭人伝と異なる。

250:日本@名無史さん
22/08/21 14:07:50.55 .net
>>246
もう少し落ち着いてタイプするようにしてください。

251:日本@名無史さん
22/08/21 14:08:03.53 .net
>>242
筑紫がざわざわして落ち着かないので、王である立場を捨てて、遠い親戚である饒速日を頼って筑紫を出ていったんですよ。
ディスっているのではなく、普通はこれは都落ちですよ。
敗退を転戦と言い換えているのと同じです。
本来なら、王が都を出ないでしょ?

252:日本@名無史さん
22/08/21 14:09:57.48 .net
>>246
>畿内説が言っている中身は皇国史観そのものです。
どこがどう「皇国史観そのもの」なの?
理由無視で、ただ無理やりレッテル貼ってる様にしか見えない

253:日本@名無史さん
22/08/21 14:11:28.53 .net
>>252
ずっと昔から、ヤマト王権が列島の盟主であったと盲信しているところがです。

254:日本@名無史さん
22/08/21 14:11:50.45 .net
>>251
>筑紫がざわざわして落ち着かないので、王である立場を捨てて、遠い親戚である饒速日を頼って筑紫を出ていったんですよ。
>ディスっているのではなく、普通はこれは都落ちですよ。
それ、貴方の作ったお話じゃないか
ディスるための創作でしょ?

255:日本@名無史さん
22/08/21 14:11:58.61 .net
>>245
>卑弥呼の時代をヤマト王権の仮冒する勢力
というとき、奈良の大和王権が正統であり
卑弥呼や筑紫倭国は名称を詐称しているという意味です
これはあなたが言ったこと
あなたの価値判断が含まれています

256:日本@名無史さん
22/08/21 14:14:17.66 .net
>>249
そうですね。
魏志倭人伝だと伊都国、新唐書だと筑紫城に同様の記事がありますね。
中国側の理解では、呼称が時代により変化しているだけで、同じものを指しているのかもしれませんね。

257:日本@名無史さん
22/08/21 14:14:53.33 .net
>>253
>ずっと昔から、ヤマト王権が列島の盟主であったと盲信しているところがです。
それがなぜ皇国史観なの?
むしろいま教科書に載ってる普通の日本史でしょ
しかもしっかり考古学的根拠のある

258:日本@名無史さん
22/08/21 14:15:17.45 .net
>>254
記紀を読み直したらどうですか?
どこか間違えてますか?

259:日本@名無史さん
22/08/21 14:17:55.77 .net
>>255
仮冒発言は私ではありませんね。
私は筑紫が宗家という立場なので。
ただし筑紫の勢力も王統そのものはしばしば入れ替わったと思います。

260:日本@名無史さん
22/08/21 14:17:57.62 .net
>>258
全く反論できないんですか?

261:日本@名無史さん
22/08/21 14:18:33.84 .net
>>257
どのような考古学的根拠ですか?

262:日本@名無史さん
22/08/21 14:19:00.05 .net
>>258
間違えとかじゃなく、あなたの個人的な創作でしょ

263:日本@名無史さん
22/08/21 14:20:18.18 .net
考古学的には、弥生時代に最も発展していたのは筑紫。
弥生王墓が集中するのも筑紫。
そもそも稲作と銅鏡、銅矛による弥生文化の発祥の地が筑紫。

264:日本@名無史さん
22/08/21 14:20:49.99 .net
>>262
記紀に書いてありますよ?

265:日本@名無史さん
22/08/21 14:21:52.94 .net
>>259
信用できません
わたしはその点に何回も言及してきた
あなたは知らんぷりしてきただけです

266:日本@名無史さん
22/08/21 14:23:54.24 .net
>>259
その筑紫宗家の親玉は何という名前の人?

