22/08/15 13:47:41.82 .net
>>288
年代の古い方から新しい方に伝播したと考えるのですよ。
当たり前ですよね?
306:日本@名無史さん
22/08/15 13:50:56.04 .net
>>290
伊都国王が女王国に統属していて
女王が伊都国に特に一大率を置いていて
その一大率が地方行政間である刺史のようだから
307:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
纏向ってどう考えても崇神の磯城瑞籬宮でしょ
308:日本@名無史さん
22/08/15 13:51:39.36 .net
>>292
>箸墓も纒向も、邪馬台国と絡めたことで正当に評価されなくなってしまった。
誰から?
証拠は?
309:日本@名無史さん
22/08/15 13:53:22.91 .net
>>293
>年代の古い方から新しい方に伝播したと考えるのですよ。
>当たり前ですよね?
何が新しくて、何が古いの?
具体的内容がありません
310:日本@名無史さん
22/08/15 13:53:49.76 .net
>>225
> 九州の前方後円墳は、纏向(纏向石塚古墳99m)の影響下で
> 博多に造られた那珂八幡古墳(85m)が始まり
> 続いて九州北部沿岸、東部沿岸に畿内よりも小規模のものが続々と造られ
> 有明海北部沿岸がもっとも遅い
これを書いた人は何が言いたかったの?
どちらも卑弥呼の時代より後なら、邪馬台国の話と関係なくなってしまう。
311:日本@名無史さん
22/08/15 13:54:25.97 .net
>>289
>あなたの常識は何が根拠ですか?
史料だね
312:日本@名無史さん
22/08/15 13:54:27.41 .net
>>295
> 纏向ってどう考えても崇神の磯城瑞籬宮でしょ
ですよね。
313:日本@名無史さん
22/08/15 13:55:29.44 .net
>>290
普通に読んだら女王国は伊都に一大率を置いており、これは中国の刺吏のようなものだとしか読めんでしょ
314:日本@名無史さん
22/08/15 13:57:15.22 .net
>>298
>どちらも卑弥呼の時代より後なら、邪馬台国の話と関係なくなってしまう。
どちらも卑弥呼の時代より後って、誰が言ったの?
あなた妄想多すぎでしょう
315:日本@名無史さん
22/08/15 13:58:03.67 .net
>>301
そうとしか読めん。 @阿波
316:日本@名無史さん
22/08/15 13:58:36.60 .net
>>300
>> 纏向ってどう考えても
考えてないだけ
317:日本@名無史さん
22/08/15 13:59:50.56 .net
>>303
誰もがそう読んでいる
違う読み方してる人がいるなら紹介して
318:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>268
段築葺石の箸墓は、纏向石塚(3世紀初頭)→那珂八幡(3世紀第2四半期)の後
319:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
酷い妄想してるのは糸厨ひとりのようだな
320:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>300
畿内説が生き残るには「アホバカ比売后説」を受け入れるしかないのですか?
321:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>307
>酷い妄想してるのは糸厨ひとりのようだな
そもそも、根拠となる集落遺跡がないんだから、最初っから無理説。 @阿波
322:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
自然斜面の雑木林に遺棄した説は学問畿内説ではない
323:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>277
>三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ
>「刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた」
こんな本が九州説では根拠だというのも笑っちゃうけど、これどう読んでも
「つまり、刺史は地方にとどまっているわけではない」
「本拠地は都に置かれていた」
って狂った結論は出てこない
324:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
畿内説なら邪馬台国と崇神天皇は当然連続ということになるのだろう。であれば崇神天皇と時代が近く上の世代の倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼の有力候補となるのだろう。
しかし考古学的に見て箸墓が卑弥呼の墓と言えるかは微妙なところだ
325:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
刺史は中央官僚じゃない
これ常識
326:日本@名無史さん
22/08/15 14:15:07.25 .net
>>312
>畿内説なら邪馬台国と崇神天皇は当然連続ということになるのだろう。
それ、あんたの妄想だろ
誰がそんなこと主張してる?
327:日本@名無史さん
22/08/15 14:15:16.99 .net
大率は太宰の前身でしょおそらく
328:日本@名無史さん
22/08/15 14:16:48.58 .net
妄想バカはいい加減ウザいのでNGしますね。荒らしやめてね。
329:日本@名無史さん
22/08/15 14:21:28.39 .net
>>312
>しかし考古学的に見て箸墓が卑弥呼の墓と言えるかは微妙なところだ
そんな高貴な人を最低環境のジメジメ湿地に埋葬する訳なかろう。
三流
330:学者が考えそうなことだ。 @阿波
331:日本@名無史さん
22/08/15 14:27:18.15 .net
三國志の時代で言うと、
司馬懿の下で公孫淵討伐、高句麗遠征をした?丘倹が幽州刺史
332:日本@名無史さん
22/08/15 14:28:20.69 .net
?丘倹=カン丘倹
333:日本@名無史さん
22/08/15 14:30:56.05 .net
>>316
妄想バカって糸厨のことか?
334:日本@名無史さん
22/08/15 14:32:41.91 .net
百済の十六品に「大率」という官僚はいない
335:日本@名無史さん
22/08/15 14:45:45.61 .net
伊都厨ボロボロだな
336:日本@名無史さん
22/08/15 14:53:36.95 .net
魏志倭人伝では壱岐を一大國って書いてるんだから、一大率は一支帥なんじゃないのか
337:日本@名無史さん
22/08/15 15:04:02.85 .net
ソツはサチかもなあ
海幸彦山幸彦一大率説を今思い付いたわ
338:日本@名無史さん
22/08/15 15:04:28.85 .net
>>301
刺史のような大率を置いていたけれど、大率が検察した対馬海峡が地方なのであって、伊都が地方というわけではありません。
339:日本@名無史さん
22/08/15 15:04:32.25 .net
そんなん伊都に特に置いたら変だわ
340:日本@名無史さん
22/08/15 15:05:35.11 .net
>>325
刺史治は地方に置くもんだ
341:日本@名無史さん
22/08/15 15:06:25.49 .net
>>306
> >>268
>
> 段築葺石の箸墓は、纏向石塚(3世紀初頭)→那珂八幡(3世紀第2四半期)の後
第二四半期の後とは、第三四半期のことですか?
それなら卑弥呼の死後なので邪馬台国論争とは関係なくなります。
筑紫にいた卑弥呼の死後に畿内勢力が進出してきたようにも解釈できます。
342:日本@名無史さん
22/08/15 15:07:03.00 .net
>>313
> 刺史は中央官僚じゃない
> これ常識
あなたの中ではそうなのですね。
343:日本@名無史さん
22/08/15 15:07:08.99 .net
>>325
そんなこと決めつける理由は?
344:日本@名無史さん
22/08/15 15:07:47.36 .net
>>329
いや、全世界的に常識だ
345:日本@名無史さん
22/08/15 15:10:24.82 .net
伊都に重要な遺跡があるのは分かるけど、戸数から言って首都と見るのは無理だろう
346:日本@名無史さん
22/08/15 15:11:42.91 .net
>>332
>伊都に重要な遺跡
ってなに? @阿波
347:日本@名無史さん
22/08/15 15:13:59.97 .net
>>333
よく知らんけどガラス玉とか鏡とか出てるんでしょ。それはまあ認めますよ
348:日本@名無史さん
22/08/15 15:16:29.16 .net
>>328
箸墓古墳は3世紀中頃から後半
那珂八幡は卑弥呼の生存中
349:日本@名無史さん
22/08/15 15:18:15.63 .net
>>326
> そんなん伊都に特に置いたら変だわ
伊都に置いて、伊都から北を検察してまわったのなら、中国における刺史と同じこと。
検察対象は、対馬海峡にあった伊都の周辺の国々です。
周辺の国々は伊都にいた大率を畏怖していました。
これは伊都を頂点とする支配構造の説明です。
350:日本@名無史さん
22/08/15 15:21:22.07 .net
>>336
IDとかなくて分からんから確認だけど、それって伊都地方行政府説?それとも伊都首都説?
351:日本@名無史さん
22/08/15 15:25:27.47 .net
三国志の英雄たちはほとんどが州牧または刺史を経験している。
彼らが必ずしも地方官とは言えないはずのだが。
352:日本@名無史さん
22/08/15 15:27:03.92 .net
>>334
鏡、剣、玉ですかね。
353:日本@名無史さん
22/08/15 15:27:24.13 .net
伊都に置かれたのは一大率じゃなくて一大率を管理する機関やろ
そこから高千穂に派遣されたのがニニギ、奈良に派遣されたのがニギハヤヒやな
354:日本@名無史さん
22/08/15 15:30:22.82 .net
>>338
>彼らが必ずしも地方官とは言えないはずのだが
三国志読んでないの?
