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わが国の梅は、中国からの移植説と日本古来の原産地説とがあり、定かではありませんが、文献・学者の多くは中国原産地説をとっている日本では、花がまず人々の関心をひき果実の利用はその後になったのに対し、中国では果実の利用が先であったようで、古事記が成立(712年)する二百年余り前の「斉民要術」に梅の塩漬けが記録されています。
日本で梅干しが初めて書物に登場したのは、平安時代の中頃であり、中世以降において果実の利用が盛んになってきました。
鎌倉時代以降、実の多くは梅干しとして食用に供され、薬用としても重宝がられ、花は鑑賞用として人々に愛されてきました。また、木は硬質のため、器物に使用されていたようです。