倭国は百済属国at HISTORY
倭国は百済属国 - 暇つぶし2ch150:日本@名無史さん
22/06/24 02:45:14.86 .net
URLリンク(sites.google.com)
ソースがこれらしいけど書いてるの誰?

151:日本@名無史さん
22/06/24 03:53:48.24 .net
>>150
偽書の一種だろ?www
>倭国もまた日本として再生してきた時期である。
冒頭からこれだからなwww
もう、完全思い込みから出発してるんだよwww
”倭国もまた日本として再生…”” って誰かに滅ぼされたことになってるわけだからwww
誰が滅ぼしたん? 
その根拠はなんやねん? って話だからなwww
こいつは民族屈辱で頭がおかしくなってんだろうなw

152:日本@名無史さん
22/06/24 11:16:00.69 .net
百済人の居住地は猪飼野→百済野→百済郡、現在の大阪市東成区~生野区
ここを流れる百済川(現在の平野川)に猪甘津橋(鶴橋)が架けられた

153:日本@名無史さん
22/06/24 11:21:30.63 .net
>>1の引用先から抜粋
ーーーーーーーーー
辰王が列島にやってきて倭の五王となり、河内を開発し、産業を発達させ、その力で列島を統一した
ーーーーーーーーー
辰王と倭の五王って全然時代が違うけどどうなってんの?

154:日本@名無史さん
22/06/24 11:58:40.71 .net
未だかつて朝鮮半島が和国より大国であった時期など1秒たりとも無いだろ
朝鮮半島には倭国領域があり、鉄の権益を我が国が持っていた
昔から立ち位置は現在と変わっていない

155:日本@名無史さん
22/06/24 12:09:13.69 .net
辰国が滅んでも辰王は存在

156:日本@名無史さん
22/06/24 12:24:12.65 .net
>>155
それ全くソースない話だよね?

157:日本@名無史さん
22/06/24 13:18:52.69 .net
異民族集合半島に海外進出できる力なんてないよ。
倭人が異民族うじゃうじゃに混ざって半島南部に植民地持ってた真実にファビョらないでね。

158:日本@名無史さん
22/06/24 13:54:15.99 .net
>>156
後漢書、三韓の条

159:日本@名無史さん
22/06/24 14:19:44.21 .net
>>158
該当する部分を引用して下さい

160:日本@名無史さん
22/06/24 14:40:12.08 .net
>>155
これかな?
ーーーーーーーーー
地合方四千餘里 東西以海為限 皆古之辰國也 馬韓最大 共立其種為辰王 都目支國 盡王三韓之地 其諸國王先皆是馬韓種人焉
「土地は合わせて四千余里四方。東西は海をもって限りと為す。みないにしえの辰国である。馬韓が最大。その種族の者を共立して辰王と為し、目支国(魏志では月支国、転写間違いと考えられる)に都を置いている。王は三韓の地にいなくなった。その諸国王の祖先はみな馬韓の種族であった。」

161:日本@名無史さん
22/06/24 14:40:42.61 .net
>>159
韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。馬韓在西,有五十四國,其北與樂浪,南與倭接,辰韓在東,十有二國,其北與濊貊接。弁辰在辰韓之南,亦十有二國,其南亦與倭接。凡七十八國,伯济是其一國焉。大者萬餘户,小者數千家,各在山海間,地合方四千餘里,東西以海為限,皆古之辰國也。馬韓最大,共立其種為辰王,都目支國,尽王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉。

162:日本@名無史さん
22/06/24 15:07:16.35 .net
>>161
日本語訳も入れてくれよ
これって倭王帥升の時代でしょ?

163:日本@名無史さん
22/06/24 16:27:12.35 .net
其言語不與馬韓同「魏志韓伝」
辰韓と馬韓は言語が違う

164:日本@名無史さん
22/06/24 16:30:13.92 .net
>>162
初,朝鮮王准為衛滿所破,乃將其餘眾數千人走入海,攻馬韓,破之,自立為韓王。准後滅絕,馬韓人復自立為辰王。建武二十年,韓人廉斯人苏馬諟等,詣樂浪貢獻。光武封苏馬諟為漢廉斯邑君,使屬樂浪郡,四時朝謁。靈帝末,韓、濊并盛,郡縣不能制,百姓苦亂,多流亡入韓者。
後漢書、三韓より抜粋
衛満に攻略されたあと再び馬韓は辰王を立てている。その後楽浪郡に詣でているので、楽浪郡と平行してあったと考える。

165:日本@名無史さん
22/06/24 19:21:51.93 .net
>>164
これは1世紀(光武帝)の出来事なので楽浪郡が存続していた期間に同様のことがおきていたことにならないのでは?
あと百済は扶余系で辰王は馬韓人ではないのか?

166:日本@名無史さん
22/06/24 19:29:37.98 .net
そもそも辰って辰韓だろ?
新羅じゃないの?

167:日本@名無史さん
22/06/24 19:39:56.10 .net
>>165
記述だけからは明確にはできない。
霊帝のことも書いてあるのでその時代にはまだ馬韓はあった。
楽浪郡が高句麗によって滅びるまで馬韓は安定していたと考えたい。
百済は扶余系。辰王は馬韓人。なのだが、百済は辰王称号を欲したと考える。
辰王は値打ちがあったのだろう。
扶余隆の墓誌に辰朝人とあるのだから辰国系を自称した。誰が認定するかの問題あり。

168:日本@名無史さん
22/06/24 20:14:42.06 .net
>>166
> そもそも辰って辰韓だろ?
> 新羅じゃないの?
その通りだが辰韓は王がいなかった、或いは王統が無くなった

169:日本@名無史さん
22/06/24 22:09:15.53 .net
東北アジアの言語・文化および民族の起源
マルテイン・ロッベエツ教授(Prof. Martine Robbeets, Max-Planck-Institut(Germany))
URLリンク(www.youtube.com)

170:日本@名無史さん
22/06/24 22:33:18.94 .net
宮本一夫氏の最新論文(2022年)
The emergence of ‘Transeurasian’ language families in Northeast Asia as viewed from archaeological evidence
doi: URLリンク(doi.org)
 「私が唱えてきた古日本語のルーツを南満州の偏堡文化に求める考古学的仮説は
  言語学者たちが唱えているトランス・ユーラシア語仮説に相反するものではない
  それどころか支持するものである」
だってよ、どうする?
日本語族の正体は 偏堡文化人(ピアンプ) → 無文土器人(ムムン) → 弥生人(ヤヨイ)
で決まりだろ

171:日本@名無史さん
22/06/25 00:20:28.59 .net
無文土器の朝鮮語と日本語は違う

172:日本@名無史さん
22/06/25 14:33:58.86 .net
>>169
稲が入らない雑穀の新石器文明は半島止まり
山東遼東半島の稲が加わって青銅器文明として半島から列島に伝わった。
世界的な意味での新石器文明は日本になかった。
この意味で書紀にある日本への馬の伝来は新石器における家畜とは意味が異なった。
倭人は馬の飼い方を知らなかったし、利用目的は教わらねばならなかったことになる。
百済の馬の産地となったことは順当な推論だ。

173:日本@名無史さん
22/06/25 22:09:01.81 .net
牛、馬に乗ることを知らず、牛、馬は死を送るのに尽くしてしまう(馬韓伝)
牛、馬に乗ったり車を引かせたりする(辰韓伝)
新羅国は御馬甘と定め、百済国は渡の屯家と定めき(古事記)

174:日本@名無史さん
22/06/25 22:41:15 .net
魏の時代、馬韓辰韓には馬がいたということで>>169の論文の主張とあってますが。

175:日本@名無史さん
22/06/25 23:03:49 .net
このスレでは記年式でない古事記はパーフェクトに文献として除外している。

176:日本@名無史さん
22/06/25 23:30:29.60 .net
>>162
漢文は苦手ですか?
中国史書は日本語訳のない巻が殆どですがどうしてますか?

177:日本@名無史さん
22/06/25 23:33:41.79 .net
>>174
169のビデオの末尾に論文のurlが出ています。

178:日本@名無史さん
22/06/25 23:59:46.64 .net
トランスユーラシア語族新説は>>1の妄想とは何の関係もない

179:日本@名無史さん
22/06/26 00:11:06.18 .net
妄想だったら早く否定せよ。1ミリも動かないじゃないか♪

180:日本@名無史さん
22/06/26 00:43:15.82 .net
それがチョンだから

181:日本@名無史さん
22/06/26 06:58:14.54 .net
なんだかレスが錯綜してるなw
日本語と朝鮮語は語順や助詞など構文的な形はよく似ているが、
固有基礎語彙や発音概念が相い入れないくらい異なる。
このことは出自・基層は違う言語であることを物語っている。
現時点で日本語・朝鮮語が似ていると言われているのは、漢字語の影響が大きい。
また、日本統治下で、漢字語の用法や発音が(逆)輸入されたのも大きい。
韓国人としてはこのことは認めたくないが、厳然たる現実である。

182:日本@名無史さん
22/06/26 07:37:09.35 .net
>>181
スレタイと無関係ですなあw
周辺をいくら徘徊しても何も動きませんw

183:日本@名無史さん
22/06/26 08:16:15.28 .net
>>178
172で述べたように馬の件では役に立ちましたよ

184:日本@名無史さん
22/06/26 10:27:45.12 .net
どうせマウント取るなら中国は韓国が起源とか抜かしてればいいのに
教えてもらった日本語しか喋れないからこんなくだらない事するのかね?w

185:日本@名無史さん
22/06/26 10:52:47.52 .net
百済の王族は船荷の帳簿係だから馬は関係ない

186:日本@名無史さん
22/06/26 12:10:36.28 .net
>>167
> >>165
> 楽浪郡が高句麗によって滅びるまで馬韓は安定していたと考えたい
安定していたわからないし、辰王の存在は確認できない、月支国の存続期間もよくわからない
> 扶余隆の墓誌に辰朝人とあるのだから辰国系を自称した。誰が認定するかの問題あり。
馬韓の政体を破壊を破壊した負い目があるのではないかな、百済は馬韓の後継ではないし

187:日本@名無史さん
22/06/26 12:22:32.75 .net
>>179
> >>162
> 漢文は苦手ですか?
> 中国史書は日本語訳のない巻が殆どですがどうしてますか?
漢文はわからないですが日本語訳のない史料を出しても全然OKですよ
魁頭、炅兵、蹻蹋
これの意味わかりますか?

188:日本@名無史さん
22/06/26 16:45:57.28 .net
>>187
漢文がわからない?
それで「国際的視点からの古代史考」を否定する?

189:日本@名無史さん
22/06/26 17:50:02.81 .net
「国際的視点からの古代史考」って誰が書いたんだ?

190:日本@名無史さん
22/06/26 19:46:55.05 .net
>>188
東洋史の視点を入れた古代日本史ならこのビデオの人のほうがちゃんと説明してるし。
URLリンク(youtu.be)
URLリンク(youtu.be)

191:日本@名無史さん
22/06/26 22:50:30.82 .net
>>187
> 漢文がわからない?
> それで「国際的視点からの古代史考」を否定する?
誰が書いたのかわからない「論考」で論考の体裁としても典拠史料が明示的に記されておらず信頼性に乏しい、そんな印象ですが

192:日本@名無史さん
22/06/27 16:46:06 .net
>>191

国際的視点からの古代史考
ーーーーーーーーー
倭の五王=辰王
三韓は、馬韓出身の辰王を戴いていた。遊牧民の南下により、半島の小国は統合され、馬韓から百済が興る。後になるが、辰韓から新羅が興る。そのような動きの中、【 辰王が列島にやってきて倭の五王となり、】河内を開発し、産業を発達させ、その力で列島を統一した。
ーーーーーーーーー

倭の五王=辰王 さらっと書いてますが根拠は河内の韓式土器(須恵器)ですかね、須恵器は高温焼成でそれまでの土師器より優れた土器なのですが高温焼成の土器自体が中国から伝わったものです、中国発高温焼成土器の技術が半島を経由して日本に伝わっただけではないでしょうか

193:日本@名無史さん
22/06/27 23:57:38.06 .net
百済が興る前に日本では半島にはない大規模前方後円墳が築造され続ける
5世紀後半から6世紀前半に半島では栄山江流域で前方後円墳が造られる

194:日本@名無史さん
22/06/28 00:30:55.96 .net
>>192
韓式土器もさることながら、それが発見される場所が交通の要衝であったり工業生産拠点であったりすることです。
家内手工業ではなく、分業が行われていることが重要なのです。
分業は半島とも行われている研究がありますます。
つまり、倭国と半島を支配した王が存在するのです。異なる王が協業したとは考えにくいです。都督ですね。

195:日本@名無史さん
22/06/28 00:37:38.85 .net
>>194
百済以外の地域を都督として治めるのは、
進軍の形跡がないとされておりますので、
支配権の正統性があった。
つまり、辰国の流れをくむと中国にアピールしたと考えれば辰王となります。
このことは論考に書いてあります。

196:日本@名無史さん
22/06/28 06:02:01.02 .net
>>192
>馬韓出身の辰王
馬韓と辰韓は違うとされているが。

197:日本@名無史さん
22/06/28 08:01:02.59 .net
栄山江流域で前方後円墳は半島の都督を得たとき分業などしておりますから
そのときの倭国王の重鎮の墓ではないかと

198:日本@名無史さん
22/06/28 08:03:59.70 .net
馬韓の東を裂いてあたえ辰韓となりました。辰韓の辰は秦?
辰王は馬韓から共立されております。

199:日本@名無史さん
22/06/28 12:32:08.22 .net
>安定していたわからないし、辰王の存在は確認できない、月支国の存続期間もよくわからない
楽浪郡が存在する間は北部からの進入事件が確認されない限りその南側は安定していないとする理由はない。
小国の浮沈はあるだろう。辰王は衛満のあとにも立てられるほどのものであるから不滅である。
辰王は月支国に都していなければならないこともないだろう。
>馬韓の政体を破壊をした負い目があるのではないかな、百済は馬韓の後継ではないし
倒しておいて負い目?

200:日本@名無史さん
22/06/28 13:40:37 .net
>>192
君のこのスレでの文章は時系列が全くわからない。
スポット的にあれだこれだ書いても、初めて読んだ人にはなんのことやらさっぱりわからない。

そこらへんは、君がごまかしのレトリックを使っていると言われても仕方のないこと。

歴史の説明の文章というのは、
まず時系列と場所がわかること、
どういう流れでそうなっているかわかることが重要だと思うのだが、
君の文章にはそういう配慮がまるでない。

201:日本@名無史さん
22/06/28 14:04:04 .net
>>200
君の理解力に合わせているのではない。
わからなければ質問すればいいでしょ。
漢文と合わせて読めば時系列はハッキリしてますよ。

202:日本@名無史さん
22/06/28 14:10:18 .net
>>201
じゃあ、早速質問。
馬韓と百済は別の国なの?
辰韓と新羅は別の国なの?

203:日本@名無史さん
22/06/28 14:51:41.36 .net
>>202
中国史書では三韓は地域名で国とは認めていない。
小国が存在し、言語や風習習俗によって三つに別けてあるだけ。
百済は馬韓の小国伯済がその他の国を制して成り上がったもの。
同様に辰韓は地域名で国としては新羅として国際舞台に登場。
これらも、「国際的視点、、、、」にでている。

204:日本@名無史さん
22/06/28 15:07:11.98 .net
>>203
辰王とはなんの王を指すの?

205:日本@名無史さん
22/06/28 15:13:15.06 .net
>>200
配慮がないとは殿様ですか。
家臣の方に聞いてください。
私はあなたの家臣ではありません。
百済や三韓のことは常識でしょ。答えて損したwwww

206:日本@名無史さん
22/06/28 15:14:57.42 .net
>>204
またバカ殿がwww

207:日本@名無史さん
22/06/28 15:27:05.96 .net
>>205-206
あらら逃げちゃいましたwww
自分の言ってることに自信がないから答えないんだろ?w
わからないですね。辰王と言ったら辰韓の王様と思うでしょ、普通。
その辰王が日本に移ったのが現皇室の祖先だと君は言ってるのだろ?
結構スレの骨子の質問になると思うのだが?
そこら辺を時系列で説明を請うのはスレチですか?

208:日本@名無史さん
22/06/28 15:41:57 .net
>>207
バカ殿につける薬はない
よく中国史書を家臣に説明させろ
辰王は馬韓の月支国に都しとるだろ
衛満のあとも馬韓は辰王を立てとるだろ

209:日本@名無史さん
22/06/28 15:46:07 .net
>>205
>配慮がないとは殿様ですか。

そういう意味での配慮じゃないけど。
文章というのは人に読んでもらってわかってもらうために書くのだろ?
じゃあ、読んでわかってもらえるように、”配慮” しなければいけないと思うのだが。
ただ自分の書きたいことだけ書いてそれで終わりでは意味がないと思うのだが。

210:日本@名無史さん
22/06/28 16:08:39 .net
>>209
まだズケズケとバカ殿はぬかしやがる

211:日本@名無史さん
22/06/28 16:47:14.39 .net
>>208
君たち韓国人の歴史では常識であるのだろうけど、
日本人にとっては、東洋史・朝鮮史に詳しくなければ分からないだろう。
出身が馬韓、あるいは箕子朝鮮の生き残りで、都が馬韓内にあるのに、
なぜ辰王と名乗ったのかとかよくわからないし。

212:日本@名無史さん
22/06/28 20:12:24.74 .net
朝鮮人の尻を舐めると?

213:日本@名無史さん
22/06/28 22:46:07.77 .net
>>194
> >>192
> 韓式土器もさることながら、それが発見される場所が交通の要衝であったり工業生産拠点であったりすることです。
> 家内手工業ではなく、分業が行われていることが重要なのです。
> 分業は半島とも行われている研究がありますます。
半島と倭国で分業して土器つくってたん?
それとも双方の国で共に分業が行われていた?

214:日本@名無史さん
22/06/28 22:47:34.34 .net
>>200
単発かつ、投稿内容は対人批判のみ=ゴミ

215:日本@名無史さん
22/06/28 23:01:47.07 .net
>>213
それも参考文献に出ている

216:日本@名無史さん
22/06/29 08:41:46.54 .net
辰王より親魏倭王の卑弥呼(神功皇后に比定)が上
卑弥呼と同じ組織のほうが畿内の威信に繋がる

217:日本@名無史さん
22/06/29 10:02:42.45 .net
残念ながら私は九州説なんだな

218:日本@名無史さん
22/06/29 11:35:18.46 .net
朝鮮起源説だろ
熊本説がそうだったな

219:日本@名無史さん
22/06/29 13:06:39.68 .net
いや
単に素直に倭人伝を読んでたら九州にしかならないだろ。
なんで南をわざわざ東に読み替えるんだよ?

220:日本@名無史さん
22/06/29 16:53:51.86 .net
九州が馬韓の属国なのか?

221:日本@名無史さん
22/06/29 17:23:18.79 .net
三国志魏書
高句麗 祭鬼神  
韓 祭鬼神 信鬼神 事鬼神 祠祭鬼神 
倭 事鬼道
後漢書
高句麗 祠鬼神  
韓 祭鬼神 事鬼神 
倭 事鬼神道
昔からこの流れw

222:日本@名無史さん
22/06/29 19:42:00.69 .net
AD1~2C?
馬韓(後の百済地辺)の王=辰王
辰韓(後の新羅地辺)の王=辰王
弁韓(後の伽耶諸国地辺)の王=辰王
辰王は馬韓人で月支国に都する

223:日本@名無史さん
22/06/29 19:46:31.68 .net
> >>213
> それも参考文献に出ている
参考文献って
国際視点からの古代史
のことですか?

224:日本@名無史さん
22/06/29 20:06:23.40 .net
「国際視点からの古代史考」が挙げている参考文献

225:日本@名無史さん
22/06/29 20:44:47.18 .net
> >>213
> それも参考文献に出ている
参考文献って
国際視点からの古代史
のことですか?

226:日本@名無史さん
22/06/29 20:57:24.64 .net
>>224
手抜きしないでちゃんと出典と引用部分を示しましょう
辰王を三韓が王と戴く大王、のように位置づけられておらるようですが、当時の半島は漢四郡が敷かれており中華王朝からの位置づけで辰王は属領の首長クラスでしょう。
各付け的には印綬され帥升より下になると思います。

227:日本@名無史さん
22/06/29 21:05:31.77 .net
辰王(馬韓人)の王名をいくつか上げてもらますか?

228:日本@名無史さん
22/06/29 21:27:38.84 .net
辰王が河内に降り立ち、渡来人技術者らに須恵器(カンシキ土器)制作させた
との説のようですが、最初の須恵器の製造は河内ではなく福岡の朝倉須恵器窯跡からで様式は百済系では無く伽耶系です
URLリンク(www.google.co.jp)URLリンク(repo.nara-u.ac.jp)
nara-u.ac.jp
URLリンク(repo.nara-u.ac.jp) › do...PDF
日本における初期須恵器生産の開始と展開 - 奈良大学リポジトリ (PDF書類)

229:日本@名無史さん
22/06/29 21:47:05.03 .net
大論文でもありませんので読んでください。君は研究者の息吹を感じる必要があります。
三韓の辰王については中国史書が書く以上のことは不明。辰国の王の血脈と想像される。

230:日本@名無史さん
22/06/29 22:10:11.67 .net
>>228
大古墳時代の古墳は前期のものより低地にあることを重視しています。
彼らは低湿地帯に活路を見出したと見られます。
それ以前の古墳が山裾だったのは傾斜を利用して水利できるからです。
低湿地は水抜きの堀や逆に水の誘導技術が必要です。
そのためには、より強力な掘削の利器が必要です。木の鍬より鉄の利器が有効だったでしょう。須恵器は重視しておりません。

231:日本@名無史さん
22/06/29 22:26:45 .net
>>228
倭の五王の時代の特徴は低湿地帯の開発等広大な農地の創出があります。
例えば大阪市を流れる大川は仁徳紀にある掘削された人工の川で、河内湖が排水されています。
前にも触れた専業化による分業、鎧製造、武器製造があり、轆轤技術、
馬の繁殖など、一気に文明が進んだのです。
これらは海外からの技術です。何処に源泉を求めるかと言っているのです。

232:日本@名無史さん
22/06/29 22:46:46 .net
バカ殿はこまかく根掘り葉掘り拘るが、もっと歴史の大道を押さえなくちゃいかんよ

仁徳と言われる人物は倭の五王だろうけれど彼の時代の堀江が今の大阪市の大川なんだよ
倭の五王は大阪の地形を変えたんだよ
それには鉄と計画性が必要なことくらい解るよな
これも国際的視点からの古代史考にでている
読んでいれば神功皇后とか言わない筈だ

233:日本@名無史さん
22/06/29 23:49:10.53 .net
バカ殿は半年もの間「国際的視点からの古代史考」を読まずに食い下がっただけ。
1ミリも動かすことはできなかった。彼の人生の意義を問う。

234:日本@名無史さん
22/06/30 00:57:40.74 .net
>>232-233
おまえがバカ殿扱いしているオレは
昨日・今日でこれが初レスなのだがw
人を区別できないおまえが一番バカだろwww
人を良く確認してからレスしろよ、バカがw

235:日本@名無史さん
22/06/30 08:31:36.46 .net
>>234


236:日本@名無史さん
22/06/30 21:44:58.59 .net
>>229
>>232
>>233
「国際的視点からの古代史考」
これは素人の書いた只のブログですよ?
この方は史実と自身の仮説を混濁したまま記述してます、そのような形式の論文受け入れる学会などありません。

237:日本@名無史さん
22/06/30 21:53:27.04 .net
第10代の王奈解尼師今の長子である昔于老は倭人に焼き殺されましたがこのとき辰王はどこで何をしていたのか何の記述もありませんね、もうすでに辰王などいなくなったのでしょう。

238:日本@名無史さん
22/06/30 22:05:31.20 .net
>>236
嫉妬ですねw

239:日本@名無史さん
22/06/30 22:07:43.83 .net
>>237
辰王を消したいw

240:日本@名無史さん
22/06/30 22:09:24.04 .net
>>238
またまた的外れ発言かw

241:日本@名無史さん
22/06/30 22:23:08.20 .net
>>240
w

242:日本@名無史さん
22/06/30 22:33:58.97 .net
>>231
半島から渡来人が沢山来ましたよ、日本書紀などにも記載があります。
日本は明治以降、洋風の建造物が沢山出来ましたが支配層が西洋人に変わった訳ではありせん、外国文化の広範囲な受容は王権交代の証拠にはなりなせん。

243:日本@名無史さん
22/06/30 22:40:39.70 .net
学会がねぇ。かつて発表するよう薦められましたがその積もりはありません。
自由形式で書いております、はい。

244:日本@名無史さん
22/06/30 22:44:40.87 .net
>>242
苦ちい必死の防戦w

245:日本@名無史さん
22/06/30 22:45:00.75 .net
倭王の上表文からは前身が三韓の辰王であった読みとることはできません、先祖も倭国人ですね
「 封国(倭国のこと)は偏遠であって、藩を外になしている。昔から、祖禰(そでい)みずから甲冑を着て、山川を跋渉し、寧処(ねいしょ)にいとまがなかった。東は毛人を(蝦夷、アイヌか)を征すること55国。西は衆夷(熊襲、隼人などか)を服すること66国。渡って海北を平らげること95国。王道は融泰であって、土をひらき、幾をはるかにした。」

246:日本@名無史さん
22/06/30 22:46:03.58 .net
>>243
ブログ主さんですか?
ご参加ありがとう御座います

247:日本@名無史さん
22/06/30 22:50:34.30 .net
>>245
倭の五王はどのようにして半島南部の都督を許されたたのですか?

248:日本@名無史さん
22/06/30 23:00:44.28 .net
>>247
百済都督を自称しましたが最後まで許されませんでしたね。
なぜですか?

249:日本@名無史さん
22/07/01 08:52:13.45 .net
>>242
>日本は明治以降、洋風の建造物が沢山出来ましたが支配層が西洋人に変わった訳ではありせん、外国文化の広範囲な受容は王権交代の証拠にはなりなせん。
弥生文明を受容して縄文人が弥生人になったわけではありません。

250:日本@名無史さん
22/07/01 10:38:19.82 .net
>>1
昔から韓国は日本に助けてもらってばかりだったのねww

251:日本@名無史さん
22/07/01 11:20:36.67 .net
>>249
倭の五王時代は弥生時代じゃないだろ

252:日本@名無史さん
22/07/01 12:02:01.04 .net
>>250
軍事的にもこき使われたのを認めたのねw

253:日本@名無史さん
22/07/01 12:05:08.54 .net
>>251
明治時代を反例に挙げられたので縄文人が弥生人に入れ替わりましたと反例の反例を言ったまでw

254:日本@名無史さん
22/07/01 12:19:30.35 .net
>>253
青谷上寺地遺跡の弥生人のDNAは、
縄文系の父系(Y-DNA)と多様な渡来系の母系(mtDNA)の混血

255:日本@名無史さん
22/07/01 12:23:54.66 .net
>>252
白村江直前の新羅との戦いに倭国は2万7000人が百済残党応援に駆り出されています。
白村江はその延長で、1万人ですね。
軍事代行させられた過去からすれば、援軍応援指示が百済残党から倭国に出たんですね。

256:日本@名無史さん
22/07/01 12:25:37.19 .net
>>254
あのう、ゲノムワイド分析の結果結論はでとるんですはw

257:日本@名無史さん
22/07/01 12:36:07.15 .net
>>255
倭国が弱小百済を復興させれば完全属国化できるからな
朝鮮併合したときは日本軍が清軍を朝鮮から退去させた

258:日本@名無史さん
22/07/01 12:56:40.49 .net
>>257


259:日本@名無史さん
22/07/01 13:39:44.50 .net
プヨヨヨンくんは全羅道出身なの?

260:日本@名無史さん
22/07/01 14:10:05.47 .net


261:日本@名無史さん
22/07/01 14:22:11.19 .net
>>259
バカ殿は?

262:日本@名無史さん
22/07/01 14:27:16.50 .net
畿内説というのは、邪馬台国の領域が後の令制五畿(およそ畿内第V様式圏)
九州説は、邪馬台国が九州各地の様々な範囲の比定地の説なので
畿内説に対していうときは九州諸説というのが正しい

263:日本@名無史さん
22/07/01 14:28:45.50 .net
誤爆失礼w

264:日本@名無史さん
22/07/01 14:46:44.92 .net
>>259
君の人生の意義が問われているwww

265:日本@名無史さん
22/07/01 21:07:15.09 .net
>>264
イミフなことばかり言って盛り上がってますねえ、
リアル統失プヨヨヨンくんはw
全羅道出身だから、
祖先の百済は日本人くらいには勝ちたいんだねww
全羅道って韓国でも蔑まれてる地域だからな・・
哀れプヨヨヨン・・

w

266:日本@名無史さん
22/07/02 12:19:32.69 .net
>>247,>>248
三韓は辰国の跡地とあるように倭の五王が望んだ都督の地域は元辰国の領土。
これを主張して受け入れられた。ただし、馬韓にあった百済は自分が辰国の後裔と主張
し(扶余隆の辰朝人)、中国は倭の五王に百済都督をゆるさなかった。と読むべきだな。

267:日本@名無史さん
22/07/02 12:57:35.54 .net
>>266
別な説だと、高句麗と倭が対立してたという説があるよね。
高句麗も倭も三韓は自分達の勢力だと主張して、
中華に申し出ていたが、
中華は高句麗を優先させる方が有益だと考え、高句麗を認めて、倭は二の次にしたという考え方。
実際、好太王碑を見ても高句麗と倭が対立していたのは確かだしな。

268:日本@名無史さん
22/07/02 13:16:55.04 .net
>・・・・あるよね。 
知らないねw

269:日本@名無史さん
22/07/02 13:21:46 .net
>>268
それはおまえが
まともに歴史を勉強してないからだろw

270:日本@名無史さん
22/07/02 13:57:31.02 .net
>>269
頭脳が優れていてもお前の捏造までは分かりかねるw

271:日本@名無史さん
22/07/02 19:19:12 .net
>>270
捏造なんかしてないけど。
好太王碑に高句麗が倭を敵視していたことを
はっきり記述してるわけだからな。
三韓は両国の係争の地だったわけ。

272:日本@名無史さん
22/07/02 21:23:10.11 .net
>・・・高句麗を認めて、倭は二の次にしたという考え方。
知らないねw

273:日本@名無史さん
22/07/03 07:42:37.56 .net
>>272
ふーん、
プヨヨヨンくんって
征東・鎮東・安東の格付けも知らないんだw
やっぱなんも知らないんだなw

274:日本@名無史さん
22/07/03 10:03:00.49 .net
266から辰国跡地の都督の話w

275:日本@名無史さん
22/07/03 13:35:38.84 .net
日本のおえらいさんの学説通り
日本より朝鮮半島の国が大国であった時期など存在しない
これが真実でしょ
逆に、昔から植民地だったというのが三国志の内容

276:日本@名無史さん
22/07/03 22:53:07.58 .net
>>245
> 倭の五王はどのようにして半島南部の都督を許されたたのですか?

百済の方が先に倭王が要求する官爵を得ていたから

277:日本@名無史さん
22/07/03 22:55:33.99 .net
>>249
文化や技術が入って来たので王族も交代したはずである というロジックは例外をひとつ示すだけで破綻するんですよ

278:日本@名無史さん
22/07/03 23:00:02.60 .net
蓋鹵王 百済の第21代の王
 475年に首都慰礼城(ソウル)を陥落させられ戦死。
倭国は百済の属国だそうですが、蓋鹵王であれば倭軍の統帥権もあったんですよね?

279:日本@名無史さん
22/07/03 23:40:38.01 .net
>>277
明治維新は西欧が中国攻略の拠点として日本を利用する目的があった。
このことは当時の書物を読めばわかります。
大きな変革がある場合、通常は政権交代しているとして分析します。

280:日本@名無史さん
22/07/03 23:47:01.00 .net
>>278
よく>>1を読んでください。
502年以降、日十大王というと揉めますので、継体紀から属国論をスタートしています。
それ以前は倭の五王の時代ですから百済の属国ではありません。残念でした。

281:日本@名無史さん
22/07/04 00:00:59.97 .net
>>277
明治維新政府の陣容は西洋人ではありませんが、西洋人が作った政権です。
こうなったのは、西洋は日本を直接所有するまでの必要性はなかったからです。
中国攻略の仲間を増やしたかったのです。
それと比べ、王族そのものが半島から流れてきた場合、当然王権は問題になります。

282:日本@名無史さん
22/07/04 08:40:10.82 .net
>>287
蓋鹵王敗死後、百済文周王は南遷しました。
このとき弟の昆支王も同行いたしましたが、さらに河内に来ております。
先行的に貴族の木劦満致(蘇我満致)もきており、河内に百済王族と支える貴族のペアが出来上がります。
これが、倭の五王政権をたおし、百済系の日十大王が生み、倭国を百済の属国とするのです。
その目的は、高句麗に押され続けてきた百済の逃げ場(後背地)造りです。

283:日本@名無史さん
22/07/04 10:33:45.18 .net
>>281
東京に首都がある間はそういう向きなんだろうかと演繹的曲解な色眼鏡で見てしまうな
当たり前かもしれんけど日本は遷都する際に社会構造自体変わる程の変化があるから
ソサイエティ5.0辺りで首都機能移転来る?

284:日本@名無史さん
22/07/04 11:49:11.67 .net
継体大王が百済から来た証拠は?

285:日本@名無史さん
22/07/04 12:05:21.51 .net
>>284
百済から来たのは昆支王、日十大王はその系列。
継体王はもっと古くからいる倭の五王などの系列。
隅田八幡宮人物画像鏡と書紀の継体王が探し求められる逸話から二人は大王位を争い継体は負けたと見られる。
武寧王の「長寿を祈る」が敗者をねぎらうというかおとなしくしておれというメッセージに読めるのだ。

286:日本@名無史さん
22/07/04 18:39:38.93 .net
>>277
> 明治維新は西欧が中国攻略の拠点として日本を利用する目的があった。
> このことは当時の書物を読めばわかります。
> 大きな変革がある場合、通常は政権交代しているとして分析します。
あんたのこの感想がなんで1説の根拠になるのか不明

287:日本@名無史さん
22/07/04 18:39:51.66 .net
>>1
天皇家の始祖は、辰韓から来た天日槍

天皇家の開祖が分かった「ツヌガアラヒト(天日槍)」
スレリンク(history板)

288:日本@名無史さん
22/07/04 18:42:02.50 .net
>>280
辰王=倭王はなぜ蓋鹵王を救出しなかったですか?
扶余辰朝人だから同系って主張でしたよね

289:日本@名無史さん
22/07/04 18:46:22.19 .net
>>277
> 明治維新政府の陣容は西洋人ではありませんが、西洋人が作った政権です。
それはあなたの感想、依拠資料か学説を引用して下さい

> それと比べ、王族そのものが半島から流れてきた場合、当然王権は問題になります。
それはあなたの妄想、依拠史料か学説を引用して下さい

290:日本@名無史さん
22/07/04 18:49:29.20 .net
>>282
百済系が倭の五王(辰王)を倒したの?
辰王は誰を倒して倭の五王になったの?

291:日本@名無史さん
22/07/04 19:39:10.49 .net
>>286
>>1を補強するためではありません。
>文化や技術が入って来たので王族も交代したはずである というロジックは例外をひとつ示すだけで破綻するんですよ
に対する反論です。

292:日本@名無史さん
22/07/04 19:41:51.90 .net
>>288
そんなことを言っておりません。レスを示してください。

293:日本@名無史さん
22/07/04 19:45:33.03 .net
>>289
明治維新政府の陣容は西洋人ではありませんが、西洋人が作った政権です。
そうでないというなら逆に資料を示してください。
王族そのものが半島から流れてきた場合、当然王権は問題になることにどんな疑問がありますか、例を示してください。
たとえば、扶余勇は太宰府から近江にかけて政府を展開しましたね。

294:日本@名無史さん
22/07/04 19:54:29.36 .net
>>290
>百済系が倭の五王(辰王)を倒したの?
そうです。「国際的視点からの古代史考」に書いてあります。
>辰王は誰を倒して倭の五王になったの?
古市百舌古墳の主は倭の五王と思います。
同時期に大和にも比較的大きな古墳があり、副葬品にも権力を示すものがあります。
よって、辰王が大和の政権を倒したということはないでしょうが、五王が倭の最高位でありました。

295:日本@名無史さん
22/07/04 20:05:54.62 .net
>>292
> >>288
> そんなことを言っておりません。レスを示してください。
あなたは>>167で以下のように書いてます
扶余隆の墓誌に辰朝人とあるのだから辰国系を自称した。

296:日本@名無史さん
22/07/04 20:13:02.05 .net
根拠を述べるよう請願してるのに、
感想と妄想とブログを見よと永遠に話し続ける
プヨヨヨンくんw
頭が完全逝かれてます・・・

w

297:日本@名無史さん
22/07/04 20:29:37.72 .net
>>295
>>280に示したように、倭国が百済属国になったのは百済昆支系の日十大王が政権についてからです(503)。
ですから、蓋鹵王の時代は倭国は属国でなく、蓋鹵王を救出する義務はありません。
倭の五王時代は百済も倭国も辰王の後裔を主張し争っていたと考えられます。
倭の五王は都督から辰王であったことが伺え、百済も辰国系であったことは扶余隆の墓誌が証言するところです。

298:日本@名無史さん
22/07/04 20:40:58 .net
>>297
倭の五王と“とおか大王”と昆支と継体の関係が全くわからないのだが。
妄想・感想じゃなく、証拠を示してください。

299:日本@名無史さん
22/07/04 21:11:13 .net
>>298
>倭の五王と“とおか大王”と昆支と継体の関係が全くわからないのだが。
妄想・感想じゃなく、証拠を示してください。

これは長くなるので「国際的視点からの古代史考」の
倭の五王のページと継体王のぺーじと聖徳太子のページを読む必要があります。

簡単に申し上げますと、最初、倭の五王が倭国および半島南部を支配しておりました。
この状況下で、百済は高句麗に押されて南遷します。475年の崩壊で昆支は河内に来ます。
河内で昆支は自分の脈を大王位につけようとします。人物画像鏡の日十大王がそれです。
しかし、対抗馬として継体がいたのです。この人は応神天皇の5世孫といいますから倭の五王系の人でしょう。
日十大王が勝ち、継体は敗れたのです。
しかし、書紀は日十大王以降を記載せず、継体系を天皇の祖として記載しました。
実際の倭国王は大古墳時代以降河内政権が握っているのです。大和ではありません。
継体王も倭国王ではありません。以上詳しくはHPで。

300:日本@名無史さん
22/07/04 21:15:25 .net
>>299
すべて、証拠物や信頼の置ける史書をもとに推論し、
その結果が他の史料内容とぴったり一致しますので、
これを覆すには新史料が必要です。

301:日本@名無史さん
22/07/04 22:42:13 .net
ところで1はこう書いてる

> >>162
> 中国史書は日本語訳のない巻が殆どですがどうしてますか?

ブログ紹介オンリーで日本語訳されてない史料が一向に出てこないんだが?

302:日本@名無史さん
22/07/04 23:28:15 .net
>ブログ紹介オンリーで日本語訳されてない史料が一向に出てこないんだが?

意味がわからない。
何が「ブログ紹介オンリー」なのですか?
日本語訳されていない史料を求めているのですか?

303:日本@名無史さん
22/07/05 07:20:49.59 .net
国際的視点からの古代史考 を少しずつ読んでいるが、
冒頭から“倭国もまた日本として再生・・・”と書いてあるが、
日本が勝手に滅んだ事にされてるのだが、
日本人はそんな歴史なんて学んでませんが、どう言う事?w

304:日本@名無史さん
22/07/05 08:47:49.81 .net
>>303
各論を読めばわかります。
簡単に言うと唐が極東の国々を滅ぼしたり従えたりしました。
日本もその渦中にあって影響がなかったということはありません。
倭は白村江で敗北し、百済勢が倭に押し寄せ政権交代が起き、
壬申の乱で更に政権交代し、今の日本の基が形成されるのです。
書紀はそんな激動を隠して昔から安定的に天皇が政治をしてきたといっています。
そういう書紀を事実のように学びますと「国際的視点・・・」は衝撃的かもしれません。
最初に「天智天皇」のページを読むのがいいかもしれません。

305:日本@名無史さん
22/07/05 14:11:01 .net
2022年7月5日 三国時代の伽耶の人類のゲノムデータ
URLリンク(sicambre.seesaa.net)

朝鮮半島の三国時代の伽耶の人類のゲノムデータを報告した研究(Gelabert et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。

306:日本@名無史さん
22/07/05 16:06:39.54 .net
>>305
ありがとう

307:日本@名無史さん
22/07/05 17:36:08.01 .net
縄文人はアイヌのご先祖様や。君たちの先祖ちゃうよ
和人の先祖はこれ!

土井ヶ浜弥生人
URLリンク(www.iokikai.or.jp)
>核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどは土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。

308:日本@名無史さん
22/07/05 18:13:49.11 .net
>>302
> 日本語訳されていない史料を求めているのですか?
あんたが自分からいい出したことだ
結局自説の裏付けとなる漢文史料持ってないのか?

309:日本@名無史さん
22/07/05 18:48:09.32 .net
ーーーーーーーーーーー
近肖古王の時には辰王は半島を去ったものと思われ、346年が辰王の出半島の目安となる。
ーーーーーーーーーーー
この辰王の倭名は?
ーーーーーーーーーーー
最終的に武は列島と、百済と高句麗を除く半島の支配権を許された。百済王には百済国のみの支配権が認められた。
ーーーーーーーーーーー
支配権が認められたって書いてますが、征東将軍、鎮東将軍、安東将軍等は華夷秩序を保つために送られた爵位(官位)です、肛門様の印籠のような実効性はなく単なる虚名、当時の中国の南半分である南朝が定めたポジションに過ぎない

310:日本@名無史さん
22/07/05 19:52:45.82 .net
>>308
>結局自説の裏付けとなる漢文史料持ってないのか?
日本語に訳されていない部分の中国史書や訳が定まらないとされる銘を参考にしております。

311:日本@名無史さん
22/07/05 19:56:11.06 .net
>>309
>この辰王の倭名は?
わかりません。
>支配権が認められたって書いてますが、征東将軍、鎮東将軍、安東将軍等は華夷秩序を保つために送られた爵位(官位)です、肛門様の印籠のような実効性はなく単なる虚名、当時の中国の南半分である南朝が定めたポジションに過ぎない
いえ、都督ですから支配権を持ったと判定しています。

312:日本@名無史さん
22/07/06 07:03:52.70 .net
Figure 5. Spread of Proto-Japonic and Proto-Koreanic
URLリンク(static.cambridge.org)

313:日本@名無史さん
22/07/07 07:31:12.12 .net
>>307
いやいや、土井ヶ浜人も直接我々の祖先とは言えんだろ。
遺伝子が違うし。O1b1だっけ。
で、日本人には確実に縄文遺伝は受け継がれてるっつのw
体質見てもねw
地方によって濃い・薄いはあるけど。
なんでそう日本人の縄文要素否定したがるかなあ?

314:日本@名無史さん
22/07/07 20:07:34.03 .net
>>288
>辰王=倭王はなぜ蓋鹵王を救出しなかったですか?
扶余辰朝人だから同系って主張でしたよね
倭、百済双方が辰王の末裔を主張しました。唯一無二の辰王を争うということです。本家争いです。
同系だから助け合うなんて考え方は少年少女文学ですよw

315:日本@名無史さん
22/07/07 20:19:15.84 .net
2022年7月7日 ミクロネシアへの人類の5回の主要な移住
URLリンク(sicambre.seesaa.net)
ミクロネシアへの人類の移住に関する研究(Liu et al., 2022)が公表されました
Fig. 1. Map and PCA.
(A) Map showing five inferred streams of migration into Micronesia. (B) PCA results. Axes are computed with Dai, Nasioi, and Papuans; others are projected.
URLリンク(www.science.org)

316:日本@名無史さん
22/07/08 13:05:23.54 .net
>>296
何だか、おとなしくなったのは、属国説に感服?

317:日本@名無史さん
22/07/08 18:32:34.90 .net
「プヨヨヨン君」の呼びかけはもうないのかねwww

318:日本@名無史さん
22/07/08 19:24:20 .net
ちっぽけな韓国蔑視の人物で私を一歩たりとも動かすことができなかった。
この国は事実をゆがめるくだらないやつらで埋め尽くされている。w

319:日本@名無史さん
22/07/08 19:41:38.67 .net
扶余勇=天智、倭=百済属国に彼は反論できなかった。
彼の活動に何らかの曇りを与えたに違いない。勝利!

320:日本@名無史さん
22/07/09 11:36:55.09 .net
>>316-319
プヨヨヨンくんはかまって欲しそうだねw
そんなに突っ込んで欲しいの?

321:日本@名無史さん
22/07/11 23:49:17.53 .net
坂上氏「百済と高句麗が攻めてきたせいで故郷を失った恨みは忘れない。日本の一部になってざまぁぁwwwww」

322:日本@名無史さん
22/07/12 09:05:01 .net
倭人は朝鮮人の末裔なんで一緒ですけど

323:日本@名無史さん
22/07/12 10:32:24 .net
いつまでもアイデンティティーを朝鮮にしがみついて生きてる奴らからすれば「日本は我が物」なんだろうなぁ
日本語使って何がしたいのかよく判らんし矛盾を自覚出来ていないらしいがw

324:日本@名無史さん
22/07/12 12:45:27.05 .net
>>322
言語が違うのはどう説明するんだ? ああ?
工作員さんw

325:日本@名無史さん
22/07/14 00:06:55.16 .net
言論の自由の封殺ではなかった
恨みでは格好が付かない

326:日本@名無史さん
22/07/14 12:50:27.54 .net
日本の中華思想は西の朝廷隋唐と東の朝廷倭の両立。中華との対等。挟まれた朝鮮諸国は天子の蕃国、属国として格下の地位。

327:日本@名無史さん
22/07/14 13:15:09.92 .net
朝鮮の小中華思想は中国の子分であることが自分達の存在価値。
日本は何百年も前に中華王朝を作って独立済みで歴史のレベルが違うね。

328:日本@名無史さん
22/07/14 13:15:47.10 .net
>>326
日本の中華思想だって。田舎の銀座商店街wwwwwww
田舎国ですな。

329:日本@名無史さん
22/07/14 13:23:31.64 .net
>>327
田舎の銀座商店街同士の貶めあいは滑稽ですらある

330:日本@名無史さん
22/07/14 13:51:33.41 .net
隋の煬帝も田舎者の北朝出身だから天子を自称した倭を咎めなかったんだね。日本頭良い。

331:日本@名無史さん
22/07/14 13:58:17.67 .net
>>327
日本史において、カラ(中国)というのは、
文化的に進んでいて、珍しいものが得られる異国ではあっても、
つかえるべき宗主国という意識は”からきし”無かったと言って良い。
日本人にとって、”外国”とは単に異国以外の意味を持たないもので、
そこに上下関係はなかったといってよい。
あくまで対等だったわけで。
だから、日本人は中華という意識すら持っていないのが現実。

332:日本@名無史さん
22/07/14 14:01:07.55 .net
だから、韓国人が自分らを ”兄” といい、日本人を ”弟” というバカ発言を聞くたびに
いつも苦笑してしまうwww
バカみたいな国民性だな、ほんとwww

333:日本@名無史さん
22/07/14 14:05:34.27 .net
>>331
だったら中華由来の天皇を名乗る意味はない。倭古来の君主号で対等を名乗れ。

334:日本@名無史さん
22/07/14 14:19:07.39 .net
天子を自称したのは朝鮮(昆支)系王タリシヒコ。倭人じゃねえw

335:日本@名無史さん
22/07/14 14:19:43.19 .net
>>333
日本人はそこんとこが柔軟で、外国語をストレスなく取り入れてしまう。
罪の意識なしにねw
まあ、”天皇”という言葉が外国語という意識はほとんど持っていないのが現実。
和風に言えば ”すめらみこと” というが、正式名称としては現在も使われている。
だから、太平洋戦争中の外国語禁止令は、日本人的発想ではなかった。
あれは、儒教思想の強い薩長が権力を握っていたのはあるだろう。

336:日本@名無史さん
22/07/14 14:24:36.09 .net
敗北から統失をわずらって脈絡なく理由付けを行って統失を深めるw
話はどこまでも発散wwwwww、気がついてるかなwwwwwwwwwww

337:日本@名無史さん
22/07/14 14:25:21.91 .net
新唐書に煬帝が相手した倭王は用明天皇って書いてあるし。唐は完全に日本の天皇を認めちゃてるね。

338:日本@名無史さん
22/07/14 14:29:13.57 .net
>>334
別に 多利思比孤 が朝鮮系だから ”天子” を自称したのではないだろう。
中国風の尊称で自分を飾ったのだろう。
中国文化を取り入れていた時期だからな。
まあ、日本がカラを宗主国という意識を持たなかったのは、
朝鮮半島がワンクッションになっていたのが理由なのは間違いないだろう。
そういう意味では朝鮮地域には感謝すべきかもな。
兄でも弟でもないけどwww

339:日本@名無史さん
22/07/14 14:31:26.06 .net
所詮は蕃国という緩衝材

340:日本@名無史さん
22/07/14 14:33:06.45 .net
>>337
まあ、実際の国力は別にして、
倭国の政権が隋・唐を対等に見ようとしていたの事実だろう。
半島と違って、海挟んでるし距離が遠いからねw

341:日本@名無史さん
22/07/14 14:34:23.02 .net
>>337
新唐書を注意深く読め。
「自言」すなわち、勝手に以下のことを言っていると書いてあるだろう。
タリシヒコは用明だと「曰自」すなわち、倭人が申し述べているといっている。
中国が真実を確認したわけではないといっているのだ。ボケww

342:日本@名無史さん
22/07/14 14:49:33.07 .net
>>341
まあ、そこんとこは良いんじゃない?w
言っちゃったモノ勝ちだからw
実際、日本に中国が攻めてきたのって、元寇以外無いのだからw
古代において日本が防衛の対象にしたのは朝鮮半島や日本海側の勢力だろう。
だから天智が恐れたのは、唐の力を借りた新羅だったろう。
まあ、結局は新羅自体が唐に侵略される危険性があって、それどころじゃなかったのだろうけどw
日本人はほんと緩衝材には感謝しくちゃねwww

343:日本@名無史さん
22/07/14 16:23:39 .net
勅選正史に第三者視点を入れたがる歴史初心者チョンコwwww
中華に染まった時期だけは勅撰歴史書(六国史)という天皇家の主観(プロパガンダ)が歴史なのw

344:日本@名無史さん
22/07/14 19:34:30.79 .net
>>342
>まあ、そこんとこは良いんじゃない?w
>言っちゃったモノ勝ちだからw
どういう意味ですか、ちゃらんぽらんな態度ですね。
統失君、薬の飲みすぎじゃないか?w

345:日本@名無史さん
22/07/14 22:38:59.10 .net
>>344
ちゃらんぽらんだから、”日出処…” なんて偉そうなこと堂々と国書で言ったんだろうw
これだけ言ったって、どうせ攻めてこないだろと踏んでたろうしw
どうでも良いけど
オレから見るとキミが統失に見えるのだが?www
いつまでも自分のくだらない自尊心にこだわり続ける統失にwww

346:日本@名無史さん
22/07/14 23:16:15.20 .net
完全に薬の効きすぎwwww

347:日本@名無史さん
22/07/15 22:40:32.94 .net
>>346
キミにねw

348:日本@名無史さん
22/07/16 02:57:55.75 .net
倭の家臣視点で書いた百済三書最強


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch