億兆安撫国威宣揚の御宸翰at HISTORY
億兆安撫国威宣揚の御宸翰 - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
22/02/06 20:04:20.36 .net
億兆安撫国威宣揚の御宸翰(おくちょうあんぶこくいせんようのごしんかん)とは、
明治元年3月14日(1868年4月6日)、五箇条の御誓文の皇誓に際し、これに附して明治天皇が全国民に対して下された御言葉。
(現代語訳)朕(わたし)は、歳が幼にも関わらず思いがけず皇位を継承しましたが、それ以来、世界の国々とどの様に向き合って行べきかを日々思い悩んできました。
私見を述べると、天皇親政でなくなった中世からは、武家が政権を専有し、表向きは朝廷を推尊していましたが、実質はこれを政権から遠ざけて、国民の父母としての役割を出来ず、赤子たる国民の情に接することが殆ど出来ないまま、遂に国民の君主である天皇の位も、ただ、名前ばかりに成り果ててしまいました。
そのせいで現在では、朝廷の権威は昔より増しましたが、天皇への親近感は著しく衰え、一般国民と天皇の気持ちは天と地の距離ほど離れてしまいました。
このような状況でどうやって朕(わたし)は日本を統治出来るでしょうか。しかし今やっと、朝政一新の時が到来しました。日本国民の中で一人でもその事を不満に思う人がいれば、それは総て、朕(わたし)の罪です。
これからの事は、朕(わたし)も自ら身骨を痛め、心志を苦しめ、艱難の先頭に立って、古来から続く皇祖の努力の足跡を辿って、治政に励んでこそ、始めて天から授かった皇位にある国民の君主である「天皇」という名に背かないと言えるでしょう。
昔、天皇親政の時代には、不忠の臣があれば自ら兵を率いて、これを征伐されました。昔の朝廷による政治は、制度が複雑ではなかったので、その分、君臣は相親み上下相愛し、德澤は天下に行き渡り、国威は海外に輝きました。
けれども近代は世界の文明が大いに発展し、日本を取り巻く国々も覇を競う時代となり、その中でわが日本のみが鎖国し、旧来の因習に固執し、維新の成果を理解せず、朕(わたし)自身も、ただ宮中に安穏として、日々楽な生活だけをして、永年積み重なった世の矛盾に対して意に解さない時は、遂に各国から凌侮(あなどり)を受け侵略されるでしょう。


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