地方官だよ
その地域で軍閥になった
355:日本@名無史さん
22/08/15 15:30:50.29 .net
>>337
魏志倭人伝を内容をよく読んで、どちらの解釈がより適切に思えるのか考えてみるべきだと思います。
刺史=地方官であっても、検察対象が伊都ではなく伊都より北の国々であれば、伊都の扱いは地方と切り捨てていいのか。
356:日本@名無史さん
22/08/15 15:31:22.60 .net
>>340
伊都に大率を置くと明記されてますよ。
357:日本@名無史さん
22/08/15 15:33:53.10 .net
>>340
率って帥、つまり長官のことでしょ
それを管理する機関ってどういうことよ
358:日本@名無史さん
22/08/15 15:36:54.85 .net
>>342
で、結局お前はどう考えてるのかって聞いてるのよ
はっきり言わないと話にならないよ
359:日本@名無史さん
22/08/15 15:45:5
360:0.06 .net
361:日本@名無史さん
22/08/15 16:04:30.76 .net
>>342
>魏志倭人伝を内容をよく読んで、どちらの解釈がより適切に思えるのか考えてみるべきだと思います。
いや、明らかにあなた不自然でしょう
刺史は地方官で刺史治は検察対象の管内の地方都市に置かれる
362:板野に居たの
22/08/15 16:30:42.30 .net
伊都に一大卒が派遣され、(伊都国を含む)伊都国の北の国を監督してる。
だと解釈しておりました。
都が何処であれ、伊都国は監督される対象ですね。
363:日本@名無史さん
22/08/15 16:31:45.97 .net
>>336
>伊都から北を検察してまわったのなら
そんなこと倭人伝に書いてない
364:日本@名無史さん
22/08/15 16:33:09.13 .net
>>334
そんなもの、全国の古墳から出ているよ。 @阿波
365:日本@名無史さん
22/08/15 16:35:30.90 .net
>>334
そんなもの、全国の古墳から出ているよ。 @阿波
なんせ、「倭人(阿波勢力)」のお墓なんだから。 @阿波
366:日本@名無史さん
22/08/15 17:05:09.58 .net
>>191
邪馬台国にそれがある記載もない。
367:日本@名無史さん
22/08/15 17:38:17.80 .net
>>352
殉葬も楼閣も魏志倭人伝にありますね。
畿内にはないようですが。
368:日本@名無史さん
22/08/15 17:38:41.31 .net
一大率が中央でも地方でも良いんだけど中国の使者には刺史のように見えたと言ってるだけでしょ
何をやってたからそう見えたんだ?
もしかすると日本も中国の中の一地方に当てはめてるかも知れないわけで
369:日本@名無史さん
22/08/15 17:39:55.95 .net
魏志倭人伝を読まない畿内説
書かれていないことはたくさん説明するが、魏志倭人伝に書かれていることを何一つ実証できない
370:日本@名無史さん
22/08/15 17:40:08.85 .net
>畿内説なら邪馬台国と崇神天皇は当然連続ということになるのだろう。
ならないw 考えもしない。畿内説はとにかく記紀から目を背けるってのが、正解。
(ガチキチ比売后を除くw)
371:日本@名無史さん
22/08/15 17:41:01.12 .net
>>349
書いてありますよ。
あなたの頭の中で、女王国はどこで、大率が検察した女王国以北とはどこですか?
372:日本@名無史さん
22/08/15 17:42:03.11 .net
魏志倭人伝からも記紀からも目を背けて、畿内説は妄想に耽るのみ。
373:日本@名無史さん
22/08/15 17:44:37.87 .net
伊都国の王が一大率をやってたとしても刺史のように見えればそれで良いわけで
374:日本@名無史さん
22/08/15 17:49:18.77 .net
刺史は軍隊だと思ってるんだけど
だから使者を女王の元へ送り届ける事ができるのよ
375:日本@名無史さん
22/08/15 17:51:59.00 .net
>>359
一理あります。
それだと、周辺の国々が畏怖していたのは伊都国にいた王だということになりますけどね。
それでその王の名が記載されていないとは不思議な話ということになります。
376:日本@名無史さん
22/08/15 17:53:11.37 .net
軍隊を養うんだから貿易品のピンハネくらいの特権がなきゃやってらんねえ
377:日本@名無史さん
22/08/15 17:54:11.30 .net
>>360
>刺史は軍隊だと思ってるんだけど
筑紫忌部だから軍隊でもある。
まぁ、どのみち、だれも「倭人(阿波勢力)」に逆らう者などいないが。 @阿波
378:日本@名無史さん
22/08/15 17:55:56.08 .net
異民族の属国の伊都国は、渡海で疲れた郡使が一時滞在するところなので、
伊都王は料理人であり尚且つ宴会芸人というとても重要な能力が要求される
379:日本@名無史さん
22/08/15 17:57:28.81 .net
江戸時代じゃねーんだから畿内説とか推してる奴って頭パーなの?
ヤマト王権との関係はどう説明するのさ?あんまり神話を軽んじるべきではないよ。
トロイア遺跡は神話から発見されたんだし
記紀にいったっては歴史書を無理やり神話っぽくアレンジしてるようにも思える。
380:日本@名無史さん
22/08/15 17:58:13.54 .net
>>362
魏志倭人伝では女王の元まで間違いなく届くと称賛しているので、ピンハネや中抜きはなかったようです。
381:日本@名無史さん
22/08/15 17:59:53.34 .net
>>366
魏からの贈り物を中抜きできるか!
382:日本@名無史さん
22/08/15 17:59:55.85 .net
伊都国奴国不弥国までは里程が細かく書かれているのに、そこから先はまったく里程が書かれていないのも謎。
そもそも後漢書では楽浪帯方から邪馬台国まで
383:一万二千里なのに、九州上陸で一万里を使い果たしているし。
384:日本@名無史さん
22/08/15 18:01:16.10 .net
>>365
>江戸時代じゃねーんだから畿内説とか推してる奴って頭パーなの?
同じく、九州説もな。 わははははは @阿波
385:日本@名無史さん
22/08/15 18:01:32.42 .net
>>365
そうですね。
崇神天皇の宮と思われる遺構、すなわち纏向遺跡が見つかった今となっては、魏志倭人伝と記紀における畿内の歴史との乖離は著しいと言わざるを得ないです。
386:日本@名無史さん
22/08/15 18:02:11.68 .net
>>360
郡使往來常所駐とあるように郡使は伊都に駐在するから女王には多分会ってないよ。
そもそも自爲王以來、少有見者とあるように卑弥呼に謁見できるものは殆どいない。女の召使と側近の男子一人だけ。
387:日本@名無史さん
22/08/15 18:03:11.53 .net
>>368
その先は郡使が直接行ってないからだろうな
388:日本@名無史さん
22/08/15 18:03:48.47 .net
>>368
>伊都国奴国不弥国までは里程が細かく書かれているのに、そこから先はまったく里程が書かれていないのも謎。
ひとつ確実に言えることは、不弥国から先は九州を離れて、四国だということ。 @阿波
389:日本@名無史さん
22/08/15 18:05:08.95 .net
>>365
当然、畿内説なら邪馬台国とヤマト王権は連続だろ
390:日本@名無史さん
22/08/15 18:05:19.63 .net
一方の九州説は、伊都国が工業的にも中心地だったことがわかったり、平原遺跡のような卑弥呼の時代の女王墓の発見により、昔の九州説とは全く別物と言えます。
たまに放射説を叩いて満足している畿内説の方もいるようですが、少なくともこの板で放射説を唱えている九州説は誰もいないので、ご苦労なことです。
仮想敵を叩いて満足しているのが今の畿内説です。
九州の中でも、女王国があり得たのは考古学的にも九州北部、それもほぼ筑紫に限られると思います。
たまに佐賀を推す人もいるようですが、誤差のようなもの。
391:日本@名無史さん
22/08/15 18:06:56.39 .net
>>375
放射説を唱えずに九州説ってどうやって成立させるの?行程の記述は不正確だから全無視?
392:日本@名無史さん
22/08/15 18:07:26.16 .net
>>368
>伊都国奴国不弥国までは里程が細かく書かれているのに、そこから先はまったく里程が書かれていないのも謎。
ひとつ確実に言えることは、不弥国から先は九州を離れて、四国だということ。 @阿波
393:日本@名無史さん
22/08/15 18:08:07.69 .net
>>371
卑弥呼に謁見しなければ郡使は役割を果たせないし、さすがに皇帝の使いには会ったのでしょう。
だからこそ、その人となりが魏志倭人伝に記載できるわけですし。
伊都にいた郡使が卑弥呼に会ったのなら、卑弥呼は限りなく伊都に近いところにいたはず。
伊都国奴国不弥国が女王国と解釈すると、魏志倭人伝の謎は概ね解けます。
394:日本@名無史さん
22/08/15 18:09:52.52 .net
>>368
邪馬台国まで一万二千里の記述はない。
女王国の境、奴国までだな
395:日本@名無史さん
22/08/15 18:10:26.21 .net
そもそも郡使の役割って何だったんだ?
