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【平原遺跡の副葬品】
平原の管玉と同類のものは、日本からは出土せず、
韓国の江原道東海市松亭洞一号住居跡や慶尚南道金海郡良洞里三四号木椰墓から多量に出土していて、
時期は、共伴している土器や鉄器から3世紀前半から4世紀と考えられている
耳璫は漢末六朝初期(2世紀末~3世紀)に流行した形状である。
金層ガラスを用いて作られているが、国内のその他の金層ガラスは4世紀以降の出土例しかない。
副葬品に武具がほとんどなく宝飾品が大量にあったことから被葬者は女性であったと考えられる。
世界最大の銅鏡である八咫鏡は国産品であり、後漢滅亡後の卑弥呼の治世に製作された。
これらに五尺刀を加えて三種の神器の様式を整えてあったことから、被葬者は倭王であった。
結論
平原遺跡は後漢滅亡後の3世紀頃に作られた倭国の女王墓である。
その年代の倭国女王は卑弥呼と壹與しかいない。