【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾壱at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾壱 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
22/02/11 00:37:21.04 .net
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】



3:通鑑釋文辯誤卷六 https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a >沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣 江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう 江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける 【嘉興府志】 https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html >{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡 嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし



4:日本@名無史さん
22/02/11 00:37:38.73 .net
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる

5:日本@名無史さん
22/02/11 00:37:50.85 .net
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン
URLリンク(i.imgur.com)
熊本も菊池川より北側あたりは女王国に属していたようだ
これは免田式土器の分布とも一致する
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

6:日本@名無史さん
22/02/11 00:38:38.24 .net
◆邪馬台国の場所
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう

7:日本@名無史さん
22/02/11 00:39:03.63 .net
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
URLリンク(wi12000.starfree.jp)
伊都国の主体が海人族の安曇なのだから、伊都国の領域は糸島から博多沿岸部にかけてで、
内陸の農耕国家の奴国(春日市一帯)と分かれていたと考えるべきだろう
では切れ目はどこに?と思うだろう
これを見てほしい
URLリンク(inoues.net)
博多湾周辺の製鉄遺跡の分布だが、今宿から早良一帯にかけて多数あるのに対し、
樋井川を境に分布がぷっつりと切れている
そこから東にある奴国の都とされる春日丘陵一帯には全く存在せず、東区あたりからまたまばらに存在する
樋井川は細く国境としてはいささか心もとないが、樋井川のすぐ東には鴻巣山など中央区~南区の丘陵地帯があり、これが国境を分けたのだろう
ここから読み解けば、樋井川以西は内陸まで伊都国であり、奴国は丘陵を挟んだ東側一帯という分かれ方だったと分かる
また東区に少数とはいえ分布があるということは、やはり博多湾沿岸は伊都国の勢力圏だったということだろう
春日丘陵には多くの青銅器加工遺跡が見つかっているにも関わらず、製鉄遺跡は全然無いというのは特筆するべきことだろう
伊都国は奴国に鉄加工の技術を渡さなかったことになる
鉄は銅より融点が高いため、加工にはより高温の炉が必要となる
海人族の航海術を生かして海外に直接進出していた伊都国のほうが技術力は上だったということだな
青銅の奴国と鉄の伊都国、そんな分かれ方が見て取れる
奴国からも鉄鏃等の鉄器は多数発掘されているので交易により製品は渡っていたが、肝心の加工技術は伊都国が独占していたようだ
これは倭国大乱で争ってからそう時間が経っておらず、大国である奴国を警戒した結果だと考えるのが自然だろう

8:日本@名無史さん
22/02/11 00:39:32.25 .net
考古学的にはどう見ても伊都国は当時の先進国
それは紀元前からの流れ
298 :日本@名無史さん :2020/11/24(火) 22:51:33.01
>>234
>伊都王家なんて幻想。独立した存在ではない
そうやって考古学的事実から逃げるから君は事実に辿り着けない
古代史を考えるときに文献から出発するのは間違いの元
まず考古学的事実を確かめ、それを文献から解釈するようにしないと文献の嘘や誤りに流されるだけ
URLリンク(www.hitachi-metals.co.jp)
> 現在のところ、我が国で見つかった最も古い鉄器は、縄文時代晩期、つまり紀元前3~4世紀のもので、
> 福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧(鍛造品)の頭部です。
> 鉄器が稲作農耕の始まった時期から石器と共用されていたことは、稲作と鉄が大陸からほぼ同時に伝来したことを暗示するものではないでしょうか。
分かるかい?
日本で一番古い鉄器は伊都国から出土してるんだよ
紀元前から鉄を手に入れ、その後も半島航路を牛耳っていた伊都国が畿内の田舎に仕えるなどあり得ないことだ

9:日本@名無史さん
22/02/11 00:39:55.24 .net
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
URLリンク(i.imgur.com)
> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> URLリンク(i.imgur.com)
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

10:日本@名無史さん
22/02/11 00:40:13.85 .net
220 :日本@名無史さん :2020/10/01(木) 00:05:02.26
>>218
事実を述べられるのがよほど都合が悪いようだねキナイコシ君w
まあそれはそうだろう
3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあったのだから
その安曇が卑弥呼の腹心である伊都国の民ならば畿内説は絶望だもんな
でも君の都合で歴史の真実を曲げることはできないんだよ
諦めて現実と向き合いなさい
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)

包囲される奈良盆地の図
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

11:日本@名無史さん
22/02/11 00:40:33.44 .net
九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か
ではその時期はいつか、となると考古学でみるしかない
九州から本州西部への民族大移動の形跡は破鏡の分布の変遷で見ることが出来る
破鏡とは銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に加工したものや紐を通して首から下げるために穿孔したものだが、
弥生後期から古墳時代にかけて出土する
その分布を見ると、卑弥呼のいた弥生後期~終末期とそのすぐ後の古墳時代前期で劇的に変化していることがわかる
図は「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎 より
弥生時代後期~終末期
URLリンク(i.imgur.com)
古墳時代前期
URLリンク(i.imgur.com)
弥生時代には破鏡の分布はほぼ九州の北半分に偏っていて、本州では九州から海人族が進出していた沿岸部に限られているのに対して
古墳時代になると本州西部全域に分布が広がり、逆に九州からは減少している
九州内でも、弥生時代には熊本平野、大分大野川流域に分布していた破鏡が古墳時代になるときれいに消滅している
破鏡は鏡の破片なので支配者層の持ち物ではなく、それよりやや下級の武人等が身につけたと考えられる
弥生時代に熊本平野に破鏡があるのは狗奴国と戦闘していた邪馬台国の兵が身につけていたものだろう
それが古墳時代に無くなり本州西部に移るのは、弥生末に狗奴国が滅びて九州北部を統一した邪馬台国が本州へ東征を行ったことを示している
このことは、3世紀まで鉄器のなかった奈良盆地が4世紀に入った途端に大量の鉄器が出土するようになることとも符合する
考古学的に見て、神武東征の時期は3世紀末~4世紀初頭頃

12:日本@名無史さん
22/02/11 00:40:50.53 .net
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> URLリンク(inoues.net)
> URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ

13:日本@名無史さん
22/02/11 00:41:07.23 .net
淡路島の遺跡は瀬戸内海を支配した北部九州の海人族の遺跡
弥生時代の海の勢力図
URLリンク(www.gondo.com)
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
URLリンク(www.infokkkna.com)
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
URLリンク(sun-tv.co.jp)
> 調査の結果、4棟の工房や20棟の竪穴建物跡が発見され、釣り針などの漁具や小刀を含め、およそ170もの鉄器が出土。
> また、九州産のヤリガンナや山陰地方の土器などが見つかったほか、中国から来たとされる青銅鏡の一部が出てきました。
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ

14:日本@名無史さん
22/02/11 00:41:25.54 .net
136 :日本@名無史さん :2021/01/11(月) 01:47:53.36
>>70
そうではなくて、北部九州の海人族が本州の沿岸部や淡路島にも進出してたってことだよ
絹の話になるが、絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
> (iv)九州から本州への養蚕伝播―
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
つまり弥生期の北部九州には重要技術を独占して自らの優位性を保つという発想が既に存在していたわけで、
まして兵器に使用できて絹より軍事的に重要な鉄加工の技術を他国においそれと渡したと考えるのは難しい
海人族自身が現地に行って鉄加工していた痕跡と見るのが正当だろう

15:日本@名無史さん
22/02/11 00:41:39.78 .net
URLリンク(hero1945.livedoor.biz)
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。
安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

16:日本@名無史さん
22/02/11 00:41:55.15 .net
対馬の霹靂神社には磯武良も祀られている
式内社なので言うまでもなく江戸時代どころの話ではなく、はるか昔から磯武良の呼称は存在する
キナイコシ君がどんなに捏造しても無駄
URLリンク(genbu.net)
> 霹靂神社
> いかづちじんじゃ
> 長崎県対馬市上対馬町大増1073
>
> 式内社 對馬嶋上縣郡 能理刀神社
>
> 御祭神
> 雷大臣 日本大臣 磯武良
> 伊弉諾尊 事解男 速玉男 『大小神社帳』

17:日本@名無史さん
22/02/11 00:42:12.84 .net
鹿島のタケミカヅチは安曇磯良だから九州系
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
URLリンク(www.genbu.net)
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。

古代にも要職にある人物等は事実を知っていたらしく、宮城の磯良神社では坂上田村麻呂が筑前志賀島ではなく常陸国鹿島郡から磯良を勧請している
つまり茨城の鹿島神宮に祀られるタケミカヅチが安曇磯良だと坂上田村麻呂は知っていたわけだ
URLリンク(miyagitabi.com)
<磯良神社の由来>
> 延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
> 古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。

18:日本@名無史さん
22/02/11 00:42:30.85 .net
576 :日本@名無史さん :2021/01/23(土) 19:31:56.74
さて、どうやらこれに対する反論は無いようだな
では皆納得したようなのでテンプレに入れるとしよう
URLリンク(i.imgur.com)