格上である帯方郡の使者が女王に謁見というのも奇妙な話だが
396:板野に居たの
22/08/15 18:11:08.67 .net
>>378
そしたらヤマトコクとはなんじゃい?
って話になる。
397:日本@名無史さん
22/08/15 18:11:14.94 .net
>>378
>伊都国奴国不弥国が女王国と解釈すると
無茶苦茶じゃのうww そこまで捻じ曲げるかww 苦しいんじゃのうww @阿波
398:日本@名無史さん
22/08/15 18:11:17.70 .net
>>379
それは俺もそう思う。奴国か、あるいは伊都国かも知れないが。
399:日本@名無史さん
22/08/15 18:13:12.16 .net
>>378
奴国か不彌国?
伊都国内で謁見の場とかあるかもしれないな
400:日本@名無史さん
22/08/15 18:13:47.23 .net
>>380
当然上座は使者
401:日本@名無史さん
22/08/15 18:14:24.64 .net
>>379
>邪馬台国まで一万二千里の記述はない。
だから、女王国まで直線距離で一万二千里。 @阿波
402:日本@名無史さん
22/08/15 18:14:46.01 .net
>>378
概ね解けるどころか、水行二十日投馬國、水行十日邪馬台国(女王の都)がくっそ謎になるが
403:日本@名無史さん
22/08/15 18:16:37.84 .net
>>376
里程と日程か併記されているのですよ。
里程は筑紫までで終わっています。
404:日本@名無史さん
22/08/15 18:18:12.94 .net
>>385
お前、天皇の勅使と勘違いしていないか?
朝鮮通信使も信長や秀吉の上座だったというのか? @阿波
405:日本@名無史さん
22/08/15 18:18:34.24 .net
>>379
後漢書
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
406:日本@名無史さん
22/08/15 18:21:51.89 .net
>>380
確かに珍しいことですね。
個人的には、一方的に朝貢を受けるだけではなく、朝貢してきた卑弥呼が本当に後漢の頃の倭奴国の後継の王なのかどうか確かめる必要があったのではないでしょうか。
郡使は奴国が依然として倭の最大国邑であるが、その隣の伊都に権力機構があり、あわせて女王国として機能していることを報告したのです。
407:日本@名無史さん
22/08/15 18:23:08.55 .net
>>385
お前、天皇の勅使と勘違いしていないか?
お前、板野の糞じゃろが!
板野の売郷奴は、いかにも冷静で偉そうに見せかけるが、
実際はずる賢くて、間の抜けた雑魚。 わははははは @阿波
408:日本@名無史さん
22/08/15 18:33:24.60 .net
郡使は魏の皇帝の勅使でしょ
409:日本@名無史さん
22/08/15 18:35:19.92 .net
旧唐書
倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。諸国はこれを畏怖している。
日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。
410:日本@名無史さん
22/08/15 18:35:44.88 .net
>>393
>郡使は魏の皇帝の勅使でしょ
だからなんだ? 倭国(阿波)の勅使ならいざ知らず! @阿波
411:日本@名無史さん
22/08/15 18:39:45.58 .net
日本の国号は、交野に降臨した饒速日が生駒山において命名した
つまり畿内が日本国
日本国は倭から見て日の出る方にあるという
卑弥呼は日本国ではなく倭国の王
412:日本@名無史さん
22/08/15 18:42:00.16 .net
>>396
>日本国は倭から見て日の出る方にあるという
日本国(奈良大和)は倭(阿波)から見て日の出る方にあるという。 @阿波
413:日本@名無史さん
22/08/15 18:46:31.73 .net
>>388
併記?
投馬国まで里数は?
414:日本@名無史さん
22/08/15 18:47:42.92 .net
>>368
>伊都国奴国不弥国までは里程が細かく書かれているのに、そこから先はまったく里程が書かれていないのも謎。
ひとつ確実に言えることは、不弥国から先は九州を離れて、四国だということ。 @阿波
415:日本@名無史さん
22/08/15 18:49:20.59 .net
ものすごく簡単な話をしよう。
神武天皇がBC660年即位というのは、時代を大きくずらして、神武と同時代の真の卑弥呼を隠すためだ。
その真の卑弥呼を隠したのは、AD107年の帥升がスサノオである事を隠すためだ。
この簡単な原理原則に誰も気づいていない。
神武をはじめ6代孝安以前の宮が奈良県御所市に集中している。
彼らが大王ではなくとも、当時の権力の中枢にいたのは事実なので、
つまり邪馬台国の都は奈良県御所市なのだ。
こんな簡単なことも分からないバカどもが、
卑弥呼がいたのは、やれ纏向だ、筑紫だ、阿波だなどと喚いている。
お前らはアホなのである。
416:日本@名無史さん
22/08/15 18:53:40.41 .net
>>398
投馬国へは郡使は行っていないので、里程は記載されていません。
日程は、倭人からの聞き取りです。
倭人は里数を知らず、日数で距離を測る(未開人である)。
(隋書)
(もちろん、中華文明の人間はそのような無知なことはしないから、)
(郡使が実際に通過した経路である)女王国から北は道里を略載できる。
(魏志)
そして伊都国が(女王国の中でも)常に郡使が駐在するところである。
(魏志)
417:日本@名無史さん
22/08/15 18:54:26.12 .net
魏志倭人伝
投馬国、邪馬壹国は九州以外。
卑弥呼は弥生時代後期以降の
九州のト骨の出土ある
地域にいると推測
418:日本@名無史さん
22/08/15 18:55:16.35 .net
>>393
皇帝の勅使ではなく、帯方太守の部下だろう。記録にあるのは建中校尉梯儁と塞曹掾史張政かな。
419:日本@名無史さん
22/08/15 18:55:55.74 .net
>>401
邪馬壹国にも行っていないだろうな
420:日本@名無史さん
22/08/15 18:57:42.09 .net
>>402
南至邪馬壹國。女王之所都はどうすんだ
421:日本@名無史さん
22/08/15 19:00:23.91 .net
>>400
欠史八代については、事績がないので権力の座にはなかったでしょう。
その年代の大和の権力者は、三輪山の神、石上神宮を擁する饒速日とその末裔の物部氏です。
奈良盆地を日の出る方から見下ろす神奈備である三輪山こそ権力の座です。
崇神天皇は母方が物部氏であるので、宮も纒向遺跡と呼んでいる奈良盆地の東側にいたのです。
前方後円墳が発達したのもこのエリアであり、前方後円墳は物部氏の墓制です。
纒向遺跡や箸墓古墳は、ヤマト王権の権力構造を解き明かす上で重要な遺跡ですが、邪馬台国を絡めることでさまざまなことがうやむやになってしまっている。
422:日本@名無史さん
22/08/15 19:01:58.11 .net
うやむやというと?
423:日本@名無史さん
22/08/15 19:04:51.48 .net
物部氏か天皇家より強い権能を持っていたからこそ、畿内の国号も饒速日が名づけた日本がそのまま持ちいられたわけです。
または、狭義の日本は、生駒山周辺の日下と同じかもしれません。
日本も日下もヒノモトと読めますし。
424:日本@名無史さん
22/08/15 19:05:37.24 .net
>>375
九州北部でもっとも発展している外港都市博多の首長は、
畿内の影響下にあることが研究成果でわかったから
学者の通説は畿内説になった
425:日本@名無史さん
22/08/15 19:07:34.76 .net
>>401
>投馬国へは郡使は行っていないので、里程は記載されていません。
なんで?
426:日本@名無史さん
22/08/15 19:08:08.21 .net
>>406
>欠史八代については、事績がないので権力の座にはなかったでしょう。
あのね、事績を書いたら卑弥呼もトヨも分かってしまうでしょ。
神武をbc660年に大きくずらしてまで真の卑弥呼を隠したのに元も子もないでしょ。
少しは頭を使って考えよう。
427:日本@名無史さん
22/08/15 19:08:38.63 .net
>>271
建物跡はあなたの期待より少ないのかもしれない
ただ、それは遺跡の規模が3k㎡と巨大で発掘はその5$に留まっていることや過去の水害の影響などによるもの
都市としての構造物(巨大水路など)も発見されており
規模・範囲は把握されているので今後も新しい発見があるでしょう
428:日本@名無史さん
22/08/15 19:12:31.28 .net
>>378
>伊都にいた郡使が卑弥呼に会ったのなら、卑弥呼は限りなく伊都に近いところにいたはず。
「伊都にいた郡使」というのが訳の間違いなだけだし
そんな変な和訳した人、いないでしょ
429:日本@名無史さん
22/08/15 19:13:54.68 .net
>>412
5$は5%の間違いでした??
