邪馬台国畿内説 Part803at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part803 - 暇つぶし2ch984:日本@名無史さん
22/08/18 21:56:28.46 .net
伊都国の郡使についての話題がありました
「(伊都国は)郡の使者が往来し、常に駐在するところ」という文言があります
駐するは、英語で言えばstationの意味合いだと思います
郡の使者は伊都国まで定期的に往来し、そこに滞在している
出先機関の事務所のようなものがあったのだと想像します
派遣された使者は一定の期間滞在し、任地を離れるときには次の使者と交代する
なぜそんな機関が設けられたのかについては、私の想像ですが、当時の中国の人々の中華思想に基づいた行動のように思えます
東夷と呼ぶ国から頼られたからにはそれなりの援助をすべきという考えだったのでしょう
正始元年の詔書・印綬を届けた使者は伊都国駐在の使者とは違い特別の使者だったでしょう
贈り物を運ぶ役人もそれなりの人数だったと思います
彼らは奈良にあった卑弥呼の宮殿まで詣でて、そこで皇帝からの文書・贈り物を届けました
卑弥呼は使いの人に皇帝への感謝の手紙を手渡します
このあたりの部分には倭国内での文字の使用に関する文言があります
難升米と牛利に付託した贈り物については「記録して受け取り、国中の人に示す」ことを求めていました
三国志の時代は内戦が続き、自然災害や疫病などにより中国の人口が大幅に減少した時代です
そういう自国の困難な時代に、我が国に親身になって援助しようとしたことは忘れるべきではないと思います


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