267:日本@名無史さん
22/08/21 14:23:55.01 .net
>>261
>どのような考古学的根拠ですか?
出現期の古墳は、多くは前方後円墳もしくは前方後方墳で、長い木棺を竪穴式石室に収めた埋葬施設や、多数の銅鏡をはじめとする呪術的な副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた。
それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは奈良県(大和)にみられ、この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。

268:日本@名無史さん
22/08/21 14:24:23.01 .net
>>256
狗奴国との関係
たんに属しないのみ。
これも三国志とは違う。
さて、内容の改変、編纂もある。
さてどっちらを真と見るか?

269:日本@名無史さん
22/08/21 14:29:42.95 .net
>>266
魏志倭人伝の時代なら、卑弥呼でしょう。

270:日本@名無史さん
22/08/21 14:31:09.73 .net
>>264
>記紀に書いてありますよ?
嘘でしょう
記紀
 征服戦争を始めたら出先で親類にも出会った。服属を受け容れた。
あなた
 筑紫がざわざわして落ち着かないので、王である立場を捨てて、遠い親戚である饒速日を頼って筑紫を出ていったんですよ。
 ディスっているのではなく、普通はこれは都落ちですよ。
日本歴史と関係なく、記紀を天皇家ディスりで恣意的に書き換えただけですよね

271:日本@名無史さん
22/08/21 14:34:09.55 .net
>>266
思い出しましたが、
あなたザラコクとか呼ばれていた人ですか
あんなにひどい議事妨害と言いますか悪戯をしておいて
よくまたスレに現れましたね
あなたの主張は荒唐無稽
あなたの人格は下劣そのものです

272:日本@名無史さん
22/08/21 14:34:14.41 .net
>>269
いや、神武がいやになって九州から出て行った後の筑紫宗家の親玉の名前

273:日本@名無史さん
22/08/21 14:34:51.86 .net
>>233
書いてあるから正しいはないな。
方向も違い狗奴国との争いは出てこない。

274:日本@名無史さん
22/08/21 14:34:56.53 .net
>>267
2段落目は主観的判断が混じっています。
3段落目については、その勢力が饒速日の一族だということです。
饒速日の拠点の一つが奈良盆地の中でも奈良県桜井市を中心とするエリアてあり、纒向遺跡もその中にあります。
実在性が高いとされる崇神天皇は母親が饒速日の末裔であり、宮も磯城纒向周辺、つまり今の桜井市にあったとされています。

275:日本@名無史さん
22/08/21 14:35:50.62 .net
纒向遺跡の建築
日本書紀をみると、王宮では崇神天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊代(みたましろ)を祭っていた。
天皇は御殿で「同床共殿(どうしょうきょうでん)」の祭祀(さいし)を行っていたが、神の霊威(れいい)を恐れて、宮内の大庭にホコラを建てて、大神(おおみかみ)のご神体である宝鏡をお納めした(神宮雑例集)。
これが建物Cである。
それでもまだ恐れ多いので、垂仁天皇の時代に伊勢に社を造り、宝鏡をお移しした。
それが伊勢神宮であり、建物Cの復元形態は神宮の正殿と極めてよく似ている。
神明造(しんめいづくり)の形が倉庫と近いのは、王宮における建物Cが宝庫だったことによるのである。
建物Dは正面の柱間数が偶数の四間であることが大きい特徴である。
出雲大社本殿も正面柱間数が偶数の二間である。偶数柱間だと正面中央に柱が来るから、王宮や寺社は奇数柱間が常識である。
だから偶数柱間の建物Dと出雲大社本殿は著しい類似性を持つといえる。
出雲大社本殿の建設は、古事記垂仁天皇の条に記述がある。皇子(おうじ)が出雲の大神のたたりで言葉を発しなかったが、大神に祈ったところ皇子が治癒した。
そこで大神のために天皇の御殿に似せて出雲大社を造ったというのである。建物の性格としても、両者はともに外から拝礼するのではなく、内部で祭りごとを行うので、偶数柱間で差し支えないのである。
纒向遺跡の建物Cは伊勢神宮の直接の起源であり、建物Dは出雲大社と関連が深いことがお分かりいただけただろうか。
黒田龍二
結論: 纒向遺跡は崇神天皇の磯城瑞籬宮。
本殿と拝殿の間の中庭に八咫鏡を納めていた倉があるのが特徴。

276:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>269
筑紫宗家の親玉とかは、記載はないので
ここは却下。
九州に卑弥呼はいる。
なので、近畿邪馬壹国にはいないのである。

277:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
卑弥呼の時代稲作は完全に全国に広まってるよ
東北でもやってるのにそれを根拠に九州っておかしいだろ

278:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>270
筑紫を出発する前から、饒速日の王国については知っていたとあります。
服属というのは日本書紀の価値観が入っています。
実際にはその後も物部氏が権力を掌握していたり、桜井市にある大神神社の三輪山の神が天皇家より強い立場で登場したりします。
そもそも戦った敵である長髄彦を倒したのは饒速日ですし。
饒速日は神武らの曽祖父である邇邇芸の兄にあたるため、立場的にも神武らより上になり得ます。

279:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>275
卑弥呼 九州における最大の支援者
奴国の女王。

卑奴母離から 考えられる
あくまで自説

280:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>275
その前に伊勢遺跡がある
起源はこっちだ

281:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>276
>九州に卑弥呼はいる。
>なので、近畿邪馬壹国にはいないのである。

九州説は正しい
なので畿内説は間違いだ
みたいな論理で、自分が馬鹿だと宣言してませんか?

282:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>281
ぜんぜん。

283:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>271

失礼な!
ザラコクは他の九州説とも対話が成り立たない、全方位攻撃をした人間です。
彼は知識のアップデートもしなかった。

284:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>282
じゃあどんな反論が成り立つんだ?
絶対なら掘り起こして来いバカ

285:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>281
九州説は間違い。
邪馬壹国がどこにあるかというと
近畿だな。

286:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>284
反論て?

287:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>278
>筑紫を出発する前から、饒速日の王国については知っていたとあります。
>服属というのは日本書紀の価値観が入っています。

筑紫がざわざわして落ち着かないので、王である立場を捨てて、遠い親戚である饒速日を頼って筑紫を出ていった
というのは、あなた個人の価値観による創作ですよね
ディスりたいがための

288:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>272

個人的には、神武からが出ていったのが倭国大乱で、それを治めるため筑紫で共立されたのが卑弥呼です。
ただ、伊都国の官である禰宜は、神武と近い別の邇邇芸の末裔かもしれないと思っています。
伊都の高祖宮は彦火火出見を祭りますが、彦火火出見は神武の祖父の名であるとともに、神武の名でもあります。

289:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>273

方角は概ね同じですね。
後漢の時代には狗奴国の存在は中国に知られていなかったから、狗奴国が書かれていなかったのは当然ですね。

290:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>274
>2段落目は主観的判断が混じっています。

どんな?
漠然と抽象的なこと言われても意味わからない

291:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>284
畿内説
紛争地域と狗奴国はどこか?
殺傷痕ある戦乱跡地をどうぞ
では聞く。

292:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>277

だれも卑弥呼が広めたなんて書いていませんよ?
意味不明です。

293:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>291
卑弥呼と卑弥弓呼の仲が悪いだけで戦乱など無い

294:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>280

そりやあ、纒向が崇神天皇一代の宮なら、そうでしょう。
誰も伊勢遺跡が先行することを否定していませんよ。
でも、伊勢遺跡から直接纒向遺跡に変遷するわけもないでしょう。

295:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>285
根拠は?

296:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>292
おまえ何言ってんだ?
稲作なんて何の関係もねえじゃん

297:日本@名無史さん
22/08/21 15:00:28.73 .net
>>290
「考えられる」って書いてありますよね。
そこは主観的判断なんですよ。

298:日本@名無史さん
22/08/21 15:01:06.75 .net
>>277
に文句言って下さい。

299:日本@名無史さん
22/08/21 15:02:07.88 .net
>>295
九州説は考古学的に無理だから

300:日本@名無史さん
22/08/21 15:02:37.40 .net
>>283
ザラコクではないと言い張る
では、あなたとザラコクの主張と異なる点はどこですか

301:日本@名無史さん
22/08/21 15:02:40.89 .net
>>298
>>263に文句言って下さい

302:日本@名無史さん
22/08/21 15:03:16.22 .net
>>300
もう彼の主張を忘れたので、わかりませんね。

303:日本@名無史さん
22/08/21 15:03:29.26 .net
>>293
卑弥呼亡き跡の争い。
卑弥呼以前の乱はどこ?

304:日本@名無史さん
22/08/21 15:03:34.11 .net
>>297
>「考えられる」って書いてありますよね。
>そこは主観的判断なんですよ。
客観的だってそう言うだろう

305:日本@名無史さん
22/08/21 15:05:06.02 .net
>>303
そんなの知らんよ
何故揉めたか規模もわからんし

306:日本@名無史さん
22/08/21 15:06:43.91 .net
>>274
それのどこが皇国史観?

307:日本@名無史さん
22/08/21 15:07:47.49 .net
>>288
糸島の高祖は、河邉里戸籍記載の宅蘇吉志の宅蘇、吉志は新羅の官位
お前の歴史観は日本史ではなくて朝鮮民族史

308:日本@名無史さん
22/08/21 15:07:57.82 .net
少し前まで、大河ドラマの登場人物がヒノモトという語を使うのが嫌いでした。
本当にそんな読み方してたのかと。
ただ、饒速日が日下において日本と命名したのが始まりだと知って、受け入れられるようになりました。

309:日本@名無史さん
22/08/21 15:08:14.08 .net
>>305
テンプレはハッタリでいいのか?

310:日本@名無史さん
22/08/21 15:08:54.16 .net
>>309
読んだことない

311:日本@名無史さん
22/08/21 15:10:54.82 .net
>>310
畿内説ではないの?
読めよ。

312:日本@名無史さん
22/08/21 15:11:54.23 .net
正直なところ、テンプレは不要だよな。
畿内説すら読まないなんて。

313:日本@名無史さん
22/08/21 15:12:23.16 .net
>>302
さきほどは、
>ザラコクは他の九州説とも対話が成り立たない、全方位攻撃をした人間です。
>彼は知識のアップデートもしなかった。
と息まいて見せたのに、「彼の主張は忘れた」ですか
では、どんな全方位攻撃をしたのか、どんな知識のアップデートをしなかったか
言ってみてください

314:日本@名無史さん
22/08/21 15:13:26.59 .net
>>313
過去スレを読んでね。

315:日本@名無史さん
22/08/21 15:13:47.09 .net
>>312
畿内説に聞いているのだ。
畿内説の通説もわからんて事でいいのか

316:日本@名無史さん
22/08/21 15:16:43.01 .net
>>315
あんな長いもん読んでられるか
何が通説だ!

317:日本@名無史さん
22/08/21 15:17:56.91 .net
>>314
過去スレにあると知っているということは、忘れていないということ
なぜさっき発言したことについての質問に答えない
君の発言の信ぴょう性はゼロ
もちろんザラコクでないというのもウソ

318:日本@名無史さん
22/08/21 15:19:08.77 .net
ではあなたがキナイコシなのか?

319:日本@名無史さん
22/08/21 15:19:43.76 .net
>>316
畿内説もいろいろだな。
魏志倭人伝読んだら?

320:日本@名無史さん
22/08/21 15:20:22.50 .net
ザラゴキは加古川、伊都チョンボは大阪だな

321:日本@名無史さん
22/08/21 15:21:50.78 .net
>>318
どうしてそんな質問が出るか不思議だが
わたしはキナイコシなどではない

322:日本@名無史さん
22/08/21 15:22:14.22 .net
>>319
魏志倭人伝は読んでもわからないことは陳寿は意図して書かない
それを理解した上で解釈しろ

323:日本@名無史さん
22/08/21 15:22:53.23 .net
>>319
畿内説はそういうのが多い。
弱い所になると知らないとかだよ。

324:日本@名無史さん
22/08/21 15:26:12.15 .net
>>322
なんだ。レス違いでは?