失礼しました
430:日本@名無史さん
22/08/15 19:15:26.86 .net
>>409
どうわかったのか、具体的に説明してみてください。
魏志倭人伝では奴国の首長層はあまり重視されず、伊都国ばかり重視されています。
奴国の首長層がどこと関係しようと関係ないでしょう。
431:日本@名無史さん
22/08/15 19:16:26.32 .net
>>414
一行目文末
432:の??も間違いです 重ね重ね、すみれせん
433:日本@名無史さん
22/08/15 19:17:13.14 .net
>>410
行った場所は、不弥国のようにあまり重要でなくても里程が記載されています。
魏志倭人伝では、郡使が通過した、女王国より北は里程を記載できるとしています。
434:日本@名無史さん
22/08/15 19:17:35.61 .net
>>409
博多は畿内の影響下の部分、もっと詳しく
435:日本@名無史さん
22/08/15 19:19:11.39 .net
>>412
遺跡がひしめき合う奈良盆地において、纒向遺跡だけ3平方キロも想定する方がおかしいですね。
それなら福岡平野なんてどうなるのでしょうね。
436:日本@名無史さん
22/08/15 19:22:31.55 .net
>>419
何が、おかしいの?
437:日本@名無史さん
22/08/15 19:23:52.82 .net
>>408
>物部氏か天皇家より強い権能を持っていたからこそ
強い権力って崇神は物部の母から纏向で生まれたので、
物部がいわゆる外戚であっただろうけどね。
しかしそれは4世紀初頭の話し。
2世紀末から3世紀後半まで、つまり卑弥呼からトヨの時代まで権力中枢はどこにあったかという話。
時代はちょうど孝安以前の話になる。
奈良県御所市なのだが?
438:日本@名無史さん
22/08/15 19:24:41.56 .net
>>416
すみません
でした
>>419
巨大集落というより一つの都市遺跡と言うべきだと思います
439:日本@名無史さん
22/08/15 19:25:10.50 .net
>>415
>魏志倭人伝では奴国の首長層はあまり重視されず、伊都国ばかり重視されています。
名前も書いてないのに、どこが重視だ
440:日本@名無史さん
22/08/15 19:25:15.82 .net
>>357
>書いてありますよ。
書いてあるというなら引用してみろよ
出来ないだろう
つまり、書いてない
441:日本@名無史さん
22/08/15 19:25:49.23 .net
>>408
>日本も日下もヒノモトと読めますし。
その日下(ヒノモト)は「阿波」。 @阿波
442:日本@名無史さん
22/08/15 19:28:59.47 .net
>>418
在来系の村を壊して首長をを前方後円墳に葬り、畿内式土器でお祭り儀式をしている
443:日本@名無史さん
22/08/15 19:30:05.64 .net
仮に邪馬台国が近畿だったとすると、卑弥呼も物部と無関係だとは考えにくくなる。
例えば説の一つである倭迹迹日百襲姫命を考えてみると、この姫命は三輪山の大物主命と婚姻関係を結んだので、当然物部と関係するということになるだろう。
一方、姫命の出自を見てみると孝霊天皇と倭国香媛の子とされている。倭国香媛は別名蠅伊呂泥で、師木県主波延(磯城県主葉江)の子孫とされる。葉江は神武天皇に帰順した弟磯城の子だ。また葉江の一族からは安寧天皇、孝昭天皇、懿徳天皇、綏靖天皇の皇后も出ており、欠史八代の有力外戚だったことが伺える。
従って仮に卑弥呼が倭迹迹日百襲姫命だったとすれば、卑弥呼は孝霊天皇の姫というだけでなく、磯城県主、物部氏という有力氏族をバックグラウンドに持っていたことになる。
444:日本@名無史さん
22/08/15 19:30:55.28 .net
>>422
>一つの都市遺跡と言うべきだと思います
どうして? @阿波
445:日本@名無史さん
22/08/15 19:32:05.76 .net
>>415
伊都国王は重視されていない
方位が違う糸島が伊都国に比定される根拠は楽浪土器が出土していること
楽浪土器の出土は公孫氏の時代にピークがあり卑弥呼の時代には減少し
台与の時代は搬入されていないことがわかってきた
卑弥呼の時代の博多では畿内の供献土器筑前型庄内甕の模倣制作が始まり
博多湾沿岸に搬出されている
北部九州型布留甕までには在地土器の供献はなくなる
3世紀前半には纏向と同じ前方後円墳(当時九州最大)が築造されている
3世紀の糸島は博多湾沿岸に何の影響を与えていない
446:日本@名無史さん
22/08/15 19:33:24.88 .net
>>408
>または、狭義の日本は、生駒山周辺の日下と同じかもしれません。
交野と日下は近くない
447:日本@名無史さん
22/08/15 19:35:06.86 .net
>>428
計画的に作られたエリアだから
448:日本@名無史さん
22/08/15 19:35:08.85 .net
>>429
福津周辺を避けた考察にすぎん。 @阿波
449:日本@名無史さん
22/08/15 19:36:04.46 .net
>>427
>従って仮に卑弥呼が倭迹迹日百襲姫命だったとすれば、卑弥呼は孝霊天皇の姫というだけでなく、磯城県主、物部氏という有力氏族をバックグラウンドに持っていたことになる
時代が100年は違うから無理です。
卑弥呼とはヤマトの主神の娘。
そりゃ女王なのだから当然でしょ。
卑弥呼のお父さんは今も関西で「えべっさん」として信仰されてるよ。
450:日本@名無史さん
22/08/15 19:36:13.61 .net
>>405
都となる所で
居る所ではない。
451:日本@名無史さん
22/08/15 19:36:14.40 .net
>>431
>計画的に作られた
なにが? @阿波
452:日本@名無史さん
22/08/15 19:36:57.70 .net
>>427
>仮に邪馬台国が近畿だったとすると、卑弥呼も物部と無関係だとは考えにくくなる。
いや無関係でしょ
物部ってもっと後世の豪族だから
453:日本@名無史さん
22/08/15 19:37:39.90 .net
>>421
物部を外戚と位置付けることが誤りなのですよ。
崇神が磯城または纒向に宮を構えたということは、むしろ母系相続により物部氏の権力基盤に基づいて大王となったことを示しています。 <
454:br> それ以前にういては、天皇家ではなく物部氏に主権があったと考えるべきです。 あなたが主張してあるのは、天皇家を中心とした皇国史観に他ならない。 ナンセンスです。
455:日本@名無史さん
22/08/15 19:38:17.08 .net
>>435
整地が
456:日本@名無史さん
22/08/15 19:39:01.69 .net
>>436
物部が4世紀か5世紀になって急に生えて来たとでも思ってんのか
457:日本@名無史さん
22/08/15 19:39:10.91 .net
>>422
そもそも都市として京師が営まれるようになるのは、数100年後ですよ。
458:日本@名無史さん
22/08/15 19:39:28.77 .net
>>437
だから、三世紀に物部なんて無いってば
459:日本@名無史さん
22/08/15 19:39:29.17 .net
>>438
>整地が
どのように? @阿波
460:日本@名無史さん
22/08/15 19:39:50.28 .net
>>428
URLリンク(kspkk.co.jp)
461:日本@名無史さん
22/08/15 19:39:58.29 .net
>>423
「名を曰く卑弥呼と」
462:日本@名無史さん
22/08/15 19:40:52.11 .net
>>426
それが247年より前だとする根拠はありますか?
463:日本@名無史さん
22/08/15 19:41:22.04 .net
>>441
じゃあお前が考える物部氏の発生って何時ごろでどういう経緯なの?