19:日本@名無史さん
22/02/11 00:43:33.98 .net
>>4のデータについて
184 :日本@名無史さん :2021/03/16(火) 23:57:12.76
>>159
>>114で何ら問題無いし、やはり>>4の考古学事実に照らすと筑後山門が妥当だろう
>此れだけ広範囲の調査には、30年100億円規模の調査費が必要だが、どこの公的機関が調査を行ったのか教えてくれないか??
広範囲の調査とか言い出すのはちょっと常識が無さすぎないか?
普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに
ソースはもう>>4で提示されているのだから、ソースのソースがほしければ自分で番組に問い合わせればいいだろう
と言いたいところだがググったら割とすぐそれっぽいのが見つかったから出してやろう
孫引きだが川越哲志氏の「弥生時代の鉄分化」が出所のようだ
URLリンク(pds.exblog.jp)

20:日本@名無史さん
22/02/11 00:44:11.99 .net
テンプレ終わり
以下引き続き議論ドゾ

21:日本@名無史さん
22/02/11 12:14:40.79 .net
>天皇の命により田道間守が非時香菓を求めて遣わされたのが粟なら
>ヤマト王権と秘境粟とはそれまで何の交流も無い
8世紀奈良大和へ避難遷都した阿波人が、ふる里「阿波」の「非時香菓」を求めた。   @阿波

22:日本@名無史さん
22/02/11 12:49:01.84 .net
>>20
スレ違い

23:日本@名無史さん
22/02/11 12:51:02.90 .net
>>18
南側の鉄鏃の出土は、福岡~熊本県境でなく、熊本中部~大分中部を結ぶ豊肥線沿線に集中して帯状に並んでいるわけだが、
この部分の出所が不明で、しかもあちこちの引用先で分布状況が違う。
つまり、最初の頃はほとんどが大分県内に出土の図であったが
なぜか最近は、熊本県の有明海付近まで伸びてきている。どうしたことかな??

24:日本@名無史さん
22/02/11 12:56:30.75 .net
>>22
「倭人(阿波勢力)」が西進した痕跡。   @阿波

25:日本@名無史さん
22/02/11 13:16:06.15 .net
>>22
発掘でデータが増えた。
鉄産出のデータも2000年発表で
古い。刷新しろよ。倭国の乱、魏志倭人伝における
男王たつも収まらず千人余の記載はあるが
久奴国との死傷者数の記載はない、緊張状態であったが
戦いがなかったかもしれない。
免田土器が消え、近畿・東海系の土器が増えだす時期でもある。
日食(皆既ではない)を利用で卑弥呼はおさめたかもしれない。
その時ちょうど、寿命で死んだかもしれない。

26:日本@名無史さん
22/02/11 13:18:16.81 .net
>>24
だから、「倭人(阿波勢力)」が西進した痕跡。   @阿波

27:日本@名無史さん
22/02/11 13:19:01.11 .net
狗奴国との戦いによる死傷者数の記載はないだな。
スマソ

28:日本@名無史さん
22/02/11 13:21:52.05 .net
>>18
>孫引きだが川越哲志氏の「弥生時代の鉄分化」が出所のようだ
これもそうだが、熊本中部~大分中部にかけて並ぶ鉄鏃・石鏃の出土分布というのは、イラストレーターがエイヤッと加筆しているようだが
それにしても菊池川沿いでなく、熊本城下を流れる白川沿い(豊肥線沿線)に見える。
すると、熊本平野(山鹿菊池平野)の8割がたは女王の陣営であったことになる。

29:日本@名無史さん
22/02/11 13:26:39.27 .net
>>27
川越哲志氏 2005年12月08日没

30:日本@名無史さん
22/02/11 13:35:30.28 .net
>4
免田式土器というのは、九州中部に多いとはいえ、ほぼ九州全域から出土している。
これは生活用土器や祭祀用土器でなく、
この地方の土民が、土俗の葬送儀礼として墓にお供えする酒器ないし花瓶のような一種の使い捨て土器だったようだ。
だから、集落・部族・年代によってさまざまな変異があるそうだ。
それを狗奴国一国の国家儀礼に結びつけるのは根拠薄弱・軽挙妄動というほかない。

31:日本@名無史さん
22/02/11 14:36:08.56 .net
狗奴国と邪馬台国がもとは同じ国なら問題ないのでは?
狗奴国とて国境が明確な国だったとは限らない。
もたろん前線でやりあうこともあったかもしれないが、それ以外ではお互いに民間レベルでは普通に交流していたのだろう。

32:日本@名無史さん
22/02/11 14:53:36.15 .net
>>29
葬送儀礼が共通なのはマツリゴトが一緒だからだろ

33:日本@名無史さん
22/02/11 15:31:46.29 .net
倭人の風習である卜骨が出ない非倭人の土器だろ

34:日本@名無史さん
22/02/11 15:36:49.71 .net
>>22
>この部分の出所が不明で、しかもあちこちの引用先で分布状況が違う。
ソースは?

35:日本@名無史さん
22/02/11 15:39:40.73 .net
>>27
>これもそうだが、熊本中部~大分中部にかけて並ぶ鉄鏃・石鏃の出土分布というのは、イラストレーターがエイヤッと加筆しているようだが
根拠はどこ?
>それにしても菊池川沿いでなく、熊本城下を流れる白川沿い(豊肥線沿線)に見える。
鉄は当時国産されていないから鉄鏃を持っていたのは北の邪馬台国側
南征の痕跡ということだね

36:日本@名無史さん
22/02/11 15:42:07.78 .net
>>30
邪馬台国も狗奴国も長期にわたって領土区画が不変だったわけではなかろ。
狗奴国は元は広かったかもしれないが、
倭国の大乱で卑弥呼側が優勢に立った(勝利した)のだから、当然卑弥呼側が領土を広げ 狗奴国は追っ払われ縮小されたであろう。
卑弥呼が死んで叉争いになった時も、女王側が優勢に立ったので、更に領土は広がったであろう。
肝心なのは、三世紀卑弥呼優勢の時代にどのような領土区割りだったかということだが、
鉄鏃の分布は激しい戦乱の最前線(つまり関ケ原)を物語っているだけで、
其のいくさの結果、領土がどう配分されたかは語ってくれない。
免田式土器も然りだ。。

37:日本@名無史さん
22/02/11 15:43:21.02 .net
>>29
>免田式土器というのは、九州中部に多いとはいえ、ほぼ九州全域から出土している。
数の差を無視するのはただの詭弁でしかない
>>4の図を見れば分かるが、菊池川以北では散発的にしか出土しないが
それより南の地域ではまとまって出土しクラスターを形成している
このクラスターがある地域が免田式土器を生産していた地域であり、散発的に出土する他地域は
交易であったり、敵対していたことを考えれば略奪などによって移動した結果と考えるのが自然

38:日本@名無史さん
22/02/11 15:45:32.09 .net
>>35
免田式土器は3世紀の卑弥呼あたりの時期が最盛期だけどその後古墳時代に入ると突然消失する
関ヶ原の結果狗奴国が滅ぼされたと考えるべきだろう
その結果九州の大半が平定されて東征が可能になったというのが>>10へ繋がっていく

39:日本@名無史さん
22/02/11 15:56:54.29 .net
免田式土器の中心は、益城郡嘉島町の二子塚遺跡と熊本市城南町の宮地遺跡
熊本県下でもっとも早く前方後円墳が造られるのは、その南側の宇土半島基部

40:日本@名無史さん
22/02/11 16:01:00.27 .net
>>30
>狗奴国と邪馬台国がもとは同じ国なら問題ないのでは?
「阿波」の南部と北部だよ。   @阿波

41:日本@名無史さん
22/02/11 16:04:09.91 .net
九州系の土器出土が皆無
東遷も東征の証拠は何?

42:日本@名無史さん
22/02/11 16:05:49.36 .net
>>37
そういうことだ。
だから其の関ケ原がいつだったのかということなのだ。
倭国大乱の時であれば、それによって熊本平野の大半は卑弥呼側の領土になり、
狗奴国は球磨平野へ遁走したことになる。
そうでなくて、卑弥呼死後の男王の内乱時に関ケ原が有ったのなら、臺与の時代に球磨平野へ逃亡したことになる。

43:日本@名無史さん
22/02/11 16:05:58.76 .net
熊本最大の古墳群は、熊本市南区城南町の塚原古墳群(4〜6世紀)

44:日本@名無史さん
22/02/11 16:08:56.26 .net
>>38
那珂八万とか古い部類の前方後円墳に
ほとんど二重口緑壺(近畿・東海系) が出土。

45:日本@名無史さん
22/02/11 16:12:36.06 .net
>>41
倭国大乱はまだ2世紀だから違うよ
その頃はまだ免田式土器が盛んに作られていた頃だ
免田式土器の消失時期が卑弥呼以降ということは台与のころに南征して
九州の北半分を平定した邪馬台国が>>10の示すように東征したわけだ
これは鉄貧乏だった畿内から4世紀になると突然鉄器が大量に出土するようになることとも一致する

