天皇家の開祖が分かった「ツヌガアラヒト(天日槍)」at HISTORY
天皇家の開祖が分かった「ツヌガアラヒト(天日槍)」 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
22/07/02 17:42:06.07 .net
そもそも記紀編纂以前に「天皇家」なるものは本当に存在したのか?
最強の豪族が皇后を擁立し、強力な外戚政治を行ってきたのは疑いようがない。

3:日本@名無史さん
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【結論】
伽耶から天日槍がやって来て日本は植民地になってしまった。
(※日本列島で本格的な製鉄が始まるのは5世紀後半、遅れた技術の在地豪族軍相手に弁韓人は鎧袖一触、速攻で『国譲り』に追い込めたのだ。)

しかしその後崇神天皇の時代になり、広大な日本列島開拓に本腰を入れるため本国伽耶から正式に遷都した。
だから、崇神は神武以来10代目の筈なのに日本書紀には「御肇国天皇」。古事記には「所知初国天皇」と記されているのだ。

参考:実在可能性がある最古の天皇『崇神天皇』の諡号↓
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえ)
御間城入=みま国から来た=任那から来た

日本書紀や古事記は百済復興戦争に日本が敗北した後で半島コンプレックスが強かったため、ニニギ(本来兄弟ではなくニギハヤヒと同一人物)が半島から来た天日槍であったという事実は朝廷にとって都合が悪く、改ざんせざるを得なかったのだ。

4:日本@名無史さん
22/07/02 19:22:44.18 .net
ふむ、確かに

5:日本@名無史さん
22/07/02 19:30:55.72 .net
ヒボコの渡来時期は記紀により偽装され、垂仁期三年にされたが、その頃は邪馬台国事件の舞台
ヒボコは新羅ではなく辰韓時代に紀元後100年代に渡来したらしい
ホアカリと同じく最初に出雲に来たが、態度が悪すぎて出雲の八重垣の法を守ることを拒否。
それで土地を世話してもらえず船上生活になり、出石の富岡盆地の沼地の水を抜いて開墾
日本人の嫁の実家の神床家から認められて土着した。
神功皇后の母系の先祖とある様に、日本の皇室の父系になった事はないにも関わらず、うざったらしい朝鮮人により、皇室は朝鮮系とか言われる様になる
そんなこと言ったら朝鮮のキム王朝は第4代で日本人の嫁が入ってるんだから朝鮮王朝は日本に乗っ取られたとなるのだがね
任那は三国史にある様に、朝鮮半島における倭国領域のことで、それ故記紀にも書かれる様になった。つまり別段朝鮮人というわけではない。
記紀は、村雲の時代、磐余彦の時代、崇神〜邪馬台国の時代を圧縮して一つの時代の出来事として書かれているため、倭国大乱期から神功皇后期までが曖昧にされ、空白の時代があるかの様になってしまっている
ヒボコも同じく圧縮され、邪馬台国時代のタジマノモリの時代と、ヒボコ渡来の垂仁期が重なっていて、別人の当麻蹴速が野見宿禰に倒される話で誤魔化され、わからなくなっている
当麻蹴速はタジマノモリの事を書いている
記紀編纂時には、神功皇后の実家の息長家への配慮が必要だったと考えられ、それによりタジマノモリは忠臣にされた様である
播磨風土記の出来事が古く書かれているのは、最初の倭国大乱期の戦乱の初端が、丹後のヒボコ族の播磨侵攻から始まったことによるものである
最初の播磨侵攻後にヒボコ族はボコボコにされますが、一部が現在の糸島と、淡路島に流れた
神床家は、本来は日本人であるが、ヒボコとの関係で、渡来人の役職である糸井造家になるが、糸島の語源は、ヒボコ族という説がある

6:日本@名無史さん
22/07/03 03:55:35.39 .net
播磨風土記だけじゃないぞ
天日槍は九州にも影響力あったみたいだ
しかも天から降りてきたってすげーなw

筑前国風土記「高麗国の山に天から降ってきたヒボコが同じ国の怡土郡の県主の先祖である」

7:日本@名無史さん
22/07/03 13:39:24 .net
>>6

倭国大乱期初期には優勢だったヒボコは、尾張氏と海部の連合軍にやられて分断される
糸島に逃げ込んだ一派は糸島の語源になった様である

淡路島に逃げ込んだ派閥は、ごっさかいと遺跡の元になったと思われ、景初の戦闘の前の鉄遺跡として、口伝の裏付けの様な位置付けになっている

その後、フトニが吉備の出雲領に侵攻
勢いが盛んになっていたヒボコ族は分断され、散り散りになってしまった

フトニはさらに出雲国まで攻撃
その際に出雲国の青銅材料を寄越せと要求
主王である大国主の神戸家の分だけ差し出し、副王スクナヒコの向家(富家)の分の青銅器はそのまま埋めて隠す方針がとられた

のちに、当時の日本全国から出た銅剣の数を上回る発掘になったその遺跡からは、向家の所有を表す✖ジルシの刻印のある銅剣が多数出土することになった

一方、フトニは出雲から奪った銅から新型の平型銅剣をつくり、勢力下の豪族に配った
そのことにより、出雲とヤマトは丹後や播磨で分断される形になり、特に瀬戸内海はフトニの勢力下になったことによりヤマト側の朝貢ルートが寸断された

二度目の大乱期が景初の大乱で、その時はヒボコの子孫のタジマノモリの時代だった

タジマノモリはナシメとも呼ばれる魏国への朝貢メンバーの一人であった

人間に知覚出来る神などいない

天から人が降ってるくなどあり得んわww
 

8:日本@名無史さん
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ちょっと文章再構築してみます

9:日本@名無史さん
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まず分かりやすいように時代背景を整理しよう
《1.半島各地で戦争勃発→2.新天地を求め人々が渡来→3.新天地で縄張り争い(倭国大乱)》
[年号]『史料』〈人名〉

・高句麗-漢戦争[125-169]
ソース:『魏志東夷伝』
「〈順・桓〉之間、復犯遼東、寇新安・居郷、又攻西安平、于道上殺帶方令、略得樂浪太守妻子。靈帝建寧二年、玄菟太守耿臨討之、斬首虜數百級、〈伯固〉降。」
👇
「訳)順帝・桓帝の間に遼東へ進攻。途中で帯方県(平壌あたり)知事を殺し、略奪行為を働くも169年に漢帝国から本軍が派遣され、高句麗王伯固は降伏する」

・半島南部が大荒れ[146年 - 189年]
ソース:『魏志東夷伝』
「〈桓・靈〉之末、韓濊彊盛、郡縣不能制」
👇
「訳)桓帝・霊帝の末、韓・濊(扶余毛民族)は彊盛となって郡県では制御できなくなった。」

・倭国大乱[146年 - 189年]
ソース:『後漢書(卷85 東夷列傳第75)』
「〈桓 靈閒〉 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主。」
👇
「訳)桓帝・霊帝の間、倭国は大いに乱れ互いに攻め合い、何年も主がいなかった。」

・欠史八代[???-238年?]
ソース:『古事記』
「戊寅年十二月崩」
実在可能性のある最古の天皇〈御間城入彦五十瓊殖〉の没年を戊寅年から258年と推定。
かつ、後の天皇の登場年と外国史書の年号から比定、逆算し在位年数を約20年と推定。
(※古事記の記述をそのまま信じると168歳まで生きて在位年数70年となるが、まあありえない。)
URLリンク(www.hyogo-koukohaku.jp)

10:日本@名無史さん
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繰り返す、天皇家の祖先は半島が大荒れになった時に新天地を求めやって来た人物だ。
では何故天皇家は、自分たちの祖先が半島から来た。という事実を隠したかったのか?
それは記紀の編纂された時期が、百済回復戦争で倭陣営が惨敗を喫した後だったから。
大陸から完全追放された天皇家は、大陸伝来でなく列島在来の神話が必要になったというわけ。
それに『中華』と比肩する偉大な『日本』を演出する必要もあった。
(だからどう考えても下賜だろうに、中華の使いが倭に“献上”したとかいう明らかにおかしな記述も多々ある。
外国に見せたりする上で完全隠滅は苦しいから、存在自体は認めながら都合の悪いことを若干誤魔化す手法だ。)

11:日本@名無史さん
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【天皇家の始祖は「天日槍(アメノヒボコ)」】
本題に入ろう、結論から。
天皇家の祖先、それは半島から来た王子「天日槍(アメノヒボコ)」だ。
しかし先述した通り大陸がルーツじゃ都合が悪い、天武朝は天日槍と天皇家の連続性を隠蔽するため例のごとく「存在自体は認めながら都合の悪い所を誤魔化す手法」を用いたのだ。
だが、誤魔化しきるには影響力の有り過ぎた人物だったのだろう。
天日槍に関して残っている記録は整合性が取れず不自然極まりない記述だらけになってしまっている。

まず天日槍について基本的な事を知るために、記紀から見ていこう。

12:日本@名無史さん
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【天日槍の人生~記紀編~】

「天日槍(アメノヒボコ)」は半島で、或る国の王子として生まれる。
妻は、人と“太陽”の間に生まれた「阿加流(アカル)比売(ヒメ)」。
献身的な妻だったが、夫のDVに耐えかねて東へ失踪、天日槍も追いかけ垂仁天皇[3世紀後半頃]が治めていた日本列島へ上陸したらしい。
結局アカルと会うことは叶わず、天日槍は但馬の豪族から姫を娶る事になった。
[以上古事記より。(日本書紀では何故か、このエピソードが伽耶国王“都怒我阿羅斯等”の物になっている=都怒我阿羅斯等と天日槍は同一人物か)]

そして姫の名はあの神武天皇を導いた八咫烏...ではなく麻多烏。
間に生まれた子どもは神功皇后母方の祖先になる。
[以上日本書紀より。(古事記では何故か、姫の名前が“前津見”になっている)]
また、天日槍は四種類の宝具
『鏡(日鏡)』
『武器(出石刀子、出石槍)
『珠(羽太玉、足高玉、鵜鹿鹿赤石玉)』
『熊の神籬』
を持ち込み大切に扱っていたとされている。

13:日本@名無史さん
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....『は?』と思った人も多いだろう
『いや確かに天皇家と所々似てる所あるし人物の名前とか整合性取れない所あるけど、天日槍が渡来してきた時は既に垂仁天皇が日本を治めてるじゃん、3世紀じゃん倭国大乱どうしたんだよ。』と
『しかも但馬国で定住して終わったポット出の雑魚じゃん。』と

そう、中央で作られた記紀だけ見てたら確かにそう思うのも当然。
しかしこの国には『風土記』がある、そして風土記には比較的中央の手垢が付いていないんだ。早速見てみよう
播磨国風土記、

14:日本@名無史さん
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【天日槍の人生~播磨国風土記編~】
天日槍は“神代”に、韓の国から渡来した。
そして上陸を拒否する葦原志挙乎命=伊和大神(国津神筆頭の大国主と同一視される、大国主は天津神へと国譲りをした)に対してとんでもない方法で臨んだ。
あたかも日本書紀で国譲りを要求したタケミカヅチの如く剣を逆さに突き立て、イザナミイザナギの如く海をグルグルと掻き混ぜて島を出現させ、そこに居座ってしまったのだ。
そに後天日槍は大国主と死闘を繰り広げる事になる。


...?そう、記紀では11代天皇の時代[3世紀後半頃]に上陸した事になっている筈の天日槍が、しかも但馬で終わった筈の天日槍が神代に渡来して、播磨国で大国主大神と互角に戦っているのだ...明らかにおかしい

播磨国風土記だけでなく、摂津国風土記にも天日槍は登場する↓

15:日本@名無史さん
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【天日槍の足跡?~摂津国風土記編~】
新羅から逃げてきたヒメは当初九州の筑紫国に住んでいた。が夫の追手から更に東へ逃げて摂津に来たという。

うん、天日槍の話と酷似している。
この夫が天日槍だとすれば、九州から侵入し神武東征の如く近畿に迫ったという事だろうか、まさか神武東征のモデルも天日槍なのか?

16:日本@名無史さん
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ラストは九州の風土記

【筑前国風土記】
伊都県主、首長の五十迹手(イトデ)はこう言った
「私は高麗の国の“意呂山”に天から降った日鉾[ヒボコ]の苗裔である」

伊都といえば、魏志倭人伝に記されていた、邪馬台国と併存していたとされる国だ。
そこの首長が、自分の祖先を、記紀では若狭湾から入って但馬(兵庫北部)に定住した筈の天日槍だと宣言しているということ。あまりにも整合性が取れないじゃないか?

記紀の記述は、記紀の中ですら整合性が取れていない上に風土記全てに否定されているのだ
意図的に、九州から近畿にかけての広大な範囲で影響力を持っていた筈の「天日槍」の存在を必死に中央が矮小化しようとしていた努力と、それでもなお地方の記録には残ってしまった「天日槍」の強大さが伺い知れる。

17:日本@名無史さん
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不可解な点はそれだけではない
ちょっと考えてみれば「天日槍」という名前だっておかしい。
だって「天(あめ)」という天孫族と同じ姓を使っている人間は天日槍以外に、記紀の中には【誰一人として】いないじゃないか
そのたった1人が、よりにもよって外国から来たただの王族?しかも但馬で定住して終わり?しかも来たのは3世紀後半?
そんなわけがない
正しいのは風土記の方なのだ、記紀は証拠隠滅に失敗した

つまり播磨国風土記が言うとおり、天日槍は神代に来て国譲りを要求し戦争(倭国大乱=欠史八代)を起こした人物だ
日本書紀「国譲り神話」で登場した天孫族タケミカヅチの大国主に対する態度と、播磨国風土記で登場した天日槍の大国主に対する態度、脅迫方法が似ている理由もこれで判明した
同一人物だからだ
イザナミイザナギと同じように海をかき混ぜて島を形成した理由もそうだ
そもそも日本神話が天日槍神話の改変だったのだ

18:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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まあ以上の考察によって、天日槍が半島から上陸してきた時代を確定させた
記紀に書かれているような応神垂仁期[3世紀後半頃]などではなく

桓帝・霊帝の間[146年 - 189年]だ
>『後漢書(卷85 東夷列傳第75)』
「〈桓 靈閒〉 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主。」

それならば朝鮮半島に、当時誰か太陽信仰の者が日本へ渡来していった証拠が残っていたりしないか....

そんな都合よく見つかる筈が無いか....
いや、あった。
『三国遺事』、「延鳥郎・細鳥女」だ

19:日本@名無史さん
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>>18
『三国遺事』「延鳥郎・細鳥女」
新羅の第8代・阿達羅王即位4年(157年)東海の浜に、延鳥郎と細鳥女の夫婦が住んでいた
延鳥郎が海岸で海藻を取っていると、岩があらわれ、延鳥郎を乗せて日本へ行ってしまった。
日本の国の人はただの人ではないと言って延烏朗を国王にしてしまった。
細鳥女が帰ってこない夫を探しに行ったら、岩がまた、彼女を乗せて日本へ行ってしまった。
すると、新羅から太陽と月と光が消えた。
占い師は王に「日月の精が、我が国にあったのが日本に去ったために、このような事が起こりました」と奏上した
新羅王は困り果てて使者を出し二人にもどってくることを求めたが、戻ってこなかった。その代わりに細綃(“布”天日槍が宝器として持ち込んだ物と一緒)が送られてくる。
その細綃を天にかざすとたちまち新羅に太陽と月と光が戻った──。

158年7月13日 皆既日食
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(eclipse.gsfc.nasa.gov)

20:日本@名無史さん
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この話、『岩戸隠れ』に似てると思わないか

太陽神天照大神がお隠れになると高天原も葦原中国も闇となり、様々な禍が起きた。
困り果てた高天原の神たちは策を講じて天照大神を岩戸から引きずり出す
するとたちまち光が高天原と葦原中国に戻った──。

そうなんだよこれで分かった
157年に延鳥郎という男が岩(船?)に乗ってやって来る。
彼は半島から優れた鉄器を持ち込み、太陽の精を自称し王となった。名は太陽と鉄器で「天日槍」だ。
そして播磨国風土記に記される通り在地の神(豪族)と大いに争った、それが倭国大乱。

天皇家の祖先は天日槍。上陸した年は157or158年

21:日本@名無史さん
22/07/03 21:15:58.73 .net
普通におもしろい。ありそうな話。

22:日本@名無史さん
22/07/04 01:14:25.03 .net
>>17
天日鷲は天孫か?
天手力雄は天孫か?
天津甕星(天香香背男)は天孫か?
天目一箇
天兒屋
天鈿女
天香山・・・・・・

23:日本@名無史さん
22/07/04 01:20:32.77 .net
結果ありきの逆算だな。おもしろくは繋げているが。
これが言いたいからニダか?www
>伽耶から天日槍がやって来て日本は植民地になってしまった。

24:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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>>22
それ全部天津神だし
記紀では天日槍は新羅から来た王族、つまり人間
なのに「天(あめ)」姓使ってる

こいつしかいない

25:日本@名無史さん
22/07/04 01:33:01.23 .net
但馬(兵庫北部)に定住した筈の天日槍
伊都県主、首長の五十迹手が日鉾の子孫を自称する事の何がどうおかしいの?
天日槍の子孫は但馬から移動してはいけない決まりでもあったの?

26:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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記紀だと、3世紀頃天皇に帰順し兵庫県北部の但馬に定住した筈の天日槍が

播磨国風土記では神代に渡来し伊和大神(大国主大神)と互角に戦う強大な外来神として登場
北陸の敦賀に都怒我阿羅斯等として現れ(エピソード全く同じだから同一人物)
九州の筑前国風土記では、伊都(魏志倭人伝に邪馬台国と一緒に記されてた歴史ある国)首長の祖先として書かれてる

明らかに記紀が間違ってるんだよな
大陸と天皇家の繋がりを誤魔化すために小細工した結果
記紀の中でも名前が変わったりエピソード滅茶苦茶になって、しかもめっちゃ影響力あった人物だから消しきれず各地の風土記に残っちゃったわけだ

27:日本@名無史さん
22/07/04 01:50:03.80 .net
>>24
>それ全部天津神だし
では君は阿波忌部の祖である天日鷲命は神であるから
人間としては、存在していないと主張しているのか?
忌部は天孫の系譜ではないのだが?
日本書紀の一書では素戔嗚尊も一度、新羅に降ってから
日本に来た事になっているが素戔嗚尊は神なのか人なのか?
私は特定時代以前の王族を神と呼んでるだけだと思うのだが?

28:日本@名無史さん
22/07/04 02:00:51.26 .net
>>26
>明らかに記紀が間違ってるんだよな
それはそうかも知れない。
>大陸と天皇家の繋がりを誤魔化すために小細工した結果
それはどうだろう?素戔嗚尊が新羅へ降ったとする一書も消すべきだったのでは?
>記紀の中でも名前が変わったりエピソード滅茶苦茶になって、しかもめっちゃ
>影響力あった人物だから消しきれず各地の風土記に残っちゃったわけだ
おそらくだが伊和大神(大物主大神)ほど重要な位置にはいなかったって事だろう。ただそれだけ。
神裔の三輪氏などは朝廷の中枢に入り込んでいる。天日槍の子孫はそうではない。
中央からはさほど重要とされていないので伝承が乱れた(または神でありながら天皇に降った事にされた)のだろう。

29:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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また、『古事記』にも面白い記述がある。

アメノヒボコが招来した八つの神宝を、伊豆志の八前の大神と呼び祀った。
その伊豆志の八前の大神にはたいそう美人な娘がいて、多くの神々(八十神)が娘と結婚を望んだが、叶わなかった。
その後いろいろないきさつがあったのち、
ある一家の弟神が乙女と結ばれ子どもが生まれる。
一方、恋の叶わなかった兄神は、呪いにあって衰弱する。


これ、八上姫の話と似てるよな

30:日本@名無史さん
22/07/04 02:23:10.99 .net
天日槍の年代に目をつけるのはいいのだが他が支離滅裂だね。
>天皇家の祖先、それは半島から来た王子「天日槍(アメノヒボコ)」だ。
祖先?なんじゃそりゃ?そんな事を言ったら伊和大神だって祖先。
日本書紀が新羅と関連を示唆する素戔嗚尊もしかり。
君は日本書紀を読んで天忍穗耳尊の父は素戔嗚尊だと思わなかったのか?
本当に勾玉から生まれたとでも?

31:日本@名無史さん
22/07/04 02:24:21.48 .net
着眼点は良いのだからアホな妄想は捨てるんだね。

32:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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>>28
いや、三輪氏よりも中枢に入り込んでるぞ
まず天皇家の皇統が天日槍(ここは百済復興戦争失敗後に改ざん)だし
それだけじゃなく、天日槍が拠点を築いたとされる但馬、出石に関係する重要な氏族の祖先いるだろ
そう『出石心大臣命』
物部氏だよ
丁未の乱で敗北した物部な
だから、中枢に入り込んでなかったんじゃなくて中枢に入り込んでた記録が二重で隠蔽されたんだ

33:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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>>30
ん?当然だが国津神と天津神は別々だよ同根じゃない

元々出雲系の国津神系西国神道しかなかったものの、天皇家がやってきて支配を正当化するために出雲系神道の上に『高天原』という概念をでっち上げ、同根です。という風にしたわけだ
まあ天津神は人気無かったみたいだがな
実際万葉集でも詠まれてる神は国津神だらけで、天津神を詠んだ物は殆どないだろ

34:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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出石には高倉下の子孫『角屋姫』もいるな
そう、角(ツヌ)
※古代語では母音の o を u という場合が多い
ex.)篠はシヌ。楽はタヌシ。古日本語の姿を若干保っている琉球方言でも角はツヌと読む。

天日槍の別名『“ツヌ”ガアラヒト』と関係ありそうだなあなんて思っちゃうのも考えすぎだろうか?

35:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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すまん出雲系しか無かったってのは間違ってるし罰当たりだな
ヌシ以外にも神(ミワ)とか居たし

36:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
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>>33
これって結構世界中で行われてることなんだよね
例えばインド
北からやってきたアーリア人がバラモン教でヴェーダの神だけ信仰してたんだが、土着の民(ドラヴィダ)に受けず
焦ったバラモン教は宗教改革を行って土着の神話、例えばラーマやクリシュナをヴィシュヌの化身って事にしたり土着女神をシヴァの王妃にしたりして見事復活した

それの日本バージョン

37:日本@名無史さん
22/07/04 03:37:29.78 .net
ツノガアルヒトって事?鬼か?

38:日本@名無史さん
22/07/04 08:45:37.08 .net
>>33
>ん?当然だが国津神と天津神は別々だよ同根じゃない
神武天皇の皇后の父は誰なんだっての?
綏靖天皇の母方の父だよ。祖先だろ?
だいたい天津神、国津神って分類も、須佐之男命はどっちなんだ言ってみろ?

39:日本@名無史さん
22/07/04 08:59:18.77 .net
>>32
>いや、三輪氏よりも中枢に入り込んでるぞ
はぁ?大神(おおが)氏も三輪氏族だぞ。大神比義命は八幡大神を初めて見たとされる人物で、奈良の三輪明神を祀る大神神社の社家の生まれと言われている。欽明天皇29年(568年)に勅命を受け、宇佐に派遣された。
だいたい、天日槍ごときが神奈備形式(神体山を持つ原始の形態)で祀られ「倭成す」と讃えられる大物主大神より重要なわけがなかろう。
>まず天皇家の皇統が天日槍
この変な妄想をいい加減にやめませんか?
>物部氏だよ 丁未の乱で敗北した物部な
始祖は宇摩志麻遅命だろうが!父は饒速日で母は長髄彦の妹だが飛鳥大神の娘とされている。バリバリの出雲系。
抜粋
丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には、物部の祖・饒速日命の子の麻斯麻尼足尼命(ウマシマチのこと)の右註に「母飛鳥大神之女登美夜毘売」と記される。長髄彦は事代主神(飛鳥大神)の子で、磯城の三輪氏一族の族長だったということであり、早くに太田亮博士も、「磯城彦は即ち三輪氏に外ならず」と指摘した。

40:日本@名無史さん
22/07/04 10:29:27.86 .net
>伽耶から天日槍がやって来て日本は植民地になってしまった。
まぁこんな事を言う奴は御里が知れるわw
wikiより
アメノヒボコ伝説は『日本書紀』『古事記』のうちで代表的な渡来伝承になるが、一般には1人の歴史上の人物の説話ではなく、渡来人集団をアメノヒボコという始祖神に象徴した説話ではないかという考えもある。「アメノヒボコ(天日槍/天之日矛)」の名称自体も日本名(もしくは新羅名)であり出石地域を中心とする渡来系一族(出石族)が奉斎した「日矛/日槍」を人格化したことに由来する意見もある。
全面的に賛成だな。但馬に居着いた伝承の人物をメインにその他の渡来してきた人物を集約したんだろう。
伊和大神と争ったとされる神は名が失われた別人って事だな。

41:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>38
いや神武天皇なんていないって
欠史八代存在すると思ってるなんて科学的じゃないぞ

42:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
神武天皇と欠史八代は当然創作
元にした人々は天日槍(ツヌガアラヒト)の集団

43:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>39
ニギハヤヒもツヌガアラヒトを元に創作した人物だし
海の向こうから来たでしょ

44:日本@名無史さん
22/07/04 12:04:22.08 .net
高句麗の南下に伴い半島から日本への玉突き現象が起きた
という部分までは合意出来る人が多いだろう
あとは玉突きに伴う混乱による出来事をうまく説明できるか

45:日本@名無史さん
22/07/04 13:05:28.91 .net
>>41
神武がいない、欠史8代がいない=崇神が神武であるという話は記紀の書き方の通りの話なので、それでは本末転倒では?
・村雲の時代(本来の神武)
・磐余彦(ウマシマジ)
・崇神(景初)
この三つの時代が圧縮されて一つの出来事にされて消されてるから欠史が生まれているわけですから
そももそもヒボコは垂仁3年(景初の動乱以降)だかに偽装されているのでその時点で皇室の源流にはならない
神床家は現在でも続いていて歴史を残してる
ヒボコは末子相続のために辰韓から追い出されたと伝わる

46:日本@名無史さん
22/07/04 13:08:38.12 .net
天日槍(ツヌガアラヒト)は当然創作。
存在すると思ってるなんて科学的じゃないぞ www

47:日本@名無史さん
22/07/04 13:16:39.92 .net
>>42
銅剣より銅鐸の方が先なのだから時代考証的に可能性は低いと考えられます

48:日本@名無史さん
22/07/04 13:20:23.96 .net
だよな〜。板で一二を争うアホバカ説。
全く根拠も論拠すら示さず空想を垂れ流してやがる。

49:日本@名無史さん
22/07/04 13:30:21.54 .net
>>48
いえ、記紀の通り崇神の時代が神武とするのであれば、よく出来てる考察と考えられます

50:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>47
なんで銅剣の話してるの?鉄剣の話をしてるよ 当時製鉄技術を持っていたのは大陸だけ
そして名前からも分かる通り鉄器もたらしたのが天日槍の一族だ
天日槍一族の子孫たる物部(モノノベ)が物具(モノノグ=武器、兵具)に由来するのも当然

51:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
タイムライン纏めてみました!

1.天日槍(延鳥郎)が157年に渡来
>『三国遺事』「延鳥郎・細鳥女」
実際に158年7月13日、朝鮮半島で皆既日食起きてるからこの話(後の岩戸隠れのモチーフ)は信憑性結構高い
URLリンク(i.imgur.com)

2.上陸した天日槍が伊和大神(大国主=先住在地豪族のメタファー)と大いに争う[157-?]
>『播磨国風土記』
この時期も、後漢書の「桓帝・霊帝の間、倭国は大いに乱れ互いに攻め合い、何年も主がいなかった。」の
桓帝・霊帝[146-189]と一致
つまり倭国大乱のレンジは[157年-189年]に確定

3.実在可能性のある最古の天皇、御間城入彦(崇神)が即位[238年]
倭国大乱終結の189年から崇神即位238年の50年の間に天日槍一族が勢力拡大を成し遂げ、崇神天皇に繋がるってことだね

52:日本@名無史さん
22/07/04 14:18:36.82 .net
>>50
青銅器は我が国にもたらされたのが徐福時代の紀元前3世紀
程なくして我が国で青銅器生産が開始されたというのが考古学的な我が国での考え方
現在のところ。ヒボコ渡来の最も古い説がヒボコの嫁さんの実家の神床家ですが、紀元後100年代
青銅器はその前からのものなので、明らかに青銅器の方が古い
また、我が国の製鉄は、たたら製鉄=直接製鉄
景初前後に我が国で急激に増えた鉄=鍛造可能鋳鉄は、間接製鉄
たたら製鉄は、神武の嫁さん多々良五十鈴姫にある様に昔から存在する
大陸は間接製鉄の流れなので新しいものになります

53:日本@名無史さん
22/07/04 14:21:22.70 .net
>>50
物部氏はヒボコ族より前から北九州に拠点を作ってました
物部の里とも言われた吉野ヶ里は紀元前3世紀頃の遺跡
明らかにヒボコ時代より古いものになります

54:日本@名無史さん
22/07/04 14:24:06.64 .net
>>42
記紀の編纂、とりわけ最終的に採用され、大陸に提出されたのが日本書紀
日本書紀は太安万侶や、藤原鎌足の系統、神武の息子の兄弟である八井耳系の一族がまとめたもの
自分の先祖を捏造して記紀に書く必要は全くない

55:日本@名無史さん
22/07/04 14:51:01.71 .net
記紀服属の典型例、宇佐氏古伝
宇佐氏は後継者不足のこともあり、秘してきた古伝を公開、書籍化している
重要な点は、宇佐津姫と、応神天皇の下り
神武の息子が応神天皇だよという内容は一見、古伝が古いことによる情報の変質と考えられがちだが実は違う
崇神を神武とするからこういう書き方ができる
母系ヒボコの物部政権の皇后息長家出身のタラシ姫は、自分の子供が死んだので、群馬の上毛野に流れて隠遁していた上毛野家の竹葉瀬君を呼び寄せたと一部に伝わる
竹葉瀬君は、ミマキイリヒコと宇佐津姫の息子であると弥彦の子孫
故に、欠史八代の記紀の内容に服属して、自分の家から神武の息子が出ていると主張出来るわけだ
ヒボコ族が我が国の男系になったことは一度もない

56:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>53
流石に吉野ケ里の時代とヤマトの時代は関係ある一族だれもいないと思うなぁ

57:日本@名無史さん
22/07/04 14:55:19.42 .net
>>55
訂正
弥彦の子孫 →豊彦の子孫
豊彦は、トヨの兄
記紀最大のタブーは、物部氏と宇佐氏の存在

58:日本@名無史さん
22/07/04 14:58:56.86 .net
応神天皇の即位に伴って、物部が復権したかのような動きをするのは確か
しかし迂遠だなあ。日矛など介さずもっと色々シンプルに出来ないのか

59:日本@名無史さん
22/07/04 14:59:06.60 .net
>>56
確かにw
しかし、本当の海幸彦、山幸彦の事に注目すれば比較的この考えに至る人は居ると考えられます
先代旧事本紀には、ホアカリと饒速日は同一人物で書かれています
八井耳系は、海部と尾張の政権の一族
つまり、物部氏と海部は腹違いの兄弟になります
ヤマトでの製鉄(直接製鉄)は、紀元前後にはすでに行われており、和泉市では紀元前後の製鉄遺跡と小型仿製鏡が出土しています

60:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>52
だけど発掘調査から確認出来る最古のたたら製鉄は5世紀後半くらいなんだよね
朝鮮で製鉄した鉄素材を加工する鍛冶屋はたくさんあったんだが、残念
倭人は半島から鉄を貰ってた↓
「國出鐵 韓・倭皆従取之 諸市買皆用鐵 如中国用銭 又以供給二郡」

61:日本@名無史さん
22/07/04 15:04:17.27 .net
>>60
一般的には鉄器の普及が遅れたとされるヤマト出すが、実際にはそうでもありません
URLリンク(www.sankei.com)
現在では紀元前後まで、製鉄は遡れます

62:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>61
>鉄を加工した工房とみられる
これ加工であって製鉄の証拠じゃなくない?
あと、鉄の矢じり作るのと鉄の剣や鉾作るのとじゃ難易度全然違うし

63:日本@名無史さん
22/07/04 15:11:05.25 .net
>>60
後漢においては鉄はご禁制の品物で、鉄は国力そのものでした
当時最新の間接製鉄法は、炭素量が調整でき、鋼が取り出せる画期的なものであったとされます
さらに、素材として優れていたのは朝鮮半島の産出する磁鉄鉱です。
故に、大陸は幾度となく彼の地を支配下に置きました。
そのタガが外れたのが、民間銅鏡の乱による後漢の滅亡です。
国力そのものの鉄を輸出すること自体が基本おかしなことであり、景初の時代の直前の北九州における鉄器の急激な生産量の上昇は、我が国が朝鮮半島における権益を持っていたという説が現在では言われ始めていることになります
輸出ではなく、我が国が朝鮮半島で製鉄をして我が国に運んでいたことになります
三国志にある様に朝鮮半島における倭国領域の存在が本当であったと考えられ始めているわけです

64:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>63
ふむふむ、ぼくも半島南部と倭に同じ様な人達が住んでたってのは同意
だけどむしろ本体は半島南部だったと思うな
あっちのが鉄器持ってて強いんだから

参考:実在可能性がある最古の天皇『崇神天皇』の諡号↓
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえ)
御間城入=みまの国から来た=任那から来た

65:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
済州島(耽羅)とか別言語使ってたみたいだしな
日本書紀に記されてる人物名も
宇麻(ウマ🐴)とか
都羅(ツラ?トラ?🐯)とか
久麻伎(クマ🐻ぎ)とかだし、倭人系だったのかもね

66:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
スレが盛り上がってきましたね
良いですね

67:日本@名無史さん
22/07/04 15:23:12.61 .net
>>62
〉鉄の矢じり作るのと鉄の剣や鉾作るのとじゃ難易度全然違うし
素晴らしい視点と考えられます
簡単に言うと我が国の製鉄の歴史は直接製鉄と、遺存性の高い間接製鉄を区別して居ないと考えられます。
景初の動乱前の大規模な鉄遺跡は淡路島の、ごっさかいと遺跡ですが、2世紀、つまり神床家が最初に播磨侵攻をして敗れたとされる時期の遺跡になりますが製鉄炉がありません
つまり鍛治遺跡になるわけです
たたら製鉄は、せいぜいが現地調達の砂鉄で鏃の先端の部分を作れる程度のものであったとされ、品位も悪く、すぐに錆びてなくなってしまうものだったらしいですが、自然の風でも作れるものであっそうです(ふいご不要)
鍛造可能性鋳鉄はまさに武器化可能な鉄であり、製鉄炉は、五世紀だか6世紀になるまでは我が国では見られないものであったと言うのが現在での学説であると記憶しています。
間接製鉄による北九州の輸入鉄は、景初以前に急激に増え、直ぐに衰退
丹後が日本一の生産になります
これは製鉄の炉がなかったから直ぐに遷移したと考えられます
丹後や丹波はまさにヒボコの地盤ですね

68:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>67
へえ!詳しくありがとうございます
勉強になりました

69:日本@名無史さん
22/07/04 15:28:50.25 .net
物部氏は、朝鮮半島に権益を持っていた一族と私は考えております。
故に、倭国領域の事が魏書に書かれているのを八井耳系の編纂者は把握した上で、物部イニエをミマキイリヒコと後年にネタバラシしたのだと考えています
倭国領域に居た、イニエをという解釈なら大陸に出す歴史書としては我が国の権益が他国にまで及んでいたことになり、書きたい内容であったと推測できるからです

70:日本@名無史さん
22/07/04 15:36:49.18 .net
2019/09/19
【都怒我阿羅斯等】頭に「悪魔の角」を持つ男性、除去手術が無事成功 これまでは近所の理髪店で時々カットしてもらっていた インド
スレリンク(newsplus板)
【海外発!Breaking News】頭に「悪魔の角」を持つ男性、除去手術が無事成功(印)
URLリンク(japan.techinsight.jp)
https:
//japan.techinsight.jp/wp-content/uploads/2019/09/thesun1909182238_001-300x444.jpg
http:
//japan.techinsight.jp/wp-content/uploads/2019/09/thesun1909182238_002-180x300.jpg
5年前から角が生え始めたシャムさん(画像は『The Sun 2019年9月18日付「LIFE OF HELL Terrifying four-inch ‘devil horn’ growing from the top of man’s head is finally removed by doctors」(Credit: SWNS:SOUTH WEST NEWS SERVICE)』のスクリーンショット)

71:日本@名無史さん
22/07/04 15:37:53.85 .net
製鉄炉が我が国に存在しない鉄製品というのがミソで、つまり、景初の戦闘から古墳時代までの前後で、鉄の生産量が増えている地域は、出雲とヤマトをボコボコにした一族の拠点という事になります。
一部の古伝では、景初の動乱はヤマト攻撃のための戦闘で、九州物部氏と豊国の宇佐氏、そして朝貢の通訳としてヒボコの子孫のタジマノモリが中心人物だったと伝わります

72:日本@名無史さん
22/07/04 15:45:10.78 .net
ヒボコが天皇家の祖先だったってのはよくわからないけれども、古代日本史のキーパーソンだったのは事実だろうな。
記紀が何らかの意図を持ってヒボコの存在を矮小化しようとしてるのも感じる。

73:日本@名無史さん
22/07/04 15:55:37.60 .net
>>64
〉だけどむしろ本体は半島南部だったと思うな
あっちのが鉄器持ってて強いんだから
そうですね。私は人口的に流石に列島本体と、あくまで朝鮮半島の一部に過ぎない南部国領域では規模が違いすぎるかな〜と思っています

74:日本@名無史さん
22/07/04 16:10:24.80 .net
>>58
〉応神天皇の即位に伴って、物部が復権したかのような動きをするのは確か
いえ、ちょっとその辺難しい話になっていまして、あくまでエンタメレベルの説として頂きたいのですが。
景初動乱で、連合軍はヤマトの海部尾張朝を倒しますが、最終的に息子のモノノベイクメは、政権を独り占めにして、タジマノモリとトヨ姫、豊彦をヤマトから追い出してしまいます。
そのため、宇佐古伝ではおかしな事が書かれています。
崇神の息子→応神天皇(正統)
物部政権の皇后であるタラシ姫の子供→ニセモノ
これは父親であるイニエを顕彰し、裏切り者である息子の垂仁の血筋を認めないと言うヤバ目の事を書いているわけです
宇佐氏は命懸けでこの話を表に出したのだと思われます

75:日本@名無史さん
22/07/04 16:53:27.90 .net
新羅初代王の赫居世(朴氏)は
新撰姓氏録によると神武兄である稲氷命の子孫とされ、
「朴」姓が辰韓語で瓠(ひさご)=瓢箪を意味することや「赫居」と「瓠公」が同音であることからも、
当時宰相だった倭から渡来した倭人・瓠公と同一人物と考えられる
「赫居」とは<ほこ>の意だろう
天日槍が建立した若狭新羅神社によると日槍は父の国を訪ねて飛来したとされている
そして新羅4代王の脱解尼師今(昔氏)は多婆那国に出自して渡羅後に瓠公家を簒奪したが、
その多婆那国とは日槍が定住した但馬や丹波と考えられてる
こうしたことからもそもそも新羅王家それ自体が倭国に発祥するものと推測されるのである

76:日本@名無史さん
22/07/04 17:06:36.19 .net
付言すると、
天日槍=都怒我阿羅斯等とみなされており、
福井の敦賀が都怒我に由来すると伝承されてはいるが、
この「ツヌ」というのはむしろ、
古の投馬国=但馬・丹波を差している可能性がある
もっともそれは畿内説が正しい前提の話だが
2022/06/17
【考古学】現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国 [すらいむ★]
スレリンク(scienceplus板:174番)-176
7/1
『魏志倭人伝』から見えた邪馬台国への最も合理的なルート
「船の科学」で読み解けばこれしかない!
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
URLリンク(gendai.ismcdn.jp)
URLリンク(gendai.ismcdn.jp)

77:日本@名無史さん
22/07/04 18:53:11.18 .net
三国遺事なんて13世紀編纂じゃないか、と思ったが日食が一致してるのか
うーんどういう事だろう
1000年も話が語り継がれてるなんて事あるのか?

78:日本@名無史さん
22/07/04 19:11:03.12 .net
ツヌガ、は新羅の最高官位(角干)のことかもしれないよ

79:日本@名無史さん
22/07/04 20:16:37.66 .net
>>76
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
URLリンク(gendai.ismcdn.jp)
【写真】袴狭遺跡から出土した船団の線刻画の模式
(1)円山川をさかのぼって豊岡から姫路へ
「水行」を川の移動と考え、但馬から円山川をさかのぼって豊岡(現在の兵庫県豊岡市)まで移動するルートです。
それだけで10日は日数がかかりすぎですが、但馬まで中国船で来て、但馬から倭船に乗り換えたことは考えられます。円山川を行くことになったため通常よりも喫水の浅い小型の倭船が必要となり、その調達に時間がかかったのかもしれません。
豊岡に上陸してからは、現在のJR西日本播但線と同じ経路で姫路まで出て、瀬戸内沿いに陸行で奈良へ向かいます。
ただし、もう一つのルートも可能性としては考えられそうです。
(2)丹後半島を回って舞鶴から大阪へ
但馬に入ったあと、丹後半島をぐるりと反対側まで回り、舞鶴から上陸するルートです。これも普通に考えれば10日もかからなそうですが、この航路は途中に寄れる港がなく、波も荒い難所なので、但馬で海が凪ぐのを待って出航したと考えれば、水行
10日は十分にありえます。舞鶴からは陸行で福知山を経て、大阪から奈良盆地へ出ます。
(1)(2)ともに、陸行は水行よりもはるかに時間がかかりそうですので、1ヵ月は妥当な日程と思われます。
『魏志倭人伝』を合理的に読むならば
筆者が豊岡から上陸するルートを有力視する理由の一つは、豊岡には「アメノヒボコ伝説」があるからです。朝鮮半島の新羅の王子アメノヒボコが豊岡に流れ着き、大陸から鉄などをもたらし治水事業に尽力してくれたおかげで、泥海だった豊岡盆地が肥沃な土地に変わったという言い伝えです。
当時の豊岡は、日本海を代表する「海の城」であったともいわれています。豊岡が大陸からの「鉄の道」の終点として機能していたことから、こうした伝説が生まれたのでしょう。
そして豊岡から円山川を15km下ったところにある袴狭遺跡(兵庫県出石市)からは、朝鮮半島と日本を行き来する船団を描いた板絵が出土しているのです。

80:日本@名無史さん
22/07/04 20:17:13.86 .net
>>76>79 のルート、
もう1つ、
(3)敦賀から琵琶湖を経て淀川を下って大阪へ
も考え得るのではないかな?
水行10日が説明しやすくなるし、
日槍・都怒我の敦賀伝承とも符合する
するとその先陸行1月だから、
邪馬台国は和泉もしくは淡路や阿波が想定されてくる

81:日本@名無史さん
22/07/04 20:50:46 .net
>3>64 >>80
阿波徳島に美馬という地名があるんだよな
これが妙にひっかかる

82:日本@名無史さん
22/07/04 23:43:23.58 .net
美馬郡は古くから馬の産地として知られ、名馬を多く産出したことからともいわれるが、吉野川の河谷の水辺の土地で「水間」の意味とする説が有力である。

83:日本@名無史さん
22/07/05 00:26:01.59 .net
皇室大嘗祭に麻織物の麁服を献上するのが美馬市の忌部氏直系三木家である

84:日本@名無史さん
22/07/05 01:43:13.26 .net
阿波荒らしがここにも来てて笑う

85:日本@名無史さん
22/07/05 02:06:37 .net
>>75
〉こうしたことからもそもそも新羅王家それ自体が倭国に発祥するものと推測されるのである

ヒボコは実は辰韓時代の渡来で、辰韓は元々は秦国系の韓の国だから秦韓とも言われていました。
出雲にはヒボコと同じく天孫を冠する一族がいます。それが出雲大社宮司家の千家。天ホヒです。
千家は実はコヤネが祖神で、藤原氏(中臣家)にコヤネを差し出したというお話があります

北九州の筑紫は元は築秦国と言い、つまりは秦国系なのです

ヒボコ族が天孫を帯びる様になったのは、天孫族との習合があったからと思われますが、元々は近い系統の一族だったからかもしれません

出雲系の分家である忌部氏が、大陸系が強くなると自分の系図をいじってコヤネの系譜であると流布した時期があります
その系図には、コヤネはスサノオの母親、タクハチヂヒメの夫であると出ています

ヒボコは大陸系の韓の国の渡来人であり、所謂朝鮮人ではないと考えられます
故に、漢字も扱え、通訳もでき、子孫のタジマノモリが景初動乱の際の朝貢に参加できたと考えられます

86:日本@名無史さん
22/07/05 02:11:20 .net
>>79
〉岡が大陸からの「鉄の道」の終点として機能していたことから、こうした伝説が生まれたのでしょう。

我が国の朝鮮半島の鉄のルートは、新羅系と百済系がありますが、確か百済系が対馬ルート
新羅系が隠岐島ルートであったと記憶しています

87:日本@名無史さん
22/07/05 12:51:25.08 .net
>>76
丹後などの国は昔はもっと広いエリアで稲葉や京都山代近くまでの範囲だった様ですね
広義に大丹波とも表現する説がある様です
系譜上は明らかでありながら天皇扱いされなかった最後の海部尾張の王朝、その最後が一般的にはヒコイマス王とされます
景初動乱開始時には実は、崇神とヒコイマスは亡くなっており、主役は次の代である垂仁(イクメ)と、ヒコタツヒコ(ヒコミチヌシノミコ)であったようです。
田庭(丹波)は、最初は出雲領域で、そこに海部尾張が入り、紀元後100年代にヒボコが入った様です。
イクメに敗れたヒコミチヌシノミコは、名前を昔のものに戻して、ヒコタツヒコとして稲葉国造家になったそうです。その際に父親を祀った様ですね
つまり、海部尾張王朝の最後は亀岡に遷都した様な感じが認識としては正しい様です
のちに、稲葉国造からは、ミカドワケの様な名の人物が出ているはずです。
丹波と出雲の間くらいが稲葉でしょうか?
因幡隣が出石でしょうか?
後に丹波では歴史がまとめられ、丹後古事記でしたっけ?本を持っています
故に、丹後古事記の主役はヒコイマスとヒボコになっていたと記憶しています
ヒボコ系の息長家はヒコイマスに奥さんを出してたりとかしてたはずですよ

88:日本@名無史さん
22/07/05 14:50:59.64 .net
>>50
〉なんで銅剣の話してるの?鉄剣の話をしてるよ 当時製鉄技術を持っていたのは大陸だけ
天村雲の剣は銅剣であったと言う話を聞いたことございませんか?
天の村雲の剣はいつの間にか物部の草薙の剣=鉄剣にすり替えられました。
一般論として、三種の神器のビジュアルだと銅剣が出てきませんか?
銅鏡に対して鉄剣ではおかしいわけですね。
スサノオの剣はまたの名を川砂の剣とも言われ、鉄剣であるかの様に変えられましたが、そもそも熱田にあり皇室には写ししか無いのは、本質が異なるからです
村雲王就任の際に、母系の婚姻相手の出雲族から銅剣が尾張氏に贈られたそうです
故に尾張氏が作った熱田には剣があるわけでございます

89:日本@名無史さん
22/07/05 14:56:05.52 .net
イザナギイザナミが国産みに使った矛が天沼矛(アメノヌボコ)
多分コイツだよなあ

90:日本@名無史さん
22/07/05 16:30:32.19 .net
>>1
いや天日槍なんていないって
天日槍が存在すると思ってるなんて科学的じゃないぞ

91:日本@名無史さん
22/07/05 17:37:29.28 .net
縄文人はアイヌのご先祖様や! 君たちの先祖ちゃうよ
和人の先祖はこれ!

土井ヶ浜弥生人
URLリンク(www.iokikai.or.jp)
>核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどは土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。

92:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>90
はて、記紀では崇神より後に天日槍が来たことになっているが
欠史八代より後の話ってことになってるんだから実在可能性は高いだろう

93:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
都怒我阿羅斯等って名前もあるし
まあ本当は播磨国風土記が言うように神代に来たんだがな

94:日本@名無史さん
22/07/05 18:54:10.05 .net
>>93
>神代に来たんだがな
いや神代なんていないって
神代が存在すると思ってるなんて科学的じゃないぞ
神代が存在するなら2から9代天皇が存在しない理由ない。
日本書紀は皇紀を古く見せかけようと歴代天皇の在位や年齢を大幅に伸ばしている。
そんな不自然な事をするなら、後20人ほど追加すれば良かっただけ。
名前と宮名程度は伝承されていたと考えるべき。

95:日本@名無史さん
22/07/05 19:11:38.01 .net
>>1の主治医です。
この度、このようなスレッドを1が立てるに至ったことは、
主治医として、大変残念な事であり、また、治療の効果が
まだまだ現れていないことを証明しているため、そろそろ
最終的な決断を下す必要があるようです。
みなさんお聞きになったことがあるかもしれませんが、
必ずしも心の病は、特殊な病気ではなく、誰もがそうなる
可能性があります。しかし、だからといって、これ以上、
1を放置することは、例えば何の関係もない人を傷つけたり、
逆に1自身の将来にとり、名から図示も良いことではありません。
そこで、私は、1の両親、臨床心理士などとも相談して、
1をしばらくの間、ネットの出来る環境から離して、
濃密な人間関係の中で治療をすることにしました。
1にとっては、納得がいかないことかもしれませんが、私も、
医師免許をかけて、1を徹底して直すことに致しました。
どうかみなさん!1が戻ってきましたら、このような人を悲しませる
スレではなく、みんなに感動を届ける以上の人間になっていると思いますので、
暖かく見守ってやってください。

96:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>94
神代ってのは崇神前の時代を指して便宜的に使っているだけですね
確かに勘違いされる表現だった
神代(崇神前)と表記するようにします

97:日本@名無史さん
22/07/05 19:27:50.24 .net
>>93
いや崇神天皇なんていないって
崇神天皇が存在すると思ってるなんて科学的じゃないぞ
崇神天皇が存在するなら2から9代天皇が存在しない理由ない。
日本書紀は皇紀を古く見せかけようと歴代天皇の在位や年齢を大幅に伸ばしている。
そんな不自然な事をするなら、後20人ほど追加すれば良かっただけ。
名前と宮名程度は伝承されていたと考えるべき。

98:日本@名無史さん
NG NG BE:237216734-2BP(1000).net
URLリンク(img.5ch.net)
>>97
崇神の存在可能性はある
崇神以前はない
これが通説だよ

99:日本@名無史さん
22/07/05 22:00:00.97 .net
その昔、ミノムシなるオカルト系の輩が居たっけな~w

100:日本@名無史さん
22/07/05 22:01:10.71 .net
>>98
ムリだから帰っておいで(*´ω`*)

101:日本@名無史さん
22/07/05 22:04:59.64 .net
マジモンを論破出来ると思ってんの?

102:日本@名無史さん
22/07/05 22:09:29.54 .net
おバカを回収しました。
ごめんなさいm(_ _)m

103:日本@名無史さん
22/07/05 22:30:28.67 .net
>>98
>これが通説だよ
天日槍は田道間守の祖先。
天日槍からは神功皇后への系譜もがあるが皇祖と呼ばれる存在ではない。
わかるよね? これが通説だよwww

104:日本@名無史さん
22/07/05 22:41:19.43 .net
中華卑弥呼といい、皇祖日槍といい日本史板のキチ度の高さには閉口する。

105:日本@名無史さん
22/07/05 23:03:21.69 .net
一番キチ度が高いのは村雲王とか言ってるやつだな

106:日本@名無史さん
22/07/05 23:05:12.26 .net
安倍が阿輩倭王家関係者なところをみるに、上級国民界隈では、倭王本家なんかは知られてるのじゃないか。日本の国旗国歌は阿度部大王を讃える旗印。土御門そのまんま土蜘蛛大帝。

107:日本@名無史さん
22/07/06 09:06:51.86 .net
崇神は存在するよ
崇神と名が付いてなかっただけの話でしょ
書く豪族の血筋がつぎはぎになってるだけの話
男系血筋の嘘を認めないのなら継体天皇以前は全て仕組み上存在しない事になる

108:日本@名無史さん
22/07/06 09:12:05.06 .net
記紀、とりわけ日本書紀を補完するのが後年に後付けされた先代旧事本紀や、諡号でしょ
物部の血が入った最後の海部尾張の人間が藤原中臣の指示で纏められた

109:日本@名無史さん
22/07/06 09:18:55.41 .net
淡海は、開化天皇系
つまり大丹波亀岡の関係者
当然に八井耳系の親戚なわけだ

110:日本@名無史さん
22/07/06 09:35:10.73 .net
>>105
海部の系図の読み方も解らない様ではレベルが低すぎてw
神武は村雲だよ
自分のところの先祖を間違える間抜けはいない
自分のところの分家が纏めた歴史書の解釈を本家が把握できないなどあり得ない
たまにいるよな、自説を強要してるだけの認識すら持たずに他人の家の口伝や伝承にインチキの烙印を押す思い込みヤロウってw
図々しい奴だわ

111:日本@名無史さん
22/07/06 09:50:33.42 .net
昔の天皇は、適当に当てはめをしてるから、記紀編纂上のプロットに過ぎない
しかし物理的には存在した
先祖が一人でもかけたら子孫は存在しない
子孫がいるのに先祖だけ居ないなんて科学的にあり得んだろ
考えが浅く、言葉が軽いのが不存在説

112:日本@名無史さん
22/07/06 10:05:03.20 .net
先祖の数なんて、指数関数だろ
自分を基点として、先代が2の一乗、爺さんの代が2の二乗
数理学的に一人かけても自分が生まれないのだから、先祖は絶対に存在する
過去のやったことは編纂時から逆算して、今我々が論じてるとこと同じ程度のことをしてるだけの話
「大王誰にしようかな〜」

113:日本@名無史さん
22/07/06 10:17:41.83 .net
①村雲〜開化→男系海部尾張の政権
②崇神→景行→男系物部
③仲哀→中津臣(中臣家)の便宜上の当てはめ
④応神→男系物部復活(宇佐氏古伝)
⑤仁徳〜武烈→武内宿禰の子孫、平群氏
⑥継体〜現在→男系北陸蘇我氏
しかし、実態としては少し変わる
戦闘があったのだから当然にダブるわけだ
①村雲〜ヒコミチヌシ(ヒコイマス以降は崇神とダブるので大王から外された)
崇神とヒコイマスは同時期
垂仁とヒコミチヌシは同時期
そうでなければヒバス姫が輿入れ出来ない
景行以降は物部はヤマトから追い出され、それにより景行の九州親征になる(大陸の史書に書かれたので仕方なく記紀に書いた)
神功皇后の子供が死んだので上州から養子を入れて応神として即位
朝鮮征伐で金持ちになった平群がクーデターで政権奪取
あまりの酷さに武烈で別系統の武内宿禰の子孫を大王に立てる(天皇ではない)
この時点で物部の血は欽明の女系でしか繋がらなくなる
現在に至る

114:日本@名無史さん
22/07/06 10:23:13.02 .net
家としての説明は終わったが、遺伝子的な話になると、継体天皇は、北陸蘇我氏に養子入りした出雲の事代主の次男である太彦
天皇の存在説の間抜けは、家としてなのか。大王扱いになる規模としての話なのか、遺伝子的な話なのか分かってなくて適当なことを言ってるだけの話
適当にプロットしただけの話で、その下地は亀岡のヒコミチヌシの家が関わってる可能性が高い
そもそも記紀の前の帝記編纂の際に皇室と各豪族が呼ばれてるだろ
応神、安曇、阿部まで呼ばれてるだろ
藤原氏は最初から日本書紀の下書きのために古事記を纏めさせたとしか考えられない

115:日本@名無史さん
22/07/06 10:52:47.21 .net
>>105
うわー、知らなかったけどきっついねコレwww
「天村雲」って天児屋命の子、天押雲根命の別名だよな。
天香山命の子、大沼主も同じ異名を持つため系譜が混乱を起こしているが。

116:日本@名無史さん
22/07/06 14:06:10 .net
>>107
孝霊天皇も存在するよ。

孝霊と名が付いてなかっただけの話でしょ

兄弟が親子になってたり皇紀を古くみせかけようとしただけ。

今時、歴史をやってて万世一系を信じてる方が珍しいだろwww

117:日本@名無史さん
22/07/06 16:28:14.84 .net
>>115
籠神社の通りだとするのなら、海部家は村雲の次の天御影から別れた分家
天御影は大和宿禰にされて解らない様になってる
海部家は、村雲をきちんと表に出してるでしょ
普通に先代旧事本紀でも出てくる
あれが普通に神武でしょ、順番的に

118:日本@名無史さん
22/07/06 17:41:05.88 .net
『豊受皇太神御鎮座本紀』には、
天村雲命 伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。
阿波國麻植郡座 忌部神社 天村雲神社二座 是也。
大神主(度会氏)の「上祖」が、天村雲命であり阿波に鎮座してます。
はっきり書いてあるのですけどね。
実際あるんだけどね「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県旧麻植郡)
これが神武天皇?寝言以前www

119:日本@名無史さん
22/07/06 17:42:44.69 .net
天香山命の子、大沼主も同じ異名を持つため系譜が混乱を起こしているが
完全に別系統で年代は、天押雲根命の方が古い。

120:日本@名無史さん
22/07/06 17:55:17.19 .net
引用
『天押雲根命』
天押雲根命は別名を天押雲命、天村雲命、天二上命、後小橋命と伝える。
『系図綜覧』の「荒木田氏系図」によれば火瓊々杵尊の御宇の神であるとされる。
「中臣寿詞」の伝承や摩氣神社の社伝、『大同本紀』、「中臣氏総系」などの史料の記述を総合すると、
天孫降臨のとき地上には未熟で荒い水しか存在せず、父の命によって天押雲根命が高天原より天津水(天忍石長井水)
を持ち還り、この水を皇孫に奉ったとされる。
これらの伝承では天牟羅雲命の神名で登場し、天二上命、後小橋命の命名記事が見える。
父は天児屋命または櫛真智命で、母は豊甕玉命の娘・天美豆玉照比売命、または栲幡千々姫命とされる。
「先代旧事本紀」巻第十 国造本紀によれば、
伊勢國国造
橿原ノ朝以天降天牟久怒ノ命ノ孫 天ノ日鷲 令勅定賜國造
とあり、天日鷲の祖父が天牟久怒命である事がわかる。
これが神武天皇?何の妄想やねん?やばすぎwww

121:日本@名無史さん
22/07/06 18:02:39.17 .net
おそらく、大沼主を天村雲とするのは誤伝か仮冒なのではないかと。

122:日本@名無史さん
22/07/06 19:49:10.51 .net
トヨウケは、籠神社のマナイに社にある様に渡来氏族のホアカリが大陸で奉じていたシャショク神
宇賀の御霊を流行らせたくて出雲系の島子に頼んで伊勢に持ち込んだ際に作られた名前だよ
宇賀を受けにして名を変えた
下宮は内宮と同時には遷座してない
だから唯一籠神社だけが内宮と外宮の両方の元宮になってるんだよ

123:日本@名無史さん
22/07/06 19:54:13.54 .net
>>120
阿波説より下らなくて異常な説は存在しないけどねww

高天原だって?w神話と人間の世界の話は区別しましょうね?
神が降ってくるわけないでしょ?

124:日本@名無史さん
22/07/06 19:55:55.22 .net
はぁ?

125:日本@名無史さん
22/07/06 20:04:31.63 .net
>>123
これのどこが阿波説だ?馬鹿は引っ込んどけ!
天日鷲や天牟久怒命が阿波ゆかりの神なのは間違いないだろカス!

126:日本@名無史さん
22/07/06 20:05:40.81 .net
籠神社と、先代旧事本紀は、ホアカリと饒速日が同一人物と言う話を持ってる。
カゴヤマと息子の村雲を書いてるけど、カゴヤマの秘密を隠してる
カゴヤマは物部の姫とも婚姻してるからね。隠す必要があった
出雲大社の元上官家では、カゴヤマの事に言及している。
イソタケルとカゴヤマは同一人物
出雲の大家姫の系図は紀伊家になった
物部の姫との系図が村雲から開化までの系図になった
つまり、カゴヤマは村雲の実家の尾張家なんですよ
渡来系だったから連になった。
尾張家=笛吹連

127:日本@名無史さん
22/07/06 20:09:05.73 .net
海部家と紀伊家はほぼ同格の分家
その次の分家が多臣家などの八井耳系
ワニよりも古い

128:日本@名無史さん
22/07/06 20:11:12.69 .net
>>126
籠神社は天火明命と賀茂別雷神が同一だと伝承しているのだが?
2行目以降も全て妄想乙。>>122も意味不妄想。

129:日本@名無史さん
22/07/06 20:24:17.68 .net
天香山命の子を『天村雲』とするのは誤伝か仮冒だろう。

130:日本@名無史さん
22/07/06 20:29:53.05 .net
『豊受皇太神御鎮座本紀』の記述も
天牟久怒命=天押雲根命である事を示しています。

131:日本@名無史さん
22/07/06 21:01:34 .net
マジレスすると
約7万年前に、165光年先の赤色矮性のハビタブルゾーンにある惑星から来た

132:日本@名無史さん
22/07/06 21:02:27 .net
URLリンク(i.imgur.com)

月読尊→日下部首らの先祖と同祖→浦嶋子

浦嶋子は雄略天皇22年(西暦478年)に行って淳仁天皇治世の天長2年(西暦825年)に帰ってきた
その間347年

約165光年離れた知的生命体が住んでいる文明惑星に光速で行って数年過ごして光速で帰ってきて347年経過
浦嶋子は寝てる間に着いたと語る(コールドスリープ)
その惑星の太陽は赤色矮星
赤色矮星には赤色矮星のハピタブルゾーンが存在する

地球とその惑星の交流は古代からずっと続いてる
天皇・日本人の先祖はその惑星から月を経由して地球に降臨したから
日本国旗のみ赤い太陽
浦嶋子以外にも行って帰ってきてる人もいる

133:日本@名無史さん
22/07/06 21:40:28.12 .net
仮冒の原因としては
天叢雲の名は布都斯魂大神に同じく素戔嗚尊にゆかりの
神剣の名に採用されたのでそこから名前を頂戴したか
天牟羅雲命の後裔は「当時のいわゆる勝ち組」だから
と、言ったところではないか。

134:日本@名無史さん
22/07/06 23:18:44.61 .net
706天之御名無主2020/02/24(月) 22:38:11.04
ミナカヌシ 近江
クニサツチ 八方八下りの御子 8人 近江、富士、他
キノトコタチ (タカミムスビ初代) (日高見) - 天鏡(筑紫)- アメヨロヅ(四国)- アワナギ(北陸、山陰?)- イザナギ
オモダル カシコネ 安曇(近江)
八方を巡って民を治める(九州-東北)
イザナギ(二種(瓊、矛))
ヒルコ 筑波イサ宮生まれ 船に乗せ捨てられる、ヒヨルコ(流産)(近江) 船に乗せ流される、天照 ハラミの宮(富士)生まれ、
月読 筑紫(月隅)ヲトタチバナノアワキ宮 生まれ 、ソサノヲ(スサノオ) ソサ(紀伊)熊野生まれ
158-166 スサノオ、オロチ(モチコ(天穂日の母)、ハヤコ(三女神の母))、ハタレの乱(九州-東北)
158 伊勢→宇佐 三女神、モチコ(天穂日の母)、ハヤコ(三女神の母)、(トヨ姫アヤコ(ムナカタの娘、クマノクスヒの母))
158 天岩戸 7月13日 皆既日食 日没直前 琵琶湖 京都 大津 津
(日食・月食・星食情報データベース、NASA 等)(ΔT= 8042.58 等)
天照(男)、瀬織津姫(妻)、イサワ宮 伊勢(伊雑宮 志摩)
ヒルコ(天照の姉)、思兼(夫)、ヤス川宮(野洲川宮)近江 ネ(北陸)とサホコ国(山陰?)を兼ね治める
707天之御名無主2020/02/24(月) 22:38:44.42
(ホツマツタエ)

135:日本@名無史さん
22/07/06 23:20:41.63 .net
667日本@名無史さん2021/03/09(火) 23:32:36.38
オシホミミ
伊勢→多賀、野洲川(近江)→日高見(東北)多賀
クシタマホノアカリ(テルヒコ)(櫛玉火明(照彦)) (アスカヲキミ)
日高見(東北)→葦原国(ナカ国) (大和、近畿辺り)
(多賀→イカルガ→アスカ)
5組の物部25、伴人総勢864人
イカルガ ウテナから四方を望む
アスカ川をクルワに掘ってミソギをする
アマノコヤネ ヤマト川を掘ってトブヒノ丘にミカサ山をつくる
ハセ川を掘ってアスカ川のフチを田と成す
ニニギ (ハラ(富士)ヲキミ)
日高見(東北)多賀 生まれ
伊勢 天照がいる
関東(筑波、新治、二荒)
ハラアサマ宮(富士) タマウテナ コノハナサクヤ姫
ミヅホ宮(近江)→九州
大津シノ宮(近江)→ソヲ 高千穂
ニギハヤヒ(クニテル)(国照)
天照-オシホミミ-ニニギ-ホノアカリ(ムメヒト)(火明(梅仁))-ニギハヤヒ(クニテル)
ハラ(富士)→アスカ

136:日本@名無史さん
22/07/06 23:37:11.48 .net
根拠もなく空想を書き連ねるスレに変更ですか?
>>1は逃げたのか?
アホなスレたてるからこの惨状。

137:日本@名無史さん
22/07/07 12:55:27.43 .net
>>128
〉籠神社は天火明命と賀茂別雷神が同一だと伝承しているのだが?
その様な事実はない
そもそも母系の婚姻相手の事を混同するなど、先代旧事本紀程度の内容すら頭に入ってないって事だわ

138:日本@名無史さん
22/07/07 14:11:10.22 .net
>>137
それはお前の妄想する村雲王がいるパラレルワールドの話かwww
「籠神社 火明命 賀茂別雷神」で検索してみたら?

139:日本@名無史さん
22/07/07 14:14:57.14 .net
>>137
お前、宇宙から来る何かとピピピッっと交信できるんだろ?

140:日本@名無史さん
22/07/07 14:16:35.35 .net
>>137
しばらく、ゆっくり休んで規則正しい生活をして、お薬をやめたら
村雲王はいなくなるよwww

141:日本@名無史さん
22/07/07 15:51:40.46 .net
俺が天叢雲やで

142:日本@名無史さん
22/07/07 17:06:32.71 .net
>>1
天日槍と争った伊和大神は、実際は伊和大神(大物主)の子孫である大友主だった。

143:日本@名無史さん
22/07/07 17:12:13.73 .net
>>140
強めのお薬出しておきますね♪
籠神社の海部氏系図は、二つの系図をあわせて、注釈を反映すると、ホアカリが、饒速日に変わる
つまり母系が分かる系図になってるよ
海幸彦は、海家(アマ家)の事だよ
普通の人が村雲=神武に至らないのは、記紀の圧縮された時代と、本当の神武は東征してない事に気づかないから

144:日本@名無史さん
22/07/07 17:13:17.55 .net
>>139

なぜ分かったしww

145:日本@名無史さん
22/07/07 17:43:16.35 .net
>>138
籠神社の祭神は母系が隠されていて出雲が見えなくなってるよ。
普通に先代旧事本紀を見れば村雲に嫁を出した家=事代主(大物主)→クシヒカタ→・ミカヅチ・→カモタテツノミである事は分かるでしょ
そもそもあの神社、二度目の東征で奈良を追い出されて山城に流れ着いた鴨族の建てた神社
祭神が同じなら神社の名前が別なのはおかしいでしょ
あの神社は磯城のカモツバ(事代主系)か、タカガモ(タキツヒコ系のどちらかの系統の神社だよ

146:日本@名無史さん
22/07/07 18:29:41.47 .net
>>131,132
宇宙からの無線信号が、
地球外生命の存在を示唆しているかもしれない。
世界で最も高精度の宇宙望遠鏡が検出した信号にその可能性が秘められているという。
天文学者が165光年離れた場所にある19の赤色矮星からの微力な信号を発見、
その4つが地球外生命のある惑星の軌道を回っている可能性があるという。
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

地球も165年ほど前に無線通信が実現したからね(笑)
宇宙的にはすごく近くてほぼ同時にできた惑星だからね(笑)
それがほぼ同時に同様な科学技術を実現したからね
ちょうど向こうにも地球からの信号が到達したからね(笑)
次は量子力学を用いて光速を超えた同時通信でやりとりするからね(笑)
向こうの星には、古代文明が地球に移民団を送ったっていう神話があるからね(笑)
地球には、古代に高天原から降臨したっていう神話があるからね(笑)
向こうの太陽は紅色だからね(笑)
日本の国旗は紅丸を太陽と言ってるからね(笑)

147:日本@名無史さん
22/07/07 18:31:06.26 .net
天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である[1][2]。
別名、天香香背男(あめのかがせお)[3][4]。
星神香香背男(ほしがみかがせお)、香香背男(かがせお)、天背男(あめのせお)、天村雲命(あめのむらくものみこと)。

148:日本@名無史さん
22/07/07 18:31:38.81 .net
ダマスカス鋼とは、木目状の模様を特徴とする鋼であり、古代インドで開発されたるつぼ鋼であるウーツ鋼の別称である。
南インドで紀元前6世紀に開発され、世界的に輸出された。
URLリンク(i.imgur.com)
天叢雲剣
天に群がる雲のような紋様を持つ刃の剣。

149:日本@名無史さん
22/07/07 18:32:55.83 .net
任那の中心、金官加羅国(狗邪韓国)
建国者首露王の妃はインド(サータヴァーハナ朝)の王女である許黄玉
加羅国=韓国=空国=仏教国
任那=那に任された地=イザナギに任された地
金官国=金属採取の役目の国
任那(? ~562年)
加羅(3世紀~6世紀中頃)
弥生時代の3世紀までに鉄器が普及していたのは北部九州地域に限られており、
日本のその他の地域から出土する鉄器は僅かである。
日本で純粋に砂鉄・鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのは
たたら製鉄の原型となる製鉄技術が朝鮮半島から伝来し、
確立した6世紀の古墳時代に入ってからである。
それまでは朝鮮半島産の鉄を利用していた。

150:日本@名無史さん
22/07/07 18:33:35.22 .net
許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、
インドから船に乗って48年に伽耶に渡来し、首露王と出会い、
その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。
許氏は首露王との間に10人の息子をもうけたが、
そのうち2人に許姓を与え、それが金海許氏の起源とされる。
2004年の学会発表によると、許氏の「インド渡来説」には遺伝学的根拠がある。
金海にある古墳の、許氏の子孫と推定される遺骨を分析した結果、
ミトコンドリアDNAは(韓民族のルーツである)モンゴル北方系ではなくインド南方系の特徴を備えていた。

サータヴァーハナ朝 Satavahana
デカン高原一帯に発展した古代インドの王朝。別名アーンドラ朝
マウリヤ朝の衰退後,前3世紀末に成立したドラヴィダ系の王朝。
1~2世紀ごろローマ帝国との季節風貿易で最も栄えた。
都市では富商が出現して貨幣経済が発達し,叙情詩・物語などすぐれたインド文学も生まれた。
3世紀半ばごろ滅亡。

151:日本@名無史さん
22/07/07 18:33:43.80 .net
上座部仏教(南伝仏教)は東南アジアで止まっておらず、
約2000年前の時点でインド南部のサータヴァーハナ朝の王女が自ら布教しにきていたという事実
それが日本が鉄採取のために作った任那日本府の中核である金官加羅国の建国者と婚姻していたという事実

152:日本@名無史さん
22/07/07 18:34:27.86 .net
加耶山の女神である正見母主と天神『夷?訶之』(イビガジ)から(悩窒朱日・内珍朱智)が生まれ、その内珍朱智が首露王となる。
首露王は前期任那の中心となる金官加羅国(狗邪韓国、本加耶、金官加耶)を建国
一方、首露王の兄である悩窒朱日は大加耶(高霊伽耶)を建国し、後期任那の中心となった
月光太子(げっこうたいし、生没年不詳)は、大加耶第10代にして最後の王(在位:不詳 - 562年)

153:日本@名無史さん
22/07/07 18:34:41.24 .net
安閑天皇=広国押武金日天皇
466年?〈雄略天皇10年?〉 - 536年1月25日?〈安閑天皇2年12月17日〉)は、
日本の第27代天皇(在位:531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉 - 536年1月25日?〈安閑天皇2年12月17日〉)
蔵王権現は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。
正式名称は金剛蔵王権現、または金剛蔵王菩薩。
インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。
「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。
権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。
仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。
神仏習合の教説では安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされた。
日本が金属採取のために朝鮮半島南部に作った任那の中心は金官国
日本が国を広げて押し建てた金の国
広国押武金日天皇の在位期間(531-535年)中である532年新羅の侵略により金官国が滅亡
兄弟国である大加耶(高霊伽耶)が任那の中心へ
新羅の侵略によって大加耶(高霊伽耶)最後の王、月光太子が562年に死亡し、同年に任那日本府滅亡

154:日本@名無史さん
22/07/07 18:35:18.44 .net
サータヴァーハナ朝(紀元前230年 - 220年)
ドラヴィダ人の王朝
サータヴァーハナ王家は自らの出自がバラモンであることを誇り、またナーガ族とも血縁があったとする。
一方で他の宗教、特に仏教なども国家の保護の下で活動していた。
当時王妃を始めとした王家の女性はしばしば仏教教団に種々の寄進を行っており、しかもそれは国家によって奨励されて援助すらされていた。
また、各種の仏教教団は国家によるバラモン教の祭礼に協力し、また各地の仏教窟院にはバラモン教の讃歌が刻まれることがあった。
許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、
インドから船に乗って48年に伽耶に渡来し、首露王と出会い、
その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。
石塔=石造の仏塔。仏舎利を安置するための供養塔。
つまり
西暦48年の時点で、日本(倭)はインドのサータヴァーハナ朝との交易によって鉄器と上座部仏教が伝来しており、
その結果成立した、日本(倭)の那(奴)が管轄する任那日本府の中心となる金官国が、金属を日本に送っていた
銅鐸は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
サータヴァーハナ朝(紀元前230年 - 220年)
821年の日本人「銅鐸はアショーカ王の塔鐸、つまり仏教の鐘」
最古の銅鐸は倭族がいる越、越の王は無余(=無我)

155:日本@名無史さん
22/07/07 18:35:38.67 .net
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770 - 同221年)の地方国家「越」の貴族墓(紀元前470年頃)から、日本の弥生時代の銅鐸に形が似た原始的な磁器の鐸が出土している。
日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したというのが定説だが、発掘調査を担当した南京博物院考古研究所の張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。
越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前306年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。
首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。
後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、南方の長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。
越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。
『史記』をはじめとする諸書では、夏の少康の庶子を越に封じたことを越の君主の起源とする伝説を述べている。

156:日本@名無史さん
22/07/07 18:35:48.04 .net
『呉越春秋』は夏の少康の庶子であった無余を最初の越の君主とし、また夫譚の前に無壬・無タンを挙げる。『史記』越王勾践世家は初代から允常まで二十余世とし、『漢書』地理志は初代から勾践まで二十世とする。
越侯夫譚
越侯允常 - 『史記正義』によると、はじめて王を称した。
越王勾践(在位紀元前496年 - 紀元前494年)
呉の支配による空位:紀元前494年 - 紀元前491年
越王勾践(在位紀元前491年 - 紀元前464年)
越王鹿郢(?与)(在位紀元前463年 - 紀元前458年)
越王不寿(在位紀元前457年 - 紀元前448年)
越王朱句(州句、翁)(在位紀元前447年 - 紀元前411年)
越王翳(在位紀元前410年 - 紀元前375年)
越王錯枝(在位紀元前374年 - 紀元前373年)
越王無余之(在位紀元前372年 - 紀元前361年)
越王無セン(在位紀元前360年 - 紀元前343年)
越王無彊(在位紀元前342年 - 紀元前306年?)

仏の無我
越の無余

157:日本@名無史さん
22/07/07 18:35:58.87 .net
銅鐸が発見された記録は、『扶桑略記』の天智天皇7年(668年)、近江国志賀郡に崇福寺を建立するのに際して発見された記述が最古であろうという。
ただし、天智期の記事を詳細に記しているはずの記紀は、この出来事について全く触れていない。
『続日本紀』には、和銅6年(713年)、大和宇波郷の人が長岡野において発見した記事があり、『日本紀略』には、弘仁12年(821年)、播磨国で掘り出され、「阿育王塔鐸」とよばれたとある。

>「阿育王塔鐸」
阿育王=アショーカ王
アショーカ(梵: ?????、IAST:A?oka?、巴: Asoka、訳:無憂〈むう〉、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。
漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。
釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。
アショカとも表記される。アショーカの名前は花のアソッカ(無憂樹)を由来とする。

158:日本@名無史さん
22/07/07 18:36:08.29 .net
『古事記』の国産みには小豆島(播磨灘にある島)の別名として大鐸姫(大野手比売)が登場する。
『諸系譜』では布留多摩命の娘として登場し、天日方奇日方命の妻・日向賀牟度美良姫の別名とされる。
小豆島では島の島玉神として祀られ、島内にはかつて大鐸村などの地名もあった。「おおぬでひめ」の「鐸」(ぬで、ぬて、ぬりて)とは銅鐸のことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。
『古事記』では伊邪那岐命と伊邪那美命の子とされ、夫や子孫に関する記述はないが、『諸系譜』では綿津見神の子・布留多摩命(倭国造、尾張氏等の祖)の娘とされ、天日方奇日方命の妻とされる。
銅鐸の女神である大鐸姫は
倭国造の祖である布留多摩命の娘であり、天日方奇日方命の妻とされる。
天日方奇日方命は鴨王(かものおおきみ)とも呼ばれ、天皇以外で「おおきみ」と呼ばれる唯一の存在である。
天日方奇日方命(鴨王)の父は大物主神(大国主神)であり、同様にカモを関する迦毛大御神(阿遅?高日子根神)の父は大国主神(大物主神)である。
また、大御神を関する神は、伊邪那岐大御神、天照大御神、迦毛大御神の三柱のみである。
国生みを行った側の娘、あるいは倭国を造った側の娘が、銅鐸の女神であり、
銅鐸の女神は国を譲った側の大国主(大物主)の息子と婚姻しており、
国譲りを迫った側の天皇側と同じく「オオキミ」「大御神」を称されている。
弥生時代の銅鐸が668年に発見されたことを記紀は記さず、
821年に発見された際には「阿育王塔鐸」つまり仏教の鐘と呼ばれていたとされる。
春秋戦国時代に越国が南伝上座部仏教を受け入れて、越王は無を重視し仏教の鐘として銅鐸が作られた。
越国が滅亡したことで、銅鐸と南伝仏教が日本に伝来して南伝仏教の国が作られ、仏教の鐘として日本でも銅鐸が作られたが、
土着系神道集団が国譲りを迫り、銅鐸が埋められ、代わりに三種の神器の一つである銅鏡が作られるようになる

159:日本@名無史さん
22/07/07 18:36:26.12 .net
百越とは、長江・揚子江流域に住む諸々の種族の意で、春秋時代の呉・越も含む(呉は現在の江蘇省、越は現在の浙江省一帯)。
長江(揚子江)上流域の四川・雲南・貴州の各省にかけて、複数の倭人の王国があった
その諸王国は例えば『史記』にある国名でいえば以下の諸国である。
?(てん)、夜郎(貴州省赫章県に比定され、現在はイ族ミャオ族ペー族回族などが居住)、昆明、且蘭(しょらん)、徙(し)、キョウ都(現在の揚州市?江区に比定)、蜀、巴(重慶市)など。
分岐したと比定される民族には、イ族、ハニ族 (古代での和夷に比定。またタイではアカ族[7])、タイ族、ワ族、ミャオ族、カレン族、ラワ族などがある。
これらの民族間では高床式建物、貫頭衣、注連縄などの風俗が共通する。

ミャオ族
13年に一度の大きな祖先祭祀であるノン・ニュウを父系氏族 (clan) が合同して行い、大量の水牛や豚を供犠して祖先を祀る。
ノンとは「食べる」、ニュウは「鼓」の意味で、祖先の霊魂が宿るとされる楓香樹から作った木鼓をたたいて、祖先の霊を呼び戻して交流する。銅鼓を使用することもある。
黔東南のミャオ族の間では、楓香樹から生まれた蝶々のメイパンメイリュウが、樹下の水泡と恋愛して12の卵を生み、そのうちの一つから人間が生まれ、他の卵から生まれた龍や水牛と兄弟であるという創世神話が語られている。
その後、人類は天上の雷神と争い、大洪水を起こされ、瓢箪に乗って兄と妹が生き延びる。
兄と妹が結婚して(兄妹始祖神話)、その子孫が現在のミャオ族になったという。
ノンニュウは神話にちなんで、蝶々や兄妹始祖、祖先や死者の霊を祀り、再び東方にあるとされる究極の故郷に送り返す祭りである。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

160:日本@名無史さん
22/07/07 18:36:46.53 .net
首露王
亀旨峰(クジの岳)の6個の金の卵から、42年3月3日に首露王が生まれたとされる。
また、このとき1人ではなく5人の王子とともに6つ子として卵から孵って、九干たちに育てられたとされているこの年代に、首露王を中心とした国家連合(六加耶連合、後の新羅の複伽耶会)が成立したと見なしている。
金官国伽?は『魏志倭人伝』には狗邪韓国(くやかんこく)と伝えられる国である。

イ族
中国の古典文献に登場するこの民族の民族名は「夷」「烏蛮」「羅羅」「??」など多様に存在し、蔑称の「夷」が通称であったのを、中華人民共和国成立以降に同じ音である「彝」の字に統一した。
語順は日本語に似ていて、主語+目的語+動詞の順に並べられる。
金官加耶の初代首露王と
高霊伽耶の初代悩窒朱日の
父は天神夷?訶之、母は正見母主

161:日本@名無史さん
22/07/07 18:36:57.07 .net
ペー族
米を主食にしたり、ワサビを食用にする
ハニ族(古代の和夷)
弥生時代の遺跡等から見つかった人骨とDNA・骨格等が一致又は酷似しており、大豆を使った納豆や味噌さらに歌垣の文化、自然崇拝のアニミズム等日本との共通点が多い。
ハニ族はベトナムやラオス・ミャンマー・タイにも移住しており、現地ではアカ族と呼ばれている。特にラオスに住むアカ族の村の入り口には木で作った門があり形が日本の最古の鳥居に似ている。
日本のように磨いた白木を組み合わせてはいないが、鳥居の形状と魔除けの役割を負っている点で一致しており、門の上に鳥の彫刻が据えられている場合もある。
日本の弥生時代の一部遺構から似た形の鳥を模した彫刻が見つかった例もある。
また鳥居の風習は四川省涼山に棲むイ族(彝族)とも共通しておりチベットから流れる長江(揚子江)付近に存在した長江文明担い手の子孫とされるイ族と元々の生活域が近い事から近縁であると考えられる。
ワ族
竹で作った高床住居に住み、男性は黒いターバンで頭を包む。自称を「アワ」といい、近年まで首狩りの風習があった。

162:日本@名無史さん
22/07/07 18:37:08.06 .net
タイのミャオ族の精霊信仰
世界観は陰界 (yeeb ceeb) と陽界 (yaj ceeb) によって構成されており、さらに天界 (ntuj) をつけ加える場合もある。
陰界は精霊と死んだものが行くあの世のことである。ミャオの信仰において、あの世は山の中もしくは地下にあると考えられている。
陽界は精霊と人間の住むこの世と考えられている。
陰界と陽界=陰神イザナミと陽神イザナギ
死んだ者が行くあの世である陰界=陰神イザナミの黄泉
人間の住むこの世である陽界=陽神イザナギの現世
兄妹始祖神話=イザナギとイザナミ
そして、東方に究極の故郷があると言ってるのがミャオ族
長江流域の稲は10000年前
鹿児島県の稲は12000年前

163:日本@名無史さん
22/07/07 18:37:28.87 .net
日本で銅鐸が作られなくなるのと
サータヴァーハナ朝が滅亡するのは
同時期の出来事
上座部仏教とバラモン教はセットで伝来
東南アジアで止まってない

164:日本@名無史さん
22/07/07 18:39:19.75 .net
天御中主神-天八下尊-天三下尊-天合尊-天八百日尊-天八百萬魂尊-高魂尊-思兼尊-天表春尊-阿豆佐美命-加理波夜須多気比波預命-多祁美加々命-天足別命-天御桙命-国忍多気命-意保名豆命-由多祁命-彦振根命-波刈彌命-磐表主命-古美呂伎命-若多祁命-彌蘇宿爾-麻羅宿爾・・・
月神は高皇産霊尊(高魂尊)の子(日本書紀顕宗天皇条)
思兼神は月神と伝わる。
武甕槌神には天足別命(あまたりわけのみこと)という名前の御子神がいると伝わる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
天御桙命について、国造本紀は饒速日命の裔とするが、伊豆宿禰系図は天御桙命を天児屋根命の子とする。
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
つまり
加理波夜須多気比波預命(伊豆の神)=伊都之尾羽張(伊都=伊豆)

多祁美加々命=武甕槌神

天足別命=天児屋根命

天御桙命

165:日本@名無史さん
22/07/07 18:39:42.36 .net
葦原中国平定の段では、天穂日命、天稚彦に次ぐ三番目に葦原中国に派遣する神を選定する際、思兼神が、伊都之尾羽張神かその神の子の建御雷之男神を推薦している。
そして、天之尾羽張神=伊都之尾羽張神は自らの子である建御雷之男神を行かす。
思兼神が、伊都之尾羽張神かその子の建御雷之男神を推薦しているのは、どちらも思兼神の子孫神ゆえ。
一説には、天之尾羽張神・伊都之尾羽張神・経津主神・建御雷之男神は同一神であるという。(神道大辞典一巻コマ82(原本133頁))
葦原中国平定
1番目、天穂日命=アマテラスの子孫
2番目、天稚彦=天津国玉神の子、味耜高彦根命同一説=スサノオの子孫
3番目、武甕槌神=多祁美加々命、八意思兼神=月神説=ツクヨミの子孫
三番目だったから大三王子神社で多祁美加々命(武甕槌神)が祀られている
彌蘇宿爾(やそのすくね)という名のヤソは耶蘇教(キリスト教)のヤソであり、中国語表記のイエス。
耶は支那通例の悪い意味の漢字を充てる習慣によるもの。
倭ではなく和と同じように耶蘇ではなく彌蘇。
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」
(マタイ福音書10章34節)
加理波夜須多気比波預命(伊豆の神)=伊都之尾羽張(伊都=伊豆)も
多祁美加々命=武甕槌神も
同一とされる天之尾羽張神・伊都之尾羽張神・経津主神・建御雷之男神も
総じて剣の神。
身体は剣で出来ている。

166:日本@名無史さん
22/07/07 18:44:07.36 .net
以上からツクヨミの血筋が隠された理由が分かる。
インドラ(スサノオ・ヤハウェ)のリバース(化身)がツクヨミ(一神教唯一神の現人神)。
大陸に渡ったスサノオが後のヤハウェ。
スサノオが一神教唯一神の元だから、日本に残ったスサノオの子孫が逃げ込んだ信濃に旧約聖書に似た信仰がある。日本が元でありユダヤがそれを真似している。スサノオ教団メソポタミア支部が旧約聖書。
ヤハウェとなったスサノオが日本以外の全ての神々を全天使と全悪魔として配下にして、日本に帰ってきた。それがインドラ(スサノオ・ヤハウェ)のリバース=ツクヨミ=一神教唯一神の現人神である俺の血筋。その俺が鬼神大王の家系に生まれている。
出はスサノオで、入りがツクヨミ。
αにしてω。
?大日?尊及月弓尊、並是質性明麗。故使照臨天地。(日本書紀第五段)
これは、多神教最高神の現人神である天皇陛下と、一神教唯一神の現人神のことを指している。
月は日を支える象形。
アマテラスの日本を支えてるツクヨミの月支。
月光は日光を反射して日の当たらない地球の裏側を照らす。

167:日本@名無史さん
22/07/07 18:45:32.64 .net
岐阜県関市が日本列島の人口重心となっているように、関を境にして関東と関西に分けている本質も、
多神教最高神の現人神である天皇陛下と、一神教唯一神の現人神の血筋が、関を境にして東西に分かれていたからである。
多神教最高神の現人神である皇統と、一神教唯一神の現人神の血筋の居場所。
神話時代以前
関より東に多神教最高神の現人神の皇統の先祖。
関より西に一神教唯一神の現人神の血筋、日本以外の全ての神々を従えて日本に帰ってきたツクヨミの月支国が倭国。
関東の日本国が関西の倭国を併合して日本列島統一。
関東の皇統の先祖が関西に移動して大和朝廷。
日本神話が関西を舞台にしているのは、関西統治の正当性を関東出身の皇統が主張するため。
アマテラスは、岐阜と長野の間恵那山で生まれて、三重県のめずらし峠を通り、奈良県に降臨して、鳥取や島根を行幸して、徳島で八王子を生んでから死んだ。
アメノオシホミミの代に四国西岸まで至り、ニニギが九州日向に降臨した。
歴史時代以降
関より西に多神教最高神の現人神の皇統が移動したので、
関より東に一神教唯一神の現人神の血筋が移動した。
その結果
関西、日信仰の熊野三山、三本足のヤタガラス(ファイヤーバード)に導かれる。
関東、月信仰の出羽三山、三本足の霊鳥(サンダーバード)に導かれる。
明治時代以降
関より東に多神教最高神の現人神の皇統が移動したので、
関より西に一神教唯一神の現人神の血筋が移動した。

168:日本@名無史さん
22/07/07 22:34:52.36 .net
>>143
>注釈を反映すると、ホアカリが、饒速日に変わる
彦火明命=饒速日尊なんて先代旧事本紀にデカデカと書いとるわw
【籠神社の極秘伝は彦火明命=賀茂別雷神】
>普通の人が村雲=神武に至らないのは
変なお薬やってないからだよ。
>本当の神武は東征してない事に気づかない
神武天皇の皇后の祖父は天皇を導いた八咫烏(賀茂建角身・三島溝杭)だぞ。
東征なんてしてる訳ないだろ!東遷だボケ。

169:日本@名無史さん
22/07/07 22:40:42.37 .net
天牟久怒命は天児屋根の若宮。
ムラクモって群雲なんだからじ水に関する神に決まってるだろ。
神武天皇=村雲とかどこのパラレルワールドやねん?
5ちゃんねるって並行世界からも書けるんか?
松沢病院って知ってるか?早めに予約しておけ。阿波爺も待ってるよ。

170:日本@名無史さん
22/07/08 03:10:34.60 .net
>>147
カガセオは、出雲太陽の女神、豊国の月の女神に対して物部が作った星神
男性神だったからか全く流行らなかったらしい

171:日本@名無史さん
22/07/08 03:12:08.29 .net
>>149
朝鮮半島にタタラは存在しないよ
嘘を書くのはやめたほうがいい
流石にやりふぎだろw

172:日本@名無史さん
22/07/08 03:18:47.76 .net
>>169
おりょ?太国さん?松沢病院出たしww
太国さんなら分かるはずだよ
磐余彦を神武にすると倍暦と合わないもん
代数が余る

173:日本@名無史さん
22/07/08 03:25:45.23 .net
>>168
〉神武天皇の皇后の祖父は天皇を導いた八咫烏(賀茂建角身・三島溝杭)だぞ。
カモタテツノミは出雲奈良での分家である登美家のクシヒカタから数えて6代も後じゃん
クシヒカタの妹が多々良五十鈴姫
時代考証やり直しな?w流石に出鱈目すぎるわw
熊野に物部が攻め込んだ時代が倭国大乱期だよ
古事記でもちゃんと書いてあるだろ?
磐余彦が奈良入りしてるはずなのにいつの間にかウマシマジになってる。
ちなみに和歌山で死んだ五瀬家系も今でも存続してる
くだらない籠神社極秘伝とやらの方が明らかに誤報だろ

174:日本@名無史さん
22/07/08 03:36:24.20 .net
天孫と、海家=アマ家は区別したほうがいいよ
ホヒ天がつくし、ヒボコも同じ
そして出雲の事代主の三嶋溝杭姫との間の長男であるクシヒカタにも天がつく
村雲は海家なんだからプロット上の神武だよ
二代目が沼川耳、三代目が玉手看で磯城津彦
にだいめ、三代目が分かってるのに不思議と村雲まで到達しないのが下記のごまかしのすごいところだよな
ウマシマジってはっきり書いてあるのに物部にやられた事なんて普通に考えつくでしょ

175:日本@名無史さん
22/07/08 09:59:04.38 .net
>>173
>カモタテツノミは出雲奈良での分家である登美家のクシヒカタから数えて6代も後じゃん
賀茂建角身は天活玉の孫で天櫛玉の子。天櫛玉は太玉と同一か同世代。賀茂御祖神社の祭神。山城国風土記の賀茂伝説はどうするんだ?なんで櫛御方命より世代が下なんだよ。
どこのパラレルワールドやねん?この世界とお前にいるところは世界線変動率(ダイバージェンス)の数値が違うみたいだな。そりゃ話もかみ合わんよwww

176:日本@名無史さん
22/07/08 10:07:30.44 .net
>古事記でもちゃんと書いてあるだろ?
>磐余彦が奈良入りしてるはずなのにいつの間にかウマシマジになってる。
はぁ?

177:日本@名無史さん
22/07/08 11:40:49.07 .net
>>176
まさか知らないの?読んでないの?

178:日本@名無史さん
22/07/08 11:55:16 .net
>>177
はぁ~~~~~~~~~?
この世界とお前にいるところは世界線変動率(ダイバージェンス)の数値が【かなり違う】みたいだな。そりゃ話もかみ合わんよwww

故爾、邇藝速日命參赴、白於天?御子「聞天?御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。
故、如此言向平和荒夫琉?等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。

179:日本@名無史さん
22/07/08 12:14:20 .net
>>175

噛み合わないどころかちょっと傍流のマニアックな話で一生懸命に話されてもねw

まずは
〉『先代旧事本紀』「地祇本紀」によれば、父は都味歯八重事代主神(大己貴神の子)、母は活玉依姫(三島溝杭の娘)。事代主神が鰐となって活玉依姫のもとに通い、天日方奇日方命をはじめとする子が生まれたという。

クシヒカタの息子の建飯勝が千家のサマナ姫を娶り、その系統が奈良での出雲の分家の系統である登美家。
まさかの系図すら整理してないレベルだとはww

建ミカヅチや、タテツノミ、太田太根彦の系図が、なぜ分家の海部氏の神様になるのか?
母系の神様だらでしょ
それも、同一視され始めた時期なんてどう考えても後年のものとしか考えられない
籠神社が勝手にそう言う主張を表に出さずにいただけの話

加茂氏は男系が出雲の家。それがどうやったら習合相手の尾張や海部の家と同じ人物になるのかww

あくまで東征したのが神武と言うのなら磐余彦がそうなるが、彼はウマシマジ

ウムシマジにやられちゃったのがクニクル

神武なんて解釈上のプロットに過ぎないが、ウマシマジと同時代の尾張と出雲習合した政権は代数がたどれ、村雲が順番で埋まるんだよ

記紀には、人物の嘘、時間の嘘、空間の嘘があるとされる

人物=系図での解釈で、東征は無関係としないとクニクルより前の代は辿れない

東征した人物を神武と定義するのであれば、磐余彦=ウマシマジになり、180年代からが神武朝になる。
その際に欠落する代数が8代生まれ、神武の次が物部オオタラシ彦、成務からになってしまう。

東征してるんだから、やられる側が必要だろ。普通はそこに頭が向くものなんじゃないのか?

180:日本@名無史さん
22/07/08 13:50:36.52 .net
>>179
どっちがだよ、妄想癖w
>『先代旧事本紀』「地祇本紀」によれば、父は都味歯八重事代主神(大己貴神の子)、母は活玉依姫(三島溝杭の娘)。事代主神が鰐となって活玉依姫のもとに通い、天日方奇日方命をはじめとする子が生まれたという。
これはその通りなんだが・・・?事代主=大物主なのだが。
『事代主神、三嶋溝橛耳神(みしまのみぞくひみみのかみ、陶津耳)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める子を、なづけて媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)ともうす。』とあり、事代主神は神武天皇の岳父となっている。これは『古事記』で大物主神が三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売を生んだことと一致する。また『日本書紀』で三輪氏の祖の天日方奇日方命を生んだことと、『古事記』で三輪氏の祖の櫛御方命を生んだことに一致する。
事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神である。
まさかの系図すら整理してないレベルだとはwwwwww


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