解決!! 邪馬台国の場所は沖縄at HISTORY
解決!! 邪馬台国の場所は沖縄 - 暇つぶし2ch372:日本@名無史さん
22/03/23 20:01:59.37 .net
倭人伝によ。半島南部の一部が倭国領とあるだろ?古来、一般的に伽耶と加羅とか言うな。
で、日本書紀にもちゃんと任那って出てくるだろ?そこを失って欽明天皇が大激怒。滅亡した任那を回復するための「征討軍」が推古朝に三度、計画され、一度目は新羅へ侵攻、新羅は降伏している。結局なくなるんだけどね。沖縄って出てこないでしょ?古代皇国からすりゃあ外国なんよ。外国。皇国の起源な訳がないの。

373:日本@名無史さん
22/03/23 20:06:20.27 .net
>>371
プロパガンダだよ、天皇の威厳を落とすためのね。そんな事もわからんとは・・・やれやれ。やっぱ外人同士、皇国を貶めたいんだね。
もう、いい加減にしろよ、伊平屋島の神武天皇云々は好古家・藤貞幹の【間違い】に端を発してるんだ。

374:日本@名無史さん
22/03/23 20:09:01.79 .net
藤貞幹(学者)(日野家出身) 日野家の本姓である藤原を名乗る
日野家 藤原鎌足・不比等を先祖に持つ。
「衝口発」で神武天皇が沖縄で生まれ育ったと主張
藤貞幹は、沖縄県伊平野村の公式ホームページにも紹介されている
URLリンク(aihayasasura.ti-da.net)

375:日本@名無史さん
22/03/23 20:13:13.39 .net
>>374
そりゃ紹介するだろ。
この気狂いの勘違いのおかげでそんな与太話ができるようになったんだから。

376:日本@名無史さん
22/03/23 20:16:40.12 .net
なんで記紀が出てくるのか?
やっぱり、わからん。

377:日本@名無史さん
22/03/23 20:18:42.56 .net
>>372
君の言ってるのは古墳時代の話な
卑弥呼は弥生時代なのよ

378:日本@名無史さん
22/03/23 20:24:37.98 .net
発祥の地がそんなすぐに外国になるかよ!
>>372を読め。沖縄は有史以来近代まで、ずーーーーーと外国。
でさ、あるんだったら決定だろ? 卑弥呼の墓。
ヤンバルの森の中に眠っている卑弥呼の墓の考古学的見地はどうなんだ?
お前の脳内設定は要らんのよ。

379:日本@名無史さん
22/03/23 20:28:13.35 .net
『東恩納寛惇全集 1』(東恩納 寛惇/琉球新報社、第一書房、1978年)p156
「徳川幕府の中葉に藤貞幹と云ふ学者が、神武天皇が伊平屋島から出たと云ふ奇抜な議論を出して、…伊平屋島説は白石の南島志に示唆を受け、而も奄美大島と伊平屋島とを混同した事から出発したもので、論拠するには足らない。」との記述あり。
【論拠するには足らない】
こんな物に頼って仮説を立てるとか自殺行為ですよ。

380:日本@名無史さん
22/03/23 20:34:09.05 .net
お前、沖縄人か?アマミチューはどうするんだ?

381:太国
22/03/23 20:34:58.20 .net
>>371
勿論出鱈目だ。
神日本磐余彦火火出見尊は2000年に1回くらい天帝が産霊
する特別の御魂であって、その後は孝明の次代の後神武天皇だ。
この二つの御魂は場外の離島なんかに産まれはしない。

382:日本@名無史さん
22/03/23 20:36:10.41 .net
アマテラス=卑弥呼(姉) 高天原を管理
スサノオ=卑弥弓呼(弟) 高天原を追い出され海原国(出雲王朝)を管理
ツクヨミ(弟)      夜の食国(伊都国吉野ケ里の食糧生産拠点)を管理
また
倭国 極南海奴国と狗奴国の争いは
奴国(那覇)で卑弥呼=アマテラス
狗奴国(百名)で卑弥弓呼=スサノオ
記紀には、この2国の争いが書いてあり、
スサノオが乱暴だったため出雲王国へ追放されたと考える

383:日本@名無史さん
22/03/23 20:40:39.03 .net
>>378
清を建てた女真族の故地満州は天領とされててロシア南進で沿海州奪われてから国防で中国人の入植が進められた
黒潮の向こうの沖縄は不可触の聖域とされてるうちに倭国や大和の王朝交代で忘れられたのだろう
現に邪馬台国がどこだったのか記紀の編者にすら分からない

384:日本@名無史さん
22/03/23 20:41:22.23 .net
>>376
記紀はね、参考程度に見てるんだよ
探偵で、事件の犯人を割り出すのに、いろんな人の意見を聞く
その中には、間違った意見を言っている人もたくさん出てくる
だけど、ロジックがつながるように仮説を組み立てると
やがて、真実に近づくことができる
そんな感じで記紀も見ている。
記紀は、大和政権の勝者の側の論理で書かれた物語だ
神話なので、当然創作もかなり入っている
ただその中に、史実に基づくストーリーのかけらも含まれているはずである
ただし、邪馬台国の当時
日本にあった一番大きな国、出雲大国の歴史は明らかに消されている
だから、出雲の側の伝承も参考にする必要がある
そうすると、ロジックをつなげて仮説を構築すると
大体の史実が見えてくることになる
これも参考程度に見ている

385:日本@名無史さん
22/03/23 20:42:23.68 .net
まぁ、オナニー仲間の話しか聞かないんだろうけど。
【>邪馬台国沖縄は自明なのに 】
間違い説を強弁する奴の特徴丸出しw
平均脳からすれば、もの凄く不思議なんですよ、邪馬台国沖縄説!
でも、物証(卑弥呼の墓)があるんじゃ決定だけど。
その径は 150mぐらい?
石棺はある?
殉葬はどうだった?
最低これくらいは必要だよね。

386:日本@名無史さん
22/03/23 20:49:17.31 .net
>>384
ロジック野郎!どの面で出てきたwww
高天原は福岡県になっただろうがwww

387:日本@名無史さん
22/03/23 21:02:53.26 .net
しかも、何か語ってるしwww

388:太国
22/03/23 21:11:35.32 .net
アマテラス≠卑弥呼
高天原≠女王国

389:日本@名無史さん
22/03/23 21:16:31.79 .net
>>383
699年、続日本書紀に種子島、屋久島、奄美、徳之島から朝廷に献上品があった事が記載されています。
別の記録に618年流求人約30人が大和に帰化したとの書かれており、大和朝廷との文化交流は有ったものと思われます。
くそ辺境の未開の朝貢島が神国ヤマトの聖域www テラアホすぎマジキチ。

390:日本@名無史さん
22/03/23 21:25:11.21 .net
神国日本と琉球は別の国だから起源主張はいい加減にやめようよ。
あなた達、ソメイヨシノの起源を主張するアイツらと同じですよ。まじ見苦しい。

391:日本@名無史さん
22/03/23 21:40:11.01 .net
>>389
699はともかく618ね、
果たして大和なのかなと
ほんとは九州倭国だったのでは?
大和まで行くのは大変だぜ

392:日本@名無史さん
22/03/23 21:49:51.08 .net
>>391
邪馬台国沖縄説をも上回るマジキチ九州王朝説はスレチ。
百済の役の後、天智天皇は近江から阿波経由で九州まで遠征しとるよ。
古代の移動力を侮らん方がいいね。

393:日本@名無史さん
22/03/23 21:52:02.17 .net
699も天武持統朝ね
これは称徳を最後にいずれ光仁から天智朝に回帰してるんだよ790だ
この時点で沖縄とは切れたろう

394:日本@名無史さん
22/03/23 21:56:22.62 .net
天智系、天武系の相剋と沖縄は何の因果もございません。
沖縄は大和朝廷にとってただの辺境の朝貢島。

395:日本@名無史さん
22/03/23 22:01:54.30 .net
720年頃には大和朝廷が南島(沖縄)人に位を授けたとの記録もあり、753年には、遣唐使の船が沖縄に漂着し、阿兒奈波と言う名前が始めて大和の国史に登場しました。後に、遣唐使船は何度も沖縄に漂着したようで、交流も深まっていきました。
894年に遣唐使が廃止され、日本の国内は武士の台頭でとても沖縄どころではなく、日本と沖縄は100年くらい交流が閉ざされていたと考えられます。
だそうです。

396:日本@名無史さん
22/03/23 22:11:05.01 .net
>なぜか需要がないからな沖縄説
何回見ても笑えるw
「なぜ」だかわからない方がおかしいんですよwww
皇国の発祥が沖縄な訳がないでしょう。間違ってる事が明白だからです。

397:日本@名無史さん
22/03/23 22:53:55.34 .net
卑弥呼の墓はなんと徳島にあった!?「八倉比賣神社」【徳島】
URLリンク(bqspot.com)
天石門別八倉比賣大神御本記
URLリンク(goutara.blogspot.com)
@琉球でもロジック野郎でも誰でも良いけど感想聞かせてくれよ。
それでヤンバルの卑弥呼の墓は?検索してもわからないのでURLくれ。

398:太国
22/03/23 23:04:51.22 .net
九州王朝はあったよ。その年号が多々でてる。

399:日本@名無史さん
22/03/24 18:22:40.80 .net
>>394
筑紫君「薩夜麻」とは(一)
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
「天武紀・持統紀」(60):筑紫君薩夜麻とは誰か(1):史書のなかの薩夜麻
URLリンク(adat.blog3.f)● c2.com/blog-entry-1586.html
 薩夜麻の名は『日本書紀』に二度現れるだけである。「天智紀」と「持統紀」である。

400:日本@名無史さん
22/03/24 19:09:46.90 .net
東遷居残り組か新たに中央になった奈良から遠く離れた筑紫で何らかの勢力が発生するのは当然とも言える。田油津媛の話などもそのような物ではないか。だからと言って九州倭国などと言う大仰なものとは思えない。その人物が筑紫君磐井の系譜を引いているとするなら何らかの自治権を与えられた特区のような扱いであり、完全に独立した王朝とは言えないのではないだろうか。
九州に関しては何かはあるとは思う。応神天皇が神功皇后の三韓征伐の帰途に筑紫で生まれると言うのも出来すぎた話だとは思う。だからと言って壬申の乱が九州で起こった事などとするのは余りにもバカバカしい。日本書紀に記載された乱の痕跡は畿内を示す。
・・・と、言うかスレチ!どう考えてもスレチ。
注目すべきは【ヤンバルの卑弥呼の墓】だと思う。

401:日本@名無史さん
22/03/24 20:17:53.30 .net
沖縄以外に説も参考にしてみましょう
邪馬台国の所在地 落合莞爾
URLリンク(ameblo.jp)
落合莞爾 歴史家・作家 東大法学部卒
京都皇統(裏天皇)とコネクションがあり
京都皇統から聞き出した話を歴史書として著作している作家です
「邪馬台国=高天原=北肥後」との説を唱えています
落合によると記紀は神代はあまり気にしなくてもいいとのことです
人代になったら、事績はそれなりに信じていいとのことです
なお、落合莞爾の知り合いの京都皇統(裏天皇)とは
秘密結社八咫烏の裏天皇とは別人のようです
「邪馬台国=高天原」説は、「邪馬台国沖縄説」と同じ仮説となっています

402:日本@名無史さん
22/03/24 21:08:28.33 .net
古代出雲王国について
倭国と同時に存在し国譲りによって消滅した古代出雲王国
倭国と邪馬台国のエリアを特定するキーとなる巨大国家です
出雲口伝や落合莞爾によると
古代メソポタミアから、インドを経由して、樺太、北海道経由の北ルートで
出雲まで南下してきた民族とのことです
つまり、メソポタミアの初期文明、
シュメール人が日本にやってきて、出雲王国となったと考えられます
天皇=スメラミコト(シュメールの王)の語源はここからと考えられます
そして、メソポタミアのエラムの(イラン)の中心都市は、スーサです。
スーサの王が、スサノオの由来と考えられます
古代、歴史的にも規模的にも、
倭国以上の国であったと考えられるのが、古代出雲王国です。
記紀以降、政治的な背景から、出雲王国は歴史から消されたようですが
出雲口伝などによる伝承によると、その範囲は
福岡から新潟までの日本海沿岸のエリアと、
大和、紀伊半島を含むエリアであったとのことです。

403:日本@名無史さん
22/03/24 21:10:16.39 .net
>>401
オカルト板へ行け!
【ヤンバルの卑弥呼の墓】の検証が先。

404:太国
22/03/24 21:16:22.33 .net
天皇はシュメール王ではない。スメルがすめらぎと音韻がにてるから、天皇は
ここからきたんだと結論したみたいで、天皇は同王ではない。
天皇は外来ではな~い。

405:日本@名無史さん
22/03/24 21:24:14.05 .net
出雲口伝?バカか?
富當雄(とみまさお)氏、富氏の口伝
4000年もの間、続いてきたという門外不出の口伝。大国主の子孫を名乗る富氏が、どうやって出雲に辿り付いたかは脇に置き、スサノオ様は徐福で、出雲族にとっては征服者で、それで大国主と事代主は死んだ、という話についてです。
飛鳥大神は畿内でで子孫がどっさりおるわ!!