46:日本@名無史さん
22/02/11 16:14:18.54 .net
>>40
証拠は>>10
あと大和地方の支配者が九州人
52 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 23:35:53.59 ID:S6NUiggJ0
だがどんなに隠しても痕跡は残る
大和地方の長官である倭国造が北部九州の海人族安曇と同族であることもその一つ
もし大和朝廷が在地の豪族から発展したのであれば九州のよそ者を地元の長官になど就かせないよな
倭国造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は、後世の大倭国(大和国)中央部にあたる領域を支配した国造。
>
> 氏族
> 倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。
> 天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。
> その遠祖・椎根津彦は綿積豊玉彦命の曾孫とされ、一族は神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる海人族の一族。

47:日本@名無史さん
22/02/11 16:18:04.80 .net
古墳時代前期の九州の状況は、
まず博多に畿内と同じ前方後円墳が造られ、
4世紀初には九州東部(豊前、日向)に100m超の前方後円墳が造られ、
一番遅い有明海沿岸地域は南側から前方後円墳が造られる
つまり偽装アサリ販売民族包囲網

48:日本@名無史さん
22/02/11 16:20:45.13 .net
狗奴国と邪馬台国が同祖なら、互いに滅ぼすほどの戦いはしなかっただろう。
古墳時代の変化は、壹與より後の時代の変化だね。

49:日本@名無史さん
22/02/11 16:23:31.92 .net
>>41
>熊本平野の大半は卑弥呼側の領土になり、狗奴国は球磨平野へ遁走したことになる。
碌な弥生集落遺跡や資源の無い九州に、「邪馬臺国」や「狗奴国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波   

50:日本@名無史さん
22/02/11 16:24:41.20 .net
>>44
倭国大乱はまだ2世紀だから違うよ・・、といっても、
180-190年頃で、そのすぐ後に卑弥呼は共立されている。隣り合わせだよ。
なお免田式土器は、土民の風習であるから、支配者が変わっても急になくなるわけではない。
つまり、我が家の葬式のカタチと天皇家の葬送儀礼とは全く違うように、
伝来の弥生土俗と、新規渡来種族で鬼道を信仰する邪馬台国系の支配者層の葬送儀礼とは、全く別物と考えるべきなのだ。

51:日本@名無史さん
22/02/11 16:31:59.43 .net
>>47
和睦説も可能性としてはあり得るけど
免田式土器が突然消失したという事実から考えると滅ぼされたと考えたほうが自然だろう

52:日本@名無史さん
22/02/11 16:35:46.90 .net
>>49
いやだから免田式土器が消えるのは古墳時代だから3世紀も末くらい
倭国大乱の100年後だよ
>なお免田式土器は、土民の風習であるから、支配者が変わっても急になくなるわけではない。
当時の倭に兵と民の明確な区別があったという前提がないとそれは成り立たない
突然消失したことを考えると区別せず住民ごと滅ぼされたと見たほうが自然だろう
ただこれは北部九州と平地で繋がる熊本平野南部の話で
山に囲まれて球磨川を遡上する以外に進入路の無い人吉盆地には狗奴国の残党が残った可能性はある
それが熊襲なんじゃないかな

53:日本@名無史さん
22/02/11 17:06:10.61 .net
単に洪水地帯の熊本平野と筑後平野は倭国に編入されるのが遅かっただけだろう
つまり、不要だったということ

54:日本@名無史さん
22/02/11 18:24:28.54 .net
>>49
なるほどね。
>>50
滅ぼされたら魏志倭人伝に記載すると思うが
武力以外で屈服させる。鬼道で日食起こる日


55:がわかっており 日食を利用したかもしれない。死亡も同時期で神がかり的である 皆既日食ではないことは確か。 247年3月頃、その後に張政らが来日。 卑弥呼・壱与は九州にいた。 共立で復興、開拓地で宗教地の近畿から 九州に定住、支配する力などまだ 邪馬台国にはないけどな。



56:日本@名無史さん
22/02/11 19:29:30.18 .net
>>51
>いやだから免田式土器が消えるのは古墳時代だから3世紀も末くらい
それで「免田式土器が消えるのは3世紀末」というのは、何によって証明されたのか。
もっと言えば、免田式土器の始まりと終わりの時代/年代は、何によって証明されたのか。

57:日本@名無史さん
22/02/11 20:31:10.64 .net
少なくとも、3世紀末なら卑弥呼は関係なくなる。

58:日本@名無史さん
22/02/12 05:19:11.33 .net
>>53
>>滅ぼされたら魏志倭人伝に記載すると思う
勝敗については書いていない
ここは同感だな。
卑弥呼と共立の際、祭祀方法の
反対派だったかもしれない。

59:日本@名無史さん
22/02/12 08:42:41.94 .net
>>56
なかなか紳士的な見方だねえ
倭人伝のかきかたからして、たぶん、先住民族であった弥生人/縄文人を、
帯方郡庇護下の渡来種族が、最新技術のハガネ鉄武力で追っ払って、熊本県南部の球磨郡一帯にとじ込めたんだと思うよ。
つまり「素より不和」とは、彌生系先住民族だったということ。
但し、球磨郡の土族(狗奴族≒久米族=コマヒト)は、神武の東征に随伴したという。
またその南の隼人族(縄文族)も、5世紀ごろまでには朝廷に服したという。

60:日本@名無史さん
22/02/12 09:08:58.91 .net
肥国は皆コマヒト=異人だよ

61:日本@名無史さん
22/02/12 09:58:47.26 .net
コマヒト=異人は、球磨郡の住民限定だよ

62:日本@名無史さん
22/02/12 10:39:28.64 .net
九州系の土器などの埋葬物がないんだよな
東征、東遷の証拠が見つからない

63:日本@名無史さん
22/02/12 11:05:55.63 .net
>>59
それは各国に国府が設置された後の認識
4世紀末まで肥後北部は頭蓋顔面を変形させて虫を食べていた

64:日本@名無史さん
22/02/12 11:08:42.15 .net
>>57
>つまり「素より不和」とは、彌生系先住民族だったということ。
狗奴国の王の名が卑弥呼に似ていること、菊池彦の名も日本語で解釈可能なことから考えるに、狗奴国はそもそも同族だろう。
もとより不和とは、即位をめぐる御家騒動のようなものを考えている。
>但し、球磨郡の土族(狗奴族≒久米族=コマヒト)は、神武の東征に随伴したという。
大久米命は、腹心の部下だよね。

65:日本@名無史さん
22/02/12 11:11:10.65 .net
肥人→高麗盗人→少女輸出販売→ねずみ講→サリンテロ→アサリ偽装

66:日本@名無史さん
22/02/12 11:30:51.42 .net
こま‐ひと【肥人】
1.奈良時代、南九州地方(鹿児島県)に住んでいたといわれる異種族視された集団。
 ※続日本紀‐文武四年(700)六月庚辰「従二肥人等一持レ兵剽二劫覔国使刑部真木等一」
 ※万葉(8C後)一一・二四九六「肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結へる染木綿(しめゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや」
2.熊本県球磨(くま)地方にいたという「くまびと」の変化した語ともいう。
3.古代、肥後国球磨くま地方に住んでいたといわれる人。

67:日本@名無史さん
22/02/12 11:54:04.79 .net
天津久米命のモデルが難升米だな。

68:日本@名無史さん
22/02/12 12:16:20.17 .net
おっ、お詳しいですね!

69:日本@名無史さん
22/02/12 12:55:44.22 .net
肥人の国だから肥国

70:日本@名無史さん
22/02/12 13:22:14.56 .net
天忍日命のモデルが都市牛利だな

71:日本@名無史さん
22/02/12 19:10:27.25 .net
>奈良開拓の前に
>兵庫県、大阪府、京都府を整備している。
奈良盆地は畿内で最後の開拓地だ。 なんせ、湿地帯だからな。 
さすがの「倭人(阿波勢力)」も敬遠する悪地だ。   @阿波

72:日本@名無史さん
22/02/12 20:01:15.80 .net
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。
「弥生人にとって、阿波はまさにパラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。  @阿波

73:太国
22/02/12 20:21:00.20 .net
阿波じゃあ大陸まで遠すぎて卑弥呼の情報が届きっこねえ。
九州はずっと大陸に近い。当然大陸に卑弥呼の情報が届くのは当然。だから
大陸の倭人伝に女王の情報が載せられたのだ。つまり女王国は九州で決まり。

74:日本@名無史さん
22/02/12 21:59:28.25 .net
>>53
狗奴国が滅びたのは魏志倭人伝よりも後だから載るわけがない

75:日本@名無史さん
22/02/12 22:00:54.89 .net
>>54
URLリンク(sitereports.nabunken.go.jp)
>免田式土器もまた同様でした。弥生時代の終末で姿を消してしまうのです。

76:日本@名無史さん
22/02/12 22:03:02.48 .net
>>60
>>10のとおり証拠は見つかっている
土を捏ねて土器を焼くのは下層民の仕事だから支配階級の九州勢はやらなかったのだろう

77:日本@名無史さん
22/02/13 02:00:14.68 .net
>>71
別に卑弥呼が九州にいれば済む
共立なんだし遠方の近畿
邪馬台国にいる必要性はない。

78:日本@名無史さん
22/02/13 02:05:49.05 .net
3世紀前半に土を捏ねて土器を焼く博多の下層民が畿内の土器を模倣制作して成立したのが筑前型庄内甕

