邪馬台国畿内説 Part802at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part802 - 暇つぶし2ch500:日本@名無史さん
22/08/15 20:17:51.18 .net
>難升米が物部氏のご先祖とか?
難升米は中臣じゃないかな。

501:日本@名無史さん
22/08/15 20:19:16.45 .net
>>436
他に呼びようがないから物部氏と呼んでいるけれど、祖である饒速日は天孫ニニギの兄であり、アマテラスの孫です。
神武よりずっと年上ですよ。
物部氏は最古の氏族の一つです。

502:日本@名無史さん
22/08/15 20:19:17.38 .net
>>483
>難升米は中臣じゃないかな。
だから、物部も中臣も「倭人(阿波勢力)」  だと何度言えばw   @阿波

503:日本@名無史さん
22/08/15 20:20:53.25 .net
>>484
だから、物部氏も祖である饒速日も天孫ニニギもアマテラスも
みんな、「倭人(阿波勢力)」  だと何度言えばw   @阿波

504:日本@名無史さん
22/08/15 20:22:04.71 .net
>祖である饒速日は天孫ニニギの兄であり、アマテラスの孫です。
はいはい、何言ってるんだ、逝ってよし。

505:日本@名無史さん
22/08/15 20:22:47.85 .net
阿波はどう考えても伊邪国やで?

506:日本@名無史さん
22/08/15 20:23:02.74 .net
「天皇家」も「蘇我氏」も「物部氏」も「中臣氏」も「葛城氏」も「大伴氏」も、
平安時代の『新撰姓氏録』編纂以前は全部、「仮称忌部一族(阿波勢力)」。   
みんな元を辿れば全部、「仮称忌部一族(阿波勢力)」=「倭人」。   
ここでいう「仮称忌部一族(阿波勢力)」とは、衰退した平安時代の
『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
倭人とは「仮称忌部一族(阿波勢力)」(広義の忌部氏)であり、
全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
「仮称忌部一族(阿波勢力)」の一派、忌部(斎部)氏は、
物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。   @阿波

507:日本@名無史さん
22/08/15 20:24:56.20 .net
「仮称忌部一族(阿波勢力)各豪族の想定本貫地」   @阿波
三輪氏=徳島市国府町「大御和神社」周辺地域
葛城氏=鳴門市北灘町「葛城神社」周辺地域
賀茂氏=旧美馬郡三加茂町「鴨神社」周辺地域
物部氏=旧麻植郡山崎「忌部神社」周辺地域
中臣氏=板野郡板野町中富周辺地域  
蘇我氏=石井町「曽我氏神社古墳群」周辺地域   

508:日本@名無史さん
22/08/15 20:26:23.13 .net
>>447
その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
大神神社はまさに物部氏の地盤に位置しています。
大物主が年代を超えて登場するので、世襲された呼称だったのかもしれません。
天照や彦火火出見も世襲されていますから。

509:日本@名無史さん
22/08/15 20:28:34.18 .net
>>491
根拠ないし

510:日本@名無史さん
22/08/15 20:29:44.38 .net
>>491
>その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
閑古鳥の大物主バカよ。
だから、物部氏も饒速日も「倭人(阿波勢力)」ってことだ。  分かった?  わははははは   @阿波

511:日本@名無史さん
22/08/15 20:30:04.61 .net
>>484
だから、その証拠は?

512:日本@名無史さん
22/08/15 20:33:25.77 .net
なんでも阿波男と誰でも物部男は同類だな

513:日本@名無史さん
22/08/15 20:34:35.25 .net
アマテラスも同じだ
そんなの居ねえ

514:日本@名無史さん
22/08/15 20:37:26.13 .net
>>491
>その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
ぜんぜん違う。
スサノオから神武時代の事代主、そして最後の阿田賀田須まで続く系譜が大物主。
物部は全然違う。
前者の大物主は銅鐸祭祀の一族、
後者の物部は前方後円墳と鏡祭祀の一族。
歴史を勝手に創作するな。

515:日本@名無史さん
22/08/15 20:39:32.65 .net
>>493
>その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
大物主が物部の末裔?はぁ?アホか? @某1

516:日本@名無史さん
22/08/15 20:47:22.62 .net
>>497
>歴史を勝手に創作するな。
おまいう

517:日本@名無史さん
22/08/15 20:47:44.01 .net
>>493
スサノオの子にして稲荷神の兄神である大年神は
父、スサノオが御室山(みむろ)の磐座に御鎮座なさいました事に因み
倭で最も美しい東の山を御諸山(みもろ)と名付け御鎮座なさいました。
大年神は大物主(事代主)と呼ばれ、神話では、大国主という別名が与えられた神です。
なんでまだ、物部が存在しない時代に大物主がその末裔になるの?
長髄彦は飛鳥大神(事代主)の子で、妹と饒速日の子が物部の始祖ですが?
後付け設定の天物部集団とかそう言う事?

518:日本@名無史さん
22/08/15 20:48:08.69 .net
>>451
ちらっと読みましたが、嘘だらけのひどいページですね。
土木用の用具が多いのは、都市を作るためではなく、古墳を作るためですよ。
各地の土器が出ると書かれていますが、実際には大半が尾張東海のものです。
博多の方がよほと広域の文物が集まっていたし、何より土木工事が盛んだったわりには、便利な金属器が皆無。
金属器工業で栄えていた筑紫の恩恵をまったく受けられなかった可哀想な土地だということがわかります。
畿内が博多に影響を与えたどころか、博多に全てを貢いでいただけの植民地ですよ。

519:日本@名無史さん
22/08/15 20:48:50.60 .net
>>454
それ、前方後円墳の成立過程と一致しませんか?

520:日本@名無史さん
22/08/15 20:49:09.43 .net
@某1って何だよW

521:日本@名無史さん
22/08/15 20:50:56.19 .net
>>499
何言ってるんだ、スサノオの系譜は地祇本紀に書かれてるだろ。
勝手に創作するな。

522:日本@名無史さん
22/08/15 20:52:08.56 .net
>長髄彦は飛鳥大神(事代主)の子で、妹と饒速日の子が物部の始祖ですが?

逝ってよし

523:日本@名無史さん
22/08/15 20:52:50.95 .net
>>502
そうだよ。

524:日本@名無史さん
22/08/15 20:53:09.47 .net
>>500
それらの神々すべてが「倭人(阿波勢力)」であり、
記紀神話がすべて「阿波」で起こった物語だということ。   @阿波

525:日本@名無史さん
22/08/15 20:54:29.13 .net
>>457
それは古墳作りのために荒廃したのですよ。
建物がなくて墓ばかり。
しかも工人には金属器が与えられずに木製器で大規模工事を強いられていたわけです。
湿地は干上がり、山は丸坊主になった。
そんな搾取されるだけの土地が奈良盆地でした。
富は全て筑紫に集まっていました。
平原遺跡のガラス製品は、遠くペルシアから運ばれたものでした。
奈良には、何もない。

526:日本@名無史さん
22/08/15 20:54:44.83 .net
>>502
>それ、前方後円墳の成立過程と一致しませんか?
そりゃ、「前方後円墳」は、「倭人(阿波勢力)」の進出痕跡だから。   @阿波

527:日本@名無史さん
22/08/15 20:55:24.27 .net
>>464
その特定の職能とは、何ですか?

528:日本@名無史さん
22/08/15 20:56:54.89 .net
物部はとりあえず吉備から。
双方中円墳が吉備から纏向に来ている。
吉備では楯築遺跡、纏向では櫛山古墳な。
こんなの偶然ではない。

529:日本@名無史さん
22/08/15 21:00:09.71 .net
>>511
>こんなの偶然ではない。
そりゃ、吉備も纏向も「倭人(阿波勢力)」なんだから当たり前。   @阿波

530:日本@名無史さん
22/08/15 21:02:24.61 .net
>>508
平原遺跡のガラス製品はモンゴルやカザフスタンのものと成分がほぼ同じだから
盗んだ物だろうね

531:日本@名無史さん
22/08/15 21:02:52.01 .net
>>505
丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には、物部の祖・饒速日命の子のウマシマチの右註に「母飛鳥大神之女登美夜毘売」と記される。当然、兄の長髄彦も事代主神(飛鳥大神)の子で、磯城の三輪氏一族の族長だったということ。

532:日本@名無史さん
22/08/15 21:04:01.81 .net
>>470
三種の神器を副葬された、歴代倭王の墓がいくつもあるし、怡土の地名は今日まで続いているからです。
壱岐や対馬が魏志倭人伝の頃も今もその名であるように、伊都は怡土の表記でその名で呼ばれ続けていました。
奈良時代より前からあった怡土郡と志摩郡が合併して糸島郡になったのは、実に明治29年です。

533:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>509
ちょいと質問があります。
四国の地図見てたら
1 徳島市の南に、阿南市がありますが阿北はありますか?
2 阿の地名はありますか?
以上2つ

534:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>515
地名はいいけど王は何処に住んでたのよ?

535:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>516
阿呆

536:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>472

むしろ、源平や藤原みたいな拡散を見せた最初の有力氏族ですね。
個人的には、なんで筑紫にまでいるんだって思いますけど。
ても、これが前方後円墳を博多に持ち込んだ一族でもあるのでしょう。

537:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>515
>三種の神器を副葬された、歴代倭王の墓がいくつもあるし

歴代倭王だとか決めつける理由は?

538:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>481

物部氏の祖先は、アマテラスの孫である天孫饒速日ですよ。
これは、異なる出典を持つ古事記、日本書紀、先代旧事本紀の全てにほぼ共通しています。

539:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
前方後円墳が物部の墓で、大王は斜面の雑木林に遺棄するということはない

540:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>519
それ、ぜんぜん根拠ないでしょ

541:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>483

中臣氏の祖先は天児屋根命です。

542:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
五十迹手、宅蘇�


543:g士 糸島はずっと朝鮮からの渡来人が住んだところだよ



544:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>487

アマテラスって、実は倭王の称号なんですよ。
照らすとは支配する意味です。
猿田彦が陸海を照らす神として登場したりします。
アマが天ではなく、海のこと解釈すれば、海を支配した王が天照です。
天照が陸の王であった大国主を倒し、畿内に降臨させたのが饒速日とさらています。
饒速日の称号は、先代旧事本紀では天照国照となっています。
陸海統一王といった意味でしょうか。
饒速日は先代旧事本紀では明らかに大王のような扱いです。
ただ、大王という称号は天皇家のイメージになってしまう。
かといって、畿内にいたのでは、倭王として漢や魏から冊封されない。
饒速日は天照国照としか呼びようがない。

545:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>492
根拠を示したのに、あなたに理解力がないだけ

546:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>494
記紀でも先代旧事本紀でも読んでください。
ちゃんと書いてあります。
内容への文句は、それらの編者までどうぞ。

547:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
じゃ海照国照と書かないとダメだろ

548:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>496

古代の倭王の称号だったのですよ。
その末裔とされる一族が今でも皇居にいるのです。
必ず先祖がいたはずです。
ヒトは空気から自然発生したりしないのですよ?

549:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
ヒトの先祖は猿

550:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>521
それらが書かれた頃の豪族の序列で決まってるんだよ
世間的にな

551:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>522
高さが違う。
一方は平地の糞立地にある糞みたいな前方後円墳。
俺が言うのは標高435Mの高天原。

被葬者が眠る位置によって地位は決まるのだよW

552:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>500

自分の書き込みをよく読み返したらどうでしょう。
事代主の末裔が物部氏ですよね。
大物主の名が世襲されれば、同じことです。
まさか、崇神天皇の時代の大物主と、アマテラスの時代の事代主こと大物主が同じ人物だなんて考えていませんよね?
何世代も超えて同じ名前が出てくるのは、大山祇や、饒速日自身もそうです。
これは世襲された称号があったからです。
天照大神の孫の饒速日も、天照国照と呼ばれています。
神武天皇も、祖父と同じ彦火火出見の名を持ちます。
ちみに彦火火出見は、伊都の高祖宮の祭神なんですけどね。

553:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>514
>丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には

そんなのいいからW
本上まなみの話をしろW

554:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>508
奈良に何にもないけど巨大な古墳ができる
邪馬台国の一部だろうな。
近畿一帯が邪馬台国。
7万戸は見積。官4名いるが副がいない。
復興地、開拓地、宗教地と推測。

555:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>516
>1 徳島市の南に、阿南市がありますが阿北はありますか?

徳島県北部を阿北という。


>2 阿の地名はありますか?

阿波市阿波町   @阿波

556:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>530
皇居に居る人と血筋がつながってるか途切れてるかそんなの知らねえ

557:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>514
その長髄彦が主君として祭り上げていたのが饒速日です。
長髄彦が倒された後、その地盤をトビヤヒメが継承したなら、最終的にはウマシマジから物部氏に継承されます。

558:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>537
>徳島県北部を阿北という

その西の方が阿北西

559:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>539
だから、そんな氏族がいたって証拠は?

560:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>534
崇神天皇の時代の大物主は、まさに現代で言う(人間ではない)神。
崇神天皇への大物主の祟りは三輪氏族の反抗。
百襲姫との神婚譚は多くの風土記にもある、正に神話の部分。
【大物主の名は世襲などされない】

561:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>517

> >>515
> 地名はいいけど王は何処に住んでたのよ?

高祖宮じゃないですか?
だだ、今の場所とは違うらしいし、遺構は見つかっていないと思います。
後に怡土城という山城にもなるので、当時も山上にあったかもしれません。
ちなみに、高祖山の南側、日向峠のすぐ上の峰をクシフル山と呼ぶらしいですよ。
筑紫の日向のクシフル峰の高千穂宮って、記紀にありましたよね。

562:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>533

縄文時代のほうが高い
大和平野に前方後円墳が造られ続けてる時代にずっと斜面の雑木林に遺棄してたのか

563:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>520

墓から三種の神器が出るからです。
倭奴国王印ご出た志賀島も目の前です。

564:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>540
>その西の方が阿北西

違う。  「西阿」だ。 旧の西阿四郡(阿波・麻植・美馬・三好)。   @阿波

565:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>543

つまり根拠がない

566:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
大物主というのは崇神時代を最後に出てこないだろ。
一方、物部は崇神以降に隆盛するだろ。

大物主は出雲系、
物部は瀬戸内系・

物部が大物主なんて何言ってるんだか。

567:日本@名無史さん
22/08/15 21:42:26.43 .net
>崇神天皇の時代の大物主は、まさに現代で言う(人間ではない)神。

アホ、阿田賀田須という名前だ。
勝手に創作するな。

568:日本@名無史さん
22/08/15 21:42:59.35 .net
>>529
海を天と書き換えさせたのは、天皇の神格化を進めた天武天皇でしょうね。
彼に文句を言いましょう。

569:日本@名無史さん
22/08/15 21:43:14.89 .net
記紀にすがるしかない記紀バカ同士のあほバトル勃発!  わははははは   @阿波

570:板野に居たの
22/08/15 21:43:25.99 .net
>>490
はあ?
板野町は西中富、藍住町が東中富ですよ。中途半端な情報を垂れ流すのはやめてください。
立地は、どちらも吉野川下流の氾濫原低地と自然堤防の組み合わせです。

571:日本@名無史さん
22/08/15 21:43:45.63 .net
>>543
俺の大阪城の下に全部埋まってると言ってた大阪説とかわらんな

572:日本@名無史さん
22/08/15 21:45:13.17 .net
>>544
>縄文時代のほうが高い
だから何だ。
墳丘をご神体とする高鴨神社などは孝昭の時代、まさに纏向遺跡と同時代。
どちらの地位が高いか、一目瞭然W

573:日本@名無史さん
22/08/15 21:46:49.44 .net
>>543
筑紫国に日向という郡郷名はない

574:日本@名無史さん
22/08/15 21:47:46.01 .net
>>550
それはお前の作り話

575:日本@名無史さん
22/08/15 21:51:03.74 .net
>>542
百襲姫の時代は、神代ではなく人皇の時代ですよ。
例えば神武の妃となった五十鈴姫も、その母は事代主により孕まされています。
でも、よく読むと厠で赤い矢に刺されたというんです。
要するに、父親知らずの子供を片端から事代主か大物主か三輪山神の子供ということにしたのでしょう。
出雲の国譲りで事代主が任を受けてから百襲姫まで何世代経っていますか?
名前を受け継いだのか、こじつけたのかしかないじゃないですか。

576:日本@名無史さん
22/08/15 21:52:30.76 .net
>>554
縄文時代の犬より地位が低い高天地区の王様は
大和平野に前方後円墳が造られ続けてる時代にずっと斜面の雑木林に穴掘って埋めてたのか

577:日本@名無史さん
22/08/15 21:53:35.69 .net
>>545
>墓から三種の神器が出るからです。
鏡剣玉セットなんて尊重の墓でも出るんでは?