406:日本@名無史さん
22/03/24 21:26:47.39 .net
この話を落合莞爾に話したのは京都皇統です

407:日本@名無史さん
22/03/24 21:31:48.32 .net
>>406
オカルト板へ行け!

408:日本@名無史さん
22/03/24 21:46:04.74 .net
>>402
こう言うのオカルト信じちゃう奴って日本書紀を読んだ事ないんだろ?
庚申年秋八月癸丑朔戊辰、天皇當立正妃、改廣求華胄、時有人奏之曰「事代主神、共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛、所生兒、號曰媛蹈韛五十鈴媛命。是國色之秀者。」天皇悅之。九月壬午朔乙巳、納媛蹈韛五十鈴媛命、以爲正妃。
わかったか?恥ずかしいぞお前。1の迷惑になってるのわからんのか?

409:日本@名無史さん
22/03/24 21:55:37.42 .net
翻訳も必要か?
庚申の年秋八月十六日、(神武)天皇は正妃を立てようと思われた。改めて貴族の女子を探された。時にある人が奏し、「事代主神が、三島溝橛耳神の娘、玉櫛媛と結婚され、その生まれた子を名づけて、媛蹈鞴五十鈴媛命といい、容色に優れた人です」と言った。これを聞いて天皇は喜ばれた。九月二十四日、媛蹈鞴五十鈴媛を召して正妃とされた。
三島溝橛耳神=賀茂建角身(八咫烏)の別名
賀茂氏と出雲神と天皇は姻族なの!富とか言うクソジジイの話なんか必要ないわけよ。しかも、確かこいつ養子のはず。子孫じゃない。

410:日本@名無史さん
22/03/24 21:58:26.35 .net
バカは日本史板から消えろ!オカルトへ行け。
【ヤンバルの卑弥呼の墓】の検証を頼む。どこだ?

411:日本@名無史さん
22/03/24 22:07:53.94 .net
お前みたいな低脳バカが現れるからスレ読んだ人が
【沖縄説=オカルト】
と、認識するじゃないか!!古代史やってる人間からしたら迷惑なんだよ。
ヤンバルに物証の卑弥呼の墓があるらしい。俺は知りたい。
要件を満たすなら1には詫びる。でもオカルト野郎は邪魔だから消えてくれ!!

412:太国
22/03/24 22:25:31.28 .net
離島に卑弥呼はいないで決まり。

413:日本@名無史さん
22/03/24 22:31:27.47 .net
しかし、物証があるなら。
弥生小海退で陸続き・・・は無理かw

414:日本@名無史さん
22/03/24 22:56:38.06 .net
邪馬台国は越前
皆既日食も観測できた

415:日本@名無史さん
22/03/24 23:00:55.57 .net
>>414
スレチだ。スレ立てなよ。見に行くから。
ここは沖縄について検証中。

416:日本@名無史さん
22/03/25 09:17:03.39 .net
『伊勢国風土記』逸文によれば、伊勢津彦神は大和の神武天皇によって派遣された天日別命に国土を渡すよう要求され。逸文内一説の記述によれば、出雲神の子である出雲建子命の別名が「伊勢津彦の神」である。
伊勢津彦神は建御名方説や饒速日命説などがあるが、出雲神裔の支配は広範囲に及び数えきれないほどいる。そもそも、姻族とは言え古代天皇が出雲の末裔なのだ。冨とか言う詐称ジジイの出る幕など鼻くそほどもない。

417:日本@名無史さん
22/03/25 19:19:41.51 .net
ヤンバルってそこそこ険しい山じゃないの?こんなとこに古墳って例があるんか?
Google先生もヤンバルの古墳は知らないようだが?「戸山原(とやんばる)古墳群」ってのは福岡県だよね。

418:日本@名無史さん
22/03/25 20:03:18.11 .net
>>359
>卑弥呼の墓はヤンバルの森の中に眠っている
・・・これは貴様の願望的妄想か?
だとしたら沖縄説はただのトンデモ決定だが。

419:日本@名無史さん
22/03/25 20:33:54.20 .net
まとめ&おさらい『邪馬台国沖縄説』
【特徴】
魏志倭人伝の原文を曲解をせず、そのまま素直に読んで、邪馬台国の場所を特定
傍国21国が、魏志倭人でのルートに沿った、南国の島々に比定できる唯一の仮説
【シンプルな邪馬台国比定ロジック】
邪馬台国は「周旋5千余里の海中州島」で、1里約70mとすると、1周約350Kmの島ということです。
そして邪馬台国は「温暖な気候で、風俗・習慣・産物等は儋耳・朱崖(中国の南部の海南島)と同じ」です。
この2つの文書だけで、邪馬台国は南国の島とわかります。
そして、魏志倭人伝の邪馬台国に至る経路と、帯方郡から直線距離で1万2千余里、
傍国21国が、魏志倭人伝の記述順で、北から南に、一列に比定できる土地。
すべての条件に当てはまるのは、沖縄本島以外考えられません。
したがって、本説は「邪馬台国は沖縄本島である」を仮説として設定しています。
魏志倭人伝の邪馬台国へ行く経路の最後の水行20日、水行10日は
日本の古代、弥生時代から交易をしていた「貝の道」のルートです。
交易船が、定期的に行き来していたと考えられるルートです。
URLリンク(rca.open.ed.jp)

参考
琉球新報 邪馬台国と沖縄 木村政昭
URLリンク(www.ntt-i.net)

420:太国
22/03/25 20:48:42.00 .net
沖縄に行くに、まるで五輪の競歩の気分でいるのがいかれたオツムの沖縄説。
九州でのんびり観光したり停泊、寄り道、道間違いで元に戻ったり等して
めぐってたもので、休みもしねえで沖縄までイクわけがない。
黒部渓谷の奥地なんか、200m行くに数日もかかる険しいところもあるわけで、
スイスイと進行はしていない。当時の九州は道もあるかないかす進み難い場所
もあるわけで、当時今のような整備された道路などない。前途鬼が出るか
毒蛇が出るか山賊が出るか、不安はすごい。これでは競歩マラソンのような
気分の距離計算は大外れ。
沖縄ならなにも九州に来ないで、半島から直接離島へ航行すればいいわけで、
伝はそんな記述でないことは沖縄ではな~い。結縄説は完全な出鱈目。

421:太国
22/03/25 20:52:32.91 .net
×結縄説
〇沖縄説

422:日本@名無史さん
22/03/25 20:55:50.94 .net
「衝口発」の神武天皇の年代についてはさておき、何で伊平屋島なのってのが非常に気になった。
肝冷斎さまのサイト
URLリンク(www.mugyu.biz-web.jp)
>此(この)海宮と曰(いう)は、琉球の恵平也島(えへやじま)を云う。
やっぱり全くの無根拠だそうです。新井白石の「南島志」に「大島」の条に、阿麻彌とあるのを完全に誤解か故意に混同しているよう。
リンク先を読めばかなり酷い内容なのがわかります。「推定して作ったコドモ学説です。」との事。

423:日本@名無史さん
22/03/25 20:59:08.92 .net
結局、如何様にも論者の自由に解釈が出来る倭人伝しかないって事か。

424:日本@名無史さん
22/03/25 21:16:53.74 .net
>>419
何回まとめてもダメなもんはダメさ。
>1里約70mとする
距離の計算 wikiより
魏志倭人伝は魏呉蜀三国時代の史書なので、当時の【一里は459mであったことは確実】である。 帯方郡は行政機関と軍事拠点を兼ねており、報告書は全て軍事報告書として書かれたと推定される。 その場合、帯方郡の情報を元に書かれたと推定される魏志倭人伝は、露布で千里と記されていても、実際の距離はその1/10の45.9Kmであった可能性が高い。 実際、魏志倭人伝には、釜山から対馬、対馬から壱岐、壱岐から九州北岸がそれぞれ千余里と記されているが、最短渡海距離で考えれば、釜山南端から対馬北端まで約50Km、対馬南端から壱岐北端まで約50Km、壱岐南端から九州北岸(糸島半島の付け根)まで約50Kmなので、露布で「正確に10倍した千余里」にほぼ合致する。
したがって、魏志倭人伝の里の距離は、古代中国の文献に明記される露布慣習で説明できる。(一方、いわゆる「短里」は一切古代中国の文献に出て来ない。)
島の外周、約350Kmのチンケな小島ではプロパガンダにもならん。不自然。

425:日本@名無史さん
22/03/25 21:20:08.64 .net
>>419
で、根拠(衝口発)は消え去ったがまだ皇国の起源を主張するんか?
外国のくせに。どうなんだ?そこをハッキリしろ。
邪馬台国、これは何と読むんだ?

426:日本@名無史さん
22/03/25 21:23:24.10 .net
>>420
帯方郡から沖縄には直接行けたと思う
だから、直線距離で、1万2千余里と書いてある。
しかし、木村正昭氏が指摘する通り
国防上の理由から、九州経由を指定していたのではないか考えられる。
帯方郡から来た一向の船は、松浦国に停泊させて、
歩いて入国させ、伊都国で検問をおこない
不彌国から、倭国の船(貝の交易船)に乗せて、邪馬台国に入国させた。
したがって、帯方郡からの使者は自分の船ではなかったため
距離を測定できず、水行は20日10日と日数だけの記述となった
また、邪馬国に上陸してから、女王のいる奴国までは
首都防衛上の理由から、警備が強化されていたり、
道が険しかったりと言った条件で
陸行1月かかったと解釈できる
周旋5千余里=350Kmの島を、陸行1月で歩いたのだから
なんらかの制限があり、
陸行で1日に進む距離を少なくせざるを得なかったと推測できる

427:太国
22/03/25 21:37:23.49 .net
国防なら、通常よりじっくり時間をかけるはずだな。
離島に伝の女王国はない。

428:日本@名無史さん
22/03/25 21:42:24.18 .net
>>424
そこは
>>1
の動画を見てほしい
地名が確定している、
帯方郡から松浦国までの地図の実測地と
倭人伝の記述の距離から割り出した距離が
1里=50mから100mだ
これは、誤差はあるものの一般的に言われている
短里 1里=70mにあてはまる

429:日本@名無史さん
22/03/25 21:53:37.14 .net
>>427
絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里
海中洲島の上に絶して存在し あるいは絶えあるいは連なり 1周可能で5千余里

430:日本@名無史さん
22/03/25 21:54:56.83 .net
短理説の矛盾点
難升米は自らを大夫と名乗っていた。大夫は周の時代の官位である。そこで当時の倭人は距離 を表すとき、周の時代の短里を用いていたのではないかと推察したのがこの短里説である。
周の時代の一里は諸説あり、短里を約 67.5m、72.5mとする説などがある。だが、どの短里説 にも共通していることは、陳寿の編纂した『三国志』の中で、倭人伝以外でこの短里が使用され ている例がひとつも示されていないことである。つまり、短里説を実証するものが皆無なのだ。 これでは部分最適でしかない。邪馬台国畿内説を唱える研究者が南を東に読み替えることと何 ら変わらないのである。

431:日本@名無史さん
22/03/25 21:56:34.35 .net
一番問題になるのは、魏が短里を用いていたと仮定すると、先の明帝記の明帝と司馬懿の 公孫淵討伐に関する会話が成り立たなくなってしまうことである。短里説を実際の数字に置き 換えてみると、
4,000 里 × 72.5m = 290,000m = 290 km 290km ÷ 100日 = 2.9km
つまり、司馬懿は軍が陸行一日に進める距離はわずか 3 km足らずと云っていることになり、 これを聞いた明帝はきっと怒りだしたに違いない。さらに、一里の実距離を『三国志』全体で統 一しなければ整合性が保てないし、倭人伝のみ短里を用いたというのでは後の世で混乱を招く だけである。陳寿はあくまで一里=434mで距離表記を用いていたのである。

432:日本@名無史さん
22/03/25 22:03:24.37 .net
まだ皇国の起源を主張するんか?どうなんだ?そこをハッキリしろ。
邪馬台国、これは何と読むんだ?
倭人伝は距離も方角も論者の自由自在。どうとでも出来る。お好きなように。

433:日本@名無史さん
22/03/25 22:05:46.66 .net
だから、距離は実測値から割り出している
1里=50Kmから100Kmの間と言うのは、実測値に基づく距離なのでなにも矛盾はない
事実(ファクト)ベースの距離となる
それを補完するのが短里というだけのことである

434:日本@名無史さん
22/03/25 22:12:17.98 .net
だからお好きなようにと言っている。
根拠(衝口発)は消え去ったがまだ皇国の起源を主張するんか?
どうなんだ?そこをハッキリしろ。
邪馬台国、これは何と読むんだ?