79:日本@名無史さん
22/02/13 02:19:30.77 .net
3世紀半ばに土を捏ねて土器を焼く博多の下層民が畿内の土器を模倣制作して成立したのが北部九州型布留甕

80:日本@名無史さん
22/02/13 02:40:10.59 .net
>>10
先に卑弥呼がいる九州から始まっただけで
邪馬台国から始まった証拠にならない。

81:日本@名無史さん
22/02/13 07:49:42.21 .net
>>76
>下層民が畿内の土器を
「倭人(阿波勢力)」の土器だ。   @阿波

82:日本@名無史さん
22/02/13 07:55:15.97 .net
>>75
近畿を絡める必要すらない。

83:日本@名無史さん
22/02/13 09:50:00.74 .net
阿波市阿波町「賀茂神社」の御祭神は桃!? 全国で唯一「意富加牟積命」をお祀りする神社
祭神:意富加牟積命は古事記に登場する桃の実。
黄泉の国から逃げ帰るとき、襲い掛かる「八柱の雷神」から
伊邪那岐命を助けたことから、厄除けの神として信仰されています。
そのすぐ近くに、「伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせた菊理媛神を祀る阿波」
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
「阿波誌」に、「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。
菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とある。
なんと、伊奘諾尊と伊弉冉尊が泉平坂で相争ったとき、二人を仲裁した菊理媛神(くくりひめのかみ)が、
阿波市阿波町で祀られているのである。   
国生み神話の舞台はまさに「阿波」。   @阿波

84:日本@名無史さん
22/02/13 10:02:21.46 .net
阿波町周辺が国生み神話の舞台であることからも、
オノコロ島は、忌部の郷 吉野川中流域に出来た大砂洲 「粟島」だろう。
「こをろこをろとかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって


85:島となった」 吉野川の洪水で、川底が「こをろこをろ」とかき回され、砂が積もり重なって砂洲「粟島」がオノコロ島となったのだろう。 淡路の沼島では、「積り重なって」が説明できない。   @阿波



86:日本@名無史さん
22/02/13 10:31:09.26 .net
孀婦岩だろうな。

87:日本@名無史さん
22/02/13 10:50:43.48 .net
>孝霊天皇は畿内の磯城に基盤のある王なのは明白だぞ。
「孝霊天皇」も皇女の「倭迹迹日百襲姫命」も、徳島市国府町が出身地盤。   @阿波

88:日本@名無史さん
22/02/13 10:51:19.32 .net
倭迹迹日百襲姫命の父にあたる第七代孝霊天皇の陵墓と黒田廬戸宮跡は、
旧黒田村であった徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり。
百襲姫の弟君にあたる日子刺肩別命は、蔵殊院から東に5km隔てた
徳島市不動町の式内社「天佐自能和気神社」で祀られている。
王族らによる阿波(倭)から讃岐(山背・難波)への進出は、孝霊天皇の御子時代から盛んになり、
第十五代応神天皇の御宇に至って、ついに香川県さぬき市津田の「前期難波宮」に皇居を営むことになる。   @阿波

89:日本@名無史さん
22/02/13 12:39:08.41 .net
忌部氏の祖は、岩戸隠れの際に天児屋命とともに太占(鹿占)を行った天太玉命
蘇我氏の管轄下で忌部氏が経営していたのが橿原の曽我玉造遺跡
なので忌部氏は卜骨と玉作の出雲系
天太玉命に従う天日鷲に開拓させて粟、麻を植えたのが阿波

90:日本@名無史さん
22/02/13 13:04:24.93 .net
>>86
その「天太玉命」も「倭人(阿波勢力)」。   @阿波

91:日本@名無史さん
22/02/13 13:10:27.22 .net
粟は出雲系の忌部氏の奴婢

92:日本@名無史さん
22/02/13 13:10:43.26 .net
張琪瑛 †
>五斗米道の教祖・張魯の娘で名が明らかになっている人物。出典は彼女自身の墓所。
21-22歳で無名のまま死んだとされるが、それにしては墓が立派過ぎる。
実は幼女のころから五斗米道に通じており、秘かに渡来して鬼道の女王(卑弥呼)に担ぎ上げられたというウワサがある。

93:日本@名無史さん
22/02/13 13:21:27.58 .net
>>88
もちろん、出雲忌部も「倭人(阿波勢力)」。   @阿波

94:日本@名無史さん
22/02/13 13:35:29.74 .net
古代阿波は「鉄器王国」でもあり、「水銀朱王国」でもあり、「玉造り王国」でもあり、「古墳造営王国」でもある。
古代阿波は、日本列島唯一の超先進技術文化国であった。   @阿波

95:日本@名無史さん
22/02/13 13:41:50.69 .net
流刑地粟には硬玉を加工する技術も、卜骨の出土も無い

96:日本@名無史さん
22/02/13 13:43:04.60 .net
>>92
硬玉を加工する技術を持つのは「倭人(阿波勢力)」だけ。   @阿波

97:日本@名無史さん
22/02/13 13:44:28.67 .net
粟には無い

98:日本@名無史さん
22/02/13 14:18:05.77 .net
誰も倭人伝を読まないスレ

99:日本@名無史さん
22/02/13 14:31:00.16 .net
「魏志倭人伝」の記述により、
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」   @阿波

100:太国
22/02/13 14:36:22.27 .net
軽く動く。
URLリンク(trekgeo.net)

101:日本@名無史さん
22/02/13 14:57:23.24 .net
>倭迹迹日百襲姫命は水主神社より以前はどちらにいらしたですか
旧黒田村であった徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり。    @阿波

102:太国
22/02/13 15:01:13.78 .net
阿波から遠すぎて大陸には卑弥呼の情報は届かない。
阿波にえらく近い畿内に卑弥呼の情報が阿波にいたという記紀の文は無い。
阿波に卑弥呼がいない地理的物理的合理的根拠なのさ。

103:日本@名無史さん
22/02/13 15:07:43.84 .net
「出真珠青玉」→「貢白珠五千孔 青大句珠二枚」や「國出鐵」→「供給二郡」が採掘して製品化している場合
「其山有丹 其木有~」は特定の山ではなく、倭地の山々に有


104:るということ



105:日本@名無史さん
22/02/13 15:10:19.72 .net
>>100
「其山有丹」が無いところは、倭地じゃないってことだな。  わははははは   @阿波

106:日本@名無史さん
22/02/13 15:12:13.58 .net
倭地の山には、丹が有る山もあり、丹が無い山もある

107:太国
22/02/13 15:15:27.81 .net
記紀に畿内に近い阿波に女王がいたという情報はゼロ。ww
いたなら記紀にその記述が必ずある。
ところが無い。女王が阿波にいない決定的根拠。pp

108:日本@名無史さん
22/02/13 15:16:05.33 .net
>>102
少なくとも、「其山有丹」のある所は絶対に「倭地」である。   @阿波

109:日本@名無史さん
22/02/13 15:19:06.55 .net
北海道にも丹が有る山は多いが、倭地ではないので
ある所は絶対に「倭地」であるとは限らない

110:日本@名無史さん
22/02/13 15:21:12.51 .net
>>105
>北海道にも丹が有る山は多いが、
採掘していなければ、只の山。  採掘しているからこそ「其山有丹」。   @阿波

111:日本@名無史さん
22/02/13 15:28:24.53 .net
>>106
>>100

112:日本@名無史さん
22/02/13 15:38:32.72 .net
>>100
「其山有丹」が無いところは、倭地じゃないってことだな。  わははははは   
少なくとも、「其山有丹」のある所は絶対に「倭地」である。   @阿波

113:日本@名無史さん
22/02/13 15:47:07.42 .net
>>100
魏志倭人伝を正しく読む
其四年 倭王復遣使 大夫伊聲耆掖邪拘等八人 上献生口倭錦絳青縑緜衣帛布 丹 木拊短弓矢
献上しているけど? 近畿説

114:日本@名無史さん
22/02/13 15:51:45.49 .net
>>109
献上できたのは、「其山有丹」の「阿波」だけ。   @阿波

115:日本@名無史さん
22/02/13 16:03:03.82 .net
>>100
倭錦絳青縑緜衣帛布
絹生産はまだ始まったばかりで
献上品としてまでは発達していない。

116:日本@名無史さん
22/02/13 16:12:13.16 .net
>>74
なんら、邪馬台国が九州にある根拠にならず
北九州から破鏡があったに過ぎない。
下級の武人等が身につけたと考えられる
また生死での離別、離れて暮らすことになった夫婦や家族
が、鏡を割ってそれぞれの一片を持ち、愛情のあかしとかも考えられる。

117:太国
22/02/13 16:15:07.39 .net
>>110
女王が畿内へ丹献上の記事は記紀にねえのか?ww

118:日本@名無史さん
22/02/13 16:23:42.81 .net
倭国登場人物
難升米 都市牛利 伊聲耆 掖邪拘
天津久米命のモデルが難升米
天忍日命のモデルが都市牛利とか
記紀でモデルとなった人物がいるかもしれない

119:日本@名無史さん
22/02/13 16:32:42.80 .net
>>114
の続き、丹があるので近畿も絡む。
倭錦て和邇氏と関連。
綿津見神(海神・綿津見)

120:日本@名無史さん
22/02/13 16:34:57.24 .net
>>114
うざいから根拠のない妄想はやめてほしい。

121:日本@名無史さん
22/02/13 16:42:57.97 .net
続き
景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻
太守劉夏遣吏将送詣京都 其年十二月
紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤
実際の下賜品
正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拝暇倭王
并齎詔 賜金帛錦罽刀鏡采物
真珠、鉛丹各五十斤はなかったかもな。

122:日本@名無史さん
22/02/13 16:45:10.48 .net
>>116
意味不明?
記紀は魏志倭人伝も参考にして書いたかもしれない。
君の所も根拠がない。

123:日本@名無史さん
22/02/13 16:47:17.48 .net
>>116
スレ
魏志倭人伝を正しく読む なんだけど

124:日本@名無史さん
22/02/13 17:07:58.47 .net
>>119
魏志倭人伝を正しく読と、「阿波」なんだけど。   @阿波

125:太国
22/02/13 17:39:35.90 .net
〇魏志倭人伝を正しく読むと、「九州」なんだけど。   @阿電波

126:日本@名無史さん
22/02/13 17:43:26.94 .net
>>121
「九州」のどこだ?  大雑把過ぎ!  さすがトンデモ九州だな。  わははははは   @阿波

127:日本@名無史さん
22/02/13 17:46:20.20 .net
>>119
正しく読まずに憶測を書き連ねているだけ。

128:太国
22/02/13 17:59:39.58 .net
>>122
オマエのいう阿波じゃあ卑弥呼の情報が大陸には届かない。
それと大陸へ伝書鳩か狼煙でも使ったというのか?
ならば根拠を出してみい。
オマエ数学もできねえのか?
集合論を知らんのか?pp ハハハ・・・・・
いいか、数学でいえば九州の範囲が 0≦x≦9 とすれば、
おおざっぱでもこの範囲ならどこでも九州だ。範囲にはいってればOKさ。
ちまり大雑把でも不等式は揺るぎはないんだぜ。
四国が -4≦x≦0 だとして、オマエのいうおおざっぱでも -4≦x≦0
は 0≦x≦9 に入らず成立しないのさ。
大雑把といってゴマ化すなよ。うんとなけ。 わははははははは @太国

129:日本@名無史さん
22/02/13 18:02:33.78 .net
正しくよんでいない人

130:太国
22/02/13 18:05:33.84 .net
×ちまり
〇つまり

131:日本@名無史さん
22/02/13 19:10:59.64 .net
姉が、「夜麻登々母々曾毘売命」
弟が、四道将軍の一人 「大吉備津彦命」
式内社 阿波國名方郡 「天佐自能和氣神社(あまさしのわけじんじゃ)」
御祭神  「日子刺肩別尊」・「意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命」・「神皇産霊尊」・「高皇産霊尊」
日子刺肩別尊の母である意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、
日子刺肩別尊は、その第二子。   @阿波

132:日本@名無史さん
22/02/13 22:55:21.46 .net
>>109
それは区切りが間違っている
【拊】とは器具の握りの部分の意味なので「木拊」(木製のグリップ)だけでは意味が通らない
URLリンク(www.zdic.net)
>3 器物的柄。
>英 slap; pat; tap; handle of a vessel
では「木拊短弓」なのか、というとこれでも意味が通らない
当時の弓は基本的に全部木製でありグリップだけ木製ということはないからだ
これは「丹木拊短弓」でなければ意味が通らないのである
この場合2通りの意味に取れる
丹を形容詞の「色が赤い」という意味にとれば丹木つまり赤い木でグリップを作った短弓となるし、
動詞の「赤く塗る」という意味に取ればグリップの部分を赤く塗った木製の短弓という意味になる
URLリンク(www.zdic.net)
◎ 丹 dān
〈形〉
(1) 紅色,赤色 [red]
染羽以朱湛丹秫。―《周礼·考工記》
〈動〉
(1) 涂染成紅色 [redden]
殺卒四万,血丹野。―《新唐書》
日本では世界最古の漆製品が出土していて、縄文時代から赤漆を使用していることが分かっているので、
おそらく握りの部分を赤漆で美しく塗り上げた弓であったのだろう
木に漆を塗ることは防腐効果や滑り止め効果、ささくれ防止の効果などがあり、グリップに塗るにはピッタリの素材である

133:日本@名無史さん
22/02/13 23:00:04.18 .net
>>112
弥生時代に北部九州と海人族の進出地にしかなかった破鏡が古墳時代に入ると西日本全体に拡大する
それだけなら文化の伝播でも説明できるが、北部九州の出土量が減ることの説明がつくのは
大規模な人の移動以外にない
東征の重大な証拠といえる

134:日本@名無史さん
22/02/14 01:57:35.17 .net
>>128
魏志倭人伝に「木弓短下長上」あります。
なので「短弓」
同じく他人就歌舞飲酒あります。
同様に丹木拊(搏拊) 叩く楽器では?
同じく以朱丹塗其身體
「塗」の字があります。
「丹塗」とないので別と考えられます。
ここの箇所も解釈がいろいろあります。
丹 木拊短弓矢もあり。

丹木 拊短弓矢もあり
丹木という薬ではないかという説もあります。
萬金丹、丹参、木鶏丹(清王朝)仁丹

135:日本@名無史さん
22/02/14 03:17:44.05 .net
>>130
短弓では無い
こういう下が短くて上が長い弓の事、書いてる事を無視するな
URLリンク(light.dotup.org)

136:日本@名無史さん
22/02/14 06:58:25.40 .net
>>129
>弥生時代に北部九州と海人族の進出地にしかなかった破鏡が古墳時代に入ると西日本全体に拡大する
間違い。 とっくに「阿波」にある。   @阿波
URLリンク(tokudaimaibun.jp)

137:日本@名無史さん
22/02/14 07:14:22.81 .net
>>131
無視はしていないよ
帛布丹木拊短弓矢しか書いていない。
「木弓短下長上」を
説明と取るか
二種類あると取るかの違いだな。
「書き足すなよ」になるよ。

138:日本@名無史さん
22/02/14 07:16:47.46 .net
>>129
文化が廃れただけでも
説明が付くけどね

139:日本@名無史さん
22/02/14 07:44:34.68 .net
>>133
>「木弓短下長上」を>
>説明と取るか
>二種類あると取るかの違いだな。
弓の技術に詳しい者ならば、そんな下手な解釈にはならぬな。
短下長上の木弓は持ち運びに便利、使いやすくて、命中率が高く、威力もある大発明・最新型の弓なのだ。

140:日本@名無史さん
22/02/14 07:50:57.34 .net
>>135
追加:狗奴国男王の名は、「卑弥弓呼」で弓の字が入っているが、
それはこの短下長上の木弓が、狗奴国発明の独特の強力な武器だったからだろう。

141:日本@名無史さん
22/02/14 08:32:52.17 .net
>>129
そうやって考古学的な話と「海人族」なんてワードを混ぜちゃうから、結局弥生時代に大阪神戸から横浜まで「海人族」がいたことになり、「東征」なんて概念も崩れちゃう

142:日本@名無史さん
22/02/14 09:00:02.96 .net
>>137
なるほどね、海人族なら海あっての種族だ。
陸上は得意ではなかったであろう。文字通り陸に上がったカッパ族(笑、

143:日本@名無史さん
22/02/14 09:13:16.58 .net
>>138
>陸上は得意ではなかったであろう。
陸に上がって、舟形埴輪を置いた。   @阿波

144:太国
22/02/14 10:06:07.90 .net
阿電波よ
今日は火星あたりからピピピビビビビ・・・・とデンパが飛んできて
着信してるか?
                                わはははははは @太国

145:日本@名無史さん
22/02/14 10:20:32.10 .net
>>130
「塗」の字があります。
「丹塗」とないので別と考えられます。
また漆なら漆と記載すると思う
なので
丹 木拊短弓矢(135と同じ解釈)としたのだがな
しかし、
丹木拊(搏拊)叩く楽器とか
丹木(薬)長寿の卑弥呼が魏に贈りそうだな。
参考になった。あんがとさん

146:日本@名無史さん
22/02/14 10:28:32.25 .net
司馬懿が強力な武器に興味があったと思うが
採用されなかったのは、誰でも簡単な訓練で、使えるものではなかったかもな。

147:日本@名無史さん
22/02/14 10:44:22.59 .net
日本より短弓の中国が短弓と書いてるから日本では小弓
梓弓
URLリンク(kotobank.jp)

148:日本@名無史さん
22/02/14 10:55:56.14 .net
丹木=木名、紅樹
URLリンク(dictionary.onlinecha.com)

149:日本@名無史さん
22/02/14 11:46:25.37 .net
神事、薬というのもありうるて事だな。
紅樹
① 紅葉した樹木。もみじ。紅葉。《季・秋》
※菅家文草(900頃)一・秋日山行二十韻「白雲何澗口、紅樹幾巖腰」
② 春、赤い花が咲いている樹木。花の盛りの樹木。
※雑言奉和(10C初か)奉和聖製江上落花詞〈紀御依〉「紅樹千条一段発。儵忽飄零樹与レ叢」
③ オヒルギ、メヒルギなどマングローブを形成する常緑樹の総称。

150:日本@名無史さん
22/02/14 14:54:38.68 .net
>>137
海人族の東征が何度もあったでいいのではないか。

151:日本@名無史さん
22/02/14 14:56:30.77 .net
>>136
>それはこの短下長上の木弓が、狗奴国発明の独特の強力な武器だったからだろう。
倭国(邪馬台国)の説明で出てくるので、この説明はおかしい。

152:日本@名無史さん
22/02/14 16:27:43.65 .net
唐古鍵
URLリンク(www.town.tawaramoto.nara.jp)
小松市八日市
URLリンク(www.city.komatsu.lg.jp)

153:日本@名無史さん
22/02/14 16:32:37.23 .net
東征でなくて、略奪の部類だろ。

154:日本@名無史さん
22/02/14 16:34:06.47 .net
それも無理
九州人外出しねーじゃん

155:日本@名無史さん
22/02/14 16:40:57.51 .net
或いは天災
台風 火山噴火で移動とか?

156:日本@名無史さん
22/02/14 18:51:52.44 .net
>>147
狗奴国も倭国だが

157:日本@名無史さん
22/02/14 19:25:46.11 .net
>>147
其地
無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃
この文節は「其地」で始まる。
ここで「其」とは、倭人(標題の倭人条に由来する倭人)であるので。
倭人の住む地においては・・・、という意味であり、30国+狗奴国の地誌一般を記述している。

158:日本@名無史さん
22/02/14 22:09:43.49 .net
>>130
>魏志倭人伝に「木弓短下長上」あります。
それは木弓 短下 長上
意味は>>131の説明のとおりだね
>同じく以朱丹塗其身體「塗」の字があります。
それは朱丹を塗るという文だからね
でも>>128に引用したように丹には赤くペイントするという意味もある
>丹 木拊短弓矢もあり
だからそれは無いってば
グリップだけ木で作る弓なんて当時無いし、ただの木製の弓では
みすぼらし過ぎて皇帝への献上品たり得ない
美しく赤く塗られているからこそ献上品になるんだよ

159:日本@名無史さん
22/02/14 22:11:42.79 .net
>>137
海人族は当時奈良盆地を取り囲むように進出していたよ
ただ山に囲まれた盆地内には入り込めていなかった
だから大阪湾の沿岸部には3世紀にはもう鉄器があるが盆地内には無い
220 :日本@名無史さん :2020/10/01(木) 00:05:02.26
>>218
事実を述べられるのがよほど都合が悪いようだねキナイコシ君w
まあそれはそうだろう
3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあったのだから
その安曇が卑弥呼の腹心である伊都国の民ならば畿内説は絶望だもんな
でも君の都合で歴史の真実を曲げることはできないんだよ
諦めて現実と向き合いなさい
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)

包囲される奈良盆地の図
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)


160:atu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg



161:日本@名無史さん
22/02/15 00:35:10.93 .net
>>154
仮想、拡大解釈だ。
丹を形容詞の「色が赤い」という意味にとらなければ
ペイントするという意味がない。
「塗」「染」を使っているところと
使っていない所の区別している。
ただの木製の弓ではなく、倭独自性での献上品

162:日本@名無史さん
22/02/15 00:40:48.17 .net
>>155
包囲?
掘っても土木工事跡みたいなもんばかり
可7万戸と見積もった開拓地
邪馬台国の一部

163:日本@名無史さん
22/02/15 00:55:51.68 .net
邪馬台国は倭国の中心国でもないし
開拓中の後進で宗教地。女王の都とする所であって
倭国の都ではない。使者が行く必要もない所。
なので情報不足の水行になる。

164:日本@名無史さん
22/02/15 00:57:08.15 .net
開拓中の後進国で宗教地だな

165:日本@名無史さん
22/02/15 07:54:42.12 .net
>>155
包囲される奈良盆地の図
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
「倭人(阿波勢力)」の進出地だな。   @阿波

166:太国
22/02/15 08:32:30.89 .net
はは、下っ端でな。ww

167:日本@名無史さん
22/02/15 09:37:57.92 .net
丸木舟の出土は関東(千葉)がもっとも多い
次いで近江、山陰北陸
藻塩焼き(製塩土器)も関東(茨城)がもっとも早い

168:日本@名無史さん
22/02/15 09:48:16.72 .net
>>162
>丸木舟の出土は関東(千葉)がもっとも多い
そりゃ、「阿波」を発った関東忌部なんだから。   @阿波

169:日本@名無史さん
22/02/15 10:55:02.20 .net
日本で最古の麻の使用例は、
縄文時代早期(1万2000年前)の鳥浜貝塚遺跡(福井県三方町)で出土した大麻製の縄

170:太国
22/02/15 11:01:30.65 .net
大島 大多麻流別

171:日本@名無史さん
22/02/15 11:04:08.82 .net
「現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている」
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う
御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 
南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。
このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

172:日本@名無史さん
22/02/15 11:06:37.13 .net
>>158
くだらん言い訳に終始するキナイコシは情け無い

173:日本@名無史さん
22/02/15 11:08:08.28 .net
>>167
それ、byだろ?   @阿波

174:日本@名無史さん
22/02/15 12:22:45.53 .net
もう畿内で確定じゃん

175:日本@名無史さん
22/02/15 12:24:00.66 .net
天皇即位の践祚大嘗祭で天皇が着る繪服が絹織物、麁服が麻織物
麁服が喪、繪服が喪明け

176:日本@名無史さん
22/02/15 12:37:07.27 .net
斬衰
中国の喪服の一つ。また、その衣装をつけて喪に服すること。
五服の中で最も重いもので、粗い麻布を用い、下辺は裁ったままにしてふち縫いしない裳(も)と上衣。
天子や父の死で三年


177:の喪に服するのに着用する。 https://kotobank.jp/word/%E6%96%AC%E8%A1%B0-1326570



178:日本@名無史さん
22/02/15 12:54:01.83 .net
畿内神話の時代は4世紀だろうな
孝霊厨も大国も、それを100年ほど前倒し得心して、大作騙しているようだ。

179:日本@名無史さん
22/02/15 12:58:41.32 .net
>>172
そもそも畿内神話の時代なんてないから。  畿内の歴史は、8世紀から始まる。   @阿波

180:太国
22/02/15 13:07:24.19 .net
>>169
九州だよ。倭人伝に南下せいと言ってるのに東方に行くとは
言っていないぜ。伝は女王国へ行く案内書的記載であって、いまの旅行案内書
に南へ行けとるのに東へ行くのが正ならその本を買った旅行者から出版社に
苦情が多々来て回収せざるをえなくなる。畿内にあるなら純日本産の
卑弥呼の記事が記紀に載るし、畿内の女王は推古からで卑弥呼は畿内の女性
ではない。九州で確定。

181:日本@名無史さん
22/02/15 13:13:56.28 .net
>>174 太国
>九州で確定。
「丹」もない、「橘」もない、「魏志倭人伝」に合わない九州の訳が無い。   @阿波

182:日本@名無史さん
22/02/15 13:16:02.97 .net
>>174
まさにその通り
東南500里の次は東南100里だ。
二重重ねに東南と書かれているのに、無理やり北東へ行くやつは年頃の反抗期の子

183:太国
22/02/15 13:22:50.26 .net
当時の絶滅危惧種なら、なくても当然だ。阿蘇の噴火で遺跡は吹っ飛ぶ。
URLリンク(trekgeo.net)
いいか、外国産の書の倭人伝に女王の記述があって、日本の女王なのに
日本産の記紀の書に女王卑弥呼の記事がないんだよ。あるのは外国産から
の借り物の神功39年くらいだけさ。
オマエん処は大陸から遠くて畿内に近いのに、畿内の記紀にねえんじゃ阿波に
卑弥呼はいねえのさ。九州は大陸に畿内阿波よりずっと近いんだから、
外国産の倭人伝に記載できる卑弥呼の情報が届く。

184:日本@名無史さん
22/02/15 13:33:55.21 .net
>>177 太国
>阿蘇の噴火で遺跡は吹っ飛ぶ。
そんな物騒な所に、「邪馬臺国」や女王国が興る訳なかろうが!  ドアホ!   @阿波

185:太国
22/02/15 13:41:37.01 .net
阿電波よ、松沢病院の中はどうだった? すごい奇声が聞こえたか? pp
いやあできるね。
スティーブンスのマヤの旅行記に火山近隣居住の民族がいたことを語っているし、
東南アジアの火山でも近隣に居住してる。
富士だっていつ噴火するか危惧されてて、過去にオウムもいて、他の住民も
うんとすんでるぜ。
この前阿蘇は少し噴火しただろうが、結構住んでるぜ。
                                わはははははは @太国

186:太国
22/02/15 13:44:08.59 .net
当時のマヤの王も火山近隣にすんでたし、ポンペイなんかローマ皇帝ら
が住んでたんだよ。オマエの嘘はもうたくさん。
                                  わはははははは @太国

187:日本@名無史さん
22/02/15 13:44:22.65 .net
>>179 太国
>スティーブンスのマヤの旅行記に火山近隣居住の民族がいたことを語っているし、
ドアホ! 少々いたところで、「邪馬臺国」や女王国が興る訳なかろうが!  ドアホ!   @阿波

188:日本@名無史さん
22/02/15 13:44:23.75 .net
>>177
だから卑弥呼は九州にいる。
南至って邪馬台国で近畿だな。
アマテラス神話になっただけだな。

189:太国
22/02/15 13:45:09.25 .net
阿電波はポンペイ最期の日も知らねえようだ。pppppp

190:日本@名無史さん
22/02/15 13:46:38.11 .net
>>182
>だから卑弥呼は九州にいる。
「丹」もない、「橘」もない、「魏志倭人伝」に合わない九州の訳が無い。   @阿波

191:太国
22/02/15 13:51:06.73 .net
今日もアホ踊りは踊ったか、阿電波よ
オマエ、古代イタリヤの噴火も知らねえようだな。ww
火山があったってローマ皇帝らは住んでたろうが。
マヤ火山もすごかったそうだ。オマエのいうことはオマエの御都合。      わはははははは @太国

192:太国
22/02/15 13:54:56.20 .net
いまはなくてもいいわけさ。
これが理解できねえんじゃぁ松沢病院の特別室に収容されるぞ。ヒヒヒ・・・
四国に最後にいた絶滅危惧種の獺ももう今はいねえ。
だが以前はこの動物がいたのさ。
つまりないからは合理的理屈にならねえ。

193:日本@名無史さん
22/02/15 13:57:54.80 .net
>>184
邪馬台国は近畿だな。
魏志倭人伝にぴったり。
可7万戸と見積もる。
女王の都とするところで開拓中だな。
丹もある。三重も橘ある。神社もある
ト骨も出土
九州では佐賀と八女ぐらいだよ。
壱岐は卑弥呼の時代とは重ならない。

194:太国
22/02/15 14:01:04.78 .net
近畿だったら天皇と女王の会見位記紀に載るだろうが。
だがねえんだよ。
あるのは南下を東方行きにしたいかれた盲象の強引さ。

195:日本@名無史さん
22/02/15 15:14:38.91 .net
>>188
まだ、天皇制など無い
神話としているだけだな。
不彌國から南至って近畿だな。
まあ、九州から出ていない。

196:日本@名無史さん
22/02/15 15:29:43.77 .net
倭国に上陸したら、
東南500里へ向かえ、その次は東南100里へ進めと、二重に東南へ行けと書かれている。
そしてちょこっと東へ寄った後も、南至る、南至る、とこれまた二重書き、合計4重に南が出てくる。
それにもかかわらず、無理やり北東へ、東へと行進するやつらは、デパートの売り場の前でひっくり返ってダダこねる反抗期のお子さま道徳レベル(笑笑笑笑

197:太国
22/02/15 15:34:37.97 .net
>>188
八幡愚童訓に
 黄龍2年=230年=開化48年
とある。
その9年後が景初3年だ。
つまり天皇は当時もういたわけで、南方に行くのに
東方に行く旅行案内書など現今にもない。
あれば旅行者から方向を間違えたと苦情がゴマンと来て書は回収になる。
畿内だいうなら畿内のどこが天皇国と女王国の境界なのかね?
女王と天皇の会見とか付き合いは記紀に無い。
このことは畿内に女王はいなかったのさ。四道将軍が畿内四方を調査
したが、女王国があったとの報告は無い。
当時は大陸の諸葛亮のいう鼎の三分の如くで、日本の場合は九州と畿内での
政局がほぼ二分だったのさ。卑弥呼は崇神の代九州にいたんだよ。百襲媛は
畿内の女性で卑弥呼とほぼ同時代の女性。
10年前の千葉考古班の精密機器測定での 240~260年はほぼ崇神の代で
あって上述の論に矛盾はない。

198:太国
22/02/15 15:36:42.41 .net
>>191
>189と訂正

199:日本@名無史さん
22/02/15 15:57:53.10 .net
>>191
「丹」もない、「橘」もない、「魏志倭人伝」に合わない九州の訳が無い。   @阿波

200:太国
22/02/15 16:09:57.79 .net
オマエの先祖はいまこの世にいねえで過去にもいなかったというわけだ。WW
オマエは真性のようだ、まだまだ松沢病院に入ってるんだな。
URLリンク(trekgeo.net)
阿電波は自分に先祖はいねえとさ。                わははははははは @太国

201:日本@名無史さん
22/02/15 16:12:54.30 .net
>>194
どあほ! 「卑彌呼」の時代に採っていたのは「阿波」だけじゃ! アホ晒すな!   @阿波

202:太国
22/02/15 16:22:12.24 .net
どこに阿波だけとの文があるのだ?
オメエの決め込みだ。

>>195
噴火で鉱山が埋まることは十分いえる。
阿波は畿内に近隣だからオマエの阿波に卑弥呼がいたのなら記紀に具体的
卑弥呼の記事が載るはずだ。
たとえば卑弥呼の国と朝廷との交易葛藤朝貢戦争婚姻・・・これが記紀に
ねえんじゃ卑弥呼が阿波にいねえということだ。
だいたいビリ前の二名島の二等席に女王は座らねえ。女王は特等か1等席だ。
阿波は外野席同然で貴賓席でねえ。PP
アホ踊りでも踊ってろ。     

203:日本@名無史さん
22/02/15 17:04:45.57 .net
>>196 太国
>どこに阿波だけとの文があるのだ?
「魏志倭人伝」に。  わははははは   @阿波

204:太国
22/02/15 17:40:11.32 .net
倭人伝に阿波とは書いてねえ。つまり文が無く、オマエのイカ様の決め込み。
一人免許じゃあ誰もうんとは言わねえぜ。           わははははははは @太国

205:日本@名無史さん
22/02/15 17:42:28.48 .net
>>198
どあほ! 「卑彌呼」の時代に採っていたのは「阿波」だけじゃ! アホ晒すな!   @阿波

206:太国
22/02/15 17:55:10.46 .net
いくらで丹は出る。どこでもある。
URLリンク(trekgeo.net)
阿波は二等席のビリ前。外野は向こうに行ってろ。
橘は筑紫の日向の橘の小戸とある。阿波の橘の小戸ではな~い。
筑紫とは九州のことだ。オメエみたいな出鱈目が利かないように筑紫と
しっかり記述している。
オマエの先祖はいまははこの世にいない。だからといって昔は居たわけだ。
四国のカワウソは今は四国にいない。だが昔は四国にいたんだよ。
絶滅すると昔もいなかったと詭弁を行うのがアワウソの阿電波のオマエ。
                               わははははははは @太国

207:日本@名無史さん
22/02/15 17:59:20.68 .net
>>200 太国
>いくらで丹は出る。どこでもある。
しかし、「卑彌呼」の時代に採っていたのは「阿波」だけじゃ! アホ晒すな!   @阿波

208:太国
22/02/15 18:10:17.07 .net
阿波だけじゃねえのさ。オマエの先祖もいまはいねえさ。だが昔はいた。
アワウソはやめろ。ww 阿蘇の噴火は鉱山を台無しにする。
阿波なんかにあれば畿内に近いんだから、記紀に阿波の卑弥呼と天皇の
交流記事が載ってしかりだろうが。
それがねえのさ。大陸に日本の女王の情報が載るには阿波や畿内じゃあ
遠すぎる。伝書鳩と狼煙しか早急に大陸に届く技はない。
つまり大陸から女王国に旅した者は阿波まで行ってねえんだよ。
九州奥地を探検して大陸に女王国を発見して大陸に情報をもたらしたのさ。
九州なら大陸に何とか届く。畿内より阿波は瀬戸内海等でもっと大陸に
女王の情報は届かない。 くやしいか。              わははははははは @太国

209:日本@名無史さん
22/02/15 18:14:44.46 .net
>>202 太国
碌に鉄器も作れん九州土民ではしょせん無理なお話だ。  わははははは   @阿波

210:太国
22/02/15 18:21:06.26 .net
オマエの阿波はマルコポーロのいった黄金の国ジパングたる金メダル国家の
神国日本の中で、格下の四ル馬:シルバーの銀級なのさ。ww
思いあがるなよ。黄金は本州と九州の格だ。         わははははははは @太国

211:日本@名無史さん
22/02/15 18:21:49.53 .net
>>203
弥生時代から鉄器作ってた九州と
古墳時代にならないと鉄器作れない四国の差やねw

212:日本@名無史さん
22/02/15 18:24:24.01 .net
>>205
弥生時代中期末から鉄器王国「阿波」。
碌に鉄器も作れん九州土民ではしょせん無理なお話だ。  わははははは   @阿波
   

213:太国
22/02/15 18:26:23.41 .net
阿電波よ
馬とはホース(フォー数)といってフォーは四の意味さ。
オマエの地は銀の級。

214:日本@名無史さん
22/02/15 18:42:59.06 .net
>>206
弥生時代中期末とか四国は石器文明だろw

215:日本@名無史さん
22/02/15 18:51:49.78 .net
>>208
そんなにくやしいのか?  わははははは   @阿波

216:太国
22/02/15 18:59:18.57 .net
>>208 氏よ
阿波波はおびえてるぜ。
書きこみで晦ましてる。               阿電波へ⇒わははははははは @太国

217:日本@名無史さん
22/02/15 19:06:54.31 .net
>>209
突然自己紹介されても困る
小人の石器文明が征服されたって別に良いじゃないか

218:日本@名無史さん
22/02/15 19:07:41.99 .net
今や、「阿波」を抜きにしては語れない「邪馬臺国」論争となったようだな。  わははははは   @阿波

219:日本@名無史さん
22/02/15 20:12:53.25 .net
もう脳内がリセットされちゃった
小人石器文明に邪馬台国の席は無いよ

220:太国
22/02/15 20:32:04.45 .net
ヤツはスター気取り。
阿電波は松沢病院に行くんだな。                わははははははは @太国

221:日本@名無史さん
22/02/16 22:18:38.43 .net
>>156
ソースが示されてるのにそんな見え透いた嘘をつかなくても
URLリンク(www.zdic.net)
〈動〉
(1) 涂染成紅色 [redden]
殺卒四万,血丹野。―《新唐書》

222:日本@名無史さん
22/02/16 22:21:18.19 .net
>>157
論理的に反論できないからって意味不明な嘘を並べても駄目だよ
だから大阪湾の沿岸部には3世紀にはもう鉄器があるが盆地内には無いという事実からは
盆地内だけが土着勢力に残された最後の抵抗拠点であったということが明確だ
包囲される奈良盆地の図
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

223:日本@名無史さん
22/02/16 22:22:45.52 .net
>>169
典型的な負け犬の遠吠えだな
畿内である要素が一つも無いのだが

224:日本@名無史さん
22/02/16 23:56:59.67 .net
>>215
血丹野。血と丹で二重でないかな?

225:日本@名無史さん
22/02/17 06:55:02.40 .net
>>2


226:16 >包囲される奈良盆地の図 >https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg 「倭人(阿波勢力)」の進出地域。   @阿波



227:日本@名無史さん
22/02/17 07:33:38.26 .net
>>219
包囲される?大笑いだ
ヘンピな所なのに、近畿
邪馬壹國の開拓地域
3世紀前後に着手だとわかる。

228:日本@名無史さん
22/02/17 07:38:16.86 .net
>>177
弥生時代
の丹産出 遺跡がないな。
三重、奈良、徳島のみだな。

229:日本@名無史さん
22/02/17 08:07:27.07 .net
小笠原発見 海部の船乗り
350年前(江戸時代前期)、海部浅川港出航、難破し漂着
調査し幕府に報告、領有に貢献  @阿波

230:日本@名無史さん
22/02/17 08:48:39.93 .net
>>217
とうふさんは負け犬ぢゃない😡

231:日本@名無史さん
22/02/17 09:18:07.32 .net
>>222
1830年にはナサニエル・セーボレーやマテオ・マザロなど欧米人5人や太平洋諸島民を含む20数名が移住してきました。

232:日本@名無史さん
22/02/17 09:20:10.88 .net
>>206
そんな前からあるから
邪馬台国ではないのだよ。

233:日本@名無史さん
22/02/17 09:22:55.63 .net
国産、丹を使いだす時期と鉄が増えだす所が邪馬台国
奈良はその一部

234:日本@名無史さん
22/02/17 09:23:44.03 .net
>>200
すると倭国は九州限定ではないて事ですね。

235:太国
22/02/17 09:35:10.66 .net
〇碌に黄金級にもなれん銀級阿波土佐エ門ではしょせん無理なお話だ。        わははははは  @阿電波
@阿電波

236:日本@名無史さん
22/02/17 19:54:32.78 .net
というか、水運が主力の時代において、奈良盆地は後進地域だったのだろう。
近畿とか畿内とかいう枠組み自体が存在していない。
倭国とは九州北部のこと。
本州は倭の別種。

237:日本@名無史さん
22/02/17 19:56:30.60 .net
地理的に言えば、温暖黒潮沿岸の四国だろ。   @阿波

238:太国
22/02/17 20:40:16.35 .net
九州北部が拠点だな。
漢倭委奴国王金印は志賀島だから動かない。
この金印は四国出土ではない。
阿電波の主張は出鱈目なのである。ww

239:日本@名無史さん
22/02/17 20:42:05.36 .net
>>231 太国
極寒の九州北部は没だな。  わははははは   @阿波

240:太国
22/02/17 20:50:10.72 .net
いやあ金印が出ればもう動かねえよ。
四国じゃあ女王の情報は大陸に遠くて届くかねえ。
それに
九州だと阿波より畿内よりもずっと近いから、大陸に届くのが当たり前。
コチラは旅行したが暖かかったしおかしくはない。
                                 わはははははは・・・・・ @太国

241:太国
22/02/17 21:00:00.48 .net
10年ばかり前の秋の終わり、九州の吉野ケ里に旅したが、初夏の気候で
汗ばんだものだ。極寒はオマエの最高のデタラメ。 わはははははは・・・・・ @太国 

242:日本@名無史さん
22/02/17 21:40:25.43 .net
今日あたり、極寒の極みだろう、九州北部。  わははははは   @阿波

243:太国
22/02/17 22:00:16.56 .net
大歩危へ行ったが、もっと吉野ケ里のほうが暖かかったぜ。       わはははははは・・・・・ @太国

244:日本@名無史さん
22/02/17 22:01:55.04 .net
オマエの阿波はきょうあたり冷凍庫だな。          わはははははは・・・・・ @太国 

245:日本@名無史さん
22/02/17 22:13:04.60 .net
>>236
大歩危は「邪馬臺国」や「女王国」じゃね~よ。  今日あたり、北部九州は冷凍庫だな。  わははははは   @阿波

246:太国
22/02/17 22:37:52.75 .net
ボケ!pppp
>大歩危は「邪馬臺国」や「女王国」じゃね~よ。
そうだろう。阿波にもねえので当然だな。wwww
阿波は明日以降もずっと冷凍庫だな。南極探検もどきができそうか。   わはははははは @太国

247:日本@名無史さん
22/02/17 22:45:40.93 .net
塩っぽいな それ 卑怯 塩っぽいな それ "My SALT" 
アイウォンチュー ウォンチュー 勢いが下がっていく感じ😨
邪心っぽいな それ 畢竟ひっきょう 邪心っぽいな それ "My SALT" 
アイヘイチュー ヘイチュー ガイジーはどっち📛👶
その髪型🌗 その目👀 その口元💋
その香水🍾 その服


248:9509; そのメイク📿  アレっぽいな それ 比況 アレっぽいな それ💢👶👉🏻🌗 その名言👶 その意見👶 その批評👶 そのカリ須磨 そのギャグ👶 そのセンス👶  塩っぽいな それ 卑怯😎  ぽいな ぽいな ぽい 憧れちゃう!😏



249:日本@名無史さん
22/02/17 22:46:01.00 .net


250:日本@名無史さん
22/02/17 23:35:53.52 .net
南(東)至投馬國水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
「南(東)、投馬国(倉敷辺り)に至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、
副は弥弥那利と曰ふ。五万余戸ばかり。」
南(東)至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 
次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
「倉敷、岡山辺りより、南(東)、邪馬台国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。
「官有 伊支馬イクメ」11代 垂仁天皇
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと) - 『古事記』
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと) - 『日本書紀』

「次日彌馬 升サ・ス」 なお彌馬(みま)とは、(皇孫みま)皇族に対する尊称
①少彦男心命(すくなひこをこころのみこと) 9代開化天皇、大彦命の3兄弟、
倭迹迹日百襲姫命の甥
または、②狭穂彦王(沙本毘古さほひこ)開化天皇の孫、
妹・狭穂姫命(さほひめのみこと) 11代垂仁天皇の皇后、兄弟で垂仁暗殺未遂の謀反人
「次日彌馬 獲支ワカ」9代 開化天皇
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと) - 『古事記』
稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)-『日本書紀』
「次日奴佳鞮ヌカタ」生駒郡平群町、本拠地の額田部氏(ぬかたべ)

251:日本@名無史さん
22/02/17 23:38:46.09 .net
>卑弥呼時代ほぼ久留米市あたりまで海岸線、稲作が無理だから牟田無田って言うんだよ。
>その後、筑後川の氾濫などや1000年かけ埋め立てられてられて今がある。
有明海の干拓の歴史
URLリンク(www.maff.go.jp)
弥生時代、はるかに温暖であったせいか海水面は今よりも5m程高かったと言われている。
この平野の海抜4~5mの線を結ぶと図1のようになる。
そして、この線上に多くの貝塚が見つかっている。
吉野ヶ里の大集落は、まさにこの海岸線に位置していたわけである。
URLリンク(suido-ishizue.jp)

252:日本@名無史さん
22/02/17 23:39:46.68 .net
>凡そ、比べるとこんな感じ、
>有明湾沿いはコンクリ堤防が無い時代、筑後川氾濫、台風塩害で水田は難しい
奴国、 二万戸
福岡平野 南北20km 東西20km
投馬国、五万戸
倉敷、岡山平野 南北20km 東西40km +20km福山盆地まで合わせると。
邪馬台国、七万戸
京都、奈良盆地 南北80km 東西20km 内陸だから台風、塩害、水害が少ない。

253:日本@名無史さん
22/02/18 00:10:08.31 .net
>>244
頭悪そう


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