325:日本@名無史さん
22/08/21 15:26:58.27 .net
一人一九州説はもともと何も知らない

326:日本@名無史さん
22/08/21 15:27:01.22 .net
陳寿は間違うことはある
でも意図的に理解出来ない事を書くなんてあり得ない

327:日本@名無史さん
22/08/21 15:28:36.95 .net
>>324
それをわかった上でお互いに魏志倭人伝を読めば良いじゃん

328:日本@名無史さん
22/08/21 15:30:59.70 .net
東夷伝の序文から読まないと解らない

329:日本@名無史さん
22/08/21 15:31:17.35 .net
>>327
読んだ結果だから
邪馬壹国は近畿
卑弥呼は九州。

330:日本@名無史さん
22/08/21 15:31:35.18 .net
>>312
畿内説でないから読んでないんだろ

331:日本@名無史さん
22/08/21 15:32:50.32 .net
>>330
だから伊勢遺跡説だって

332:日本@名無史さん
22/08/21 15:37:19.92 .net
伊勢遺跡は卑弥呼の前の時代の遺跡

333:日本@名無史さん
22/08/21 15:37:23.35 .net
>>297
>「考えられる」って書いてありますよね。
>そこは主観的判断なんですよ。
じゃ、今後貴方が「考えられる」って書いたら
「主観的判断だあ」の一言で完全否定できるのね?

334:日本@名無史さん
22/08/21 15:38:44.69 .net
>>332
でも卑弥呼は居た
まあ伊勢遺跡から他に移転したんだと思ってるけど

335:日本@名無史さん
22/08/21 15:42:49.09 .net
あれ、痛切畿内説から
乱について書き込みないな。

336:日本@名無史さん
22/08/21 15:46:17.13 .net
ヤマト説ね
他の畿内は邪馬台国ではないからね
女王国ですらないかもね

337:日本@名無史さん
22/08/21 15:47:18.41 .net
>>334
1-2世紀だからいない

338:日本@名無史さん
22/08/21 15:50:09.90 .net
みんな不弥国の後に投馬国邪馬台国があると思ったでしょう?
でも実は実は伊都国からでしたとか帯方郡からでしたとかあり得ないから
あるとしたら陳寿が間違ってるんだよ

339:日本@名無史さん
22/08/21 15:51:48.16 .net
>>335
なんか質問したのか?
よかったら俺が答えるぞ

340:日本@名無史さん
22/08/21 15:51:49.89 .net
>>337
1世紀後半から2世紀後半の百年ほど

341:日本@名無史さん
22/08/21 15:53:32.40 .net
>>338
要する邪馬壹国は九州にはないて事だな

342:日本@名無史さん
22/08/21 15:56:49.71 .net
>>339
倭国の乱、狗奴国の位置とか
殺傷痕とか?戦乱跡の遺跡を挙げて下さい

343:日本@名無史さん
22/08/21 15:57:34.65 .net
>>327
畿内説は魏志倭人伝を読まないんだよ。
魏志倭人伝と関係なく、僕が考えたさいきょうの邪馬台国を説明するばかり。

344:日本@名無史さん
22/08/21 15:59:25.40 .net
九州北部では、矢が刺さった遺体や首が落とされてない遺体が出る。

345:日本@名無史さん
22/08/21 15:59:51.92 .net
>>343
お互いに読み直せば良いじゃん
>>338みたいのに気を付けてね

346:日本@名無史さん
22/08/21 16:00:43.66 .net
魏志倭人伝を素直に解釈すると畿内説になる
九州説はそれが理解できないから畿内説は倭人伝を読んでいないということにしたがる

347:日本@名無史さん
22/08/21 16:00:55.81 .net
>>344
鉄鏃も多く出る。
邪馬壹国近畿説では、九州と見る。

348:日本@名無史さん
22/08/21 16:03:09.21 .net
>>344
近畿でも損傷した遺骨は出てるし鳥取の青谷上寺地遺跡は有名だけど
それでも数が極端に少ない

349:日本@名無史さん
22/08/21 16:03:41.16 .net
卑弥呼が共立されると何故、おさまる?
武力か?