435:日本@名無史さん
22/03/25 22:12:25.05 .net
だからお好きなようにと言っている。
根拠(衝口発)は消え去ったがまだ皇国の起源を主張するんか?
どうなんだ?そこをハッキリしろ。
邪馬台国、これは何と読むんだ?

436:日本@名無史さん
22/03/25 22:22:55.20 .net
古代中国の文献に明記される露布慣習を無視して
勝手に事実(ファクト)ベースの距離などと抜かすのも論者の自由。
やりたい放題。それが倭人伝解釈。

437:日本@名無史さん
22/03/25 22:45:11.02 .net
李氏朝鮮の混一疆理歴代国都之図を根拠に中華もこのように認識していたとすれば方角もやりたい放題。

438:太国
22/03/25 22:47:39.38 .net
北斗星があるから方位の間違いはない。

439:日本@名無史さん
22/03/25 22:51:16.47 .net
まぁ帰りもあるんでねw でも、強弁はできるって事です。

440:太国
22/03/25 22:55:28.03 .net
その図のは、九州に来たことのないか奴の推定方角。
九州へ来た奴は行き帰りも北斗星で誤認はない。

441:日本@名無史さん
22/03/25 23:00:42.29 .net
実際、強弁している奴がいると言ってるだけで私が主張してる訳では・・・
URLリンク(www.pixiv.net)

442:太国
22/03/25 23:07:44.74 .net
その図は九州へ来てない奴の考えた位置で、行った奴は北斗七星で方位の
間違いはない。いってないからそんなに狂うわけさ。
これは10年ばかり前に2ちゃんで論議したことがあり、故伊作さんが
そのように相手に反論解説してたと当時を想起する。

443:日本@名無史さん
22/03/25 23:29:26.87 .net
方角については、太国に同意
北斗七星もそうだが、
太陽が出てくる方向を見れば方角は大きく間違えることはあり得ない
それらの日本地図が書かれた地図は大和政権成立後に書かれたもので時代も違う

444:太国
22/03/25 23:37:24.75 .net
なるほど、太陽でもわかるしな。
九州一周でどうのこうの論じてるが、
通常時計の短針は12時間で一周するが、24時間時計というのも稀に
作られていて、24時間で一周するようにできてる時計もすこしはある。
だから合わないからと例外事由を考えだす奴がいるが、滅多にそんなこと
はなく、通常の考察が真に最短である。

445:日本@名無史さん
22/03/25 23:44:44.16 .net
つまり、あり得ないような事でも自説に有利な物は採用するって話。神武天皇の伊平屋島の話もその例に漏れない。実際、沖縄説の論者以外からは気狂い主張としか思えないんですよ。
で、また何も回答せずに まとめ&おさらい『邪馬台国沖縄説』 コピペするんだろうか?
邪馬台国は「周旋5千余里の海中州島」で、1里約450mとすると、1周約2250Kmの島ということです。
筑紫島以外に考えられません。
魏志倭人伝の邪馬台国に至る経路と、帯方郡から直線距離で1万2千余里
450m×12000÷10(露布慣習)=540km
どう考えても筑紫島北部にどんピシャです。

446:日本@名無史さん
22/03/25 23:51:23.40 .net
これにも回答なし
>卑弥呼の墓はヤンバルの森の中に眠っている
・・・これは貴様の願望的妄想か?
だとしたら沖縄説はただのトンデモ決定だが。

447:日本@名無史さん
22/03/25 23:54:41.91 .net
で、距離とかやりたい放題だからお好きなようにと言っている。
根拠(衝口発)は消え去ったがまだ皇国の起源を主張するんか?
どうなんだ?そこをハッキリしろ。 邪馬台国、これは何と読むんだ?
回答を求む

448:日本@名無史さん
22/03/26 00:12:09.74 .net
>>445
だから 実際の距離を測ってみな
450mだと帯方郡から松浦国の距離があわないだろうが

449:日本@名無史さん
22/03/26 07:43:43.36 .net
沖縄邪馬台国論にはいくつか弱点があって、
その一つは沖縄では戸数(国の規模)が小さすぎるというものだ。
これについては反論が用意されている
スレリンク(history板:721番)

450:日本@名無史さん
22/03/26 07:44:45.81 .net
邪馬台国→大和の認識を前提にして、
沖縄にはヤマトの語源がないのではという指摘なども目にすることがある
沖縄本島の北端の山原(やんばる)を倭人伝の邪馬国に比定できてるのだから、
この山原=邪馬から派生したとでも説明すれば良かろうとは思うが、
この問題について述べておこう。
邪馬臺(台)国ではなく、邪馬壹(壱、一)国説というのがあって、
九州王朝説の古田武彦が提唱したもので、
後漢書は邪摩惟が邪摩堆に転訛したと註釈していることからも
自分はこの説をを支持するのだが、
邪馬(台)国が正しいのなら、そこから二重母音回避で自然と=ヤマト(大和)が導かれるが、
邪馬(壱)国から邪馬堆=ヤマト(大和)に転じるのは、後の誤植の邪馬(台)国を信じた誤解によるものだろう
またこの説では、邪馬(台)は王の居住地を表す狭義の国名にすぎず、
それは邪馬(壱)国の中の一地域であると解釈しており、
そこから卑弥呼の居城は邪馬=山原(やんばる)にあったと推察できるのではないかと考える。
日本は欧米からジャパンと呼ばれたがこれはマルコポーロのジパングに由来している
イランはかつてペルシャと呼ばれていたが、
それはギリシャの歴史家がイラン平原のファルス地方から命名したもので、
イラン人自身がそう自称していたわけじゃない
同じように、中国人が卑弥呼の国を邪馬(台or壱)国と呼んだのは確かでも、
その民が自らそう称してたという証拠などはない
そもそも誰が何を理由に邪馬(台or壱)国と名付けたのか、実は何らの根拠も存在していない

451:日本@名無史さん
22/03/26 07:44:59.31 .net
ところで今日我々は首都をもってしてその国を代表させることがある
米国の動向をワシントンの意向とし、モスクワはどう考えるか、北京は何と言ってるのかなどと語らしめる。
あるいは朝鮮の加羅任那の国名起源は首露王の王妃が来着した主浦(mim-nae)という村の名だとする例などもある。
一地方や有名な港町の名がそのまま国名に昇格することも往々にしてあるということだ。
さて沖縄本島の西方にある慶良間諸島は渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島などから成る群島だが、
貝塚が残ってるなど縄文以前からの痕跡が残されている
北端の座間味島では古座間味貝塚から黒曜石やゴホウラ貝、縄文土器(九州)などが発見されている
この慶良間の西北には久米島があって、
九州の久留米や神武東遷に随伴した、あの黥ける利目の大久米命の由来を連想させるのだが、
米が獲れない沖縄でも久米は違って、その名自体が米の意味だという。
続日本紀によれば714年に球美(久米)人の入貢が記録されてる
慶良間の座間味島は中国と琉球との交易ルートの途上にあるため、古代より中継港として重要な位置にあった
そのため、域外から沖縄に入域する者は、先だって奇港する座間味島をもってその国の表象としたはずである
つまり、座間味(ざまみ)=邪馬壱(じゃまい)が真相だと推測できるのである。

魏志「邪馬壹(邪馬壱)国」説
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
邪馬壹国説
URLリンク(ja.wikipedia.org)

452:日本@名無史さん
22/03/26 08:30:16.49 .net
慶良間IN
URLリンク(www.kerama.in)
URLリンク(img.ritou.com)

453:太国
22/03/26 08:32:12.88 .net
>>445
畿内説でも今回の地図で東行きを主張した方がいて、故伊作氏が否定して
いた。九州へ来てない大陸人とからが画くとあんなふうになるとみてよい。
>>450
女王国へいってるんだから、当時の中国人らが2回も漢字を間違えて
伝を書くとは考えにくい。いまでも中億のコンビニで通常1円も計算間違いを
するとは思えない。過失ならそれはあろうが、それは例外で滅多にない。
だから古田先生の邪馬1国が正解だったのだよ。ヤマト読みとか似てるが、
別の国だったのさ。オーストラリアはオーストリアではない。
伝の地名は北九州沿岸に集中してて、沖縄行き途中の島名ととこの港の
地名なんぞなかろう。のんびり無道路に近い九州を観光停泊を行いながら
旅行してたもので、沖縄説は成立しない。九州だったから地名が北九州沿岸
に細かく集まってるのさ。だから女王国は南下だから中九州あたりだな。

454:日本@名無史さん
22/03/26 08:35:00.36 .net
沖縄県島尻郡座間味村
URLリンク(goo.gl)

455:太国
22/03/26 08:49:01.99 .net
×中億
〇中国
キエフをキーウにするとかTVで放送したたが、国会議員もTV連中も
言霊の意味をまったく重視してない。
キエフだと帰依佛の欠け読みであの世の仏界からの守護が半分ある。
逆読みは不易で難攻不落を意味してる。
キーウだと木雨で雨理科の介入がかかる名で、クリスマス・ツリーの木の
風習ある国の典型が雨理科。露は泥道の雨の路なわけで、ロシアの字に
土をいれるとドロ道になるから乾燥せず、米露の泥試合に至る。

456:日本@名無史さん
22/03/26 09:16:13.53 .net
>>449
倭人伝がプロパガンダである事は何度も指摘しているが?
にもかかわらず、周囲350kmのチンケな小島とは大矛盾してるんだよ。

457:日本@名無史さん
22/03/26 09:21:44.11 .net
>>450
>邪馬台国→大和の認識を前提にして、邪馬台国→大和の認識を前提
神武天皇の伝承は完全に間違いである事を認識してのそれならそれでもいいが。
>沖縄本島の北端の山原(やんばる)を倭人伝の邪馬国に比定できてる
これが出来てない。沖縄の山原=ヤンバルであってヤマハルではない。
勝手に本土日本人の発音を採用するんじゃない。それ以降も全くデタラメ。

458:日本@名無史さん
22/03/26 09:28:02.90 .net
露布慣習と言う現実に確実に存在したものを無視するのも自由。解釈自由の倭人伝のみから女王国を割り出すの至難。
神武天皇伝承は捏造。ここはハッキリさせておくべきだね。
現実問題、古代の日本での最大勢力は北九州以外に発生するとは思えないが。そんな小島のなど舟で襲撃されたらひとたまりもない。

459:日本@名無史さん
22/03/26 09:42:08.80 .net
>>450
特に後半は何を主張したいのか、さっぱりわからん。
つまりは、何も信用できないって事か。では、論ずる意味なしだな。
>マルコポーロのジパング
「日」は我が国では「ヒ、ニチ」と読むが、当時中国では「ジ、ジッ」と発音したらしい。
だから、ジッポン。ジッパンなどと呼ばれていたようだがこれは「日本」と言う漢字がありきの話。
「音」を聞いて記載したと思われる、倭人伝の話と同列に語るとか完全に意味不明。
何が言いたいのか?中華から倭国と呼ばれたってのと混同しているのか?????

460:日本@名無史さん
22/03/26 09:49:23.56 .net
倭人伝の解釈は各説やりたい放題。
西日本の温暖気候な土地ならどこにでも比定できる。
沖縄説の神武伝承は捏造orお子様論理で間違い。
で、あと何があるんよ?
ヤンバルの卑弥呼の墓を出せっての。まずはそれ!!