464:日本@名無史さん
22/08/15 19:41:38.50 .net
>>437
>崇神が磯城または纒向に宮を構えたということは、むしろ母系相続により物部氏の権力基盤に基づいて大王となったことを示しています。
>それ以前にういては、天皇家ではなく物部氏に主権があったと考えるべきです。
何を適当でいい加減なこと言ってるんだ。
崇神の時代まで大物主が生きてるだろ。
モモソヒメと結婚してるよな。
主権は大物主にあったんだ、分かったか。
465:日本@名無史さん
22/08/15 19:42:17.04 .net
>>442
森林の伐採とか治水とか、自然の改造が一気に行われたことが花粉分析でわかってる
466:日本@名無史さん
22/08/15 19:43:54.27 .net
>>427
でも百襲姫って、早くに亡くなりましたよね。
卑弥呼は180~190年頃には年長大で即位し、247年頃まで生きています。
ぜんぜんプロファイルが違います。
467:日本@名無史さん
22/08/15 19:44:07.38 .net
>>448
森林の伐採とか治水とか、自然の改造が一気に行われたことが
なんで花粉分析で分かるんだ? @阿波
468:日本@名無史さん
22/08/15 19:44:15.55 .net
>>440
あなたも>>443を読んでくださいね
469:日本@名無史さん
22/08/15 19:44:23.42 .net
>>446
五世紀少し前くらいから職能集団の擬制的同族化が進んで出来た
470:日本@名無史さん
22/08/15 19:44:25.45 .net
そもそも物部なんて居ない
471:日本@名無史さん
22/08/15 19:44:42.13 .net
>だから、三世紀に物部なんて無いってば
物部って名称が後世でも、その物部につながるリネージは東瀬戸内を中心に弥生後期には存在しただろうね。
472:日本@名無史さん
22/08/15 19:45:34.71 .net
>>429
卑弥呼は、公孫氏が倒されるまでは公孫氏に朝貢していまも考えられています。
だから、楽浪土器が伊都国から大量に出るのは合っているのです。
473:日本@名無史さん
22/08/15 19:46:03.37 .net
>>454
>物部って名称が後世でも、その物部につながるリネージは東瀬戸内を中心に弥生後期には存在しただろうね。
だから、「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw @阿波
474:日本@名無史さん
22/08/15 19:46:20.69 .net
>>450
湿潤から乾燥、樹木から草本など、一気に自然環境が変わっている
475:日本@名無史さん
22/08/15 19:48:06.78 .net
>>454
>物部って名称が後世でも、その物部につながるリネージは東瀬戸内を中心に弥生後期には存在しただろうね。
理由は?
476:日本@名無史さん
22/08/15 19:48:51.31 .net
>>429
糸島が博多に影響していないと、何か問題ですか?
糸島に権力があったことは魏志倭人伝から明らかです。
土器より重要な鉱工業は糸島の方が盛んだった。
博多で庶民が生活土器を作って流通させていただけです。
魏志倭人伝を無視した議論は不毛です。
477:日本@名無史さん
22/08/15 19:49:09.40 .net
>>457
>湿潤から乾燥、樹木から草本など、一気に自然環境が変わっている
仮にそうだとしても、それがなんで奈良盆地限定なんだ? @阿波
478:日本@名無史さん
22/08/15 19:52:06.17 .net
糸島には墓があるだけじゃん
479:日本@名無史さん
22/08/15 19:52:24.33 .net
>>452
むしろその根拠を詳しく聞きたい。前身はないのか?どうやってヤマト王権の最有力氏族に発展した?
480:日本@名無史さん
22/08/15 19:52:38.26 .net
>>459
>糸島に権力があったことは魏志倭人伝から明らかです。
あなた独特の変な読み方を絶対視する方が不毛では?
481:日本@名無史さん
22/08/15 19:55:09.33 .net
>>462
特定の職掌に特化した氏族だから部曲の発生以降に出来た
482:日本@名無史さん
22/08/15 19:55:14.92 .net
>>459
糸島の鉱工業の遺跡は?
483:日本@名無史さん
22/08/15 19:56:16.30 .net
>>430
> >>408
> >または、狭義の日本は、生駒山周辺の日下と同じかもしれません。
>
> 交野と日下は近くない
どちらも饒速日に関わる地だからしょうがない。
そもそも畿内という広域で論じているのですよ。
三輪山や纒向も饒速日の土地ですし。
なんなら、饒速日の神鏡が残る籠神社や、饒速日の末裔である尾張氏が拠点として、纒向に土器を移出していた尾張も饒速日のクニに含めてもいいかもしれません。
しかし、その中でとくに最初に日本または日下と呼んでいたのは、大阪平野の東側だったのだろうということです。
まあ、西側はまだ海の底だったはずですが。
484:日本@名無史さん
22/08/15 19:57:34.79 .net
纏向というのはニギハヤヒが神武に屈した金鵄(きんし)伝説の地、桜井市外山(とび)があり、
物部の母をもう崇神が生まれ育った土地であり、
物部守屋が尼さん三人を裸にしてツバイチ(纏向)で鞭打った地、つまり守屋の領地であり、
その守屋の6世紀末の死と同時に前方後円墳の造営が終了している、
つまり纏向遺跡に展開する前方後円墳とは物部リネージのもの。
物部という名称が後世であろうがそんな事はどうもいいのだ。
485:日本@名無史さん
22/08/15 19:57:47.31 .net
糸島伊都国の権力はわずか千戸の権力
486:日本@名無史さん
22/08/15 19:59:09.21 .net
>>458
東瀬戸内、播磨、和泉、讃岐に、纏向より先行する突起付き円墳が存在する。
ことごとく物部に係る土地だ。
487:日本@名無史さん
22/08/15 19:59:14.89 .net
痕跡も無いのになんで糸島が伊都国の比定地になってるんだろうな
488:日本@名無史さん
22/08/15 20:00:23.90 .net
>>467
新興豪族がだぜつした名門の名前をパクるのは、よくあること
489:日本@名無史さん
22/08/15 20:04:07.59 .net
>>469
アッチコッチにあり過ぎるのが本当の血縁じゃ無い証拠
源平や藤原みたいな拡散型じゃない
490:日本@名無史さん
22/08/15 20:06:03.64 .net
>>471
パクったという証拠は?
あと崇神の母君が何族なのか、その血族名言ってみ。
491:日本@名無史さん
22/08/15 20:07:04.32 .net
>>472
共通の墓制を持つので同じ血族だろうね。
492:日本@名無史さん
22/08/15 20:07:49.89 .net
>>466
勝手に日本と日下を一緒にするのはナンセンス
493:日本@名無史さん
22/08/15 20:08:27.71 .net
物部という名称ができたのは後世かも知れないが、物部を所管する物部連の地位についた一族はもっと早くから存在してただろ。饒速日命や宇摩志麻遅命はともかく、大綜麻杵命、伊香色雄命あたりからは実在性あるんじゃないのか。
494:日本@名無史さん
22/08/15 20:09:43.83 .net
>>469
>ことごとく物部に係る土地だ。
ことごとく「倭人(阿波勢力)」の進出した土地だ。 @阿波
495:日本@名無史さん
22/08/15 20:11:07.29 .net
>>474
>共通の墓制を持つので同じ血族だろうね。
だから、「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw @阿波
496:日本@名無史さん
22/08/15 20:12:14.19 .net
畿内説では畿内の人間は畿内の地面から生えてくるものなので
物部も巻向から生えてきたものと思われる
497:日本@名無史さん
22/08/15 20:12:54.17 .net
>>476
だから、物部も饒速日命も宇摩志麻遅命も大綜麻杵命も伊香色雄命も
みんな、「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw @阿波
498:日本@名無史さん
22/08/15 20:13:34.06 .net
例えば魏志倭人伝
難升米が物部氏のご先祖とか?
499:日本@名無史さん
22/08/15 20:15:05.23 .net
>>481
>難升米が物部氏のご先祖とか?
だから、物部氏のご先祖も「倭人(阿波勢力)」。 @阿波
500:日本@名無史さん
22/08/15 20:17:51.18 .net
>難升米が物部氏のご先祖とか?
難升米は中臣じゃないかな。
501:日本@名無史さん
22/08/15 20:19:16.45 .net
>>436
他に呼びようがないから物部氏と呼んでいるけれど、祖である饒速日は天孫ニニギの兄であり、アマテラスの孫です。
神武よりずっと年上ですよ。
物部氏は最古の氏族の一つです。
502:日本@名無史さん
22/08/15 20:19:17.38 .net
>>483
>難升米は中臣じゃないかな。
だから、物部も中臣も「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw @阿波
503:日本@名無史さん
22/08/15 20:20:53.25 .net
>>484
だから、物部氏も祖である饒速日も天孫ニニギもアマテラスも
みんな、「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw @阿波
504:日本@名無史さん
22/08/15 20:22:04.71 .net
>祖である饒速日は天孫ニニギの兄であり、アマテラスの孫です。
はいはい、何言ってるんだ、逝ってよし。
505:日本@名無史さん
22/08/15 20:22:47.85 .net
阿波はどう考えても伊邪国やで?