350:日本@名無史さん
22/08/21 16:07:18.52 .net
>>344
甕棺時代な、そしてど没落した

351:日本@名無史さん
22/08/21 16:07:56.88 .net
>>343
>畿内説は魏志倭人伝を読まないんだよ。
そうやって根拠のない誹謗に走るからっ九州説がナメられる

352:日本@名無史さん
22/08/21 16:08:53.97 .net
>>344
>九州北部では、矢が刺さった遺体や首が落とされてない遺体が出る。
かなり時代が違うけどな

353:日本@名無史さん
22/08/21 16:10:00.65 .net
>>349
高齢で未婚、つまり子供ができる見込みが少ない
王統の独占に繋がらない

354:日本@名無史さん
22/08/21 16:18:42.38 .net
>>353
だよね。
で何故、おさまる。

355:日本@名無史さん
22/08/21 16:18:52.42 .net
>>349
象徴

356:日本@名無史さん
22/08/21 16:19:38.01 .net
>>352
どう時代が違うのですか?

357:日本@名無史さん
22/08/21 16:19:56.09 .net
>>353
なるほど

358:日本@名無史さん
22/08/21 16:20:54.54 .net
>>355
誰が決めた?
どういうのがきっかけで?

359:日本@名無史さん
22/08/21 16:22:55.19 .net
>>342
>倭国の乱、狗奴国の位置とか
>殺傷痕とか?戦乱跡の遺跡を挙げて下さい
倭国の乱はテンプレの3あたりで「最終的には2世紀末の大乱期、中国製威信財入手ルートの途絶を以て、この列島における旧世界の秩序は崩壊した」
とある
具体的な戦闘でなく、社会的緊張の高まりと見ているようだ
地域を越えた戦争はなかったという学者の通説に従っているのだろう
>狗奴国の位置とか
FAQ9
東山道勢力が本命で南九州が次点みたいな捉え方
>殺傷痕とか?戦乱跡の遺跡を挙げて下さい
これは1には興味がないらしい
俺が知ってるのは青谷上寺地くらい

360:日本@名無史さん
22/08/21 16:31:52.30 .net
>>359
見ているようだなんで
推測という事でいい。

361:日本@名無史さん
22/08/21 16:51:51.78 .net
なるほど
天皇でも九州へ行ったわね。
都は留守。
絶対にうごかないてことはない。
辞書での固定観念

362:日本@名無史さん
22/08/21 17:01:09.07 .net
>>361
サンキュー 理解してくれて
邪馬壹国近畿説。
出かけるので後でね

363:日本@名無史さん
22/08/21 17:01:18.36 .net
>>354
倭人伝に収まったと書いてあるんだから、理由は推測するしか無いだろう
卑弥呼の権威で誰かが調停したと、だ

364:日本@名無史さん
22/08/21 17:12:52.56 .net
>>359
地域を超えた先頭がなかったなら王国内の内輪揉めだと思うけど、卑弥呼の直前の後漢の頃には、倭奴国だの倭王帥升だの、九州北部の話ばかりで倭とは九州北部のことなのに、なぜ急に邪馬台国は畿内などと領度が拡大して首都が移転したことになるのか?

365:日本@名無史さん
22/08/21 17:13:08.99 .net
先頭ではなく戦闘

366:日本@名無史さん
22/08/21 17:16:02.90 .net
>>364
それもテンプレに書いてるの?