461:太国
22/03/26 10:04:54.45 .net
>>458
熱象ではな~い。
神武は即位後大陸に即位の祝いを送っているし、記紀以外の古史古伝も伝承
がおおむね合っている。さらに瀬戸内海沿岸には神武東征途中の事績もあるし
陵墓もある。古史古伝は記紀の編者らではなく、双方が独立している。
このことは神武が実在したことを意味するのだ。
さらに神武は卑弥呼の時代ではない。卑弥呼のほうが後代だから、
アマテラスが卑弥呼だという説は盲象である。

462:太国
22/03/26 10:10:03.94 .net
>>458
離島の神武伝承のことか。失礼。
それはそのとおりだ。

463:日本@名無史さん
22/03/26 10:24:47.11 .net
>457>>459
端っこの部分の否定でもって全体を否認するという卑怯なテクを使ってんな

464:日本@名無史さん
22/03/26 10:25:49.94 .net
ジパングの語源は本筋じゃないべ

465:日本@名無史さん
22/03/26 10:33:52.86 .net
ジパングを出したのは誰だ!!
つまらない物を出さずに「ヤンバルの卑弥呼の墓」を出せっての!!

466:日本@名無史さん
22/03/26 13:11:20.21 .net
>座間味(ざまみ)=邪馬壱(じゃまい)が真相だと推測できるのである。
古代中国で「邪」 呉音 ヤ 漢音 シャ
正に、言いたい放題である。

467:日本@名無史さん
22/03/26 14:26:29.55 .net
>>466
呉音と漢音で「倭人伝」の役職名・人名を読む
URLリンク(tizudesiru.exblog.jp)
邪(ジャ・シャ・ヤ)馬 壹(イチ・イツ) *邪馬台国(読み)ジャマイチ・ジャメイチ 

末盧、伊都、卑弥呼の読みの不可解
URLリンク(kakuyomu.jp)
字 上古音          中古音
邪 リャー、ラー、ガ、ラ   イァ、ヤ、ヤァ、ジァ、ジャ
馬 ラー、マー、ラ、マ    マ
壹 キッ、リッ、イッ     ィイッ、イェッ、イッ

468:太国
22/03/26 14:44:15.96 .net
URLリンク(www.youtube.com)

469:日本@名無史さん
22/03/26 14:56:35.54 .net
>>467
詳細にはそんなにあったのか。
だとしたら、それまたこじつけ放題じゃないか。
倭人伝から女王国探すのは至難だろう。
ヤンバルの墓が一番だと思うんだが、どうなってんの?

470:日本@名無史さん
22/03/26 15:43:53.82 .net
古代朝鮮の高句麗は「那」、「奴」といった地縁的政治集団から成り立っており
邪馬台国地域の国名にしばしば現われる「奴」の文字は、同じように地縁部族を示している可能性がある。
極南界「奴国」=「那国」→「那覇」

471:日本@名無史さん
22/03/26 15:51:48.97 .net
下記経路の「海岸に沿って水行」との記述がない
① 不弥国から投馬国 水行20日
② 投馬国から邪馬台国 水行10日
一方、魏志倭人伝は、陸に沿って遂行する場合は海岸に沿って水行しと記述する
➂ 帯方郡から倭に到達するには、「海岸に従って水行し」、北岸の狗邪韓国に到達する。

472:日本@名無史さん
22/03/26 15:53:03.14 .net
つまり
① 不弥国から投馬国 水行20日
② 投馬国から邪馬台国 水行10日
は、海岸沿いではなく、海を渡った航路であった可能性が高い

473:日本@名無史さん
22/03/26 16:14:23.02 .net
現代の 「北大東島」と「南大東島」
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南
女王国の東、海を渡ること千余里(50-100Km)、また、国があり、みな倭種である
また、侏儒(こびと)国が、その南にある。
つまり、この文書から次の条件が女王国の場所の必要条件となる
「女王国の東側は海で、50-100Km海を進むと、南北に島が二つある」

474:日本@名無史さん
22/03/26 16:20:27.73 .net
糞ワロタ

475:日本@名無史さん
22/03/26 16:30:38.50 .net
そんな訳で距離単位や進行ルートが論者の自由自在。やりたい放題。どこへでも行ける。
女王国東の倭種の国が豆粒のような小島だと強弁もできるwww

476:日本@名無史さん
22/03/26 18:16:38.29 .net
男子無大小、皆黥面文身
男子は大小の区別なくみな顔や体に入墨をする
日本では、奄美大島以南、沖縄の地域で、入れ墨の文化があった
奄美諸島以南の南西諸島には、なんと、20世紀初めまで針突(ハジチ)と
呼ばれる女性が手にイレズミを入れる習慣があった。
この入れ墨の風習が、違法となり禁止されるつい最近まで沖縄では続いていた
URLリンク(a-port.asahi.com)

477:日本@名無史さん
22/03/26 18:44:28.93 .net
黥面土偶は長野県からも出てるっしょ。
沖縄だけでなく本州でも珍しい物ではないのではないか。

478:日本@名無史さん
22/03/26 19:37:33.17 .net
入れ墨の歴史
1.3世紀の倭人について記した『魏志倭人伝』には「男子皆黥面文身」とある
 全員入れ墨を入れていたというのが特徴
2.古墳時代、4世紀になると入れ墨を施した埴輪(黥面埴輪)が登場
3.古代の畿内地方には入れ墨の習俗が存在せず
 入れ墨の習俗を有する地域の人々は外来の者として認識

479:日本@名無史さん
22/03/26 19:40:00.76 .net
蝦夷、アイヌ民族、奄美・琉球の領域では、それぞれ独自の入れ墨文化が存在した。
日本書紀の記事中には、武内宿禰の「日高見國」[からの帰還報告として、
蝦夷の男女が文身していたことが記されている
つまり、日本書記が書かれた時点で、入れ墨文化は一般的ではなかったと考えられる

480:日本@名無史さん
22/03/26 19:45:20.31 .net
倭人伝なんだよ。倭人の伝!
沖縄は出る幕ない。東の小島w 本州四国の倭人はどうした?
バカか?バカなのか?需要がない理由がわからんか?

481:日本@名無史さん
22/03/26 19:46:34.83 .net

武内宿禰が文身していたけれども、
蝦夷の人たち「も」文身していたよと報告したのかもしれんだろ。

482:日本@名無史さん
22/03/26 19:46:51.97 .net
出真珠・青玉 其山有丹
真珠や青玉が産出される。山には丹(あかつち)がある。
山にはあかつちがある → 沖縄 国頭マージ、島尻マージ
それに対して、文書的な対比から、「真珠と青玉は、海で取れる」と読み取れる
真珠は「白い真珠」、青玉は「青い真珠」と考えられる
現代でも沖縄で、白い真珠と青い真珠が算出される
とある修学旅行のWebサイト
あこや貝から真珠を取り出す体験では、ある生徒が1万個に1個しかない青い真珠を取り出しました!強運!
URLリンク(www.setouchi-h.ed.jp)

483:日本@名無史さん
22/03/26 19:47:22.15 .net
倭人伝は何世紀?
日本書記が書かれた時点は何世紀www

484:日本@名無史さん
22/03/26 19:51:24.89 .net
>倭人伝は何世紀?
>日本書記が書かれた時点は何世紀www
武内宿禰は何世紀の人だ?

485:日本@名無史さん
22/03/26 19:56:41.08 .net
赤土・・・日本中にある。無いところはどこだ?
青玉は翡翠?蓝宝石?翠玉?緑泥片?藍銅鉱?そして青い真珠!!
論者のやりたい放題言いたい放題!
いいからさっさとヤンバルの卑弥呼の墓を出せ!!
まさか希望的妄想かwww

486:日本@名無史さん
22/03/26 20:00:11.87 .net
倭人伝だっての。
皇国に編入されたばっかの古代の外国が何を言ってんだよwww

487:日本@名無史さん
22/03/26 20:06:53.36 .net
そもそも沖縄に円墳や方墳のような風習はあるんか?
卑弥呼以外の古墳はあるんか?

488:日本@名無史さん
22/03/26 20:09:46.83 .net
筑紫島は古墳だらけだよな。本州もだけど。
半島南部にもある。これって倭人の支配地域じゃないの?
沖縄・・・倭人いないwww

489:日本@名無史さん
22/03/26 20:26:08.69 .net
魏志倭人伝に記述の項目は、その地域が邪馬台国であるための最低限の必要条件
十分条件を言っているわけではない
逆に言うと、魏志倭人伝の記述に当てはまらない地域は、
邪馬台国としての最低限必定条件を満たしていないことになるので棄却できるということ

490:日本@名無史さん
22/03/26 20:37:01.27 .net
この5つの代表的な必要条件を見るだけでも
邪馬台国の候補となる地域はかなり絞り込むことができる
1.中国の海南島と同様な南の島の風俗・風習がない地域は棄却
2.1周5千余里程度の海に絶した孤島でない地域は棄却
3.東側に海と、南北の2つの島がない地域は棄却
4.住民全員が入れ墨を入れているという習慣がなかった地域は棄却
5.海から白い真珠と青い真珠が産出されず、山からあかつちが出ない地域は棄却

491:日本@名無史さん
22/03/26 20:47:50.10 .net
強弁するなぁ!
青い真珠などどこに書いてんだよwww
1周5千余里程度は、2000km強だ。プロパガンダを考慮して筑紫島以外ない。
>東側に海と、南北の2つの島がない地域は棄却
プギャーーーーーーー!!!!!
どこに書いてるのそれwww 結論からの逆算仮説。

492:日本@名無史さん
22/03/26 20:53:56.78 .net
1.古事記の国産み範囲(ヤマト王権勢力下)外は棄却
2.古墳のない場所は棄却
3.防衛がやばい弱小国家は棄却
4.東に倭人の国と呼べる規模の陸地がない場所は棄却
5.沖縄は棄却www

493:日本@名無史さん
22/03/26 20:56:46.14 .net
>>490
いまだにデマ流すアホがいるんだな。
周旋は道なりに進む(直線距離ではなく)という意味だから、
「從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里」
帯方郡から、「倭支配域」の狗邪韓國までが七千余里
「自郡至女王國、萬二千餘里」
帯方郡から、女王國までが一万二千余里
「參問倭地、絕在海中洲島之上、或絕或連、周旋可五千餘里」
倭人が暮らす地域は、絶海の島々で、道なりに進むと約五千余里の範囲である。
倭地の起点は対馬だから、
島の大きさを入れない計算だと、末蘆國から約三千里の範囲。
島の大きさを入れる計算だと、末蘆國から約千六百里の範囲。

494:日本@名無史さん
22/03/26 21:02:00.33 .net
周旋可五千餘里こそが倭国(漢読み:わこく)=邪馬台国(倭読み:やまとこく)が北部九州の国家であることを示す情報なのだが、
それで決着するのが困る他説が一周が五千里というデマを必死で流しているだけ。

495:日本@名無史さん
22/03/26 21:54:12.92 .net
>周旋は道なりに進む(直線距離ではなく)という意味
そうなのか素晴らしい。ソース的なものがあれば尚良しですが。

496:日本@名無史さん
22/03/27 00:15:23.17 .net
ソースは三国志に多数出てくる周旋。
周旋が領域の外縁を周回するでは意味が通らない。
周旋は領域の中を道なりに進む(直線距離ではなく)、ふらふらうろつきまわる、の意味。
だから北部九州説。

497:日本@名無史さん
22/03/27 01:14:15.84 .net
これですね!ありがとうございます👏
URLリンク(ameblo.jp)
沖縄、消えましたねwww

498:日本@名無史さん
22/03/27 06:29:29.68 .net
白水社 中国語辞典
白水社白水社
周旋
ピンインzhōuxuán
動詞
1旋回する,巡る.
用例
老鹰在空中不停地周旋。=タカが休みなく空を旋回している.
这个问题在我心里周旋了很久。〔+目(数量)〕=私はこの問題がずっと心に引っかかっている.

499:日本@名無史さん
22/03/27 06:31:36.85 .net
特に、1周するでも問題ない

500:日本@名無史さん
22/03/27 07:18:34.40 .net
>>491
魏志倭人伝 「対馬国から一大国(壱岐)まで 千余里」
地図の実測値 約70Km ここから 1里約70mと計算される
1周5千余里程度は、2000kmだと 1里=約400m
すると、対馬国から一大国(壱岐)が400Kmとなり明らかに矛盾
対馬から400Km南に進むと鹿児島超えて海にドボン

501:日本@名無史さん
22/03/27 07:26:36.11 .net
>>498
だから、外縁を周回するの意味ではない、のだよ。
>老鹰在空中不停地周旋。=タカが休みなく空を旋回している.
うろうろしている。
>这个问题在我心里周旋了很久。〔+目(数量)〕=私はこの問題がずっと心に引っかかっている.
思いがうろうろしている。

502:日本@名無史さん
22/03/27 09:44:03.86 .net
>500
外周ではなく移動距離なら露布慣習が適用される。
ウロウロ道なり5000里 実際は500里 1里450mで
右に左に道なり225kmほどウロウロしましたって事じゃないか?