506:日本@名無史さん
22/08/15 20:23:02.74 .net
「天皇家」も「蘇我氏」も「物部氏」も「中臣氏」も「葛城氏」も「大伴氏」も、
平安時代の『新撰姓氏録』編纂以前は全部、「仮称忌部一族(阿波勢力)」。
みんな元を辿れば全部、「仮称忌部一族(阿波勢力)」=「倭人」。
ここでいう「仮称忌部一族(阿波勢力)」とは、衰退した平安時代の
『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
倭人とは「仮称忌部一族(阿波勢力)」(広義の忌部氏)であり、
全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
「仮称忌部一族(阿波勢力)」の一派、忌部(斎部)氏は、
物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波
507:日本@名無史さん
22/08/15 20:24:56.20 .net
「仮称忌部一族(阿波勢力)各豪族の想定本貫地」 @阿波
三輪氏=徳島市国府町「大御和神社」周辺地域
葛城氏=鳴門市北灘町「葛城神社」周辺地域
賀茂氏=旧美馬郡三加茂町「鴨神社」周辺地域
物部氏=旧麻植郡山崎「忌部神社」周辺地域
中臣氏=板野郡板野町中富周辺地域
蘇我氏=石井町「曽我氏神社古墳群」周辺地域
508:日本@名無史さん
22/08/15 20:26:23.13 .net
>>447
その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
大神神社はまさに物部氏の地盤に位置しています。
大物主が年代を超えて登場するので、世襲された呼称だったのかもしれません。
天照や彦火火出見も世襲されていますから。
509:日本@名無史さん
22/08/15 20:28:34.18 .net
>>491
根拠ないし
510:日本@名無史さん
22/08/15 20:29:44.38 .net
>>491
>その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
閑古鳥の大物主バカよ。
だから、物部氏も饒速日も「倭人(阿波勢力)」ってことだ。 分かった? わははははは @阿波
511:日本@名無史さん
22/08/15 20:30:04.61 .net
>>484
だから、その証拠は?
512:日本@名無史さん
22/08/15 20:33:25.77 .net
なんでも阿波男と誰でも物部男は同類だな
513:日本@名無史さん
22/08/15 20:34:35.25 .net
アマテラスも同じだ
そんなの居ねえ
514:日本@名無史さん
22/08/15 20:37:26.13 .net
>>491
>その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
ぜんぜん違う。
スサノオから神武時代の事代主、そして最後の阿田賀田須まで続く系譜が大物主。
物部は全然違う。
前者の大物主は銅鐸祭祀の一族、
後者の物部は前方後円墳と鏡祭祀の一族。
歴史を勝手に創作するな。
515:日本@名無史さん
22/08/15 20:39:32.65 .net
>>493
>その大物主の正体が物部氏または饒速日の末裔だということですよ。
大物主が物部の末裔?はぁ?アホか? @某1
516:日本@名無史さん
22/08/15 20:47:22.62 .net
>>497
>歴史を勝手に創作するな。
おまいう
517:日本@名無史さん
22/08/15 20:47:44.01 .net
>>493
スサノオの子にして稲荷神の兄神である大年神は
父、スサノオが御室山(みむろ)の磐座に御鎮座なさいました事に因み
倭で最も美しい東の山を御諸山(みもろ)と名付け御鎮座なさいました。
大年神は大物主(事代主)と呼ばれ、神話では、大国主という別名が与えられた神です。
なんでまだ、物部が存在しない時代に大物主がその末裔になるの?
長髄彦は飛鳥大神(事代主)の子で、妹と饒速日の子が物部の始祖ですが?
後付け設定の天物部集団とかそう言う事?
518:日本@名無史さん
22/08/15 20:48:08.69 .net
>>451
ちらっと読みましたが、嘘だらけのひどいページですね。
土木用の用具が多いのは、都市を作るためではなく、古墳を作るためですよ。
各地の土器が出ると書かれていますが、実際には大半が尾張東海のものです。
博多の方がよほと広域の文物が集まっていたし、何より土木工事が盛んだったわりには、便利な金属器が皆無。
金属器工業で栄えていた筑紫の恩恵をまったく受けられなかった可哀想な土地だということがわかります。
畿内が博多に影響を与えたどころか、博多に全てを貢いでいただけの植民地ですよ。
519:日本@名無史さん
22/08/15 20:48:50.60 .net
>>454
それ、前方後円墳の成立過程と一致しませんか?
520:日本@名無史さん
22/08/15 20:49:09.43 .net
@某1って何だよW
521:日本@名無史さん
22/08/15 20:50:56.19 .net
>>499
何言ってるんだ、スサノオの系譜は地祇本紀に書かれてるだろ。
勝手に創作するな。
522:日本@名無史さん
22/08/15 20:52:08.56 .net
>長髄彦は飛鳥大神(事代主)の子で、妹と饒速日の子が物部の始祖ですが?
逝ってよし
523:日本@名無史さん
22/08/15 20:52:50.95 .net
>>502
そうだよ。
524:日本@名無史さん
22/08/15 20:53:09.47 .net
>>500
それらの神々すべてが「倭人(阿波勢力)」であり、
記紀神話がすべて「阿波」で起こった物語だということ。 @阿波
525:日本@名無史さん
22/08/15 20:54:29.13 .net
>>457
それは古墳作りのために荒廃したのですよ。
建物がなくて墓ばかり。
しかも工人には金属器が与えられずに木製器で大規模工事を強いられていたわけです。
湿地は干上がり、山は丸坊主になった。
そんな搾取されるだけの土地が奈良盆地でした。
富は全て筑紫に集まっていました。
平原遺跡のガラス製品は、遠くペルシアから運ばれたものでした。
奈良には、何もない。
526:日本@名無史さん
22/08/15 20:54:44.83 .net
>>502
>それ、前方後円墳の成立過程と一致しませんか?
そりゃ、「前方後円墳」は、「倭人(阿波勢力)」の進出痕跡だから。 @阿波
527:日本@名無史さん
22/08/15 20:55:24.27 .net
>>464
その特定の職能とは、何ですか?
528:日本@名無史さん
22/08/15 20:56:54.89 .net
物部はとりあえず吉備から。
双方中円墳が吉備から纏向に来ている。
吉備では楯築遺跡、纏向では櫛山古墳な。
こんなの偶然ではない。
529:日本@名無史さん
22/08/15 21:00:09.71 .net
>>511
>こんなの偶然ではない。
そりゃ、吉備も纏向も「倭人(阿波勢力)」なんだから当たり前。 @阿波
530:日本@名無史さん
22/08/15 21:02:24.61 .net
>>508
平原遺跡のガラス製品はモンゴルやカザフスタンのものと成分がほぼ同じだから
盗んだ物だろうね
531:日本@名無史さん
22/08/15 21:02:52.01 .net
>>505
丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には、物部の祖・饒速日命の子のウマシマチの右註に「母飛鳥大神之女登美夜毘売」と記される。当然、兄の長髄彦も事代主神(飛鳥大神)の子で、磯城の三輪氏一族の族長だったということ。
532:日本@名無史さん
22/08/15 21:04:01.81 .net
>>470
三種の神器を副葬された、歴代倭王の墓がいくつもあるし、怡土の地名は今日まで続いているからです。
壱岐や対馬が魏志倭人伝の頃も今もその名であるように、伊都は怡土の表記でその名で呼ばれ続けていました。
奈良時代より前からあった怡土郡と志摩郡が合併して糸島郡になったのは、実に明治29年です。
533:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>509
ちょいと質問があります。
四国の地図見てたら
1 徳島市の南に、阿南市がありますが阿北はありますか?
2 阿の地名はありますか?
以上2つ
534:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>515
地名はいいけど王は何処に住んでたのよ?
535:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>516
阿呆
536:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>472
むしろ、源平や藤原みたいな拡散を見せた最初の有力氏族ですね。
個人的には、なんで筑紫にまでいるんだって思いますけど。
ても、これが前方後円墳を博多に持ち込んだ一族でもあるのでしょう。
537:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>515
>三種の神器を副葬された、歴代倭王の墓がいくつもあるし
歴代倭王だとか決めつける理由は?
538:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>481
物部氏の祖先は、アマテラスの孫である天孫饒速日ですよ。
これは、異なる出典を持つ古事記、日本書紀、先代旧事本紀の全てにほぼ共通しています。
539:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
前方後円墳が物部の墓で、大王は斜面の雑木林に遺棄するということはない
540:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>519
それ、ぜんぜん根拠ないでしょ
541:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>483
中臣氏の祖先は天児屋根命です。
542:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
五十迹手、宅蘇�
543:g士 糸島はずっと朝鮮からの渡来人が住んだところだよ
544:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>487
アマテラスって、実は倭王の称号なんですよ。
照らすとは支配する意味です。
猿田彦が陸海を照らす神として登場したりします。
アマが天ではなく、海のこと解釈すれば、海を支配した王が天照です。
天照が陸の王であった大国主を倒し、畿内に降臨させたのが饒速日とさらています。
饒速日の称号は、先代旧事本紀では天照国照となっています。
陸海統一王といった意味でしょうか。
饒速日は先代旧事本紀では明らかに大王のような扱いです。
ただ、大王という称号は天皇家のイメージになってしまう。
かといって、畿内にいたのでは、倭王として漢や魏から冊封されない。
饒速日は天照国照としか呼びようがない。
545:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>492
根拠を示したのに、あなたに理解力がないだけ
546:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>494
記紀でも先代旧事本紀でも読んでください。
ちゃんと書いてあります。
内容への文句は、それらの編者までどうぞ。
547:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
じゃ海照国照と書かないとダメだろ
548:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>496
古代の倭王の称号だったのですよ。
その末裔とされる一族が今でも皇居にいるのです。
必ず先祖がいたはずです。
ヒトは空気から自然発生したりしないのですよ?
549:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
ヒトの先祖は猿
550:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>521
それらが書かれた頃の豪族の序列で決まってるんだよ
世間的にな
551:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>522
高さが違う。
一方は平地の糞立地にある糞みたいな前方後円墳。
俺が言うのは標高435Mの高天原。
被葬者が眠る位置によって地位は決まるのだよW
552:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>500
自分の書き込みをよく読み返したらどうでしょう。
事代主の末裔が物部氏ですよね。
大物主の名が世襲されれば、同じことです。
まさか、崇神天皇の時代の大物主と、アマテラスの時代の事代主こと大物主が同じ人物だなんて考えていませんよね?
何世代も超えて同じ名前が出てくるのは、大山祇や、饒速日自身もそうです。
これは世襲された称号があったからです。
天照大神の孫の饒速日も、天照国照と呼ばれています。
神武天皇も、祖父と同じ彦火火出見の名を持ちます。
ちみに彦火火出見は、伊都の高祖宮の祭神なんですけどね。
553:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>514
>丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には
そんなのいいからW
本上まなみの話をしろW
554:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>508
奈良に何にもないけど巨大な古墳ができる
邪馬台国の一部だろうな。
近畿一帯が邪馬台国。
7万戸は見積。官4名いるが副がいない。
復興地、開拓地、宗教地と推測。
555:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>516
>1 徳島市の南に、阿南市がありますが阿北はありますか?
徳島県北部を阿北という。
>2 阿の地名はありますか?
阿波市阿波町 @阿波
556:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>530
皇居に居る人と血筋がつながってるか途切れてるかそんなの知らねえ
557:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>514
その長髄彦が主君として祭り上げていたのが饒速日です。
長髄彦が倒された後、その地盤をトビヤヒメが継承したなら、最終的にはウマシマジから物部氏に継承されます。
558:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>537
>徳島県北部を阿北という
その西の方が阿北西
559:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>539
だから、そんな氏族がいたって証拠は?
560:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>534
崇神天皇の時代の大物主は、まさに現代で言う(人間ではない)神。
崇神天皇への大物主の祟りは三輪氏族の反抗。
百襲姫との神婚譚は多くの風土記にもある、正に神話の部分。
【大物主の名は世襲などされない】
561:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>517
> >>515
> 地名はいいけど王は何処に住んでたのよ?
高祖宮じゃないですか?
だだ、今の場所とは違うらしいし、遺構は見つかっていないと思います。
後に怡土城という山城にもなるので、当時も山上にあったかもしれません。
ちなみに、高祖山の南側、日向峠のすぐ上の峰をクシフル山と呼ぶらしいですよ。
筑紫の日向のクシフル峰の高千穂宮って、記紀にありましたよね。
562:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>533
縄文時代のほうが高い
大和平野に前方後円墳が造られ続けてる時代にずっと斜面の雑木林に遺棄してたのか
563:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>520
墓から三種の神器が出るからです。
倭奴国王印ご出た志賀島も目の前です。
564:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>540
>その西の方が阿北西
違う。 「西阿」だ。 旧の西阿四郡(阿波・麻植・美馬・三好)。 @阿波
565:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>543
つまり根拠がない
566:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
大物主というのは崇神時代を最後に出てこないだろ。
一方、物部は崇神以降に隆盛するだろ。
大物主は出雲系、
物部は瀬戸内系・
物部が大物主なんて何言ってるんだか。
567:日本@名無史さん
22/08/15 21:42:26.43 .net
>崇神天皇の時代の大物主は、まさに現代で言う(人間ではない)神。
アホ、阿田賀田須という名前だ。
勝手に創作するな。
568:日本@名無史さん
22/08/15 21:42:59.35 .net
>>529
海を天と書き換えさせたのは、天皇の神格化を進めた天武天皇でしょうね。
彼に文句を言いましょう。
569:日本@名無史さん
22/08/15 21:43:14.89 .net
記紀にすがるしかない記紀バカ同士のあほバトル勃発! わははははは @阿波
570:板野に居たの
22/08/15 21:43:25.99 .net
>>490
はあ?
板野町は西中富、藍住町が東中富ですよ。中途半端な情報を垂れ流すのはやめてください。
立地は、どちらも吉野川下流の氾濫原低地と自然堤防の組み合わせです。
571:日本@名無史さん
22/08/15 21:43:45.63 .net
>>543
俺の大阪城の下に全部埋まってると言ってた大阪説とかわらんな
572:日本@名無史さん
22/08/15 21:45:13.17 .net
>>544
>縄文時代のほうが高い
だから何だ。
墳丘をご神体とする高鴨神社などは孝昭の時代、まさに纏向遺跡と同時代。
どちらの地位が高いか、一目瞭然W
573:日本@名無史さん
22/08/15 21:46:49.44 .net
>>543
筑紫国に日向という郡郷名はない
574:日本@名無史さん
22/08/15 21:47:46.01 .net
>>550
それはお前の作り話
575:日本@名無史さん
22/08/15 21:51:03.74 .net
>>542
百襲姫の時代は、神代ではなく人皇の時代ですよ。
例えば神武の妃となった五十鈴姫も、その母は事代主により孕まされています。
でも、よく読むと厠で赤い矢に刺されたというんです。
要するに、父親知らずの子供を片端から事代主か大物主か三輪山神の子供ということにしたのでしょう。
出雲の国譲りで事代主が任を受けてから百襲姫まで何世代経っていますか?
名前を受け継いだのか、こじつけたのかしかないじゃないですか。
576:日本@名無史さん
22/08/15 21:52:30.76 .net
>>554
縄文時代の犬より地位が低い高天地区の王様は
大和平野に前方後円墳が造られ続けてる時代にずっと斜面の雑木林に穴掘って埋めてたのか
577:日本@名無史さん
22/08/15 21:53:35.69 .net
>>545
>墓から三種の神器が出るからです。
鏡剣玉セットなんて尊重の墓でも出るんでは?
578:日本@名無史さん
22/08/15 21:54:11.53 .net
>>548
ウマシマジの代で饒速日と大物主が姻戚関係で一つになり、崇神天皇の代で物部氏と天皇家が合流した。
あずれも遠い祖先は共通なので、互いに姻戚関係を結ぶことで権力を強化したのでしょう。
よくあることです。
579:日本@名無史さん
22/08/15 21:54:34.89 .net
>>537
了解しました
580:日本@名無史さん
22/08/15 21:56:05.81 .net
>>552
どっちにしても、登美の里、つまり長髄彦らの旧所領の一部だから、どうでもいい。
581:日本@名無史さん
22/08/15 21:57:51.66 .net
>>555
郡の名前だなど誰も言っていませんよ。
東京都特別行政区と同様に、筑紫の日向は特別な名前なのですよ。
582:日本@名無史さん
22/08/15 21:58:46.71 .net
>>562
おっ、「阿波」の人、参上。 @阿波
583:日本@名無史さん
22/08/15 21:59:52.75 .net
>物部は瀬戸内系
なんじゃこれw 意味があるのかこの括り。
宇摩志麻遅は、播磨・丹波を経て石見国で鎮座したんだろ。
宇摩志麻遅が飛鳥大神(事代主=大物主)の孫である事は動かないし
別に瀬戸内海に括る必要が不明。
584:日本@名無史さん
22/08/15 22:02:11.70 .net
>>563
ならば日向峠の地名などは関係ない
585:日本@名無史さん
22/08/15 22:02:18.65 .net
日下で上陸して大和川を遡って奈良盆地に入ると、東の正面の奥津宮の神奈備の麓が桜井市で、物部氏や長髄彦の地盤、大物主がいたところ。
一方で、奈良盆地の片隅の御所市にひっそりと居候していたのが、天皇家の欠史八代。
崇神の時に合流して、晴れて天皇家も桜井市に進出できた。
それが纒向遺跡。
586:日本@名無史さん
22/08/15 22:02:48.86 .net
>>558
>大和平野に前方後円墳が造られ続けてる時代にずっと斜面の雑木林に穴掘って埋めてたのか
阿田賀田須以降は高天原に墓はないだろうね。
だから蘇我馬子が高天原のある葛城の領有を推古天皇に願い出たが断られた。
しかし息子の蝦夷の代になってようやく念願の高天原をゲットできた。
大和や河内の前方後円墳は高天原を避けるように作られてるね。
怨霊が怖かったのであろう。
587:板野に居たの
22/08/15 22:04:01.24 .net
補足して置きますが、現在藍住町の大字東中富の内で、
小字に榜示がつかない範囲は、旧名西郡で、のちに板野郡に編入された地域です。
588:日本@名無史さん
22/08/15 22:04:54.09 .net
【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
これらの神を祭る神社の元宮は現人神社(福岡県那珂川市仲)であるとの説があり、弥生時代の倭王であったイザナギの王宮であったとも考えられる。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城が作られ、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高祖宮こと高千穂宮が倭王である天孫の降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国
589:女王卑弥呼の王城である。 ttp://wi12000.starfree.jp/map/afumi_sawara_map_25.gif
590:日本@名無史さん
22/08/15 22:07:45.12 .net
>>568
じゃ標高と地位は関係ないじゃねえか
で、物部の前方後円墳が全国に造られてる時代に
大王の墓はどこの斜面に埋めてたのかと聞いている
591:日本@名無史さん
22/08/15 22:08:44.31 .net
>>565
物部のルーツは瀬戸内だドアホ。
おまえ天神本紀を読んだことないのか。
>宇摩志麻遅が飛鳥大神(事代主=大物主)の孫である事は動かないし
動くわドアホ。
592:日本@名無史さん
22/08/15 22:09:20.17 .net
>>570
阿蘇も磯城も飛鳥も出雲も伊勢も日向も筑紫も大津も吉野も纏向も吉備も、記紀以降の後付け地名。
その後付け地名に踊らされている、三流学者や郷土史家ども。 @阿波
593:日本@名無史さん
22/08/15 22:09:36.38 .net
博多湾沿岸の海人族の所在地の一つが高天原であり、原が九州では集落を意味する語であることを考慮すると、高天原は海人(あま)の都という意味になる。
長年にわたり国家的規模の祭祀が行われた沖ノ島は高天原の候補となるだろう。
高天原から筑紫に降臨する天孫を守護したのが宗像だったのも、高天原を沖ノ島、降臨した筑紫の日向を福岡市西部と考えると地理的な整合性も高い。
高天原から筑紫に降臨した天孫族は、代々にわたり志賀島の海神と婚姻関係を深めていく。
594:日本@名無史さん
22/08/15 22:09:50.62 .net
>>571
>大王の墓はどこの斜面に埋めてたのかと聞いている
大王って具体的に誰?