367:日本@名無史さん
22/08/21 17:18:26.44 .net
後漢書の段階では、倭について、惣領であった倭奴国についての情報はなかった。
魏志では、伊都国まで行った郡使により、そこから先の情報も入るようになった。
しかし、郡使が滞在していたことから考えるに、伊都が王都であったのだろう。
代々の王は伊都にいたとも書かれているので、あとは倭奴国から伊都国にいつ移動したのかとか、倭奴国と伊都国の異同はとかが問題なだけだと思う。
魏志倭人伝の段階で畿内をねじ込む余地はないだろう。

368:日本@名無史さん
22/08/21 17:29:36.16 .net
伊都は異民族の属国

369:日本@名無史さん
22/08/21 17:29:38.01 .net
倭奴国=伊都国は通説だろ

370:日本@名無史さん
22/08/21 17:38:58.16 .net
魏志倭人伝に邪馬台国で振舞われた料理の記述があったら良かったのにね
(´・ω・`)

371:日本@名無史さん
22/08/21 17:44:28.30 .net
後漢時代の福岡平野を中心とした倭奴国が畿内を中心とした女王国連合に編入され、
元々朝鮮半島南西部の支石墓圏だった糸島は異人の国として残されたのだろう
その西の末盧国の津は使えるが官=王は倭国に編入されていなかった
その他の支石墓圏の有明海沿岸はまだ必要なかったので除外されたということだろうな

372:日本@名無史さん
22/08/21 17:46:12.34 .net
>>370
ありますよ?

373:日本@名無史さん
22/08/21 17:47:29.63 .net
え?豚骨ラーメンとか?

374:日本@名無史さん
22/08/21 17:51:03.69 .net
>>371
逆でしょう。
半島西南部の支石墓地域が、狗邪韓国など倭人の領域だったのでしょう。
後に前方後円墳も半島の一部に作られますし。

375:日本@名無史さん
22/08/21 17:54:52.60 .net
>>374
栄山江流域に前方後円墳が造られるのは5世紀後半
筑後に大型前方後円墳が造られるのも5世紀後半

376:日本@名無史さん
22/08/21 17:58:43.80 .net
魚やアワビを好んで捕り、水の深浅にかかわらず、皆、潜ってこれを取っている。
食飲には、竹を編んだ高坏、木をくりぬいた高坏を用い、手づかみで食べる。
ショウガや橘、山椒、ミョウガなどがあるが、それを使って、うまみを出すことを知らない。アカゲザルや黒キジがいる。
人は酒を好む性質がある。
魏志倭人伝

377:日本@名無史さん
22/08/21 18:01:16.80 .net
>>375
ちゃんと、後にと書いておきましたよ。
つまり、支石墓は倭国の文化だということです。
後漢書でも魏志倭人伝でも、半島南岸に倭人がいたことがわかります。
支石墓の分布は、後漢書の倭国の定義と近いです。

378:日本@名無史さん
22/08/21 18:03:44.26 .net
記紀でも魚や鮑を献上する話などが出てくるので、基本的には海に囲まれた海洋国なんですよ。
海なし県の奈良でさえ、魚を運んできて食べていたみたいですから。

379:日本@名無史さん
22/08/21 18:06:30.64 .net
三種の神器だらけの糸島は、まさに倭国文化の中枢だったでしょう。
郡使が饗応されたのも伊都国と書かれています。
後の筑紫館や鴻臚館の原形が伊都にあったことがわかります。

380:日本@名無史さん
22/08/21 18:07:53.87 .net
九州から使者が出ていないなら
魏志倭人伝でト骨。
有明あるな。

381:日本@名無史さん
22/08/21 18:08:18.99 .net
>>375
筑後山門に畿内の影響が及ぶのは5世紀ということですね。

382:日本@名無史さん
22/08/21 18:17:46.42 .net
>>380
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
吉野ヶ里から畿内系も出土。

383:日本@名無史さん
22/08/21 18:20:14.76 .net
URLリンク(yasugawa-iseki.yayoiken.jp)
このサイトでは近江商人として出て行った事になってるけど逆に集まってたかも知れない
そもそも場所が近江商人とは違う