503:日本@名無史さん
22/03/27 11:46:00.71 .net
どちらにせよ北部九州説。
外周なら対馬~末蘆で往復4千里も消費してしまう。
末蘆から伊都まででさらに往復千里だから成り立たないことがわかるだろ。
道なりに進んだ場合の距離、おおよその領域幅、であれば、
対馬~末蘆で2千里。
そこから3千里残ってるから、熊本県中部くらいまで入る。
倭国というのは、本来鹿児島県以外の九州島と壱岐対馬など周囲の島々であって、
北の邪馬台国と南の狗奴国が倭国支配権を争っていたということ。
東に渡海した本州は倭種とあり、倭国ではない。

504:日本@名無史さん
22/03/27 12:58:05.41 .net
まぁそうでしょう。よっぽど壊れた脳でなければ九州北部になりますよね。
特に皇国の起源だとするなら尚更。沖縄とか外国が何言ってんのって話ですよ。

505:日本@名無史さん
22/03/27 16:26:23.92 .net
>>492
邪馬台国K
URLリンク(www.j-real.com)
 普通は墳墓と言うのが一般であるのに、墳と言わず冢と表現していることに注目している専門家も居ます。諸葛孔明を葬った記録から、墳は山であり、その山上に冢を作った、その大きさは棺が入る程度のものである、したがってそれ程大きな物ではない。大きいという意味を含めても精々20~30メートルであろうとしています。以上のごとく大きさに関しても中々纏まりがつきません。したがって卑弥呼の墓の候補地もかなり自由度のある感じです。

506:日本@名無史さん
22/03/27 16:51:16.51 .net
吉田武彦が指摘してた百歩は誇張で規模の小さい盛り土を「冢」としたってやつ。
しかし、それなら「どうして今まで九州で見つからなかったのさ」の答えになる。
結局「冢」「墳」の問題も論者の自由自在にやりたい放題。
だから沖縄なんかが参戦してくる。外国なのに。

507:太国
22/03/27 18:06:52.67 .net
遺跡は風化して無に帰する絶滅危惧種。
四国にカワウソが以前いたが、いまはもういない。絶滅。
九州の墳墓は阿蘇噴火もあるし、なくても当時なかったにはならない。
洪水、墓荒らし、上に建物がたったりして破壊される。

508:日本@名無史さん
22/03/27 18:11:38.33 .net
>>507 太国
あほ! そんな物騒な所にだれが行くか! ぼけ! そんなことも理解できんのか!   @阿波

509:太国
22/03/27 18:14:21.49 .net
阿電波
来ると思ったぜ、今日は松沢病院は混んでて奇声がうんと聴こえてたかぁ?
                            わははははははは @太国

510:日本@名無史さん
22/03/27 18:28:15.06 .net
>506-507
墓はそうでも鏡が100枚も埋まってるからな
さすがに100枚も出てくれば無かったことにする馬鹿はいない

511:日本@名無史さん
22/03/27 18:29:49.51 .net
>>508
こらこら、根拠が無くなった阿波説が出張ってくるんじゃありませんよ。
沖縄説よりは、皇国内と言うだけ阿波説の方がマシですがね。 わははははは @某1

512:日本@名無史さん
22/03/27 18:32:02.10 .net
>>511
お前、生きとったんか。  わははははは   @阿波

513:日本@名無史さん
22/03/27 18:36:25.83 .net
> だから沖縄なんかが参戦してくる
倭国覇権は沖縄から九州を経て大和へと変遷したが、
邪馬台国所在地論はその逆に、
大和から九州を経て沖縄に収束しつつあるのは感慨深い

514:日本@名無史さん
22/03/27 18:37:07.83 .net
100枚ってのが誇張で2〜3枚だったら?
とにかく、中華には誇張表現って文化があるんだから倭人伝のみから論ずるとどこにでもできる。沖縄にもできる。
実際問題、筑紫島北部を抑えてない勢力が朝貢など無理と考えるのが正常脳。半島南部も勢力下なのに沖縄説では筑紫島北部は出雲王朝の一部なんだから論理破綻。
ロジック不成立ってやつかwww

515:日本@名無史さん
22/03/27 18:40:47.71 .net
>>514
 >231jpg

516:日本@名無史さん
22/03/27 18:40:49.22 .net
>>512
阿波説が完全破綻したからね。スレ頭から太国氏とここにいたよ。
わははははは

517:日本@名無史さん
22/03/27 18:50:14.82 .net
>>516
どほ! 沖縄説でなにするつもりや?  お前はそんなレベルじゃ! せいぜい構ってもらえ!   @阿波

518:日本@名無史さん
22/03/27 18:56:08.48 .net
>>514
> 沖縄説では筑紫島北部は出雲王朝の一部
沖縄説の中にはそういう立場の人がいるようだなてだけ

519:日本@名無史さん
22/03/27 19:04:54.95 .net
九州説では大和の語源を筑後山門郡あるいは熊本菊池郡山門に求めるようですが、
筑紫島には邪馬壹(壱)の語源はあるんですか?

520:日本@名無史さん
22/03/27 19:07:11.12 .net
>>518
ロジック野郎は沖縄説仲間からも否定されるのかwww
そりゃそうだよな。 わははははは これは愉快w

521:太国
22/03/27 19:46:42.26 .net
>>519
肥の国は火の国ともいうようで、ヒフミのヒは1の意味で、邪馬1国がここ
のへんだったかもしれない。女王は1等席に座すわけで、阿電波のいう
2名島の2等席に女王は座らないから、阿波に女王国はない。

522:日本@名無史さん
22/03/28 09:52:11.07 .net
邪馬壱と邪馬台も自由自在。
中華の音写漢字なんて参考程度にしかならんよ。仏教に取り入れられたヒンドゥ教の神々や仏教用語の音写をみればわかる。似ているのもあるけどね。
ガンダルヴァ(gandharva)=乾闥婆(けんだつば)
ヴィシュヌ(Viṣṇu)=毘紐(びちゅう)、毘瑟笯(びしぬ)・・・後者は近いね。
マリーチ(Marīci) = 摩利支(まりし)
邪馬壱と邪馬台は誤写などでなく両方正しかったとしたら?
仮にヤマトイ国だったら音写は、どうなっただろう?ヤマㇳイ国ならならどうだ?
ヤマトィ国ならヤマトになってもおかしくないね。解釈は自由自在、やりたい放題。

523:日本@名無史さん
22/03/28 09:59:44.89 .net
こうしたら、邪馬壱と邪馬台の名残は筑後山門郡でよい。
まあ、宗像三女神ロジックで福岡に決定済みだがな。 わはははははは

524:日本@名無史さん
22/03/28 19:27:33.57 .net
>>1
なるほど沖縄だったのか!
あーあついに邪馬台国の場所が

525:日本@名無史さん
22/03/29 00:43:12.53 .net
沖縄本島北西の伊是名諸島の手前に古宇利島という観光名所があり、>>454
昔はクイジマ、フイジマと呼んだと言うが、
恋島から転じたとも言うのは真偽不明として、
人の起源を口承する祭祀盛んな神の島で、
これが福岡久留米の高良山の名に通じるように見えるのだが、
沖縄には高良姓(多賀良、多嘉良を含む)が多く見られる>>167turugine
高良山の高良大社は筑後国一宮
祭神の高良玉垂命は武内宿禰の他多数説があり、誰かは確定してない
高良山は高木神(高御産巣日神)のいる高牟礼山から転訛したという
韓国南西部全羅南道の木浦(モッポ)市という港町が馬韓の狗蘆国の名を継いでるように思え、それは倭語を媒介にしてると過去スレで論じたんだが、
中西部の忠清南道清陽郡が百済時代に高梁の名だったため、
韓国では狗蘆国(黒国)はそのあたりと推定しているようだ
ともあれ沖縄、筑後、馬韓で地名が繋がってるのは確かな事実ではある。
スレリンク(history板:252番)-253,261,555

526:日本@名無史さん
22/03/29 01:06:39.31 .net
>>506
斉明(皇極)天皇が前夫の蘇我系用明天皇孫の高向王との間に漢王(のち皇子)をもうけてて、
漢王は天武を指すとの説がある
漢王とは外国王子を意味するものだが、
この斉明天皇の諱は宝で、
諡号の天豊財重日足姫天皇は
高良大社に合祀されてる豊比咩大神と豊の字を共にする
(聖徳太子>233も豊を使ってる)
宝とは高良の意味で、
高良山は高牟礼山なのだから、
高向王とは高良大社祭神の高良玉垂命のことかもしれない

527:日本@名無史さん
22/03/29 01:26:06.54 .net
526→
高向王とは高良大社祭神の高良玉垂命を祖とする筑後王のことことかもしれない

528:日本@名無史さん
22/03/29 13:44:43.12 .net
珍説と珍説を融合しても珍説にしかならん。

529:日本@名無史さん
22/03/29 22:01:49.22 .net
まとめ&おさらい『邪馬台国沖縄説』
【特徴】
魏志倭人伝の原文を曲解をせず、そのまま素直に読んで、邪馬台国の場所を特定
傍国21国が、魏志倭人でのルートに沿った、南国の島々に比定できる唯一の仮説
【シンプルな邪馬台国比定ロジック】
邪馬台国は「周旋5千余里の海中州島」で、1里約70mとすると、1周約350Kmの島ということです。
そして邪馬台国は「温暖な気候で、風俗・習慣・産物等は儋耳・朱崖(中国の南部の海南島)と同じ」です。
この2つの文書だけで、邪馬台国は南国の島とわかります。
そして、魏志倭人伝の邪馬台国に至る経路と、帯方郡から直線距離で1万2千余里、
傍国21国が、魏志倭人伝の記述順で、北から南に、一列に比定できる土地。
すべての条件に当てはまるのは、沖縄本島以外考えられません。
したがって、本説は「邪馬台国は沖縄本島である」を仮説として設定しています。
魏志倭人伝の邪馬台国へ行く経路の最後の水行20日、水行10日は
日本の古代、弥生時代から交易をしていた「貝の道」のルートです。
交易船が、定期的に行き来していたと考えられるルートです。
URLリンク(rca.open.ed.jp)
参考
琉球新報 邪馬台国と沖縄 木村政昭
URLリンク(www.ntt-i.net)

530:太国
22/03/29 22:10:23.16 .net
沖縄までの交易船で女王国に至るというなら、倭人伝に途中の各島と沖縄の
着船したあたりの地名があらねばおかしい。所詮そんな地名も島名もない。
つまり女王国は沖縄ではない。

531:日本@名無史さん
22/03/29 22:11:05.04 .net
邪馬台国の候補地
経路以外に「最低限必要となる5つの条件」
1.中国の海南島と同様の南の島の風俗・風習と物
2.周旋5千余里(約350Km)の海に絶した孤島
3.東側が海で、千余里ほど進むと南北の2つの島がある
4.住民全員が入れ墨をしていたという習慣ある
5.海から白い真珠と青い真珠(青玉)が産出され、山からら赤土(丹)が取れる

532:日本@名無史さん
22/03/29 22:15:39.16 .net
>>530
まずこの短い記事だけでも読んでみて
琉球新報 邪馬台国と沖縄 木村政昭
URLリンク(www.ntt-i.net)
「ここで注目すべきは、このルート(沖縄ルート)だと
 倭国内の30か国の位置と名前もぴったり当てはまることである」

533:太国
22/03/29 22:20:12.95 .net
そういうのを言い出すと思ったが、牽強付会だな。
女王国の外周の国は国であって島と倭人伝になかろう。

534:太国
22/03/29 22:40:07.88 .net
>>532
>誰が読んでも”邪馬台国”は沖縄のほうに来てしまう
とか新聞記事は主張してるようだが、そんなことはない。コチラが読めば九州だ。

535:日本@名無史さん
22/03/29 22:52:28.34 .net
>>529
本当にしつこいな糞ロジック野郎。
>1里約70mとすると、
当時の一里は459mで「実際の距離を正確に10倍して記載する」露布という慣習があった。
>1周約350Kmの島ということです。
周旋は道なりに進む(直線距離ではなく)という意味 なので島の周囲ではない。
神武天皇が入ってないのだけは評価しよう。