595:日本@名無史さん
22/08/15 22:11:50.03 .net
>>574
沖ノ島に田は無い
596:日本@名無史さん
22/08/15 22:12:00.81 .net
>>574
高天原は御所市高天しかない。
古今和歌集でもそれがわかる。
高天原が九州にあるなどというのは江戸末期にでた新説。
引っ込んでてくれ、カッペ。
597:日本@名無史さん
22/08/15 22:21:32.13 .net
>>575
景行でも崇神でも垂仁でも誰でもいい
598:日本@名無史さん
22/08/15 22:24:31.58 .net
>>578
崇神と景行は行灯山と渋谷向山だろうねえ、垂仁は知らん。
だから何?
崇神時代の阿田賀田須を最後に大物主は出てこないし、その時に太古から続く畿内にあった出雲系王朝は断たれた。
599:日本@名無史さん
22/08/15 22:25:43.77 .net
>>579
それ前方後円墳だろ
600:日本@名無史さん
22/08/15 22:25:43.81 .net
海神族である天津神すなわち海の神の城が、海なし県の奈良県にあるわけがない。
宇佐を出て瀬戸内海を東進して日下に上陸した饒速日の故地が、到着地である奈良盆地にあるわけがない。
せいぜい、故郷を思ってつけた名かなにかだろう。
ニューヨークとかと同じ。
601:日本@名無史さん
22/08/15 22:26:48.96 .net
>>577
高天原が奈良盆地にあるなどというのは、せいぜい天武天皇以降の新しい考え方だ。
602:日本@名無史さん
22/08/15 22:28:49.81 .net
前方後円墳なんて、全ての皇族と全ての物部氏に割り当ててもまだ余るくらいなんだから、どれが誰でもいいよ。
県別では千葉県に最多らしいし。
603:日本@名無史さん
22/08/15 22:32:39.37 .net
『石切劔箭神社』の社史によれば、天照大神から大和建国の神勅を拝し『十種の瑞宝』を授かった饒速日尊が船団を組み、
自らも『布都御魂劔』と日の御子の証である『天羽々矢』を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航した。
途中、豊前国の宇佐に寄港すると船団を二つに分け、息子の天香具山命に『布都御魂劔』を授け船団の一方を預けた。
宇佐から瀬戸内海を渡ると饒速日尊は河内・大和に、一方の天香具山命は紀伊に向かった。
天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね
604:『生駒山』)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し 「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」 【訳「 空から見た日本の国」または「空に光り輝く日本の国」】と賛じた。 これが日本の国号の始まりとなった。 高天原は宇佐より西なんだよ。 わかったか。
605:日本@名無史さん
22/08/15 22:35:34.46 .net
>>580
崇神も景行も前方後円墳だが、だから何?
606:日本@名無史さん
22/08/15 22:39:39.57 .net
>>582
江戸末期にでた九州説も宮崎の高春町で北部九州ではない。
高天原が北部九州設なんて近年にバカが言い始めた何の根拠もない説。
御所市には3世紀以前の式内名神大社が複数ある。
カッペがうぬぼれるな。
607:日本@名無史さん
22/08/15 22:44:46.42 .net
高天原が北部九州にあったなんてア宝賀が言ってるんだろWWW
608:日本@名無史さん
22/08/15 22:46:47.11 .net
ア宝賀見てるか?
609:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>585
権力の象徴である大土木工事で築造した大規模前方後円墳が権力者の墓
斜面の雑木林に埋める(費用0)のは下人
610:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
高天原は押し照るなにわだよ
天の安河原は滋賀の野洲川、辺りに伊勢遺跡があるところ
サルタヒコのいた八衢は堺で仁徳天皇陵や方違神社があるところだな
サルタヒコが川上に消えた五十鈴川は堺の石津川
サルタヒコが溺れたアサカの海は堺の海
ヒラブ貝に挟まれての件は‥内緒
611:日本@名無史さん
22/08/15 23:36:23.64 .net
卑弥呼の次の男王は誰かということだが
アマテラスが卑弥呼をモデルにした神格なら、アマテラスの孫ニギハヤヒのモデルが卑弥呼の次の男王かもね
3世紀後半纏向遺跡から突然吉備の土器が消える
卑弥呼亡き後男王の時代の内乱で吉備が排除されたのかもね
ニギハヤヒは吉備の王の系譜かもね
葦原醜男と争っていた天日槍
卑弥呼の次の男王、ニギハヤヒは天日槍の子かもね
ヤマト政権が始まりその後につつあ吉備津彦の吉備退治は、卑弥呼亡き後の内乱を意味しているのかも
丑寅みさき、ニギハヤヒ、卑弥呼亡き後の男王は関係があるかもね
612:日本@名無史さん
22/08/16 00:10:35.06 .net
九州の勢力も古墳時代以降何度かヤマト政権の覇権を握ったと思うよ
北九州、周防灘を挟んで向かいの山口辺りを拠点にしていた大帯。大帯姫は竹内宿禰と共に熊襲を平定した
それに与した日向の牛諸井と角付きの鹿皮の服を着た人々。投馬国のミミ、ミミナリの後裔かもね
伊都イトの人々 養蚕に長けた馬韓系か?
糸イトと同じ音なのも必然かもしれん
虎杖に関するエピソードのある古墳時代の王もいたが何か関係あるのか?
613:日本@名無史さん
22/08/16 02:06:37.95 .net
空想してても仕方ない
投馬国を女王国の北に想定しようのない九州説には
成立の余地がない
決定的に倭人伝と合わないのだから
614:日本@名無史さん
22/08/16 05:50:12.25 .net
投馬国=久留米
邪馬台国=山門
もう答え出てるんだよな
615:日本@名無史さん
22/08/16 06:05:25.92 .net
出てない
616:日本@名無史さん
22/08/16 06:18:09.84 .net
>>590
天の安川神社は葛城の蘇我川近辺に複数集結してる、他所の出番はない。
いい加減なことを言わないように。
617:日本@名無史さん
22/08/16 06:19:24.81 .net
>>589
だから何。
眠る位置の高貴さの問題。
下人墓である箸墓が何?
618:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>591
だから崇神が4世紀前半である以上、ニギハヤヒが3世紀中頃にはならない、時代が無茶苦茶。
卑弥呼の次の男王は事代主の曾孫で別名タ�
619:Pミカヅチ。
620:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
タケミカヅチに随伴した香取神が進出した千葉に纏向型古墳群ができる、
その時期は3世紀中頃、卑弥呼死亡時期にぴったり一致だ、分かったか。
621:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
卑弥呼+トヨでアマテラスやから
ニギハヤヒが250年頃に活動してても不思議ではないで
ちなみにニギハヤヒ=事代主やぞ