578:日本@名無史さん
22/08/15 21:54:11.53 .net
>>548
ウマシマジの代で饒速日と大物主が姻戚関係で一つになり、崇神天皇の代で物部氏と天皇家が合流した。
あずれも遠い祖先は共通なので、互いに姻戚関係を結ぶことで権力を強化したのでしょう。
よくあることです。

579:日本@名無史さん
22/08/15 21:54:34.89 .net
>>537
了解しました

580:日本@名無史さん
22/08/15 21:56:05.81 .net
>>552
どっちにしても、登美の里、つまり長髄彦らの旧所領の一部だから、どうでもいい。

581:日本@名無史さん
22/08/15 21:57:51.66 .net
>>555
郡の名前だなど誰も言っていませんよ。
東京都特別行政区と同様に、筑紫の日向は特別な名前なのですよ。

582:日本@名無史さん
22/08/15 21:58:46.71 .net
>>562
おっ、「阿波」の人、参上。   @阿波

583:日本@名無史さん
22/08/15 21:59:52.75 .net
>物部は瀬戸内系
なんじゃこれw 意味があるのかこの括り。
宇摩志麻遅は、播磨・丹波を経て石見国で鎮座したんだろ。
宇摩志麻遅が飛鳥大神(事代主=大物主)の孫である事は動かないし
別に瀬戸内海に括る必要が不明。

584:日本@名無史さん
22/08/15 22:02:11.70 .net
>>563
ならば日向峠の地名などは関係ない

585:日本@名無史さん
22/08/15 22:02:18.65 .net
日下で上陸して大和川を遡って奈良盆地に入ると、東の正面の奥津宮の神奈備の麓が桜井市で、物部氏や長髄彦の地盤、大物主がいたところ。
一方で、奈良盆地の片隅の御所市にひっそりと居候していたのが、天皇家の欠史八代。
崇神の時に合流して、晴れて天皇家も桜井市に進出できた。
それが纒向遺跡。

586:日本@名無史さん
22/08/15 22:02:48.86 .net
>>558
>大和平野に前方後円墳が造られ続けてる時代にずっと斜面の雑木林に穴掘って埋めてたのか
阿田賀田須以降は高天原に墓はないだろうね。
だから蘇我馬子が高天原のある葛城の領有を推古天皇に願い出たが断られた。
しかし息子の蝦夷の代になってようやく念願の高天原をゲットできた。
大和や河内の前方後円墳は高天原を避けるように作られてるね。
怨霊が怖かったのであろう。

587:板野に居たの
22/08/15 22:04:01.24 .net
補足して置きますが、現在藍住町の大字東中富の内で、
小字に榜示がつかない範囲は、旧名西郡で、のちに板野郡に編入された地域です。

588:日本@名無史さん
22/08/15 22:04:54.09 .net
【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
これらの神を祭る神社の元宮は現人神社(福岡県那珂川市仲)であるとの説があり、弥生時代の倭王であったイザナギの王宮であったとも考えられる。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城が作られ、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高祖宮こと高千穂宮が倭王である天孫の降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国


589:女王卑弥呼の王城である。 ttp://wi12000.starfree.jp/map/afumi_sawara_map_25.gif



590:日本@名無史さん
22/08/15 22:07:45.12 .net
>>568
じゃ標高と地位は関係ないじゃねえか
で、物部の前方後円墳が全国に造られてる時代に
大王の墓はどこの斜面に埋めてたのかと聞いている

591:日本@名無史さん
22/08/15 22:08:44.31 .net
>>565
物部のルーツは瀬戸内だドアホ。
おまえ天神本紀を読んだことないのか。
>宇摩志麻遅が飛鳥大神(事代主=大物主)の孫である事は動かないし
動くわドアホ。

592:日本@名無史さん
22/08/15 22:09:20.17 .net
>>570
阿蘇も磯城も飛鳥も出雲も伊勢も日向も筑紫も大津も吉野も纏向も吉備も、記紀以降の後付け地名。
その後付け地名に踊らされている、三流学者や郷土史家ども。   @阿波

593:日本@名無史さん
22/08/15 22:09:36.38 .net
博多湾沿岸の海人族の所在地の一つが高天原であり、原が九州では集落を意味する語であることを考慮すると、高天原は海人(あま)の都という意味になる。
長年にわたり国家的規模の祭祀が行われた沖ノ島は高天原の候補となるだろう。
高天原から筑紫に降臨する天孫を守護したのが宗像だったのも、高天原を沖ノ島、降臨した筑紫の日向を福岡市西部と考えると地理的な整合性も高い。
高天原から筑紫に降臨した天孫族は、代々にわたり志賀島の海神と婚姻関係を深めていく。

594:日本@名無史さん
22/08/15 22:09:50.62 .net
>>571
>大王の墓はどこの斜面に埋めてたのかと聞いている
大王って具体的に誰?

595:日本@名無史さん
22/08/15 22:11:50.03 .net
>>574
沖ノ島に田は無い

596:日本@名無史さん
22/08/15 22:12:00.81 .net
>>574
高天原は御所市高天しかない。
古今和歌集でもそれがわかる。
高天原が九州にあるなどというのは江戸末期にでた新説。
引っ込んでてくれ、カッペ。

597:日本@名無史さん
22/08/15 22:21:32.13 .net
>>575
景行でも崇神でも垂仁でも誰でもいい

598:日本@名無史さん
22/08/15 22:24:31.58 .net
>>578
崇神と景行は行灯山と渋谷向山だろうねえ、垂仁は知らん。
だから何?
崇神時代の阿田賀田須を最後に大物主は出てこないし、その時に太古から続く畿内にあった出雲系王朝は断たれた。

599:日本@名無史さん
22/08/15 22:25:43.77 .net
>>579
それ前方後円墳だろ

600:日本@名無史さん
22/08/15 22:25:43.81 .net
海神族である天津神すなわち海の神の城が、海なし県の奈良県にあるわけがない。
宇佐を出て瀬戸内海を東進して日下に上陸した饒速日の故地が、到着地である奈良盆地にあるわけがない。
せいぜい、故郷を思ってつけた名かなにかだろう。
ニューヨークとかと同じ。

601:日本@名無史さん
22/08/15 22:26:48.96 .net
>>577
高天原が奈良盆地にあるなどというのは、せいぜい天武天皇以降の新しい考え方だ。

602:日本@名無史さん
22/08/15 22:28:49.81 .net
前方後円墳なんて、全ての皇族と全ての物部氏に割り当ててもまだ余るくらいなんだから、どれが誰でもいいよ。
県別では千葉県に最多らしいし。

603:日本@名無史さん
22/08/15 22:32:39.37 .net
『石切劔箭神社』の社史によれば、天照大神から大和建国の神勅を拝し『十種の瑞宝』を授かった饒速日尊が船団を組み、
自らも『布都御魂劔』と日の御子の証である『天羽々矢』を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航した。
途中、豊前国の宇佐に寄港すると船団を二つに分け、息子の天香具山命に『布都御魂劔』を授け船団の一方を預けた。
宇佐から瀬戸内海を渡ると饒速日尊は河内・大和に、一方の天香具山命は紀伊に向かった。
天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね


604:『生駒山』)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し 「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」 【訳「 空から見た日本の国」または「空に光り輝く日本の国」】と賛じた。 これが日本の国号の始まりとなった。 高天原は宇佐より西なんだよ。 わかったか。



605:日本@名無史さん
22/08/15 22:35:34.46 .net
>>580
崇神も景行も前方後円墳だが、だから何?

606:日本@名無史さん
22/08/15 22:39:39.57 .net
>>582
江戸末期にでた九州説も宮崎の高春町で北部九州ではない。
高天原が北部九州設なんて近年にバカが言い始めた何の根拠もない説。
御所市には3世紀以前の式内名神大社が複数ある。
カッペがうぬぼれるな。

607:日本@名無史さん
22/08/15 22:44:46.42 .net
高天原が北部九州にあったなんてア宝賀が言ってるんだろWWW

608:日本@名無史さん
22/08/15 22:46:47.11 .net
ア宝賀見てるか?

609:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>585

権力の象徴である大土木工事で築造した大規模前方後円墳が権力者の墓
斜面の雑木林に埋める(費用0)のは下人

610:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
高天原は押し照るなにわだよ
天の安河原は滋賀の野洲川、辺りに伊勢遺跡があるところ
サルタヒコのいた八衢は堺で仁徳天皇陵や方違神社があるところだな
サルタヒコが川上に消えた五十鈴川は堺の石津川
サルタヒコが溺れたアサカの海は堺の海
ヒラブ貝に挟まれての件は‥内緒

611:日本@名無史さん
22/08/15 23:36:23.64 .net
卑弥呼の次の男王は誰かということだが
アマテラスが卑弥呼をモデルにした神格なら、アマテラスの孫ニギハヤヒのモデルが卑弥呼の次の男王かもね
3世紀後半纏向遺跡から突然吉備の土器が消える
卑弥呼亡き後男王の時代の内乱で吉備が排除されたのかもね
ニギハヤヒは吉備の王の系譜かもね
葦原醜男と争っていた天日槍
卑弥呼の次の男王、ニギハヤヒは天日槍の子かもね
ヤマト政権が始まりその後につつあ吉備津彦の吉備退治は、卑弥呼亡き後の内乱を意味しているのかも
丑寅みさき、ニギハヤヒ、卑弥呼亡き後の男王は関係があるかもね

612:日本@名無史さん
22/08/16 00:10:35.06 .net
九州の勢力も古墳時代以降何度かヤマト政権の覇権を握ったと思うよ
北九州、周防灘を挟んで向かいの山口辺りを拠点にしていた大帯。大帯姫は竹内宿禰と共に熊襲を平定した
それに与した日向の牛諸井と角付きの鹿皮の服を着た人々。投馬国のミミ、ミミナリの後裔かもね
伊都イトの人々 養蚕に長けた馬韓系か?
糸イトと同じ音なのも必然かもしれん
虎杖に関するエピソードのある古墳時代の王もいたが何か関係あるのか?

613:日本@名無史さん
22/08/16 02:06:37.95 .net
空想してても仕方ない
投馬国を女王国の北に想定しようのない九州説には
成立の余地がない
決定的に倭人伝と合わないのだから

614:日本@名無史さん
22/08/16 05:50:12.25 .net
投馬国=久留米
邪馬台国=山門
もう答え出てるんだよな

615:日本@名無史さん
22/08/16 06:05:25.92 .net
出てない

616:日本@名無史さん
22/08/16 06:18:09.84 .net
>>590
天の安川神社は葛城の蘇我川近辺に複数集結してる、他所の出番はない。
いい加減なことを言わないように。

617:日本@名無史さん
22/08/16 06:19:24.81 .net
>>589
だから何。
眠る位置の高貴さの問題。
下人墓である箸墓が何?

618:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>591
だから崇神が4世紀前半である以上、ニギハヤヒが3世紀中頃にはならない、時代が無茶苦茶。

卑弥呼の次の男王は事代主の曾孫で別名タ�


619:Pミカヅチ。



620:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
タケミカヅチに随伴した香取神が進出した千葉に纏向型古墳群ができる、
その時期は3世紀中頃、卑弥呼死亡時期にぴったり一致だ、分かったか。

621:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
卑弥呼+トヨでアマテラスやから
ニギハヤヒが250年頃に活動してても不思議ではないで

ちなみにニギハヤヒ=事代主やぞ

622:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>卑弥呼+トヨでアマテラスやから

アホ以外に言いようがないアホ。

>ちなみにニギハヤヒ=事代主やぞ

アホ以外に言いようがないアホ。

623:日本@名無史さん
22/08/16 06:58:13.90 .net
>邪馬台国=山門
これって新井白石が苦し紛れに出した虚説。
彼は大和朝廷及び古代天皇の朝貢という切実な問題に突き当たり、
朝貢していたのは九州であるという、心にもない説を出した。
だから高天原も常陸と言ってるだろ。
大和以外に焦点を向けさせるのが狙いで、本当にそう思ってたわけではない。

624:日本@名無史さん
22/08/16 07:10:31.98 .net
畿内説の妄想の中ではそうなんだろうなw

625:日本@名無史さん
22/08/16 07:11:16.38 .net
>>602
>大和以外に焦点を向けさせるのが狙いで
実はそれも偽装。 新井白石も本居宣長も、「阿波」から目を逸らせるための虚説。
本当にそう思ってたわけではない。   @阿波

626:日本@名無史さん
22/08/16 07:21:48.86 .net
阿波は百済の属国

627:日本@名無史さん
22/08/16 07:25:25.72 .net
>>605
阿波は百済の庇護国。   @阿波

628:日本@名無史さん
22/08/16 07:26:36.69 .net
四国は渡来人が多くて蚊にも刺されやすいんだよね
渡来人が住み着いたってことは有力者がいなかったってことやね

629:日本@名無史さん
22/08/16 07:30:07.20 .net
今も渡来人だらけが阿波

630:日本@名無史さん
22/08/16 07:30:15.40 .net
【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)または島原(斯馬原)(長崎県島原市・伊佐早市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川、高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺、浮羽郡)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲
邪馬台国の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
ここまでが邪馬台国(女王の都するところ)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
URLリンク(i.imgur)


631:.com/lo1K3BJ.jpg



632:日本@名無史さん
22/08/16 07:46:35.50 .net
以上、妄想でした

633:日本@名無史さん
22/08/16 07:59:18.61 .net
邪馬台国
馬鹿げてる、幽霊探し

634:日本@名無史さん
22/08/16 08:10:20.89 .net
邪馬台国=ヤマト国
その発祥地の高天原(御所市高天)に卑弥呼の墓がある。
何も難しい事はなかったんだよ。

635:日本@名無史さん
22/08/16 08:17:44.80 .net
邪馬台国=ヤマト国ならば、
「ヤマト国畿内説」にしたらどうかね。

636:日本@名無史さん
22/08/16 08:18:19.16 .net
神武は筑紫の生まれの九州男子。
奈良は引っ越し先だから、発祥の地ではない。

637:日本@名無史さん
22/08/16 08:19:40.43 .net
カタカナ用語は恥ずかしい。
倭国畿内説でいいのではないか。
こうすると、後漢書や旧唐書などと比較して、いかに馬鹿げた説であるかわかるというもの。

638:日本@名無史さん
22/08/16 08:19:46.87 .net
>>607
>渡来人が住み着いたってことは
日本で一番、早く仏教が広まった所。   @阿波

639:日本@名無史さん
22/08/16 08:22:55.90 .net
>>607
>渡来人が住み着いたってことは
日本で一番、早く文字(木簡)が広まった所。   @阿波

640:日本@名無史さん
22/08/16 08:23:36.61 .net
倭国(九州)と日本国(畿内)を混同するからいけない。
卑弥呼は倭奴国の後裔である倭国の女王であり、その都するところが邪馬台国。
なお、邪馬台国の女王卑弥呼という表記は誤りであり、卑弥呼の称号はあくまでも親魏倭王。
総理大臣が東京にいても、東京都知事を兼ねているわけではない。

641:日本@名無史さん
22/08/16 08:24:53.45 .net
九州は熊襲

642:日本@名無史さん
22/08/16 08:35:08.32 .net
「観音寺・敷地遺跡」
飛鳥時代から平安時代の資料が大半で、「観音寺(かんのんじ)・敷地(しきじ)木簡」として知られる多数の木簡や
墨書土器、役人の身分を表す腰帯具、文書行政に必要な銅印、硯など政務を表すものや、
斎串(いぐし)や人形(ひとがた)などの祭祀具(さいしぐ)具や農工具(のうこうぐ)・紡織具(ぼうしょくぐ)
・建築部材などの木製品、漆関連製品、武具(ぶぐ),瓦(かわら),楽器(がっき)など祭祀や生産・生活を表すものがあります。
また各時期の指標となる土器などを含めて,古代地方官庁の多様性を示すものが多数出土しています。   @阿波

643:日本@名無史さん
22/08/16 08:38:53.86 .net
>>618
卑弥呼は自分の領土なんて持ってないでしょう

644:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
トンデモどもは、後付け地名や変名大物主などでお茶を濁してろ。  わははははは   @阿波

645:板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
[ここ壊れてます] .net
古代「地方」官庁って明記されてますけと、ほれでええのん?

646:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
「大和発祥地畿内説」にしてはどうかね。

647:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>623 板野に居たの

今の段階では当然のコメントだ。  今の段階ではそう書かざるを得ないわな。 かわいそうだが。

あほのお前は、それを見て自虐に走る。 一番のあほ!   @阿波

648:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>624
呼び方はそれでも良いんだけど魏志倭人伝は無視できない
当時の日本の資料だから

649:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
あくまで魏国の史料

650:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>626
魏志倭人伝は九州について書かれている。
その時代に、それより前かもしれないが、九州と同じように畿内に女性が治めてる集団がいたかもしれない。
とは、考えないか?文献がないかもしれんが。
中国デビューは九州が早かっただけでは。

651:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>627
まともなのそれしかねえじゃん
倭王として朝貢してるし近畿に居たと考えるしかない

652:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>629
>近畿に居たと考えるしかない

「観音寺・敷地遺跡」、進呈してやろうか?  妄想だけじゃ、主張弱かろう。  わははははは   @阿波

653:板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
[ここ壊れてます] .net
>>625
どうせどこぞのサイトのコピペなんだろうけど、
出典明記もせず、しかも丸コピなのはどうなのよ?

もし、自分が君の立場ならこうする。

「観音寺・敷地遺跡」
飛鳥時代から平安時代の資料が大半で、「観音寺(かんのんじ)・敷地(しきじ)木簡」として知られる多数の木簡や
墨書土器、役人の身分を表す腰帯具、文書行政に必要な銅印、硯など政務を表すものや、
斎串(いぐし)や人形(ひとがた)などの祭祀具(さいしぐ)具や農工具(のうこうぐ)・紡織具(ぼうしょくぐ)
・建築部材などの木製品、漆関連製品、武具(ぶぐ),瓦(かわら),楽器(がっき)など祭祀や生産・生活を表すものがあります。

654:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>629そもそも日本の事なのかを疑う説もある

655:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>624

饒速日も神武も筑紫の生まれなので、発祥の地と言うなら筑紫ですね。

656:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>628
重要な事はヤマト王権と言われるものがいつできたではあるけど
俺は伊勢遺跡から纏向遺跡に移転したと言ってるけど
その前も後もあると考える

657:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>628
魏志倭人伝は3世紀についてなので、もうとっくに大和も歴史のある時代なんですよ。

658:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>632
日本つまり畿内ではなく、倭つまり九州の話ですね。

659:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>632
卑弥呼の存在を疑う事はあっても何処の事だと考えるんだ?

660:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>634

纒向が崇神天皇の宮なら、一代限りの宮ですね。
そもそもそれほど広域にとらえる方がおかしい。
周囲に景行天皇の宮とか、いくらでもあるわけだから。
崇神天皇の前も後も、たくさんの宮があったはず。

661:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>638
>そもそもそれほど広域にとらえる方がおかしい。

実際に広域なんだから仕方ないのでは?

