22/08/17 16:09:57.03 .net
>>286
纒向遺跡への搬入土器(全体の15%)の出身地割合
伊勢・尾張系 : 49%
北陸・山陰系 : 17%
河内系 : 10%
吉備系 : 7%
近江系 : 5%
関東系 : 5%
播磨系 : 3%
西部瀬戸内海系 : 3%
纒向には魏の使いが滞在していた筑紫からの搬入物がない。
邪馬台国が交流していたはずの楽浪・帯方郡からの土器も出ない(四捨五入で1%に満たない)。
目と鼻の先の河内との交流も乏しく、畿内の他の地域のような瀬戸内海や淀川の水運の利益を受けられない、尾張の影響下の後進地域であった。
河内が狗奴国とする説もあるが、その場合、纒向は半島大陸への玄関口である筑紫へのアクセスルートがなくなり、魏と交流できた可能性は低い。
畿内説が言うように東海地方が狗奴国なら、纒向への土器の流入を説明できない。
尾張氏は饒速日の末裔であり、記紀では大和も饒速日の支配下であったとされる。
邪馬台国とは関係ない。