邪馬台国畿内説 Part804at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part804 - 暇つぶし2ch791:神様
22/08/20 12:31:26.98 .net
◆6 邪馬台国連合の衰退
316年西晋が滅亡。翌317年に東晋が成立するが、江南の地に再建されたため、邪馬台国連合は朝鮮半島における鉄器調達の既得権益を失い、衰退へむかう。
これに対して、畿内王朝は越前を経由して朝鮮半島、大陸から鉄器を入手する交易ルートを確立し相対的に軍事力を向上させ、
越前出身の継体天皇の即位(507年頃)により確固たる地位を築いたものと考えられる。
なお、後漢書東夷伝には
女王国自り東のかた海を度ること千余里にして狗奴国に至る。皆倭種なりと雖も女王に属せず
との記載があるが、この記述は魏志倭人伝にある
其の南には狗奴国有り。男子を王と為す。其の官には狗古智水卑狗有り、女王に属せず
の記述と方角が一致しない。
方角の不一致については三国志の成立が後漢書よりも百年以上早いと考えられていることから、三国志成立後の日本列島内での政治状況の変化を反映したものであり、
畿内王朝が邪馬台国連合を征服する前に狗奴国を征服していたことによるものであろう。
なお、邪馬台国連合の滅亡後も旧連合諸国の中には朝廷に従おうとしない者が一定数存在し、その者たちによって起こされた反乱の一つが日本書紀にある磐井の乱(527年)である。


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