662:日本@名無史さん
22/08/16 09:28:59.91 .net
>>635
紀元前の話しになるだろうが、天照は女性だから、大和の前に女性が治めてたかもしれない。
と思う。

663:日本@名無史さん
22/08/16 09:29:55.51 .net
>>637魏志倭人伝の記述を放射説とか方角の転換とかの誤魔化しなしに解釈すると日本列島の範囲に収まらない

664:日本@名無史さん
22/08/16 09:31:07.07 .net
>>640
天照は畿内にはいませんでした。
大国主を倒した後、孫の饒速日を畿内に送り込んだとされています。

665:日本@名無史さん
22/08/16 09:31:33.33 .net
>>631 板野に居たの
>もし、自分が君の立場ならこうする。
意味不明。   @阿波

666:日本@名無史さん
22/08/16 09:32:42.43 .net
>>641
帯方郡から邪馬台国まで一万二千里ですが、そのうち一万里は九州上陸までに費やしています。
残り二千里ですが、対馬海峡が三千里なので、邪馬台国の位置は九州北部を出ません。

667:日本@名無史さん
22/08/16 09:33:21.66 .net
伊勢遺跡も纏向遺跡も自然にそこに人が集まったわけではなく
何らかの意図をもって造られてるし百年ほどでいきなり廃棄されてるから前後はあるはず
そもそも人が生活してたわけではないんだけど

668:日本@名無史さん
22/08/16 09:33:23.89 .net
いまだに放射説を取り上げて批判する時代錯誤がいる。

669:日本@名無史さん
22/08/16 09:33:57.85 .net
>>638
>周囲に景行天皇の宮とか、いくらでもあるわけだから。
「観音寺・敷地遺跡」、進呈してやろうか?  妄想だけじゃ、主張弱かろう。  わははははは   @阿波

670:日本@名無史さん
22/08/16 09:36:01.88 .net
>>644放射説はインチキ

671:日本@名無史さん
22/08/16 09:37:32.17 .net
100年どころか、崇神の宮なら磯城に宮を造営したのが即位3年、崩御が即位68年なので、纒向遺跡が使われていたのは65年間ということになります。
畿内説のアホな妄想は日本史を考える上で邪魔なだけ。

672:日本@名無史さん
22/08/16 09:38:11.88 .net
>>642
そうですか。それならそうでしょう。

673:日本@名無史さん
22/08/16 09:38:30.44 .net
>>648
放射説ではないですよ。
放射説も知らずに批判するなんてアホですね。

674:日本@名無史さん
22/08/16 09:39:19.34 .net
>>650
このスレを少し上に戻れば、饒速日の畿内降臨についての資料が書いてあるはず。

675:板野に居たの
22/08/16 09:39:38.79 .net
>>643
添削して差し上げたぞ、参考にしなさい。

676:日本@名無史さん
22/08/16 09:39:50.25 .net
>>636
まったく理由を言わない断定は、トンデモの証明

677:日本@名無史さん
22/08/16 09:42:30.25 .net
崇神天皇の次の垂仁天皇、その次の景行天皇も、纒向の中で他に宮を営んでいたので、崇神天皇の宮である纒向遺跡だけでそんなに広い面積をとってしまったら、次の天皇の宮との整合性が取れなくなる。
纒向遺跡の範囲とやらは、アホな誇大妄想癖の学者の戯言。

678:日本@名無史さん
22/08/16 09:43:52.90 .net
>>651短里かw

679:日本@名無史さん
22/08/16 09:44:35.40 .net
アホな誇大妄想とは九州説全�


680:ハ



681:日本@名無史さん
22/08/16 09:45:26.31 .net
>>654
倭国の範囲は後漢書に明確な定義があり、倭奴国つまり博多を含む対馬海峡。
一方で日本国は饒速日が河内から大和にかけての土地をそのように呼んだとされる。
旧唐書
倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。諸国はこれを畏怖している。
日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

682:日本@名無史さん
22/08/16 09:46:17.20 .net
>>656
魏志東夷伝全体が、現実の地理と合わせると短里で統一されていることがわかります。

683:日本@名無史さん
22/08/16 09:48:05.58 .net
>>653 板野に居たの
>もし、自分が君の立場ならこうする
さすが、どずるいお前の考えそうなことだww 恥ずかししわ。

>また各時期の指標となる土器などを含めて,古代地方官庁の多様性を示すものが多数出土しています。 
今の段階では当然のコメントだ。  今の段階ではそう書かざるを得ないわな。 かわいそうだが。
あほのお前は、それを見て自虐に走る。 一番のあほ!   @阿波

684:日本@名無史さん
22/08/16 09:49:08.70 .net
>>652
辞書では
こう‐りん〔カウ‐〕【降臨】 の解説
1 天上に住むとされる神仏が地上に来臨すること。「天孫―」
物語ではありうるが、現実にはありえない

685:日本@名無史さん
22/08/16 09:50:59.39 .net
実際には、王族が移り住んだという程度の意味で捉えればよろしいかと。
そらを古風に雅な表現をしただけ。

686:日本@名無史さん
22/08/16 09:51:27.71 .net
魏書では何故か東夷伝だけで使用されてる短里w

687:日本@名無史さん
22/08/16 09:53:46.05 .net
>>658
そういう無茶苦茶な主張要らないから
卑弥呼の時代に日本なんて文字がないし言葉はヤマトだから

688:日本@名無史さん
22/08/16 09:54:29.26 .net
>>663
いや、短里なんてどこでも使用されてないし

689:日本@名無史さん
22/08/16 09:57:04.95 .net
>>655
それ、根拠なき拒絶だから反論じゃないよね

690:日本@名無史さん
22/08/16 09:57:43.51 .net
>>665九州説だと使用されてるらしいぞ>>659

691:日本@名無史さん
22/08/16 09:59:15.45 .net
>>662
>実際には、王族が移り住んだという程度の意味で捉えればよろしいかと。
つまり、そう空想れば自説は無事ってこと?

692:日本@名無史さん
22/08/16 10:00:16.31 .net
>>667
それはただのウソ

693:日本@名無史さん
22/08/16 10:01:23.56 .net
>>669やはりそうだよな

694:日本@名無史さん
22/08/16 10:07:50.63 .net
短里は否定するのに方角間違ってる説は信じるのねw
つまり畿内説はチェリーピッキングの塊

695:日本@名無史さん
22/08/16 10:09:43.67 .net
放射説も短里もインチキなら九州説に居場所はない

696:板野に居たの
22/08/16 10:19:26.82 .net
>>660
なんで自分の主張と違う所までコピペしとるん?
そのぐらい削っても罰は当たらんぞ。
そのまま残して有る方が、かえって紛らわしいと思うのよね。
まあ、ほんまは、なんも考えずに丸コピペしただけなんだろ?
正直に言えば?

697:日本@名無史さん
22/08/16 10:21:16.26 .net
荒らすな阿波土人

698:日本@名無史さん
22/08/16 10:23:12.32 .net
>>644
魏志倭人伝には邪馬台国まで一万二千里という記述はありません
女王国まで一万二千里と書いてあるのみです
これは使者が実際に訪れた九州北部(おそらく伊都)までの距離と考えられます
この点については近畿説も九州説も同じですね。短里以外考えられません

699:日本@名無史さん
22/08/16 10:26:19.87 .net
と言う妄想

700:日本@名無史さん
22/08/16 10:28:31.99 .net
九州説はただの願望だな

701:日本@名無史さん
22/08/16 10:31:05.33 .net
女王国は日本の事だな
倭人在帶方東南大海之中依山?為國邑 

702:日本@名無史さん
22/08/16 10:38:48.77 .net
>>659
口先だけでそんなこと言われたって

703:板野に居たの
22/08/16 10:47:42.3


704:5 .net



705:板野に居たの
22/08/16 10:47:52.83 .net
これらのことから、木簡をはじめとして指定品は古代地方官衙に関する諸要素が網羅されており、政務や律令制度の実態、官人層の生活等を復元する上で重要です。さらに出土品は7世紀から10世紀と連綿と認められる!ことから,律令制の浸透、経営の実態など、古代律令制化の歴史環境を具体的に解明する上で重要な歴史資料であり,阿波国府成立過程や終焉を知る上でも,その学術的価値は高いものです。
以上出典
URLリンク(www.pref.tokushima.lg.jp)

中央官庁の可能性は一切考慮されてません。
おしまい。

706:日本@名無史さん
22/08/16 10:49:51.77 .net
何の理由も言わずに結論だけ言い張るトンデモ説ってホント馬鹿
それで受け入れる人がいるわけ無いでしょ

707:日本@名無史さん
22/08/16 10:55:17.42 .net
>>675
自郡至女王國 萬二千餘里
確かにないですね。
女王国となっています。
次有奴國 此女王境界所盡
奴国と推測

708:琪瑛教祭酒
22/08/16 11:08:25.03 .net
まだ辻褄の合わない話を続けているのか。
一冊の本も書けず、列島は、国家理念なぞ無く、原始的に毛が生えた程度の社会状況だよ。
鬼道を理念として国家が始まろうとしたんだよ。
まあ、中華ではカルト扱いされていた鬼道の卑弥呼が邪馬薹から信者を拡げ、国家(張盧の漢中)を築いた話が魏志倭人伝に書いてあるだろう。その魏とゆかりある卑弥呼の為に魏は大いに協力しました、となってる。
その後、司馬に代わり縁は切れましたとまでちゃんと残してる。
他ではいくら繕っても辻褄あわないんだよ、意地ハリだねぇ。