384:日本@名無史さん
22/08/21 18:21:18.59 .net
>>380
具体的に滋賀、琵琶湖だな

385:日本@名無史さん
22/08/21 18:27:54.33 .net
>>384
案外、伊勢遺跡近辺
ありだな。
邪馬壹国近畿説

386:日本@名無史さん
22/08/21 18:30:45.42 .net
>>377
支石墓は朝鮮半島北部から南部に伝播し、
朝鮮半島南西部に数万基ある朝鮮半島の文化
福岡平野、壱岐対馬にはない

387:日本@名無史さん
22/08/21 18:36:37.59 .net
三種の神器を異人の文化みたいに貶したらあかんだろ

388:日本@名無史さん
22/08/21 18:41:23.28 .net
>>387
弥生のヒット商品であって、そのセット自体には余り意味はない
意味を与えたのは後世の人

389:日本@名無史さん
22/08/21 18:45:04.87 .net
>>382
畿内だけクローズアップする表現はおかしいですね。
滋賀県や岡山県からの土器が判明したという記事なのに。
その他に博多や朝鮮半島からのものもあったとありますね。
畿内説が纒向纒向言うのは、纒向に各地からの土器があったからでしたよね。
同じことは吉野ヶ里には言わないのですか?
博多にも糸島にも、西日本各地からの産物や朝鮮半島、糸島に至っては大陸からのものも多数あります。
纒向に対してと扱いがダブルスタンダードではありませんか?

390:日本@名無史さん
22/08/21 18:49:05.15 .net
>>381
この人がいつも唐突に呟く結論は、他人にまったく脈絡がわからない

391:日本@名無史さん
22/08/21 18:50:24.27 .net
>>389
>同じことは吉野ヶ里には言わないのですか?
言わないよ
割合が低いもの

392:日本@名無史さん
22/08/21 18:51:52.70 .net
>>388
威信財として特定の階層しか持てなかったものなので、ヒット商品とは違いますね。
しかも福岡平野と糸島から大量に見つかる他は、吉野ヶ里など特定の場所からしか見つかりません。
後世において皇位の象徴とされますが、弥生時代においても王家の象徴であったでしょう。
日本書紀でも、天皇でもないのに三種の神器を持つ権力者が筑紫において登場します。
日本書紀の記事からも、筑紫の王墓に見られる三種の神器が威信財であったことは間違いありません。
それはほとんどの学者が一致しているところです。
あなたのようなものの言いようが、第三者から見て畿内説の信頼性を貶めているのですよ。
庄内土器みたいなのがヒット商品でしょう。
それが各地で見つかっても、畿内の影響とは言えません。

393:日本@名無史さん
22/08/21 18:52:37.81 .net
神器は日本神話で神から受け受け継いだ宝器なので
朝鮮の剣や鏡は日本では神器ではない

394:日本@名無史さん
22/08/21 18:54:08.42 .net
>>389
なんで?畿内も近畿も一部

395:日本@名無史さん
22/08/21 18:55:27.87 .net
さん

396:日本@名無史さん
22/08/21 18:55:31.98 .net
>>374
>逆でしょう。
>半島西南部の支石墓地域が、狗邪韓国など倭人の領域だったのでしょう。
常に世間と逆を語る逆張りマンって、世間は当然受け入れないと思うけど
だって理由を言わないんだもん

397:日本@名無史さん
22/08/21 18:57:17.70 .net
>>392
>威信財として特定の階層しか持てなかったものなので、ヒット商品とは違いますね。
村長クラスでも持ってるぞ

398:日本@名無史さん
22/08/21 18:59:25.49 .net
>>379
>郡使が饗応されたのも伊都国と書かれています。
いや、書かれてないし
書かれてるなら引用プリーズ
できなきゃあまた嘘書いたってこと

399:日本@名無史さん
22/08/21 19:02:33.17 .net
鏡も剣も勾玉も貴重なものではあっただろうが数はかなりあるからなあ

400:日本@名無史さん
22/08/21 19:02:51.04 .net
三種神器
前方後円墳の派生は九州と推測
邪馬壹国近畿説


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