536:日本@名無史さん
22/03/29 22:55:22.54 .net
>>531
1.中国の海南島と同様の南の島の風俗・風習と物
これはいいとして
2.周旋5千余里(約350Km)の海に絶した孤島
周旋の解釈が間違い
3.東側が海で、千余里ほど進むと南北の2つの島がある
何だこれはwww どこにこんな事がwww
4.住民全員が入れ墨をしていたという習慣ある
これもいいだろう。
5.海から白い真珠と青い真珠(青玉)が産出され、山からら赤土(丹)が取れる
勝手に青い真珠にするんじゃない。根拠がない。

537:日本@名無史さん
22/03/29 23:12:48.87 .net
>>534
木村政昭氏の本の一節
要約すると次のような文章 だから「誰が読んでも」となる
東京大学地震研究所が主催の海洋調査の時に、中国の学者や若い調査員に指摘された。
「昔の日本の王は沖縄にいたんじゃないですか?」
現代の中国人が魏志倭人伝を読むと「邪馬台国=沖縄」と読み取れることがわかった。
これが、邪馬台国=沖縄説の調査を始めたきっかけである

538:太国
22/03/29 23:24:11.85 .net
>>537
尚金福の始祖あたりに日本の王がいたとかの何らかの古文書等があるのか?
ないんでねえの?
八幡愚童訓に
 黄龍2年(230年)=開化48年 呉兵沖縄襲来
とある。卑弥呼はその9年後(景初3年)だから、卑弥呼即位の数年前が
黄龍2年だろう。呉兵が230年沖縄へ大勢行って女王の前身の王女がいたとかは
この資料にないはずだぞ。

539:太国
22/03/29 23:36:43.88 .net
>>538
開化の年号が童訓にあるわけで、沖縄の情報が内地にすでに入ってたという
ことは否めない。開化天皇は神皇紀によると地方巡幸を数年だったか行って
いて、畿内からかなり遠方に行幸できたということになる。
だから九州へも行ってた可能性があるから、開化年代の情報が沖縄に伝播で
入ることはありうることだ。ただ九州全域ではなかろうし、開化が女王国へは
行ってないと思う。神皇紀にそこからの卑弥呼の情報はみあたらないから。
九州内部の奥まった場所に女王国があったとなろう。開化も気づいて
ないんだろう?

540:日本@名無史さん
22/03/30 17:01:06.54 .net
遺跡は日本中何処にでもある。立派な遺跡と言うだけでは何の根拠にもならない。
遺跡で判断するから、伊都国は糸島で間違いないと言う結論になる。
四国、宮崎、鹿児島、沖縄、畿内は倭国ですらない。
女王国があったのも九州内部の奥まった場所なんかではない。
多分、1年以内に全てが解決するだろう。

541:太国
22/03/30 17:47:57.50 .net
>>540
奥まってなくもっと北で北岸近くだと大陸の遣使の通行路に接着してくる。
なると女王国の情報が見聞した遣使から畿内に女王国の情報がもたらせて
記紀に女王国の存在が載る可能性が強まる。
遣使が通行してるのは紀の神功39年に倭人伝からの情報があるからここに
卑弥呼の記述があるわけだ。そうなるとこれ位しか紀に情報がないということ
は、もっと南でなければならない。それを支持するため伝に南下しろと
ある。だから北九州よりもっと南の奥まった所が最も可能性が大だ。

542:日本@名無史さん
22/03/30 20:49:06.19 .net
>>540
大和から見たら倭国は「外国」なんだがな

543:日本@名無史さん
22/03/30 21:04:08.02 .net
>>536
2.周旋:旋回する、巡る
→ 1周巡っても何も解釈としては何の問題はない
3.女王国の東、海を渡ること千余里。また国があり、みな倭種である。
 また、侏儒国が、その南にある。
→ 2で陸の孤島とあり、東に海を渡ると南北に島があると記述がある
5.出真珠・青玉。其山有丹
真珠と青玉が(海から)取れる。そこの山には赤土がある。
→ 仮説として、海からとれる青玉を青玉真珠と解釈
ヒスイとしている人が多いがヒスイは海から取れない
また、日本では糸魚川くらいしか取れないので、ヒスイは棄却した

544:日本@名無史さん
22/03/30 23:06:22.06 .net
(仮説)日本への渡来ルート
    沖縄方面から渡来した民族が日本建国のリーダーだったのではないか?
北方ルート シュメールの地から、インドを経由し、樺太、北海道経由で出雲へ
→ シュメール人、スーサの王、ドラビィタ族
→ 日本国内でシュメール語で書かれたヒエログリフがたくさん見つかっている
南方ルート 海のシルクロード経由、船で沖縄へ
→ ユダ国2支族 ユダ族、レビ族(ダビデ王朝) → 天皇家
→ 倭国が出雲王国を吸収合併、大和王朝を建国、その後、日本となる
朝鮮半島ルート シルクロード経由、九州へ
→ イスラエル王国 失われた10支族 秦氏 → 神社、経済活動(1万円札、聖徳太子)

URLリンク(www.historyjp.com)
イザヤ書24章 新天地における祝福と恵みの預言
「それゆえ、光の中で(火の中、東方で)神に栄光を掲げよ!
海の島々にて、神の名、イスラエルの神に!」
イザヤの預言を受け、聖書の民は
イスラエルから、ひたすら、東方の日出づる国を目指したと考えられる。

545:太国
22/03/30 23:16:20.49 .net
九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
 筑紫國 白日別
 豐國  豐日別
 肥國  建日向日豐久士比泥別
 熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。記紀に載ってない離島も同様だ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してるのだ。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島離島から来たのではない。こちらの神国日本が
半島離島のご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
半島人は銅、土台人というときは4位以下の上位3名を載せるその下の表彰台。
黄金は天皇で黄銅と黄金とは別の近族。ハーフも半島人も天皇にはなれない。
タトーは外国行きの人民。だから五輪でも醜怪なタトーは外国勢ばかり。
外国の『外』はタトーのタとト。記紀に載ってない離島も表彰台以下の身分。

546:日本@名無史さん
22/03/30 23:23:21.91 .net
>>545
それでは、なぜ日本でシュメール語のヒエログリフが
たくさん発見されるのか理由を説明してみてください
日本のペトログラフ(シュメール文字)
1992年報道 テレビ朝日 ニュースステーション
URLリンク(youtu.be)

547:日本@名無史さん
22/03/30 23:31:36.54 .net
シュメール語で古事記神話を読む 〜古書から日本の歴史を学ぶ〜
URLリンク(youtu.be)

548:太国#太国
22/03/30 23:34:50.77 .net
>>546
それはもっと後代だからだよ。後代では来日があったこと確かさ。
日本の始原はもっと古くユダヤ人でないのさ。
>島々からなる日本の地において皇歴がスタートします。諸説はあるものの、
日本書紀の記述に基づき、初代神武天皇の即位による天皇家の始まりを
起源前660年頃とするならば、それは北イスラエル王国が滅びてから60年
あまり経った時であり、南ユダ王国においてはヒゼキヤ王が崩御した後、
国家が滅び始めた頃と一致します。それ故、もしヒゼキヤ王の末期に
イザヤの一行がイスラエルの地を脱出し、日本列島に渡来した後、
王系一族の子孫が成長し、日本の初代天皇として即位したと想定するならば、
歴史の流れが見事につながります。
神武天皇の時代は紀元前660年ではない。
これは後代の学者研究家が現今の太陽暦の逆算で計算したから前660年
を算出したもので、実年代は660年分後代に位置するのだ。
だから上述のイスラエルから神武の系統になったというのは成立しない。
 神武即位元年=西暦元年
なのだ。どうして後代に神武元年が行くのかといえば、当時の朝廷は2倍暦
3倍暦を行使してたからであって、当時の1年は半年とか4か月でありこれで
行使してたからだ。あんたの説、日猶同祖論は成立しない。

549:太国
22/03/30 23:37:32.29 .net
だからペトルグリフとかはもっと後代だよ。
日本の始原ではない。後代に西欧人の来日は少ないだろうが、あっただろう。

550:太国
22/03/30 23:43:32.21 .net
>>544
訊きますが、インマヌエル王という人は前7世紀ころの人物なのかね?
その辺の時代ならばこの者は神武天皇ではない。
神武天皇は紀元前後の人物だから別人だよ。

551:日本@名無史さん
22/03/31 00:52:33.24 .net
文化が伝わる事と民族の移動は必ずしもイコールではない。
日本人は漢民族ではないが思いっきり漢字を使っている。
インド人ではないが釈尊をはじめ多くの仏を信仰している人が多い。
古事記はシュメール語で読めたり朝鮮語で読めたり不思議な書物だねぇ。
普通に漢文、日本語音で書いてるからわざわざ異国語では読まんでよろしい。

552:日本@名無史さん
22/03/31 20:21:41.30 .net
>>551
人は移動せずに文化だけ伝わった言うのも
ひとつの仮説としてはありだと思います。
ただ、出雲口伝などで、古代出雲大国を造ったリーダー達は、
4000年前に、インドから樺太経由で出雲に渡来したとの伝承が伝わっているのは事実です
そして、日本の神社の敷地を中心に、シュメール語で書かれた
ヒエログリフ=岩の面に書かれた、シュメール文字、文書が、
多数発見されているのも事実です
岩は動かせないので、渡来してきた可能性が高いと考えています

553:日本@名無史さん
22/03/31 20:36:45.90 .net
「出雲口伝」だけはやめろーーーーーーーーーー!!!
日本書紀では事代主が、古事記では大物主(大国主)が神武天皇の岳父となる。
大物主は「倭成す」と称えられ、事代主は「飛鳥大神」と呼ばれている。
出雲で鎮まってなどいない。
大己貴神裔、三輪氏、大神氏、賀茂氏、長氏、諏訪氏・・・
だから沖縄説はオカルトレベルなんだよ!!オ・カ・ル・ト。出雲口伝だけはやめろ!

554:太国
22/03/31 20:46:57.33 .net
出雲口伝って、文献がなく、誰かさんのオツムの中に残ってる伝承なのか?
それとも文章化されての古文献があるのかね? 後者ならば書名は?

555:日本@名無史さん
22/03/31 20:53:15.46 .net
本題に戻ると
魏志倭人伝 邪馬台国 「牛も馬もいない」
なぜ、聖書の民が、南方から沖縄渡来した説をこのスレで出しているのかと言うと
「牛も馬もいない」理由が見えてくるからです。
旧約聖書出エジプト記34章「山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない」
古代、牛や馬がいなかったエリアは、国内では稀だった考えられます
したがって、牛や馬は意図的に、神聖な地、邪馬台国から
外へ移動させていたのではないかと考えています
この仮説を取ると牛や馬がいなかった理由が説明できるわけです
そして、邪馬台国から馬を放り出していた国が
投馬国「馬を放り出すための国」だったのではないかと考えています。
邪馬台国が沖縄だったとすると、
投馬国「馬を放り出すための国」は、人口、広さも考えると
現代の奄美大島あたりではないかと考えています
日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
史書が語る邪馬台国
URLリンク(www.historyjp.com)

556:日本@名無史さん
22/03/31 20:58:17.73 .net
富當雄と言う自称、大国主子孫のイカれたジジイの妄言です。
「吉田大洋」の著書での告白記事です。
まだ学生で金がなかったのに「謎の出雲帝国」と言うタイトルだけで買ってしまい
速攻でゴミ箱に入れたとても辛い記憶がwww

557:日本@名無史さん
22/03/31 21:03:00.50 .net
古事記がシュメール語で云々も吉田大洋だったかな・・・?
ただのマジキチですよ。影響されるヤツがいるなんてwww
アホすぎるwww

558:日本@名無史さん
22/03/31 21:04:59.82 .net
魏志倭人伝 邪馬台国 「はだしで生活する」
沖縄は南国で温暖だったから「はだしで生活」できるのですが
聖書の民が邪馬台国に住んでいたと仮定すると
次の一節からも、はだしで生活していた理由が読み取れます
旧約聖書 モーセの言葉
「足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」

559:日本@名無史さん
22/03/31 21:07:26.93 .net
お前ロジック野郎か?お前が書けば書くほど沖縄説はオカルトに落ちる。
読んでる人はそう思う。間違いないよ。

560:太国
22/03/31 21:12:30.51 .net
>>555
そのハーモニーとかいう論だが、三国志編纂が280~290年で応神の代だとか
主張してるが、これは間違いであり、この年代は垂仁中期から景行初期の
年代であってもう間違っている。この論者も紀の内容の当時の年代を現代の
太陽暦たる1年365日計算で逆算した学者らの年代査定を踏襲してるわけ
であり、ここに大間違いがある。あのころは倍暦を行使してたんだから、
上の年代は応神のころではない。
崇神没年は258年説がほぼ正解であって、次代は垂仁だからその中期の
年代から景行初期の年代だよ。

561:太国
22/03/31 21:19:09.47 .net
口伝だとかだけじゃあ怪しい感じがぬぐえず、カラフトあたりから内地に
入り出雲へきたとかいうが、口伝となる情報入手時の当時にカラフト島の
存在なんか知れてたのか? 簡単に知りえないと思うが?
そのころ間宮林蔵以上にサハリンのことを知ってたのか? うますぎるな? 

562:日本@名無史さん
22/03/31 21:40:57.87 .net
彼らは今伝わる所の大国主(尤も彼ら曰くこの名称は奈良時代まで存在しなかったそうですが)直系を名乗り、スサノオは徐福で、ニギハヤヒも徐福の日本名であり、出雲王朝にとっては侵略者であり、当時の大国主と事代主を殺した、というエピソードを含む口伝を、4千年も語り継いできたというものであったからです。
(何故4千年にもなるかというと、日本に定住する前からの伝承を含む為)
吐気を催す内容。

563:太国
22/03/31 21:42:33.47 .net
馬だが、神武は当初九州にいたわけで、それ以前の記紀の記述の主体は九州
なわけだ。ところが須左之男命は天の斑馬を逆剝ぎに剥いだと記紀にあるわけ
だから、九州に馬がなかったとはいえないんでないのか。
投馬とはこの逆剝ぎに剥いだ馬を機屋に落とし入れる意味のように思えるがね?

564:太国
22/03/31 21:45:01.01 .net
よくまだ分からんが
その口伝の人物とは誰なのかね?

565:日本@名無史さん
22/03/31 21:53:01.91 .net
『富當雄』と言う自称、大国主子孫のイカれたジジイです。

566:太国
22/03/31 21:56:14.82 .net
若干訂正
いまノートで年代を確認したが、景行年代は入らないことが判明。
280~290年 は 垂仁中期~同後期 である。
 景行元年=293年

567:太国
22/03/31 22:00:05.35 .net
>>565
了解。

568:日本@名無史さん
22/03/31 22:24:49.12 .net
さて、古代の沖縄=邪馬台国に、聖書の民は、本当に渡来していたのだろうか?
沖縄の海岸の岩から古代文字が書かれている岩が発見されている。
これを学者が解析したところ、紀元前10世紀より前に使われていたフェニキア文字であることが判明した。
フェニキア人は、確実に、沖縄に来ていたことがわかる。
URLリンク(youtu.be)
このフェニキア文字が現代の英語のアルファベットとなった文字である
そして、フェニキア人は、高度な航海術をもって
紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃地中海交易の覇者となった民族である
当時、地中海からアフリカ大陸を1周したとの記録がある
距離的に、海のシルクロード経由で日本まで到達したとしても全くおかしくない
帆掛け船で、風を自由に操り、
現代のヨットが向かい風でも、前に進める技術を使っていたと考えられる
URLリンク(media.eurasia.co.jp)
この船の技術が、邪馬台国へ至る水行20日、陸行10日の航路や
沖縄から九州、山陰地方まで続く交易路「貝の道」の航路に使われていた可能性が高い
当時、中国の船どころか、世界最古の歴史をもつ、最先端の船の技術であったに違いない
そして、フェニキア人は古代イスラエルの民と交流があったのは言うまでもない
イスラエルのソロモン神殿を建築したのは、フェニキア人である

569:太国
22/03/31 22:28:22.53 .net
日本は神代文字の宝庫みたい。
日本から出た人物が外国へシュメールとかいう文字を広めたその痕跡が
岩にあるわけで、こっちから外国へ伝播したのさ。

570:日本@名無史さん
22/03/31 22:44:07.66 .net
>>569
同意。その説は遺伝子解析的にも可能性が高いと思っている。
縄文文化が世界で一番古いというのは明らかになりつつある。
そうすると人類発祥の地は日本ということになる。
そして、沖縄の今帰仁(なきじん)村の古宇利島には人類発祥の地伝説がある
今帰仁(なきじん)はシュメールの神アヌンナキが由来と考えられる
アヌンナキ神 → ナキジン → 今帰仁(なきじん)

571:日本@名無史さん
22/03/31 22:49:42.27 .net
>>570
そして 沖縄今帰仁村の古宇利島が
聖書の「東の端のエデンの園」のストーリーのモデルとなった場所と考えれば辻褄があってくる

572:太国
22/03/31 22:49:47.06 .net
古神道の権威故荒深道斎師、故日立道根彦師は日本から人類が発生したと
おっしゃっている。

573:太国
22/03/31 22:53:16.68 .net
だが発祥の地は離島の沖縄ではなく、天孫降臨の地九州だ。
両師はそう説明している。

574:日本@名無史さん
22/04/01 19:11:49.59 .net
アヌンナキ神って何や?アヌンナキは神名ちゃうやろ。
マルトとかダーナとかと同じで神郡、神族名やろ?
アヌとキの子供たちの意味やから
「アヌンナキ神 → ナキジン」ってのも許されへん欠落や。

575:日本@名無史さん
22/04/01 19:24:16.12 .net
ここ学問板やさかいに「心と宗教」の方がええのとちゃうかね?
もしくは、「オカルト」か・・・ちょっとちゃうか。

576:日本@名無史さん
22/04/01 19:51:32.39 .net
出雲口伝とか言うとる時点で記紀をまともに読んだ事がないのもようわかるし、
ネットで拾ったオカルト珍説をつなぎ合わせたら何だか上手くいった気がして
書いてんだろうけど、沖縄の評判が落ちるのでおやめなさいって言っときます。
沖縄人ならアマミチューの墓に詫び入れとけ。そうでないなら沖縄人に謝罪すべし。

577:日本@名無史さん
22/04/01 22:21:37.12 .net
wikipedia
アヌンナキ (Anunnaki) は、
古代シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアの一群の神々である。

578:日本@名無史さん
22/04/01 22:43:57.55 .net
まとめ&おさらい『邪馬台国沖縄説』
【特徴】
魏志倭人伝の原文を曲解をせず、そのまま素直に読んで、邪馬台国の場所を特定
傍国21国が、魏志倭人でのルートに沿った、南国の島々に比定できる唯一の仮説
【シンプルな邪馬台国比定ロジック】
邪馬台国は「周旋5千余里の海中州島」で、1里約70mとすると、1周約350Kmの島ということです。
そして邪馬台国は「温暖な気候で、風俗・習慣・産物等は儋耳・朱崖(中国の南部の海南島)と同じ」です。
この2つの文書だけで、邪馬台国は南国の島とわかります。
そして、魏志倭人伝の邪馬台国に至る経路と、帯方郡から直線距離で1万2千余里、
傍国21国が、魏志倭人伝の記述順で、北から南に、一列に比定できる土地。
すべての条件に当てはまるのは、沖縄本島以外考えられません。
したがって、本説は「邪馬台国は沖縄本島である」を仮説として設定しています。
魏志倭人伝の邪馬台国へ行く経路の最後の水行20日、水行10日は
日本の古代、弥生時代から交易をしていた「貝の道」のルートです。
交易船が、定期的に行き来していたと考えられるルートです。
URLリンク(rca.open.ed.jp)
沖縄には、紀元前10世紀以前に、地中海交易を制したフェニキア人渡来の痕跡があり
倭国は、当時の中国の船を超える最先端の航海技術を持っていた可能性があります。

参考
琉球新報 邪馬台国と沖縄 木村政昭
URLリンク(www.ntt-i.net)

579:日本@名無史さん
22/04/01 22:54:20.77 .net
参考 倭国の船の材料、屋久杉レバノン杉説
屋久杉(縄文杉)とレバノン杉
URLリンク(momo-momomat.blogspot.com)
今では世界唯一の、3000年を超える屋久杉は、
『日本書紀』のスサノオ植樹の話が実話で、
3000年以上前にスサから来た王が植えたものだったことを疑わせない。
重要なことは、
スサノオ植樹が史実だという確認は、
屋久杉が外来植物だという確認であり、
原産地はどこかが問題になる。
屋久島人は3000年以上前にそれを運べないから、
運搬者はフェニキヤ人だと特定できる。
とすれば屋久杉はレバノン原産の杉だと確定している。
それがどこに移植されようと杉の原産地は他にはない。
だから屋久はレバノン杉そのものだったのである。

580:日本@名無史さん
22/04/01 22:57:35.75 .net
沖縄なら九州を経由せず半島から直接沖縄にむかうぜ。
邪馬1国とか1与という数字は天啓で創造主たる天帝から世界第1位の国家
としてその女王として賜与された名であって、1は首位の数字だ。
神国日本は黄金の国ジパングたる金メダル級国家であって、それゆえ第1位の
数字があるのだ。
そういう最重要最高位の数字の国とその女王は記紀にも載って
ない離島には存在しない。

581:太国
22/04/01 23:01:12.30 .net
>>580はコチラの書きこみです。

582:太国
22/04/01 23:19:50.05 .net
スサノオは高天原で植樹せず青山が枯山になるほど大暴れで森林植樹の反対の
枯野にさせたんだよ。

583:日本@名無史さん
22/04/01 23:31:08.95 .net
>>580
直接、海上で直線で沖縄にも行けたのだろう
だから、直線距離で千二百余里とある。
しかし、防衛上の目的から、中国から来た船は、松浦国に停泊させ
必ず、検問機能のある伊都国を通したのだろうと考えている。
そして、倭国の船に乗せ換えて、水行20日、10日を経て女王国に通した。
倭人伝に倭国の船の記述がないことが不思議だが
中国の国内へ、(自分達の国より劣った)倭国の状況を
伝えることが倭人伝の目的だとすると、
倭国の船が、中国の船より進んだ技術であったことを
隠したかったので、記述しなかったのではないかと考えている
倭国の船が、地中海交易の覇者、フェニキア人の船であったと仮定すると
十分考えられることである

584:太国
22/04/01 23:41:40.16 .net
半島から直接行くぜ。そうでなければ長旅以上の超長旅になるから九州経由など
やりっこない。
防衛のためだとかは直接行かない不合理のことから考えだした恣意的考えであり、
こちらはそれに騙されない。
黒部渓谷の奥地などは200m行くのに5日もかかるかいう所があって、
当時の九州はいまのように道路もなんか整備されておらず、ほとんどないに
近いところが多かったということだ。地図もないからあちこちさまよい
迷路同然の状況であって、艱難辛苦思ったより長い年月がかかっていたのだ。
だから九州にあったのさ。沖縄説は成立しない。

585:日本@名無史さん
22/04/01 23:59:03.87 .net
何か都合が悪うなると「まとめ&おさらい」が書かれるスレw

586:日本@名無史さん
22/04/02 00:02:32.13 .net
>>579
続き
フェニキヤは「船木屋」の日本語になっている。
フネの部分はフェニだから、エ音が消えている。
このことは我が国の言語分布からみて、e音の無い沖縄語のためだと解る。
エ音が取れるとフニになるが、沖縄では現在も船をフニと発音している。
さらにもう一つ沖縄へ先に入ったという理由がある。
それは船乗りのことを古い沖縄語では「フ ニ チュ」という。
これは原語を並べてみると、明瞭に語源が浮かび上がる。
「フェニ キヤ」
沖縄語のチは標準語のキであり、
yuはyaと書くと一層よく相互関係が理解できる。
フェニキヤの名が、三千数百年という歳月を経ても、
一字一音も欠けることなく、こんなに見事に保存されていたのである。
これもフェニキヤ人が間違いなく沖縄に入り、
以後に本土に入ったという貴重な証拠の文化財なのである。

587:日本@名無史さん
22/04/02 00:09:47.09 .net
>>586
以上
出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録35」

588:日本@名無史さん
22/04/02 00:21:48.74 .net
フェニキア(古代ギリシャ語: Φοινίκη、Phoiníkē、ポイニーケー、羅: Phoenices、Poeni、ポエニ、英: Phoenicia)は、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。
フェニキア人という名称は自称ではなく、ギリシア人による呼称である。ギリシア人は、交易などを目的に東から来た人々をこう呼んだ。
「カナーン人」あるいは「都市名+人」を自称したと思われる。
フェニキア人が沖縄に入ってもフェニキアと言う語は伝わらんのと違いますか?

589:日本@名無史さん
22/04/02 00:29:55.01 .net
例えば、徳島県の栗枝渡八幡神社(くりしどはちまんじんじゃ)なのだが神社名の栗枝渡(くりすど・くりしど)がキリストに近いことなどからキリスト渡来説が残されている。
しかし、仮に「ナザレのイエス」が阿波に来とったとしても、わざわざ「ギリシア語」で誰が彼をキリストと誰が呼んだのだろうね?バカですかと。

590:日本@名無史さん
22/04/02 08:37:22.17 .net
四国は忌部氏がいて 天皇家の祭祀を行う氏族である
古代イスラエルのレビ族はダビデ王の祭祀を行った祭祀族であった
忌部氏はレビ族の末裔だと言う説は有名
聖書の民が四国来て神社を造っていったのだろう
イスラエル国の駐日大使エリ・コーヘン氏氏もそれを認めている
日本の神社のトップ 伊勢の神宮 英語で 「Ise Shrine」 と言う
「Ise Shrine」を日本語にもう一度直すと「イエスの神殿」と言う意味で取れる

591:太国
22/04/02 08:41:14.43 .net
そういう剣山の伝説などは、あったならもっと後代だよ。
始原は外国勢は日本に無関係。

592:日本@名無史さん
22/04/02 08:59:10.46 .net
先入観と固定概念がある人は、物事の本質は解明できない
コペルニクス的転回が必要

593:太国
22/04/02 10:09:09.43 .net
>「イエスの神殿」
ユダヤの「ユ」の字は捕り物の十手の形であって、捕り物の示唆。
イエスが十字架にかけられたにかかる。
ところが天皇は ten no であって、no は yes の反対だ。
だからユダヤ教キリスト教と古神道は背反のイエスとノーの関係の
油と水の別物。

594:日本@名無史さん
22/04/02 13:27:11.40 .net
完全にオカルトスレwww

595:日本@名無史さん
22/04/02 14:18:57.76 .net
>>592
>先入観と固定概念がある人は、物事の本質は解明できない
>コペルニクス的転回が必要
「阿波国古代研究所」の藤井栄っていうアホは徳島県美馬郡つるぎ町半田には『天皇』と言う地名がある。ミマで天皇と言うのは第10代崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)に由来すると言いよった。俺は、「天皇と言う地名は他にも多数あって牛頭天王の天皇神社に由来する」と主張した。そしたらお前とほぼ同じ事を言うたよ。固定観念やって。
いや、固定観念と言うか学問的常識ってヤツや。実際に、阿波志を確認したら美馬郡半田口山に阿波で一番と思われる巨大な「牛頭祠」の記載があったよ。コペルニクスもいいけどまず、何事も【基礎】が一番重要なんですよ。基礎があればこないな恥ずかしい主張はせんで済んだわけや。崇神天皇から天皇号の発生まで何世紀経過してると思ってんだと!
<参考>天皇と言う地名(他にもあります)
愛媛県西条市福武甲天皇
宮城県仙台市泉区実沢細椚天皇
宮城県仙台市泉区野村天皇
宮城県黒川郡大和町吉岡字天皇寺
宮城県黒川郡大和町吉岡天皇寺東
福島県喜多方市塩川町小府根字午頭天皇
福島県二本松市小沢字天皇前
福島県二本松市油井字天皇館腰
福島県二本松市油井字天皇館山
愛知県安城市古井町天皇
愛知県常滑市金山字天皇堂
京都府綴喜郡宇治田原町荒木字天皇

596:日本@名無史さん
22/04/02 15:11:24.89 .net
ちゅーわけで、オカルト珍説を主張するやつの共通点な。

597:日本@名無史さん
22/04/03 10:50:06.02 .net
基礎のキの字もあれへんから
「アヌンナキ神 → ナキジン → 今帰仁(なきじん)」
こないな恥ずかしい主張をしてしまう。説全体をダメにするんですね。
ぶっちゃけると、「邪馬台国沖縄説」自体が恥ずかしい主張なんですよ。
そろそろおわかりいただけると思うのだが。

598:太国
22/04/03 13:39:30.32 .net
Qアノンって・・・?

599:日本@名無史さん
22/04/03 14:16:52.06 .net
>日本の神社のトップ 伊勢の神宮 英語で 「Ise Shrine」 と言う
>「Ise Shrine」を日本語にもう一度直すと「イエスの神殿」と言う意味で取れる
この書き込みはもう、病気だね。ガチキチ。
伊勢は天皇が畿内に進出する前から伊勢。

600:太国
22/04/03 14:18:42.94 .net
十字架のイエス
十=ten
天皇 ten no

601:日本@名無史さん
22/04/03 19:08:29.97 .net
>>592>>595 の内容)
【YouTube第5回邪馬台国は阿波だった!?】
えっ!?まぢ!??徳島県西部には○○という地名がある衝撃!
ゲスト 阿波国古代研究所 藤井栄「畿内説、九州説、それは頭が悪いからですwww」
URLリンク(m.youtube.com)
同じマジキチ説を参考にすると良い。客観視できるだろう。

602:日本@名無史さん
22/04/03 20:20:48.93 .net
見たか?めちゃくちゃな事言うてるやろ?
阿波に崇神天皇がいた証拠は「美馬の天皇と言う地名」。
倭大国魂神社は崇神天皇が建てた。おそらく、平城遷都までの王都は阿波。
驚くやろ?でもな、お前ら沖縄説って『同じ穴のキジムナー』やで。
めっちゃ恥ずかしい主張を繰り返してるんがわかる?

603:日本@名無史さん
22/04/04 16:47:45.68 .net
>>602
証拠というわけじゃないが無関係ともならない
徳島美馬の三ツ木八幡神社が大嘗祭に麻織物の麁服(あらたえ)を献上してるだろ
阿波忌部氏の職能になってる

604:日本@名無史さん
22/04/04 17:34:49.88 .net
>>603
忌部なんだから無関係な訳がないし大嘗祭に関わるには当たり前じゃないかw
それが何で王都が阿波にあった証拠になるんだ?
やっぱりトンデモ説同士、通ずるものがあるんだなw さすがだwww

605:日本@名無史さん
22/04/04 17:49:57.84 .net
>>604
そこに美馬とあるのは出来すぎた話ではあると言ってるまでな
ちなみに徳島は日本では珍しくユーラシア遊牧民系遺伝子が特異に分布している

606:日本@名無史さん
22/04/04 18:13:23.03 .net
流石はトンデモw これを「出来すぎた話」と言うw
天皇と言う地名が天皇(スメラミコト)に由来するとでも?
トンデモ共通点。圧倒的、基礎知識のなさ。
実際に、半田には江戸時代まで阿波で一番の天皇神社あったと言うのに。

607:日本@名無史さん
22/04/06 11:40:02.81 .net
魏志倭人伝に書かれてる倭人の様子だと沖縄っぽい雰囲気だよね

608:日本@名無史さん
22/04/06 14:23:15.61 .net
暖国のようではあるがね。それだけだよ。

609:太国
22/04/07 13:53:37.12 .net
5月3日から、東京上野の国立博物館で琉球展が開催されるそうだ。

610:日本@名無史さん
22/04/08 23:58:54.47 .net
まとめ&おさらい 邪馬台国=沖縄説
【特徴】
魏志倭人伝の原文を曲解をせず、そのまま素直に読んで、邪馬台国の場所を特定
傍国21国が、魏志倭人でのルートに沿った、南国の島々に比定できる唯一の仮説
【シンプルな邪馬台国比定ロジック】
邪馬台国は「周旋5千余里の海中州島」で、1里約70mとすると、1周約350Kmの島ということです。
そして邪馬台国は「温暖な気候で、風俗・習慣・産物等は儋耳・朱崖(中国の南部の海南島)と同じ」です。
この2つの文書だけで、邪馬台国は南国の島とわかります。
そして、魏志倭人伝の邪馬台国に至る経路と、帯方郡から直線距離で1万2千余里、
傍国21国が、魏志倭人伝の記述順で、北から南に、一列に比定できる土地。
すべての条件に当てはまるのは、沖縄本島以外考えられません。
したがって、本説は「邪馬台国は沖縄本島である」を仮説として設定しています。
魏志倭人伝の邪馬台国へ行く経路の最後の水行20日、水行10日は
日本の古代、弥生時代から交易をしていた「貝の道」のルートです。
交易船が、定期的に行き来していたと考えられるルートです。
URLリンク(rca.open.ed.jp)
沖縄には、紀元前10世紀以前に、地中海交易を制したフェニキア人渡来の痕跡があり
倭国は、当時の中国の船を超える最先端の航海技術を持っていた可能性があります。
参考
琉球新報 邪馬台国と沖縄 木村政昭
URLリンク(www.ntt-i.net)

611:日本@名無史さん
22/04/09 01:43:50.78 .net
??

612:日本@名無史さん
22/04/09 08:18:45.54 .net
幻想的!! 日本一きれいな車窓の沖縄バス120番「名護西空港線」
古代、邪馬台国だった地を行く
URLリンク(youtu.be)

613:太国
22/04/09 09:55:00.82 .net
五輪での金メダルとは第1位の首位であって、この神国日本は黄金の国ジパング
とマルコポーロが教えたように、天帝が世界第1位の国家であるとの勅から
この神州に首位の数字ある邪馬1国を置かれたのである。
従って記紀の国生みにない離島は世界第1位の数字の1は行くわけがなく、
1等席ではない場外の場所で、これが沖縄なのだ。
だから離島の沖縄にこの女王国は存在しない。
それゆえ金メダル級国家の世界第1位の国家たる神国日本は
萬邦無比の國體を誇るのだ。

614:日本@名無史さん
22/04/09 10:54:56.24 .net
記紀の国生みに沖縄がないのは、
沖縄が高天原であった理由のひとつとなります

615:日本@名無史さん
22/04/09 10:56:37.73 .net
堂々巡りの「まとめ&おさらい 邪馬台国=沖縄説」w
地名は完全にコジツケ。
周旋は周囲ではない。
露布慣習。(「短里」は一切古代中国の文献に出て来ない。)
フェニキア人渡来www
なぜそんなに倭人を外人にしたがる???

616:日本@名無史さん
22/04/09 10:57:20.65 .net
記紀の国生みに沖縄がないのは、ヤマト王権にとって外国だからです。

617:日本@名無史さん
22/04/09 11:00:54.83 .net
つまり、記紀神話を創った民族は
高天原、つまり、国生みのあった場所以外から来たことが明確にわかると思います
その高天原の所在地が沖縄であると言う仮説を置くことによって
魏志倭人伝、記紀といった、さまざまな、文献の文脈とロジックがマッチすることは否定できません

618:日本@名無史さん
22/04/09 11:06:05.88 .net
記紀の国生みに北海道と沖縄がないのは、ヤマト王権にとって外国だからです。

619:日本@名無史さん
22/04/09 11:10:14.29 .net
国生みをした民は、
記紀の、八島国以外のところからやってきたのは明確です
したがって、八島国のエリアが高天原となることは、文脈上ありえません
また、初めに生んだ(訪れた)のが淡路島ですから船で直接やってきたと考えられます
すると南方渡来の沖縄から、淡路島に侵入した民のルートが有力となります
朝鮮半島経由の九州ルートと、樺太経由の北海道ルートでは
途中の土地をとばして、いきなり船で、淡路島に侵入したというのは、無理があります。

「初めに生んだのが淡路島、
 次に生んだのが四国、
 三番目に生んだのが隠岐。
 そして九州、壱岐、対馬、佐渡と生み、
 ついに本州を生みました。
 この八つの島を大八島国といいます。」

620:日本@名無史さん
22/04/09 11:48:16.42 .net
>国生みをした民は、
国なんか実際に生めるとでも?
>記紀の、八島国以外のところからやってきたのは明確です
勝手な妄想です。
>したがって、八島国のエリアが高天原となることは、文脈上ありえません
伊弉諾尊と伊奘冉尊、二柱の神は磤馭慮島(おのころしま)で国生みをしたのであって高天原で国生みをしたのではない。勝手な妄想はおやめ下さい。

621:日本@名無史さん
22/04/09 11:53:55.18 .net
>初めに生んだ(訪れた)のが淡路島ですから船で直接やってきたと考えられます
>すると南方渡来の沖縄から、淡路島に侵入した民のルートが有力となります
沖縄から四国を飛ばして淡路島とかどんな妄想だwww

622:日本@名無史さん
22/04/09 13:51:56.87 .net
>>614
離島に高天原なんてないよ。
>>617
根源の日本人は日本さ。外国渡来はもっと後代の連中。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch