邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3at HISTORY
邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3 - 暇つぶし2ch82:日本@名無史さん
22/05/05 18:24:33.06 .net
現代日本人の我々から見ると、本州全域に投射してしまいますが、
弥生倭人の世界では、北部九州を中心とする世界観だったわけですね。
西から、地名・勢力が、
唐津 吾田=阿多 笠沙の岬=柏崎遺跡
糸島 筑紫の日向 三雲井原遺跡
早良 筑紫の日本 吉武遺跡
博多 葦原那珂津国 那珂比恵遺跡~須玖遺跡~
宗像 古代出雲 田熊石畑遺跡
北九州市 古代伯耆 城野遺跡
越 山口県山陰地方~ 土井ヶ浜遺跡~
に比定されます。
越=山口県以東の日本海沿岸にいたのが、八岐大蛇族であり、
古代出雲や古代伯耆を圧迫していましたが、
対馬海峡の伊族がまとまり、
対馬海峡渡海時に漂流した際に救出してもらっていた、古代豊国の八雷神の共立女王と婚姻して、
北部九州沿岸を統一。
吉武遺跡に吉武高木大王が誕生。
吉武高木大王の王族東征将軍が、越の八岐大蛇族を金属製武器で打ち負かして、
田熊石畑遺跡に多重環濠の東方監視基地を作り、
八岐大蛇族領地の尻尾である、丹後半島に扇谷遺跡を建設して長期間運営し、
至高の鉄剣を作成して、吉武高木大王即位時に献上します。


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