22/07/04 15:23:12.61 .net
>>62
〉鉄の矢じり作るのと鉄の剣や鉾作るのとじゃ難易度全然違うし
素晴らしい視点と考えられます
簡単に言うと我が国の製鉄の歴史は直接製鉄と、遺存性の高い間接製鉄を区別して居ないと考えられます。
景初の動乱前の大規模な鉄遺跡は淡路島の、ごっさかいと遺跡ですが、2世紀、つまり神床家が最初に播磨侵攻をして敗れたとされる時期の遺跡になりますが製鉄炉がありません
つまり鍛治遺跡になるわけです
たたら製鉄は、せいぜいが現地調達の砂鉄で鏃の先端の部分を作れる程度のものであったとされ、品位も悪く、すぐに錆びてなくなってしまうものだったらしいですが、自然の風でも作れるものであっそうです(ふいご不要)
鍛造可能性鋳鉄はまさに武器化可能な鉄であり、製鉄炉は、五世紀だか6世紀になるまでは我が国では見られないものであったと言うのが現在での学説であると記憶しています。
間接製鉄による北九州の輸入鉄は、景初以前に急激に増え、直ぐに衰退
丹後が日本一の生産になります
これは製鉄の炉がなかったから直ぐに遷移したと考えられます
丹後や丹波はまさにヒボコの地盤ですね