22/04/12 12:47:27 .net
>>21
>視聴したら感想や批判をよろしくお願いします
まず第一話を拝聴いたしました。
前置きとしまして、日本の指折りの旧家が、所謂邪馬台国は九州にあったと言っています。
例を挙げるのであれば、出雲の王家の血筋、出雲大社上官家筆頭の富家(事代主の直系)
更には、物部と連合を組み、東征した、九州ド真ん中の真実を知る立場の宇佐家
そして後年の伊都の偽装に結び付けられたと考えられるヒボコの姑の家、元、糸井造家の神床家(旧出石神社社家)
他の旧家は武内家ですら歴史を原則は明かしておらず、武内家の宗家(石川臣家)の分家の北陸蘇我家もまだ存続していますが、証言を始めていません。
それら主だった旧家は口をそろえて魏書における邪馬1国は、九州だよと言っています。
ただ、肝心の邪馬1国の位置となると、実際には国としての実態がないので、「東征開始にあたって宇佐八幡に軍隊が集結する前の拠点、都万が実際の邪馬台国である」という立場をとっています。
要点としては、記紀、とりわけ古事記は、まるでヤマトが大和を攻撃したように書かれています。
実際に大陸の魏書でも同じような誤解が生じました。
九州の卑弥呼たちは、自分たちの国名をヤマトの邪馬1国と名乗ったのです。
すでに朝貢していた国を倒すとは当然に言えない訳です。
邪馬1国と名乗った人たちが、実際に奈良の邪馬1国に攻め込んだというのが実態との事です。
イツ伊都に関しては、大宰府と同じように、邪馬1国が首都を分からなくするように日本府を置いて、そこから先に外国が入ってこないために作られた「施設」とのこと。
故に、王様がそこに居るように見えるのは当然という事でした。
なるほど、安曇と強引に結び付けてなさそうなので、伊都チョンとは別人なのですね。