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丈六光銘は正確にコピーされていないとなると、上記3点以外も疑うべきである。
疑問(1)により609年には「天皇位」はなかった。
「百濟明王上啓 臣聞 所謂佛法既是世間無上之法 天皇亦應修行 擎奉佛像經教法師」は上下関係が逆転しているとみてよい。
天皇位がなければ「天皇詔巷哥名伊奈米大臣」は誰が詔したのか、大王でしかない。
原典は「大王詔巷哥名伊奈米大臣」となっていたのだ。
すると、巷哥名伊奈米(蘇我稲目)は大王の大臣であったことになる。大王政権の大臣である。アマタリシヒコ大王の大臣である。
書紀はアマタリシヒコを聖徳太子=厩戸としてに潜らせたが、聖徳太子の擁立者が蘇我であったことが理解できるであろう。