709:日本@名無史さん
22/08/16 1


710:1:20:16.50 .net



711:日本@名無史さん
22/08/16 11:22:42.66 .net
東の倭種は女王国に属してるかしてないか?
陳寿は知らないんだよ

712:日本@名無史さん
22/08/16 11:24:09.92 .net
>>681 板野に居たの
>中央官庁の可能性は一切考慮されてません。
だからお前は、自虐朝日新聞。 
他所にこれと同等以上の遺跡があれば、引っ込めよう。
今の段階では当然のコメントだ。  今の段階ではそう書かざるを得ないわな。 かわいそうだが。
あほのお前は、それを見て自虐に走る。 一番のあほ!   @阿波

713:日本@名無史さん
22/08/16 11:28:01.48 .net
阿波には何もない

714:日本@名無史さん
22/08/16 11:56:26.30 .net
俺は魏志倭人伝は間違いなく九州を指してると思ってるよ
それでも内容や発掘資料を考え合わせると近畿だと言ってるわけで
水行陸行なんて書き間違いに決まってんじゃん
それまで細かく行程を書いてるのにいきなり沖縄や台湾まで飛ぶわけねえじゃん

715:日本@名無史さん
22/08/16 12:01:43.40 .net
はっきり言ってしまうと読む側の解釈が間違ってるんじゃなく陳寿が間違ってるのよ

716:日本@名無史さん
22/08/16 12:09:28.31 .net
>>690
お前が間違っている。   @阿波

717:日本@名無史さん
22/08/16 12:13:32.01 .net
>>691
俺なら五百里百里百里と来て次が水行二十日なんて書き方は絶対しない
読む人が何処だか見当もつかねえじゃん

718:日本@名無史さん
22/08/16 12:15:58.21 .net
>>692
五百里百里百里と来て、九州を離れたからかもな。   @阿波

719:日本@名無史さん
22/08/16 12:16:45.88 .net
>>693
そう書けよ
わかんねえじゃん

720:日本@名無史さん
22/08/16 12:20:37.20 .net
>>689願望でしかないのが九州説

721:日本@名無史さん
22/08/16 12:23:08.69 .net
>>644
一万二千里は女王國=女王の境界までの里数 「自郡至女王國 萬二千餘里」
邪馬台国までではない
里数で書かれている北部九州が「漢時有朝見者」の地域
日数で書かれている地域が魏代に初めて足を踏み入れた地域「非足跡車軌所」
一万二千里の境界から邪馬台国までの間に五萬餘戸の投馬國がある
一万二千里の境界の手前には属国の伊都國がある

722:日本@名無史さん
22/08/16 12:25:11.15 .net
>>696
本州の事を知らないのは陳寿であって中国人みんなが知らないわけじゃないんだよ

723:日本@名無史さん
22/08/16 12:25:12.59 .net
訂正
「非足跡車軌所及」  〇

724:日本@名無史さん
22/08/16 12:33:15.94 .net
何を間違えばそうなるかを考えなきゃ
書いてる事が正しい前提で考えるなんて滑稽

725:日本@名無史さん
22/08/16 12:45:19.40 .net
水行陸行はたんに数字の書き間違いで実は一日とか二日なのか?
それとも別の何かを間違ってるのか?

726:日本@名無史さん
22/08/16 12:46:28.56 .net
東夷伝序文冒頭に書(尚書)の九服の制が明記されているように
漢代に朝見した地域までの里数は、
尚書禹貢篇の方一万里の天下概念の里数で書かれていいる

727:日本@名無史さん
22/08/16 13:02:02.97 .net
>>694
>そう書けよ >
>わかんねえじゃん
わからんのは、トンデモのアホだから。  わははははは   @阿波

728:日本@名無史さん
22/08/16 13:11:13.58 .net
>>692
ナンセンス
それしか情報がなけりゃ書くだろう

729:日本@名無史さん
22/08/16 13:14:36.56 .net
>>700
日数の方が信用できるだろ
測量する必要ないもの
それとも、勅使一行が測量しながら旅行したというのか?

730:日本@名無史さん
22/08/16 13:16:35.40 .net
>>703
ちゃんと九州の事をわかった上でなら書かないね
わかんなきゃそう書くしかないけど

731:日本@名無史さん
22/08/16 13:18:59.94 .net
>>704
倭を説明する文章でそんな書き方しない
実際何処なのかわかんねえじゃん

732:日本@名無史さん
22/08/16 13:21:47.18 .net
>>597
縄文時代より人々は低地に住み、人口が増え、階層化が生じ、オウが表れ、王となり、大王が誕生した
それとともに支配領域に応じて王の墓が大規模になっていき、全国の王も同じように大きな墓を造った
標高など関係ない

733:日本@名無史さん
22/08/16 13:27:42.21 .net
>>701
万二千里はそういう事じゃないかと思ってる
だから倭人在帶方東南大海之中までの距離

734:日本@名無史さん
22/08/16 13:34:36.22 .net
>>675
>これは使者が実際に訪れた九州北部(おそらく伊都)までの距離と考えられます
>この点については近畿説も九州説も同じですね。短里以外考えられません
いや、そんなこと言ってる人って誰かいる?
いないと思うよ
計算合わないもの
完全に妄想だよ

735:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
南至投馬國、水行二十曰。
南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。

投馬國が出雲だったとして、博多湾からの距離は約300km
当時の航海技術がよく分からないが、18人乗りの準構造船が時速7キロぐらいらしいので1日4時間航行すれば28km。10日ちょっとで300km移動できることになる
実際には1日の移動時間がもっと短かったり、休養日があったり、天候待ちがあったりしたのかもな。あるいは次の停泊地まで長時間移動したら数日休む、みたいなローテーションだったか

736:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
水行二十日水行十日陸行一月なんておかしいなと思ってもそれしか資料がなきゃ
そう書くしかねえじゃん
倭の事なんて知らないし

737:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>710

博多湾-出雲300kmは直線距離だろ?

738:琪瑛教祭酒
[ここ壊れてます] .net
陳寿は魏志の為に書き残したが、
中華から遥か彼方の鬼道巫女の脆い国だから場所は特定出来ないように書いただけだろ。歴史の編纂者が一国の今後を左右させる切っ掛けを記せんだろ。

739:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>713
バカなのか?
あほなのか?
幼い頃からそんなんで今まで生きてきたのか?

740:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>712
うむ。と言っても、海岸線沿いに測ってもそんなには変わらなかったけどな。

741:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
「古墳時代初頭に中形犬」 令和4年 8月16日(火) 徳島新聞朝刊
奈良・纏向遺跡 大陸から渡来か

邪馬台国の有力候補地とされる纏向遺跡(奈良県桜井市)で出土していた古墳時代初頭の犬の骨を分析したところ、
背中までの体高は約48cmで中形犬の大きさと推定されることが15日、分かった。
古代の犬は、小、中小、中、中大、大級に分類される。
弥生時代までは小型犬が主流で、今回は中大級に該当し、古墳時代になって大陸からもたらされた可能性を示すという。
成果は桜井市纏向学研究センターの研究紀要に掲載された。
犬は縄文時代から番犬や猟犬として飼われ、弥生時代には食用の家畜とする習慣が伝わったとされる。
出土した骨には解体された痕跡はなく、溝の底からまとまった状態で見つかったことから
儀礼のために供された可能性があるという。
体高は大腿骨の長さから推定。
古墳時代では蔀屋北遺跡(大阪府四条畷市)でも5世紀中ごろの中形犬の骨が出土している。
骨は市教委が2014年度に実施した調査で、遺跡中枢の大型建物群跡東側に位置する深さ約1mの溝底から出土した。
ほぼ1体分の全身骨格


742:とみられ、古墳時代初頭の3世紀前半のものと考えられるという。 纏向遺跡は3世紀初めごろ出現した巨大集落跡。 卑弥呼の宮殿説のある大規模な建物跡や運河跡、九州から関東に至る各地の土器が見つかっており、 初期ヤマト王権が築いた都との見方が強い。 分析した元大阪府立狭山池博物館学芸員の宮崎泰史さんは、「朝鮮半島などから人と共に中形犬が渡来し、 日本の犬の形質が変化した可能性がある」と話している。   さあ、おもしろい記事が出ました。 纏向遺跡は古墳時代のようですな。  わははははは   @阿波



743:琪瑛教祭酒
[ここ壊れてます] .net
>>714理由を説明してからバカなのか、アホなのかをいいなさい。

744:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>706
しないって理由は?
あんたの思想を聞かされても意味ないし

745:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>716
今頃何言ってるの
みんな」昔から知ってる話だよ
教科書にも載ってる
三世紀は古墳時代だと

746:琪瑛教祭酒
[ここ壊れてます] .net
説明しないのか?ではこちらから言おう、我が説は結論は一つ。卑弥呼は琪瑛だ。ゆえに全てこれに基づくように陳寿も書き残してあるのだよ。

747:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>718
ちゃんと倭の事九州の事を理解した上でならそんな書き方しないって事だよ
五百里百里百里で次が水行二十日なんて読者に何処だかわかんねえじゃん

748:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
投馬、邪馬台までの距離が日数表記なのは郡使が直接行っておらず、倭人からの伝聞だからですよ。
隋書倭国伝に「夷人不知里數但計以日」(夷人は里数を知らず。ただ日を以って計る)とあり、倭人が距離を日数で表現していたことは記録に残ってます。

749:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>719
>三世紀は古墳時代だと

「卑彌呼」も古墳時代なのか?  わははははは   @阿波

750:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
阿波の3世紀は旧石器時代

751:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
陳寿自身全然わかんなくてイメージできないから水行二十日水行十日陸行一月なんて書けたんだよ

752:日本@名無史さん
22/08/16 14:12:04.34 .net
3世紀前半には博多にも纏向の影響下で古墳あるから

753:日本@名無史さん
22/08/16 14:12:58.19 .net
陳寿自身水行二十日水行十日陸行一月が何処を指してるかわかんないのに
九州だと決め付けてるんだよ

754:日本@名無史さん
22/08/16 14:14:49.85 .net
>>719
>三世紀は古墳時代だと
「卑彌呼」も古墳時代なのか?  
そう教科書に書いているのか?  わははははは   @阿波

755:日本@名無史さん
22/08/16 14:15:07.69 .net
なんでそんな陳寿disってんの?お前より頭いいよ?

756:日本@名無史さん
22/08/16 14:16:38.92 .net
>>719
>みんな」昔から知ってる話だよ
「卑彌呼」も古墳時代なのか?  
そう教科書に書いているのか?  わははははは   @阿波

757:日本@名無史さん
22/08/16 14:16:42.40 .net
>>729
日本の地形の事なら陳寿よりよく知ってるよ

758:日本@名無史さん
22/08/16 14:17:53.27 .net
>>727
だって九州説信者、頭悪いんだもの
仕方ないじゃないか

759:日本@名無史さん
22/08/16 14:18:24.92 .net
「古墳時代初頭に中形犬」 令和4年 8月16日(火) 徳島新聞朝刊
奈良・纏向遺跡 大陸から渡来か
邪馬台国の有力候補地とされる纏向遺跡(奈良県桜井市)で出土していた古墳時代初頭の犬の骨を分析したところ、
背中までの体高は約48cmで中形犬の大きさと推定されることが15日、分かった。
古代の犬は、小、中小、中、中大、大級に分類される。
弥生時代までは小型犬が主流で、今回は中大級に該当し、古墳時代になって大陸からもたらされた可能性を示すという。
成果は桜井市纏向学研究センターの研究紀要に掲載された。
犬は縄文時代から番犬や猟犬として飼われ、弥生時代には食用の家畜とする習慣が伝わったとされる。
出土した骨には解体された痕跡はなく、溝の底からまとまった状態で見つかったことから
儀礼のために供された可能性があるという。
体高は大腿骨の長さから推定。
古墳時代では蔀屋北遺跡(大阪府四条畷市)でも5世紀中ごろの中形犬の骨が出土している。
骨は市教委が2014年度に実施した調査で、遺跡中枢の大型建物群跡東側に位置する深さ約1mの溝底から出土した。
ほぼ1体分の全身骨格とみられ、古墳時代初頭の3世紀前半のものと考えられるという。
纏向遺跡は3世紀初めごろ出現した巨大集落跡。
卑弥呼の宮殿説のある大規模な建物跡や運河跡、九州から関東に至る各地の土器が見つかっており、
初期ヤマト王権が築いた都との見方が強い。
分析した元大阪府立狭山池博物館学芸員の宮崎泰史さんは、「朝鮮半島などから人と共に中形犬が渡来し、
日本の犬の形質が変化した可能性がある」と話している。  
さあ、おもしろい記事が出ました。 纏向遺跡は古墳時代のようですな。  わははははは   @阿波

760:琪瑛教祭酒
22/08/16 14:19:34.31 .net
統一を宗教とは思わんが、信仰心のパワーは立証されてると思うね。
そして前方後円墳と畿内に集まる人の流れ、確実に続く巫女道、3世紀から出始める勾玉の形。真実への探求心があるなら何故否定したがるのか、わからんね。斎宮太乙をどう説明する気よ、無理があるだろ。

761:日本@名無史さん
22/08/16 14:20:10.37 .net
陳寿は郡使の報告をそのまま収録しただけじゃねーのか

762:日本@名無史さん
22/08/16 14:20:58.90 .net
>>719
>みんな」昔から知ってる話だよ
「卑彌呼」も古墳時代なのか?  
そう教科書に書いているのか?  わははははは   @阿波

763:日本@名無史さん
22/08/16 14:22:29.59 .net
>>721
>五百里百里百里で次が水行二十日なんて読者に何処だかわかんねえじゃん
わかると思ってるし、本人もわかってるつもりだから会稽東冶の東だと書いている
間違ってるだけ

764:日本@名無史さん
22/08/16 14:23:24.91 .net
>>735
バラバラのいろんな資料を読んで倭をイメージした
だから水行二十日水行十日陸行一月が何処を指してるかわかんないのよ

765:日本@名無史さん
22/08/16 14:26:59.91 .net
>>738
お前が何を言っているのか分からない
「何処を指しているのか分からない」というのは陳寿が分かっていなかったということ?

766:日本@名無史さん
22/08/16 14:30:00.33 .net
水行二十日水行十日陸行一月は資料にあってそれを書き写してるんだけど
何処から何処って場所が必ずあるはず

767:日本@名無史さん
22/08/16 14:30:05.82 .net
>>719
>みんな」昔から知ってる話だよ
「卑彌呼」も古墳時代なのか?  トンズラか?  わははははは   @阿波

768:日本@名無史さん
22/08/16 14:33:06.79 .net
当然だが陳寿は直接倭国に来てないし、日本列島の形も知らない。陳寿が知り得る情報は「水行二十日~」という情報のみなので、陳寿はまさにその位置に邪馬台国があると思って記録している。
それ以上でも以下でもないと思うが「どこを指しているかわからない」というのはどういう意味?我々がその場所を特定できないという意味なら分かるが。

769:日本@名無史さん
22/08/16 14:33:18.42 .net
>>739
勿論知らないでしょ
知らないから水行二十日水行十日陸行一月なんて書けたんだし

770:日本@名無史さん
22/08/16 14:34:07.68 .net
九州じゃないのは確か

771:日本@名無史さん
22/08/16 14:37:18.25 .net
>>743
ちょっとお前の言い回しはよく分からないけど、それで要するに何が言いたいんだ?陳寿が日本列島の地理を明確に把握していなかったとして、どういうことが言えるんだ?

772:日本@名無史さん
22/08/16 14:38:06.80 .net
>>742
説明文だし普通なら五百里百里百里で次が水行二十日なんて書き方しないのよ
陳寿にはそれが何処を指してるかわかんないからこんな書き方ができたのよ

773:日本@名無史さん
22/08/16 14:39:39.01 .net
>>746
倭人からの伝聞だから里数ではなく日数の情報しかなかっただけでしょ

774:日本@名無史さん
22/08/16 14:39:44.87 .net
それで国史に採用されたんだから問題なし

775:日本@名無史さん
22/08/16 14:40:29.02 .net
>>745
水行二十日水行十日陸行一月は必ず場所があるはずなのよ
それが何処を指してるかわかんないのに九州だと決め付けたんだよ

776:日本@名無史さん
22/08/16 14:41:11.46 .net
>>749
九州だと決めつけたって言うのは誰が?

777:日本@名無史さん
22/08/16 14:42:21.32 .net
>>750
馬鹿が

778:日本@名無史さん
22/08/16 14:42:47.87 .net
>>750
魏志倭人伝は間違いなく九州を指してる

779:日本@名無史さん
22/08/16 14:43:01.16 .net
>>751
いや誰だよwそれは陳寿関係ないじゃんw

780:日本@名無史さん
22/08/16 14:43:15.32 .net
>>752
なんで?

781:日本@名無史さん
22/08/16 14:44:23.61 .net
>>747
>倭人からの伝聞だから里数ではなく日数の情報しかなかっただけでしょ
それが根拠なき決めつけでしょ

782:日本@名無史さん
22/08/16 14:45:53.26 .net
>>753
九州説の無教養現代人

783:日本@名無史さん
22/08/16 14:47:33.00 .net
>>755
魏志倭人伝の伊都國のところに郡使往來常所駐とあるから郡使は伊都國まで来てないっぽいし、隋書倭国伝に倭人は距離を日数で測っていたって書いてあるんだから、相当の根拠があると言えると思うけど

784:日本@名無史さん
22/08/16 14:48:09.27 .net
>>752
こういう理由の言えない盲信者が、現代の馬鹿

785:日本@名無史さん
22/08/16 14:48:10.87 .net
まで→までしか

786:日本@名無史さん
22/08/16 14:48:26.82 .net
>>754
~~伊都国~奴国~不弥国~投馬国~邪馬台国の書き方はどう考えても九州でしょ

787:日本@名無史さん
22/08/16 14:49:01.68 .net
>>754宗教板に行け

788:日本@名無史さん
22/08/16 14:49:10.97 .net
>>760
なんで?そもそも陳寿は九州という概念を知ってたの?

789:日本@名無史さん
22/08/16 14:49:25.13 .net
>>758
>>760

790:日本@名無史さん
22/08/16 14:50:29.00 .net
>>760
むしろ投馬と邪馬台はどう考えても九州外だと思うが

791:日本@名無史さん
22/08/16 14:51:28.93 .net
>>757
>魏志倭人伝の伊都國のところに郡使往來常所駐とあるから郡使は伊都國まで来てないっぽいし、隋書倭国伝に倭人は距離を日数で測っていたって書いてあるんだから、相当の根拠があると
それが全く根拠のない妄想なわけだが

792:日本@名無史さん
22/08/16 14:54:04.45 .net
>>764
投馬国をまったく特定できないのが九州説の敗因

793:日本@名無史さん
22/08/16 14:54:19.75 .net
>>762
九州どころか日本の地形を知らないでしょう
だからおかしいなと思いながらそれしか資料が無いから
水行二十日水行十日陸行一月と書いたんでしょう

794:日本@名無史さん
22/08/16 14:55:31.40 .net
>>767
陳寿は何をおかしいと思ったの?
それしか情報がないなら、別におかしいと思うこと何もなくね?

795:日本@名無史さん
22/08/16 14:56:14.33 .net
つまり>>763みたいな理由の言えない盲信者が、現代の馬鹿

796:日本@名無史さん
22/08/16 14:57:14.75 .net
>>764
元の資料はそうだと思うよ
でも陳寿にはそれしか資料がないから

797:日本@名無史さん
22/08/16 14:59:01.80 .net
>>768
普通は五百里百里百里で次が水行二十日なんて書き方しない
これじゃ読者に場所がわかんないから

798:日本@名無史さん
22/08/16 14:59:08.81 .net
>>770
元の資料では投馬と邪馬台は九州外だけど、陳寿はそれらを九州内とする資料しか使えなかったということ?ちょっと意味がよく分からないのだが…

799:日本@名無史さん
22/08/16 15:00:44.85 .net
>>767
>だからおかしいなと思いながらそれしか資料が無いから
おかしいと思ってたなら
「當在會稽東冶之東」とは書かない
思ってないから書いた
 

800:日本@名無史さん
22/08/16 15:01:49.12 .net
>>752
実際に行った所だな。
投馬国、邪馬台国は九州指していない。
聞いてだけだろう。

801:日本@名無史さん
22/08/16 15:02:28.83 .net
>>772
使えなかったと言うより不弥国;~投馬国~邪馬台国と順番にあるのが陳寿のイメージ

802:日本@名無史さん
22/08/16 15:03:02.33 .net
>>771
投馬と邪馬台の位置が日数表記なのがおかしいと思ったということ?まあ、もしかしたらそう思ったかも知れないけど
陳寿は忠実に記録しただけだよね。それだけの話だと思うけど、それがどうかしたの?

803:日本@名無史さん
22/08/16 15:03:43.18 .net
>>155
>>159
つまり邪馬台国は筑紫平野にあるけど、「会稽東冶(帯方郡から12,000里)の東にあるべし」としたかったということ。
だから投馬国(宮崎都万)の北に本当の位置が、南に嘘の位置が、2つあるように書かれてしまったというわけ。
畿内説は単細胞だから、これ(邪馬台国が虚実2つ描いてあること)がいつまでたっても理解できないw

804:日本@名無史さん
22/08/16 15:04:19.33 .net
>>773
そんなもん西日本どこでも当てはまる

805:日本@名無史さん
22/08/16 15:04:24.13 .net
>>772
当然、陳寿は九州内だとか思ってない
九州とか知らないから
九州内とする資料なんてものも無い
現代日本人少数派の脳内以外には

806:日本@名無史さん
22/08/16 15:05:38.16 .net
>>778
理由を言えないのはトンデモ説だな

807:日本@名無史さん
22/08/16 15:05:48.67 .net
>>141
>>152
祇園山古墳が高良大社の麓にあることは、ほとんどの本州人は知らないので、困ったことですね(大和説の陰謀かな?!^^)。
まず、魏志倭人伝「女王国(九州)東渡海千里複有国皆倭種(本州)。又有侏儒国(四国)在其南、去女王(之所都)四千里」で、九州で決まり。
さらに「(女王国)其南有狗奴国(長官・狗古智卑狗=菊池彦)」ですから、邪馬台国七万戸は、菊地平野の北・筑紫平野しかないですね。
そして、3世紀中頃の築造で、殉葬者66人が確認されている王墓は祇園山古墳しかなく、その尾根上にある筑後国一之宮・高良大社で決まりです(おめでとうございます)!
ちなみに「不弥国から南水行二十日で投馬国に至る。さらに南水行十日陸行一月で邪馬台国に至る」は、「その道里を計るに、まさに会計東冶(帯方郡から12,000里)之東(沖縄と台湾の中間)にあるべし」と結論付けるために、陳寿が(帯方郡→建業→会稽東冶)までの「中国大陸沿岸の行程(12,000里)」を倭国(不弥国→投馬国→邪馬台国)にダブらせて転用した忖度(方便)とすると、投馬国五万戸(宮崎都万)も九州内に収まりますよ。
おそらく洛陽(後漢~曹魏~西晋の帝都)から見た倭国は、宿敵・孫呉の背後の海上にあって、(自ら渡海してまで朝貢して来て)魏のために呉を牽制しようとしてくれている「可愛い国♡」という認識だったんでしょう。
だからこそ特別に優遇して金印「親魏倭王」(鉄の発注書の封泥用)を与え、帯方郡の鉄の輸出を許可し、狗奴国の卑弥弓呼・狗古智卑狗を平定せよと銅鏡百枚(✕五百枚w)を与えたんでしょうね。

808:日本@名無史さん
22/08/16 15:05:51.43 .net
>>775
勿論、陳寿は連続していると思っていただろうけど、それがどうして陳寿がそれら全て九州内にあると思ってたって話になるんだ?陳寿はおそらく九州という概念すら知らなかったはずだし、九州内も外もないのでは?

809:日本@名無史さん
22/08/16 15:06:45.50 .net
>>776
忠実に書き写したんだけど実際水行二十日水行十日陸行一月が何処を指してるか知らない

810:日本@名無史さん
22/08/16 15:08:04.27 .net
馬鹿はおなじことをループするだけだから相手しても無駄だよ

811:日本@名無史さん
22/08/16 15:08:16.45 .net
>>777
ないよ。あれば邪馬壹国まで里数で書く
四国、近畿でも東にある

812:日本@名無史さん
22/08/16 15:09:19.02 .net
>>141
>>159
ついに「南水行十日陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝の核心は「計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。
1.西晋初代・武帝司馬炎は、祖父・司馬懿仲達(秀吉)を後見人に指名してくれた大恩人・曹叡(信長)の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまった判断ミスを正当化し、呉を滅ぼす先鞭を付けた賢帝に仕立てる必要があった。
→曹魏の帝都・洛陽から見て東南にある孫呉との戦いにおいて、その背後に倭国「女王之所都」があれば、最高の牽制となる。
→孫権の帝都・建業とほぼ同緯度の会稽郡「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南で、帯方郡から12,000里の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
2.ところで倭国の気候風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある儋耳朱崖に似ている。
3.しかし本当の位置も残さなければならない。
そこで陳寿が行った忖度が、女王国(九州)島が、狗邪(伽耶)韓国の南から儋耳朱崖(ベトナム)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む、南北に細長~い「2つの島」であるように思わせる印象操作。
まず「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【奴国1】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」→2回目の念押しがポイント)。
次に、投馬国(宮崎)から南水行十日にある奄美大島を海南島までグィ~ンと引き伸ばして、女王国島のパラレルワールド「邪馬台国島」を、そこに東治⇔東冶間の「陸行一月」を転用して幻の【奴国2】を創り、「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
★邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸

813:日本@名無史さん
22/08/16 15:11:18.84 .net
>>777
陳寿を嘘つきにしないと成り立たない九州説
陳寿の書いた『南』一字しか根拠がなかったのに・・
終わってるよ

814:日本@名無史さん
22/08/16 15:12:25.36 .net
というか陳寿を嘘つきにして何をしたいのかさっぱり分からん

815:日本@名無史さん
22/08/16 15:13:54.10 .net
伊都国も北東だしな。

816:日本@名無史さん
22/08/16 15:15:19.55 .net
>>781
ええっ?!
「不弥国から南水行二十日で投馬国、南水行十日陸行一月で邪馬台国に至る」って倭国内の地理じゃないの?
中国大陸沿岸の行程を、倭国内にむりやり当てはめて「その道里を計るに、まさに会稽東冶の東(沖縄と台湾の中間、洛陽から見た呉の真後ろ)にあるべし!」って嘘書いたわけ?
道理でw日本列島内のどこにも比定できないわけだ

817:日本@名無史さん
22/08/16 15:15:47.67 .net
>>785
>四国、近畿でも東にある
それは間違い
どれほど南国かという文脈で書かれているので
魏都の東でもあったら意味がない

818:日本@名無史さん
22/08/16 15:16:29.22 .net
>>782
あれで倭を説明してるつもりなんだよね
あの書き方は海を渡るとかを想定してない
不弥国~;投馬国~;邪馬台国で分かりやすく書いてるつもりなのよ


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